魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナ
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
「知っていた……だと?」
〔いや、ボニーさん。魔喰ライの王が森精だと知ってたって。どういうことですか?〕
森精に転生したという男の声に、グラミィもようやく我に返ったらしい。
正確には知ってたというか、おおかたそんなこったろうなと思ってたらやっぱり、ってことがあったってだけなんだけど。
〔いやだから。なんでですか!根拠は!〕
調べたからね。推測も多いけど。
この世界の神話、というか神々のあり方には、最初から疑問があったし。
多神教系の神々には、それぞれに特徴だった権能がある。
たとえば、境界を守る神。
貞節を守る神。
勝利をもたらす神。
冥界を支配する神。
これらの権能は機能とも言い換えられるだろう。そして機能面だけ見ると、多神教では主神ですら万能じゃないのだよ。
たとえばむこうの世界でいうと、ギリシア神話の主神ゼウス。
ゼウスは雷霆の槍という、厳しい罰を与える権能を持つ。太陽の馬車に乗った、神の息子でさえ、一撃火だるまになるほど強力な神器だ。
黄金の雨や白鳥、牛などにも姿を変えることができ、他の者の姿も変えることもできる。それが浮気にしか使われないのはどうなんだという気もするけれども。
だけどゼウスにもできないことがある。
女性を襲うことはあっても、女性になることはないし、冥界神ハデスのように、直接死者を生き返らせることも、鍛冶神ヘパイトスのように、優れた神器を創り出すこともできない。
この世界の主神であるアルマトゥーラも、ゼウス同様万能ではない。
が、あまりにも偏っているのだ。アルマトゥーラは。
主神である以上、権能は万能でなくても多様である必要があるというのにだ。
生きるため、そして生きることがより楽なものに、良いものになることを求めて、人は神に祈る。
人間武力だけじゃ生きられないのだよ。生産力大事。産めよ増やせよ的な意味でもだ。
浮気者のゼウスも、まあ、他の者に子を産ませることができるという意味では、あの好色ぶりも子孫繁栄の権能を持つといえるのかもしれないわけですよ。
だけど、戦いって基本的に消費行動だから。金も、食糧も、武器も、何より人命も食い尽くすような。
〔それはわかりますけど。でも戦神って概念はあるわけですよね?それこそギリシア神話のアレスとか〕
だけどアレスは主神じゃない。
そしてこの世界の神話にも、証拠はあるんですよ。
〔証拠?!〕
そんじゃ口頭反撃とまいりましょうか。
謎解きも聞かせたげるから。グラミィ、よろしく。
「『魔喰ライの王、コリュルスアウェッラーナの神話を知っているというのなら、わかりそうなものだけど』」
「……なにをだ」
「『主神であるにも関わらず、武神アルマトゥーラの記述は魔喰ライの王との戦いに始まる現世開闢の、ほんの一節にしかないってことを』」
ええ。聖堂で改めて神話をざっくり教えてもらったときに、めちゃくちゃびっくりしたんですよ。
主神っていうから、アルマトゥーラの神話ってそれこそゼウス並にあるもんだと思ってたからね。別の神や英雄が主人公の話でも、扱われてないはずがないだろうと。
だけどアルマトゥーラはゼウスのように、ニンフや人間の女子にちょっかいはかけてなかった。
いやまあこの世界にニンフって概念はないみたいだけど、品行方正が過ぎるあまり影が薄い主神ってのもどうなんだ。
じゃあなんで、アルマトゥーラが主神としての地位を保ってられるのかって?
戦う人である騎士、領主、王侯貴族が武神アルマトゥーラを崇めるのはわかる。だけどこの世界における圧倒的大多数であるはずの農民たちが、武というあまり自分たちの日常生活に関係のないはずの神を崇めるのは、彼らにとって最重要神である豊饒神フェルタリーテを助け出したからというね。
つまり、アルマトゥーラが最高神として位置づけられているのは、フェルタリーテを通した間接的な信仰のおかげなんである。
「『あまりにもちぐはぐにすぎると思わないか?』」
もちろん、戦神武神を祀り上げる意味はいくつもある。
一番大きいのは、戦いにおける加護を得るため。勝てるように。負けないように。個人的には死なずに、怪我をせずに戦いから戻ってこられるように。報償や名誉を得られるようにというのもあるだろう。
もう一つは、戦いの名目として。こちらに正義と有利があるのだと、戦に向けて人々を駆り立てる旗印とするため。戦死した者に名誉を与えるため、というのもそこに含まれるだろうか。
逆に、戦争の概念そのものと見て、祀り上げ鎮撫することで平和を維持する、なんて意味もある。いわゆる祟り神的発想ですな。
そして最後に元ネタの慰撫。
〔も、元ネタ?〕
平将門、菅原道真。向こうの世界の日本にも立派な祟り神がいた。というか、神に祀り上げられた人たちがいた。
恨みつらみを呑んで死んだ者の怨霊を御霊へと祀り上げたのは、彼らに政治的もしくは軍事的に勝ったはずの人間が恐れるほど強力で、うっかりしたら政治構造すら逆転されそうな相手だったからといわれているんですよ。
だけど人間の方が祟り神より怖いんじゃないかとあたしなんざ思うのだが、人は畏れ祀り上げ敬して遠ざけたはずの祟り神相手にすら、御利益を求めるようになった。
祟り神たちは、その元となった人間たちが得意としたもの――ただし、敵に競り勝てるほどにはいたらなかった力――武芸とか学問とかを権能とする。加えて祟り神という巨大な厄災が居座れば、他のちょっとした悪運の類いは寄りつかないということでか、魔除け厄除けの御利益がうたわれてたりするというね。
そう、権能の由来話は元ネタのある神々ほどユニークになる。またそういった神々は、権能の幅が一極集中型とでもいうのだろうか、ひどく狭くなるんですよ。
その法則がこの世界でも通用するのならば。
武神アルマトゥーラも、そしておそらくは豊饒神フェルタリーテも自然発生した神ではない。何らかの元ネタありきのことだろうとあたしは推測した。だからこそ通常の多神教の主神とは真逆の性質を持っているのだろうと。
ということは、神話にはある程度真実が含まれているということになる。
だとするならば。
「『武神アルマトゥーラと豊饒神フェルタリーテの邂逅、武神アルマトゥーラと魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナの闘いは実際にあったことだという可能性がある。わたしはそう考えた』」
それがいつどこで行われていたのか、その戦いの大小、あるいはどちらが善でどちらが悪だったのかはさておいて。
「『ならば彼らがどこの誰であったのか、調べることぐらいはできるのだよ』」
「闇雲に調べて探し出せるわけもないだろうに!」
「『目星ぐらいなら、ある程度はつけられたのでね』」
権威がさらなる権威付けを欲するのはよくあることで、世俗の権力が宗教と結びつくのもよくあることだ。
王家が神話と、というか、神との結びつきを主張することも。
ギリシア神話に出てくる英雄や小国のたぐいは、だいたい神々の子孫だったりするし。それこそゼウスが王女を見初めていろいろなものに化けて忍び込んでったりもしてるし。
だからトロイア戦争に神々が加担――というか、贔屓した側に手助けしたり、推しの英雄に武器を貢いでたりしてるんだよねー。なんて推し活。
そして、この世界でもそのあたりは同じらしい。
「『王侯貴族――特に、各地方の宗主国の王は、武神アルマトゥーラの用いたる知性宿る武具の末裔。そう言われている』」
「事実な訳がないだろう!」
もちろんこれも比喩が含まれているのだろう。
だけどここまで主神との結びつきを同一のテンプレで示しているのだ。地域をまたいで。
それにもかかわらず。
「『地方によって、最高の神器とされるものが違うのはなぜだと思う?』」
「はぐらかす気か?」
いんや。
こういう権威付けのテンプレもだいたい近隣諸国と統一されるんですよ。典礼と同様に。
相同点を増やせば増やすだけ、たとえ表向きでも友好関係が維持しやすいのは自明の理だし。
だのに、スクトゥム地方にかつて存在した小国は盾の名を冠し、グラディウスは剣のたぐい。ランシアは槍を、クラーワは鈍器系と地方によってばらけているのだ
武器も防具もみんな武神アルマトゥーラの武具ってことになってるのはなんでかね。
「『それともう一つ。森の民はスクトゥムの地にほとんどいない』」
スクトゥムに森精がほとんどいないのは、星屑たち――ひいては、彼らを操る『運営』たちのせいだと、あたしはずっと思いこんでいた。
その理由はアエスでの樹の魔物たちとの邂逅にある。虐殺によって半身たる森精たちを失った彼らの混沌録へあたしはダイブした。そのインパクトたるやすごかったもんな。
おまけに、直後にアエスから逃げ込んだのが、当人もその身を痛めつけられてた海森の主の島だったし。
それを思い直すきっかけになったのは、クラーワでメリリーニャに聞いた話だ。
彼も南の森の末裔ではあるが、もとの森は絶えたと。
それがいつの話か、どこにいくつ森精たちの森があるのか、それを教えてくれることはなかったものの、あたしにはラームスが――賢者と魔術師の都市とうたわれたリトスの図書館の蔵書を記憶させた樹杖があった。
森精たちの話を聞くだけでなく、そっちの話もしろと言われたので話したことがあるが、案外森精たちは人間の伝承を聞くのが嫌いではない。おそらくそれは彼らを人間がどう見えているのか確認できるというだけでなく、彼らの混沌録の内容と照応させることができるという意味もあるからだろう。
そして心話で話していると、彼らの反応ってけっこうダイレクトに伝わってくるのだ。ああこの辺は寓話扱いされてんだな、とか。このあたりは森精たちに伝わっている歴史と相違が少ないんだ、とかね。
くわえて、今のあたしはヴィーリから管理を委託された森――樹の魔物たちによって広げられたネットワークにつながっている。
混沌録の悪影響を低減できるプルヌスたちのおかげもあって、今やあたしが一度認識できるエリアはウンボー半島はおろか、ロリカ内海の一部にまで及ぶのですよ。
それらをもとにして推測をつなげるとだな。
「『かつて今のスクトゥムのあたりに、巨大な森があった。理由まではわからないが、その森の民の一人が狂ったのは事実らしい。それが魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナだ』」
「なに」
「『人々は結託して戦った。魔喰ライと化した森の民の攻撃を防ぐ者。防いで反撃のための時間を稼いだ者たち』」
「そらみろ、やっぱり森のやつらは災害だ!」
「『吠えるな。人々というのは当然森の民たちも含んだ表現だ』」
あたしはじろっと眼窩で『魔術師』を睨んだ。
「『攻撃は最大の防御というが、攻撃に転じるためにはまた防御も重要。魔喰ライの王をスクトゥム地方に住んでいた人間や森の民が懸命に防いでいる間に、他の土地から攻め手が続々と集結した。彼らの持つ武器は、それぞれの場所で作られ、その土地に根ざした暮らしの中で研ぎ澄まされたものだった』」
冷涼な土地が多く、目の詰んだ針葉樹が得られる北の民は、長直な柄の槍を作り。
重量のある武器は海に落ちれば重石にしかならぬと、西の海に生きる人々は、船上でも取り回しの良い、短めの剣を携える。
森精たちへの畏敬の念から、木を切り倒すことなく木材を得るため、主に木の枝で道具を作ってきた東の山の民は、鉄も手に入りにくいことから棍棒を武器とした。
もちろんそれ以外の形の武器も使われたことだろうが、呼び名は各地を代表とする武器の名前となったわけだ。
そして魔喰ライの王の矢面に立ち続けたその栄誉をたたえ、南の広大なる土地は盾の地と呼ばれるようになった。
「『力を合わせて魔喰ライの王を封じたのち、人々は己の地へと戻り、森の民たちは人の前から姿を消した』」
武神アルマトゥーラの別名、魔喰ライの王と相撃つ者。
これは、単純にコリュルスアウェッラーナが強大であり、相討ちになるかもレベルだった、というだけではない。
おそらくは目的であるコリュルスアウェッラーナの討伐が終わったことで、彼らの団結は解かれ、それぞれ異なる地方へと散っていったことを示しているのだろう。
「ただの妄想か」
「『いいや』」
たしかに証拠は少ない。武神アルマトゥーラと魔喰ライの王コリュルスアウェッラーナの戦いがあった当時、あたしがこの世界にいたわけじゃないし。
だけど、証拠を持ってないのなら、持っている人に。当時いなかったのなら、いたものたち、いた記憶のある人たちに聞けばいいだけのこと。
「『森の民に直接問いただしもした結果だ』」
「嘘だ」
『魔術師』も口では否定したが、たぶんわかっていることだろう。
森精たちは嘘が吐けない。
真実のことしか言わずとも、言わないことがあるというやり方で、あるいは違う側面から見た真実を示すことでいくらでも誤導はするけれども。
だから彼らがそのとおりだと認めたことは、本当にあったことなのだ。彼らの知る限りにおいて、という条件文はつくものの。
「『凶渦――森の民たちの、魔喰ライの呼び方だが――が現れたのは彼らの森の中であること、そして凶渦を討ち果たすため多くの人々がいろいろな地からやってきたことは教えてくれたよ。かくして人の世と森の民の世が分かたれ、接触の機会が極めて減っていったことも』」
「じゃあ、あんたは知っていて魔喰ライの王の眷属と接触していたってわけか知っていて、やつらに協力していたというのか!あの魔喰ライの王の一部に!」
激昂する『魔術師』にあたしはつめたく眼窩を向けた。
「『その魔喰ライの王を利用する魔術陣を使っていたお前たちに批難されるいわれはないな』」
盗人猛々しいにもほどがある。
あたしゃ黒柄の槍でぶっさされて、消滅するかと思ったんですからね?
「『それに勘違いするな。今の彼らは魔喰ライではない』」
〔ええ、まあ、そうですよね〕
グラミィも目で頷いた。
森精たちは魔喰ライじゃない。
もしそうなら、わざわざヴィーリがカッシウスに留まってまで、ゾンビさんたちの面倒を見てくれているわけがない。
魔喰ライならばそんな配慮などしない。自分の餌にして終わりですよ。
円環の道で重傷者が大量発生した――というか、あたしがミニゲームじかけの妨害をしたてたら、星屑たちが同士討ちをした上にランシアインペトゥルスの兵たちが追い打ちをかけて死傷者の山を築いた――時にも、彼ら森精たちは闇森から出てきて、真摯に対応をしてくれた。
重傷者に向かって枝にしてやろうか?といったのには焦ったが。
だけどねえ、彼らにとってはそれも善意なんだよなあ。
魔力も知識も、これまで送ってきた人生がすべて死によって消滅するくらいなら、せめて樹の魔物たちに魔力を譲らせることで、記憶を渡すことで、死者の価値を、名残を残しておいてやろうというね。
森精目線の価値観なので人間のそれとは違いすぎるのが玉に瑕だが、本当に手当の及ばぬ者には安楽死もさせてくれたのが森精たちの優しさですよ。
何せ彼らは夢織草の扱いにかけては、星屑たちなぞ足元にも及ばぬ本家本元。瀕死者も痛みなど感じないようにと、あの世へ送ってくれていた。
あたしはするなと手の骨を出すなと言われたから関わることはできなかったが、それでもせめて見届けようとしたから知ってる。
そもそも森精たちは、人間では敵わぬほど大量の魔力を一度に操ることもできるが、それは樹の魔物たちの助力あってのことだし、彼らはなんというか、限度をよく知っている。
数千年以上蓄積された記憶によるものなのかもしれないが、魔喰ライになるような無茶はけっしてしない。
だがそれは、彼らとの行動が多かったあたしとグラミィだからわかることなのかもしれないな。
「何を証拠に」
疑わしげに『魔術師』が睨んでくるのも、まあ、わからないわけじゃない。だからあたしは助言をくれてやることにした。
「『彼らの行動を見ろ』」
〔行動?〕
「『彼ら森の民は、この世をより正しく、豊饒をもたらすために動いている』」
「異世界転移者を搾取しているだけだろう!」
「『いいや。保護と監視は相反するものじゃないというだけだ』」
あたしも森精たちに利用されていることまでは否定しない。アエスの虐殺だって、落ちし星を何人もの森精が犠牲になっても追いかけてった結果だということを考えると、単なる保護だけが目的とも言い切れなかったんじゃと考えている。
が、森精たちがあたしたちを利用するというのなら、利用するだけの価値を認めているというのなら。
それはこちらから利を差し出して、逆に益を願うこともできるということでもある。
ただ、彼らは世界の管理者を自任している。我欲では釣られないんですよ。
「『彼らの魔喰ライへの王の感情は自己嫌悪に近い。被害をそのままにしてはおけぬ、二度と同じような凶渦を出してはならぬという自戒と贖罪で彼らは動く』」
だからこそ。
「『森の民の一員として暮らしていたのなら、知っているだろう?――彼らが、森から出ることはほとんどない』」
半身たる樹の魔物たちが根付く場所、葉を空一杯に広げうる地より離れたくはないという理由もあるだろう。
が、ヴィーリやメリリーニャのように、半身を樹杖として森精たちもいる。彼らは森の外に出ることができる。つまりどうしても樹の魔物たちを根付かせておかねばならない、ということはない。
そもそも、森の中は火を使うのに細心の注意を払う必要がある。森火事など万が一にも起こせない。
おまけに闇森の中であたしは住居や倉庫のような建造物を見たこともない。そんなものを作れば木の根っこを圧迫したり日差しを遮ったりといった不都合があるのかもしれないが。
いずれにせよ、いくら魔術に秀でた森精たちとて、常に火の使用制限があったり、物を保存する場所がなかったりと、森の中での生活はかなりの不便があるだろう。
その不便をあえて耐え忍ぶ生活を続けていることも、彼らが人との交わりを避けるため身を律していることのあらわれであるように、あたしには感じられてならない。
「『だが、それがスクトゥム地方から彼らが姿を消した遠因になった。スクトゥム帝国ができたせいだ』」
ほとんど人間との接触をとらない森精たちも、王侯貴族との接点は維持してきた。富の蓄積により、識字能力があり、記録の保存伝承能力が一般庶民よりも高く、そして人間という集合体を動かすのに足る存在だからだ。
しかし、スクトゥムでは帝国が領地を広げる中で、帝国の周囲にあった小国の王家の人間は、ほとんど殺戮された。敗北故の抹殺ではなく、降伏を選び併合されていった国々ですら。
結果窓口を失ってしまった森精たちが、人間に頼ることなく自分たちだけで落ちし星の保護を行おうとしたのが、アエスでの虐殺の背景だったという可能性もあるのだよね。
「うそだ。お前は嘘を言っているに違いない」
けれど頑迷なまでに『魔術師』は首を横に振り続けた。
「俺は信じないぞ。俺を拒絶したやつらなど信じない」
「『……疎まれたのか。森の民に』」
〔でしょうねー〕
たしかに自分を育ててくれたのが異質な存在だと思えば、そりゃ『魔術師』も四六時中気を張っていたかもしれない。だけど警戒心を感じ取り違和感を覚えれば、森精たちも距離を置くだろうさ。
それに、森精たちは確かに丁寧に異物を弾く。南から来た、彼ら自身の森を失った同胞の裔、メリリーニャを外部との接触役にしたように。
ひょっとしたら『魔術師』は混沌録へのアクセス権限も与えられなかったかもしれない。
だけど、あたしは彼への同情をかけらも感じなかった。
「『それでも、あんたは森の民たちから言葉を習ったんだろう?』」
それこそが、森精たちが『魔術師』を完全に排斥はしていなかった証拠だ。
森精たちは言葉を話す。心話が通じるのならば口を使って喋ることはいらないのにだ。
彼らの話す言葉は、普通の人間には通じないほど古い言葉だったりする。心話の通じない人間と会話をするだけなら、人間の言葉だけを話せばいいものを。
つまり、彼ら特有の語彙は、心話を使わない彼らの同胞と話をするときのプロトコルの一つということになり、『魔術師』が喋ることができるというなら、それは彼の魔術知識が森精たちから得たものであるのと同様に、『魔術師』を一応は同胞と認めていたということにもなるのだが。
「ああそうだ。おかげで脱走するには都合は良かった」
あたしとグラミィの心話にも気づかない様子で、『魔術師』の口調は熱を高めていった。
「黒髪黒目に生まれたのも運が良かった。スクトゥム帝国が属州に異国の人間が入り混じる多民族国家だったのも都合が良かった。やつらが落ちし星とか呼ぶ異世界人との接触ができたからな。あいつらの思惑をすべてひっくり返すため、俺はリトスに潜り込んだ。人の魔術を学ぶために」
「それは……」
ずいぶん思い切ったことをするものだ。人間性はまるで評価できないが、行動力だけは図抜けている。
「日に肌を焼いて髪を伸ばせば、見た目なんてわりとごまかせる。森の連中がこれまで拉致監禁してきた異世界人の持ち物もとっておいてあった。かっぱらってきたのを適当に組み合わせれば、雑に荒い布だって風合いに化ける。――あとは日本語しかしゃべれないふりをすればいいだけだった」
……ん?
「実際、森の奴らの言葉は古すぎるらしく、ちょっと喋ったくらいだとまるっきり異言語にしか聞こえない。そのくせ基本文法は頭に入っているから、急激にマスターしたようにも見せることができるだけ。あとは師匠師匠と懐いてやったら、ぼろぼろ情報を出してくれた。おかげで召喚陣なんてものを覚えた」
……どっかで聞いた話だな。
「成り上がりストーリーはよっぽど魅力的らしくてな、手を組もうとつつけば、ころっと落ちてきやがった」
「『そうか、お前がクズか』」
「……なんだと」
〔いやクズ呼ばわりされればさすがに起こるでしょうよ!〕
グラミィがツッコんだが、たぶん『魔術師』の形相が変わったのはそのせいだけじゃない。
「その呼び方。『師匠』といつ接触しやが……そうか!だからリトスを崩壊させたのか!目眩ましのために!」
「まーた勘違いしてやがんのか。早のみこみで人の話を聞かない癖は、死んでも治んねぇみたいだな」
新しく聞こえてきた声に、『魔術師』は大きく肩を撥ねた。びくりとしたのはあたしもだ。
「『師匠』。てめぇ……」
生きていたのか。マグヌス=オプス。




