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襲撃

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 やっこらせーと馬車の中に腰骨を落ち着けると、そのままずるずると座席から滑り落ちそうな気分になった。

 まーた尾骨でクッションとかにかぎ裂き作っちゃいそうだから実際にはやんないけど。はふぅ。


 あたしがへたばってんのは砦に戻ってからも、やるべきことが山どころか山脈状態で待ち構えてたせいだ。

 グラミィたちは水で手と顔をさっぱりさせてから遅い昼食を食べに行き――さすがに誰も死体処理後の手でそのまま食べる気にはなれなかったらしい、当然だね――その間もあたしは休憩終了後の面々と一緒にせっせこと労働にいそしんだのだ。

 ちなみに汗水垂らしてはいない。水分はあまりない骨だし。

 最初に厨房を手伝おうかと頭蓋骨を覗かせたら、丁重に断られてしまった。味つけはともかく、皮むき程度の下ごしらえならとも思ったんだけどね。

 まあ気持ちはわかる。骸骨が料理するとかどこの怪談レストランかよとか。


 なので、今日も今日とて肉体労働である、肉体ないけど(天丼)。

 投石機の解体作業に始まって、あたしがぶちこわした塔上の出入り口の作り直し。忘れたかったけど忘れちゃいけない氷刃の墜落現場の確認と処理……。

 自分のやらかした後始末ばっかだったってのがなんとも。

 だけどそれでもう手一杯なんだからしかたない。消費魔力(マナ)をけちるために、なるべく魔術も使わないようにしてたしね。

 出入り口なんて、塔の上まで滑車でモルタルっぽいなにやらとか水とかをあげて、混ぜて、石材積んではモルタル塗って、さらに積んでとか。

 自分で動けるところは自分で動くのが当然です。

 最後に箒というのもお粗末なレベルの柴束でゴミを掃き寄せて降ろしたり、ついでに気になってた大広間も敷草を変えて、汚物を堆肥の山につっこんだり。

 ……ばかでっかいネズミや虫の死骸まで混ざっててぎゃーっと言いたいくらいにはカオスでしたよ、ええ。あたしのメンタルに地下牢の惨状なみの打撃を与えるグロ状態でした。涙目になれるもんならとっくになっとるわ。

 むこうの世界でも、中世の城での大広間なんてこんなもんだって知識はあったけど。異世界だからというステキ理由でそんなきちゃないものは謎パワーがなんとかしてくれてりゃいいのにと心底思ったね。

 せめてもの抵抗にハーブっぽい草を大量投入してきたけど、これで殺菌効果が期待できるとは思えない。食堂も兼用してんなら、もーちょっと衛生的になんとかしろと声を大にして言いたいぞまじで。


 よれよれ厩舎の前まで戻って来たときには、しっかりと日が沈んでた。

 ちなみに、アロイスの姿は夕食の時にも大広間になかった。

 まだ寝てんのかね。

 まあいいや、偵察結果の報告はカシアスのおっちゃんあたりがちゃんとやってくれるだろう。


 ようやくあたしも休息タイムである。とは言っても睡眠がとれない身体なので、馬車の座席に横にのびてるだけだが。

 いったいどういう謎仕様なのか、魔力量が減ると脱力感というか疲労感だけはなぜかあるという不思議。しばらく時間を置くとそれが楽になるんだよね。回復してないのに。

 たぶん少ない魔力しかないことにあたしの存在が慣れるから、なんじゃないかと検討はつけているが真実は不明だ。


 一応、砦内の兵士用大部屋にちゃんとしたベッドがないわけじゃない。

 むしろ人間の数が激減しているせいで、ちょっとイイ個室にも空きベッドはいくつかあるのだが、ねえ。

 以前の利用者がどんな目に遭ったか知っててなおかつ、そんなところでゆっくりのんびり休めるほどあたしの神経は太くない。この骨格標本状態じゃ仮想存在にすぎないけどね、神経。

 なので、基本的にも応用的にも休息というと馬車の中で大人しくしてるしかないのだ。

 はっきり言って暇です。


 しょうがないので、暇つぶしも兼ねて横になったまま魔力操作の練習なんてものをしている。

 さらに魔力を消耗してどうする、とグラミィあたりに知られたら盛大につっこまれそうだが、ちゃんとこれにもわけがある。


 あたしの使ってる魔術は、はっきり言って猿真似だ。正統ナニソレ状態。

 術式や魔力の流れを見て覚えることができたから、魔力量が膨大だったから、魔術師のふりができているだけ。そのことはあたしが一番よくわかっている。

 だから、できることを増やさなければいけない。

 たとえば、以前グラミィに頼んだように、この世界の魔術を覚えてあたしに教えてもらうことでバリエーションを増やすとか。

 たとえば、覚えた術式に手を加えて、原形をとどめないほどに応用するとか。

 たとえば、より精密に、より素早く術式を構成させること、顕界後も魔力を安定した状態で術式に流し続けられることができるように練習するとかね。

 魔術という手段を使って、効果的な対応がいっそう柔軟にできるように。


 とはいえ。

 そもそも体内にある魔力なんてもんは術式を構築してそこに通して顕界したり、魔力そのものを塊にして体外に出したりしなければさほど消耗はしない。

 体外に出さなければ。

 なので、消耗を抑えつつ練習しようとすると、できるのは顕界以前の段階までという中途半端なものになる。顕界してみないときちんと術式が機能したかわかんないことだってあるんだけどなー。

 

 あーもー魔晶(マナイト)みたいなご都合主義の塊、そのへんにごろごろしてないかなー。こちとら体力代わりの魔力は消耗したら回復せんのだ。

 食事と休息で魔力が勝手に回復してくれる身体なグラミィがこういう時には羨ましいわ。あたしが自力で回復しようとしたら、周囲の生物や物質から吸収しないとならない。つまり魔喰ライ的な魔力吸収方法。

 ……あの裏切り者の末路とか被害とかを考えると、さすがにそうそう無差別にやる気は起きないんだよね。マジで何が起きるかわかんないし。

 なんかいい方法ないかなー。


 いや。待てよ。

 あの闇森からの風。籠められてた魔力はなんなんだ。

 なんかこー、見られてる気配からして、送り主がなんとなく闇森にいるのはわかってたから。グリグの知り合いか仲間がくれたのかなーとは思ってたけど。

 よく考えると謎だらけじゃん。

 あんな高密度の、しかも吸収しやすい無生物とも生物ともつかない安定した魔力が飛んでくるって、闇森ってどんだけ魔力が溢れてるのかとか。

 そもそも魔力がそんなにたまってるのは樹木や、棲息動物や魔物の性質なのか、それとも闇森って場所柄のせいなのかとか。

 魔力を塊にしたまま長距離飛ばすことって、あたしにも可能なんだろうかとか。


 というわけで解明できない問題は後回しにして、なるべく消耗せずに馬車の中で実験できそうなことをやってみている。

 今やってるのは、ごくごく微量の魔力をうすーく展開する練習だ。

 国境付近で石弾の欠片を探すのに使ったのを、もっと省エネになおかつ微細な反応が拾えるようにできないかというコンセプトである。

 グリグがステルスに使えてるのは空の上でやっているからだろうな、これ。

 他の物質とぶつかる可能性があまりない空間で、上手に境目をぼかすように魔力を広げているからこそ、気配を隠蔽できてるのだと思う。

 だってこれ、あたしがセンサーに使ってるのも、まず周囲の物質や他人の魔力とぶつかったところでそれに反応してしまうのだ。むしろセンサーにしか使えないというかね。


 ちなみに、国境付近でやった時程度の出力だと、イメージ的には髪の毛一本ひっぱられてるぐらいの感覚がある。

 これ、もっと強いパワーでやったら感じるのも強烈に……足の小指をタンスの角に強打するレベルとかの反応になっちゃうんじゃなかろうか。

 それはさすがに味わいたいとも思わない。あたしはMではありませぬ。フルパワーなんか出さないかんね。


 そこであたしはもっと微細な魔力でより広く展開できないかとがんばっているわけだ。具体的には髪の毛一本から産毛一本レベル。

 そんなかすかな違和感でも確実に認識できるくらいにまで魔力操作の技術を高めることができれば、いつかは抜け毛一本レベルで魔力の塊を遠距離操作することもできるんじゃなかろうかと。

まあ今の段階ではただの推測だ。

 

 ひたすらうすーく、うすーく……。

 馬車の内壁に突き当たったところで木材の含有魔力に一部は浸透したが、さらに残りをじわじわと動かす。戸口の隙間を抜けて、馬車の外側へ、さらにもっと遠くへ。


 おろ?

 魔力がはじかれた?


 魔力の展開を阻害するものって、実はけっこう限られている。

 ……ということは、この建物の影にいるの、生物?というか形からして人間?

 武装してるっぽいところを考えると兵士かな。なんかもぞもぞしてる。

 あたしの魔力が突き当たったところを気にするように。

 って、ええっ?魔力感知できてる騎士?いたっけそんなのこの砦に。


 時は深夜、厩舎の前とあって、歩哨に立ってる人もまずこのへんまでは見回りにもこない。あたしがいるからってことも周知されたんだろうけど。

 なのに、そんなところへ一人で武装してやってくる人間とか。

 ……うわーん、なんかもう面倒事の匂いしかしないんですけどー。

 ベネットねいさんを襲ったようなクズ、もとい脳停止下半身暴走状態の連中はもういなくなったと思ってたんだけどなー。

 クライー、スピンー、オックー、ちょっと助けてー。視覚貸してよー。


 …………。


 反応がない。

 いつもは何頭か起きてるはずの馬たちも全部爆睡中のようだ。

 久々の外出であんだけはしゃいでたからかな。って、子どもメンタルかおまえら。


 うーむ……。


 仮称不審者は、体格的に考えてカシアスのおっちゃんや副長さんではない。だろう。

 ほんでもって、こんな真夜中にあたしか厩舎に用があってこっそりここまで来たのだろうに、どちらにも近寄らずにいる?

 んー?

 アロイスかなぁ?


 ぶっちゃけアロイスの行動には不可解に見えるところが多すぎる。

 ほかの面々があたしの骸骨外見にも慣れたというのに、一人だけ目を合わせてくんない。

 あたしの存在すら意識に入れたくない度合いも加速の一途を辿るばかり。そろそろ亜音速通り越して光の速さになりそうな勢いだ。

 カシアスのおっちゃんが、あたしとは話ができるぞアピールしてくれても、グラミィに話しかけてもらわない限り、会話もしてくんないしさ。

 これでシカトの理由がわからんかったら泣くぞ。うんまあ今のあたしにゃ涙腺も眼球もないけどさ。

 それに、理由もわかってるし。


 アロイスは、あたしに恐怖を感じている。最初に顔というか頭蓋骨を見せた時からだ。

 明らかに怯えてるのに、怯えてないようにふるまうのは、まあ、警備隊長がたかだか人体の一部にぎゃーぎゃー騒いでるところを部下には見せらんないって意地もあるのかもしんない。人の上に立つって大変だねー。

 まあこれは単純に自分の弱みを見せたくないから、というめっちゃええかっこしいなだけの理由かもしらんが。


 これを前提に考えると、不審者の正体が消去法でアロイスと考えるのは正しいような気がする。

 今も馬車を遠くから身動き一つせずに見ているのは、そういった不可解行動の一部じゃないだろうか。

 肝試しで恐怖を乗り越えよう、でも醜態はさらしたくないから自分一人で。

 そう思ってここまで来たけど一人はやっぱり怖いよー的な葛藤の最中で動けない、とか?


 ……やだそれ想像したらめっちゃ笑えるんですけど。

 

 ちなみに、あたしが怖いかどうかは魔術士隊や砦警備隊のみなさんの反応ではっきりすると思う。


 警備隊のおっちゃんたちは重い部品もラクに動かせる簡易重機扱い。今日もお仕事終了時には、ばっしばし肩の骨を叩いてねぎらってくれたくらいだ。

 魔術士隊の女性たちは、むしろマッドがかった肉食系な目の光がコワくて、あたしの方からそっと目玉のない眼窩をそらせるレベルですが何か?

 いやシルウェステルさんは魔術伯家の人間だったんだろうけど。結婚相手とかパトロンとかこの状態で食いつこうとかないでしょ。死んでるんだし。

 ……「すんごい魔術を教えて欲しい」欲がメインだってのはわかるけどね。


 しっかし、このまんまでは埒が明かんなー。


 んー。


 よし。


 あたしはひっくりかえってた座席から起き上がると、馬車の扉をほんのちょっとだけ開いてみた。

 鍵がかかってないってことはわかるだろうが、中までは見えないくらいに。

 これであたしが起きてる、というか動いてるのがわかるはずだ。

 カシアスのおっちゃんあたりならこんなことしなくても一声かけたらすーぐ入ってきそうだけど。まーもじもじくん相手ではこっちからも寄ってく必要があるだろう。


 ん?


 えっと。なんでわざわざ開けた扉と逆方向に回り込んでるわけ?

 しかも、足音らしい足音をまったく立てないで。


 ……えーと。これ、本気でやべーわ。


 そろりと杖を引き寄せた瞬間、突然扉から刃が生えた。

 挿してあった掛け金が綺麗に刳りぬかれて落ちるより早く、顔を布で隠した黒づくめの格好の人間が躍り込んできた。速!

 無言のまま黒づくめは小剣を突き出し、それは柄まで突き刺さった。

 咄嗟にあたしが盾にしたクッションと、その背後に生成した粘土に。


 グリグ捕獲に使ったトラップで止められたか?

 そう思ったときには黒ずくめは小剣をあっさり手放していた。

 とびすさって距離を置き、どこから取り出したのか、新しい小剣を抜く。

 さらにもう一本。

 一体何本持ってきてんだこの人は?てゆーか間近に直接見れば顔隠しててもわかんぞアロイス。顔隠して髪隠さずなせいでな。


 双剣を腰だめに構え、黒づくめのアロイスは再度あたしに刃を突き出してきた。

 だがそいつは途中で跳ね返される。

 おお。対物理に改造した結界ってけっこう硬度もあるもんだな。今、火花が散ったぞ。


 別にあたしも他人事のように観戦してるだけじゃない。座席をずりずりと座ったまま後退し続けているのだ。

 だって、立って逃げらんないほど天井低いんだもん。尾骨で座面の生地がズタズタになってるのはもう気にしない。

 ようやく反対側の扉にたどり着いたところで、結界を突破した二つの刃があたしにせまる。

 チェックメイトだ。


 額と前頭骨がくっつくほどの距離で動けなくなったアロイスが驚愕に目を見張っている。

 まあ魔術師で骨なあたしに、ひたすら押してたはずの騎士な自分が押さえ込まれてるとか。

 目には何も映らないのに、服の上から縄でも回されたような圧迫感で腕が動かせなくなるとかって経験は、なかなかないよね。


 あたしに剣の心得はない。

 が、この状態で襲撃者が選ぶだろう攻撃を想定することはできる。

 馬車からあたしは出てこない、ならあたしを狙うなら襲撃者も狭い車内に入って来なければならない。

 とすれば。毎晩過ごしてる馬車の中、何が置いてあって、何ができない狭さか、考えればわかる。

 この狭さで有効なのは長物よりも短い武器、それも斬撃ではなく突きだろう。

 そこまで考えれば、あたしにもそこそこやりようはあるのだ。

 たとえば、あたし自身を囮にしといて、瞬時に粘土を生成。

 小剣ごと両手首までずぼっと埋まったところで、不意の重みで下がった腕の肘を、てこの原理を応用して座面と杖で挟んで押さえこむとか。

 こんなふうに結界で捕縛するとか。


 別に結界は面やドーム型に成型しなけりゃいけないわけじゃない。

 輪っかにして手首をまとめて縛り上げ、ついでに胴体もいっしょに締めあげたのだ。

 それはいいが……身動きできなくなったからって、舌でも噛まれたら困るよな。

 オハナシアイをしなきゃいかんか。しょうがない。

 あたしは一つ覚悟を決めた。


 とんと杖を床板に突くと、外の虫の音が絶えた。

 消音結界だ。

 もう一回杖を突くと、穴の開いた馬車の扉がぱたりと閉まる。

 風の魔術を指向性を高めて一瞬だけ発生させただけだ。

 さらにもう一回杖を突くと、ぼんやりと灯りがさす。

 火球の応用で蝋燭一つぶんくらいの小さな炎を浮かせたのだ。

 

(死者を殺そうと生者が襲ってくるとは何の冗談だ。笑えんぞ、アロイス)


 以前、グラミィはあたしの声が『中性的だけど頼りになりそうなな男性』のものに聞こえる、と言っていた。

 つまりそれは、あたしの心話の印象は受け手の希望に沿いやすい受け入れやすいものになるということではないだろうか。

 まあだからこそベネットねいさんの説得にも使ったりしたんだけどね。


 おそらくだけど、この現象は心話が相手の意識と嘘偽りなくつながる以上、拒絶したくなるようなものではつながりにくくなるとか、そんな問題があるからじゃなかろうか。

 ちなみにグラミィの心話は、あたしにとっちゃ彼女の声質に近い丸ゴシック体って感じがしている。


「その声、まさか」

(わたしだ、アロイス)


 重々しく頷きながら、さてどうしようかと考えた。

 声質はどうやらうまくはまってくれたようだが、ぶっちゃけ状況もプランも行き当たりばったりすぎる。

 シルウェステルさんとアロイスがどのくらい親しかったのかも、ありし日のシルウェステルさんがどんな口調で喋っていたのかも、あたしはまったく知らんのだ。

 元を知らない以上、何をやっても下手な物まねにしかならんのだろうが、別人認定されたら最後、今度はアロイスを解放したとたんに粉砕されそうな気がそこはかとなくしているので、内心はほんのり綱渡り気分である。


 だが平常心をふっとばしてたアロイスに、そんなことは関係なかったらしい。


「なぜずっと沈黙なさっていたのですか、シルウェステルさま。一言今のようにお話しになればわたくしだってこのような真似などしませんでした。だがもう言い訳にしかなりませんね。さあ早く人をお呼びくださればよろしいでしょうに。いえ、そもそもここまでされては、身動きが取れませんので。このままじかにシルウェステルさまの手にかかるというのも一興かもしれませんね。どうぞ、お気のすむようになさったらいい」


 興奮しすぎだ。

 ていうか反応が支離滅裂すぎる。

 いきなり殺せ殺せさあ殺せ的リアクションが返ってくるとは思わなかったよ。


(落ち着け、アロイス。わたしはこのようなことでもなくば、ずっと沈黙を続けるつもりだったのだ。そなたを取り押さえたのも護身のためだ。害意はない)

「なぜです。御身を狙ったわたくしに情けをかける理由などありますまい」

(理由ならある。記憶がないからだ。このような身になっているということは、たしかにわたしは死んでいるのだろう。しかし、生きていた時のことは何もわからぬ。おのれがまこと、シルウェステル・ランシピウスなのかも判然とせぬままこの砦まで来た。そなたと顔を合わせても、まだ何一つ思い出せぬのだ)


 嘘はまったく言っておりませんよ?シルウェステルさんの生前の記憶なんてあたしは持っておりませぬ。


(それでも、アロイス。そなたは今のわたしを真実シルウェステル・ランシピウスであると思えるのか。わたし自身が確信できぬのに) 

「……それは、なぜあなたが、あのグラミィという魔女に従うただの木偶を装っていたのか、その理由を伺ってからお答えしましょう」


 唇からなんとかひねり出した言葉はひどく乾いていた。

 だけどあたしはひそかに感心していた。

 あたしが怖くて怖くてしかたがないのが伝わってくるのに、それでもきっちり感情を殺そうとする。

 恐怖の対象とこれほど間近で、壁代わりになってくれるカシアスのおっちゃんもいないのに、それでもなんとかあたしと目を合わせようと頭蓋骨を直視している。

 その脂汗に免じて答えてあげよう。 

 

(簡単なことだよ、アロイス。使われぬ手札こそ最も見えにくいものだ)

「『見えぬ手札こそ最も有用なれ』ですか。……記憶を失っても、幽明境を異にしても、やはり、シルウェステルさま、あなたの本質は変わらぬのですね」


 ……ありがたいことに、どうやらシルウェステルさんもあたしとよく似た考え方をする人だったようだ。

 身体の線から、みるからにこわばりがとれたアロイスは目だけで笑んだ。


「わたくしとしたことが少々取り乱しました。ご容赦を」


 取り乱して、これ、か?

 恐怖対象だからって、いきなり抹殺に突っ走るとか極端すぎるでしょ。


(アロイス。かつてわたしが知っていたかもしれぬことを一つ訊いてよいか)

「なんでしょうか、シルウェステルさま」

(そなた、魔喰ライと以前にも交戦したことがあるな?)


 推測というよりほぼ確認の心話にアロイスは沈黙した。それが答えだ。

 やっぱりか。

 

 思えば、いくつかのヒントはあったのだ。

 魔力酔いについて、ベネットねいさんの話を聞いた時に彼は顔を覆っていた。表情を隠すためだ。

 魔喰ライの名前自体には最初反応してなかったから、名称をそれまで知らなかったのかもしれない。

 しかし、その恐ろしさをPTSDになるレベルで知っていたからこそ、カシアスがおとぎ話にしか訊いたことがないと言っていた魔喰ライの話に怯えたのだろう。

 サージが魔喰ライとなった時もだ。

 サージの異様さに飲まれず容赦せず、部下の殺され方から一目で魔力を吸われたと見抜いたのはアロイスだ。

 グラミィを狙った裏切り者に気配を消して襲いかかったときも、アロイスが真っ先に狙ったのは致命傷を与えることではなく、腕を落とすことだった。

 おそらくはサージが魔力を吸うのを妨害するためだろう。

 魔力量が増えれば増えるほど、魔喰ライは危険になるとはベネットねいさんも言ってなかったか?

 その後始末に至っては、魔喰ライの恐ろしさを知っていたからこそ、どうしても消滅を自分の目で確かめずにはおれなかったのではないか。

 それが、あたしやグラミィが「魔喰ライは消滅した」と伝えても、すぐさま国境を越えようとした理由ではなかろうか。

 牢の中では魔術士隊のように嘔吐するところは見せなかったが、なるべく足元を見ようとはしなかった。ミイラ化するまで魔力を吸われた死体に怯えていたからだ。


 そして隠すことのできないあたしに対する恐怖心と、攻撃衝動。

 骨の顔を見せたときには硬直した。

 サージの魔力をあたしが吸うことにも強い忌避感を感じていただろうに、それでも裏切った魔術士を弱体化させる必要があると思ったからこそ冷徹に許可を出したが、その一方であたしへの恐怖を押さえ込んででもサージを吸い殺さないように見届けようと牢の中までわざわざ同行した。

 けれども魔喰ライと化したサージをあえて挑発し、勝ちこそしないが負けることもなかったあたしのやり方に効果と脅威を認め、そこから恐怖が噴出したのだろう。

 魔力すらただのエサ扱いにして、投石機を使ったとはいえ、魔喰ライを国境ぎわまで放り出して敵にぶつける。いやあたしは計算してやったわけじゃないけど。

 でも、そんなことはアロイスにはわからない。

 冷徹な計算に見えたなら、あたしが生死の境さえ踏み越えてしまう破壊の権化と重なって見えてもしかたがない。

 だからこそ、あたしを恐れ、そして始末しに来たのだろう。

 砦の責任者として、たった一人で。


「ええ。そうです。ついでにもう一つ申し上げるならば、わたしはアークリピルム魔術伯爵家の三男として生まれた身です。魔力ナシの身ゆえに家名も名乗れぬ、ただの放浪騎士ですがね。それでも初歩の魔力感知ぐらいはできるのですよ」


 ……なるほど。魔術適性がないわけじゃないから、魔力を知覚することも可能だったから、灯火もなく真夜中にここまでこれたし、あたしの魔力に反応してたってわけか。


「今のあなたの魔力は、生前のあなたとはまるで異なる。星すら飲み込む凍える真冬の波濤だ。あの魔術士隊の娘も言っておりましたが、はっきり言って異常ですよ。ですから、」


 アロイスは荒々しい笑みを浮かべて断言した。


「害をもたらす前に排除しようと思ったのです」


 あたしはだまって頷いた。


「……ここまで申し上げても無礼者とお怒りにならないのですか、シルウェステルさま?」

(生前のわたしなら、なすべきことをなそうとしたそなたに怒りを露わにしたと思うか?)


 自分が守るものに甚大な被害を与える可能性のある相手ならば、相打ちになってでも殺しきる気でいるほど覚悟の決まった人間にどうしてムカつかにゃならんのよ?

 そりゃあたしだってこれ以上死にたくない。

 だけど、身をもって魔喰ライの危険を知っているからこそ、そして魔喰ライについての系統だった知識は魔術士隊の面々より持ってないからこそ、自分で確実な解決方法を採ろうと決めただけでしょ?

 そこまで覚悟を持って行動できる人間を、評価しないでいられるわけがないじゃん。

 第一、あたしは無傷なんだし。魔力はちょっと使ったけど。


 たぶん、生前のシルウェステルさんも国の汚れ仕事を任せられている以上、そうやって自分が切り捨てられることすら覚悟していたのだろうし。


(だがアロイス。そなた、わたしが『誰に』害をもたらすと思ったのだ?そなたか、カシアスか、砦兵たちだけか、国のすべての民人か?)

「それは」


 アロイスは、初めて言葉に詰まった。


(わたしは、おのれが魔喰ライではない、などとは断言せぬ。酒樽に放り込まれた者が自分は酔ってないと必ず言うようなものだ。あてにはできぬだろう?)

「ええ。だからこそ今が好機と思ったのですがね。魔術を続けさまに行使して、消耗された今のあなたならば、私の刃でも届くかもしれぬと」


 ……闇森から飛んできた魔力がなければ危ないとこだったな、などと頭の片隅で考えながら、あたしは穏やかにシルウェステルさんを騙り続けた。


(矛盾していることに気づけ、アロイス。そなたの刃が届くようでは、わたしは害をもたらしえぬだろうに?力を失えば害をもたらす力もないのだぞ)


 むしろあたしの方が矛盾してますがこの論理。

 魔喰ライというのは力を失っているからこそ力を増しそうなモノたちなんだが。

 でも、いくら魔術伯家出身とはいえ、理性で動く傾向のアロイスにこの魔喰ライの行動原理が理解できるかは謎だ。リソースがなければないほど暴威を奮うなんて存在、彼らの常識にはありえないだろうし。

 逆にあたしが魔力ぱんぱんに吸ってたらアロイス一人じゃ止めきれないかというとそうでもないとも思うけどね。


 アロイスは息を吸い、吐き、車内の天井を見上げるとようやく苦笑した。


「なるほど。たしかにわたくしの目は曇っていたようです。今少しカシアスやバルドゥスの報告に信を置くべきでした。そうすれば、まことにあなたがシルウェステルさまなのだと、もっと早く確信できたでしょうに」

(少しは朋友や部下の言にも耳を傾けるのだな。特にあの副長、口は悪いがそなたを案ずる気持ちは熱い)


 あたしの心話にアロイスはくっくっと声に出して笑った。


 国境から戻ってくる時のことだ。間接的にも直接的にもアロイスをよろしく頼みますと、何度も何度もカシアスのおっちゃんに頼み込んでたんだよね、あの副長。

「隊長がまともでないとあたしらが困るんでさぁ」とは口で言ってたが、目がちゃんと心配してたんだ。

 いい部下がいるよね、アロイス。

 だけど「おぬしもアロイスの支えとなればよかろう」と言ったおっちゃんに「ニンじゃありませんや」と返した上に、ニヤっと笑って「あたしに火傷したがる趣味はないんです」ときたもんだ。


「無理矢理にでも他人に火中からはじけそうなカスタネーアを拾わせる趣味はあるようだがな」

「お褒めいただきありがとうございます、分隊長どの」


 ……うん、イイ(性格の)部下がいるよね、アロイス!


「わたくしとしたことがご挨拶も失念しておりました。あらためましてシルウェステルさま、ご帰国なされましたこと慶び申し上げます。されど亡くなられたことは慚愧に堪えません。シルウェステルさまの仇はきっと討ちましょう。ですが、シルウェステルさまが亡くなられたと知れば、どうかそのまま素直に墓に収まっていただきたいとお思いの方が多いと思うのですが」


 そりゃそうだろう。あの暗殺現場が砦よりも国内側だったってことを考えると納得しちゃうわ。


(今しばらくはきけぬな、それは)

「わけを伺っても?」

(何度も言うようだが、今のわたしには記憶がない。わたしが死ねば、誰に利があり、誰に害ありともわからぬままのだ。このままでは、守りいつくしみたいと思っていた人すら守ることはかなうまい。また、どなたへいかなる迷惑をおかけするや否やも判断ができぬ)

「……やはり、そうおっしゃいますか」


 ふう、と息を吐き出したアロイスは共犯者のような笑みを浮かべた。


「まあいいでしょう。シルウェステルさま、死せるあなたが生けるわたくしたちに害をもたらさぬ限り、このアロイス、二度とこのような真似はせぬと武神アルマトゥーラに誓いましょう」

(その誓い、確かに受け取った。ではそなたの精神の安定のためにも、わたしはなるべく早く砦を出ることにしよう)

「……ご配慮に感謝申し上げます」

(それまではただのボニーという名の、それこそどこの馬の骨ともわからぬモノとしてこれまで通りに扱ってくれ。わたしが話せることも内密にな)

「は」


 腕や足を開放してやると、彼は案外素直に一礼をして出て行った。

 床板に脂汗のしずくを残して。

 ……なんとかなってくれて助かったぁ……。いやマジで。

 

 次の日のことだ。

 グラミィとおしゃべりついでに馬たちのブラシ掛けをしていたら、アロイスの部下が困ったような顔でやってきた。


「ボニー様に申し上げます。四脚鷲(クワトルグリュプス)を肩に乗せた者が城門前まで来ておりまして……」


 グリグが誰かを連れてきた、ってことかな?

 しかし人の肩に止まるって、なにさ。


 ちなみに、グリグが相手でも今のあたしにはそんなことできない。

 誓約の有無が問題じゃない。重すぎるのだ。

 爪が食い込まないように鷹狩り用の籠手をもらってさらに詰め物をしたものや、粘土で腕の骨をくるんで防護しといて止まらせるのも、けっこうしんどいからね、あれ。

 グリグの体格的にどうしてもうんと腕を伸ばさないといけないんだが、自分の腕の重みだけでも相当な負荷だ。それに相当な重みが乗るわけだ。

 もっと長い時間なら杖の先に止まらせるか、腕の下に支えが必要になるだろう。しかもその状態で動けるわけがない。骨格標本状態なんですよあたし。筋力なにそれ。

 そのグリグを肩に乗せる?

 いくら筋力自慢でも、へたすりゃ肩甲骨とか鎖骨がいかれそうな気がするんですがね。あと腰もか。


「その、『ボニー、ないしは骨、と呼ばれている者に会いたい』と。いかがなさいましょうか?」


 ……はい?

アロイスがボニーを襲いました。

あっさり返り討ちにされましたが、これからどうなることやら。


そしてやっぱり副長はイイ性格です。このシーンには出てきてないはずなのに存在感たっぷり。

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