Pale Rider
あたしをきっちり視認できたらしき前方からじわじわと、六千の軍勢の感情が、グラデーションのように不審から驚愕へ、そして恐怖へと染まっていくのが『見えた』。
ちょっとした壮観だ。
クラーワのへりで星屑たちがスクトゥムから侵入してくるのを食い止めてたときのことだ。
アスピス州だったか、どっかの都市で、ペイルライダーとやらの書き込みを見た覚えがある。
ちょっとした変装をしてたあたしを、黙示録の四騎士に勝手に見立てて怖がってくれてたっけな。
アビエスの流れを下ってきた連中なら、それを知っているのも、連想すんのもおかしくはない。
ちなみにペイルライダーってのは、タロットの死神の元ネタとも言われている。
世界の終末に現れる、蒼ざめた馬の乗り手のことだ。
その名は『死』であり、黄泉を供に、疫病や野獣を用いて、地上の人間を死に至らしめるもの……だったろうか。
なるほどたしかに、一角獣だけど雪より白く美しいコールナーに載せてもらい、鎌杖を掲げ、しかも幻惑狐たちに耳を借りたりなんだり、いろいろ現在進行形でやらかしてもらっているあたしがそれっぽく見えても当然か。
「なんでこんな始まりの地みたいなところに、ワールドヒストリークエストのラスボス級がいるんだよォ?」
「いくらレイドイベだって、こんな小規模なウォークエ始まりとか。マジかよ……」
「なんとかなるのか?」
「いや詰んでるだろ。完全負けイベントじゃねーかこれ……」
納得しているうちに、勝手に絶望顔になっている連中がいる。
「だはははは!」
「何笑ってんだよ?!」
「ぶはは!いやもうだって笑うしかないだろ?これ絶対超広範囲攻撃がくるやつじゃねーか」
「そんで吹っ飛ばされる俺らな」
「「「見てみろ、俺らがゴミのようだ」」」
緊張のあまりか、ゲラゲラ笑いが止まらない星屑がいる。
「レギオン規模でないと無理じゃね?」
「いやでもこれだけの人数がいるなら、なんとかなるんじゃ?」
「指揮官誰にすんべ」
「通しだろ。へたに変えても混乱するだけだ」
懸命に希望の欠片を拾い上げる者がいる。
「ええい、もう、なにがなんだかわかんねえけど、やるこた変わんねえだろ!」
「とりあえずやれるだけやってやらあ!」
パニックとやけくそ半々で走ってくる集団もある。
結構な数のそれにつられたのか、六千の軍勢がのったりと動き出した。
釣れたな。
伝令兵?後方でちらちら動いていたけれど、……到着すらできてない。伝達間に合ってないな。あれは。
つまり、この動きは、この世界をまだゲームだと、そしてこの戦いすらただのイベントだと思っている星屑たちの暴走。
その証拠に、街道から出て、合流を始めてからはある程度整然と隊列を組んでいたはずの、ひとかたまりになっていた六千の軍勢の先端部分から、無秩序に分散していく。
それも個々人の単独行動というより、数名ずつの動きに見える。
彼らから立ち上るのはおびえと興奮が五分というところか。
(アロイス。動くぞ)
「は」
彼我の距離がじわじわと詰まる中、アロイスがネブラを撫でた。
それを合図にきゅう、という鳴き声をすべての幻惑狐たちが上げた。
同時にコールナーが霧を濃くする。スクトゥム軍からは、再びあたしたちが霧の中のぼんやりとした影に化けたように見えたろう。
釣ったからにはのんびりなんてしていられない。
「ええい、一番槍――って、槍じゃねえけど!」
「一番剣?しまんねえな」
「漫才やってんなよ、先行くぞ」
「「どうぞどうぞ」」
コントめいたやりとりの挙げ句、真っ先に接近してきた一隊が、影へと振りかぶった剣を叩きつけた時だった。
霧の中でもはっきりと火花と金属音が散った。
「んな?」
「どっから出てきやがった、この軍隊?」
「どうでもいい、やっちまえ!」
彼らにしてみれば、あたしたちの隠し球が霧の中から出てきたとしか思えまい。
みるみる鈍い金属音が増えていく。盾や鎧と武器がぶつかる音だ。
がっちりした全身鎧なんて身につけていないアロイスや船乗りさんが戦ってるなら、そんな音などそうそうしない。
そもそもアロイスやラミナちゃんなら、敵の鎧の隙間狙いで一撃必殺。武器を痛めるような戦い方などしない。歴戦の彼らが自らの継戦能力を下げるような真似をするわけがないのだ。
このやかましくも激しい戦闘の理由は簡単だ。
霧の中に走り込んできた連中が戦っているのは、あたしたちではない。
かわりに相手を擦り付けたのは――レジナから出てきたはいいものの、ひたすら迷い森の中を行軍してきた連中だ。
ええ、六千の軍勢と正面から喧嘩なんてしていられませんとも。
霧を煙幕代わりに濃くすると同時、あたしたちは幻惑狐たちの鳴き声を合図に、南へ向けて移動を開始している。徒歩なみなさんは最大戦速というやつだ。
こういう方向転換の時に一番怖いのが遠距離攻撃だ。
真っ正面から向き合ってる相手に撃たれるより、腹を見せての移動の方が被弾率が高いとは、むこうの世界でしいれた知識だ。
なお、背中向けて素直に逃げる方が、体面積の関係で少しは撃たれにくくはあるらしい。
だけど遮蔽もなにもない状態で背中から撃たれるというのは、恐怖心が倍増する。
結果満足に動けない上に、反撃能力ががた落ちするため、死にやすさという意味では無防備ヘソ天レベルの腹見せとさして変わらない。らしい。
だけど向こうも先陣が勝手に混沌とした障害物競争状態で、おまけに行く手には霧が立ちこめている。
そしてアエギスの野でも感じたことだが、星屑たちは射撃が下手だ。弓矢を預けるくらいなら、火球の陣符を渡して最前線に向かわせた方がマシなレベル。
そのことを指揮官も熟知しているせいか、支援攻撃のメリットと味方を背後から撃つデメリットを天秤にかけたせいか、今のところ弓を撃ってくる気配はない。
僥倖だ。
それでも念のためにあたしはコールナーに頼んで、殿についてもらった。
……このことが知れたら、結界の術式一つ構築してらんないくせにと、グラミィに怒られそうな気がする。すごくする。
なんだったらアーノセノウスさんたちにもお説教されるかもしれないなあ。
いや、アロイスが軍目付のごとくあたしから離れないから、下手するとコッシニアさんにも土下座……というか五体投地ぐらいはしないとまずいかも。
とはいうものの。
なに、あたしだって、無策で肉壁ならぬ骨壁をやってるわけじゃない。
ぴょいぴょいとコールナーの背に飛び乗ってきたフームスたち幻惑狐たちも、一応背後の警戒はしてくれているし、あたしもプルヌス経由で、ラームスたち樹の魔物たちに頼んで、迷い森内での魔力放出を少し増やしてもらっている。
あたしや魔物たちにとっては回復スポットに近い、魔力が多い場所や、魔力を多く保有し、放出し続ける魔物の側というのは、一般人や普通の動物にとっては、落ち着かないものなのだ。
コールナーや幻惑狐といった魔物に慣れたアロイスさえも、軽い威圧を常にかけられているように感じると言ってたくらいである。
人によっては最恐お化け屋敷単独踏破ぐらいの恐怖や不安を感じていてもおかしくはない。
とはいえ、じつになんとも些細な嫌がらせだ。
だがこんなしかけでも、戦闘という平時とは全く異なる精神状態で発動すると、それはそれは絶大な効力を発揮したりする。
大きく南西に向けて回頭しながら、あたしは背後から知覚を切らなかった。
「ちきしょう、こいつら、思ったより手強いぞ!」
「どこにこんな人数を隠してやがった!」
「あの目眩ましか?!」
叫びながら斬り合い――というより武器を扱い切れていないせいで、振り回し合いにしか見えない――、敵に突き刺した刃が抜けず、動きの止まったところを別の兵に殴り倒される。
どぼっと鈍く水気の多い打撃音は、戦槌の類いか。
(ちのにおい)
鼻を鳴らすフームスの嗅覚からは、血だけでなく臓物が砕けた、むわりとするような匂いも伝わってくる。
地獄絵図。陳腐だが一言で表現するなら、そうとしか言えない乱戦だ。
むごい――などとは言わない。意識もそらしはしない。
あたしがこの地獄を顕現させたのだから。
いかにも、あたしはペイルライダーだろうさ。
星屑たちを、そして星屑たちをいいように扱っているラドゥーンたちすらもどうこう言えない。
戦場でダメージを擦り付ける身代わりを見繕っていたのはあたしもなのだから。
味方を危険にさらすくらいなら、自分が矢面に立った方がまし。だけど敵を互いにかみ合わせるよう、誘導できるのならば、それも一つの手だ。
寡兵が大軍を相手にする以上、どんな汚い手だろうと使うとあたしは決めている。とうにあたしの骨の手は、どっぷり血に染まっているのだ。
確かに星屑たち――いや、運営たちの所業を知った時、あたしは同レベルに堕ちることを拒絶した。
グラミィに真っ黒と言われようとも、人の命をもてあそぶことに罪悪感を覚えない日などなかった。
だが、もう覚悟は決めた。
この世界の加害者ではあるけれども、ラドゥーンどもの被害者でもある星屑たちを滅することでも。
まったく無辜の被害者でしかない、ただスクトゥム帝国にいただけでその身体を星屑たちに奪われた人々を殺すことであっても。
すべては、味方の安全性を少しでも高めるため。
いや。あたしは星屑たちよりも、はるかに悪辣に振る舞うことだってできてしまう。
一度堕ちると覚悟を決めたなら、こんなことでもやってのけるほどに。
「待て!同士討」
ばらついた大軍の中でも、中ほどにいた派手な兜の騎手が不意に落馬した。
そのこめかみに、一本の矢を生やして。
「『やはりいい腕だ』と褒めておられるぞ」
「ありがたく。残りのお言葉は、すべて片付いてから、まとめて頂戴いたしましょう」
アロイスの通訳に、にっと笑った弩兵はスコルピウスという。
アロイスともども後発の船団でやってきた、弩の名手である。
合流した時にもその腕前を披露してくれた、貴重な遠距離攻撃能力者だ。
「『無理はするな。矢はまだあるか』と仰せだ」
「このくらいは」
箙とかやなぐいとかいうのだったか、確か。
スコルピウスは腰の左右にくくってあるだけでなく、背中にもいくつも負った、小さな水筒のような矢の入れ物を見せてくれた。
のだが。
「『やはり、少ないか』」
これが、今、あたしたちの手元にある、弩用の矢のすべてだ。
星屑生産工場には、初期装備の置かれた倉庫の中に、武器や防具も揃っていたのだ。
あまり質が良くないとはいえ、武器の予備は継戦能力にも関わる。
ただしほぼ全員が徒歩移動の上、持ち帰るなら食糧も重要だ。
相談の上、重い長剣や盾ではなく、消耗品をメインにしようということになった。
特に矢のたぐいは根こそぎ持ってきたつもりだったが、もともとカッシウスにも弓矢はさほどなかったのだ。
……たぶん、ログインしたつもりの星屑たちに人気がなかったからとか、そんな理由だろう。
そもそも剣道が体育の授業に組み込まれてたりして、チャンバラのイメージがつけやすい刀剣類に比べ、弓術なんてものはそうそうむこうの世界じゃリアルで学べまい。
そして矢は撃てば減る。買えば金が減る。星屑たちが武器として選びたがらないのも、おそらくは射撃技術が身についてないのもそういう理由なんだろう。
スコルピウスの持つ矢も、下手をするとこの戦闘だけで使い切ってしまいそうだ。
だが彼は、圧倒的な不利すら気にしていないように笑ってみせた。
「無駄にしなければ、将の数十は撃てましょう」
確かに、そう豪語するだけの腕前が彼にあることは知っている。
スコルピウスは、アロイスが信を置く暗部の人間だ。特に威力偵察においては他の追随を許さない凄腕だという。
偵察と威力偵察は、似ているようで激しく違う。
敵軍の配置や兵力といった情報を確認し、本隊へと持ち帰るのが偵察。
敵がいるかいないかわからない地点に攻撃を加えてあぶり出し、伏兵の有無を確認がてら、ついでに相手の戦力を減らしてしまえというのが威力偵察なんだとか。
そのため、偵察は潜入先の一般人を装ったり、あるいは都市、野山などに身を隠しつつ進められる。
だが偵察兵がたとえどんなに迷彩を施し、地形を利用して身を隠していても、一度攻撃を開始してしまえば、その隠形は水の泡。
不意打ちのダメージと引き換えに、偵察兵の居場所はまるわかりとなる。それが敵意と戦闘能力を持っていることも。
威力偵察に切り替わってしまえば、後は通常の戦闘とほぼ同じだ。
それは、散開して少人数となることが多い偵察兵が、戦力継戦能力、さまざまな面で不利となりやすいということでもある。
しかし、スコルピウスはその不利をあっさり覆す。
攻撃をしてもその居場所すら掴ませないからだ。
その理由は、彼が罠兵としても一流なことにある。
そう、彼は狙撃ポイントを定めたら、まずはその周囲にたっぷりと罠を仕掛けるのだとか。
一撃した直後にその場を離脱するのは、反撃を回避するためだけではない。攻撃あるいは捕らえようと近づいてきた者を罠にかけ、身動き不能にすれば、敵の戦力はそれだけ低下する。
あえて致死性の低い罠にすることで、かかった獲物を生き餌代わりに、さらにひどい二次被害を出すことも可能というね。
……てか絶対やってるでしょ。それ。実戦で。
混乱しているところへ、さらに別の狙撃ポイントから打ち込んはで離脱を繰り返すため、軍の撤退時に殿を努めても、敵は彼の影すら踏めぬという。
なんという一人時間差捨てがまり。
いや、彼の場合捨石になる気なんてさっぱりないのだから、これはもう、純粋に引き撃ちの名手と言うべきだろう。
そんなスコルピウスに、あたしは開戦前に迷い森の罠の作成も担当してもらった。
それも平地に見せかけて足場の悪い場所をわざと作ることで、しぜんとスクトゥムの兵が選んで通りやすいような道筋を作ったり、わかりやすくした罠を混ぜ込むことで、乱戦になった場合にできるであろう人の動きを制御するようなものだ。
状況が開始してからは、今のように狙いやすくなった士官をピンポイントで狙撃してもらっている。
先ほどの派手兜もデクリオ……いやケントゥリオンとかいうやつなのだろう。
星屑たちにしてみれば、クラン長とかユニオンリーダーって感覚なのかもしれないが。
いくら星屑たちの戦術が基本も応用もゲリラだったとしても、スクトゥム軍の司令系統ががたがたになってしまえば、伝令も動けず、当然個々の星屑が得られる情報も削れる。
戦況もわからず、状況判断の基準もなくなれば、戦術というにもお粗末な彼らの戦闘方針は、場当たり的な出たとこ勝負にしかならない。
そこへ罠にかかった連中の悲鳴が響いてきたり、魔力でプレッシャーがかかったりするわけですよ。
さて。そんな状況で殺し合いをしていれば、どうなることか?
答えは、パニックの感染による、同士討ちの拡大だ。
レジナから出てきた軍勢は千にも満たない。
完全同士討ちが果たされたとしても、六千が五千になる程度だろう。
しかし、その千足らずの軍勢は、すべてが騎兵。
六千は歩兵。
そして、不意打ちの衝撃から立ち直った者は――
「げ……ァアアアッ!」
馬上から振り下ろすように芋刺しにされた歩兵は、みるみるうちにミイラ化し、……そして、灰塵と化していく。
「シルウェステル師!あれは」
息を呑んだアロイスの問いに、あたしは首の骨を頷かせた。
あたしもアエギスの野でぶっさされた、例の魔力吸収陣の槍だ。
……そうか、出所はレジナだったのか。
味方がミイラになる。ひどければ跡形もなくなる。
その様子にパニックを激化させたのか、騎兵一騎を歩兵が四五人がかりで取り囲んだのが知覚できた。
足止めのつもりか馬の鼻先に出てきた短剣使いが蹄に踏み潰され、横合いからへろへろと振られた大剣は途中で失速、地面へと落ちていく。持ち主は槍の餌食だ。
しかし、騎兵もただではすまない。
ビクンと痙攣した時には、斜め後ろから接近してきた槍使いに、脇の下を突かれていた。
騎手を討ち取った槍使いは、しかし馬の後ろ脚に蹴り飛ばされていた。
……手足の骨折程度で済めばいいが。
ちらりと偽善めいた憂いが湧いたが、あたしはそれを振り払った。
間近で血みどろな命のやりとりや、無惨な死にざまをいくつも見れば、戦意はどうでも衰える。
そのタイミングでなければ、効果の薄い策もある。
あたしは片手の長手袋を投石帯がわりに、一つ魔術陣を投擲した。
狙いは不正確でも十分だ。何かにぶつかったら数秒後に発動するよう、条件は組んである。
『こんなところにいられるか!帰らせてもらう!』
……よし、ちゃんと発動したな。
あ、ちなみにこれ、拡声器の振動増幅魔術陣をもとに作ってあったりする。
再生回数一回きりの、使い捨てレコーダーのようなものだ。
グラミィに喋ってもらった声をもとに再生速度を下げ、音質をちょいちょいといじってみればあら不思議。
年かさな男性の――平たく言えばおっさんのダミ声ぽく聞こえるというね。
混戦というシチュエーションを考えるなら、なんということもない台詞だ。
これをネタと感じるかどうかは相手の感性しだいといったところか。
だが、それが『日本語』であったなら?
星屑たちはこの世界の言葉を理解している。が、アルマ語と日本語の違いも認識している。
認識、できている。
それはつまり、たとえばアロイスたちに、今の台詞を言わせても、『NPCの発言』としか認識しないということでもある。
なにせパーティチャットや掲示板への書き込み、プレイヤーと認識した者同士の会話はモロに日本語だ。
逆に日本語でされた会話というのは、基本的にプレイヤー同士、特に今の状態では味方の発言と認識されるわけで。
そして、状況に合わせたネタ発言で本音を言うのは、けっこうやりそうなことでもあるわけだ。
一人の発言が潜在的な感情を顕在化させ、集団を動かすなんてことも。




