初撃・迎撃・惨劇
本日も拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
投石機を組み上げたあとも、仕事はそりゃもうたくさんあった。当たり前だ。
あたしもグラミィから魔力をもらって、仕事して、また魔力もらって……。
ようやくおおよその準備が終わったのは半日前のことだ。
グラディウスなんたら国の兵士たちが国境を越えるのが遅いなと思っていたが、この半日の猶予は単にむこうが夜襲をかけるつもりだったからにすぎなかったようだ。
あたしたちは、わりとぎりぎりで間に合ったのだ。
あたしは石弾に手をかざした。直径20cmの球状に炎を発生、じわじわと石を熱していく。
焼玉というものがある。
石弾や鉄の球体を、真っ赤になるまで加熱してから大砲で打ち出すというものだ。
……これ、恐ろしいことに、黒色火薬を使う大砲で考え出された戦法だ。考えたやつは頭がおかしいとしか思えん。装填作業中に火薬に引火したら、犠牲者が出るとか、大砲そのものがいかれるとか。大惨事になりかねんって予測できなかったんだろうか。
だが確かにその破壊力は高く、特に構築材が木材メインとなる船や日本の城などは火事になるため、いっそう甚大な被害となったらしい。
たしか大坂冬の陣だかでも、徳川家康が大筒でどこどこと本丸にこの焼玉を打ち込んだせいで、淀君が和睦に応じたという話もあったんじゃなかったかな。
自分の侍女が何人も犠牲になった、その無惨な様子を間近で見せつけられたからこそ、主戦派のトップだった淀君もさすがにぺっきり心が折られて、家康との和睦に応じたんだとかそうではないとか。
直撃はせずとも焼死ともなれば、被害は悲惨の一言に尽きるだろうし。
〔悪辣ですねー〕
でしょ?
「ゲームの弊害」を声高に言う大人がいるけど、あれ嘘だし。
〔嘘なんですか?〕
いや、だって考えてごらんな。ゲームの中より人類の歴史における殺人の方がよっぽど多いと思わね?
数十万人規模の戦いは少なくとも数万人の死者を出すものだ。
開戦前のやりとりだって、いかに自分側が有利に戦いを進められるか、正義であるかを誇示するものかだ。正しい戦争なんてないのにね。
結論。歴史の勉強は道徳的にダメージを与える。
ゲームが教育に悪いとかよくいうが、あたしに言わせりゃ真面目に深く学べば学ぶほど、歴史の方が人格形成にはるかに悪い。
〔ちょっと待ってぇ!じゃあなんでゲームって、あそこまでぼろくそに言われるんですか?〕
そりゃ簡単でしょ。歴史は勉強、つまり生産活動の準備。ゲームは遊び、つまり消費活動。
生産性の高いのはどちらか?
〔だからボニーさんは人格が歪んだんですね〕
骨格はきちんと整ってるぞ。あたしの骨じゃないけどな!
〔人格が歪んでるっての、否定しないんですね……〕
おうさ。角度によれば個性的に見えるっしょ?
〔確かに、いろいろと『個性的』ですよね……〕
だけど、さすがにこの状態で石弾を赤熱するほど温度を上げることはできない。使う魔力をけちりたいってのもあるが、そもそも投石機そのものが焦げたり燃えたりしたら意味がないんだよね。
できれば100℃以上には熱しておきたいのだが、温度計なんてもんはない。カンが頼りだ。
(人、来た)
……どうやら時間もなくなったようだ。
環状交差点をぞろぞろと抜けてくる軍隊の姿をグリグが送ってくる。砦から見つからないようにということか、灯火はほとんどない。それでもそこそこ動きが早いのは魔術師が混じっているからか、それとも魔物を連れているからだろうか。
グリグもそうだが、自分の魔力を操作できれば必ず魔力感知の要領で夜目を利かせられるものらしい。魔力量が多ければ、暗闇でも目が利くいわゆる暗視能力を持つことも可能だそうな。
ちなみにグリグは木立に身を隠している上に、自分の魔力をうすーく拡散してチャフがわりに気配も読めないようにしている。
あたしを襲ったときに発揮していたステルス能力だ。
そのグリグに気づかないところを見ると、魔物を連れてるという線はないか。ある意味ありがたい。
その情景を見る一方で、あたしは力自慢のおっさん二人が、革の手袋を重ねた手で、熱をかけた石弾を投石機にこめていくのを見守っている。改造前はだいたい100kg以上もの土砂を一度に飛ばすことができたというが、今回飛ばす石弾の重さは、わずか30kgぐらいである。
やる気あんのかと言われそうだが、飛距離を出すには石弾を軽くする必要があったという理由があるのでしかたがない。
それだけじゃないけど。
あたしも作業を見守るだけじゃなく、スムーズに腕木を降ろすために錘に重量軽減をかけたりしている。魔力の消費量が半端じゃない。グラミィみたく食事で回復できるもんならしたいもんだよ、まったく。
じりじりしながら待ち続けること数分はたったろうか。国境の向こうの騎士は残り五名。
あたしは杖を掲げた。
グリグと心話でつながってる以上、タイミングはあたしにしかとれない。
だが部外者のあたしが開戦の合図までやっていいものか、と思わなくもなかったが。
カシアスのおっちゃんは、アロイスにすべての指示を出させることで問題そのものをなかったようにスルーしたのだ。
さすが実践的な男である。合理的なら道理も曲げて通す度量がある。
……まあ、グリグの視界をあたしが借りて偵察なんかをやってるってことを、うっかりグラミィが口を滑らしたこともあってのことだろう。何人かアロイスの部下を伏せておいて、タイミングの合図をリレー方式で砦まで伝えるって方法も考えたらしいが、それだとどうしてもタイムラグが出る。
おっちゃんにとっても、もろもろ考え合わせた末の結論だろう。
こちらとしても、グラミィとの意思疎通ができてる様子を見せちゃってる以上、どうせいつかはグリグとの感覚共有はばれていただろう。グラミィが漏らした情報としての価値は低い、とはいえないが切り札にはなりえないのだ、許容範囲といえるだろう。
とはいえ、手札一枚ぶんの働きは認めてもらわないとな。
「魔術士隊、用意」
アロイスの号令で城壁上の四人が詠唱を始める。一単語詠唱のベネットねいさんは塔より上に二つ火球を浮かべると、さらに続けて詠唱に入った。ねいさんより長い詠唱のエレオノーラたちも後に続き、次々に火球が増えていく。
遮蔽物があって視界に入らなければ、このくらいの魔術の行使が魔力感知にひっかかったとしてもまだなんかしてそう、というレベルですむのだという。だけど敵から斥候が出ていたら、この光景を見られた瞬間にまず怪しまれるわな。
だが、そのデメリットも織り込み済み――というより、これ以外に選択肢がない。
『動く的へ確実に火球を当てるにはどうしたらいいか』という、例の命題に対する彼らの答えが、これだからだ。
『静止した火球で弾幕を張って、的の方から当たってもらうのを待つ』
これが最適解になるのは、敵の攻撃可能距離の外から攻撃するために、投石機の焼玉をさらに加熱するのに使うという、こんな馬鹿げた特殊な状況下にしかないことだろう。
……ほんとは石弾の後ろからぶつけて、飛距離を伸ばして方向修正する、ということもできたらよかったんだけどね。飛距離が足りないというのはやっぱり問題だ。
ようやく最後の騎馬が分かれ道を抜けた。
瞬間、あたしは杖を振り下ろした。
「アロイス!」
「よし、放てっ!」
遮蔽をぜんぶとっぱらったせいで、屋上に掘られた塹壕も同然な階段に避難したおっさんたちが、全力でロープを引く。
噛ませておいたくさびがひっこぬけ、錘が、腕木が、そしてその先端の弾受けが空に大きな弧を描く。
45度で腕木と幅木が激しくぶつかった。腕木が止まる。
が、弾受けは止まらない。
やばい!石弾が軽すぎて弾受けから飛びだしてない!
あたしは一瞬で氷弾を鋸刃状に形成、可能な限りの早さで射出した。
多少角度は変わってしまったが、石弾は火球の群れに突っ込んでいく。
運動エネルギーでざっくり切り離されたロープごと。いやそれは二回目の攻撃準備に時間がかかるだけだし、回転で燃えるロープが巻きついていってるから、まだいい。
咄嗟のことだったから、氷の組成とかなんにもいじってないのが心配だ。数秒後に溶解するように術式を組んでおけばよかったよ……。
自由落下のあげく氷の刃が城壁内に落っこちたらどうしよう。
城内に最初の被害を出したのがあたしとかないわー。
〔どーするんですか、ボニーさん〕
……えーと。話は後だ。不安についてはこの初撃を決めてから考えよう。
〔問題の先送りですか……〕
それはともかく。それはともかく!
石弾は弧を描きながら飛び続けているが、弾道がちょっと低い。このままでは障壁になってる木々を越えられるかが心配なレベルだね。
〔じゃー、あたしも一発かましときましょうか〕
よろしく、グラミィ。
無詠唱でグラミィが石弾の軌道上に高温の白炎を生み出す。術式の顕界は対象となる場所の認識さえできていれば、遮蔽越しでも可能だ。
それは、ベネットねいさんの髪を焼いた時からわかっていたことだ。
どん、という音とともに発生した、上空へ石弾が飛び跳ねるという、通常ではまずありえない現象に兵達が低くどよめいたのが塔の上まで聞こえた。
〔……ちょ、ちょっとやりすぎましたかね?〕
……石弾の高度も温度も上げられたけど、このままだと国境飛び越しちゃいそうだね。いきなり初手から相手の領地にダイレクトお邪魔しますはまずいだろう。
しょーがない、フォローしよう。
あたしはグリグの視界越しに結界を張ることにした。
ベネットねいさんが見せてくれた防音結界の応用だ。音が空気の振動という物理現象である以上、物理的防壁にすることは可能だろうと思ったのは正解だったようだ。
イメージ的には流線型のプチプチだ。なるべくショックを与えずしかも力を受け流しやすくしようと顕界したとたん、がくんと魔力を吸われたのがわかった。
後で知った事だが、魔物との誓約というのは、ある意味受諾者が提示者の一部になるということなんだそうな。だからこそ、魔物の視界越しに術式を構築するなんて無茶な真似もできる。
ただし、魔物との誓約というのは術者の魔力によって存在しているといってもいいようなものだ。無理矢理魔物を通して術式を構築しようとすると、導管になる魔物にも魔力を取られるのだそうな。
視界さえ認識できていれば遠距離でもいけるのだから、誓約した魔物越しに魔術を顕界するというのは、確かに有利な戦法だといえよう。燃費がめちゃくちゃ悪いので、最低限、あたしより魔力量が多くないとできないだろうけど。
とはいえ、馬たちに借りた視界の先には魔術を顕界することができないから、いざという時に使える奥の手としては、燃費の悪さはしかたのないデメリットだと言えるのかもしれない。
どごーん!
今のはグリグの聴覚越しじゃない。約1kmは離れた場所で発生した音が、空振がそのままこの砦まで届いたのだ。
グリグの視界の中では轟音とともにふっとんだ兵や馬たちが、何が起きたのか理解できずにパニックを起こしていた。
〔な、ななんですか今の爆発!ボニーさん、火薬は作れないって言ってたじゃないですか!〕
うん、作れないよ?
ついでに言うなら、化学肥料もないから化学爆薬系も無理だ。
液体酸素と木炭でも作れるらしいが、まず液体酸素そのものをどうこうすることもできないもんなー。
そもそも、爆発なんかでうっかり山火事を起こしたってどう始末をつけられるっての。消火が大変すぎるだろう。
第一、グリグの住処まで荒らすことになる。
〔じゃあ、あれはいったい?〕
あれね。水蒸気爆発。
〔……はひぃ?〕
瑪瑙や水晶などでも見られることだが、天然石は生成過程で水を含むことがある。
そんな感じのイメージで、さっきの砲撃に使った石弾はあたしが魔術で作り出したのだ。
真ん中に密閉状態で水が入っている岩を、投射する前からじわじわと温めて温度を上げ、さらに魔術士隊の面々に火球で狙撃してもらう。
それでも200℃には届かないくらいか、というところに。グラミィが白炎をぶつけた。
とどめとばかりべしん、と叩き落とした衝撃で石弾が割れ、外側の高熱部分に触れた水は瞬時に沸騰し、――一気に水蒸気になったのだ。
水蒸気の体積は水の約1700倍にもなるという。
その膨張速度とエネルギーに耐えきれなくなった石弾の破片が全方位に炸裂したら、そりゃもうかなりの破壊力になるだろう。赤熱させた石の上に水を落としても蒸発して水蒸気にはなるとはいうが、きちんと爆発力を生じるほどの状態になるかはかなりの賭けではあったけれども。
ので、石弾としての強固さを下げる、この形にしかできなかった。
失敗したらただの巨大癇癪玉ぐらいにしかならなかったんだけどね。
〔なんですかそのクラスター爆弾。えげつなー……〕
クラスター爆弾違う。破片を爆発力で飛ばすだけだから、比喩としてはクレイモア地雷の方が近い。
どっちも明らかにアカン兵器ってことには変わりないけどな!
でも、正直なことを言えば、本当にそんな仕掛けで確実に水蒸気爆発を起こせるとは思えなかった。
一瞬炎に包んだからって、すぐに中の水が沸騰するまで温度を上げられるのかとか。
この山中でそもそも水蒸気爆発が起こせるのかとかね。
標高が高ければ気圧は下がり、気圧が低いと水の沸騰温度は下がる。それがこの水蒸気化にどう影響するかは文系の哀しさ、あたしにはまったくわからなかったのだ。
なので、ちょいと細工を加えたのだ。
水が水蒸気にならなくても、要は石弾内の圧力を高めればいい。
ならば、中に入れるのは、ただの水でなくたっていいよね。
たとえば炭酸水とかでも。
日本で売られている炭酸水は、水に二酸化炭素を充填したり、重曹を使って化学的に二酸化炭素を発生させたりするものがほとんどなんだそうな。
だが、ヨーロッパでは天然炭酸水がわりとポピュラーである。
炭酸水の鉱泉を生み出す火山、それも沈静化した火山が多いからなんだそうな。場所によっては聖なる泉扱いされてたりもするという。
なら、地誌的にヨーロッパっぽい感じがするこの世界にもあるかもな、天然炭酸水。くらいには考えていたのだが。
ダメモトでグリグんに聞いてみたら、なんと住処の近くにあるという。
ずーっと細かい泡が立ち上り続けたり変わった味がしたりするのは、魔力を多く含むせいだと思ってたけど。
そこで、こっそり水袋に一杯汲んできてもらっていたのだ。
目の前に現物があれば、初めて組み上げる術式でも、そこそこの質の生成物を作ることがあたしにはできる。
骨を強化する時にもやったことだ。
試してみると水を作る要領で炭酸水を生成することはできたので、応用としてさらに二酸化炭素を溶かせないかと挑戦してみた。いわゆる強炭酸水ってやつだ。
石弾の中に入れたのはそれである。
普通、ただの水に溶けた二酸化炭素というのは、ちょっとした陰圧や熱でも簡単に抜けてしまう。
飲みかけの炭酸飲料水のボトルをへこましといても元に戻るどころかぱんぱんに膨れ上がるのも、陽の当たる車内に置いといて破裂するのもそのせいだ。
……そんな炭酸水を石弾に密閉して加熱すれば、そりゃあどんどん高圧になるわな。
ただ、必要なだけの二酸化炭素が確実に溶けているのか、必要なときに水から分離して気体に戻ってくれるのかは、あたしにはわからないことだった。
できるだけがんばってはみたが、飲んで舌で確かめるなんてこともできないし。
なので、保険をつけることにした。
メントスコーラの原理を利用して。
メントスをコーラなどに入れるとなぜ噴き出すのか。
その理由の一つは、メントスの表面にある微細な凸凹だという。
これ、実はシャンパングラスの内側にも同じ理屈のしかけがしてあるという。
水などの液体と溶け込んだ二酸化炭素の均衡を破り、気体に戻すことで、立ち上る泡を目で楽しめるようにしてあるのだそうな。
どのくらいの凸凹が一番泡が立ちやすいのかは実際にあたしも試してみた。小さなコップを借りて中に顕界した石を入れ、干渉、変化させるという実験だ。おかげで魔力と時間をかなり消費したが、それだけのことはあった。
結果は強炭酸水を密閉した後に石弾の内側を加工する、というやり方で実装済ですよ。
つまり石弾に密封されていたのは、言ってみればあたしお手製のメントスコーラである。それを超絶ホット状態にしてお届けしてみた。
……そう表現すると飲む気が欠片も起きないな。
高めに高めた内圧は岩に僅かなひびが入った瞬間に噴出を許し、たとえ狙い通りの水蒸気爆発が起きなくとも、100℃以上に沸点の高まった熱湯を高圧で周囲に振りまいただろう。
〔鬼ですかアンタは。非人道的兵器を投げつけさせるとか〕
いいえ、ただの骨です。
そもそも人道的な兵器なんて、存在意義そのものが矛盾してるでしょうが。
それに、まだだよ、グラミィ。
あたしの仕掛けは、まだ、これだけでは終わらない。
グリグの視点を借りて、敵の位置を捕捉しながらあたしは魔力を練り上げる。
ただし、術式を顕界するのはグリグの視界越しにじゃない。そんな燃費の悪いことはもうしない。
とはいっても、あたし自身が直接視認できる、敵からちょっと城よりの道の上の高度数百mの空間なんてところに顕界するのはけっこうしんどいもんがある。まあこれ以上接近できない以上、しかたがない。
岩槍の先端とほぼ同じ高さで10㎝ほどの氷柱を数十本作成。
射出不要。そのまま自由落下させる。
グリグ、道に出るなよ。そのまま森の中でおとなしくしとけ。
(わかった)
氷柱が1本、2本。4、8、16、32、64……。
(見えない。馬?)
グラスが砕けるように軽い硬質な音。
たしかにそれはまるで見えない馬が光る蹄鉄でじわじわと接近していくようで。
敵兵たちが身構えるのがグリグの視界越しに見える。だがこの敵襲は武器では防げない。
グリグが冠羽を逆立てるのを感じた。
近づきすぎないように。危ないから、そう言った意味がわかったのだろう。
じわじわと接近するガラスの蹄音が、ついに血に染まった。
別に質量を増大させなくても、重力に引かれたつららは簡単に鎖かたびら程度なら貫いてしまう。
瞬時に穴だらけになって倒れる前衛の姿に、水蒸気爆発のパニックから立ち直りきれずに一斉に浮き足立つ。
「――っ、――――!」
指揮官っぽい人の声に全員が回れ右した。味方同士ぶつかりあい、横転し、蹄に踏みつけられる。
あたしは、ただ、それを見ていた。
ちゃんと被害を与えないといけない。
これは、あたしが覚悟していたことだった。
正直、脅しで一瞬相手に戦意を喪失してもらうだけなら魔術士隊にだってある程度はできるのだ。
しかし、彼らでは弱い。
冷静になった時に被害がなかったら、もしくは少なかったら、「幻覚」とか「気のせい」だったってことにして、また攻めてきかねない。
今の状態では、脅すだけでは意味がないのだ。
魔術士隊が騎士たちに軽く見られるのは直接戦闘能力のなさもそうだが、こういった心理的駆け引きを無視して無茶な力押しで来られたら弱いから、ということがある。
それを考えると、こっちだって魔力とか。魔力とか魔力とか、いろいろ消耗しているのだ。無傷の兵の再来とか、ぜひともやめていただきたい。
だから、あたしは敵を殺すと決めた。「幻覚」なんて言葉では片づけられない現実――被害を出しておくために。
そんなことのために人の命を奪う?
これ以上奪われたくないですね、あたしも。
攻めてきたという段階で向こうもこっちを殺すつもりで来たのだから、これは殺意同士をぶつけあわせた結果だ。
恐怖も罪悪感もないわけじゃないが、それがどうした。
そう言わねばならないのならいくらでも言う。汚れ役が必要ならばあたしがなろう。
〔外見が悪役っぽいからって、行動までそこまでひどくしなくてもいいんじゃないんですか?〕
見下ろせば、城壁の上のグラミィは心話とは裏腹に、ひどく複雑な表情をしていた。
人を傷つけるって、自分も傷つくことだもんね。
それはむこうの世界の常識で、だからこそグラミィ、あんたはしっかり傷ついとけ。覚悟を持つということの重みを刻め、自分の行動が及ぼす影響の大きさとダメージを認識しろ。
……正直なところ、この世界の戦闘に介入する≒人を殺す覚悟を決めたとは言え、あたしが人を傷つけえているのは、この骨の身体あってのことでもあると思う。いや魔術が使えるとか極大魔力タンクってだけじゃなく。
たとえば、普通なら火球で人間が焼けた匂いなんて嗅ぎたくもない。
だけどこの身体のあたしには嗅覚がない。匂いを嗅ぎたくない時に息を止めるとか言うけど、あたしの息は止まりっぱなしだ。というか肺がない。おまけに魔法ならば直接肉や骨を叩き潰す感触も感じずにすむ。
けれどいわゆる異世界ものに対する疑問なのだが、武器を持った転生者や召喚者は、ほんとーになんらストレスを感じず敵をぶったぎれんのかね?
むこうの世界でだって少年兵にしたてあげられた子どもたちは、最初に攫われた時に、人を――場合によっては自分の親を――自分の手で殺させられていることが少なくない。日常を奪わなければ、人間を殺せる人間は作れないのかもしれない。
グリグの視界越しに見えるのは、環状交差点にようやく逃げ込みつつある敵兵たちの姿だ。
さらにその背後にもひたすら氷柱を生成、落下を繰り返して恐怖心を煽る。
動けなくなってしまった重傷者を抱えてく余裕なんてないだろう。
とどめをさしてしまったのかもしれないが、それも覚悟してのこと、だったはずだ。
『やられる前にやれ』
骨しかない身体でもこれ以上死にたくないからこそ、弩に撃たれた後、行動決定条件の二番目として骨身に刻んだことだ。
ちなみに行動決定条件の一番目が『生身に戻る』と『責任者出てこい一発殴る』であることに変わりはない。
あたしは後悔しない。
あたしは後悔してはいけない。
後悔してしまったら、その段階で、罪悪感を持てる自分はまっとうな人間であると自己肯定する理由にすりかえてしまいそうだから。
……まあ、殺さねばならない人間は、それでも少ない方がいいとは思うから。体面なんて気にもかけずにとっとと逃げろよーと思うくらいは許されるといいな、とは思うけれども。
動ける人間がすべて国境を越えたところで、あたしは氷弾を降らせるのをやめた。視界を戻したとたん、くらりときた。
〔大丈夫ですか、ボニーさん?〕
……あー。ちょっと魔力を使いすぎたかも。貧血みたいにクラクラする。血も涙も一滴もないくせにね。
「敵は、いかがしましたか?」
退却した。円環の道に戻ってったけど、追うかい?
グラミィ、そう伝えといて。
〔わかりましたー〕
杖を振ると、カシアスのおっちゃんが笑みを浮かべた。
「諸君!敵は敗走した!ほぼ一撃で、我らは王国に勝利をもたらしたのだ!」
どっと、歓声が砦を満たし、一瞬にして途切れた。
どん。
どん。
どん。
間違いない。塔が、揺れている。
砦中の視線が集中するその先で。
塔の扉が、吹き飛ばされた。
戦争シーンなはずなんですが……あんまり戦ってる感じが出ませんでした。なぜなんでしょね?
骨っ子がこっそり人殺しの罪悪感に悩んでいます。
そして異世界転生王道要素ぶち壊しを追加。「現代日本社会の倫理観を持った人間が、ガチの殺し合いをできるメンタルを持てるのか」です。
精神的に成長したら殺し合いが屁でもなくなるのかというツッコミもこっそりと。
ちなみにメントスコーラの原理は本当のことですが、水蒸気爆発が描写の通りの状況で発生するかは作者も知りません。
詳細な知識をお持ちの方、いらっしゃいましたらツッコミをお待ちしております。
さて、歓声を消し去ったものとは?




