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閑話 選択の刻

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

「ボニーさん!」


 ヘイゼルの姿が完全に消滅しきる前に、あたしは駆け寄ろうとした。ボニーさんが崩れ落ちたからだ。

 当のボニーさんに手で制されたので、一歩踏み出しただけで留まったけれども。


「だ、大丈夫ですか?」


 声はかけても、それ以上近づけない。

 近接戦闘でやりあった時は、来るなといったら近づくな。魔喰ライに堕ちていたら危険だから。

 そうがちがちに注意を何度もされていたのを思い出したからだ。


「あー、……うん。だけど……あああああ」

「ボニーさん?!」


 用心しいしい声を掛けると変なうめき声が答えた。


「しぃいいいまあぁっったあぁぁああああ……」

「ど、どうしたんですか?!」

「誠心誠意助走をつけて殴りに行く所存だったのにぃぃぃぃい。釘バットも忘れてたぁああああ」


 …………。


「おい。ボニーさんおい」


 差し伸べようとしていた手も引っ込めて、あたしは頭を抱えてうめくボニーさんを見た。半目になりますともそれは。

 しくしくと擬態音を口から垂れ流しつつ、合間に釘バットぉーとか哀れっぽく鳴かないでいただきたい。


「あれだけぼこぼこにしておいて、まだ足りないんですか」

「あーいや、恨みを込めて誓ってたことがやれなかった、ってのが心残りなだけだから」

「……メンタルは知りませんしむしろ知ったこっちゃないんですけど。怪我とかは?」

「だいじょぶかな。とりあえずは」


 いやとりあえずって。立ち上がったところを見れば、たしかにさほどしていないようではあるけれど。


「たしかにダメージはくらったけど。それもいろいろ対応してるしところだし、できてるから」

「ならいいんですけど……」

「いやあ、ヘイゼルがアホで助かったよ。口の中なんて急所にしかならないっての」

「……ボニーさん……」


 邪悪な笑みにさっきまでの攻撃を思い出して、あたしは額を抑えた。

 あたしを喰らおうと精神攻撃をしかけてきたヘイゼルではあるけれど、ほんのちょっぴり同情してしまう。

 あまりにも相手が悪すぎたとしかいいようがないな。うん。


「それじゃ、杖もお返ししときますね」

「……あーごめん、それはもうちょっと預かってて。手も汚れてるし」

「きれいに見えますけど?」

「あのばか、指にまで口を生やしててさ」


 うわぁ。


「取っ組み合いの最中にべろんべろんなめ回されるのって、かなり強力な精神攻撃だと思うんですよ……」


 遠い目のボニーさんにあたしは思わず爆笑した。

 この世界でこんなに笑ったのは初めてかもしれない。おなか痛い。


「笑うなよ」


 むすっとしたボニーさんの顔が、なお笑えてしょうがないんですもん。


「笑ってる場合じゃないんだが」


 だけどその一言で笑いはしぼんだ。声があまりに固くて真剣だったからだ。


「ヘイゼル相手の決着はついた。だからグラミィ、あんたは選ばなきゃいけない」


 いったい、何を。


「戻るか、留まるか」

「……どういうことです?あたしにはまだなにがなんだかわかんないことばっかなんですけど。判断材料を――情報をください」

「そうだね」


 ボニーさんはかすかな笑みを浮かべた。


「まず、戻るっていうのは、どこにですか?ベヒモスまで戻って、コールナーたちと合流を?」

「もしくはグラミィ、あんたがもといた世界……「戻れるんですか!」


 まさか。とっくに諦めていたのに戻れるのだろうか。

 だけど。


「ラドゥーンたちは、元の世界には戻れないとか言ってませんでした?」

「うーんまあ、たぶん、彼らが言っていたのは、こういうことだと思う」


 ボニーさんはくるりと手首を返すと光球を生み出した。


「平行世界はifの数だけ生じるもの。だからグラミィ、あんたのいた世界は、ここにあんたがいる時点で『グラミィがいなくなった世界』と『グラミィが存在し続けた世界』にまず分離した」


 光球が二つに分裂し、それぞれもとの光球と同じ大きさになる。


「そして『グラミィがいなくなった世界』にあんたが戻ろうとするなら、『グラミィがいなくなった世界に戻ってきた世界』『グラミィがいなくなったままの世界』に別れてしまう。……あんたの行動の分岐だけでも、そうやって細かい可能性を全部拾っていくと無数に発生するわけだ」


 二つの光球が四つに分裂しては膨張し、さらに別れる。ボニーさんの言葉につれてそれはどんどん加速していき。

 いつしかあたしとボニーさんはすっかり光球で取り囲まれていた。


「バタフライ効果を考えれば、グラミィが直接関与しないものであっても、砂粒一つどころか大気中に舞う塵の一欠片まで、あらゆる要素が一致しなければ、『もといた世界にある程度類似はしているけれども全くの別世界』であることに変わりはなく、『もといた世界』に戻れたことにはならない」

「……」

「だから、『元の世界に戻ろうとするのは、ほとんど不可能』ということになるのよ――ガイドがなければ」

「あるんですか、ガイド?!てかボニーさんも戻るのは無理、みたいなことを前に言ってましたよね」


 初めて出会った頃、ボニーさんにも可能性皆無というようなことを言われた。世界の壁を越え、別の世界に移動することは、一人の人間の労力でなんとかできるようなもんじゃないと。


「地上じゃ無理だった。逆に言えば、ここならば可能、と答えとこう。ここは、そういう場所だから」

「……なんなんですか。ここ。なんでそんなことができるんですか」

「そうだねぇ……」


 ボニーさんは目を上げてちょっと考えるそぶりをした。


「ヘイゼル風にいうなら『アウリンの中』って事になるのかなあ?悦びの水による再生がないから、どっちかっつーと『キングス・クロス駅』、ってとこかもね。――それだけじゃないけれど」

「意味わかんないです」


 元ネタがありそうなことはわかるけど、知らんがな。

 ごまかそうとしているのでないことは、ちゃんと目を見て答えてくれたからわかるけれども。


「なら、どこかと言い換えよう。ここは闇黒月(アートルム)の中だと」

「……は?」


 見えない月の――中ってどういうこと?地上にいたはずなのに、一瞬にして宇宙空間飛び出したとか。

 さらにわけわかんないんですけど。


「そもそも闇黒月は他の月と違いすぎる。そう言われてたよね」

「ええ」


 あたしは頷いた。ランシアインペトゥルスの星見台で教えてもらったことだ。

 闇黒月が見えにくいのは黒いばかりでなく、どこにどう出るかわからないという理由もあるからだと。

 その時に、天体観察記録も見せてもらった。

 普通の月は東から南を通って西へと動く。

 けれど、闇黒月の記録は、西から東へ逆行したり南から北へと上下運動をしていたのだ。

 絶対こんなのありえない、記録自体が間違っているんだろうと思ってたけれども。


「あのめちゃくちゃに見える軌道がありえる可能性を思い出した。準天頂衛星の動きだ」

「……なんですかそれ」

「静止衛星って言葉は知ってる?」

「人工衛星のことですよね」

「まあ、その一種だね」


 ボニーさんは頷いた。


「放送とか通信とか気象とか、いろんな用途があるけど。要は超広範囲にわたって地表データを観測したり、データをやりとりしたりするためにあるもの。だけど、静止衛星が一点から動かないということは、どうしてもデータがやりとりしづらい、できない地点ができるわけ。――それを潰して回るのが準天頂衛星だと思っておいて」


 黒っぽい結界球とその上を這う光点を作りだしてみせてくれれば、なるほどわかりやすい。


「静止衛星に対し、準天頂衛星ってのはこんなふうに動くのよ。それが地上からは東西南北無差別に移動してるように見えるわけ」

「……なるほど。でも、そのボニーさんの知識が正しければ。人工衛星なみのオーパーツを使って、超広範囲にわたって、この世界のデータを取得し続けていた存在があったということになりますよね。それも、この世界も地球のような天体の上にあるのならば、あたしたちがいた場所――というか、ランシア、グラディウス、クラーワ、スクトゥム地方近隣に限定して」


 でも、誰に?


「そこはヘイゼルから得た情報からも、わかんないことだった。……というかだね、闇黒月が他の月と違うという話はまだ続くんだ」

「はあ」

「闇黒月には、実体がない」

「へ?」


 いや待って、ちょっと待って。それじゃ今あたしたちのいるここはなんなの?


「正確には、『あたしたちが闇黒月として認識していたもの』には、実体がなかった、というべきかな。あたしには闇黒月が夜空のどこにあっても、ただ黒く丸い穴が開いているようにしか知覚できなかった。――グラミィ、あんたには、闇黒月はどう見えていた?」


 あたしが闇黒月を認識できていたのは、夕方だったり他の月が出ていたときだった。

 紅金月(ルベラウム)の前を闇黒月が通ったせいで、ドーナツのように見えたことも覚えている。

 二つとも満月になって、うっすら月明かりで明るくなった空に黒い点のようなものがあって、あれが闇黒月だと言われたことも覚えている。

 他の月には地表の模様――紅金月は炎、蒼銀月(カルランゲン)(さざなみ)といわれていたけれど、そういうものがあったことも。


 けれども闇黒月だけは、たしかに黒一色にしか見えなかった。

 そして、あたしよりも魔力(マナ)を知覚する能力が高く、つまりどんなに暗くても物体を立体的に――つまり凹凸も細かく知覚することができるボニーさんにも、立体には見えなかった、ということは。


「まあその穴というか入口というか……それがつながっていたのが、ここ、真の意味での闇黒月といえるような場所ということになる。もっとも、あんたのおまけでこの空間に引きずり込まれた時に見たものや、ヘイゼルから得た情報がなきゃ、あたしだって今でもわからなかったことだけど」


 あたしは頭を抱えた。ボニーさんやヘイゼルが別の世界のあたし自身だって言われた時もそうだけど、情報過多がすぎる。


「なんで闇黒月がそんなふうになってんですか……」

「あたしに聞かれてもなあ。それこそ魔喰ライの王が関係しているのかもしれないけれど」


 闇黒月は魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナの片目である。これはこの世界の神話に言われていることだ。

 どのくらい史実が反映されているかなんて、森精たちでもなければ知らないことだろうけれども。


「つまり由来はわからないと」

「けれどわかることはある」


 顔を上げれば、ボニーさんの口元から、ゆっくりと苦笑が消えるところだった。


「ここは、地上……というか、さっきまであたしたちのいた、森精たちやコールナーたちのいたあの世界からは薄皮一枚外側にある。そのことは確かだ。――ということは、他の世界により近い場所ということでもある。平行世界以外のいろいろなあわいも近いと思うけど」

「いろいろ、ですか」

「あー、うん。要はよりファンタジーな、あんたの常識が通じないところだと思っておけばいいんじゃないかな」


 言葉を濁したボニーさんは、あの鎌杖を持っていないのに、なぜかお骨の時より死神らしく見えた。


「だから、物理的な束縛は比較的機能しない。魔力以外の非物理的な力が相対的に強く作用するようになる」

「ゆえに地上じゃ無謀でしかなかった、元の世界に戻るってことも、成功する可能性がそれなりに出てきた、と」

「そういうことだ。……さて、これであたしがつかんでることは全部説明したよ。で。――どうする?」


 問われてあたしは考え込んだ。

 留まるとしたら。ボニーさんの言葉が正しければ、この闇黒月の中に。

 戻る場合。選べるのは、あたしがグラミィとして存在してきた地上か、あたし……(はしばみ)グランマリア美野里という人間がいた元の世界にということになる。


「動植物とか存在してないですよね、ここ。でも留まることはできるんですか?」

「できなくはないと思うよ?けれどグラミィ、あんたの存在は地上とむこうの世界、そのどちらからも消えることになる。おまけに見てはならないものを見ることしかできないだろう」

「え゛」

「発狂しても知らないよ」

「……なんてマジクトゥルフ」

「何を今さら」


 マジなトーンに(おのの)くあたしを、ボニーさんは少し呆れたような目で見た。


「だから似たようなもんだって行ったでしょ。……それでも留まる?」

「保留!とりあえず保留で!」


 あたしは慌ててストップをかけた。


「じゃ、じゃあ、地上に戻るのは……」

「できるでしょうね。ただ、その身体じゃ、余命は期待できそうにないね」

「わかってますから!冷静に言わないでくださいよ!」


 おばあちゃんですからね、この身体。

 それに、グラミィという名で塗り替えているようなものだけど、それでもあたしはこの世界では、この身体でいる限り、『大魔術師ヘイゼル様』なのだ。

 そう在り続けなくちゃいかんというのは、あのヘイゼルを見てしまうと……嫌悪感がある。


 そうかといって、あのどうしようもなく救いのない、苦しいだけの、だけど紛れもなくそれまでのあたしを形作ってきた世界に戻るというのは。

 自傷し、暴れ、泣き、自分を受け入れない、やさしくない世界にひたすら憤り、世界を拒絶した、あの日常へ戻るということでもある。

 スクールカーストの下位に落とし込まれ、ただ気に食わないというだけで蹂躙されるような生活がまた始まるというのなら。


 選択肢はどれもこれもメリットとデメリットが過積載で、いつしかあたしは無意識に左の手首をさすっていた。

 何度もリスカを繰り返した、傷痕をなぞる癖。

 この世界に来てからは、いつの間にか忘れていた癖だった。


「……モノもコトもいつかは壊れる。国は消滅し組織は腐敗する。善意は地獄へ道を舗装し、悪意は互いの背後を探り合ってはとんがった尻尾を貼り付けあう。友情とご縁は賞味期限つきで、つながりが途切れてしまえばそれはディスプレイの向こう側で起きている戦争と同じくらい他人事だ」


 言葉は過激でとんでもないけど、ボニーさんの声は低く、やさしかった。


「だから正義だとかなんだとか、他人の目で見たものさしで世の中を測るな。正義の味方は暴力で悪を(たお)す存在だ。わざわざ叩かれているやつに近づいて『あなたは悪くない』『あなただけが悪いわけじゃない』なんていうやつは、もっとも信じられないものだ。なんか魂胆を抱えてサンドバックに耐久性をもたせるための空気入れをしているんだと思え」

「……」

「自分の目で世界を切り取れ。こんなはずじゃなかったと人のせいにして嘆くより、自分のものさしにのっとって自分がしでかしたことなら背負いやすい。たとえ家族でも自分でない他者だ、100%わかってやることも、わかってくれって願うことも無理難題というものだ。――だから、自分の言動に自分で価値を付けろ。それでいいのかと自問しろ。物事はうわべだけ見て終わりじゃない」

「……なんで、ボニーさんはそうそうあたしを元の世界へ帰らそうとするんですか。それも自発的に」


 ずばりと聞けば、ボニーさんは驚いたように目を丸くした。


「ばれてた?」

「いやあれだけデメリット露骨に示されてれば、イヤでも悟りますけど?!」


 おまけに自分の世界へ戻る場合だけ、やたらと忠告めいたものをくれるとか。これでわからない方が変でしょ。

 てかそこまであたしが察し悪いと思ってたんかい。

 ちょいとむかつきながら睨めば、ボニーさんはどうどうと宥める仕草をした。


「まー、理由はいくつかあるんだよね。……あたしはいにしえのファンタジー好きでね」

「はあ」

「ファンタジーは、『行きて帰りし物語』であってほしいと思うんだよね。……戻らねば、魔術があろうがなかろうが、いる場所を、この状態を現実として生きていかねばならなくなる」


 それはたとえば地上に戻るならば、大魔術師ヘイゼルとして生きること。

 じつはそうじゃない、中身は別人なんだというのを言い訳にせず、大魔術師ヘイゼル――がグラミィという偽名を名乗っているものとして、この身体の命尽きるまで、生をまっとうすること。

 昔話がめでたしめでたしで終わらせることができるのは、読み手も聞き手も話し手も、物語の世界の外で生きているからだ。

 そして現実の世界はめでたしめでたし(ハッピーエンド)じゃ終わらない。その後も生き続けていくのならば。


「今、元の世界に戻れば、グラミィとして生きたこともファンタジーにできる。あとはあんたの人生だ。好きに生きればいい」

「…………」

「そして二つ目の理由だ。あたしは、もう、この後どうするか選んでいる」


 あたしは仰天した。


「いつのことですか!」

「この場所がどういうものか、把握した時に」

「それは」

 

 あたしのことはまったく考えずに決めた。そういうことなんだろうか。


「でも、どういう結論を出したかは、言わない」

「なんで!参考にもさせてくれないんですか!」

「あたしの結論はあたしのものであって、グラミィ、あんたのものじゃない」


 やんわりと、けれどボニーさんはあたしを突き放した。


「ついでにあんたがどういう決断をしたとしても、それによってあたしの結論を変えることはない。そしてグラミィ、あんたがどの選択肢をとっても、たぶんあたしはあんたに、二度と会わない」

「!」


 あたしは息を詰めた。

「一人で、生きていけっていうんですか……」

「少なくともあたしはそうしてきたつもりだし。あんただって、元の世界で遅かれ早かれそうなってたと思うしかないわな。いつまでもあたしにおんぶにだっこで甘えてんじゃないよ」

「だけど、こんないきなり!」

「……そもそも、あんたとあたしの協力条件は一つ。『事態の打開』だった。それが果たされたのだから、協力関係だって解消されて当然でしょ?」

「馴れ合う気はないと」


 そっけないボニーさんの言い方に、見捨てられたような気分になった。なんならちょっと逆恨みすら生まれるくらいには傷ついた。


「グラミィ、あんたなら――違う世界の存在でも、あたしならわかるだろう?」


 ……けれど確かに、落ち着いて考えるならば、ボニーさんの言うことももっともなのだ。

 そしてあたしは弱い。一度心を預けたら、ずるずるべったり際限なくよりかかろうとするところがあるのもよくわかっている。

 だから、こんなに未練がましい。


「なら、最後にハグしてもいいですか?」

「やだよ。勝手に抱きついてきたあげく、抱き心地最悪とか言われたんやであたし」

「う」


 自分のやらかしをつきつけられても。


「じゃ、せめて、握手だけでも」

「……ヘイゼルになめ回された手なんですが?」

「いい加減洗ってくださいよ!」

「洗っても、あんたと握手はしない。甘えんな。道は分かたれたんだ」


 それがわかっているから、たぶん、ボニーさんは厳しくしてくれているのだろう。

 ちゃんとケリをつけろと。そういうことなのだ。


 それに、たとえあたしが地上に戻ったとしても、お骨から肉体に変わった――『シルウェステル・ランシピウス師』として認識されなくなった、今のボニーさんが、一緒に戻ろうとするのは無理だ。


「……そういえば、聞くの忘れてましたけど。その、ボニーさんの身体って、いったいなんなんです?」


 限りなく生身には見える。だけどちょっとした首筋、指の関節の皺などは見えない。じっくり見れば不自然に感じるのは、まるでよくできたアンドロイドかなにかのようだ。


「ああ、これ。簡単に言うと――魔晶(マナイト)?」

「はい?」

「やっぱりヘイゼルの魔力量って尋常じゃなくてですね……」


 ボニーさんは溜息を吐いた。

 魔力をこっちの魔力で抑え、制御下に置けば、制御できている限りにおいて、もっと大量の魔力も止めることができる。

 そう、ボニーさんはわりと簡単に成し遂げたように言ってはいたが、やっぱり無理をしていたわけか。


「最初の勢いこそ小細工のおかげもあって相殺できたけど、そこからずっと同量の、いや増加する魔力がずーっと激流のように押し寄せてくるわけですよ」


 その状態で、シルウェステルさんのお骨にそのまま直接触れさせれば、ラドゥーンたちの二の舞になる。

 かといって、ボニーさんが押さえ込み続ければ、魔力酔い必至。制御できなくなれば魔喰ライ一直線。

 だけど、もう一度魔力吸収陣を作って、そちらに魔力を流すほど集中力をそらすのは難しい。


「だからあたしは保有魔力増大法の応用で、魔力をお骨に貯めた」

「いやボニーさんがもともと魔力をお骨に貯めてたのは知ってますけど!」


 生身の魔術師は保有魔力量を増やすために、髪の毛を長く伸ばし、それに貯める。だけどボニーさんには髪の毛はない。だから代わりにシルウェステルさんのお骨に、自分のものにした魔力を少しずつ少しずつ貯めていた。

 その量が、落ちし星(異世界転移者)であるあたしよりも膨大なものらしいってことも。うすうすは。


「どうやらそのおかげでね、シルウェステルさんの骨ってば、吸いきれなかった魔力で表面をコーティングしていたみたいで。――それが結晶化してた」


 魔晶も高級品になればなるほど、残存する物質の量は少なくなる。それはつまり結晶が限界ギリギリまで魔力を溜め込んだ極小の物質、あるいは先んじて結晶化した小さな魔晶を種に育ったということ。


「お骨を基点に魔晶が育ってくれるならっていうわけで、あとは全身のお骨を覆っていた結界をいじって、あたしのセルフイメージに上手くあわせるだけ。いろいろ手を加えたから骨から生えた魔晶は柔らかく変質してくれて、おまけに結界の形にまできっちり成長してくれたというわけ。だけど神経系の構築はマジで痛かった……。思わず絶叫したもんね……」

「なにやってんですかボニーさん!そりゃ生身を取り戻したいって悲願にしてたのは知ってますけど!意味不明にすぎますよ!」


 ボニーさんの身体――というかお骨に張ってる結界が、五感を結界の外に及ぼせるよう特殊なものにしているのは知ってたけど。遠い目で言わないでいただきたい。ツッコミどころが多すぎる。


「だけど、そのおかげでいろいろ小技も使えるようになったってわけ。だからグラミィにも選択肢をあげられる。――もう一度聞くぞ。あんたは、どうしたい?」

「あたしは……」


 口元には笑み。だけどボニーさんの、その目はどうしようもなく真剣で。


「帰ります。元の世界に」

「……わかった」

「ボニーさんはどうすんですか?」

「あたし?まずはあんたを帰してから、決めたとおり動くつもりだけど?」

「って、ほんっとーに大丈夫なんですか?」

「勝算がなけりゃ言うもんかい」


 ボニーさんは強気な笑いを浮かべて胸を張ったが、それをまるっと信じる気にはどうにもなれない。


「また自分を使い潰すつもりだとか言ったら怒りますよ?」

「魔力は使うよそれは。だけど、リソースにするぶん多少のダメージには納得してるし」

「多少ってどこまでですか」

「少しは安心しなさいって」

「できませんよ」


 即答したら思いっきりこけたが、ボニーさんの実績は安心と信頼ではなく、心配と懐疑ですから。

 あたしが見てきただけでも、どんだけとんでもないことをやらかしてきたことか。


「信用ないなあ。……だけどさ、あたしが自分の魔力しか使わないとか思うなよ?」

「違うんですか」

「意外そうな顔をしなさんなって。ヘイゼルから徴集したぶんも、それからこの黒の月に貯まってるぶんも使いますって、きっちりと」

「ならいいんですけど」


 まだ疑わしそうに見えたのだろう。ボニーさんは苦笑した。


「あたしだって、生きてたいとか幸せになりたいって欲ぐらいはあるんだからね」

「あ、じゃあ」


 あたしは閃いたことをそのまま口に出した。


「ボニーさん、どうせなら、このままあたしといっしょに来ませんか?」

「はあ?無理に決まってるでしょ」


 あたしがいた世界は、確かに、ボニーさんの存在しない世界だ。けれど。


「もとが同一人物というのなら。いっしょに身体に入ることはできるんじゃないんですか?」

「おい」

「いい具合に棲み分けとかもできそうですし」

「却下。舐めてんのグラミィ。塗りつぶすぞ」


 本気で怒られた。だけど塗りつぶすって。


「同じハードで二重にOS同時起動させるようなもんでしょうがそれ。不具合が起きないわけがない。いいとこ二重人格、悪けりゃ人格崩壊まったなしでしょうが!」

「人格崩壊って」

「起こんないと思う?お互い意識がある状態で身体を共有してみろ。自分の意思ではなく、勝手に手足が動くのを目撃する羽目になるんですが?」

「う」

「だった身体操作は交代制にすればいいとかぬかすなよ?意識がない間、自分が記憶にない行動するってホラーにしかならんでしょ!」


 ボニーさんは溜息を吐いた。


「……どうせ星屑(異世界人格者)たちあたりから思いついたことなんでしょうけど。星屑たちを搭載させられた人たちは、ほぼほぼ意識がない状態で、身体を乗っ取られてたわけだ。一方星屑たちの人格だって、確かに魔術陣のおかげで定着できてたけどさあ。魔力のない世界で同じ事ができるわけがないでしょ」

「…………」

「そもそも二人分の経験や記憶を一人分の脳に収めようってのが無理でしょが。星屑たちの人格だって、相当いろいろ削られてるからね?」

「そう聞きましたけど……」

「それに、星屑たちは陣やらなにやらで隔てられているから、身体の持ち主と自我は混じり合わないですんでる。あたしたちだって今は別々の身体があるから自我の分離状態が保ててるってのに、おんなじ身体に入ってみろ」

「それは……融合したら大惨事ですね。確かに」

「それでもまだましな方でしょ。人生経験データ量の多いあたしが、あんたを上書きしてしまうより」


 ……だから、塗りつぶすぞ、だったのか。


「グラミィ。頼むから、ヘイゼルだけでなく、あんたまであたしに喰らわせようとしないでよ」


 それは、ボニーさんの本音だったのだろう。あたしは謝ることしかできなかった。




「じゃ、準備するよ」


 ボニーさんが頷くと光球が消え、蒼の炎で明るさを増していた周囲が一瞬暗くなった。

 そして地面に生じたのは紅と蒼、そして黒で彩られた三重円だった。


「グラミィ。その円の中に入って」

「ボニーさん。杖は。どうしましょう?」

「そこ置いて」


 指示されるがままに杖を置いて円の中に立つと、三重円が立ち上がり、互い違いに伸縮と回転を繰り返し始めた。

 いびつな球体のような形はみるみる色が混じり合い、赤と蒼が紫を中心とした無限階層を導き出す。

 その内側に。


「光が……」


 どこに光源があるのかもわからない、白い光がやわらかく満ちていく。三重円の外は、もはや紫の影のようにしか見えない。――ボニーさんも、何もかも。


「うなじに手を当ててごらん」


 ボニーさんの声に従うと、何か紐のようなものが触れた。


「それがシルバーコードってやつだと思う。――ひっぱって」


 言われたとおりにしたとたん。ずるりと何かがずれた。

 そのままどこかにすごい勢いでひっぱられていく!


「じゃね、相棒。あんたと歩いた世界は、なかなか楽しかったよ。――ありがとう」


 最後にそんな、ボニーさんの声を聞いたと思った。



 * * *



 ふと。目が覚めた。

 見覚えのある天井。嗅ぎ慣れた部屋の臭い。肌馴染みのある毛布。

 あたしは飛び起きた。


「ここは――」


 あたしの部屋だ。

 ただし、いじめという言葉では表現し尽くせないような目にあって、それから出ることができなくなった、自主的牢獄じゃない。

 そうなる前の、日本に帰ってくる前のあたしの部屋だ。


 はっとして、あたしは左手首を見た。

 あたしが最後に覚えているのは、何度もリストカットを繰り返した手首。

 自殺するつもりで、深く切りつけ、これまで見たこともない勢いで激しく血を吹き出していた自分の手首だ。

 それが、傷一つない。それどころか記憶しているよりも一回り小さく見える。


「!そうだ、カレンダー!」


 あたしは机に駆け寄った。けれどカレンダーを見ることはなかった。

 机上にあった一枚のメモ、そこから目が離せなくなったからだ。

 それはあたしの筆跡であって、あたしの書いたものではなかった。


『5年間はおまけだよ

 悔いがあるならやりなおせ

 だいじょぶ、あんたの演技ならグラミィ賞ものってやつだから』


「ぼ……」


 ぽつぽつと。メモが水滴に濡れていく。


「ボニーさん……」


 喉がへんなふうにひきつれる。


「グラミー賞って、音楽の賞なんですけど……」


 聞こえないとわかっていて、小声でつっこむと。


『え?演劇の賞じゃなかったっけ?』


 そんな、ボニーさんのすっとぼけた答えが聞こえたような気がした。

最後までかっこよくしまんない骨っ子と婆っ子のやりとりでした。

これで婆っ子視点は終わりです。が。

これで完結ではないんじゃよ……!


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