空の高みから(その3)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
シルウェステルが死んだと知らされたら、あのブラコンのアーノセノウスさんが深く激しく嘆き悲しむことは自明の理だった。
だから、あたしは、船団の中でちょろちょろしている幻惑狐たちからの視覚的情報を、あえて入れないようにしていた。
それでも情報収集と伝達をしてくれているのは樹の魔物たちだ。彼らの魔力知覚能力のおかげで、アーノセノウスさんの無事と、悲嘆の深さは十分に伝わってきていた。
そのため、あたしはシルウェステルが船団の監視ごとスクトゥム方面を一手に引き受けてくれたのをいいことに、ますます船団の情報を入れないようにしていた。
苦手なんだよう。愁嘆場ってのは。
苦手なものは後回しにしたくなるたちである。だけどこのときばかりは、本当に、とっとと幻惑狐たちの視力を借りてでも見ておくべきだったと思ったよ。
彼らに渡しておいた樹の魔物たちの力を借りて、監視術式の媒体を創り出し、久しぶりに見たアーノセノウスさんは、聖堂にいた。
なんと頭の下半分を剃りこぼちて。
上半分の髪の毛をポニーテールのように一つに結んでいるせいで、剃り上げた首筋や耳がつるっとむきだしになったその髪型は、この世界でもかなり攻めたものだ。
が、問題の本質はそこじゃない。
魔術師たちにとって、髪は魔力の蓄積場所だ。つまり魔術師にとって、自身の髪は命綱にも等しい。
その髪の毛を半分も剃り落とし、魔術師であることを半ばやめたその髪型は、神に仕える聖職者のものなのだ。
……いくらブラコンとは言え、まさかアーノセノウスさんがそこまでするとは思ってもみなかった。
彼の変化はそれだけではない。ラドゥーンたちの使っていた監視術式を改良したものは、幻惑狐の視覚より精細なのだが、それを通して見たアーノセノウスさんは、ただでさえ細身だったのにさらに痩せていた。まるで物干し竿に吊した一枚のローブのような肉の薄さよ。
が、やつれたと言い切れないのは、その目のせいだろう。到底神に仕えることを選んだ、諦念や隠遁の心境に至った者には思われない。
疑問が解けたのは、聖堂でのことだった。
いわゆるおつとめというやつなのだろう。ほかの神官姿の人々に交じり、アーノセノウスさんもすべての神像にぬかずいていたのだが。
一番長々とその前に平伏していた神像の姿を見て、再びあたしはクッションソファに沈みこんでいた。
等身大の石像ではあるが、作った人の腕がよほどいいのか、彩色してあるためか。
神像というより、……うん、あたしのイメージ的には、リアルモデルなマネキンとか、1/1フィギュア。
神々しさはあまり感じられないが、青空色の瞳、豊かな金髪の巻き毛を一つにまとめてフードからこぼし、魔術師の杖とローブを身につけた美青年の姿は見応えがあった。
肩に乗せた四脚鷲も、その周囲に従う数匹の幻惑狐も、白銀の一角獣もじつに生き生きとしている。
像の手に握られたお骨型の仮面以外は。
そう。
なんと、アーノセノウスさんってば、シルウェステルを祀り上げていたのだ。神様として。
「……いやいや、いくら多神教だからって、これはないでしょうが」
お腹が痛くなるほど笑いすぎてちょちょぎれた涙を拭い、あたしはクッションから頭を上げた。
が、何があったのか聞いても、当のシルウェステルは横を向いたままだ。
別にいいんだけどね。素直に答えてくれそうにないのなら、ほかの情報源を頼ればいいだけのことなんですから。
あたしは樹の魔物たちに、彼らの蓄積した記憶から、アーノセノウスさんに関する部分を見せてもらった。
そして。
「うーわ、ちょっと……やりすぎでしょ……」
そりゃ呆れますとも。
シルウェステル、過保護はあんたもかい。この双方向ブラコンどもめっ。
当初から心配していたように、やはりロリカ内海を移動中、船団は住民たちの襲撃を数回受けていた。
のだが。
シルウェステルってば、それを片っ端から撃退していたのだ。
それも義兄上を邪魔する者は許さないとばかりの過剰防衛っぷり。
寄港地で船団が寝静まったのを見計らい、襲撃者が武器を手に手に迫ってくれば、アーノセノウスさんのお株を奪う火球の長距離水平乱れ打ちでのお出迎え。
小舟数隻をかり集め、潮の流れが複雑な海峡付近で待ち伏せをしてきたとみれば、雷の集中豪雨が雲一つない空から降ってくるというね。まさに青天の霹靂。ただし集団行動。
やることなすこといちいちド派手。というか、ほとんど天変地異とか天罰のレベルでしょうが。
「スクトゥムの民は庇護するんじゃなかったの?」
「……無辜の民ならばだ。船団を襲いに来るのだ、守るためにはしかたがなかった」
言っていることはまっとうっぽく聞こえるのだが、完全にしらばっくれるには耳が赤いよ。
にやにやしながら、あたしは一方で安堵していた。
あたしもシルウェステルも、とうに血どころか実体がないにも等しい状態なのだ。だけど無意識にでも生前の身体的反応までしっかり再現できているというのは、自己認識がしっかりしている――自己の拡散、つまり消滅の危機が遠いという証拠でもある。
安心したら、彼の反応をおつまみに飲むコーヒーはいっそううまく感じられる。
お酒の方がいいかもしんない。
あたしはマグカップを爪で弾いた。
とたん、中身の比率は逆転した。アイリッシュウィスキー超増量である。
「他人事のように言うのだな」
ぬるくなったマグに口を付けたところで、恨めしげにシルウェステルが矛先を向けてきた。あたしはわざと目を見開いた。
「あたしにとっちゃ、紛うかたなき他人事ですとも」
「ならば、ランシアとグラディウス、クラーワに成したことはなんだと?」
「あー……」
あたしはマグを置いて、額の仮面を掻いた。
「穴埋め?」
「あれこそ天変地異の標本だと思うのだが?」
苦し紛れの一言も半眼で叩き落とされたが、あたしのしたことなんざ魔喰ライの王の尻拭いでしかないんですけど。
ランシア山――いや、魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナを封印していた神器、神槍ランシアがラドゥーンたちによって引っこ抜かれてしまったあと、そこには穴が開いた。
それもただの穴じゃない。いや山一つ分より遙かに深い垂直の穴とか危険地帯以外の何者でもないんだけど。
問題は、引っこ抜かれた神器の先端が赤熱していたこと。
神器が接していたマグマが上昇し流れだしたら、いや火山ガスが噴出しただけでも近辺が危険になる。
幸いというかスクトゥム方面は山脈に点在する集落も遙かに遠く、グラディウスに至っては統治していたテルミニスが族滅された土地であり、人は極めて少ない。
が、ランシアインペトゥルスのフルーティング砦と、クラーワヴェラーレのカルクスは、崩れ去った天空の円環に近いところにある。
だからあたしは、ちょっと状況に手を加えただけなのだ。
いやほんと、闇森の森精たちの相手もしながらだったから、たいしたことなんてできないし。
まずは、神器の抜けた穴の近くにうっかり寄りすぎた人が落っこちる、なんてことがないようにする必要があった。
だから、周囲に結界をびっしり壁のように立てといて、汲み上げたたマグマをそこにだばだばかけただけ。
冷えた溶岩の壁は、十分な障壁となる。
ついでに穴の内側も固まったので、ある程度は地盤も強くできたんじゃないかと思う。
ついでに火山ガスの噴出も止めておくことにした。
といっても、マグマの表面に冷却作用のある魔術陣を記述した板を作って放り込んだだけである。
魔力はマグマから直接吸うようにしておけば、冷えて溶岩となった表層マグマはどんどんその下から魔力と熱を吸い上げ、さらに厚みを増していく。
でっかい蓋があれば、マグマの噴出もある程度は止められるだろうという目論見である。
それでも、地下に溜まっているマグマの量を見定めるのは難しい。
だからいざという時用の安全弁も仕込んでおいた。神器痕から溶岩があふれ出る前に、クラーワ北東にある死の谷に亀裂が入るようにしておいたのだ。
死の谷自体がもともと火山ガスの噴出口のあるところでもあるし、人は近づかない。そのさらにむこう、イークト大湿原にも影響は及んでいるところを見れば、マグマが噴出するべきはそちらなのだろう。
ならば、仮に噴火口がそちらにできたとしても、被害は最低限に押さえ込めるんじゃないかなあ、というわけだ。
だが、声を大にして言っときたい。
あたしはこっそりやらかしましたと。
少なくとも、シルウェステルみたいにド派手な真似はしてないし、目撃者もそんなに出さなかった。と思う。
「ま、まあ、彩火伯も暴走してたみたいだしね……」
もともとアーノセノウスさんは義弟を猫かわいがりするだけでなく、その魔術師としての能力もきちんと評価していた人だ。ならば文字通り雷を落として、目の前から敵を消し飛ばされるような真似を見せつけられたら、それで十分畏怖を覚えたことだろう。
シルウェステルの気配をそのブラコンの勘で感じ取ったのなら、天空の円環回りの変容なんて知らなくても、この祀り上げは確定していたんじゃなかろうか。
それでも、いくらなんでもいきなり称号神スタートかよとは思うけど。せめて聖人とか神の眷属から始めておけばいいのにね。
だが、それもしかたのないことかもしれない。なにせあたしもお骨で歩き回ってましたからね。気づけば隣にいる冥界神の神威だったわけですから、称号チュートリアルは終了しましたと言われてしまえばそれまでですよ。
「神扱いが不服というなら、自分でなんとかするしかないんじゃないかね」
「ならば、あなたならどうする」
「あたし?」
「他人事ではなく、我がことだったらどのように始末をつけるつもりか」
「しようとした時点で潰しにかかってるけど?」
即答するとシルウェステルは沈黙した。よく黙り込む子だ。
「正直あの神像だって、あたしが借りていたあなたの骸骨姿だったら、どうやってこっそり壊すか考えてたかも」
「ならば、あのような像が飾られているわたしの身にもなってもらえぬか」
「……ひょっとして」
あたしは横目でシルウェステルを見た。
「あたしが壊すことを考えたのって、恥ずかしいからだと思った?」
「違うのか」
「それだけじゃないんだよね」
あたしはマグをくっと空けた。
「あたしはヘイゼルの同位体だってこと、忘れてる?」
「……いや」
「そんなもんが神扱いされていいわけないでしょ。へたにあんなもんがまた復活してごらんな。今度こそ、食い尽くされるよ。この世界は」
「……すまなかった」
しょぼんと肩を落としたシルウェステルは、やがて顔を上げた。
「ならば、やはりわたしの像も壊すべきではないか?」
「……それはどうだろう」
あたしはあらためてじっくりと像を眺めた。きっとアーノセノウスさんがあれこれ注文をつけたのだろう。像はとてもよく肖像画のシルウェステルにもよく似ていた。
だが、シルウェステルの生物学的母親であるヘイゼルに似ているかと言われると……面影はほとんどない。
「あたしはこのままでもいいと思うけど。というか、あなたの存在を維持するには必要でしょ」
「……あなたがいれば、相互観測で自己は維持できるのではなかったのか?」
「それも本当の事ではある。だけど限度もある」
「どういうことだ」
「必要条件は満たしていても、十分条件はそうではない、というところかな」
眉根を寄せるシルウェステルにあたしは笑いかけた。
「自我、いや人間という存在について再度定義してみようか。――一般的に、人は一対一の関係性しか持たないわけじゃない。多数の他者に囲まれて自己を認識している。つまり、相互認識は基本的に多様なものだ。だのにあたしとあなたのように、一対一の関係性が強制されているとどうなるか?」
「…………多様性が欠如し、一面的な認識しかできなくなる?」
人間は他者との関係性や、外界からの刺激によって刻々と人格が形成されていく。ずっと同じ状態で維持されていることはない。
それはつまり、変質し続けるということだ。
つねに成長し続けていると言いかえることもできるが、互いの観測も残響音が重なり合うように、複雑に絡まり合う。正直、樹の魔物たちの助けを借りても変質の方向性なぞ、完全な予測は不可能だろう。
加えてあたしとシルウェステルの場合、物理的な肉体を持たぬ以上、どこまでその変質が進んでいくかわからないのだ。
それを逆手に取ることもできるのだけれど。




