EX. おにーさんは心配性
いつも拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
珍しく三人称で書いてみました。
ちなみに、『閑話』は一人称、『EX.』は三人称という書き分けの予定です。
本編は骨っ子視点一人称に固定します。
部屋がほぼ無人となった後、しばらくしてクウィントゥスは口を開いた。
「出てこられよ、彩火伯」
来訪者たちが座っていた後ろの壁が開き、そこから一人の白銀の髪を腰まで伸ばした品の良い男性が出てきた。
「わたくしは隠居した身。もう伯爵ではございませんよ、殿下」
「しかし、彩火伯はそなた以外にはおらん」
「ならば、せめて名前でお呼び下さいますよう、お願い申し上げます」
洒脱な所作で一礼する彼、アーノセノウス・ランシピウスこそ、先代ルーチェットピラ魔術伯だ。
攻撃魔術の中でも初歩とされるため、軽んじられていた火球に魅せられ、極めた人物である。特に火球を様々な色で鮮やかに彩ったのは、まぎれもなく彼の功績だった。
そのため若い頃より王都の慶事には、室内でも華麗な炎の華を咲かせ、屋外では王城の尖塔より高く打ち上げ、ランシアインペトゥルス国の誇りを華やかに彩る役目を任せられていた。
誰言うとなく、ついた二つ名が『彩火伯』。
その呼び名には政治的な野心も薄く、無害な芸術肌の魔術伯をやや軽んじる響きも含まれていたのだが、それはジュラニツハスタとの戦いで大きく転換を余儀なくされた。
国境に領地のある貴族同士の小競り合いに思われていた侵攻が明らかにヴィクシウム平原を目指したとき、クウィントゥスもまた王族として大勢を率いて正面からぶつかり合う場に立った。
国と国との大いくさである。
順当に相互の正義を主張する名乗りののち、弓歩兵たちによる矢あわせが行われる。
騎士と騎士、歩兵と歩兵がぶつかりあう直接戦闘に入る前の儀礼のようなものだ。
だが相互に三回矢の雨を降らせた時には、大半は盾によって防がれたものの、運悪く隙間を抜けた矢に当たる者、命を落とす者も出ていた。
早くも血の匂いが漂う戦場へ、次の魔術あわせに進み出たのが彩火伯だった。
敵隊との距離は弓の間合い、なみの魔術では届かぬ距離だ。
ただの前哨戦というより示威行動に近い。
とはいえ、互いの力を見せつけ合う場ゆえ、高度な魔術を僅かな詠唱で打ち出して見せるのが常である。敵方の魔術師が、小さいとはいえ一言語で生み出してみせた無数の火球のように。
しかし、そこで彼は長大な詠唱ののち、巨大な火球を一つだけ撃ち出したのだ。
長すぎる詠唱に、巨大とはいえたった一つの火球。
明らかに見劣りするさまに、国の代表らしからぬ未熟さを蔑む声は、敵だけでなく伯の背後からも上がっていた。
しかし、彼の火球はそのまま空高く射出されたかと思うと、前線の後ろに位置していた魔術師たちが生み出した障壁を軽々と越えた。
歩兵の後ろ、ある公爵家が置いた督戦隊の真ん中に着弾する。
敵の火球のごとく、儚くも流星雨のように両軍の間で消え去ると思っていた者たちから驚きの声が漏れた。
しかし、それは一瞬で消えた。
巨大な火球が爆縮したのだ。
通常の火球のように爆発するのではなく、爆縮。
敵も味方も声も出ぬほど驚愕したのは、騎士数十名が遺体も残らず馬ごと消え失せたからである。
督戦隊は崩壊した。
裏切り者を始末し、脱走兵を殺害してでも戦意を高揚させる役目の督戦隊が消滅してしまっては、もはや敗走への歯止めなどない。
いち早く立ち直ったクウィントゥスは動揺激しい敵方への突撃の命を出し、思う存分ランシアインペトゥルスの騎士たちは名を上げたのだった。
もちろん、もっともこの戦闘に貢献したのは彩火伯その人であることに間違いはない。
戦闘が終了した後にクウィントゥスが直接訊ねると、彼はあっさりと長大な詠唱の種明かしをした。
詠唱の約半分は、打ち上げ花火の射程距離を伸ばすために編み出した『延伸』という射出距離を伸長するだけの付加呪文を複数重ねがけしたものだったという。
そして、残りの半分はただの火球を生み出す詠唱ではない。通常の火球とは逆の現象を起こすように術式を組み替えたものゆえに、爆発ではなく爆縮となったのだという。
「さすがになかなか試し撃ちもできませんのでね、このような機会を与えていただきましたことはまことに僥倖でございました。これにてさらなる術式理論の探究がかないます」
いつものひょうひょうとした、穏やかな笑顔で礼を――敵を打ち破る契機を作り出したことへの賛辞と報償に対するものではなく、巨大な術式を顕界し、その成果を確かめることがかなったことに対する礼をだ――言われた時には、クウィントゥスすら背中に冷や汗を感じたものだった。
石造りの屋内とはいえ、調度を損なうことなく炎の芸術を披露できるほど精密な術式の制御に加え、屋外ではあれほどの火力増幅、射出距離が伸長可能。
それだけの技量を持つこの魔術伯は、名乗りを上げぬ魔術あわせ以外ならば、戦場においては弓の間合いどころか弩の間合いを瞬時に撃ち抜く隠密性抜群の移動砲台と化すだろう。
まさしく敵にとっての死神、味方にとっての勝利の魔術神たる戦況崩し。
なのに当人は国の命運をかけた大いくさすら、ただの魔術研究の一過程、試技の場としか見ていないのだ。
こんな魔術師、いったい誰が御しきれるというのか。
しかしアーノセノウスは『彩火伯』の称号が、いくばくかの畏怖と魔術士たちの憧憬をもって口にされるようになってからも全く変わらなかった。
彼は自分の手柄すら、半分は弟シルウェステルのものなのだとむしろ誇らしげな表情で言ったのだ。
同じく延伸の術式により射程距離を延長した弟の構造解析の魔術により、督戦隊との距離、隊長、伝令、副官すべてが集まった瞬間を見定めて合図をしてくれたからこそ、出た成果なのだと。
クウィントゥスはそれを聞き、アーノセノウスを配下に加えることを諦めた。
かわりにシルウェステルを加えることに決めた。
魔術に傾倒するあまり、貴族にあるまじきほどに腹芸をしないアーノセノウスでは、いくら火力は他者が比肩できぬ魔術を行使できるとしても単純な戦力としか数えられない。
それに比べ、情報収集の重要性を知り構造解析の術式を編み出し、さらに敵陣に大打撃を与える一点を示してみせたシルウェステルならば、派閥に取り込めば必ずや自分の役に立つだろう。
たとえ決して表には出せぬ身であっても。
その読みに間違いはなかった。
読み誤ったのは、シルウェステルに対するアーノセノウスの情の厚さだった。
彼はとんでもなくシルウェステル思いであったのだ。
結果として、アーノセノウスはシルウェステルのために積極的な助力を自主的に行うようになった。シルウェステルの、ひいてはクウィントゥスの障害となるものを先んじて取り除くためにも力がいる。一人の魔術師としてだけでなく、魔術伯としての力も必要だ。
そうと理解してからの彼は、昼行灯として侮られていたそれまでの評判すら逆手に取って宮廷の政治構造に入り込み、気づいた時には侯爵家や公爵家はおろか、王族にすら侮りがたい実力を備えた魔術伯となっていたのだ。
それからのアーノセノウスはシルウェステルに劣らずクウィントゥスにとって非常に頼みになる心強い味方であった。ルーチェットピラ魔術伯爵位を、その子息マールティウスに譲り渡した現在も。
それだけに、アロイスの報せはクウィントゥスにとって驚天動地だったのだ。
シルウェステルが死ねば、アーノセノウスは間違いなくクウィントゥスから離れる。
いや、愛する弟を死地に追いやった者として、クウィントゥスに殺意を向けてもおかしくはない。というか、おのが手で逆恨みを晴らしうるだけの能力がある。
だからこそ、ボニーと呼ばれている骨の見極めはどうしても必要だったのだ。
「狭いところに長時間立ったまま隠れよというのは気の毒をしたな、アーノセノウスどの」
「まったく、その通りでございますとも。隠居した年寄りをあまりこき使ってくださりますな、と思っておりましたが……」
いやはや、と首を振るのにクウィントゥスも苦笑した。
自称とは裏腹に、60にも満たぬその年齢よりもはるかに若々しい人ではあるが、さすがに此度のことはこたえたらしい。
「すまぬな、だがこれは彩火伯でなければどうしようもなかったのだ」
「確かに、我が子ながらマールティウスにはちと荷が重すぎましたな」
軽い口調ですすめられた椅子に座りながらも、吐息は重い。
「どう思った?」
「どうもこうも……。あれは、確かに、我が弟シルウェステルでありましょう」
「まことか?」
本当かどうかはさておき、あっさりとアーノセノウスが認めるとは思えなかった。親しき者の死は認めがたきことであるのが人の心の常ではないか。
だが、彩火伯は、クウィントゥスの顔を見返すと真顔になった。
「あれは、早々にわたくしの存在に気づいておりましたよ」
「なんと」
「マールティウスが退出した直後のことでございました。一瞬にして無駄のない術式を、杖すらほとんど使わず、無詠唱で構築。しかもそれは我が弟しか知らぬ術式とあれば」
「まさか、構造解析を使ったのか?!」
ゆっくりとアーノセノウスは頷いた。
「おまけに、退席する際に、わたくしに向かって手まで振りましたぞ。あの可愛らしい茶目っ気ぶりは、まちがいなくシルウェステルのもの。グラディウスファーリーの軍を撃退し、魔喰ライと化した裏切り者を始末し、なおかつ幽明の境さえ乗り越えて戻ってきたばかりではなく、殿下のご深慮を汲んで即座に策を組み上げてみせるとは、さすがは優秀な我が弟!兄としてまことに誇らしい限りでございます!」
出だしはともかく、尻上がりに力強く断言したのは弟自慢というかのろけというか。
クウィントゥスは表情をどう取り繕っていいかひそかに苦慮していた。
……しかし、あのボニーという骨をシルウェステルであると断じた以上、アーノセノウスがクウィントゥスから離反するおそれは失われたのだから、喜ばしいことではあるのだろう。おそらく。
「あのグラミィと名乗った老婆がヘイゼルどのかどうかは断じかねますが、確かに魔力の色合いはシルウェステルと非常に似ておりましたな。実の親子ほどに」
「大魔術師ヘイゼル様は金髪銀瞳の麗人と聞いたが。ああも白髪になっておっては、よくわからんな」
「濃蜜のような金茶の髪に、蒼灰色の瞳だったとも言われておりますね。生憎、わたくしが成人した頃には、すでに王都を離れておられましたゆえ直接お会いしたことはございませんでしたが。姿を隠されたころから暗森にお住まいになられていたと考えれば、充分に納得がいきますな。ちなみに子どもの頃のシルウェステルは、巻き毛の金髪に青空のような瞳をいたしておりました。それはそれは見た目も可愛らしい子でしたよ。心根はそれ以上でございましたが」
「……弟自慢をするか真面目に彼らの真偽を論ずるか、いずれかにしてくれんか、アーノセノウス」
「これは大変ご無礼をいたしました」
一揖してから彩火伯は真顔に戻った。
「ともあれ、ただの騙りがあれほどの魔力を制御できるとは思えませぬ。グラミィどのがヘイゼルどのであり、ヴィーリとか名乗る、あの者が森精であるとした上で対処を講ずるべきかと存じます」
「ふむ……。なれば、問題は」
「ええ、ヘイゼルどのが、シルウェステルと、実の母子であることを知っているか、否か、にございますな」
クウィントゥスは組んだ腕を指で叩きながら沈黙した。
ヘイゼルの伴侶、イニフィニアスは小国の王子であった。がっちりとした体格に赤毛の者が多いクラーワ地方の者とも、人一人庇いながらランシア山を抜けたとも思えぬほど、騎士としては痩身に近い、白金の髪に優しげな顔立ちをしていたと伝えられている。
他国の王位継承権者と膨大な魔力を持つ娘の組み合わせを取り込んでおいて損はない。本人であろうと、その子であろうと、傀儡の王と為せば労せずしてかの国はランシアインペトゥルスのものとなろう。
だが先王は亡命こそ許したものの、客爵などの実権を持たぬ見せかけの爵位すら与えず、飼い殺しにする道を選んだ。王族ですら下手に足取りを追えないようにしてまでだ。
そして、生まれた子をひそかにルーチェットピラ魔術伯家へと預けた。それがシルウェステルである。
クウィントゥスが初めてシルウェステルを知った時、彼はすでにおのが出生を知っていたようだ。
我が下へ来い、と勧誘したのにすんなり応じたのが不思議だったので聞いたことがある。
複数の騎士団を麾下に置くとはいえ魔術師の少ない我が誘いに応じ、なぜ魔術士団を麾下に置く第四王子、クァルトゥスを選ばなかったのかと。
『簡単なことです。クァルトゥス殿下はクラーワヴェラーレの王子の子としてのわたくしを求め、クウィントゥス殿下はランシアインペトゥルスの魔術師としてのわたくしを欲してくださった。それだけのことです』
穏やかに微笑んではいたが、その目は明らかにクウィントゥスに挑んでいた。
徹頭徹尾おのれを一介の魔術師として扱えるのかと。
イニフィニアスの血を持つ者として使おうとしたが最後、二度と従いはしないと。
……血のつながりこそないが、全く良く似た兄弟だと思ったものだ。欲するものは富でも名誉でもない。ただおのが価値を認めたものだけを誇り、それを庇護する者にのみ心を許すところが。
生前の記憶こそ失ってはいるが、どうやらシルウェステルのその気質は死んでも変わらぬものと見た。
だが、先ほどのやりとりを考えると、どうにも不安が残る。
イニフィニアスが亡くなった以上、ヘイゼルが頼る相手はおのが息子、シルウェステルのみ。そしてシルウェステルも代弁者としてグラミィと名乗ったあの老婆を用いるほどには信用している。
それは血縁の情に引きずられてのことではないか、いやそもそもヘイゼルはシルウェステルを息子だと知っているからこそ蘇生を施そうとしたのではないか。
ならば、ヘイゼルもシルウェステルともども囲い込むべきなのか。
「殿下、一つお願いがございます」
「なんだ」
「先ほどシルウェステルが申しておりました件ですが、あの弟に知識を与える役目、わたくしにぜひともお命じいただきたいのです」
なるほど。アーノセノウスほどの魔術師ならば、ヘイゼルほどの相手にも、ある程度は対抗することもできるだろう。ヘイゼルの見極めも、ヴィーリとかいうあの気配の薄い森精との交渉もかなうだろう。
だが。
「……本音はシルウェステルのそばにいたい、というところか?」
「殿下のご慧眼にはかないませんな。死んでも学生として初歩からまた魔術の研鑽を積みたいと願うほど学究熱心な我が弟にございます。子どもの頃のように、文字を教え、せめて魔術円を綴れるようにまで導いてやりとうございます!」
堂々と拳を握って力説する兄馬鹿ぶりに若干の疲労感と頭痛を覚えながら、クウィントゥスは頷いた。
「よかろう。ただし、その前にまずは『シルウェステルの葬儀』の手筈を頼む。星見台を説得したのだ、星が墜ちたはシルウェステルの死とグラディウスファーリの侵攻という二つの凶事を意味する、ということに、早急にしなければならぬのだ。それに、そなたがシルウェステルの葬儀の場にもおらず嘆く姿も見せずとなれば、どうにも疑わしくてしかたがないではないか」
「マールティウスにすべて任せてしまいたいところですが、致し方ございませんな。せいぜい悲嘆にくれる様子を披露いたしましょう。その後ならば、悲しみのあまり体調を崩したということにしてしまえば、姿を隠していかようにも動けましょうし」
子どもがいたずらをするようにうきうきと企てていたアーノセノウスの表情が急変した。
「されど、そうしますと、葬儀後までは彼らにつける者が必要になってしまいますな。非常に不本意ではございますが!」
あまりにも悲愴な面持ちに、クウィントゥスは吹きだした。
「妬くな妬くな。わたしは『石』を使おうと思っているのだ」
「……殿下の意中にありましたは、彼の者でしたか」
アーノセノウスは頷いた。
「彼も表には出せぬ身、いくぶんかはシルウェステルの心を慰めてくれましょう。では、すべては殿下の御心のままに」
はい、シルウェステルさんのお義兄さん登場、でした。
彩火伯の設定が降ってきたので書いたのですが、なぜか暑苦しいまでのブラコンなおぢさんに……。
なにがどーしてこうなった。
『冷徹な眼の宮廷政治家』とか『魔術ヲタ』という性格も持っているので、今後出していけたらと思っております。
ほんでもって、『石』という新キャラも追加予定です。しばらくお待ちください。




