木下闇は深く
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
正直『運営』――ラドゥーンたちの中には、星屑と落ちし星、その双方がいるだろうとは思っていた。異世界人格召喚陣を作成したという、マグヌス=オプスの言葉もあったからだ。
だが、どっちにしろ、その身体は、人間のものだとばかり思っていた。
他の世界から落ちてきた者ならば、その身体は自前の持ち込み。
星屑ならば、搭載されている身体はこの世界の人々のそれ。
峻厳伯の例もあったから、落ちし星の血と知識を受け継いだ子孫という可能性だって考えていた。
けれど森精というのは、あまりにも想定外に過ぎた。
それに、この『魔術師』は、単なる星屑じゃない。
それじゃ説明がつかないことが多すぎる。
あたしは手早くグラミィやコールナーたちに行動方針を伝えた。
ようやくベヒモスの励起は収まり、あたしの知覚能力も戻ってきたとはいえ、『魔術師』がまた同じ事をやらないとは限らない。
人の血でベヒモスを励起できるならば、やつには自傷という手段がある。かなり自爆になるだろうけど。
逆に距離を離していた方が、遠距離攻撃された時に危険だ。少しでも距離を詰めようと。
全員が即座に同意してくれたものの、周囲の地形は盛大に変化している。
大量のベヒモスが魔力を失い消滅したせいで、かろうじて励起状態にならなかった部分、あるいは普通の岩石部分の残った山岳地帯は、大きく囓りとられたようになっていた。まさしくベヒモスの名にふさわしいといえる惨状だ。
今、あたしたちが立っているのも、元崖の根元部分……というか、新しくできた崖の先端部分にかろうじて、という状態だ。樹の魔物たちが根を張ってくれているから、それでも多少の安定感はあるものの、今もコールナーの蹄下から、ぽろぽろ土砂がこぼれている。
(コールナー。すまないが道を探して遠回りしてくれ。おまえの足ではこの崖を降りるのは大変だろう)
(……わかった)
(ついてくー)
不承不承鼻を鳴らしたコールナーの背にアウデンティアがぴょいと飛び乗った。
幻惑狐は土を操る異能を持つ。足元の補助もしてくれるだろう。連絡係としても有能だ。
さて。んじゃ行くよ、グラミィ。あと通訳もよろしく。
〔あ、はい〕
あたしとグラミィは崖下へと飛び降りた。
励起状態にあったベヒモスの消滅は、大きすぎる二枚貝の片割れにも似た名残を残しているようだった。
あたしたちが降りてきた崖はオーバーハングに近い。が、えぐり取られた山肌はどちらかというとなだらかな上り坂になっているようだった。
「わざわざ高みの利点を捨てて、ここまで降りてくるとはな」
「『離れたまんま大声で怒鳴り合いを続ける趣味もないんでね』」
さらりとジャブをかわしておいてと。
……ふむん。どうやら『魔術師』も直接術式に関与することはできないようだ。
それが消耗によるものなのか、それともあの黒柄槍のような、魔術師殺しに使えるギミックを用意していないせいかは知らない。
あたしたちが結界翼を顕界して飛び降りてきたのは、しかけるにはいい隙だったはずなんだが。
〔やっぱりですか。危険なのになんでわざわざ派手なことをするかなと思ってたら……〕
もっとも、墜落させようとしてくれば、逆手にとっていい鴨にできたのに。
〔なに罠さらっとしかけてんですか?!ボニーさんがあっちもこっちも黒い上に怖い!〕
我が身を囮にするなら、情報収集手段にカウンター、いろいろ活用しなきゃ損でしょ?
どんどん畳みかけないでどうする。
「『あと、よくわかったなもなにも。その魔力をそのまま射出する技術、森の民のものでしょ?いくら人気がない山の中だからって、野外で大声出して、日本語でおおっぴらにやりとりしてていいことなんだ?』」
「む」
ぐうと『魔術師』は詰まった。
「『にしてもその身体。どこから持ってきたわけ?森の民を拉致ってくるとか』」
人間の魔術師は魔術顕界に自分の魔力を操り、術式を構築し、魔力を術式に通して顕界するという手順を行う。
逆を言えば術式を通さず魔力のまま、自分から離すことはまずない。いや、ほぼ不可能だということでもある。
魔力暴走を起こしたパルもその基点は自分自身だったし、暴走によって傷つけられたのは、妹のテネルを抱っこしていた、そのパルの腕を手荒に掴んだ相手だった。
魔力を魔力のまま塊にして打ち出すなんてことができるのは、人間の持たない技術も持っているらしき森精ぐらいなものだ。
あくまでも、『森精』だ。『森精の身体を手に入れた星屑』ではない。
これまで魔術のない世界にいた異世界人が、魔術のあるこの世界に落ちてきたら、いきなり魔術が使えるようになる――なんて、都合のいいチートで俺Tueeな話はありえない。
落ちてきた直後の異世界人には、魔力知覚能力がないからだ。
魔力知覚能力とは、簡単に言えば基本的には、自身の身体から放出する魔力を操作することによって、他の物体や人間が放出あるいは保有する魔力を知覚する能力であると言える。
この能力がなければ、魔術を学ぶことはできない。
が、この世界に来たばかりの異世界人が、この世界に落ちてくるまで、存在すら信じていなかった魔力という、見ることも触れることもできないモノを感知できるわけがない。
森精によれば、落ちし星であれば、魔術師の素養となる大量の魔力を持っているという。魔力知覚能力を持つための条件の一つはクリアできているわけだが、それでも存在していることすら知らなかった目を開いて、事物を認識するところから始まるわけですよ。色も形も遠近も大小も、その後でなければ概念として獲得なんてできない。
魔力があるからといって異世界転移者がすぐさま魔力知覚能力を身につけたり、魔術が使えるようになったりするわけでもない。
そうなるには、よほどの運と不運、そして努力が必要になるだろう。
まず独学では無理。
なにせ知覚能力ですから。完全に感覚的なものだし、異世界設定の創作ものでたまに見かける『他人の体内にある魔力を動かしてやって、その感覚を教える』なんて能力のある魔術師、この世界にゃいませんから。
幸か不幸か魔力の扱いについて教えてくれる師匠ができたとしても、地道な訓練必須な上に、支払うべき代償が必要となる。
魔術学院は平民のこどもであろうと、魔術師の素質――多大な放出魔力を持つ者には、魔力について扱いを教えてくれる。それこそ乳飲み子すらそれなりの年月をかけ、いっちょ前の魔術師に育て上げさえもする。
が、それは決して慈善活動じゃない。善意でも無償でもない。
だからこそ、魔術学院の中級魔術師課程まで修了した者は、束脩を支払える魔術師系貴族の一族でもない限り、その身を国に買い取られる形で魔術士団に入るか、その対価を支払った大貴族に仕えるわけですよ。
あたしたちですら、クウィントゥス殿下に知識と庇護を求める代償として、行動の自由を差し出したりもした。
もっとも、落ちし星たちはこの世界の言語知識がない。魔力の扱いを学ぶ前に言語能力を身につける方が先になるだろう。
が、それにももちろん、時間と対価が必要になるわけで。
ならば身体がこの世界の人間のものであれば、すぐさま魔術師になれるかというと、そんなこともない。
魔術師の素質として高い放出魔力を持っている人間の方が少ないし、魔術師だって修練によってその資格を得るのだから。
では、修練を積んだ魔術師の身体に異世界人格を搭載すればどうなるか?
インスタントに魔術師爆誕――とは、それでもならない。
星屑たちが搭載されているこの世界の人々の額には、二つの魔術陣が魔力によって刻まれている。
身体の持ち主の人格を抑え込み、ていのいい傀儡とするための喪心陣と。
異世界人の部分的召喚――精神部分をこの世にとどめておくための召喚陣とが。
この喪心陣のため、異世界人格はこの世界の人が持つ身体能力を、ほぼ不自由なく利用できている。
一方、知的能力の利用は制限されている。
見ていればわかることだ。星屑たちはその身体の持ち主の持つ言語能力は使える。いわゆる身体で覚えたことはできるし、無意識レベルの行動もなぞれる。
が、身体の持ち主の知識や経験を利用はできない。
できてたら価値観とか引き継ぐわけですよ。民家に押し入って甕を割ったりめぼしい財産を強奪したりという勇者行為なぞする前に、この世界の常識がお仕事してたはずなのだ。
無意識でもできる作業は手続き記憶により可能。だがエピソード記憶はないから、この世界の常識は皆無。
クラーワでさんざんそれを逆手にとった罠に星屑たちを嵌めたものである。
もちろん、ラドゥーンたちがゾンビ化した人たちに使っていたのより、よりグレードの高い異世界人格召喚陣を使ってるって可能性もないわけじゃない。身体の持ち主の知識や経験も完全利用できるようなものとか。
が、正直その可能性は薄いとあたしは考えている。
この世界は工業化されている割合が低く、そのぶん汗を流して得た経験には血が通っている。身体の持ち主の体験知識の方が、召喚された人格のそれより遙かに密度が遭って濃厚なんですよ。下手に直結したら、無防備に混沌録へダイヴするようなもんでしょうよ。人格が潰れかねませんがな。
メリットよりデメリットの方が多すぎると思うの。
つまり、森精の技術は、仮に森精を捕らえ、無理矢理その身体に異世界人格者の精神を搭載しても得られない。
つーかだね。
森精は精神的群体なのですよ。その身体に異世界人格なぞ搭載してみろ。
まず間違いなく、異質な『個』が生じたことが即座に森精全体にばれるだろうね。水の中に『水』と書いた石を入れても、石は石なんですよ。
おまけに、どんなにアクセスできる記憶を制限したとしても、相手になるのは身体の持ち主だけじゃない。森精という集団ですよ?
発狂すら許さずに、すり潰されてもおかしかない。
〔つまり、それらに当てはまらない以上。『魔術師』の正体は?〕
わからん。
〔ボニーさん。おい〕
グラミィの呆れた気配が伝わってきたが。
いや、本当にわけがわからんのよ。
ただ言えるのは、『魔術師』が、これまで見てきた星屑たちとは全く一線を画した存在であるということ。
そして『魔術師』が森精たちの技術をどうやって得たのかによって、森精たちとの向き合い方も考えにゃならんってことだ。
〔森精たちの?どういうことです?〕
……例えばの話、経過はどうあれ、たまたま『魔術師』がその名の通り魔術師になれてしまったハイパー星屑だったとする。
魔術師なら森精たちの技術を学んで身につけられないとも限らない。
技術は森精から盗んだものかもしれない。『魔術師』本人ではなく、彼に魔力の扱いなどを仕込んだ人間が、でもかまわないが。
〔身体は?森精のものというのはどう説明づけます?〕
例えばなんかの事件か事故に巻き込まれて、魔術を発動する間もなく半身たる樹杖を奪われた森精のものとかね。
実際、アエスでの虐殺はそうやって行われた。
肉体的生命を奪われる代わりに、喪心陣を使われ、異世界人格を搭載されたというのもありそうじゃないか。
だがこれならすごく平和な状況なのよ。
〔いやその。かなり問題がないですか?〕
だってさ。別の可能性――例えば、その身体も技術も森精たちが与えたものだった場合。『魔術師』は、というかラドゥーンたちは、いつからどれだけ森精たちに食い込んでいると思う?
〔あ〕
ラドゥーンが森精と結んでいたのなら。
最悪、あたしたちは森精たちの掌で踊らされていた道化師ということになる。
闇森からのファーストコンタクトに始まり、スクトゥム国内の森精たちの虐殺の痕跡すら壮大な罠の仕掛け。ラドゥーンたちというかスクトゥム帝国との対立というのも埋設された罠みたいなモノで、それを意気揚々と掘り返し、諸国すら戦に巻き込んだあたしたちは、自ら囮となり、味方になってくれた者すら巻き込んで罠にはまっていったも同然。
ヴィーリたちともそれぞれの立場はありつつ仲良くやれてたというのも、単なる思い込みということになる。
〔でも、それじゃ……〕
そう。心話では嘘を吐けない。そのはずだった。彼らの同胞を虐殺された瞋恚も嘘とは思えなかった。
だけど。
「ああ」
なにかに納得がいったように森精に入った星屑は頷いた。
「どうも話が食い違うわけだ。なあ。自称女子高生の表裏逆転ロリばばあ」
「ア゛ン?!」
条件反射で重低音を放つグラミィの、目の据わり具合にも『魔術師』は頓着しなかった。真犯人、崖に立ったら喋りたいというやつなのかこれは。
「死んだ記憶があるか?俺はある」
「『え。……じゃあ、まさか』」
「俺は、一度死んでる。本当に異世界転生なんてものがあるとは思わなかったが、何の因果か、生まれ落ちた先が森の中とはな。ハードモードにもほどがあるだろうが。人外転生というやつは」
設定盛り過ぎだろ、と男は溜息をついた。
異世界転移者ではなく、異世界転生者というやつか。
……なるほど。それならなみの星屑ではなく、森精の技術と身体を持っているのも当然だ。
森精として生まれてきたのなら、それもこれもどの疑問も、すっかり納得がいく。
わけがない。
そもそも森精として生を受けたというのなら、彼らの価値観にどっぷり染まっているだろう。こんな世界のバランスを崩すようなことなどできないはずなのだ。
どんどん増殖する謎にあたしが内心首の骨を傾げている一方、グラミィはグラミィで思うところがあったらしい。
「人外?森の民は人間じゃないとでも?」
「ああ。そのとおりだが?」
「なん……っ!」
グラミィは即答に絶句したが、あたしはひそかに『魔術師』に同意していた。
エルフやドワーフ、獣人やはたまた機械知性まで含む、いわゆるヒューマンではないが身体の一部あるいは大部分が人間のものであり、二足歩行する存在を、ファンタジーではデミヒューマン、あるいは亜人と表現することが多い。
読んで字のごとく、『半分』人間、もしくは人間に『近い存在』という定義だ。
そこには、てめえは人間じゃねえと規定した存在ですら、半分程度でも人間の要素があるのならば、わかりあえる、混じり合えるという期待、あるいは甘えがある。
たまたま個別の能力特性や風習があっても、それはむこうの世界における民族や人種ぐらいの差異でしかない、とね。
そいつが日本人お得意な擬人化というやつなのかは知らない。
だがただの人間同士でさえ、些細な差異を種を乗り越えられない壁のように言い立て、分断を力に変えようとする者もいる。実際それは敵と味方を恣意的に切り分け、集団を強固にまとめるのに有効な手段でもあるのだ。困ったことに。
その中で、自分ではない存在であるものとわかりあおうとし、そして対等に共生し続ける状況を作り上げられる可能性が、いったいどれだけあるというのだろう?
同一種であるはずの人間の中でさえ、差別意識と憎悪の感情は、たやすく殺意に変わる。むこうの世界で民族浄化という恐ろしい言葉もあったように。
おまけに森精は亜人ではない。異種族だ。
たとえこの世界のヒトの近縁種、同じサル系魔物の系統樹の、近しい枝に位置する存在だとしても。
姿形はダーウィン結節の有無ぐらいしか人間との差異はなく、言葉も通じはするけれども。
相同点より相違点の方が多い存在なのだ。種が違うとはそういうことだ。
なにより、森精は人間と中身が全く違う。
森精たちとて、個々人の身体に自我はあり、個体の自己保存本能だってないわけじゃない。
だけど、個体の生存より、森精としての利益に重きを置きがちで、一度そうと判断した途端、種としての意思決定を優先する。
それが滅私奉公が行動の根幹になっているように見えなくもない。
表現は悪いが、同じ肉食性の昆虫でもアリやハチといった社会性の高いものの精神構造を、カマキリやトンボといった孤立性の高いものが理解できるかと問うようなものだろう。
だから。
「『それじゃあ……苦労もするよね』」
「わかるか!わかってくれるか!あの気持ちの悪さを!」
その言葉が真実ならば、おそらく『魔術師』は、この世界での幼少期を、たとえようもない孤独と警戒、あるいは憎悪の中で過ごしてきたはずだ。
推察の結果を理解として示せば、心情への共感ととったのだろう。『魔術師』は激烈な反応を見せた。怒濤のように語り始めたのは、森精の生態だった。
「森の連中は樹に赤ん坊を捧げる。太いとはいえ枝の上に、首も据わってない赤ん坊をそのまま置いてまんまの状態で放っておく。なんの闇黒儀式だと思うだろう?」
「『つまり生贄?』」
泣かんばかりの勢いで迫ってきたので、あたしもついついツッコんだ。
無力な赤子の時の、恐怖というフィルターを通しての認識だとは思うのだが。
生贄扱いとか、こう、森精の集合意識みたいなモノをインストールされるためだったら、そもそも『魔術師』はこんなところにいないだろうが。
身体的生命終了か精神的自我消滅か、どっちかのお知らせ状態でしょうが。
「い、いや」
「『おっぱいとかオシメの世話もされずに、ずっと数日間放置されてたとか?』」
「……いや、そういうこともなかったが」
歯切れ悪くなるのはなんなんだ。微妙に正直か。
ともあれ、森精たちは『魔術師』をほかの森精の赤ん坊と同じように、ちゃんと育ててくれてたらしい。それが彼らにとって『魔術師』が水の中の石ではなく、ガラス程度に認識の網から抜け落ちる存在だったからなのかどうかはわからないが。
だが『魔術師』が森精に恩誼を感じるわけもなく。
「赤ん坊も赤ん坊だ。どいつも泣き声一つたてやしない。赤ん坊型の実が鈴なりになってるようなありさまでも静かすぎて不気味だ」
たしかに赤ん坊は泣くのが仕事だろう。
が、別に泣く必要がなければおとなしくしているのが新生児ですよ。無駄に泣いたら体力消耗するし。
というか、胎児は泣かない。
ラームスたち、樹の魔物と森精は半身とも言える結びつきがある。
赤ん坊のうちから樹に触れさせていたとは知らなかったが、おそらくそうやって精神的な結びつきを作っているのだろう。
心話も魔力が乗る以上、距離が近ければ近いほど届きやすい。接触心話が維持できていれば、母親の胎内から出た直後の新生児であろうと、未発達な心に感じる分離不安もやわらぐだろう。おなか空いたのおむつ濡れたのといった、生存維持のために必要な欲求の訴えすら、樹の魔物たち経由で親やお世話担当の森精にタイムラグなしに届くと考えれば、そうそう泣くような必要もないわけだ。半分まだ胎内にいるようなものかもしれない。
人間同様、森精も生理的早産状態で生まれてくるとすれば、それは生育にも好都合だろうね。
〔いいことずくめかは知りませんが……。枝から落ちたりしないんですか?〕
ないでしょうねえ。
樹の魔物たちにとって、森精の新生児というのは新たな半身だ。その身の安全ぐらい配慮すると思うの。
同じ樹の魔物にずっとそうやって子守をしてもらっていたのなら、過去の経験から安全策は立てておく、くらいの学習能力はあるのだし。
結果、森精の赤ん坊たちが泣きもせず、おとなしく機嫌良くすごしていたとしても不思議はない。
これ、実は単なる想像ではない。根拠もある。パルの妹のテネルだ。
パルの魔力暴走に巻き込まれたあの子は、あたしがなんとか事態を収めた時、盛大に大泣きしていた。
まだ言葉も理解できていない赤ん坊に語りかけ、声の調子で落ち着かせようにも、骸骨なあたしに声帯なんかありませぬ。
おまけにあたしの魔力は人を威圧する方向で働く。
困った挙げ句にラームスを握らせたら、いっぺんで泣き止んだのよね。
あれはどう考えても、ラームスが接触心話で不安をなだめ、安定させてやったからだと思うのよ。
〔なるほど〕
あたしとグラミィの心話に気づかず、『魔術師』は何やら思い入れたっぷり、という様子で呟いた。
「今考えれば、あれは自我のこじ開けか何かのプロセスだったんだろうな」
「『こじ開け?』」
「森の奴らにテレパシー能力があるのは知っているか。そいつを使って、あいつらは赤ん坊が自分というものを持つ前に、森精の一人でしか一部にしか過ぎないと叩き込む」
「『あんたを見てると、とてもそうは思えないんだけど』」
「前世の記憶があったからな。おかげで助かった。俺は、俺だ。そう思わなかったら、記憶にすがれなかったら、どうなっていたかはわからない」
と『魔術師』はいうけれども。
集団としての自我を叩き込まれるのは、別に森精に限ったこっちゃなかろう。
彼らのように一体性の高い精神的群体とはまた違うレベルではあるけれども、人間だって共同体、学校、会社、その他組織に放り込まれてその一員としての自己認識を叩き込まれる、なんてことはどこにでもある話だ。
「こじ開けられるのに俺は必死に抗った。そうでもしなければ自分の頭で考えることなんかできなくなってたろう」
かすかに身震いをすると『魔術師』は厳かに断言した。
「あれは、洗脳だ」
「ああそう」
あたしのツッコミを聞いてたせいだろう。グラミィの反応たるや、なんともおざなりなものだった。
やー、もうちょっとちゃんと相手したげようよ。あれだけ熱を込めて語ってくれたんだからさあ。
〔それはともかく。……どう思います、ボニーさん?〕
まあ確かに、『魔術師』の中ではそれが真実なんだろうな、とは思う。
こんなことをしでかした理由に、森精に嫌悪を抱いているってのがあるのなら、そこもすんなり理解ができる。
ただ、森精たちのやり方――子どもの自我を樹の魔物たちによって結び合わせ、精神的群体へと迎え入れる方法が、正しいとか間違ってるとか、部外者のあたしがえらそうに評価することはできないでしょうが。
森精たちにとっては、それが長年――それが数千年か数万年かは知らないが――続けてきた、由緒ある方法なんだろうし。『魔術師』は邪悪なものと考えているみたいだが。
「……やつらの危険性がわからんのか!」
塩にしてもほどがあるグラミィの反応に、その『魔術師』は躍起になったようだった。
「森の連中の手管をなんとかかいくぐり、情報を拾い集めて俺は知った。あいつらこそが世界を滅ぼしかけた張本人どもだってことをな!」
「『……どういう意味?』」
「この世界の神話を知ってるか?かつて君臨せし魔喰ライの王。コリュルスアウェッラーナの話を」
魔喰ライの王が森精だったってこと?
そんな話。
「『あ。うん。知ってた』」
〔ってボニーさん!〕




