蟻の一穴も重なれば
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
なお、詳細はネタバレになるので伏せますが、この部分には人死になどに関する描写があります。
各自のご判断でブラウザバックなどなさってください。
「い、一応二重三重に手は打ってあるとも!」
「『ほう?』」
震えた声で胸を張られてもなあ。魔力を見るまでもない。
順調に策に自信がなくなってるようじゃないか。
「弾道を安定させるのにガイドビーコンも仕込んであるんだよ」
「『で、それも魔術陣の位置がずれたら役立たずになるというオチじゃないのか?』」
「それはない」
ようやく落ち着いたのか、マグヌス=オプスが口元に笑みを浮かべた。
「相対的位置でなく、場所に対象を固定してあるからな。円環の道だ」
「『それはいつのことだ?お前が関与したというのなら、そうとう昔のことだろうに』」
「何が言いたい」
「『使った技術の問題だよ』」
「技術?」
思ってもみなかったことを言われたというような顔をするが、昔の最新技術も今じゃぽんこつ、信頼性がなくなるのはよくあることだ。
「『スクトゥム帝国全土に張り巡らしたとか自慢していた魔術陣は、ベヒモスを使って描いたと言っていたな、それと同じ技術しか使っていないのであれば、破壊されていてもおかしくはない』」
「なんだと」
魔力を吸い尽くされてしまうと崩壊するのは普通の物質と同じだ。たとえ自己修復機能付きアスファルトと同程度の強度があろうと、それは変わらない。
「『一時天空の円環は森のように姿を変えたぞ。森の民の手によってな』」
本当の事を言ってやれば、二頭のラドゥーンは絶句した。
なんだ。気づいてなかったのか。
ばれないようにいろいろ小細工した成果があったようでなによりだ。
おそらくラドゥーンたちに直接間接、あるいは有形無形に焚きつけられて、スクトゥム帝国から星屑たちはあふれ出したのだろう。そう、あたしは考えている。
タイミングからして、あたしたちが糾問使として帝都レジナでヘイトを煽ったせいもあるのだろうとは思うが。
それでもわざわざ狭っこい円環の道から、あれだけたくさんの星屑たちがやってきたってのは、今から思えば『魔術師』が、一方的に恨んでいる森精たちに対する嫌がらせでもあったのかもしれない。
その予兆を察知したあたしはランシア山で罠を張った。スタンピードが他地方にも及ばないようにするためだ。
ゲームの舞台と彼らが思っているのならミニゲーム仕様にしてくれよう作戦で、勝手にPvPだとか抜かして盛大に殺し合ってくれたのは、さすがに予想外過ぎたが。
その後始末をしてくれたのは、闇森の森精たちだ。
〔あの時、あれだけ血をばらまかれたのに、よくベヒモスが励起しませんでしたね……〕
それな。
理由としてはいくつか考えられる。
一番こっちに都合がいいのは、とっくにガイドビーコンとやらが役立たずになってたというもの。
なにせ星屑たちのスタンピード前には、あの円環の道を魔喰ライまで通ってる。
〔あ、あー……。ありましたねー……〕
魔喰ライは周囲から生物が死滅するほど、あるいは物質すらその姿形を保てなくなるほど魔力を吸い立てる。
そのせいで魔術陣が崩壊してたら、ありえないことじゃない。
ただし、その場合、あの裏切り者だった魔喰ライが通ったのはランシアインペトゥルス側からグラディスファーリーに入ったあたりまで。
他のところは無傷だったはずなのに、という疑問が残るわけだ。
もう一つは、ガイドビーコンは壊れちゃいない。ただ、今も発動していないだけという可能性だ。
困ったことに、こっちである可能性もそれなりにあるんだよね。
こんなこともあろうかと的反応だったことからして、たぶんガイドビーコンはラドゥーンたちにとって今までそれなりに自信があり、かつ役に立つ技術だったわけだし。
その場合の発動条件とはなんだ?
たとえベヒモスが非励起状態なら魔力を放出しにくいとはいえ、森精たちに仕掛けがばれてしまっては対処されかねん。むしろそんなもんを仕掛けた理由は何かってところから探られまくったら……相手はバイオセンサ叢持ちですよ?
おまけに、闇森が森精たちの拠点だってことぐらい、ラドゥーンたちならとうに把握していておかしくない。
ならば、円環の道になにかするにしても、森精たちにばれないようにする必要がある。
あたしがもし彼らなら、ばれないようにするためにピンポイントの仕掛けを施すだろう。
それも一回こっきりじゃない。何度にも分けてだ。
〔いや、それ、ベヒモスの利点を思いっきり殺すことになってません?〕
だよねえ。
ベヒモスは一度しかければ二度と断線しないコードを配線できるような、魔術陣を構築する上では最上級の利点を持つ素材と言える。
そんなもんを使うなら、ちまちましたものを作ってばらまくよりも、広大なネットワークにするべきなのだ。
……待てよ。
スクトゥム帝国側には監視のための術式を施した石球がおいてあったよな。幻惑狐たちに蹴落としてもらったやつ。
つまりもともと、スクトゥムサイドにはいろんなしかけがしてあったわけで。
それが、森精たちの領域から近い天空の円環からははずれたところで、ベヒモスのネットワークに接続し、連動するように仕組まれていたとしたら……?
なんとも言えない沈黙のままに、全員の目がランシア山の方へと向けられた。
白金のちいさな、しかしたしかな光がゆっくりと星のように落ちていく。
〔どーします、ボニーさん?〕
どーしますって。推論の正否はともかく、あんな遙か彼方にすっとばされた魔力弾にここから関与ができるわけがない。
見守るしかないでしょうね。
あと、……頃合いは見計らって。
〔りょーかいです〕
しかしあの魔力弾、魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナに与えるとか言っていたが、どこに落とすつもりだったのやら。
下手に落とせば逆に封印の方に魔力が満たされそうなんだけど。
* * *
「おい」
押し殺した声にマルスは音高く舌打ちをした。
「こんな夜更けになにしてんだ、ちび。どこに行くつもりだ」
「うるさい!」
年上で血の繋がりがあるというだけで、何度も何度も邪魔ばかりしてくる牧人をマルスは睨み上げた。
「お前などに関係のないことだ」
「そうはいかんだろ。お前のせいでクラーワヴェラーレがランシアインペトゥルスに迷惑かけてんだ。呪い師どもにも、あの骨の魔術師様に二度と近づくなと言われただろうが」
「だからどうした」
胸を張る呪い師見習いの姿にパストルは深々と溜息を吐いた。
「国の恥って話が大きすぎてよくわからねえってんなら、サクスムの、いや岩穴兎の名折れになるぞといやあ、わかるか?」
「赤ん坊をなだめるような言い方をするな。サクスムがどうした。岩穴兎ごとき滅びた氏族になんの意味がある。いいや、クラーワヴェラーレごときちゃちな枷で、この俺をどうにかできるとでも本気で思っているのか」
「お前……」
呆然とした牧人の顔は、やがて怒りに染まった。
「二度も三度も命を助けられておいて、よくもそんなことを!」
「なんだそれは」
「覚えていないとでもいうつもりか。骨の魔術師様に対する無礼は一回でも死に値したってのに、性懲りもなく二回も繰り返しやがったろうが。そして岩穴兎の窟家が崩れた一回。――お前が助かったのは偶然なんかじゃない。庇ってくれた人がいたからお前は生きてる。お前の父さんも、母さんも、懸命にな。それでもようやく生き残れたのはお前だけだったんだぞ……!」
「当然だ。俺のために命を捨てられて本望だろうさ」
「なんだと」
パストルは年下の親族を凝視した。不意に相手が小生意気な子どもの皮を被った不気味な生き物にでも変じたような悪寒に襲われながら。
「岩穴兎?養われていたが、おれは至高の血を引いた選ばれし者だ。下賤な身で俺を育て守れたことを誇りとすべきだろうが。わかったらそこをどけ」
マルスは顎をしゃくった。対面を許してきた長の歳月に免じて命じてやった、己の慈悲深さに酔いながら。
だが、無礼者はまだ異様な目つきで見下ろしてくるばかり。
「お前……、いったいそれをどこでだれから訊いた」
「なぜそんなことを訊く」
「お前に吹き込んだのが、大嘘つきの騙り者だからだよ」
「なんだと」
「サクスムの岩穴兎の娘が、とあるお方と恋仲になったってのは本当のことだ」
閉鎖的なように思われる氏族だが、その中に別の血を引く子が生まれることはけして珍しくない。
呪い師の中には水を与える際にももったいをつけ、取り決め以上の利を得ようと余慶を与えるなどと称して女の身体を求め、子種を撒き散らす者もいる。
むろん氏族の側もただではすまさぬ。呪い師の里に住まわせることこそできないが、その氏族の中で一度求めた女は、その呪い師の妻として扱われる。氏族ごとにそのような相手がいる呪い師は、氏族間のもめ事などの調停役として否応なしに引っ張り出されることにもなる。
だが、それが強大な氏族の場合は、呪い師にとっても後ろ盾を得ることになったりするので、おのれがしでかしたことから逃げる者はあまりいない。
もっとも、岩穴兎のような弱小氏族では娶ったといっても、氏族の内々にされることも多いのだが。
「なら俺こそが」
「昔の話だ。五十年近く前の。年齢が合わないことぐらいわかるだろう?おれたちの母の母、父の父の代の話だ」
この世界において、五十歳は老人だ。子どもどころか孫ができていて当然。
「だけど岩穴兎の娘が至高の血を引く子を産んだのならば、俺がその血筋を引いていてもおかしくはないだろう」
マルスは口をとがらせた。窟家の崩落で、岩穴兎の氏族の者はすべて死んだはずだ。
この自分を残して。
だが牧人はゆっくりと首を振った。
「お前じゃない。俺なんだよ。至高の血を引いているのは」
「なんだ。そのできの悪い嘘は。お前は絶壁羊じゃないか。岩穴兎じゃない」
「岩穴兎と絶壁羊の間でも結ばれるものはある」
「まさか」
マルスは笑い飛ばそうとした。だができなかった。
「よくある話だ。至高の血を胎に抱えたまま、岩穴兎の娘は絶壁羊の氏族に嫁いだ。――おれの母の母の話だ。お前はおれの母の母の弟の娘の娘の子だ」
「だが、きょうだいなら。血を同じくして当然だろう!」
「いいや。至高の血を継いだのは、おれの母の母が最初に産んだ娘一人だけだ。その下のきょうだいは、みなすべて絶壁羊の血だ。これは岩穴兎も承知していたことだ」
「嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ!」
耳を塞いでわめく呪い師見習いを、パストルは哀れみの眼で見下ろした。
「本当のことだ」
迎えにくると言っておいて、岩穴兎の娘を奪った至高の血の持ち主は、あっさりと情を他の女に向けたという。
もともと毛色が違うからと疎遠だったとはいえ、同族すらも多くその手にかけ、クラーワヴェラーレすら飛び出し他国へと出奔していったと聞いている。
そのような男の血を引くことに唾棄こそすれ、誇れるわけなどない。
ゆえに、その血を引く者にだけ、連綿と事実は伝えられてきたというに。
「なぜおれが呪い師の領域で牧人となっていたと思う?」
呪い師の素質がなかったからだ。同時に、呪い師たちからそれでも監視が必要な対象と見なされていたからに過ぎなかったからだ。
「なぜおれが、誰も娶っていないと思う?」
これ以上血を持つ者を増やさないためだ。ただそれだけのために、絶壁羊の氏族からも離れざるを得なかった。
最初から手放さざるをえなかった者、なんら罪なくして失った者。
わずかな違いはあれど、生まれ育った氏族を離れ、呪い師の中で見張られるようにともに生きてきたたった一人の親族を宥めようと、パストルは距離を詰めた。
「嘘だぁっ!」
不意にわめくとマルスは牧人に打ちかかった。
パストルは避けなかった。相手のひ弱さと哀れみのせいだ。
が。
胸にも届かぬその拳――牧人はよろめき、打たれた腹に手を当てた。
「マルス、お前……」
「俺の名を呼び捨てにするなあっ!」
さらに呪い師見習いはパストルを拳で乱打した――いや、その拳に隠れそうなほど小さな石の刃で滅多斬りにした。
命刃と呼ばれるその石の刀は、岩穴兎の氏族が子に持たせる守り刀だ。すべての武器を失っても、それだけは肌身離さず身につけているのが習わしだった。
特殊な石を打ち欠いて作った刃は小さく欠けやすい。
しかし、その斬れ味は鋭い。
服の革どころか、人の肌も。肉すらすっぱりと。
滅多斬りとはいえ浅い傷ばかり。パストルがあらん限りの力で抗えば、マルスなど一瞬でひとたまりもなく吹っ飛んだろう。
だが牧人はおのが身を守るためとはいえ、幼い親族に打ちかかるのをためらった。
マルスのひき歪んだ顔は今にも泣き出しそうな、寄る辺のないみなしごのものとしか彼の目には映らなかったのだ。
じっさいマルスはパストルにとって、そういう存在だった。一晩のうちに親兄弟どころか、同じ窟で暮らしていた親族たちすら全滅の憂き目を見、また自身も命を落としかけた幼子。
一人だけ生き残った彼を強運の子と呼ぶ者もいた。しかしそれはそれ以外の親族すべてを死の淵に追いやった凶運と表裏一体である。サクスムにほど近いところに住む氏族なら、いやクラーワヴェラーレの者なら誰もが知っていることだった。
むろん窟家の崩落に、マルスの責はない。ゆえに表だって責める者はない。だが目引き袖引き裏でひそかに疫病神の噂は広がった。
それはマルスとてわかってはいるのだろうとパストルは感じていた。もし呪い師の素質が芽生えなかったら、嫁いできた親族のかすかな伝手を辿って、別の氏族に育てられることになったのだろうということは。そしてそれはけして今までのように、同じ氏族の中で年下ゆえに与えられていた庇護を安穏と享受することなどありえない、災厄の呼び手とそしられ続けるような厳しくつらいものになっただろうということを。
だからこそ、マルスは呪い師としての素質にしがみつき、呪い師として己がどれだけ優れているのかを言い立て回り、それを本当のことにするために、あの骨の魔術師の杖に、魔術に、固執したのだろうということも。
「哀れな。かわいそうな子だ」
我が身を庇う素手すら小さな刃で斬り裂かれながら、それでもパストルはマルスを憎めずにいた。
あえて面と向かって語りはしなかったものの、彼が呪い師の里で牧人となったのには、岩穴兎の氏族が死に絶え、後ろ盾のなくなったマルスを見守るためもあったのだ。
呪い師として独り立ちできるようになれば絶壁羊の氏族に口を利き、見守ってやってほしいと頼むつもりで。
だが、ぽつりと漏れたその一言に、マルスは激昂した。
「俺を、かわいそうなどと、ほざくなあっ!」
一層深く突き刺さった石刃に耐えかね、低くなった牧人の首を。
血まみれの手に握られた小さな石が、大きく斬り裂いた。
「俺が至高の血を持っていないというのなら。こいつが至高の血を持っているというのなら。こいつの血を、全部俺の物にすればいい。……そうだ、それだけのことじゃないか。嘘が本当でも、本当を嘘に変えてしまえば、いい」
はっはっという獣のような息づかいと、熟しすぎた漿果にでもしゃぶりつくような音が夜闇に沈んでは浮かび、また沈み――どれだけたったことか。
不意に、血まみれの場に光が差し込んだ。
「なん、だ?」
いぶかしげに頭をもたげたマルスは、血に染めた顔をほころばせた。
「ああ、星が落ちてくる。そうだ、それでいい。光も、力も、すべてが俺の元にやってくるのが正しいことなんだ!」




