EX.王都にて
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
「よもや、シルウェステル・ランシピウス師が亡くなられていたとはな。我が弟もさぞかし心を痛めておろう。後ほどルーチェットピラ魔術伯家にも弔問の使者を送ろう。マクシムス」
「はっ、早速に手配を行います」
騎士の礼を取ったまま、アロイスは魔術士団長である先王の第四王子・クウァルトゥス殿下とその副団長との会話を聞き流していた。
彩火伯と生前のシルウェステル師の親密な兄弟仲を間近に見ていた身としては、どうしても王族の兄弟仲は冷え切っているばかりか、毒を感じてしまうのが物足りぬ。
そう考えてしまうあたり、自分もだいぶアーノセノウス卿の兄馬鹿ぶりに毒されているようだ。
クウィントゥス殿下の使者としてシルウェステル師の死亡を伝える使者になる、という名目で、引き渡したばかりの魔術士隊をもらいうけに来たのだが、そもそもこれも暗森の賢女グラミィどのから……というより、グラミィどのを通じてシルウェステル師から受けた依頼である。
今後王都での情報攪乱に使いたいからという理由に不満はない。自分と配下の一隊だけでは手が回りかねる以上、確かに人手が欲しい。
しかし、城砦で魔術士隊についての報告を最初に聞いたときには呆れたものだ。シルウェステル師や暗森の賢女グラミィどのへと一方的に絡んだあげく、割って入ったカシアスの従士だった男に火球を至近距離から浴びせ、さらにはその反撃をシルウェステル師にくらったというではないか。
呆れすぎたあまり、まさか魔喰ライが発生するとも思えず、対策を施せなかったわけだが。
まあ、そこは、済んだことだ。
不出来で未熟であろうとも、必要とされたのはシルウェステル師なのだ。
今はその依頼を果たすことが重要だ。
問題は、それがどのように役立つのかということなのだが。
当然のことながら、王都に戻ってすぐさまクウィントゥス殿下に魔術士隊の取り込みの件についてはお伝え申し上げたが、殿下にもシルウェステル師が打つ手の意味が読み切れなかった。
悩んだあげくに、殿下が打った手がこれだ。
名義は貸してやるから自分で動けと仕事を投げ返されたていである。
「さて、アロイスとか申したな。我が弟の書信には、ベネティアス以下四名の身柄をアートルム騎士団へ委譲するようにという要請があるのだが、これはどういうことか説明せよ。直答を許す」
アートルム騎士団は、アロイスが真に所属する国そのものの暗部、オプスクリタス騎士団の偽名である。
「カシアス分隊長は処分の軽減をソフィアに申し出たというが」
「恐れながら申し上げます。カシアスどのが所属するヴィーア騎士団とわたくしが所属するアートルム騎士団は別の任務を負う異なる騎士団にございます。また、わたくしが過日警備隊長として着任しておりましたフルーティング城砦が魔喰ライに変じたサージ・スペルスブラッススに破壊され、兵及び非戦闘員に多数の死傷者が出たことはお聞き及びでしょうか」
すべて真実である以上、言葉には自ずから重みというものが出る。
「砦の修繕費、および死亡した騎士、従士たちへの弔慰金、ならびに……」
「それは国費にて賄われるべきもの。百歩譲ってもサージ・スペルスブラッスス個人、ないしはルヴィーゴスピキャポット魔術男爵家が責を問われるべき問題でしょう?」
今日も化粧の濃いソフィアが思った通り噛みついてきたのに、アロイスはにっこりと笑みを向けた。
「なるほど。それでは魔術士団は麾下の魔術士隊に対する管理責任を持たぬと仰せなのですね。これはこれは大変失礼をいたしました。騎士団とは違う指揮体系をお持ちだとは、こちらの知識不足にございました。この件は今一度持ち帰り、クウィントゥス殿下にも」
「な、何もそこまでは言っておりませぬ!」
「では、どのような意図でおっしゃったので?麾下の魔術士隊とはいえ、他人の言動に責任がお取りになれないソフィア大隊長も、よもやご自分の言葉には責任をお取りにならないとは口になさらないでしょうね?」
表情筋だけの笑顔で反論を封殺してやれば、化粧の下から血の気が浮いてどす黒い顔色になっていく。『変幻』の二つ名こそカシアスに譲ってはいるものの、弁舌による剣戟では、その変幻自在な働きにおいてアロイスに遠く及ばぬことはカシアス自身が認めている。
ついでにいうと、山の小城砦とはいえ塔一つが半壊したのだ。地下牢の岩が崩れては完全に倒壊しかねない。
たかだか魔術男爵家一つ取り潰したとしても、それだけでは修復費用の一片にもならぬ。
「俗に『金が足りぬのなら働きで返せ』と言うようでございます。わたくしとて、今ここで死を持って償わせたと首四つを手土産に頂戴いたしても、ただただ始末に困るだけでございます。僭越ながらクウィントゥス殿下におかれましても、死せる魔術士より生ける魔術士の方が、幾分かはその働きで国に与えた損害も埋め合わせができるお考えになられたのではないかと拝察いたします」
「……金勘定は定かなようであるな、我が弟は」
生きてる限り搾り取る、との言葉にクウァルトゥスすら幾分顔を引きつらせたようだった。
「されど、国に与えた損害の責をとらせるならば、なにも魔術士団から身柄を移さずともよいではないのか?」
「なるほど。では、それはどなたのもとで、どのように報告が上げられるのでしょう。いたずらに萎縮させるばかりでは器量を発揮できる場を与えるわけにも参りませんでしょうに。そうは思われませんか、ソフィア大隊長」
問いを投げかけてきたマクシムス副団長に答えを返すように見せかけて、ついでに大隊長にも舌の毒を注ぐ。
もともと魔術士団を騎士団よりも上位と見なす魔術士の風潮に加えて、たかが大隊長という身分で権高に振る舞うところが気にくわないのだ。叩ける時に叩いておくのは兵術の一つでもある。
「引き渡すのはベネティアスら四名でいいのだな?」
「殿下」
「渡してやればよいではないか、ソフィア大隊長どの」
背後からの声にアロイスの笑みが凍った。
「これはアークリピルム魔術伯どの」
副団長の声に向き直ったアロイスは、素早く略礼をした。表情を見せないためだ。
クウァルトゥス殿下の陣営にアークリピルム魔術伯爵家があるのは知っていた。
だが、自分を捨てた父親の顔をこんなところで見るとは思わなかった。
「騎士どの。そうかしこまる必要はない。顔を上げられよ」
「はっ!初めてお目にかかります、アークリピルム魔術伯どの。わたくしクウィントゥス殿下の麾下アートルム騎士団に所属いたします、アロイスと申します」
表情を取り繕ってアロイスは顔を上げた。
無表情になるのは悪い癖だとカシアスにも言われたが、感情を抑制し表に出さぬようにするのは魔術師としての訓練のため、それを施したこの男のせいだ。
「これは丁寧な挨拶をいたみいる。それに、粗野な騎士とも思えぬほど所作のよい。いっそクウィントゥス殿下に乞うて当家に迎えたいほどよの」
「浅学菲才の身に過分なお言葉、汗顔の至りにございます」
空疎な言葉を連ねながらも、アロイスの腹は煮えたぎっていた。
以前から父、いやこの男からは、密かに書信が送られてきていた。
お前に魔術師としての才能がないのはわかっている。それでも親子の情は捨てがたい。表向きの身分を用意するからは家に戻ってこないかというものだ。
返事は一通たりとも出していない。
用意するという身分は、アークリピルム魔術伯家の雇われでしかない。武力の要という職を与えるというが、家の中でどう扱われようが外に出れば他人で通せということになる。そして魔術師は騎士を蔑む傾向がある。
つまり、家に戻ったとしても自分は家族たりえない。政争の道具か戦力として扱う気なのだ。
そんなことも見抜けないとでも思っているのだろうか。
捨てられた幼児の頃のまま、親に情愛を求めてすがるとでも思っているのか。
たわむれのように、家族としての情を示してくる男の姿は――とても気持ちが悪い。
だが――
(アロイス、そなたには魔術師の素質が、魔力が十分にあると思われる)
シルウェステルの『声』が脳裏に甦る。
(魔術を使いたいか?)
使えるものなら使いたい。
はらわたすら焦げつくほどの切望は、魔力ナシと判じられ、それまで進むのが当然と考えていた魔術師への道が断たれた、六歳のあの日のままにくすぶり続けている。
そしてシルウェステルは、死せる魔術の達人は、さらにその原因をも洞察し、かつての自分の大病すら見抜いた。
ならば。
自分は魔術師になれていたのだ。願っていた通りに。
それを。
彼らが見放し手放した。壊れた玩具のように。
(魔術を使いたいか?)
魔術を使いたい。それは無論だ!
手放した宝の大きさを思い知れとばかりに、この男の前で、シルウェステルの数分の一の威力でも魔術を使ってみせたなら、さぞかし胸がすくことだろう。
(魔術を使いたいか?なれど、いいことばかりではないぞ)
じりじりと身を灼く欲望に『声』が水を差した。
剣の腕が衰えるかもしれぬ。隠密活動ができなくなる可能性が高いと。
そうなったら、隠密裡に行わねばならぬ任務にも支障をきたす。忍べない斥候兵ほど役立たずなものはない。
なにより、魔喰ライになったら抑えがきかぬとも言われた。
死んでも立って最後の一撃を奮いたい、そう死の間際に思わない騎士はいないだろう。
魔喰ライは恐ろしい。目の前で生命の根源を喰らい尽くされて死んでいった、仮初とはいえ、同輩の騎士達の恐怖を、剣を素手で握り潰しながら自分の生命すら吸い尽くそうと嗤っていたあの人間ではなくなっていたモノの顔を、今でも冷や汗に濡れて悪夢に見る。
だが、死の間際に、魔喰ライになっても最後の意地を通そうと、自分は切望せずにいられるだろうか?
(悩め。悩まずして手に入れた結論には後々いっそう悩まされるものだ)
一時の憂さ晴らしか、これまで己が積み上げてきた道をさらに進み続けるのか。
自分の未来を閉ざした肉親と、有利不都合も呈示した上で、考えもしなかった未来への選択肢を示してくれた死者。
今の『俺』が選ぶべきは――
「アークリピルム魔術伯どの。初対面というに、わたくしのような一介の騎士に過分なご評価を頂戴しましたことに感謝を申し上げます。されど、お断り申し上げます」
「……クウィントゥス殿下に忠誠を尽くされるか。さすがは騎士としての心構えも堅固であられる」
「恐れ入ります」
忠義じゃない。
『俺』が選んだのは、これまでの『俺』を受け入れてくれた、クウィントゥス殿下を否定しない生き方。
刃を向けてなお、これからの『俺』を否定しないでくれた、あの骸の魔術師に見続けられても恥じずにいられる生き方。
騎士としての生き方だ。
「一方その頃のアロイスは……」的なお話でした。
そんなわけでアロイスは騎士として生きることにして、魔術師の道を自分の意思で断ち切りました。




