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EX.金枝(その1)

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 馬を手に入れたアロイスたちがその場に辿りついたのは、帝都レジナが崩壊した翌日の午後だった。


「どうした、ノクス」


 不意に、黒毛の幻惑狐(アパトウルペース)がアロイスの懐からすぼりと顔を覗かせ、きゅうと鳴いた。するとそれに答えるように、一頭の幻惑狐が坂上の繁みから顔を覗かせた。

 だが、降りてくる気配はない。


「あそこまで来いということか」

「どうやら、シルウェステル師とグラミィどのがあちらへ向かわれたというのは、間違いなさそうですな」

「だな。――後を頼む」

「わかりやした。お気を付けて。隊長」

「あんたになんかあったら、おれたちがバルドゥスどのにどつかれますんで」

「……善処しよう」


 苦笑いしつつスコルピウスに馬を預け、アロイスはコッシニアに手を貸しながら坂を上ってゆく。その二人の後ろをちょこちょことついてくるのは、レジナの近くで保護した幻惑狐のうちの一頭である。

 ウェスペルと名付けられたものの茶褐色の毛並みは、コッシニアに整えられてずいぶんと艶がよくなっていた。


 もちろん、コッシニアも幻惑狐を道中思う存分なで回すためだけに、アロイスたちに同行しているわけではない。

 そもそも機動力を重んじ、ランシアインペトゥルスの騎士たちのみで編成された偵察隊に、魔術師の同行を決めたのは隊長であるアロイスである。

 が、船団の魔術師の中でも――ランシアインペトゥルスの魔術師に限ってもその数は多いのだが――、偵察隊の一行に同行者として選ばれたのはコッシニアのみであった。

 アロイスと同じ道を歩む者という、その立場も忖度(そんたく)されていないとはいわぬ。が、相応の理由の方が大きい。


 放浪生活の長かったコッシニアは、ひ弱な学院育ちの魔術師に比べ体力があり、強行軍にも耐えうると判断されたのが一つ。

 他の魔術師と比較しても近接戦闘能力が高いと判断されたのが一つ。

 もちろん魔術師である以上、彼女とて騎士のように武器の扱いに習熟しているわけではないが、魔術を用いた対人戦闘にも慣れており、攪乱技術も高い。

 加えて複数の杖を使いこなすその戦闘方法には、顕界までの時間が極めて短いという特徴がある。

 遠距離から悠長な詠唱で攻撃をする、一般的な魔術士団の戦闘方法しか知らぬ騎士の中には、初めて見たときに唖然とした者も多くいたほどである。


 おまけに、コッシニアは馬に乗ることができた。

 もともと馬は、よく訓練された軍馬でもなければ、放出する魔力(マナ)の多い魔術師に怯える。背に乗せることなど到底できない。

 それはつまりほとんどの魔術師は馬に乗ることができないということでもあり、彼らが陸地を移動するのであれば、馬車が必要になるということでもある。

 が、彼らは馬車といってもいまだに荷馬車しか入手していない。いくら魔術という代えがたい技術を身につけていても、そのようなお荷物は連れて行く方が厄介なものとなる。

 しかし、アダマスピカ副伯家に生まれ育ったコッシニアは、馬に怯えられることこそ魔術師の(なら)いではあったが、馬術そのものはたしなんでおり、怯える馬を宥めることにも慣れていた。

 ならばアロイスが相乗りさせてしまえば、一行の足は鈍らずに済むというわけだ。


 なにより、同行者として彼女を余人と代えがたいものとしたのは、かの一角獣(ウニコルレノ)と会話が可能であることだろう。

 もともと骸の魔(スケレトゥス・)術師(マギウス)が、初めてかのマレアキュリス廃砦の主と遭遇した場面に居合わせていたのは、死亡したアルベルトゥスと、骸の魔術師ともども所在不明となっているその舌人たる老婆を除けば、コッシニアとアロイスのみである。

 そしていかなるわけか、一角獣に自身の意思を伝えることができる者は、骸の魔術師やその舌人たる老婆の他には、彼女だけであったのだ。

 アロイスですらマレアキュリスの主の心話を聞き取ることはできても、話しかけることはかなわぬのだ。


 迫る夕暮れを前に忙しく動き始めた偵察隊を後ろに、目の粗い川砂のような、踏み込みも滑る足元に難渋しながら坂道を登り切り――二人は唖然とした。

 アロイスすら懐からノクスが飛び出してゆくままに任せたほどだ。


「なんということ」


 コッシニアは思わず口を覆った。


 戦火から逃げ身を隠すため、一時はランシアインペトゥルスの外にまで出たコッシニアは、ランシア川の東岸かなた、トレローニーウィナウロンにも放浪していたことがある。それゆえイークト大湿原も、その周囲を取り巻くなだらかな丘陵も初見ではなかった彼女だ。たいていの奇勝には驚きすらしない。

 しかし、そのコッシニアにすら、あったはずの山陵がごっそりとなくなっている情景というのは、初めて見るものであったのだ。


 ここまでくる間に遠目に見えたランシア山の変容にも、確かに驚きはした。

 が、間近で見るぶん、まるで世界の果てのように抉り断ち切られた山なみ、えぐれて盆地のようになった僅かな平地、そして東のかたに見えるコバルティ海だろうか、残照にかすかに光る水面という情景には、強い動揺を抑えられずにいた。


「コッシニアさま。あれに」


 盆地の中ほどに光るものがあることを、めざとくアロイスが指し示す。


「ええ、まいりましょう」


 アロイスに先導され、コッシニアもまた再び歩みを進めた。


 木々すら失い、山とは呼べない山陵は見通しこそいいが、日は緩やかに西の平野へと近づきつつある。

 が、アロイスもコッシニアも魔力知覚能力が高く、夜目は利く。

 ノクスとウェスペルの足取りはさらに迷いがない。先導するように歩いていた同族に追いつき、追い越し、さらに斜面を駆け下りてゆく。

 それに気づいたのか、他の幻惑狐たちのきゅうきゅうという鳴き声が二人にも聞こえてきていた。


 近づけば一角獣の立ちすくむ側に、金髪の星と共に歩む者(森精)の姿があった。遠目に光って見えたのは、一角獣の枝角と、星と共に歩む者の髪であったようだ。

 が、それどころではなかった。


「グラミィどの!シルウェステル師!」


 コッシニアが走り寄ったのも同然。一角獣の足元には、二人の人物が横たわっていたのだ。

 彼女の後を追ったアロイスも息を呑んだ。


 グラミィと名乗っていた老婆の身体には、傷らしい傷は認められない。

 が、老婆を庇ったとおぼしき骸の魔術師は……もはや、一見して魔術師とも見えぬ、無惨な様相であったのだ。

 骨のあちこちにひっかかっている黒いぼろは原型すらとどめていない。おそらく魔術師のローブであったのだろうが、その下に着ていたと思しき衣服すら、無傷なものは何一つとしてない。


 骸の魔術師の身体とも言うべき骨もまた。

 頭蓋骨には大きな割れ目が生じ、アエギスの野で激しい損傷を受けたという肋骨は数本が微妙に歪んだまま。ひびの入った腕にそれでも握られていた杖すら、はっきりとへし折れている。

 ここまでくるとむしろ、すべての骨が揃っている方が奇跡だろう。


 だが、それよりなにより、あの骸の魔術師をただの骸骨とはっきりと異なる存在と示していた、あの冬の海や大河のような魔力が全く感じられぬ。

 だからこそ、アロイスとコッシニアは、はっきりと知った。

 ここにあるのはシルウェステル・ランシピウスの遺骨ではあるが、彼らの知るシルウェステル・ランシピウスではない、ただの物質にすぎぬのだと。


 絶句したままのアロイスの前で、わずかに息の通っていたグラミィの胸が、今、止まった。


「グラミィさま!」


 コッシニアが必死に飛びついた。戦火をくぐる中見覚えた蘇生術をほどこそうと胸を押し、背を叩き、なんとかして呼び生けようとする。

 が、現実はあまりに冷厳だった。老婆からも、彼女を生者たらしめていた魔力が抜けていく。二人にははっきりと感知できてしまった。


 コッシニアが膝から崩れ落ちた。

 衝撃に打ちのめされたのは、ともに手を尽くしたアロイスもだった。

 シルウェステル・ランシピウスとその舌人の死亡は、あまりにも大きな打撃だったのだ。


 現在スクトゥム帝国攻めに加わっている者のうち、いやランシアインペトゥルス王国に、いやいやクラーワ地方やグラディウス地方にいる者の中で最も高い闘能力の持ち主は誰かと問われたならば、アロイスは間違いなくシルウェステル・ランシピウス名誉導師であると断言しただろう。

 アロイス自身、シルウェステル師には手もなく押さえ込まれたことがある。騎士にすらそのような負け方をしたことのないアロイスにとって、骸の魔術師がいかなる相手であっても負ける姿など、想像すらつかなかったものだ。

 それが、失われたのだ。


 かの魔術師がいればこそ、当然のようにランシアインペトゥルスへの帰還は無事に行われると信じていたのだとアロイスは気がついた。

 洋々とはしておらずとも、しっかりと道筋が見えていたはずの帰途。それが不意にひとすじの糸のように、いつ絶えてもおかしくはない、たよりないものに感じられてならなかった。


 呆然としていたアロイスの脇で、一角獣が動いた。

 魔術師の割れた頭骨にそれまでずっと鼻先を押し当てていたのだが、頭を上げるとそのまま向きを変えたのだ。


「廃砦の主さま、どこへ行かれるおつもりでしょうか」


 コッシニアのよびかけに、一角獣は一瞥を返した。


(もう用はない。ゆえに帰る)

「帰ると?!」

(ここにあいつはいない)


 断言に悲しみが揺曳しているのにコッシニアは気づいた。


「お待ちを、一角獣どの」


 アロイスはコールナーの前に出た。彼とてコールナーの悲しみを感じ取っていないわけがない。

 シルウェステル師が二度目の死を迎えた以上、一角獣をひきとどめておく方法などないことも。


 一角獣は――いや、幻惑狐など他の魔物たちも――人の世にも国同士の戦いにも関心はない。当然のことだ。

 だが、ここで魔物たちにまで離れられては、味方の戦力はさらに落ちる。


 たしかに魔術による攻撃から偵察まで、骨になってもするどいその辣腕を振るっていたのは、あの骸の魔術師だ。だが彼は、味方に付けた魔物たちの力も巧みに利用していた。

 一角獣がその水を操り、霧を広げ、また晴らす異能を振るってくれたのは、骸の魔術師個人の機動力を担っていたのは、シルウェステル師がそのように頼んだからである。

 幻惑狐たちが戦闘で敵兵やルプスどもを惑わし圧倒的な人数比を逆転させ、勝利を導いてくれたのも、また。


 それでも幻惑狐たちはまだいい方だろう。懇切丁寧に世話をしてやれば、ずいぶんと懐きもする。あの骸の魔術師をさらっていこうとしたほどに、代えがたいものとしてこちらを認識してくれているかというと厳しくはあるが、それでも戦闘の最中、敵から身を隠すためにその異能を振るってくれた覚えは、アロイスにもある。

 だが、一角獣はただただ骸の魔術師とともにいたいという一心で、彼の領土であるアルボーの湿地を離れ、一万ミーレペデースは離れた異国の地まで追ってきた。

 その助力はシルウェステル師の存在あってのものだったのだ。


 だがなんとしてでも、留まってもらわねばなるまい。

 そう決意したアロイスがコッシニアに通訳を願おうとした時だ。

 ヴィーリと舌人の老婆に呼ばれていた、星と共に歩む者が進み出た。


風は流れゆく(当然のことだ)。されどその流れ、しばし留まれ」


 アロイスとコッシニアは驚愕した。コールナーすら、意外そうにその首を傾げた。


(森よ。なにゆえに?)

「彼の者の願いだ」


 森精の視線は、破壊された骸骨に向けられていた。

 その手に黄金色の枝があることにアロイスは初めて気がついた。


「死者と――完全にマリアムの奥津城に戻られた、シルウェステルさまの声を聞かれたのですか?!」

「名残は骨に留まらぬ」


 コッシニアの問いに、ヴィーリは細枝を示した。葉や芽のみならず、その折り取られたとおぼしき断面すら黄金に輝くさまは、しかし作り物とは見えなかった。


「人よ。何を望む?この星々ならば何を望んだ?」

「――ひ」


 二人は息を飲み込んだ。


「人の命を惜しみ尊ばれたシルウェステル師なれば、我らが無事戻れるよう、お力を尽くされたと存じます」

「もしわたくしどもが願いをお聞き入れいただけるのならば、マレアキュリスの主に、そしてまた双尾の小さき友(幻惑狐)たちに。どうか、シルウェステル師とその舌人、グラミィどのの御遺骸を、ランシアインペトゥルスにお連れいたします道中、どうか同行をお願い申し上げたく存じます」


 必死の訴えに、ヴィーリはゆっくりと頷くと黄金の枝を掲げた。

 一角獣の枝角に枝を触れあわせると、角が淡い金色に光り輝いた。それは魔力の光、並の者の肉眼では見ることのできない美しい情景だった。


(……理解した。帰る。ただし、群れと共に)


 一角獣は身震いをした。


「船に彼を乗せよ。幻惑狐たちの助けもあれば、海を通り帰還はかなうだろう」

「承知しました。――ご助言、ありがたく」


 アロイスは騎士の礼をした。あの骸の魔術師がどのように森精へと意思を伝えたのかはわからぬ。しかし森精が一角獣を説得してくれたのならば、帰途の困難は減る。


「しかし、星と共に歩むお方は、いかがなされるおつもりでしょうか?」

「風がゆく」


 そう言い残すと森精は樹杖を構え、空へと飛び上がった。

 見送ることしかできぬ二人は気づかなかった。

 幻惑狐たちの足元で、今し方一角獣の背から落ちた樹の魔物たちが、うっすらと黄金に染まった若芽をつぎつぎとほころばせていることに。

切りがいいところまでなので、短いです。

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