閑話 相喰らうウロボロス
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
「だから出待ちとか言われりゃそれまでなんだけど。やられたふりしてごそごそやってたのにも、理由があるんだってば。了解も取らずにグラミィを囮にしちゃった形になっちゃって、悪かったけどさ」
「まあそれはわかりましたけど……」
いくらざんねんな脅しをかけられたからといって、あれからヘイゼルが異様に静かというか、身動きひとつしないところ見てれば、ボニーさんが何かやったんだろうなと思ってたし。
そう、何の気なしに目をやった時だ。ヘイゼルの手がピクリと動いたのにあたしは気づいた。
「ボニーさん!」
咄嗟に飛び退いたボニーさんを追って、ヘイゼルが身を翻した時には、その目前に火球が迫っていた。
ボニーさんが追撃を予測して、放ったものだ。
が、ヘイゼルに着弾するかと見えた火球も、その前に消滅した。
「……やぁっぱり、魔喰ライになってたか。あれほど膨大な魔力を操れるってあたりで怪しいとはと思ってたけど」
合流したボニーさんの両腕をあたしも見た。
脅しに使っていた鉤爪はもとより、それを生やしていた籠手――腕甲というのだろうか?は、ものの見事にヘイゼルに触れていたところを中心にぼろぼろになっていた。
魔喰ライの王とヘイゼルとの戦闘でも見た風化現象だ。保有魔力を吸い尽くされた物質は形を崩して塵すら残らない。
「それでも放出魔力がある以上、魔術陣は効いてたと思ったんだけどなあ」
「そんなものいったいどこに仕込んで――最初から二段重ねだったんですか」
「そういうこと」
鉤爪を至近距離から見せつけたのは、そっちに注意をそらすためのブラフも兼ねたものだったのだろう。
後頭部から額にかけて密着していた籠手に魔術陣を刻んでおけば、陣符のように相手の魔力で体表に転写される。喪心陣のように思考能力を低下させるものなら、ゾンビさんのできあがりだ。
それは魔喰ライであろうと放出魔力がある以上、そうたやすくは抜け出せないものなはず、なのだが。
「……ああ、なるほど。自分の身体の一部を変成して、魔術陣や魔力ごと『喰った』のか。存外器用だね」
腕甲を外したボニーさんはひょいと火球を投げた。見ればそれに反応したヘイゼルの金髪から、べろりと長い舌が垂れ下がっているじゃないか。二口女かよ。
「しっかし、とっくに人間やめちゃってる相手に、人に見せられない顔もなにも関係なかったかなあ?」
「ボニーさん……」
あたしはジト目を向けた。しれっとした顔でさらに煽らなくてもいいでしょが。あたしもかなりキモいと思ったけど。とうに相手はお怒りです。
だけど魔喰ライの王がいくら自分とつながっていたからって、破壊することもできないでいた神器すらあっさりと塵に変えただけの力が、ヘイゼルにはある。
一度は成功した拘束だって、不意打ちはもう効き目がないだろうし。
ほんとに勝てるの。これ。
「ふざけんな」
軋む声が地を這った。歯をバリバリと噛み鳴らすヘイゼルの形相はまさに鬼。ぎらぎら灰銀に光りだしたその目は――なぜか煽ったはずのボニーさんではなく、あたしを凝視していた。
「なんてことすんのよぉ!せっかく美味しそうになったのにぃ!」
……えーと。お怒りどころが推測となんか違うんですが。
「……どうやらヘイゼルはあんたも喰う気だったらしいな。――絶望させておいて」
「は?」
「あたしまでこの空間に引きずり込んだのは、似た色の魔力なせいだと思ってたけど。グラミィ、あんたの心を折るためだったと考える方があってそうだ」
「……なるほど。ボニーさんをイマジナリーフレンド扱いしておいて、それでも助けてくれると信じ続けてたら、目の前で完全に壊してみせよう、ってとこですか」
「そんなことまでしてたんかい」
うわあ、というボニーさんの表情をあたしは横目で見た。
「あたしとのやりとり、全部見てたんじゃないんですか?」
「さすがにそんな余裕はなかったよ。――しっかし、精神的ないたぶりも、味わう前のちょっとした楽しみを兼ねてか、おいしくなあれな加工過程とか。さすが魔喰ライ」
「なにやったってあたしはおいしくなんかならないですよ!」
だから冷静に分析するのやめていただきたい。ぞわっとするから。
「てかそもそも、理性が飛んで獣みたいになるんじゃないんですか。魔喰ライって」
だけど、ヘイゼルはあたしと会話しようとする意思を見せた。……まあ、だいぶやりとりはずれてたけど。
「フルーティング城砦の裏切り者は確かにそうだった。だけど魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナの神話を思い出してみ。彼は『魔喰ライの王』なんだ。『統治者』というからには、理性が完全に飛んでたとも言い切れないでしょ」
「なるほど」
「なにをごちゃごちゃとしゃべくっている!あたしを見ろぉ!」
ボニーさんの解説をグラミィの絶叫がぶったぎった。
「絶望しろ、恐怖しろ、あたしを畏れろ!もう一回おいしくしあげてあげるぅ!」
「そいつはお断りしますとも」
背から棒を――よく見ればあれ、シルウェステルさんの杖だ。鎌杖の中に仕込んであったせいで残ったのか――を引き抜いたボニーさんは、牽制に火球をばらまいた。
それにかまわずヘイゼルが加速する、が。
……地上に降りてきたときのような、どうにも対応できない速さじゃない。だってあたしも目で追えて、盾がわりに結界が張れている。
「おっと」
おまけに火球や結界が触れるたび、術式が壊れて残存魔力が漏れるのだろう。いちいち止まったヘイゼルは腕を振り回したが、それだけじゃない。後頭部から生えた舌まで伸ばし、宙をなめ回していれば、遅くなろうというものだ。
その間に、あたしとボニーさんはさらに後退して距離を開ける。
「なんで」
何度か不毛な鬼ごっこを繰り返すうち、ヘイゼルは悔しげにうめいた。
「なんでこんなに力が出ない」
「どうやら魔力をそのまま放出するのは、瞬間風速は強力でも効率は悪いみたいだね。あと」
ボニーさんが目をやる方をあたしも見た。
青い炎が地平線を這っているのが見えた。
「小細工も効いたかな」
「なんですかあれ」
「嫌がらせ」
シンプルな即答がひどい。
「いや、ボニーさんの嫌がらせって殲滅レベルですから!相手が相手だからそのくらいでもいいかもしれませんけど!」
「なら無問題でしょ」
だけど軽い口調とは裏腹に、ボニーさんの目には沈痛な色があった。
「まさか。ひょっとして、あの色は」
「……アルベルトゥスくんの遺産だよ」
アルベルトゥスくんが自爆で崩壊させた学術都市リトスには、青い光が降ったという。彼が何をどうしたのかはわからない。けれどリトスに降る青い光は、触れる無生物を崩壊させ、その魔力を大気中に放出しつつ増殖を続けていたとボニーさんには聞いた。
結果、空気中に魔力がどんどんとたまり、廃都市リトスは魔力溜まり化しているとも。
実際、リトス近くでボニーさんと合流したときには、あまりの魔力の濃さに同行者のみなさんが顔色を悪くしていたっけ。
その青い光のもとを、ボニーさんは持ち歩いていたのか。
「物質に触れない限り、魔力吸収の被害は出ないから。空気の渦を作り続ける魔術陣を中に入れて、殻で覆ったものをちょっぴりだけど持ち歩いてたの」
「なにいろいろと危険物持ち歩いてたんですか。この二足歩行式ハザード発生タイプの格納庫は」
「……形見のつもりだったんだけどね」
そう呟いた寂寥は一瞬。
意地の悪い顔でボニーさんはにんまりと嗤ってみせた。
「もともとここの魔力は多かったんだが……おかげで蒼晶の増殖スピードもそこそこ。おまけにアレまでうっかり吸収したら、きちんと対処しないと逆に放出する魔力まで増えかねんからねえ」
増えるとはいえ形見すら冷酷に手札として数えて、機能させるというのは、ボニーさん当人にとっても不本意だろうに。
けれど、青い炎が広がるにつれ、周囲が明るくなりつつあったおかげでようやくわかったことがある。
あたしがいるのは窪地じゃない。
巨大な球体の内側なのだと。
暗い空と見えていたのは地続きの壁。
魚眼レンズで撮影した風景のように歪んで見えたのはこのせいか。
遠くには、いびつなモノリスめいたシルエットが点在していた。それを青い炎が浮かび上がらせているさまは。
「なんなんですかここ。クトゥルフの世界ですかね」
「……似たようなもんかも」
曖昧な相槌を打つボニーさんを、ぶおんとよこなぐりに狙ってきたのは太い触手――いや、ヘイゼルの二つ目の口の舌だ。
「殺sssSuウゥウウウウウ!」
殺気だって向かってこようとした時、ボニーさんの鋭い声が飛んだ。
「お前に怒る資格はない、己喰ライのヘイゼル・ナッツ。――いや、榛グランマリア美野里」
「な」
ヘイゼルが固まった。あたしはなんとか口を動かした。
「それはあたしの名前です!」
「そしてあたしの名前でもある」
二度目の声にあたしの思考も止まった。それを見たボニーさんは、わずかに声を和らげてくれた。
「ラドゥーンたちの存在を考えてみれば?納得はできなくても腑に落ちるでしょ?」
「いや、でも、待って」
あたしは混乱した。確かにラドゥーンたちは平行世界から自分たちを召喚していた。それは彼ら自身が認めたことだ。自慢げだったからたぶん本当のことなんだろう。そして異世界転移者がいることもわかっている。
だったら、この世界に、別の平行世界から他のあたしたちが転移しているということだって、ありえないことじゃないのかもしれない。
だけど。
別のあたしがボニーさんやヘイゼル?
「年が違うんじゃないんですか?」
ヘイゼルがこの身体の持ち主だったというのなら、中身のあたしとは三十年、いや四十年は年が離れているはず。ボニーさんもたぶんあたしよりは年上のはず。よくわからないけれども!
「たしかに平行世界はifの数だけある。だけど違う世界が全部同じ時間軸の上にあるわけないじゃん」
戸惑いをざっくりぶったぎったボニーさんは、あたしをじっと見た。
「もっとも、あたしがそう気づけたのはグラミィのおかげだ」
「あたし?なにかしましたっけ」
まったく記憶にございませんが。
「覚えてないかな、分離行動した時のことなんだけど。『この世界でも携帯が欲しい』。そう心話であんたが愚痴ったとき、『携帯』のイメージも一緒に送られてきたの」
え。まじで。
ボニーさんの心話はわりといろんなものがだだ漏れてたけど、自分までそうだとは思わなかった。
「そこまではいい。だけどあたしにとって問題だったのは、そいつにアンテナが生えていたってことだった」
当たり前の事じゃない。……のか。ボニーさんの知っている携帯が、そうではなかったならば。
「ガジェットに限らず、工業製品のデザインはその時点での技術に最も強く影響を受ける。言い換えれば何か技術的なブレイクスルーが発生した途端、同じ用途のものでも形は大きく変わる。――で、疑問に思ったわけですよ。アンテナつきの携帯が一般的だったのは、自分がいくつのことだったのかと」
ヘイゼルに目を戻していたボニーさんは、もう一度ちらとあたしを見た。
「あたしたちが存在していたここではない世界は、時代がずれているのかもしれない。仮説が固まれば、傍証はごろごろ出たよ。――グラミィ、あんたが使うアニメのネタは、あたしの世界では半世紀近くは前に始まったものだ」
「はんっ……!」
「コンテンツの人気で商売が成立するから、確かにどれも信じられないほど長寿作品だったりする。だからネタとしても広範囲の世代で通用する。だけど、あたしの世界では四半世紀前にはなかった作品のネタを振ったら、意味がわからないという顔をしたのよ、あんたは」
……ボニーさんは。いつから、疑っていたのだろう。いつから、探っていたのだろう。
「もちろん、世界線が違うなら、いろんなものが違って当然。あたしの世界にあったものが、あんたの世界にはなかったかもしれない。もしくは遅くなって生じた可能性だってある。だから、西暦とか元号もさりげに聞いてつきあわせた。ちなみにあたしの覚えている最後の年号は、麗和だ。――昭和になおしたら向こうじゃ昭和100年は過ぎてんじゃないのかね?」
あたしが覚えている最後の年号は和平。あたしにとってあの世界が平和と真逆だったことを考えると皮肉すぎる話だが、それでもたしかにボニーさんの世界とは、ずれている。
あたしは気づけなかった。気づこうともしなかった。
「そしてこうも考えた。――たとえ平行世界が無限に存在するとしても、時間やなんやらもろもろのずれを考えるならば、さほど相似のない、あたしとグラミィとの平行世界の分岐はそんなに近くはない。ならばその間に存在したはずのあたしたちはどうなった、とね」
「……まさか……」
予感がする。ものすごく嫌な予感が背筋を上下する。
ボニーさんはヘイゼルに向き直った。
「『他のよりはわきまえている』、そう言ったな。いったい何人自分を食べてきた、ヘイゼル・ナッツ」
「――ならば聞こうじゃないのぉ。そちらはいったい何粒の米を食べてきたのかと」
「概算でよければ約四億粒。それがあたしを生かしてくれたと知ってるさ」
即答されてヘイゼルは絶句した。
あたしも呆れた。てかなんでそんな数がすぐすぱっと出てくるんですか。
「こっちが出す情報を制限すれば、そっちが言いそうなことは絞れる。次に言いそうなことがわかれば、このくらいの予測はできて当然なんですよ」
うわあ。リアル『次にお前は●●という』というやつだ。
そしてできるのが当たり前のように言わないでほしい。
「米だけじゃない。貪るのが当たり前のように過ごしていたから感謝は薄いかもしれないが、それなりにしてないわけじゃない。だから他の生命を喰らって生きてきた業や原罪とやらについても、当然理解はしてるつもりだよ。だが、お前はどうだ、ヘイゼル・ナッツ。反論がなければ、約四億人の自分を食べてきた――もしくは、食べてきたことすら覚えちゃいないと見なすぞ?」
ボニーさんは相変わらず笑っている。だけど背中から真っ黒い炎が吹き出しているように見えるくらい激怒中だ。
ヘイゼルもボニーさんのお怒り具合を感じ取ったのだろう。その足がじりっと後ろに下がり――自分の行動に気づくと、さらにかっとなったようだった。
「あの人ともう一度巡り会うためならなんだってするの!」
「イニフィティアヌスのことを言っているのか」
「何が悪い」
「嫌われてるのになあ。いや、憎まれていたのになぁ、よくやると思っただけだよ」
「な」
ほれ、とボニーさんが獣皮紙を取りだし、ヘイゼルに見えるように突き出したのだが。
「いやちょっとボニーさん。今どこから出したんですかそれ。袖じゃなくて、腕の中から出したように見えたんですけど」
「肌身離さず持ってるってことは、お骨だったあたしじゃできなくてね。だから骨に巻いて、その上からコーティングをしておいたの。グリグんの誓約と似たようなもんでしょ」
さらっというけど、なんですかそのびっくり箱みたいな身体のつくりは!
絶句していると、再起動したヘイゼルが顔を真っ赤にして地団駄を踏んでいた。
「ふざけるな!こんなあんたの落書きでだまされるとでも!」
「信じたくないのもわかるが、残存魔力を知覚してごらんな。べつにあたしがわざわざ仕込まなくても、ちゃんとあったんだよ。――あんたが住んでたあの家の二階。窓が西と北についている、森に面した書き物机のある部屋にね」
ヘイゼルが息を呑んだ。心当たりがあったのだろう。
フェーリアイに逗留した時。たしかにボニーさんは、魔力をたっぷり充填し、クロックアップ陣を動かして単身あの家に行って、そして明け方に戻ってきた。
「家捜しして驚いたよ。わざわざ『ひらがな』で書いてある文書が、隠し文庫にあったんだもの」
つまりそれは日本人の転移者か転生者が、もしくはそのような人物から『日本語』を学ぶことのできた人間がいたということ。
目的は機密の保持か、それとも。
「あんたにいつか必ず読ませる気だったんだろうな。よっぽど憎まれていたと見える」
あたしにもちらりと見えたその内容は、『だいまじゅつしへいぜるをころせ』だったのだ。
「うそ。やだ。なんで」
「理由も書いてあった。――あんたのその目、魔眼だね」
ボニーさんは動揺しまくっているヘイゼルに冷水のような声を浴びせた。
この世界の魔眼は、魔力の多い人間に発現する。持ち主は先天的に魔力認識能力が高いのはもちろん、魔術師でなくともその目で『視る』ことで超常の力を振るうことができる。
そして魔眼の力が働いている間、その目は煌々と輝く、というのはヴィーリさんから聞いた話だったろうか。
「魔眼の中には、畏怖や魅了といった人間の精神にも作用する効果を発揮するものもある。――イニフィティアヌスはあんたの目が魔眼であることにも、それが魅了の力を持つことにも気づいてた。いや、その身をもって気づかされたというべきか」
「……どういうことです、ボニーさん?」
「大魔術師ヘイゼルは、クラーワヴェラーレに落ちてきた星。赤毛熊の氏族のイニフィティアヌスは彼女に一目惚れをし、彼女を守って、ランシアインペトゥルスまで逃げてきて、幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。……という、例のおとぎ話の半分は嘘だったってことさ」
「は、ん、ぶん?」
「別の紙に綴られてた内容だ。赤毛熊の氏族が、この世界に落ちてきたヘイゼルを不審者として捕らえた。氏族長の子としてその様子を見に行ったイニフィティアヌスは、当時別の女性と相思相愛の仲だった、らしい」
「……」
「それがヘイゼルに魔眼で魅了され、操られるままに赤毛熊の者たちを殺してしまい、ランシアインペトゥルスまで逃げねばならぬ羽目になったとね。恨みつらみもたっぷりと、そう書いてあった」
ヘイゼルは唇を噛んだ。それはそうだろう。あたしだって、世間に流布した話を聞けば、ヘイゼルの話はこの世界のリアルハッピーエンドとしか思ってなかった。
だのにその愛情が自分の魅了によるニセモノであり、むしろ憎まれていたというのだ。ヘイゼルにしてみれば、足元が全部崩れさったような気分じゃなかろうか。
「じゃあ、ボニーさん。あのヘイゼルの家は?」
「あれは檻だとさ。イニフィティアヌス自身も封じ込めるための」
「いや、どうして」
ボニーさんは目を伏せた。
「イニフィティアヌスも呪い師としての知識を授けられていたから、魔術も魔力も扱い慣れてた。間近にいつづけて、ずっと魅了を受けていれば、いくら強力な魔眼でも抵抗力もつく。おかげで時間はかかったけれど、なんとか自力で我に返った。らしい」
だけどそれはあらたな地獄だったろう。あたしでも想像がつく。
いくら魅了で操られていたとはいえ、愛した女性を裏切り見捨て、己が同族まで手に掛けていたわけだ。たとえ真実だと魅了の件を説明したところで、殺してしまった者の家族がそうだったのかと恨みを流し、復讐の誓いを取り消すわけもなく、恋人にも信じてもらえるかはわからない。
「イニフィティアヌスはだからクラーワヴェラーレに戻ることを諦め、かわりにランシアインペトゥルスの国王と取り引きをした。――今後ランシアインペトゥルスのためにその身を尽くす。代わりにヘイゼルの魔眼による犠牲者をこれ以上出さぬため、封印するのに力を貸してくれとね。彼はあんたを監禁するための人柱となったのさ、ヘイゼル・ナッツ」
「嘘。うそうそusOo!」
ヘイゼルは頭を振った。当人はかわいらしいイヤイヤのつもりかもしれないが、やたら高速回転な上、べろんとのびた舌を金髪といっしょに振り回しているせいで、滑稽なくせにひどくおぞましいものにしか見えない。
「封印というなら、監禁じゃなくて殺そうとはしなかったんですかね」
「できなかったみたい。――一つは、ランシアインペトゥルスの国王との約定。呪い師として――魔術師としてもかなりの力量を持っていたらしいイニフィティアヌスと、膨大な魔力持ちのヘイゼルの子を当時の国王が望んだらしい」
「それは」
為政者が強力な魔術師を国に欲しがる理屈はわかる。だけどあまりに残酷すぎる話だ。
憎悪の対象に自分の子どもを産ませる必要があったイニフィティアヌスにも、自業自得とはいえ、産んだ直後に生まれ我が子から引き離されたヘイゼルにも、――生まれてくることを欲得ずくで待望され、親から引き離されたシルウェステルさんにも傷を負わせるようなものだろうに。
「もう一つは魔眼のせい。暗殺者を使おうにも、そっちまで魅了されたら大惨事なんてもんじゃない。だけどイニフィティアヌス本人が殺ろうにも、魅了の影響から完全には逃れられなかったらしくてね。面と向かって魔眼を使われたら、殺害どころか攻撃も困難。隠し事はないかと新たに魔眼を使いながら問い詰められたら、いくつ理由を用意しても、別の言葉でもごまかしきれなくなったら、殺意を告白してしまうだろうとね」
だから、死ぬまで家の中に閉じ込める必要があった。それも監禁されていると感じさせれば、いつ想定外の脱出を思いつくとも限らない。
ならば逃げだそうと思わせなければいい。ヤンデレ気味の恋人に愛の巣へ囲い込まれたハッピーエンドとでも思い込ませておけばいい。そういうことか。
「ヘイゼル・ナッツ!イニフィティアヌスにも家族がいた、友もいた、恋人もいた。それらをみんな放り捨てさせたのはあんただ!あんたに白馬の王子役を押しつけられて、イニフィティアヌスは一生を破壊されたんだ!憎まれて当然だろう!」
「いやぁ!聞きたくないぃ!」
「いいや、聞け。あんたには聞く義務がある」
ボニーさんはヘイゼルに近づくと、毒塗りの短剣を擲つように言葉を吐き続けた。
「愛されていたと思ってた?彼の人生に入り込んできた異物の分際で、よっぽど脳味噌お花畑だね。愛されていたと思いたかった?おあいにくさま。というか相手がどう思っていたか読み取れなかったってことは、あんたもクラーワヴェラーレの、赤毛熊の氏族のイニフィティアヌスという人間そのものを見るんじゃなくて、ただその見た目だのシチュエーションだのに酔っ払って、何も見てなかったってことでしょう。何十年も!」
「それ以上いうなぁっ!」
べりべりと。ヘイゼルの肌に亀裂が生じていく。
いや。その奥から見えるとがったものは牙だ。赤いものは舌だ。
「その口閉じないのなら、お前から先に喰らってやる!」
「よく言った」
杖をあたしに投げつけ、つかみかかったヘイゼルの手をがっしりとつかみ止めると――あろうことか、ボニーさんはにやりと笑った。
「ならば、そのお前をあたしが喰らってやる。さぁて、どっちが大食いか。ウロボロスの勝負といこうじゃないの」
その笑みの凶悪さといったら!
いきり立っていたヘイゼルすら、一瞬怯えたような目になったというのは見間違いだろうか。
「吐いた言葉は飲めると思うなよ?あたしは強欲だぜ?」
作者「『この作者、一人称かぶりまくり。キャラの書き分けもできてないんじゃね?』と思っていた人はいるかな?」
作者「いつから勘違いしていた……?」
作者「計算通りですよ?(笑顔)」




