EX.誰もいない森で木が倒れた音はしたのか?
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
今年も『こんな異世界転生はイヤだ!』をよろしくお願いします。
「これはまた」
迷子の幼女のような、必死の叫びを黒ローブは鼻で笑った。
「愛してくれないやつはいらない?自分が愛そうと思っちゃいないから出てくる台詞だねえ。告らせた方が勝ちとか歪んだマウンティングでも信じちゃってんの?それとも世界ガチャでリセマラでもする気かい?」
「がちゃ?りせまら……?」
「ああ、あんたの世界にはまだなかった言葉かな。自分に都合のいい目が出てくるまで、何千回何万回の試行とリセットをマラソンのように繰り返すことだ。――が、そんなことをあたしがさせると思う?」
「邪魔する気?」
「それはこっちの台詞だ」
鏡映しのように睨み返され、女怪はかすかに喉をひくつかせた。それは首にある口の引き攣れだったかもしれないが。
「ていうか、あんたの存在自体が邪魔」
「な……」
「あたしにも情ってもんがまだあったらしくてね。この世界で多少なりとも縁のあった人たちのしあわせぐらいは願いたい。そいつにあんたはいらない。むしろ害になる」
横目で見回せば、一度は闇色も褪せて明るくなっていたというに、あたりはまるで黄昏どきでもあるかのように、再びじんわりと暗くなりつつあった。
「見てわかんない?ただでさえあんたがやらかした疑似ループのせいで、他の世界との関係はむちゃくちゃだ。――もっともあんたにとってみれば、乱れに乱れたこの状態は、自分じゃ手の届かなかった世界とこにまでちょっかいをかけられる好機だったかもしれないが。迷惑なんだよ」
「迷惑ってなによ」
怯みながらもヘイゼルは叫んだ。
「勝手に落ちてきて引っかき回して。この世界があたしのものでもないというのなら、それと同じくらいあんたのものでもないでしょう!」
「ああそうさ。だから、こいつはあたしの我が儘だ。世界にこれ以上傷を入れないため、決着をつけるならこの世外のはざまでやっとこうと思うくらいにはな。それにも文句があるというなら、出ないようにしてやろうじゃないの。この己喰ライ」
「なにをする気!あたしが己喰ライというなら、あんたなんか自分喰ライ喰ライでしかないじゃない!」
もはやその叫びは自身にも悲鳴のようにしか聞こえなかったが。
「あたしも喰らっといて、自分だけ罪もないようなふりなんかさせない!あたしは生きたい!死にたくない!」
「とか言ってるけど、これまで通りに生きられるとでも思ってんの?」
薄い冷笑に悲鳴は跳ね返された。
「ハッピーエンドのその後まで続く、愛され人生の繰り返しなつもりだったんでしょ?だけどそいつは偽り、魅了でのまやかしだった」
「ならばどんなに悔い改め、全身全霊で向かい合ったとしてもその魔眼がある限り、あんたは二度と愛など信じられない」
「なぜなら『愛している』という一番欲しい言葉さえ、魔眼で魅了されたがために言われたのか、それともあんたという存在を本当に好いてくれたからこそ、心を伝えてくれたのか。区別がつけられないのだから」
「やめて!」
黒ローブの口が。自分の耳の周りにある複数の口が。てんでに毒を滴らせる。
すべて事実であるだけに弾くこともできず、突き刺さる毒に女怪は悶えた。
「ああそれとも……、とりあえず魔眼でも捨ててみる?だけど魅了されて最初から好意的な相手との接し方しか知らないあんたが、ちゃんと生身の相手と向かい合って愛し合い、死ぬまで幸せに暮らすなんてできるのかしら?」
「どっちかというと、相手の何もかもを知っていると思い込んでまとわりつき、うざがられる様子が今から目に見えるようなんだけど」
「やめてって言ってるでしょぉ!」
「だってあんたを誰も愛しちゃいないんだもの。あんただって誰も愛しちゃいなかったんだもの」
すすり泣いても追及の手は緩まない。
「あんたにとって真実の愛というのは、自分にだけ愛を向けていてくれた者への好意でしょうが。せいぜいが、お気に入りの道具への感情。相手がイニフィティアヌスという特定の個人じゃなくてもよかったんでしょ?」
「生きてきたというけれど。魔眼で操っていたイニフィティアヌスに守られ無能になるほど庇護されてた状態でのことでしょ。保護者がいないのに、どうやって自分でこの世界で生きていけると?」
耳を塞いでも声は浸透する。
なぜなら、いまだにヘイゼルは黒ローブからその半身を生やした状態のままだったからだ。
流れ込むのは言葉だけではない。イメージもだ。
泣き叫ぶ矮小で醜悪な幼子。
無数の触手を伸ばし、当たるを幸い周囲の地球によく似た青い星を削り喰らう巨大なブラックホール。
欲しい欲しいとわめき立て、餓えきった牙をがちがちと噛み鳴らす無数の顎の集合体。
「……なに、これ」
声がかすれた。
「なんで。こんなものを見せる」
「あたしから見りゃあんたはそうとしか見えないってことさ」
「あんたのせい……なの?」
怒声が失速した。
女怪の両腕を掴み止め、薄ら笑いを浮かべたまま黒ローブは。
いつしかその両目から血の涙を流していたのだった。
「さぁてここで問題です。戦争を知らぬ一般人を戦士にするために、戦場に放り込む必要があるとしたら。キラーマシーンを一般人に戻すにはどうしたらいいでしょうか?」
その口調は依然として軽い。血涙とはそぐわないほどに。
が、不意に妖女は苦悶の表情でのけぞった。そのすべての口から悲鳴が漏れたのは身内を灼く強力な酸のような激情のせいだ。
「はーい時間切れー。正解はその心を柔らかくしてやること。……歴戦の戦士が人を殺して心を動かさないでいるのは、慣れや自己暗示による麻痺だ。それを惨劇の場では心理的ショックに呆然と立ちすくみ、次の犠牲者候補になってしまうような反応を示す『正常な一般人』に戻すのは基本的に不可能」
どんなにラポールを構築しても、相手の認識の枠組みが歪んでいれば固定化した観念を治すのは難しい。
「それも記憶喪失にでもなれば話は違う。なぜなら人格というのは経験記憶から構築されるから。つまり、記憶という不確かで曖昧なものに、その人間の自我のあり方は左右される」
「だけど今のあたしとあんたは相身互い。互いを食い合うだけの不毛な食物連鎖でがっちりつながりあっている。だからこんなものも用意できる」
「特別扱いが好きなんでしょ?あんた専用の混沌録だ。この世界であたしが何を識り、何を感じたか、我が身のこととして味わいな!」
自分が、自分の一部が、自分のすべてが打ち砕かれ、謗られ、嬲られ、貶められ、暴かれ。
廃棄され、燃やされ、埋められ、なかったことにされていく。
つらい、苦しい、死にたい、のたうち回るほどの嘆きが。
なんでこんな目に遭わねばならないのかという答えもない混乱が。
何もできなかったという無力感が、悔悟が。
ドロドロと世界すべてを埋め尽くす、溶岩のような加害者と傍観者への怒り恨み憎しみが。
怒りの中に含まれた自己理解と表裏一体の自己嫌悪が。
――そして、それでもなお愛されることだけを願い続ける赤子への哀れみが。
「あたしを喰うというのはこういうことさ。毒も栄養も知識も経験も、あんたの中で眠らせはするものか」
囁く両目から滴る血の涙は、いつしか道化師の化粧のような紋様をその顔に描いていた。
「なんで……なんでこんなことをする!これが食物連鎖というなら、あんたが捕食者とでも言いたいの?!」
「いいや。強いて言うなら分解者でしかないよ。あたしはね」
道化師は言い切った。
「言っただろう。あたしを喰うというならどんどん喰え。おのこしは許さない、丸ごと喰えと。ただあんたはこれまでどんなに他の世界の自分自身を喰らっても、一ミリも成長しなかった」
「身体も魔力も収奪し消費するだけでは飽き足らず、絶望に落とし、それでも成長しない理由として考えられるのは二つ。学習能力自体がないか、成長を拒絶しているか」
「だけどやりあっている間に、自分に不利があるとわかれば反応を見抜かれないように抑制するくらいの学習能力があるってのは見せてもらった。――ならば、成長しないこと、未熟であることをあんたが選び続けてきたということになる」
「それでああおもしろかったと、娯楽として消費されただけというんじゃ、あんたに喰われた者たちがあまりに報われない。何億という自分自身を絶望に染めて喰らったくせに、ドラマを画面越しに流しているような関わり合いしかできず、成長しない子どもであり続けることを選んだくせに、女として求められることを望んでいる、満足を知らぬあんたも哀れだ」
黒ローブは目を伏せた。
「ヘイゼル・ナッツ。あんただって少なくとも、この世界に落ちてきたときには未成年だったんだろうね。それに不釣り合いな身体を組み上げたのは大人への憧憬かどうかは知らないけれど」
「なんで、そんなことが――制服が理由か!」
「ああ。送り込んだあたしの推論を読み取れたわけ。――そのとおり。二十代も半ばを過ぎてたら、普通は高校の制服を着ろとか羞恥プレイなレベルなの。別にイタかろうが服装の趣味はその人の自由だけれど、何に固執しているか、どういう精神性向を持っているか、読み解く材料としちゃ十分だ」
「だったら喰われてやろう。ならば学習させてやろう。――変わらざるを学びによって成長させ、識らざるを啓き」
「さいわいと言うべきか。あたしは樹の魔物たちの混沌録にダイブしたことが何度かある。その時他人の経験や感情を我が物とするというのが、どういうものかを識った。だったら同じクオリティで体験させてあげようじゃないのとね」
「だって、それは」
知識を流し込まれている白いワンピースにも理解はできた。それは他者の記憶に激情に自我を侵蝕されるのと同義だと。
相討ち前提の、人格がすり切れる危険性のある自爆攻撃でしかない。
だのに黒ローブは笑みを崩さなかった。
「由緒正しい一寸法師攻撃でしょうが。そうやって、あんたという存在を祓ってやろうってね」
「……祓う?」
喰われた者が喰った者を内側から攻撃するという意味はわかるが。
「無理でしょ。祓うとか。あんたみたいなニンゲンにできるわけないじゃない」
「へえ?根拠は?」
「たしかにあんたの攻撃なんて効かない、なんていわない!経験を無理矢理にでも吸収させられてるってこともわかってる!だけどそのおかげで、そっちの人生がおきれいなものじゃないことだってわかった!」
そもそもあれほど重い殺意を己にも他者にも向けられるような人間が、他者を浄化できるほど清いはずがない。
「きれいじゃないのに祓い清められるわけがない。泥と血にまみれた人間が聖なるものが扱えるわけがない。聖別などできないくせに。むしろ祓われる側でしょうよ」
だが、道化師のおもては動揺を見せなかった。
「あいにくだが。祓いの定義が違うなあ」
「違うって、なにがよ!」
女怪は憤激した。道化師の笑みにも憐憫が混じっていることに気づいたからだった。けれども動揺の欠片も見えない意味までは考えが及ばなかった。
「なんで『聖なるものがなけりゃ祓えない』って思うのかって話だな」
「だって」
「あたしも、あんたも、物理的なモノしか存在しないという世界にいた身だ。わかるだろう?」
「ただの塩化ナトリウムや水に悪しき者を退散させる力はない。しめ縄は藁で、清めの酒は醸造アルコール。神像や仏像の材料は材木や金属だ」
「だのに、十字架が吸血鬼を退治できるのはどうしてか?それが『聖なるものであり』『そうであるのが当然だ』と認識されているからだ」
「そして『かくあるべし』という思い込みは観測結果すら歪める。観測できない現象は存在しないのと同じ。――逆に、観測者がありさえすれば、冤罪はたやすく生じる。スケープゴート一直線。そのことはお互いイヤというほど知ってるよね」
だが、その目は。
おのが目すら貪るための口に変えた女怪ですら震えるほど、その目は闇黒月の影より遙かに昏い虚を確かにはらんでいた。
それも一瞬、諧謔の色に変えて。
「ただでさえやたらと高い妄想力でサブカル系の戦闘能力だけは天元突破してるからねえ、日本人ってのは。なにせ洒落怖な怪異すら、お前も萌えキャラに観測してやろうか攻撃で書き換えちゃうのがお家芸というね。――だったら、半分はそれを受け継いだあたしたちにもできないわけじゃない?」
人は邪神悪神祟り神であっても、祀り上げることで御利益のエネルギー源に変えてしまう。たとえ祟り神の出自が露わとなるいわくつきの土地でさえ、祀ってしまえば御利益をもたらす福の神ゆかりの地。
逆に異教の神を取り込んで悪魔とするも神の一柱とするのも思いのまま。
つまり、祀り上げてしまえば――福神なら福神と、神の敵なら敵だと観測してしまえば――神のような存在すら変質させられるということでもある。
「そもそも今のあんたの全身口だらけスタイルだって、あんたが自分自身の本質をそう観測したから、そのような形に収まっているにすぎない。――並の生物なら、いや人間なら全身に口と胃につながる食道がランダムに配置されているなんて造形、いくら突然変異で生じたって最初から生存に適してない以上、短命個体にしかならない。たとえ幸運にも生き延びたとしても、この闇黒月の中でもなけりゃあ選択圧ですぐに消滅するでしょうよ。というか、あたしもあんたも、もう物理的実体なんてものはほとんどないんだけどね?」
「何を証拠に」
女怪は動揺した。黒ローブはいっそ無邪気なまでの口調でこたえた。
「気づいてないの?お互いに喰らいあうなんてこと、生身なんかじゃできっこないってことに」
「っ」
「そもそもあたしはお借りしている骨がある。最初っから概念体に近い存在になってたのは百も承知だ。だけどあんたはなぜ気づかなかった。自分自身しか食べなかった時に」
「離し、てっ」
「何回ループを繰り返したかわからないが、そのたびごとにイニフィティアヌスはいたんでしょ?」
女怪は身を引こうとした。だがその両腕はがっちりと黒ローブに掴まれていた。
「確かに最初この闇黒月へとあんたを送り込む術式に魔力を捧げたイニフィティアヌスの身体は失われた。だけど疑似ループを続けていれば、無数のイニフィティアヌスと出会ったんじゃないの?」
「小泉八雲を引っ張り出してくるまでもない。三大欲求ってのは互いに近いところにあるのかね、蛋白質の消化吸収ってかたちであれ、相手と一体化しようとするカニバリズムがやたらとエロと結びつくのは」
「永遠に一つになるんだとか綺麗な表現を包装紙がわりにして、至上の愛の形と考える者があんたの世界にもいたんじゃない?――だったら、なんであんたは、自分じゃなくイニフィティアヌスを喰らおうとしなかったのかって話だよねぇ?」
女怪の腕につぎつぎと口が開き、黒ローブの腕に噛みつき、舌で押しやり、引き剥がそうとした。
だが傷口から滴る血を浴びると、新しくできた口は白煙とともに溶け、作り替えられるとてんでに黒ローブの言葉を吐き出していく。
「考えてもみなかったという顔だねえ。だが思いつかなかったんじゃない。思いつこうとしなかったんだ。考えないようにあえて意識を閉ざしていたんじゃないのかい?」
「なにせ、イニフィティアヌスの存在はあんたにとって不純物だ。概念体である以上、他者――異物を自分の中に取り入れたが最後、自己同一性崩壊の危機ですよ?たとえ別の世界の存在であれ、イニフィティアヌスを取り込もうととしなかったっていうのは、不純物が混じるのを嫌ったせい。……それをうすうす悟っていたんじゃない?」
「だったら話は簡単だ。怪異凶神の無力化は換骨奪胎、書き換えによる祀り上げで別物に変えることで行われる。聖なるなんちゃらなんて特殊装備はいらないの。ミーム汚染は十分不可逆――あんたもあんたじゃない存在に変えてあげられるのよ?」
「この……くそばばあ!」
みるみるうちに女怪は悪鬼の形相に変わった。
「ああ、そのへんもようやく取り込んだんだ。到達おめでとうと言ってあげようか」
黒ローブは鼻で笑った。
「言ったでしょう?あたしとあんたは相身互い。自分ならば自分の弱点をよく知っている。自分ならばどこをどうつつけば崩れるかわかっている」
「おまけに攻撃は相手の弱点を見抜くいい材料ってのは確かだけど、口撃――罵倒にも同じ事が言えるって知ってた?」
「罵詈雑言のたぐいってね、たいていその人間の感情論と価値観でできてんの。その中で負の値がついていると思うから口に出してると思や、きちんと聞けばいい情報源さね。相手の内面剥き出しだぜ?差別意識もお花畑脳も、猜疑も嫉妬も脳天気っぷりも。……そして劣等感と自己嫌悪も」
ここからが本番だと言わんばかりに黒ローブの笑みはより凶悪なものとなった。
「妄想戦闘力5の高モンスターレベルなんて、耐久性のいい、殴りがいのあるサンドバッグにしかなんないのよ」
「……」
「それに、物理法則を中心とした世界の理から遠いこの闇黒月が、観測者の魔力を始めとした精神的要素に大きく左右されることも理解した。そのせいでここがヘイゼル、あんたの内的世界――心の中に極めて近いことも」
「だったら、なぜ物理にこだわった!なぜ火球をぶつけてきたりした!」
「もちろんグラミィがいたからに決まってるじゃない」
当然のように道化師は断言した。
「グラミィもまた観測者である以上、その観測は彼女の常識の範囲内で行われる。ここを闇黒月の中とすら知らなかった彼女が、地上での法則が有効という前提で観測しているのはわかってた」
「だったら、それを固定してやれば、あんたはただの魔喰ライの一変種と彼女は認識する」
「あんたもわかってたんじゃない?彼女が視線を切らない間、ずっと魔力でなんとかなるレベルでしか、物理法則を裏切れなかったって」
「とうにあんたは詰んでいた。グラミィを、あたしをこの闇黒月へと取り込んだ段階でね」
恐怖がヘイゼルの顔に貼りついていた。それに黒ローブの人物はいっそ穏やかににうなずいた。
「ヘイゼル・ナッツ。とうにあんたは狂っていた。自己肯定飢餓感――愛されることへの餓えと、強迫観念に近い自己保存への餓え。その二つに支配されて」
「だけど今のあんたは、それ以外の感情を取り戻した。だから、自分のしてしまったことの重たさもわかるはず。――罪に応じた罰の重みもね」
「いやあぁあっ、死にたくないっ!」
身も世もない叫びを全身から吐き散らしながら、女怪は逃げだそうと身をよじった。そのたびに道化師のおもてははげしく揺さぶられた。いまだに白いワンピースの裾は、その頭蓋骨の割れ目に挟まったままだったのだ。
黒ローブは両腕の拘束を片手にまとめようとした。だがそれは女怪の片腕を解放することにもなった。
掴まれたままのもう片方をはずそうと、女怪が黒ローブの手を殴り、こじ開けようとする。
させじと道化師が女怪の手を弾き、顔に手を伸ばせば、もとからあった口ががちんと牙を噛み合わせる。
無言の滑稽なインファイトキャットファイトのさなか。
強くワンピースにひっぱられ、のけぞった道化師の額に女怪の手が振り下ろされた。
その手に開いた口ががぶりと噛みつくと、黒ローブの魔力をすさまじい勢いで吸い取り始めたのだ。
「どうよ。あたしだって、あたしだってねぇ、やられっぱなしじゃないのよ!」
ヘイゼルは狂女のように叫んだ。
「これがあんたのやり方でしょ!あたしがあんたで、あんたがあたしだというのなら、あんたがあたしを消滅させようというのなら、あたしが先にこうやって消滅させてあげる!」
肉が剥がれ、額の骨が剥き出しとなり、みるみるうちに風化していく。
だが、道化師のおもては、砕けながらもはっきりと嗤った。
「最後の前提条件も満たしてくれて、どうもありがとう?」
言葉をかき消すように、鈍い異音がした。
白いワンピースの、そのみぞおちから。一本の手が生えていた。




