EX 神聖決闘 (その1)
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
アロイシウスは激怒していた。
必ずあのたわけた噂や戯れ歌の元を絶たねばならぬと決意していた。
アロイシウスはなぜあのような噂が広がったか知らぬ。もとからアダマスピカ副伯領は己と叔母のものであって、それ以外のものではないはずだったからだ。
アロイシウスには難しいことは分からぬ。叔母が『かわいいアーロは難しいことを考えずともよい』といつも言ってくれたからそれを守っている。当然のことを主張している自分より正しく強い騎士はいない。
弱いことは罪なのだ。それは低い身分、そして腕力、さらには――。
「おや。準男爵殿。騎士団王都本部のような場所に何用でお運びなされましたかな?」
見覚えのありすぎる赤みがかった髪の男が礼をしてきたが、アロイシウスは軽蔑の余り鼻を鳴らした。
『フン』という音がしたのは彼の脳内のみのことで、実際に出た音は『ぶひっ』である。
思えば最初からこいつは気にくわないやつだった。どこだかよくわからぬ家の出だと言うが、その身もわきまえず、こともあろうにこの手首を打ってきたことがある。骨こそ折れはしなかったものの、腫れたせいで優しい叔母がひどく心配をし、なかなか身近から離してくれなくなったものだ。
叔母は無聊を慰めるため、館から出ずともよいように手頃な花を見繕ってくれもした。
その中の一人が泣きわめいて『アロイス様に合わせる顔がございません!』と叫んだのは、ああ、そうだった。どういうわけかこの男が不貞の事実すら覆い隠してのけたのだったか。
そして、大勢の前で血を吐いた忘れがたい屈辱。
この男がおのが前に出てくるたびに不快なことが起こる。
ということは、そうか、読めた。
「アロイス、貴様だな」
口にすれば疑いはアロイシウスの中での真実になる。
「貴様がわれをはめたのだな」
「……は?」
言い訳をする気か、騎士らしくない。いやこの男は最初から騎士でなかったな。さあどう言おうと許すまい、とっと己の罪を認めさせればいいだけのことだ。
鼻息荒く詰め寄るアロイシウスを、一瞬呆気にとられていた赤毛の男は冷たい目で見返した。
「ふごふごと語学に堪能なのはよろしいが、わたくしは豚語をよく存じませんのでね。どうぞ、人間の言葉でお話ください」
さあどうぞ、傾聴いたしましょう、と口元を吊り上げられアロイシウスは固まった。
気がついたのは、ぶっと誰かの噴く音がしたせいだ。
アロイシウスのただでさえ少ない忍耐力が底を尽くには十分だった。
「き、さ、まぁああああああ!」
薄笑いを浮かべる赤毛のちびの胸ぐらをつかんだその時だった。
「いったい何事だ?」
びしりと太鞭のように鋭い声がした。
「この騎士団王都本部で団規を無視して騒ぎを起こさんとする痴れ者は誰か」
「これは、クウィントゥス殿下」
古銀色の髪もつ美丈夫の顔を見れば、アロイシウスの頭に上った血も降りずにはいかぬ。
いや、これこそ王弟殿下に取り入る好機ではないか。
小さな目を欲にぎらつかせて騎士の礼を取るアロイシウスを通り越して、王弟殿下は赤毛の小男に目を向けた。
「事の起こりはなんだ?」
「いえ、なにやら少々言いがかりをつけられまして。わたくしが彼を何かにはめたとか」
「いやっ、それは」
「ではなんだ?」
さすがにアロイシウスも『証拠は皆無にもかかわらず、当家を反逆者だと名指すような噂を流したのはこの男だと確定しました』、もしくは『他の人間が笑ったせいで逆上しました』などと王族の前で言うことが無謀であることぐらいはわかっている。
「そもそも貴殿の顔は見たことがないな。名を申せ」
「はっ、それがしはルンピートゥルアンサ副伯爵家が六男にして、次期アダマスピカ副伯にございます、アロイシウス・アウァールスクラッスス準男爵と申します」
「……聞かぬ話であるな。アダマスピカ副伯爵位が継承されるとは」
「我が叔母プルモー副伯夫人が嘆願書を王宮に送り続けておるはずですが」
「正確には先々代夫人、でしたかと」
うやうやしく言上する赤毛にアロイシウスは軽蔑の目をやった。こんなことで王弟殿下にすり寄ろうとは、まったくもって騎士と名乗るもおこがましい。
アロイシウスはまたも鼻を鳴らしたが、『ぶひっ』という音に周囲の騎士が笑いをこらえたのには気づかなかった。
「……ああ、先代副伯どのが亡くなられた以後、領地を守られていたとかいう」
「左様にございます!」
「それなら差し戻されたと聞く。はっきりと先代、先々代副伯と血のつながりのある身元の確かな者が爵位継承権を主張しているからと」
アロイシウスはあんぐりと口を開いた。
なかなか元に戻らない様子はまるでマールムを咥えさせれば豚の丸焼きのようだ、などとアロイスはこっそり考えていた。食欲はまるでわかないが別の意欲がふつふつと湧く。
ようやく我に返ったかアロイシウスが吠え立てる。
「なんですと!そんなわけはない!アダマスピカ副伯の血筋は皆絶えたと!」
「そうではなかったということだな。歴史ある一つの名家の血筋が絶えるなどという悲劇が救われた。じつにめでたいことではないか。準男爵?」
「ですが」
「いい加減その口を閉じられたらいかがですか、準男爵どの。王弟殿下に準男爵というぎりぎり並みの騎士よりはわずかに地位があるように見えなくもないが、領地もなく一代限りの下級も下級の貴族とも呼べない爵位しか持たぬ者が、口だけでも抗おうとするのはいかがなものでしょうかね?」
アロイシウスの脳が音立てて蒸発した。さげすんでいた相手に軽蔑されるということに彼はあまりにも慣れていなかった。
「黙れ爵位も持たぬ腰巾着!」
「唾を撒き散らさないでいただきたいな、まったく汚らしい」
ただでさえ醜いのだから、そう聞こえた気がした。
手折ろうとした花をその見目一つで鼻先からかっさらい、おまけに満座の人の前で顔を血まみれにしたまま転げ回る羽目になった原因が冷然と、王弟殿下の眼前で、またもアロイシウスをあざ笑う。
ぐぐぐぐぐと詰まって鮮血の色に顔の染まったアロイシウスは、鞘の房飾りをもぎ取ると吠えた。
「数々の無礼、勘弁ならん!アロイス、貴様に神聖決闘を申し入れん!」
神聖決闘は 武神アルマトゥーラの名において名誉と正義をかけて行う戦いのことだ。
勝者こそ正義、敗者こそ不名誉。
だが、相変わらず細身で自分より背が低い相手に負けるわけがない。
本来ならばあのような騎士くずれ、正面から打ち合うなど叔母が心を痛めるやもしれん。
なれど噂を打ち消すためなら、高潔なる志で寛大にも申し入れてやろうではないか。そのついでに、あのカンにさわるまとまった顔立ちを滅多打ちにできるともなればなおのこと。
「アロイス!我が勝利したならば無礼を謝罪し、すべての噂を取り消し騎士団本部に出入りをやめてもらおうか!」
「では、わたくしが勝ちましたら、アロイシウスどの。『あなたのものではないもの』をいただきましょう」
「なんだ、それは?」
「詳しいことは決闘ののちのお楽しみということで。それとも、自信がないので?」
「そんなわけがあるか!」
かつては男爵や騎士の息子たちが取り巻きとしてアロイシウスにもいたのだが、彼らがいればこんな条件で神聖決闘を行うことを止めただろう。
しかし、身分の高い者はすでにそれぞれ爵位を継いだりおのが家に戻ったりして数は減っており、残った従士や郷士の息子らの中に誰もアロイシウスを止める者はいなかった。
荒れ狂ったあげくに八つ当たりをしていれば、それも当然のことであろう。
つまり、どこまでいってもただの自業自得である。
代わりにいつのまにやら周囲を取り巻くのは、面白そうにこの茶番劇を見守る、いくつもの騎士団員らしき者たち。
「この場に居合わせたも何かの縁か。よかろう、わたしが立ち会おう」
「王弟殿下に御裁定いただくとは光栄の極み」
アロイスもアロイシウスも王弟殿下へと房飾りを差し出した。護衛兵が回収する。
独特の編み方をしてある房飾りは騎士の家柄を表すものでもあるが、神聖決闘では互いが賭ける物をも表す。
「では古来よりの約定によりて決闘を申し込んだ方が武器を定め、申し込まれた方が時と場所を定めよ」
「武器は自由」
アロイシウスは背筋を伸ばして即答した。時と場所がどのように定められても対応できるよう、そのように申し入れるのは定石とも言える。
片目をすがめたアロイスはめんどくさそうに言い放った。
「では、時は今すぐ。場所は鍛錬場で」
「なにッ?!」
それではただの私闘に見られてもおかしくない。
目を剥いて睨みつけるアロイシウスの顔に、はあ、とアロイスはため息をついてみせた。アロイシウスの激昂がさらに悪化するのは計算済みだ。
「このような下らぬ事で、お忙しい殿下の手を煩わせてはなりますまい」
「それは、そうだがっ……!」
アロイスのため息は半分は本心でもある。
個人的には念願の復讐劇、それこそ王宮の謁見の間ででも豚をこてんぱんに叩きのめし、その無様さを知らしめてやりたいぐらいのものだ。
しかしこれは、どちらが勝っても負けても端から見れば王国内、しかも騎士階級とそれに毛が生えた程度の準男爵との争いにすぎない。
それは王都にて騎士団を任せられている、クウィントゥス殿下の配下管理能力を侮られかねぬ事態でもある。
適度な侮りはさまざまな敵の油断を誘うにいい餌となるが、今回のことは公にしていいことが何もない。
ならば下手には表に出せぬ。せいぜい豚を熱くするたきつけにでもするしかない。
「おお、殿下がお忙しいということだけでなく、このような諍い事など『下らぬ事』とご賛同いただけるとは。ご理解いただけたようでなにより」
「ぐ。……きっ、さっ」
「まあ……、身支度のしがいがあるような見た目の方とも存じませんが、武装を整えるほどの時間は許しましょうか。万が一にでも、このわたくしやクウィントゥス殿下よりも遅れて鍛錬場の土を踏むようなことがあらば、臆病風に吹かれて逃げようと逡巡したということで、不戦勝とでもさせていただく」
「なっ」
「よかろう」
アロイシウスは目を剥いた。クウィントゥス殿下が騎士もどきごときの言葉に頷くとは。
「時は貴重ですよ?」
いけ、と赤毛のちびに顎をしゃくられ、反射的に血は上ったが、確かに時はない。
顔を朱に染めたアロイシウスは、かろうじて王弟殿下に礼をすると身を翻した。
「では、殿下。わたくしも」
「期待しているぞ」
にやりと笑いを残し、アロイスもまた鍛錬場へと向かう。
じつはこれもクウィントゥスとアロイスが仕組んだことだ。
純粋な戦技の腕前で言えば、腕力や技の読みあいなどの点において、アロイスより巧みな騎士とてこの王都本部にわずかとはいえ、いないわけではないだろう。
しかし、罵詈雑言を上品にやり合い、相手から平常心を奪う駆け引きや繰り出す奇手の数については、アロイスにかなう騎士はめったにいない。
我慢の限界に近づいているアロイシウスの前にそのアロイスが出て行けば、ほぼ確実にアロイシウスから手を出すに違いない。
アロイシウスが我慢してつっかかってこなければ、アロイスがさらに弁舌の剣で刻めばよい、という数段構えの罠だったのだ。
先々代アダマスピカ副伯爵の暗殺について、アロイスの側から神聖決闘を仕掛けさせるという、一番最後の罠までは届かないだろうと予測していたものの。
よもや、アロイスの顔を見ただけで暴発するとは思わなかったが。
「さて、見届け人は多い方が武神アルマトゥーラの神威を知らしめるもととなろう。希望するものは鍛錬場に向かうがいい」
「「「「はっっ」」」」
ばらばらと不揃いの武装で周囲を取り巻いていた騎士たちは、一斉に綺麗な礼をすると跳ねんばかりの足取りで去って行く。よほどにアロイシウスは嫌われていたようだ。
アロイスが画策したように、騎士団内部のごたごたは外には聞こえないのが一番いい。
というわけで、 今の王都本部内にいるのは、カシアス属するヴィーア騎士団とアロイス属するオプスクリタス騎士団の者たちばかりである。
確かに騎士が別の扮装をすれば見破られることはありえるだろう。
しかしそれは、騎士が別の騎士の格好をしても見破られにくいということでもあるのだ。
「さて、ここまでわたしの手もかけさせた以上は、せいぜい踊ってもらわねばな」
独りごちた王弟殿下は苦笑した。
「いかんな、こんな台詞は安っぽい悪事を企む黒幕のようだ」
どこかの骨が聞いていたら、いや、ようだも何もまったくそのとおりでしょうが、と内心でつっこんだかもしれない。
ちょい長くなりましたので途中で切りました。
アロイス流ざまあをお楽しみください。
さて、別連載のお知らせです。
和風ファンタジー系でかけらも異世界要素のないシリーズですが、元旦0時より現在のところ毎日投稿しております。ストックが尽きるまでは。
「無名抄」https://ncode.syosetu.com/n0374ff/
ぜひご覧ください。




