EX.観測されぬ苦闘
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
新章開幕です。
なお、異形の描写が前章よりどぎつくなっていますので、ご注意ください。
苦手な方はブラウザバックなど適切にご判断ください。
薄暗かった中空が白々と明るくなっていく。いや、褪色していくのだ。
それがこの空間に貯留されていた魔力ほとんどを使い果たした名残だと、立ち尽くす者だけが知っていた。
(つくづく、グラミィに見られずにすんで助かった……)
黒ローブの人物は杖を拾い上げた。
フードを深く傾けたまま周囲を見渡せば、青い炎にいくつかの塔が崩れ去っていくところだった。
蒼晶を撒き散らしたせいで地平線、いや踏みしめる地と文字通り地続きの空にまで青い炎は広がっている。
そのせいで、この空間が明るくなってしまっている。
望遠鏡術式などを使えば、塔がどのようなものなのか、くっきりと見えてしまうほどに。
グラミィがもし見ていたならば、きっと地獄にしか思えなかったであろう情景が広がっているのが。
だからグラミィの意識が遠くに向かぬうち、周囲を光球で取り巻き、近くしか見えないように小細工を重ねた。
さらにその上で空間を隔絶し、もといた世界に送り還したのだ。
この闇黒月の中において、物理と精神の影響の大きさは地上と逆転するといってもいい。しかし問題は、生身の人間には、自身の精神力を外部に影響を与えるような形で操ることが困難だということだ。
それは、魔力を操る魔術師にもいえること。
たとえていうなら、紫外線や赤外線を人間が視覚で感知することができないようなものだろう。それゆえに対策が後手に回り、重度の日焼けや熱中症に陥るように。
しかしそれは、たとえ当人はスペック的に感知不能であっても、温度計などなんらかの外部センサを活用すれば対策がとれるように、適切な手助けがあれば、必要なツールを使えば、いくらでも乗り越えることができるものだった。
魔力という形でしか認識できなかった、人間の意識のありかた――精神体に働きかけることすらも。グラミィ自身に身体から精神体を引き抜かせることすらできたように。
黒ローブが立ち止まったのは、紅金、蒼銀、そして漆黒の三重円が溶け合い、暗紫の球体となった場所だった。
確かに、シルバーコードというつながりは、元いた世界への道しるべとなる。この世界とは異なるとはいえ、平行世界へ人一人の精神体を飛ばすことすら可能となるほどに。
だが、ただ正しく戻すだけでは足りない。黒ローブはそう考えていた。
眠りを知らぬ身体ゆえ、夜ごと寝ずの番をしてきたからこそ、たった一人の運命共同体が夢にうなされていたことも、何を嘆いてきたかもよくわかっている。
リストカットをしていたことも、その行為をしなければならないほど追い詰められていたことも知っている。
ならば今度は。今度こそは、少しでも良い方向へと進んでいけるように。
シルバーコードを初めて認識したとき、願いは形となった。
シルバーコードという名とは裏腹に、それは一本の紐のように単純な形ではなかったのだ。
神経細胞のような形というよりむしろ、無数に枝分かれしているさまは、その色合いもあいまって、析出された銀樹のように見えるほどだった。
さすがに驚いたが、平行世界のありかたを考えれば、すぐに腑に落ちた。平行世界は無数の分岐点によって発生する。正確に言うなら観測された分岐点によって発生するものだ。
ならば観測された分岐点の数だけ、『グラミィとして観測されてきた存在』が戻りうる平行世界というものも、存在していておかしくはないのだと。
つまり、戻る世界は、そしてグラミィの未来は選べる。
ならば当人が選べる余地をさらに広げてやればいい。
グラミィのシルバーコードの中で最も太いつながりのある世界を特定すると、細心の注意を払ってさらにその時間軸を遡った。5年前まで辿り送り込む時点を特定すれば、あとは本人に精神体と身体を分離させればいい。
ついでにちょっとした細工を施しておいたが。
(グラミィが知ったら怒るかなー。『なに勝手なことしてくれてんですか!』とか……あ、いや、『また無茶なことしないでくださいよ!』の方かも)
思わず身を震わせて見下ろすのは、倒れ伏しているのはグラミィ……の身体だったものだ。
いや、元を考えるならばヘイゼルの身体というべきだろうか。
だが注視すれば、その生死は明らかだ。
(……まだ生命活動を維持できるのか)
かすかな呼吸音に、半ば呆れたような呟きが漏れた。
ヘイゼルがいくつでこの身体を放棄し、闇黒月の住人となったのかは黒ローブの人物もわからぬ。
だが、外見を見ても相当な高齢であることはわかる。
それが一年以上、ともに大陸の各所を転戦したのだ。酷使によく耐えていたのも、その中に入っていたグラミィが意思を通し、魔力を制御していたためもあると思われた。
が、グラミィの精神体が抜けた以上、ここでの末路は知れている。老衰に追いついかれて、そのまま生命活動を停止し、やがて消滅できるならまだいい方だ。
ならば今のうちに始末をすべきだろう。
立ち上がった人影は、とんと片足を上げて地を踏んだ。
とたん、空蝉の身を取り巻くように漆黒の円環が生じる。
人影が手をかざせば、その内側を極細の曲線が幾条も同時に走り回り、円を塗りつぶしていく。人体であろうがなかろうがお構いなしに。
そしてすべてが黒々と、まるで凹凸一つ見えない平面のように、完全に黒々と染まった途端。
漆黒の円は消え失せていた。上に乗っていたはずの、抜け殻ごと。
(これでよし。突如グラミィが消え失せたことになる矛盾も解消されたな)
観測されなかった事象は、存在しなかったのとほぼ同義となる。地上から一時グラミィが消失したという事象も、誰も見ていなければ、そんなことはなかったと言い切れてしまうのだ。
問題は、観測者をほぼゼロに持っていくためには、この身一つでするべきことをやらねばならないということだったりする。その負担たるや、軽くしてくれたものの存在に満腔の感謝を捧げずにはいられない。
黒ローブは天空を仰いだ。
青い炎に照らし出され、とうとう最も暗かった天頂のあたりまで光が満ちていく。
色が褪せたせいもあるとはいえ、予想よりもずいぶんと早い。
周囲が明るくなれば、それまでの薄暗がりに隠されていたものが露わになってゆく。
今も青い炎に崩落の止まぬいくつもの塔は、人体部分の組み合わせ。
そして地続きの空を背景に中空高く、まるで闇黒月そのもののミニチュアでもあるかのように黒々と浮かんでいた塊はといえば、人間の頭部をいくつも寄せ集めたもの。
いずれも右足は右足、左腕は左腕と丹念により分けられ、組み合わされたものだということがわかる整然とした配置が、かえって深い狂気を感じさせる。
しかし、すべてを狂気の沙汰に帰因させるわけにもいかない。
あまりに整然としすぎている理由には、同じ部位のパーツのほとんどが同じサイズだということもあった。
無論多少の誤差はある。しかしその形は、そして恐怖にひきつった表情はすべて、同一人物のものといっていいほどに酷似していたのだから。
(臭いと感触にはグラミィも気づいていたようだけれど、それ以上探ろうと思わないでくれていて助かった)
認識していなければ――観測されていなければそれでいい。
腥臭も足元の粘つきもまた、すべてはヘイゼルの犠牲者の名残であると知ったが最後、グラミィはどんな激烈な反応を見せたかしれない。
平行世界の自分自身の死骸が、ばらばらにされたあげくこうも整然と、そして大量に保管――いや、運用されている様子など、見ないですませられるものならそれにこしたことはないのだから。
黒ローブはおのれの魔力を練り上げ、全方位に強風を発生させた。
蒼晶が光る雪のように煽られ、舞い上がり、さらに遠くまで飛んでいけば、かろうじて残っていた塔もみるみるうちに光に染まり、崩落するものの仲間入りをした。
魔力を奪われ、物体としての存在を維持できなくなっているのだ。
満足げに孤影は頷いた。
が、思ったよりも風は早かったらしい。黒ローブのフードが落ちた。
孤影は慌てたように抑えかけ――苦笑すると後ろに払いのけた。
グラミィに見られなくて助かったものの一つとはいえ、もはや大仰に隠す必要もないだろう。
露わにした自分の顔がどうなっているかは、鏡など見なくてもわかっている。
指すらぼろぼろと、乾いた粘土がひび割れるように肉が剥がれているのだから。
(この身体を作った時のように、激痛があるかと覚悟はしたけど……崩壊する時には神経から壊れるのかな。痛みを感じなくてすむのは助かるけれど、いまいちよくわかんない法則だ)
どこか他人事のようにひとりごつその顔も、半ば髑髏に戻っている。
精神体のみとはいえ、異なる世界へ人一人飛ばすというのは、それだけ難事であったのだ。
闇黒月に貯留されていた魔力のうち、すぐさま使えるものは大気中に蒼晶が放出したものと、ヘイゼルから浴びせられ、魔晶へと変換したもの。
それらの半分ほどを使いきったところで事が成ったのは幸運だった。
これからそれ以上のことをしなければならないのだから。
黒ローブはもはや青い光に満たされた闇黒月の中をひたすら歩き回った。蒼晶を回収するためだ。
すべての塔が青い炎の中に沈んだのを確かめながら、蒼晶を風の渦に包み込みながら移動をつづけるうち、むしろ圧迫感のあった場所はいつのまにか空虚で静謐なものとなっていた。
(準備は、よしと)
人影は右手を挙げると、すべての蒼晶を放った。
最大の狂気の産物、疑似闇黒月へと。
一瞬にして生首の塊が青い炎に包まれた。
黒ローブはそれをただ注視していた。蒼銀月にでもすり変わったような球体が表面から崩れ去り、皮膚が剝げ、肉を失い、骨も灰と砕けていくさまを。
すべての犠牲者の痕跡が失われていくさまを。
燃やし尽くした蒼晶の最後の名残も風に溶けて消え、ようやく人影の肩から力が抜けた時だった。
不意にその動きが硬直した。
骨が裂け、砕ける音が響き渡る。
杖を取り落とした黒ローブがよろめき、そしてその半分ほど髑髏に戻った頭蓋骨の後ろから生えてきたのは――金髪だ。
ぺきんとやたら軽い音とともに飛び出してきたのは女性の顔だった。しかし女性のものとはいえ、人間の顔とは言いがたい。
なぜならその額から後頭部にかけて大きく開いているのは口だ。通常の顔にある口はねじれた牙がでたらめな方向に突き出し、もはや閉じることもできないのだろう。舌がべろりと垂れ下がったままだ。
そして閉じられていた目が開かれた途端。
「「アーッハハハハハHAHAHAはははははは!!!!!」」
哄笑が二重に放たれた。
「バカだねぇ!本当にバカだねぇ!あたしがあんな攻撃でやられるわけがないじゃないか!」
「バカだねぇ!本当にバカだねぇ!わざと負けてみせたのは手口を食らって自分のものにするためだってのに!」
「どういう攻撃をしてくるか、受けてみれば癖も、考え方もわかるってもんなのに!」
「どこを狙ってくるかわかれば、どこを急所と考えているかわかるってもんなのに!」
「「だから攻撃してきたやつの弱点なんて、すぐにわかるってもんなのに!」」
ゲラゲラと。
口に変わっていた目、いや全身に増えた口で交互に嘲罵を繰り返しながら、上半身を引きずり出した女怪は嬲るようにひび割れた頭蓋骨を捕らえ、撫でさすった。
「さあ、うまくやったと思ったらなーんにもできてなかったご気分はいかがぁ?」
「この格好のあたしを倒せばそれでおしまいと思ってたって、考えてないにもほどがあるでしょぉ?」
「ここはあたしの胃袋のなかよぉ?」
ゲラゲラ笑いの輪唱は、だが頭蓋骨の表面からのぞき込んだ時に一瞬で止まった。
肉を失っていなかった口元は、苦痛にか強ばってはいたものの、確かにわずかではあるが失笑していたのだ。
「……ふぅぅぅん。そのくらいは予想が付いてたってことかしらぁ?」
「ああだから、あの古着泥棒を逃がしてあげたわけぇ?」
「わざわざ時間軸までずらしたげたのはぁ、生き直しをさせてあげるためぇ?生まれ変わりたいってのはあんたじゃなかったのぉ?」
「あたしとやりあった後で、一切接触を取ろうとしなかったのはぁ」
「少しでも己喰ライとの接点を減らすためぇ?へぇへぇへぇへぇ」
黒ローブの口元が笑いを消した。
「不安材料を減らすためぇ?賢く考えているようでいて、バカでしょぉ?」
「バカだからぁ、5年前の世界に送り込もうなんて考えるんでしょうよぉ」
「そんなことをしちゃえばぁ」
女怪は嘲笑を深めた。
「そこまで生きてた子を殺すようなものでしょうにぃ」
その言葉は真実ではある。
ただでさえ還っていったグラミィには、戻った地点の彼女に比べ、5年間の生活という優位性がある。加えてこの世界で1年以上大魔術師ヘイゼルを騙って生き延びてきた経験がある。
どう考えても情報量の多い人格の方が、少ない人格を取り込むということになる。人影も予測していたように。
「それにぃ、こうやって今あんたの考えていることを読み取るぐらい、簡単なのよぉ」
「なんで古着泥棒もどうにかできないって思うわけぇ?」
全身の唇をにったりと吊り上げた女怪は、ずるりとさらに引きずり出した身体を蛇のように黒ローブに巻き付けた。
腰までの人体を後頭部から生やしたような形になった黒ローブはよろめいたが、なんとか踏みとどまる。
「「「「「さあ、もう言うべきことはわかってんじゃないのぉ?」」」」」
「あたしに赦しを乞いなさいぃ?」
「おのれの愚かさを嘆きなさいぃ?」
「すべてすべて言葉に変えて」
「その舌が崩れた口では喋れないなんて言い訳は許さないからぁ」
「さぁ」
眉が残っていたならば、黒ローブは右眉を吊り上げたかもしれない。
「『……その白いワンピース』ぅ?これがどぉしたっていうのぉ?」
相棒のように遠回りなところから褒めたたえに入ったか。そう女怪が唇をなめ回したのも一瞬。
「『イメクラのねーちゃんみたいな高校の制服よりゃましだけど、どこにしまってたんだか』ですって!」
「『シンプルすぎて洒落怖系怪異そっくしなんだけど。こんなにセンス皆無な敵とか。真面目に戦ってた身としては本気でがっかりなんですけど』だぁ?!ふざけんな!」
女怪が振り上げた手を弾こうとした黒ローブの手は逆につかみ取られ、殴打は下顎骨をぐらぐらと揺らした。
「決めた。古着泥棒も喰らったげる。絶対に」
「だけどあんたをまず喰らってやろうじゃないの」
「『やれるもんならやってみな?』」
「『ただし、お残しは許しまへんで?』」
「「「「「へぇ……」」」」」
「反撃どころか自分の身すら守れないのによく言った!だったらお望み通り!喰らってやろうじゃないの!跡形もなく!」
「魔力も!人格も!知識も!あんたという存在すべてを!」
次の瞬間。絡み合う黒白のウロボロスから、こらえきれぬ苦鳴が虚空へと噴き上がった。
……あー、間違いなくこれは『こんな異世界転生はイヤだ!』でございます。
ファンタジーというより伝奇ホラーっぽく見えてますが。ええ。




