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閑話 奪還

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

グラミィ視点の内容になっております。

 発端は、突然城館に押し入ってきた大勢の騎士たちだった。

 彼らは整然と隊列を組んで、この許可のない訪れを知らせに来た使用人を追うようにプルモーの前に現れた。

 無礼者、と一喝してもなんの効果もない。

 むしろ完全武装の騎士たちに、使用人さえぐるりと囲まれていては、反撃などできようはずもない。

 いや、これ以上暴れたらこの身にすら手をかけられるやもしれぬ。女の身にそれだけは避けねばならぬ。

 この家の主たる身でありながら、なにもできぬとは。


 屈辱に震えるプルモーの前に白金の髪の騎士が進み出た。

 エンリクスと名乗ったプラチナブロンドの騎士は王弟殿下の印璽つきの委任状を示した。

 それはつまり、ただの巡回任務に当たる以上の権力をヴィーア騎士団が行使するという意思表明にほかならない。


「あなたの手の者が、こちらの騎士団の者を襲ったと自供しました」


 表情には出さぬつもりだったがプルモーは驚愕した。

 まさか、捕まっていたとは。

 し損じたのはわかっていた。

 狙わせた老婆の姿がその後も見受けられるという報告を受けていたからだ。

 だが、あっさり捕まるような者ばかりではない。

 腕は立つが人品卑しい者ばかりゆえ、失敗したともあれば逃げたと思っていたのだが。


「たばかりであろう」

「よろしいですか、プルモー夫人」

「アダマスピカ副伯夫人とお呼びなさい、無礼者」

「あなたにそう名乗る資格はない。不義の子を産み、甥と僭称してこの家の後継者に立てんとしたあなたには」


 頭が真っ白になった。

 なぜ、その、ことが。

 墓の中まで持って行くつもりだった、幼い恋の結末を。


「二十余年も前のこととは言っても、人は覚えているものですね」

「まさか、そんな」

「口止めはしていたはずなのに、ですか。ええ、奥様が産後の処置をさせた産婆は死にましたよ。ただし、殺された時、死の間際に駆けつけた身内にすべてを暴露していったのです。男子を産んだのは当時のルンピートゥルアンサ副伯爵が長女、コークレア・アウァールスクラッススではなく、三女のプルモー・アウァールスクラッスス、つまり奥様ご自身だったことも、ね」


 声に振り向けば家宰がこれまで見たこともないほど冷たい目で見下ろしていた。


「旦那様は奥様の不身持ちをご存じでしたよ」

「なんですって」


「よく知りたいと思うのは当然のことでしょう。婚姻によって結ばれる相手なのです。それがたとえ、心より愛しておられたイグニッサさまが亡くなられてから後添えをお持ちになる気になれなかったのに、港湾伯のお口添えがあったからこそ、当時のルンピートゥルアンサ副伯爵が頭を下げて頼み込まれたからこそ、しかたなしにルベウスさまがお受けせざるをえなかった縁談だとしても」


 それでも、と家宰はふるえる手で白金の髪の騎士に革表紙の帳簿を渡した。


「ルベウスさまは何もかも飲み込んで、プルモーさまをお迎えになったのです。わけあってときちんとお話になるのならば、いつでも受け入れよう、そうおっしゃっていたのですよ」


 連れ添った副伯はプルモーに触れることはなかった。

 すりよれば離れ、恨んでみせてもその目に熱はなかった。

 そのことに怒りを覚え毒を盛ったのは紛れもない事実。


 だが、閨をともにしたことがないのは副伯が男としてすでに盛りを過ぎていたからでも、夫人に女としての魅力がないからでもなかった。

 ただ、人間として見切りをつけられていたせいだったのだ。

 最初は無言ながらも最低限の信頼はされていたのに。

 それを最後の最後まで裏切ったのは。


「それ以上我々が立ち入ることはございません。アダマスピカ副伯爵家内のことは、いずれ貴家の裡でお定めになることでしょう。我らが職務は王の目となり耳となり、王国法に則り、正しき統治と正しき裁きを国土すべてにもたらさんがためのもの」


 エンリクスは、家宰から受け取った帳簿をかざした。


「プルモー夫人。貴女がアダマスピカ副伯爵家を守っていたと言い張るのならば、王国法に定められていた税率と段違いのこの税収をどう説明なされるのか?」


 土地持ちの貴族が領民にかけられる税は、主に二つに分けられる。

 国に納める税と、領主に納める税だ。

 どちらも、収穫高の何割と決められているのは、それ以上過酷な税をかけることで領民を不必要なまでに搾取しないためというのがひとつ。

 もう一つは、無闇に集めた富で、地方領主にいらぬ内乱を起こさせないため。


「そして集めた税を王都ディラミナムにではなく、なぜルンピートゥルアンサ副伯爵領へ送られたのか、その理由もご説明いただこう」


 王への納税は、王を国の主権者であると認める行為でもある。

 百歩譲って寄親であるボヌスヴェルトゥム辺境伯へと納めるならば、まだ辺境伯が寄子の納税をもまとめて王都へと送るためという言い訳がたたなくもない。

 領主に納める税の中からいくばくかをボヌスヴェルトゥム辺境伯に納めるのもまた寄子としての義務ともいえる。

 だが、ボヌスヴェルトゥム辺境伯へ送る以上の額を、副伯という意味で言うなら同格のルンピートゥルアンサ副伯爵家に送るとは。

 それはもはや、アダマスピカ副伯爵家はランシアインペトゥス王国の王権を認めず、ルンピートゥルアンサ副伯爵家に臣従していると見なされかねない行為ですらある。


 もはや言葉もないプルモー夫人のまだらに色の抜けた金髪を、エンリクスは冷ややかに見下ろした。


「なぜカシアス分隊長が、わざわざ二度と見たくないあなたの顔を見なくてはならぬかもしれぬ、この場所に戻ってきたか。まだおわかりになりませんか?」


 プルモー夫人は巨大な趣味の悪い指輪を填めた色の悪い腸詰めのような指をぐっと握りしめた。

 決まっている。

 アダマスピカ副伯爵家そのものにこの失政の責を取らせるのではなく、プルモー夫人個人に責任を取らせ、次代へ禍根を残さぬように処罰するため。

 先々代副伯爵夫人という権威をプルモーが失えば、当然のことながらアロイシウスが主張するアダマスピカ副伯爵位継承権など跡形もなく吹き飛ぶだろう。

 だが。


「……愚かなことを。この家の主たるわたくしを罰すれば、この領は誰が統治できるというのです?」


 ルベウスの子はすでに死に絶えたはず。アロイシウス以外に継ぐべき次代などいないではないか。

 悪あがきのようにプルモーが吐き捨てた言葉に、家宰は冷笑で応えた。


「いいえ。当家の主はちゃんと生きておられますとも。もっとも正しきお方が、すべてをご存じになって、お帰りになられるのです」


 その言葉に、もともと色の悪かったプルモー夫人の頬がさらに土気色になった。


 ――というのが、後で聞かされた顛末だった。


 聞いたときはうわあ、と思っちゃった。

 なんというか、エンリクスさんも容赦がないよねー。

 さすがはカシアスさんの副長を務めてるだけある。


 ちなみに。

 なんで、念願だったはずの、推定御領主様毒殺犯人の逮捕?捕縛?をカシアスさん自身がしなかったのかっていうと、それもカシアスさんらしい容赦のなさのせいだった。


 アロイシウスっていういじめっ子とプルモーとかいう名前のおばさんを告発して追い落とすことは、これだけ証拠と証人を集めれば、簡単といえなくもないかもなー、というところにまできたとカシアスさんは言う。

 だけど、そのあとのアダマスピカ副伯爵になる人がいない。

 ボニーさんが『ぷんぷん謀殺の匂いがする』と言ってたとおり、御領主様のお子さんたちはプルモーさんが嫁の押し売り状態でやってくる前に、お嫁に出てしまってた長女さん以外は三人とも戦死(KIA)行方不明(MIA)になってしまっている。

 だったら、一番いいのは長女さんが戻ってきてアダマスピカ副伯爵家を継ぐことじゃないのかな?

 子どもはいないっていうし。

 あたしは単純にそう考えてたんだけど、大きな問題があった。

 それは、長女さんが法律的にまったく不備のない結婚をしていたということだったのだ。


 法律的に正しいことってのは、どうしようもなく動かしにくいということでもある。

 つまり、正しい結婚をした長女さんを離婚させることは難しい。

 子どもがいないことは離婚理由にならない。この世界では結婚は貴族の家同士の同盟関係の証明だからだ。

 子孫繁栄ってのももちろんあるけれど、愛妾とか寵姫っていう人たちがいて、その人たちが子どもを産めばその家の後継者は確保できてしまう。

 結果として、アダマスピカ副伯爵家がガタガタになっていることと、子どもがいないってことは、嫁ぎ先での長女さんの立場を悪化させることにしかなっていない。

 このあたりのことはボニーさんも頭蓋骨を抱えていたっけ。

 しばらくして放り出したけど。どうしようもないことには手も出したくないって。


 そのあたりのことをカシアスさんと話したのは、王猟地のお屋敷で特訓を受けてたときだったっけ。


 あたしは知らなかった。

 まさか、カシアスさんの、あの厨二な『静謐なる変幻』という二つ名が、寡黙なんだけど剣技とかの腕前がすごいから、って意味だけじゃなかったなんて。

 実は『事が始まったと思ったらすべて終わっている』『沈黙裡にすべての手筋を繰り出している』という、事前準備の鬼だという意味もあったとか。


 アダマスピカ副伯領で、カシアスさんがプルモー夫人を追い詰めるって行動は、ボニーさん的には王都のアロイシウスを叩きのめすフェイク(虚偽)でもありリアル(真実)でもあればいい、ってことだった。

 それが敵への目くらましも兼用してる目標散らしだってことは、あたしが王猟地のお屋敷を立つ前にボニーさんからもしっかり話を聞いてたことだった。

 だけどまさかカシアスさんがアダマスピカ副伯領での、カシアスさん自身の行動まで別の行動のフェイクでもありオーセンティック(本物)でもあるような、独自の仕掛けをしてるなんて、想像もしてなかった。


 王猟地から王都に戻っていった時に、カシアスさんは土下座を通り越して石の床をヘッドバッドで叩き割りそうな勢いで、王子サマに頭を下げたらしい。

 理由は弁舌の立つ、離婚問題に詳しい法律の専門家を一人、アダマスピカ副伯領へ赴くヴィーア騎士団の中に加えるため。

 長女さんをアダマスピカ副伯爵家に戻すなんてこと、何をどうしたってカシアスさんやアロイスさんの手にだって余る。

 ……だからって、王弟殿下の息のかかった専門家を連れて直接長女さんの嫁ぎ先を脅しにかかるって発想が、いったいどこから出てくるかなー……。

 それも自分の手ですべてのざまあをするより優先するとかって。


 あたしも内心驚くというより呆れていたけど、それもこれもみんなボニーさんのせいだった。


「ボニーどのとグラミィどのには衷心より感謝申し上げる。これは『騎士の武勲も誇りもない、泥と闇の中に隠すべき戦い』とおっしゃられた。『得られるものは復讐の苦い果実のみ』とも」


 それでも勝たなければ、死あるのみと。

 

「ボニーどののお言葉にそれがしの腹も決まり申した。ならば、せめて勝って、アダマスピカ副伯爵家の未来をつながんと」


 復讐の果実からも、芽は吹くのでしょうから。

 そう言って笑って見せたカシアスさんは無精髭まみれなのにかっこよかった。

 あたしはおじさま好きじゃないんだけどなぁ、ボニーさんと違って。


 で、あたしはどうしたら?


「グラミィどのは、ヴィーリどのとともに、サンディーカさまを診ていただきたい」


 何その無茶ぶり。

 あたしに医者の真似なんてできませんってば。

 いや、まあ、そりゃ確かに、タクススさんやヴィーリさんから毒については教えてもらったけど。

 そのついでに、どんな症状が出るかとか、ちょっとした対応策とか。

 だけど、そんなことしてなんの得が。


 ……。


 まさか、ね。

 推測を確認するのに、婆口調でカシアスさんに訊いてみた。


「カシアスどのは、そのように考えておられるのかの?」

「その恐れもなきにしもあらず。ということにすることもできようかと」


 ……うわー。カシアスさんが黒いですよボニーさーん。アロイスさんと親友やれてるってこーゆーことですかー。

 長女さんに子どもができない理由まで、御領主様毒殺をしかけたプルモーさんにおっかぶせようとか。


 アロイシウスとかいう、ほとんど効力のない継承権を無理矢理主張してる人のライバルって、同じくらい継承順位の低い継承権しか持たない、長女さんの子、ということになってたとかいう話をしてた気がする。

 ということは。

 アロイシウスのライバルになりそうだからってだけで、御領主様にとっては外孫にあたる子どもを作らせないために、プルモー夫人あたりが長女さんになんらかの毒をしこんでいた、という話は無理筋ではない。

 だけどね。

 出産機能にだけダメージを与える毒なんてもの、都合良くあるんだろうか。


 あたしの疑問もなんのその、ヴィーリさんとあんまり面識のない文官っぽい人という組み合わせで馬車に放り込まれて、やってきました、ペリグリーヌスピカ城伯家。


 城伯というのは、城塞一つの管理を任された、いわゆる城代を務めてる家ということになる。

 爵位としては副伯にあたるので、アダマスピカ副伯爵家とはある意味同格のおうちだ。

 ボヌスヴェルトゥム辺境伯さんは自分の寄子同士の結束を強める意図もあってサンディーカさんというお名前なそうな長女さんのお嫁入りを許可したのだろう。

 だけど見た感じ、そんなに領地は広くないし、肝心の城塞も直接の部下だけじゃなく港湾伯さんの部下も常駐しているそうなので、どっちかって言うとただの中間管理職に近いのかもしれない。


 ……そして城伯さんとカシアスさんが長々しく儀式張った挨拶をするところを脇で見てたと思ったら、なぜかあたしとヴィーリさんはいつのまにかサンディーカさんとお茶することになってます。

 なんなの、この状況。

カシアスさんはというと、文官チックな人と城伯さんと男性同士でお話し合い。

 その一方で、城伯夫人としてサンディーカさんは政治向きのことに首を突っ込めないあたしたちの接待、という体でお話し合いの席を設けてくれたんだってのは、わかってるんだけどさぁ。


(星の子よ、なすべきことはなすべきではないか)


 ……うん、まあ、そうなんですけどね。

 振られた役割ぐらいはやっとかないとボニーさんに叱られるし。


タクススさんから聞いたこの世界の薬学毒学の知識と、ボニーさんから聞いたむこうの世界の医療知識を足し混ぜながら、サンディーカさんの肌をよく見る。


 毒を本人が知らないうちに摂取させる方法は経口、経皮だという。

 経口は毒を入れられた食べ物飲み物を口にしちゃうパターン。これは口から消化器にかけて症状が出ることも多いという。

 ただし、すべての毒がそうとは言い切れないとタクススさんは言っていた。

 逆に経皮、つまり毒そのものに触っちゃうパターン。これは確実性を高めるために、傷を作るというものと併用されるという。

 たとえば、ボニーさんにも気をつけるように言われたけど、服や寝具に毒針を仕込むとか。

 これはもう肌や傷自体があからさまに爛れたり膿んだりすることが多いのでわかりやすいのだとか。

 つまり、慢性的な毒よりどっちかっていうと猛毒で一撃必殺とか、暗殺の確実性を高めるためのものが多くなる。


 どっちにしても、毒が体内に入れると、肝臓がまず分解しようとする。そして腎臓が排出しようとする。

 だから、毒を使われているとすると、かなり高い割合でその二つの臓器に負担がかかるんだそうな。

 肝臓が悪くなっていれば肌は黄色に、腎臓が悪くなっていれば、日に焼けたのとは違った色調にどす黒く、そしてむくむものらしい。

 だけど、サンディーカさんの肌は見たところ悪化しているような傷やその痕らしきものもなく、黄ばんでもむくんでもいなかった。


 やっぱり毒を使われてる、というのはおそらくナイ。

 だけど、あたしが診たって事実の上に、毒が使われていたかもしんない、ということをプルモー夫人への罪名おっかぶせに使おうということですね、カシアスさーん!


「あの…、わたくしの顔に、何か?」


 おっとりとした様子で首をかしげてみせるサンディーカさんは、カシアスさんより4歳年上と聞いている。ということは三十代前半ってところだろうか。

 もとは鮮やかな赤毛が情熱的というよりかわいらしい感じの人だったんだろう。

 ところどころ髪が橙色にまでくすんでるのがもったいないくらいだ。

 清楚な顔立ちも、芯の強さが削れて見えるほどにはやつれてる。


 これも、ボニーさんの推測どおり、かな。

 嫁入り先のおうちがちょっとでも強欲だったり領土拡大の野心を持ってたりしたら、子どもを産んでない長女さんの立場が現在進行形で悪化してってるんじゃないの、というね。

 対抗手段にはボニーさんも悩んでいたけど。


「いや、失礼をいたしもうした。奥方様にはなにやら御心痛がおありの様子かと存じましての」

「まあ」


 貴族らしく、なかなか本心を出そうとしないサンディーカさんだが、初対面でもあたしたちにはアドバンテージがあった。

 蜂蜜水を塗って朝洗うといいですよーなんてスキンケア情報、この世界じゃボニーさんぐらいしか知らないんじゃないかな。蜂蜜も貴重品らしいし。

 日中使いなら、も少し水で薄めてもいいですよー、その後蜜蝋をちょっと唇に塗るとつやつやになりますよ、髪の毛の手入れにも使えます、なんてのもねぇ。

 どこの世界でもこの手の話題は食いつきがいいものらしい。やっぱり興味ましましになる。


 ほどよく会話があったまったところで、サンディーカさんにあたしが見てきたアダマスピカ副伯領の様子を話せば目をキラキラさせて聞き入り、カシアスさんとお墓参りをしてきた話をすれば、こらえきれずに涙するようになった。


 そして……。


「だからわたくしは、こう申しましたの!」

「……それは辛い思いをなさいましたな」

「ええ、もう口惜しくてなりませんでしたもの」


 あたしはひたすらサンディーカさんの発言を煽っていた。というか、適当な合いの手を入れてあげるだけでいい。

 涙を流すたびに、口を開くたびに表情が生き生きとしてくるんだもの。

 ――結婚してからずっと、サンディーカさんは、きっと、こんなふうに誰かに話を聞いてもらうということもなかったんだろうな。

 会話自体なかったのかもしれない。

 

 あたしが向こうの世界にいたとき、不登校になったときに、スクールカウンセラーって人と話をする時間っていうのを無理矢理休み時間に作られたっけ。

 会話をするだけでいい、と言われたので、誰と誰からいじめを受けた、こんな被害を受けた、全部言ったし証拠も見せた。

 学校の先生は当てにならないと思っていたけど、学校の外からきた大人なら、まだあたしの話を聞いて何か対応してくれるんじゃないのかって期待していたから。


 だけど、なんの解決にもならなかった。

 なんで動いてくれなかったかって?

 スクールカウンセラーは子どもの心を守るために、言いたいこと、ぶつけたいことを黙って聞くのが仕事の基本なんだって。

 問題解決に動くための力を養うのは子ども自身です、って大真面目に言われた時には眩暈がした。


 精神的なバランスを崩してるだけなら医者へ行くわ!

 ニセの証拠や傷まで作って、いじめられてるのを自作自演してると思われた上での心理治療の方針を立ててるつもりだったとわかって、大人には専門バカってのがいるんだということを理解せざるをえなかった。


 あの時あたしに必要なのは、あたしを敵意から守ってくれる人、立ち直るための時間を稼いでくれる人、完全に信じてもいい相手、そういうものだったのに。


 信頼関係なんて、能力のある人にしか結べない。

 そのことだけが骨身に沁みた。

 

 だけど、その経験があるからか、あたしはサンディーカさんが求めている合いの手が打てた。

 王様の耳はロバの耳、そう言いたくても言えないのならば穴を掘って叫べばいい。

 穴を掘る力のない人がいるのなら、代わりに穴を掘ってやればいい。

 いまあたしがしているのはそういうことだ。


 たっぷり、泣いて、泣いて、泣き尽くして、サンディーカさんが飲んだお茶はみんな涙になったんじゃないかと思う頃に、ようやくカシアスさんたちが戻ってきた。


「グラミィどの、いかがであったかな」


 問われてあたしは、打ち合わせ通り、沈痛な表情で首を振ってみせた。


「……やはり、すぐには解毒もできぬということか。いかがでしょうか、カエルレウスどの」

「うむ」

 

 青白い顔の城伯は、せかせかとうなずいた。


「サンディーカ。お前をアダマスピカへ戻す。療養するがいい。身体をいとえ」


 サンディーカさんは目と唇を丸く開いた。

 初めて気づかいを城伯さんが示した言葉だったんだそうだ。


 あたしたちが女子会、もといひたすらあたしがサンディーカさんの愚痴を聞いている間、カシアスさんは男同士の話をしていたらしい。

 それも、カシアスさんによればほとんど真実という。

 アダマスピカ副伯爵家を乗っ取ろうとしていたルンピートゥルアンサ副伯爵家の話。そして先々代当主御領主、ルベウスさまが毒殺されたということが証拠立てられたということ。

 ……それにちらちらと、ペリグリーヌスピカ城伯家も同じ事をする気かやんのかゴルァ、という脅しが入っていたとしても、真実なんだよね。きっと。

 クウィントゥス殿下直属の司法に詳しい文官が同席してるってのも威嚇材料だったのかもしれないけど、うん、ほんとのことしか言ってないんだろう。


 そして、カシアスさんは、あたしが毒にも薬に造詣が深い人間であるという体に見せかけて、サンディーカさんにも毒が盛られている可能性を暗示し、子どもが『まだいない』のではなく、『できない』のではないかという方向へ思考を誘導したらしい。


 つまり、ペリグリーヌスピカ城伯家が今後もアダマスピカ副伯爵家とのつながりを保とうとすれば、家の建て直しという負担が大きいかたちで協力しなければならなくなる。

 それも爵位継承権を持つ子どもが『できない』のに。

 リターンのないリスクばかり。

 それくらいならばいっそ、今のうちに婚姻不成立を申し立てたらどうか、ということを、いかにも同情しているような顔で、離婚に関する法律の専門家さんに口添えされたペリグリーヌスピカ城伯さんは、あっさりと持参金返還にも同意したらしい。

 

 ちなみに、結婚を司るのは豊穣の女神フェルティリターテという神様らしい。

 前に武神アルマトゥーラって神様の名前は聞いたことがあるから、やっぱりこの国は多神教なんだろう。一神教なら全知全能という表現になるだろうし。

 豊穣の女神はフェルティという呼び方で農家には必ずかまどの脇や食料貯蔵庫に祀られるらしい。

 そういえば、カシアスさんのおねえさんちにも、なんか壁のくぼみに麦が供えられていたっけ。


 豊穣の反対は不毛。

 婚姻不成立だからこそ、フェルティリターテは子どもを恵まなかった、という言い訳でサンディーカさんの離婚はあっさりと決定した。


 これらのことをカシアスさんはペリグリーヌスピカ城伯の城から出た後、サンディーカさんの前でひざまずいて、すべてを話したのだった。


「申し訳ございません、サンディーカさま。あなたさまの名誉に傷をつける形でしか、アダマスピカへお戻しすることはなしえませんでした。それがしの不徳の致すところでございます」

「いえ、いいえ、ありがとう、カシアス。あなたはわたしを救ってくれたのです。どうか胸を張ってください」


 サンディーカさんは泣きながら微笑んでいた。

 その涙の意味はあたしにはまだわからない。

アロイスが弁舌の剣士だとすると、カシアスは専門家を動かす指揮官といったところでしょうか。

なんのために、誰のために、というところを自覚していないようですが。

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