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閑話 流れゆくもの

本日も拙作をお読み頂きまして、ありがとうございます。

初のグラミィ視点の内容です。

※ グロ・暴力的な表現を含んでおります。自己責任でお進みください。

 さらさらと目の細かい砂を作って撒く。

 水際まで出てしまうと、迷い森の結界を張ってあっても違和感をもたれやすくなるとヴィーリさんに言われたので、土手にしゃがみ込んだあたしは、風よけを周りに立てて、手の上に出した砂を風に乗せて飛ばしている。

 だって寒いし。


 初めて見たピノース河は、流れの幅が150mあるかないかくらいの穏やかな川だった。

 流れもそう急じゃない上に、深さも腰まで水に浸かるようなところはほとんどないとカシアスさんが教えてくれた。

 橋があまりないのも、必要がないかららしい。

 つまり、普通に歩いても渡れてしまう川、ということになる。

そこに土砂が流れ込めば、確かに川底は上がるかもしれないけど。


 アダマスピカ副伯領の領都、というには鄙びた感じのスピカ村は、昔の影のようだとカシアスさんは言った。

 老けた人の顔、農夫や従士たちはやつれ、建物は風雨に古び。

 さびれたふるさとの様子に思うことはたくさんあるんだろう。

 けれども、カシアスさんは守りたいと思っているものも言い訳に使うほど覚悟を決めて、存分に悪役になっていた。


 まず、カシアスさんは、横暴な騎士団の分隊長として振る舞った。

 先触れも出さずに到着するや否や権威をふりかざし、分隊の全員が小さな宿や集会場に寝泊まりできるように、上から押しつけるものの言い方で便宜を図らせ、スピカ村全体から反感を大いに買い占めた。

 そのくせ、カシアスさん自身は、お姉さんが婿を取った実家に泊まるという我が儘を言った。

 ということになっている。

 虎の威を借る狐、というにはカシアスさんは熊っぽいけど。それでも王権を笠に着て、ここまで高圧的に出れば反発は必ず出るだろう。特にアダマスピカ副伯家から。

 それを待ち構えているのだけどね。


 そうは言っても、カシアスさんが王命により巡回してきたヴィーア騎士団の分隊長である以上、アダマスピカ副伯爵の存在しないアダマスピカ副伯家も無視はできない。

 副伯の城館に泊まるようにという歓待の使いが来たけど、『それがしごときを王の指先としてお受け入れになるのは業腹でありましょう』と慇懃無礼な態度で送り出す念の入れ方だもの、カシアスさんてばどれだけ煽りが上手なんだろう。

 悪役に徹しているくせに、かつての主君に礼儀を尽くしているように見せかけているところがあくどいなーと思う。

 アロイスさんの悪影響がこんな所に出てるのかもしれない。

 さらにタチが悪いのは、カシアスさんが正直者にしか見えない、というか、嘘がつけなさそうな外見をフル活用してるってことだ。

 腹芸も上手なのは、ボニーさんとやりあうのを通訳してたから知ってるけどね。髭も表情を隠すためじゃないかな。

 そして、税務と司法関係担当のメンツをしっかり守るよう分隊のみんなを配置すると、カシアスさんとあたしとヴィーリさんは、こっそりと抜け出した。

 どこにかというと、墓地にだ。


 村の農地の外れに墓地はあった。

 といっても、狼とか肉食獣に掘り返されないようにだろう、周囲を開墾で出てきたらしき石を積み上げた垣根で囲んだだけの場所だ。

 カシアスのお父さんのお墓らしきものもない。

 あるのは御領主一族の大きな墓石が立ち並ぶ一角と、その周囲を取り囲むように作られ、そして崩れかけた土盛りだ。

 この世界が身分制度でできているということを、強く感じる光景だった。


 ……そういえば、むこうの世界でも、墓地はリサイクル対象だったんだって、ボニーさんが言ってたっけ。

 都市部なんて骨になったら掘り上げられてまとめられることもあったんだから、何を見ても驚くな、って。

 そこまで土盛りはみちみちに並んではいない。

 けれども、カシアスさんがそっと愛しむように歩いているのを見たら、今歩いてる足の下にも、何代か前の人たちが葬られてるのかもしれないと考えちゃってぞわっとした。


 カシアスさんは、御領主一族の墓石にやや近い、土盛りから少し外れたところで立ち止まった。

 そこが御領主様を守り切ったお父さんを葬った場所なんだそうな。

 片膝をついて御領主一族の墓石群を見ていたのは、子どもの時の背丈から見た視点を再現してたのかもしれない。

 こんな季節に花らしい花はないので手向けることもできない。

 という言い訳で、カシアスさんは木の枝をお父さんを埋葬した場所に手向けた後、御領主様の墓に手向けた。

 お父さんの方は濃緑のままだったけど、御領主様の墓に手向けた方は、あたしたちの目の前でみるみる血のような深紅に染まった。

 カシアスさんが鋭く息を吸い込んだ音がひどく響いた。


 ぽちゃん、と流れる砂の中に木の実が投げ込まれた。


(土に根を伸ばすとしても、枝折る風を避けよ)


 ヴィーリさんの言い回しは難解だけど、心話だからまだなんとかニュアンスも分かるし意味が拾える。

 今のは、『考え事をするのもいいけど、術式の制御がおろそかになっちゃいけないぞ』ってことだ。


 魔力(マナ)を周囲から吸収しながら術式を顕界させるのは、感覚的には息を吸いながら歌ってるのに近い。それも砂を作るのと風を起こすのと二重の術式を発動してるのだ。結構厳しい。

 あたしはそれぞれを短いサイクルで行い、事象の時間差を利用して並行処理をしている。

 魔力吸収→砂作成→砂が空中に留まっている間に風発生、後は砂と風のコンボ決めつつ、ときどき魔力吸収、って感じ。

 息継ぎしながら、ワンフレーズずつ細切れにした二つの歌を混ぜながら歌ってるようなものかな。

 それをやりながら考え事ができちゃうって、けっこうあたしも器用なのかも。

 ボニーさんはらくらくやってのけちゃうけど、それは、あの人が骨だからとかじゃなくて、ただ単に変だからだと思う。


 そのボニーさんがヴィーリさんにあたしといっしょに行くよう言ってくれたのは、ヴィーリさんの持ってる木の特性にある。

 人体に毒があるものとして記憶させてあれば、触れた葉っぱが赤くなるというものだ。

 そしてその枝をカシアスさんに渡し、手向けさせた直後に成長促進の術式をヴィーリさんがかけた、んじゃないかな。よくはわかんないけど。

 早回しの映像のように手向けた枝がよじれ、のたうち、じわじわと葉が広がり伸びていくのはちょっと不気味だった。

 見えなかったけど、根も地中に伸びたんだろう。

 そして土の中に――おそらくは、棺の中に残っていた毒を吸ったからこそ、葉が赤くなった。


 カシアスさんが御領主様と慕う先々代のアダマスピカ副伯が亡くなって20年近くが経つという。

 それだけの時間が立ってもこれだけ色が変わるということは、毒が分解されにくいものだということになる。

 どのような毒が使われたのかはわかんないけど、たぶん鉱物系の毒なんじゃないのかなー。


 これは道々タクススさんに聞いたことだけど、蛇や蜂、蜘蛛などから摂る動物毒は微量で一撃必殺が基本なのだそうな。

 確かに、獲物を仕留めるにしても、逃げるにしても、相手が最低限短時間で動けなくなることが大事だもんね。

 そしてそんなに大量の毒は体内にためておけないから、必然的に少量で高い効果のある猛毒になる。

 結論として、次第に体調を崩した御領主様の毒殺に動物毒が使われた可能性は、あまり高くはないそうだ。

 猛毒だから分量を調節するのも難しい。もちろん希釈したりすれば分量の調整もやりやすくはなるだろうけど、それでも体内から排出されるより多く、しかも即死したり体調が急変して疑われないくらいには少なく調整できるほど腕のいい毒使いは、それほど多くはないだろうってことだった。

 むしろ、カシアスさんから聞いた御領主様の病状からして、使われた可能が高いのは植物・キノコ系の毒と、鉱物系の毒ではないかとタクススさんは推測した。

 キノコの中にはじわじわと内臓を痛めつけられるような毒を持つものもあるという。カシアスさんも食べた毒キノコを吐いて手当を充分にしたのに、結局回復することなく亡くなった人のことを覚えてた。

 で、それら有機物系の毒ならば、さすがに反応しないんじゃないかというのがタクススさんの意見だった。20年近くたっていれば遺体に毒が残っていても、遺体が腐敗していくと同時に分解されてしまえば痕跡も残りづらいとね。

 ところがしっかりヴィーリさんの枝は毒に反応した。

 ということは、鉱物系の毒という可能性が高い。

 自分の命には注意の上にも要注意、ってことですね。


 鉱物は他の鉱物と混ざり合って産出することが多い。

 鉄鉱石に含まれてる鉄って、たしか1%ぐらいあれば優良な鉱山とみなされるんじゃなかったっけ?

 ということはですよ。

 毒として使えるほど純度の高い鉱物が使われたということは、精錬技術がある人間がこの世界にはいるということになる。

 それが技術者としてなのか、それとも錬金術という、神秘のベールをかぶった科学知識のある人間なのか、どちらにせよそれだけの知識と技術がある相手が毒を盛ったか、あるいはなんらかの報酬でその技術そのもの、もしくは技術の成果を売って、買った人間が使ったということになる。

 毒を検出したら気をつけろ、とボニーさんが言っていたのはこのことだったのか。


 ここアダマスピカ副伯領は、丘陵地にあった王都よりもいっそうなだらかな中流域にある。

 ということは、このあたりにある土砂って川の流れで上流から運ばれたものだということだ。

 砒素みたいな水溶性の物質が混ざっていたとしても、溶け出していて跡形もない。毒の精錬作業ができるような環境じゃないってのも要注意ポイントの上昇理由かな。


 これで、御領主様が確かに毒を使われていたらしいという証拠は手に入った。

 でも、王宮に持ち出したとしても、証拠能力は限りなく低い。

 問題は二つだ。

 ヴィーリさんの木が毒に反応したと信じてもらえるかどうかが一つ。

 20年近く前に、病死扱いで処理された御領主様が毒殺であると司法に認めさせられるかが一つ。

 ボニーさんが言ってたように、『どんな証拠も黙殺されてしまえばそれで終わる』のだ。

 だから、『黙殺される可能性の低い証人』が必要となる。


 次の日から、カシアスさんは目立つように、わざとどたばたと聞き込みをしはじめた。

 20年くらい前からの人の出入りに変わったことはないか、見慣れぬ間は見なかったかという質問にはかなりの人間が首をひねってたけど。

 なにせ、アダマスピカ副伯領、特にスピカ村はルンピートゥルアンサ副伯領とボヌスヴェルトム辺境伯領の両方と王都へ続く道の交差点だから、通り過ぎてく旅人が多いのは当たり前だ。

 早く宿に着いたというのに、無理矢理分隊のみなさんと同宿せざるをえなくなった薬の行商人を装ってたタクススさんも、その動きに紛れてそっと港湾伯領に向かったくらいだし。

 『どうか、ご無事でな』とグラミィのキャラっぽく言ったら、いかにもうさんくさそうな笑みをかっこよく浮かべて、するりと抜け出してったけど。

 だけど、わざと曖昧な情報提供を求めてたカシアスさんが、種々雑多な噂話から拾い出したのは『アダマスピカ副伯領の住人だったのに姿を消した者』と『いつのまにかアダマスピカ副伯領に住み着いていたよそ者』だった。

 その中に自分の名前があったのにこっそりショックを受けてたみたいだけどー。

 それって自業自得って言わないかなぁ?


 その一方で、カシアスさんはお姉さんたちにもそっと警固の従士としてギリアムさんをつけている。ボニーさんから『くれぐれも毒、そして身内の棘に気をつけよ』という忠告を受けたこともあるのだろう。

 あたしがこっそりカシアスさんのお姉さんちを魔改造したのは、そのせいもある。

 だって、土床の居間と小部屋が一つ二つついてる程度の小さな家に、カシアスさんとギリアムさんを泊めるスペースなんてないも同然だもん。

 だからって、その土間に葉の落ちた木の枝を重ね敷いて、その上に寝床を作って寝ようとか。

 無理言って泊めてもらってるからって、それ絶対身体に悪いでしょ。


 といっても、見える限りのところはあまり変えていない。ばれるとまずいし。

 土間に炉を切っただけの居間の床を石に変えたのと、炉脇の貯蔵庫を地下に拡張しただけだけだ。ついでに石化した床は色を土と同じにして、さらに薄く土を乗せてある。

 あたしだって、ダテにボニーさんがやることをそばで見てた訳じゃないのだ。

 だけど深く穴を掘って、周囲の壁を固める作業を繰り返してたら、カシアスさんに『抜け穴は作れないか?』と頼まれてしまったのは不可抗力だと思う。

 穴を掘って、壁を石化してけばいいんよね、と調子よくやってたら、それでは床や庭の底が抜けると言われて慌てた。

 ヴィーリさんが木を挿して根を伸ばして補強してくれたので、かなり安全になったらしい。水がたまっても根っこが吸い取ってくれるし。

 完成した隠し通路は地下だと直線距離が分かりづらかったんで、ガタガタに曲がっていたりするけど、ちゃんと離れた薪割り小屋まで歩いて出られるくらいの幅と高さを出してある。

 この一騒動が終わったら埋め直してもいいし、貯蔵庫ぐらいのスペースを残してもいいと言ったげたら、『ぜひこのままで!』と、カシアスさんと目がよく似たお姉さんに力強く言われた。最初は唖然としてたくせにとカシアスさんは苦笑してたけど、その目には家族への優しさが溢れていた。


 家族、か。


 黒々と、月の光を吸い込む水面に粉のような砂が流れていく。

 

 子どものころ、母さんの髪の色が好きだった。

 ほかの人の色とはまるで違う、艶々の漆黒だと思ってた。

 だから、海を渡った時に衝撃を受けた。

 母さんの髪は、この国では真の黒ではないのだと。

 母さんの生まれた国の黒は、もっと重く、暗い色だった。


 小学校(プリメール)は大好きだった。

 個性尊重ということで本当にいろんな子がいたけど、それが当たり前だった。母さんと父さんが違う国の人間だなんてこと、あたしには本当に当然のことでしかなかったし、その日常がずっと続いていくものだと思っていた。


 それが変わったのは中学校(コレージュ)の時だった。

 フランスの学校は小学校でも中学校でも、留年や飛び級がある。その子の資質に合わせた教育をということになるんだけど、母さんから算数を教えてもらってたせいなのか、あたしは飛び級を認められて、わりとあっさり最高学年になった。まだ小学校に残っている子もいる歳だった。

 それに勢いづいた母さんは、日本に帰ると言い出した。あたしには日本の教育を受けさせたいと。

 高等学校(リセ)からは進路がはっきり分かれ職業訓練も始まる。いったん振り分けられたら大学受験のチャンスはそう多くないし、コルブランクス(ホワイトカラー)と言われる職種にもなかなかつけない。

 でも日本なら普通高校に入れば、ほぼ無条件にそこから大学に入れば、かならずなれる。だったら、日本で大学に行った方がいい、と説得された。

 愛の言葉で母さんを引き留めようと言葉を尽くすたび、父さんの澄み切った青空色の目が陰ったけど、母さんの決意は固かったし、マンガやアニメが好きだったあたしも、日本の学校に通うことに、結構わくわくしていた。


 だけど、現実の日本は漫画のニホン、アニメのニホンじゃなかった。


 日本語とフランス語はそこそこ読み書きできていたから、外国人児童に対する学習支援というのは受けられなかった。

 そんなあたしの英語が、そんなに上手じゃないとわかったとたんに、担当の先生の口元に浮かんだ笑みをあたしは忘れることができない。

 陽に透かすと暖かい赤茶に見える髪の母さんと、プラチナブロンドの父さん。その二人の髪質を受け継いでいたあたしの赤毛は、10歳を超える頃には金褐色というか濃い金茶色になっていた。

 成長するにつれて髪の色が変わるのはよくあることだ。

 だけど、それを染めてるんじゃないかと学校の先生たちは冷たい目で言い、髪を黒く染めろって何度も命令してきた。

 あたしは驚いた。

 秋のコキアみたく紫と緑の入り混じった髪のおばちゃんがなぜか学校の構内にいたから、失礼かなと思ったけど指さして反論した。

 あの人はどうなんだって。

 屁理屈を言うなと怒鳴られた。学校の先生にはもう期待はできないと理解した。


 一番悲しかったのは、『私生児』として扱われたことかもしれない。

 フランスでは事実婚状態でずっとすごすことも、子連れ同士の結婚もあたりまえのことだったから、気にしたことなんてなかったのに。

 『身持ちの悪い母親の子』という噂が『身持ちの悪い子』『あばずれ』になるのに時間はかからなかった。


 いっそのこと、完全に父さん似だったらよかったと思う。そしたら完全に外国人として扱われたんじゃないだろうか。

 だけどあたしが父さんに似ていたのは、しっかりした鼻と顎の線だけだった。メンデルの法則なんて嘘っぱちだと思った。

 瞳もどう混じったのかブルーグレーっぽい色合いだったし、彫りのそんなに深くない顔立ちは母さんに似ていたあたしは『残念ハーフ』と呼ばれ、いじめに遭い、外に出られなくなった。

 そんなことでというカウンセラーや先生には同じ目に遭ってみろと言いたい。


 いじめなんて言葉じゃ生ぬるい、罵倒され、殴られながら制服を破られたあの怖さ気持ち悪さと、泣きながら握りこんだペン先で、相手の目玉をえぐり、鼻骨を折るほど深く突き刺した感触はどうしても消えない。

 最後の一線はぎりぎり守り切れたけれど、『身持ちの悪い勘違い女子が複数の男子にコナをかけ、それに気づいた男子に最後までされたからって暴力を振るった』という噂が広まった。


 あたしは不登校になり、フランスに帰りたいと訴えた。

 母さんは大学に入るまではとなだめた。あたしがやったことは正当防衛だったんだからと。

 それまであんな屈辱的な噂に何年耐えなきゃならないんだ。

 あたしは泣いて暴れ、自傷すらした。

 手首を切ったのは、最初はたまたまそこに剃刀があったからだった。

 でも、傷が治るまで母さんは何も言わなくなった。

 傷が治る、学校に行けと言われる、切る、黙る、治る。

 その繰り返し。


 学校は時計でもあったということに、不登校になってから気がついた。

 決まった時間に登校しなきゃいけないから、その何時間か前には必ず起きて、身支度して、朝食を食べて。

 決まった時間に下校した後は、家に帰って、宿題やったり、通信教材に向かったり。

 そのタガが外れると昼も夜もどうでも良くなっていく。

 睡眠時間も不規則になっていたころ、ある夢を見た。

 幼稚園(マテルネル)のころ仲良しだった子の夢だった。


 彼女があたしと同じくらい成長しているのも不思議に思わず、嬉しくて話しかけた。

 だけど彼女はキョトンとした顔をするばかりだった。

 あたしは日本語で話してるんだ。そう気づいて、なんとかフランス語で話そうとしても、口から出る言葉はあーとかえーとか意味のない音になってしまう。焦れば焦るほど音すら出てこなくなり、やがて彼女はわからない、という顔をして向こうへ行ってしまった。


 ただの悪夢だ。

 けれど、戻れる国がなくなってしまうという恐怖は強すぎて。

 スカイプで話した父さんに、あたしはフランスへ帰りたいと訴えた。社会情勢が不安定になっているから、来るならどうか気をつけてと、あたたかい声で言ってくれた。


 それが、父さんとの最後の会話だった。


 母さんからメールが届いたのは、遮光カーテンで作った昼も夜も暗い部屋の中だった。

 ソフトターゲットに向けた自爆テロに父さんが巻き込まれたという知らせがあった。出先からすぐにパリへ向かうから、留守番していてという内容を見た瞬間、あたしの頭の中は真っ赤になった。憤怒に塗りつぶされて。

 母さんはあたしを見捨てたのだとしか思えなかった。

 フランスへ帰りたいと、あれだけ訴えていたあたしを一人残して、一人だけ父さんのところへ飛んでいくなんて裏切りだ。

 大学に進ませたいというエゴで連れてきた、血を分けた子どもよりも父さんのことを取ったんだ。

 だったら、あたしがここにいる意味はない。


 そして、あたしは初めて本気で自殺するために剃刀を握った。


 気がついた時には、この姿になっていた。

 ということは、あたしはあそこで死んだ、のかもしれない。

 眠れないまま夜中に読んでいたネット小説定番の、異世界転生ってのを自分で体験するとは思わなかったけど、これでよかったんだと思う。

 日本の環境に適応できなかったあたしなんてお荷物、母さんが置いていったのは仕方ないことだったんだろうから。

 もう母さんを日本に縛り付けるお荷物(あたし)なくなった(死んだ)んだもの、どれだけの怪我かはわかんないけど、父さんが治ったら、いっしょにフランスでまた暮らせばいい。

 父さんが死んでしまってたとしたら……。

 それでも、あたしがいないほうが、母さんの人生はきっとうまくいく。

 あたしもおばあちゃんになっちゃった、ってこと以外は、異世界でそれなりになんとかやっていけてると思うし。

 ボニーさんのおかげだけどね。


 ただ、一つだけ気になることがある。


 皺に覆われた左腕を洗っていたときのことだ。

 平らにのばした腕の内側の皮膚にあったいくつもの傷。

 あれは、リストカットの痕だ。

 なんで、この、おばあちゃんの身体に、あたしの身体と同じ傷があるのだろう。

 異世界転生したんじゃなくって、異世界転移したまま何十年か寝たきりだったってことなのだろうか。


(揺れ動く星の子よ。彼の星の子に比べて、幼子なのだな。そなたの魂は)


 ヴィーリさんをあたしはジト目で見た。

 心話を使うと、どうしても嘘はつけない。

 隠し事すらそれに意識を向けたまま心話をしていれば、うっすらと透ける。

 だからといって、心話のパスを悪用して、勝手に人の心を読まないでほしいと思うんだけどなあ?


「帰りたいのか」


 口を使って会話すればいいってものでもないと思うんだけどな。心読んだ内容だし。

 ……その話は前にも何度かボニーさんと話し合った。

 帰りたいのか、帰れるのか、帰ると思えるのか。

 けれども、『どうしたいか』は『可能性の有無』の前では些細なことだ。

 あたしはグラミィ口調でヴィーリさんに訊いた。


「……一つ訊きたいのじゃが。星が天に戻る日はあるのかの?」

「戻った星はない。人が星になり、星が人になり、人が天に昇ることはあれど」


 イエスでもありノーでもあるってことか。

 なら、なんらかの形での可能性はないわけじゃない、ということなのか。

 それでも、あたしは――。

 

「まだ、迷っておる」


 迷い森の結界をヴィーリさんに解除してもらって、土手上の道に上ったところで数人の男性に囲まれた。

 この身体になってから男性への恐怖心は薄くなったし、魔術をボニーさんから教えてもらってからは完全に消えた。自衛策があるのって本当に安心できる。


「夜中にこそこそと動きやがって、密偵どもが」

「いったいこんなところで何をしていた。言え」

「言うてよいのかの?聞けば心安らかに眠れはせんぞ?」


 ふえっふえっふえっと婆笑いをしてみせる。

 嘘は言ってない。

 現アダマスピカ副伯爵家――と言っても、全く血のつながりすらない先々代の後妻さんとその甥御さんという赤の他人しかいないのだが――が正当なる当主であった御領主様を殺した下手人だから制圧しますとか、甥御さんは恨み骨髄のアロイスさんが王都で公開処刑の準備を進めてますとか、後妻さんたちの実家のルンピートゥルアンサ副伯領を水没させる工作してましたとか。

 どれも聞いたらまず安眠するのは無理だと思う。


「聞かんでも眠れはせんがの」

「なに?!」


 首をかしげた彼ら全員、その格好のまま動けなくなっていた。

 ヴィーリさんが木で縛り上げたのだ。

 あたしが火球を一つ打ち上げると、川向こうにカシアスさんの副官のエンリクスさんが数人の兵と一緒に現れ、即席の橋にした石板を渡ってきた。


「またよろしく頼みますぞ」

「お任せください」


 猿ぐつわを素早くかませ、てきぱきと縛り直した襲撃者たちを荷馬車に積み上げて回れ右する。

 あたしたちも通ってきた、別の領地との境にある、旅人の野宿用の場所に運んでって尋問するそうだ。

 彼らはカシアスさんのバックアップも兼ねているので、かなりの大所帯だが、野営用の準備はしっかり整えているので大丈夫だろう。

 石板を粉状に粉砕すると、あたしはヴィーリさんと歩き出した。


 はい、あたしやヴィーリさんも脛に傷持つ面々をひっかけるための囮要員です。

 じつに面白いように引っかかってくれるのはいいけど、こうも大量に釣られるのはどうかと思う。

 しっかし、『どこにどう相手が攻撃を加えてきてもカウンターを返せるように』と、ボニーさんが組んでくれたフォーメーションってば、つくづく極悪だ。

 もちろん、自分自身を最大の餌にした上で、『餌はうまい方が食いつきがいいものだ』という、その一言で、エンリクスさんたちを抑えたカシアスさんもすごい。『静謐なる変幻』という厨二な二つ名も納得してしまう。

 カシアスさんがわざと隠密行動のスキルがないあたしを同行させて『墓参』なぞをしたのも、カシアスさんだけでなくあたしも囮役として認知させるためだ。

 どうせ忍べないのだから、逆にとことん目立ってしまうべきだという主張は、最初聞いたときどうかと思ったけど。

 確かにその方が、タクススさんや下っ端に紛れ込んでるアロイスさんの部下らしい人や、エンリクスさん率いる別働隊の人たちの援護にもなっているようだ。


 お姉さんたち、血を分けたきょうだいたちの身を案じれば、カシアスさんだって動揺した。

 ましてや、ずっとアダマスピカ副伯領に根を張り、カシアスさんたちの言う、御領主様や若様の命すら見捨てて後妻さんに付き、我が身や一族の安寧を買った人たちにも、もっと切実な事情があるのかもしれない。

 それこそ家族を盾に脅されてるとかね。


 だけどそんな人たちにも、正面きってカシアスさんたちを妨害するというのは、王族の命に背く者と見なされる危険性が高すぎて、とてもじゃないができない。

 だから、ちょっかいを出すならカシアスさんたちの中でも下っ端か弱そうな相手、しかも隊を離れて行動している人間に出してくるだろう。

 ボニーさんはそこまで読んで、あたしとヴィーリさんを組んで行動させているのだろう。

 まったく、ボニーさんって人は……。


 おまけに、『王都でアロイスが策を成功させるか、アダマスピカ副伯領でカシアスが揺るがぬ証拠を見いだすか、どちらが失敗しても構わぬ。どちらかが成功すればいいのだ。ルンピートゥルアンサ副伯家を潰せるならば、すべて失敗したとしてもかまわない』なんてこと言うんだもの。

 いくつも策を立てられるってのもすごいけど、全部失敗したってかまわないと言い切るとか。

 それでカシアスさんとアロイスさんがやる気を出さないわけがないでしょに。

 むしろ殺る気になってそうで心配になっちゃいます。


 人を動かす力のある人って、ボニーさんみたいな人のことを言うんだろうな。

 いったいいくつなのかも未だによくわかんないけど、むこうの学校の先生たちよりも遙かに尊敬できる大人の人って感じがする。

 本人は女性だって言ってるけど、心話からは性別が伝わってこないし、あくどいくせに論理的な考え方をする人だから、『大人の女性』って表現は微妙に似合わない気がするけど。

 今頃、王都でどうしてるかな?


 蒼銀の月(カルランゲン)がかかる夜空は、もう黒には見えなかった。

一部グラミィの過去話でした。

骨っ子がくしゃみをしたかは、……謎ということで。

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