崖の上の異世界人たち
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
(なんだこれは?)
思ってもみなかった事態に、コールナーも思わず足を緩めた。と、ぴょいぴょいと幻惑狐たちがその背を飛び降りていく。
(うごかないー)
(けはいないー)
(まなもないー)
死んだGのようにひっくり返った自動車モドキの周囲を、ひこひこ嗅ぎ回って、きゅうと鳴く。
道ばたの岩肌を見れば、盛大に横一直線の傷があった。
……カーブを曲がりきれずに、山際の斜面にぶつかったな。これは。
ぶつかった角度が緩かったおかげで激しく跳ね返されるのではなく、斜面で車体を摺りおろしてる間に、なんとか止まったって感じだろうか。
谷側に転がり落ちる前に止まれてよかったね。おっかけてたあたしたちも、頭上から降ってこられなかったのは僥倖というやつだ。
あらためて自動車モドキを眺めれば、たしかにひどい擦り傷だらけ。だが、車体はさほどへこんでもない。火が出た様子もない。
動力源がなんなのかわからないから、むこうの世界でよくあった、燃料タンクの破損からの炎上丸焼け、という事態も起こりえなかっただけなのかもしれないが。
幻惑狐たちに車内をさらに覗いてもらえば、座席は多少汚れているにしてもほとんど無傷。
そこだけ盛大に割れてるフロントガラス部分は、逃走者たちが自力脱出した痕跡って可能性の方が高いのかもな。
何か液体で濡れた地面に残った足跡を見ても、極端に乱れた感じはしない。ならば彼らが怪我をしていたとしても、おそらくは軽傷。それも行動に動きのないレベルといえるだろう。
……ふむ。
取りあえずグラミィ。
口で喋るの禁止。心話継続ね。
〔近くにいるかもってことですか?!いや警戒するのはわかりますけど。このあたりの斜面は岩ですし。山道のクセして街道も敷石。コールナーの疾走音って、けっこう響いてたと思うんですよね〕
まあねえ、追っ手が迫ってるってばれてる可能性は高いよねぇ……。
ただ、こっちはコールナーの足頼り、むこうは推定ここから先は徒歩。
この状態であたしたちから逃げ切ろうとするなら、よほどの急斜面を死に物狂いで踏破するか、それとも空でも飛ぶか。
〔……わりと空を飛ばれたら致命的じゃないですか〕
あー……。確かに。
ここまであからさまに異世界の物、略して異物を持ち出してきたんだ。こんなこともあろうかと的な台詞とともに、ハンググライダーの一つや二つ飛び出てきてもおかしかない。
〔そこで魔術って選択肢は?〕
正直ないかな。
真面目な話、あたしが空飛ぶ方法を確立したのも、無茶をごり押しできる魔力量と、複数の術式を同時顕界し続けられるラームスの助力あってのこと。
特に結界翼の顕界維持って、あれ刻々と変わる風とか気温とか湿度、その他もろもろに合わせてコンマ秒ぐらいで、変形し続けないと墜落するからね。
……まあ、小高いところに逃げてきたことを考えると、単なるハンググライダーでも逃げられかねん。逃走者たちが操作に習熟してるかはわからんが。
〔あ、なら大丈夫ですか?〕
……じつはハンググライダーじゃなくて、モーターグライダー隠してましたとか言われなければ。
〔言われたらお手上げなやつじゃないですか!てか上げたり下げたり人の反応で遊ぶのやめてもらえませんか?〕
可能性についての考察を示しただけですよ。
だがまあ、これ以上逃げられる前にとっとと身柄をおさえたいものだ。
(わかったー)
(てつだうー)
(おぼえたー)
いや幻惑狐たち。やる気満々なのはいいけど、落ちてた血だとかをちるちる舐めるのはよしなさい。お腹壊すでしょ。
〔いや、そういう問題で? 〕
グラミィがつっこんできたが聞こえないふりですよ。
たしかに人間感覚だとどうかと思うけどさあ。これでほぼ確実に臭いでも追えるようになったと思っておくしかないでしょうよ。
あたしはラドゥーンたちを警戒している。何をしてくるかわからないのが怖いからだ。
それをなんとかしようとするには、やはり情報が重要だ。
事物から取れる情報は観察力次第。一方、人間から情報を取るには、生きたまま拘束が基本方針になる。のだが。
〔それって、難易度高いんですよね?〕
死体にしちゃった方が話が早いのは確かだね。
なにせ遠距離から魔術で襲撃すれば、たいていの敵は殺せる火力ですよ。あたしも、グラミィも。森精たちも。
だけど、情報云々をさておいても、もともとあたしもグラミィも、人を死なせたくない世界の人間だしね。自分の手で殺すなんてもってのほか。
〔それはそうですよ!死んだ人を見るのは、もうたくさんです!〕
グラミィは身震いした。その心情には共感するが、あたしがこの世界の人を死なせたくない、もっというと殺したくないと考える理由はそれだけじゃない。
単純に、人が死ぬのを見たくない。それは本当だ。
同時に、あたしは魔喰ライになりたくないし、グラミィにならせたくもない。だからあたしたちの手で――あたしは手の骨だが――にもかけたくはないという打算もある。
ついでにいうなら、ラドゥーンたちを殺すことなくうまく押さえ込めば、スクトゥム帝国もいい感じにソフトランディングできるんじゃないかという計算だって絡んでいる。
甘い見込みなのはわかっている。
だけど、このまま星屑たちが死に戻り気分でさくっと自殺行為を続けてみろ。
死者が増えれば、それだけスクトゥムの国土が荒れるのだ。
いくら農作物の収量が望める肥沃な土壌、温暖な気候の土地であっても、それを耕し手入れをする人間がいなければ荒廃する。
そうなったら倫理観は揮発する。弱者が虐げられ、一時的に優位を占めるのが機動力のあるヒャッハーなのは、トゲショルダーが証明している。
なお『一時的』とあたしが定義するのは、消耗品の供給がなければ、武力や戦力なんてもんは、あっというまにめたくそに低下するからだ。
長銃だって大砲だって、故障するか弾が尽きればただの鋼の筒ですよ。射程武器じゃなくなるのだ。
これが、単純にスクトゥム一国がポストアポカリプス状態になるだけならいい。だけど世界は孤立を許さない。他国と繋がっている可能性を考えて動かねばならないのは、経済活動だけじゃないのだ。
(いたー)
あたしの懐から鼻をつきだしていたフームスが、きゅうと鳴いた。
コールナーにまたがったあたしがようやく逃走者たちに追いついたのは、小高いとはいえ、山とも呼べない高さの山の、その頂上近く。
土砂が削り落とされ、巨岩や岩盤が露出した崖の端近くだった。
……状況にふさわしく、動機から犯行手段まで全部語ってもらったってええんやで?
一瞬驚いたような顔をしていた、恰幅のいい壮年の男性が近づいてきた。その後ろにいるローブ姿は……フードをかぶっている上に、いまいち気配が読みづらい。
「自前スモークつきの死神騎士ってか。なかなか派手な登場だな」
いやあんたたちの逃走手段ほどじゃありません。開き直りはしたけれど。
そう、どうせ追跡がばれるのならと、あたしは目立つのも辞さないことにした。
鎌杖が吹き出す靄の量が増えたのは、主に魔力をさらにかき集めてるためである。
さすがにこれまでのやりかたでは、小細工代わりの魔術陣を生成しながら来ることはできなかったし。
それでも致命的な魔力不足が発生しないよう、ちゃんとリミッターはつけてますから。
男性は血の滲んだ布を巻いた腕で、コールナーを指した。――こいつか。流血していたのは。
「てか、車に追いつけるやつがいるとは思わなかった。その一角獣はなんだ?本当に生き物か?」
この上なく生きてますけど。魔物ですが。
じろじろと見られてコールナーは不機嫌に足踏みを繰り返した。それでも黙っていてくれてるのはありがたい。
「騎乗スキルは回数こなさなけりゃ身につかんだろうに。――それだけ長く、乗用馬が持てるってのはすげえな」
あたしはあえて反応を返さない。その間も彼らの様子を観察し続ける。
この二人は見た目通りならば、典型的な前衛後衛の組み合わせ。周囲に散らばっている荷物も、腕力を考えると今話しかけてきている方が持ってきたのか。いや、負傷の様子を考えるとローブ姿の方だろうか。
恰幅のいい男性は長剣を左腰に吊って――というか、左の大腿部に固定してあるのか、鞘を。鎧はつけていない。
服の下に急所を守るための部分装甲のたぐいを仕込んでるようにも見えない。
……なるほど、アロイス以下の軽武装だが、これならあの自動車モドキに乗ることはできるだろう。防御力としてはお粗末きわまりないが、そのあたりは後衛のサポートがあるのか。ならば少々厄介だな。
「愛想のないやつだな。――すげえといやあ、学術都市をぶっとばしたのもそうだが、よくもあれだけの船をよく動かせたもんだ。アビエスを下ってきたってことは、ひょっとしてイークト大湿原を通り抜けてきたのか?グラディウスの国の名前を出したのはブラフか?……なあ、なんとか言ってみろよ。ランシアインペトゥルスの名無しの権兵衛さんよ」
名前覚えてないんかいっ。
ツッコみたくなったがそこは我慢する。あたしはあえてさらに無反応を貫いた。
……いやまあ、彼らの前に顔とあたしの名前を出して宣戦布告してくれたのは、替え玉やってくれてたマヌスくんですよ。
骸骨なあたしと同一人物かどうか、わからないからこんな言い方になっているのか。
「大国一つ、よくもここまで引っかき回してくれたもんだ。レジナを奇襲してからの放置プレイも心理戦ってやつだろ?……おい。何とか言えっつってんだろうが」
それまで薄笑いさえ浮かべていた男は、苛立ったように舌打ちをした。
さすがに無言無反応にもじれてきたか。最初っから敵意満載だったわりには持った方だろう。
情報を一番大量に搾り取れるのは、相手が自由意思で、あるいはそう思い込んだ状態で、気持ちよくウタってくれてる状態だ。
もちろんだだ漏らされている情報には、むこうの思い込みや情報操作が入るってことにも気をつけなければならない。が、これだけでも多少情報は抜けたというものだ。
日本語アルマ語取り混ぜて話しかけてきたってことは、むこうはほぼ確実に星屑か堕ちし星。そしてあたしがこの世界の人間なのか、それとも異世界人なのか、確信が最後まで持てなかったらしい、とかね。
「……まあいい。虚仮威しの仮装で追いかけて来たのはご苦労だったな。単騎じゃ何もできゃしねえだろうがよ」
男はうっすらと口を歪めると剣を抜いた。挑発のつもりだろうが、ごくろうさん。
情報を抜きたいのはそちらもだろうが、そこまで付き合ってあげるつもりはない。
「そこまでにしてもらおうかの」
二人は振り仰いだ。
グラミィはあたしと反対側にある、大岩の上に立っていた。
「おぬしらを拘束させてもらうぞ」




