攻めのぼる森
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
想定していたような再度のどよめきはスクトゥムの軍勢から――上がらなかった。
おそらくは、何が起こったか、理解できなかったのだろう。
だけど、こっちにゃその隙を見逃してやる義理などないわけで。
「渦戸が開きやがったぜ!今だ!」
潮風に荒れた胴間声を上げ、グラディウスの船乗りさんたちが攻勢に出た。
スクトゥム軍全体にも動揺が広がっていく。
いくらきちんと訓練された正規軍であろうとも、浮き足立てば烏合の衆に等しい。
一方、アロイスやラミナちゃんたちは沈黙したまま、背後から斬り倒した敵の武器をひったくるや次の敵を刺して移動、また死角からの襲撃&武器奪取というループに入っている。
船乗りさんたちとは対照的だが、隠密性重視な暗部の人間が、当然鬨の声など上げるわけがない。
しかも、彼らは霧や錯覚すら巧みに利用する。
気づいた時には隣の仲間が斬り倒されており、敵の姿はどこにもないとか。
森精たちの隠し森なんてなくても十分ホラーじゃないですか。
さらに混乱度合いのひどくなったスクトゥムの兵たちを、じわじわとアロイスたちは間引いていく。まるで寄せては返す波が砂の像を削り取っていくようだ。
とはいえ、敵はあまりに膨大だ。彼らの奮戦だけでスクトゥム軍をなんとかするのは無理だろう。
なんせアロイスたちとスクトゥムの連中じゃ、文字通り人数の桁が違いますから。
あたしたちの布陣は、スクトゥム側から見れば、ぎりぎりレジナから弓の届かぬ距離に寡兵が居竦んでいるようにも見えただろうか。
霧を目眩ましにでもしているつもりかもしれないが、レジナからも街道からも目視は十分に可能。
多勢に無勢、やけを起こしてスクトゥム軍を待ち構えているというのなら、大軍で揉み潰してやろう、と判断したくなる程度には、たやすい相手と見えて当然か。
だが想定外の遠距離手段持ちで、思ったより殲滅には手間取っているようである。
ならばよろしい増援だとばかりに兵を出した。
スクトゥム、特にレジナにこもってた連中の判断としては、そんなところだろうか。
確かに、6倍の人数差で即座に押しつぶせなくても、10倍の人数ならば完全包囲からの殲滅だって、さして時間を掛けずに可能だろう。
ああ、それは戦術的には完全に正しいだろうさ。
ただし、それは、多勢サイドもそれなりに統制が取れていること、そして双方の戦闘に使える手段が、ほぼ同等な場合に限られるんですよ。
迷い森と隠し森、この両方をあたしたちが使えてるというのは強い。
なにせ迷い森を展開しているというのは、ぶっちゃけ戦場を平原からゲリラ戦が展開可能な密林に強制変更したようなものである。
なおスクトゥム軍にはこのフィールド変更は認識できていないため、敵から目をくらましつつゲリラ戦ができるのはこちらだけ。
加えて、隠し森は向こうからは認識すらできない、異空間に築いた城砦なみの防御拠点を確保できたも同然というね。
しかも、迷い森のなかで迷わせることで、婉曲的にだが攻撃手段も確保できたんですよ。
そう、レジナから出てきた軍勢が消えたのは、あたしがレジナの城門前にも迷い森を発生させたせいだ。
レジナから1㎞近く離れた場所に迷い森を維持していたあたしが、なぜそんなことができたのかって?
もちろん種も仕掛けもたっぷりとあってのことだ。
まず、迷い森を構築するには、その場所に、ラームスたち樹の魔物たちが複数個体根を張っていることが必要になる。
だがこれまでレジナ周囲には、長期間にわたって樹の魔物たちをしかけてきてたんですよ。あたし。
糾問使でつっこんでった時には、丘の上の宮殿に忍び込んだついでに、その敷地内にもこっそりとラームスの枝を撒いてきた。
レジナにわざと攻め寄せてみせる前にも、城壁の外側、特に各門の周囲には、たっぷりとばらまいた。
すべては幻惑狐たちの協力のおかげだ。
フームスたち幻惑狐が持ち運べるほど小さな枝や葉っぱからでも、樹の魔物たちはしっかりと根付いてくれる。やはり彼らは並の植物よりも遙かに強い。
とはいえ、根を下ろしたところからは動けないというのは、やはり弱点なのだよね。
だから、なるべく目立たぬよう、ふつうの植物のふりで情報収集をしていてほしいと頼んでいたのだが、ことここに至ったら、やってもらえることはなんでもお願いしますとも。片っ端から。
あえて街道を進軍してきた兵をレジナへ入れてもらったのも、実はその一つだったりする。
門を妨害なく安全に出入りできると思わせるためだったのだが、ばっちり狙い通りですとも。
加えて、プルヌスたちの存在がある。
ヴィーリに与えられたプルヌスたちは、あたしとグラミィにとって、ラームスたち樹の魔物たちのコロニーをつなぐハブでありバックドアでもある。
しかも、おそろしいことに、彼らの能力ときたら、距離の制限がほとんどないのだよ。これ。
おそらくは対象となるコロニーとの間にいる樹の魔物たちを使って、リレー方式で情報の伝達が行われているのだろうと思う。
この推測の正誤や理屈はどうあれ、むこうの世界より時間はかかるものの、スクトゥム本国にいながら、千ミーレペデースは離れているはずの闇森とさえ、やろうと思えば情報のやりとりができ、場合によってはその能力も借りられるというのは、かなりのアドバンテージだと思う。
さすがにそこまでの無茶は望まないが、今もプルヌスたちにはあたしたちの周囲……というか、レジナ近郊、果てはスクトゥム本国全土に至るまで、樹の魔物たちのネットワークを密接に結びつけてもらっている。
ラームスの欠片しかない状態ではあたしにはできないことだったが、つまりそれは疑似的にウンボー半島の中部地域すべてを一つの森と定義しているようなものだろう。
つまり、とっくの昔に、レジナも、いや六千のスクトゥム軍も、まるっとあたしの統括する迷い森の中にあったというわけ。
レジナから出てきた軍勢にとっては、最初異常は全く感じられないはずだ。
仲間の姿も、遠くの友軍も見えているわけだし。
ただ、進んでも進んでもそれらとの距離が縮まらないように感じられるだけで。
いつまでたっても接敵が不能というのは、いさんで戦場に出てきた兵たちの意気を、徒労感で挫くに足るだろう。
ならばと他の軍団と合流しようにも、それもまた無理というね。
司令官あたりは最終的にレジナへ逃げ帰ろうと判断するかもしれないが、そいつは遅い。とっくに帝都は彼らの視界から消えている。
コールナーの発生させた霧のせいだ。
うまく迷い森と組み合わせることで、普通だったらうっすら物陰ぐらいは透けて見えそうなはずの霧でありながら、カバー力は満点ですよ。
レジナ付近に潜んでいる幻惑狐たちの視界を借りて見ても、ほんとに何もなくなったように見えるのがすごい。
もちろん、後続がためらって入ってこないようでは、いくら工夫を凝らした罠とはいえ効果は薄い。
なのでレジナからだけは普通に見えるように調節はしていたのだが、……どうやらそっちは失敗したようだ。
先行した兵たちとの通信手段でもあったのだろうか。彼らもそこまでバカじゃないというべきか。
だが、こうなっては、レジナは詰みといえるだろう。
城門から外へ出れば、生死不明どころか集団神隠し状態の行方不明。
が、港から船で出ようにも、レジナはあたしたちの流し氷山攻撃でほとんどの船を失っている。
わずかな船でどれだけの人間が脱出できるのか。逃げようとする者同士の争いが発生するのも時間の問題かな。
ついでにいうなら、なぜ港が安全だと思えるのか。船でも城門と同じような状況に陥らないとは限らない。
いつどれくらいの人間が、そう思い至るかはわからないが。
実際、ヴィーリが樹の魔物たちをアビエス河に流したこともあり、川べりは彼らが高密度に繁茂している。迷い森を形成するには十二分なほど。
ただ、河の流速があるので、船はほっといてもどんどん下流に流されてしまう。迷い森の効果範囲も案外抜けやすいわけだ。
だがそこはそれ、通過している状態の時間感覚をいじってやれば、精神的な疲労状態にもできるだろう。
グラミィにそう言ったら、いやその楽観視はどこから来るんですか、精神操作能力でもないと無理でしょそれはって言われたけどね。
知覚情報に変化がないと、時間感覚って簡単に狂うんですよ。
ただでさえこの広い川幅だってのに、レジナ周辺の川底は氷塊でけっこう削られている。河の水量が急激に変化するような要因もなければ、多少の風はあったとしても川船の揺れなんてものは列車の振動程度かそれ以下でしょうよ。
だったら川岸の情景をほぼ変わりのないものにしておいたら……下手したら、河を逆流しているように錯覚させることもできるんじゃないかなあ。
門もだめ、港も危険ならばと城壁を乗り越え、レジナを出ようとするのも悪手だろう。
なにせラームスたちがぐるっとレジナを取り囲んでいるのだから。
迷い森直通いらっしゃいませ、てなもんですよ。
とまあ、万能なようにも思えるが、この迷い森戦法にだって、問題がないわけじゃない。
というか、問題だらけといってもいい。
その最大たるものが、現状あたしが魔術をいっこも使えないということだろう。
ぶっちゃけ、そんなところにリソース使ってらんないんです。
どのくらいかつかつなのかというと、いつもだったら最低限防水防汚のために纏っている結界ですら、一枚も顕界していないレベルですよ。
おかげで霧の粒子が直接当たって、現在進行形でお骨がじわっとしめっぽくなっているというね。
その状態で囮をやるとか。
死ねる確率が跳ね上がり放題でしょ!森の制御も担いながらとか真性のアホですか!とグラミィにも怒られましたよ。盛大に。
だけどそんなもんは誤差なのだ。
もともとあたしの防御は薄い。物理的には紙装甲ってやつですよ。なお紙は紙でも濡れたら溶けるトイレットペーパー的なやつ。
それでもこれまであたしが直接戦闘にも耐えきれてきたのは、結界を中心とした防御用魔術によるところが大きい。自力で術式を構築、顕界を維持しなくてもいいよう、小細工を加えた魔術陣の開発にも余念なくやらかしてまいりましたとも。
今も念のため、アロイスたちに渡した防御陣と同じ物をいくつか持ってきている。
だから、魔術が使えなくても大丈夫――なわけがない。
アビエスの戦いでだって、防御陣は使ってましたよあたし。結界も何重かにほどこしていた。
けれども、魔喰ライの王への祈祷文があるとはいえ、魔力吸収陣つきの槍一本ですべては破壊された。
そんな水に溶けてどんぶらこっこと流れていきそうな、よわよわトイレットペーパー装甲、あってもなくてもおんなじでしょうが。
それに、この場であたしが囮にならないというのは、誰かを囮にしなければならないということだ。あたしの安全を他の人に危険を押しつけることで確保するということでもある。
だけど、それは、あたしの性分にはあわないのだ。
もちろん、戦場で防御力皆無というこの状態が怖くないわけはない。身体強化にも魔力を回せていたアエギスの戦いよりも余裕はないのだから。
けれどこれで、うまくやれば、絶望的な数の敵を相手にしても、敵に増援があろうとも、アロイスたちやグラディウスの船乗りさんたちに、ほとんど損耗を出さずに戦える見込みが出てきたのだ。
ならば、いのちだいじに改めガンガンいこうぜ。個人の安全よりみんなの安心ですよとばかりに、あたしはグラミィの制止にかまわず強引にアクセルを踏んだ。
……正直なところ、国のために戦うという同行者のみなさんのお気持ちをあたしはまだ、完全に理解はできない。
ランシアインペトゥルス王国のために命を、存在を賭けたいなんてさらさら思えない。
ランシアの地がマイボディたるシルウェステル・ランシピウスさんの、アーノセノウスさんの、アロイスたちの祖国であるという事実は理解していても、それはあたしの行動理由にはならないのだ。
それでもあたしが骨身を張るのは、人間のためだ。
ランシアインペトゥルスを守りたいアロイスを、コッシニアさんを。パルを、クラウスさんも死なせたくはない。クルテルくんやラミナちゃん、グラディウスの船乗りのみなさんたちだって、アルベルトゥスくんのように失いたくはないのだ。
たとえそれが、あたしをこの世界につなぎとめ、シルウェステル・ランシピウスたらしめている繋がりを守りたいという、利己的な願いによるものでもあっても。
(忘れてもらっては困る)
ぶるとコールナーが不満げに鼻をならした。表情筋があったら、あたしは微苦笑を浮かべていただろう。
(もちろん、こんなに美しいコールナーを、わたしが忘れるわけがないだろう?)
あたしは彼の首を撫でた。
そう、コールナーたち魔物のつながりもまた、あたしをあたしでいさせてくれる。
それに、触れなば落ちんの惰弱装甲でこんな無謀ができているのも、アロイスたちが圧倒的な数の不利にも身体を張り、コールナーが霧を使って二重に鉄壁の防御を敷いてくれているおかげですとも。
(ならばいい。乗れ)
(頼む)
魔力も意識も迷い森の制御にほぼすべて振り向けているせいで、今のあたしは移動速度もがた落ちしている。
なので、レジナまで迷い森の操作を広げた後は、移動手段もコールナーに頼ることになっていた。
もちろん事前の準備は欠かせない。
なにせこの状態ではいつものように、鞍を結界で拵えることもできないのだ。そのまま乗ると不安定で落馬しそう、どころかコールナーを尾骨で刺してしまいかねない。
なので事前に作っておきましたよ。鞍。
自転車のサドルサイズだが、コールナーにはそれを腹帯で括ってもらっていたりする。
「シルウェステル師」
ちょんと乗っけてもらったところで、音もなくアロイスが寄ってきた。
「今のところ、ルプスどもを退けた霧の中まで踏み込んできた者はございません」
ルプスたちを片付けた幻惑狐たちが、さりげなく人間の手助けに回ってくれたおかげもあるのだろう。
何せ彼らってば(かりのえものー)と、嬉々として土を操ってこかしたりとかしてるんだもの。
(無理はせぬように。わたしもきわまで出る)
「そのような頃合いですか。では、守りはお任せを」
撃退が順調なのはいい。が、囮役である以上、目立たなければ意味がない。
たとえ危険だろうと、出ないわけにはいかない。
そのことはアロイスも理解してくれている。
あたしたちは東のへりへ向かった。
ぎりぎり向こうからは霧の中のなんだかわかんない影、ぐらいにしか見えないように調整しながらだ。
幻惑狐たちの視覚も借りれば、すでに三方向からの軍勢はゆるやかに合流しつつあるのが見えたが。
……んーん、いい具合に厭戦気分が広がっているのが、魔力知覚でよく感じられる。
やはり、レジナから出てきたはずの友軍の姿が目の前でかき消えたってのは、インパクトが強かったらしい。
それはそうだろう。
ダメージのなすりつけ先がなくなったんだから。
レジナから増援が出てこなくても彼我には圧倒的な人数差があったのだが、それはこちらの不利だけを意味するのではない。
たとえこちらが総力戦になっても、向こうにとっては直接交戦している兵はごく一部にすぎないということでもある。
ならばこう思う兵は必ず出てくる。
あれ、自分が戦闘する必要ないんじゃね?と。
戦うということは負傷の、時に死の危険を負うということでもある。
いくらむこうの戦力の中核がこの世界をゲームの舞台と信じ込んでいる星屑たちであっても、いやむしろそれだからこそ、自分が傷つくことには敏感だ。
たとえ戦場に身を置いてなお、命や身体の危険を他人事として、あるいはゲーム上のリソース損耗程度にしか捕らえられない彼らもまた、自分が損をするより他人に損をなすりつけたがる。
星屑たちはほぼ確実に、そのように考えるとあたしは判断した。あたしならそう考えるから、ではない。
理由はただ一つ。彼らにこの世界をゲームだと思い込ませている『運営』――ラドゥーンたちがうまくやりすぎたせいだ。
ラドゥーンたちが星屑たちにこの世界をゲームと思い込ませている手際といったら、とてつもないものだ。
だがその裏で、人々の日常生活やスクトゥム帝国という組織を維持するためのリソースは、ガンガン削れている。
当たり前だ、星屑たちにとって必ず結果が認められ、報酬が確実に出る作業なら脳死で周回でも喜んでやる。
が、農作業などは集団作業の上に、結果の出るスパンが極めて長い。終わりの見えない毎日のルーティーンは思考を止めてしまえば単純作業でしかない。苦役としか思えないだろう。
ンなものお呼びじゃないんですよ彼らは。不満が溜まって当然だ。
クソゲーという不平不満は、状況の理不尽さや頭おかしい難易度から生じるのではない。プレイヤー間の不公平感、あるいは作業の煩わしさ、退屈さからだろう。
いずれも個人レベルでは、解決策がないとしか思えないものだ。
そして不満が溜まれば『クソゲーからのログアウト』をしようと考える者もどんどん出てくるだろう。
少なくとも、ゲーム感覚で『転職』ができると考えていれば、堪え性のない星屑たちが、農夫や村人一号でずっと満足できるはずもない。
もともと星屑たちは組織の一員として歯車のように扱われるよりも、自分が主役の映画の主人公のように扱われることを望む。どんなジョブやクラスにあると思い込んでいても、はたまたレベルがどんなに低いと思っていてもだ。
たしかにMMORPGはそういうものなんだろうさ。個々が個々の物語の主人公というね。
たとえ勇者や戦士のように目立つ花形ばかりでなく、あえて裏方を選んで下っ端からの成り上がり物語をやろうという者だっているのは、自分が、自分の物語の主人公である、と認識しているからだろう。
だけど、成り上がりというのはすぐに下っ端ではなくなる、ということなのだ。
成り上がれていないと現状に不満を感じる者、どんどん冒険者とやらになりたがる者が増えれば、スクトゥムの経済活動はとうにめためたになっていてもおかしくはない。
だのに、スクトゥム帝国がここまで大きな破綻も起こさぬままにきた。星屑たちを召喚し、この世界の人々の身体に搭載してきたラドゥーンたちが『運営』にヘイトが向かないように画策したと見るべきだろう。
その証拠に、星屑たちの思考は驚くほど単純で、おまけに都合が悪くなると意識を失うのだ。
潜入した城砦都市の住人や、アルボーで真っ先にあたしをモンスター扱いして武器を向けてきた三人組を観察してみてわかったことだ。
三人組は仲間しかいない状況でも会話が尽きた途端に意識を失っていた。リトス周辺の畑で働いていた農夫たちは、ともに作業する仲間と会話すらせず黙黙と動いていた。
そして星屑たちに仕掛けられていた魔術陣のうち、ヴィーリたち、森精が解析を進めてくれたものの中には、『深く考えない』だけでなく『単純作業を行う際、極端に意識レベルを落とす』ようにしむけるものもあったのだ。
これらの魔術陣の作用により、星屑たちは目の前に不満の矛先を向けるものを置いてやれば、その背景に意識を向けることなく問題を解決したと満足するようになった。
そして目を開けて寝ながら単純作業を行っていれば、当人にとっては、航海中など自分ではどうしようもない状況や作業の時間経過が勝手に飛ぶような感覚にもなるだろう。
嫌なことは意識のない状態の自分自身に押しつけているというわけだ。
ひょっとしたら、星屑たちが勝手に自由意志で行動しているように見えるのも、ラドゥーンたちにとっては情報操作でどうとでも踊らせることができ、あるいはゾンビ状態に近い存在にして、命令を通すことができるからなのかもしれない。
精神操作陣の存在を知ってからは、傲慢かもしれないが、星屑たちに哀れみにもにた感情が湧いてならない。
むろん、星屑たちに身体を乗っ取られている純粋な被害者も気の毒だが、加害者である星屑たちもまた、気の毒な被害者でもあると。
星屑たちは、この世界を食い散らかしているが、それも『運営』――ラドゥーンたちにいいように操られた結果でしかないのだと。
たとえ情状酌量のできない敵であっても、絶対悪と考えられなくなった以上、今もってこっそり攻撃にも、あたしは若干の躊躇や罪悪感をどうしても抱いてしまう。
それでも、彼らの弱みにつけ込み、食いちぎる形でしか、あたしたちが生き残れないというのなら。
そうしようじゃないの。
星屑たちの問題は、努力の量、忍耐の量が少なめでも結果は満足に出ると、学習してしまったことにある。
単純作業や下っ端仕事を請け負うなんてもってのほかというわけだ。
不満がヘイトに変わりそうだったから慌ててラドゥーンたちが手を打ったのか、それともラドゥーンたちが魔術陣に精神操作機能を加えていたから、星屑たちが何事も深く考えないようになったのか、どちらなのかはわからない。
だけど卵と鶏、どちらが先であったとしても、星屑たちが欲どおしく、世界を甘く見ているのには変わりがない。
おいしいとこどりに慣れた大軍後衛の彼らにとって、自分が戦いに加わる前にレジナから兵が出てきたという状況は、こう思えただろう。
どうせこちらの勝利は目に見えている。なら、勝ち馬の尻に乗りたがるやつらに、戦闘は任せようじゃないか、と。
その当てが大きく外れたわけだが、一度緩めた心を即座に引き締めるのは、個人レベルでも当然困難ですよ。
ましてや数千の集団だ。だらけたところにさされた冷水、いや強酸の動揺を静めるには時間がかかる。
だが、冷静に人数比で見れば、むこうの圧倒的有利は欠片も揺らいじゃいない。
レジナからの軍が目の前でそれこそ跡形もなく消失したように見えたって、六倍近い人間がいるというのはやっぱり脅威だ。
奮戦してくれている船乗りさんたちも、暗部のみなさんも、生身の人間なのだ。
耐久レースは敵が弱体化しない限り、こっちが激しく不利となる。
ならば囮だって全身全霊、とことんまでやりますともあたしは。
周囲から徐々に霧を薄くしてやると、どよめきが起きた。コールナーの美しさへの感嘆だろう。
それが急にトーンダウンしたのは、あたしの大鎌を視認したからだろうか。
なんだあいつという不審の念が、雲霞のように経つのが『見えた』。
そこへ風が吹いた。霧がさらに薄れ、あたしのフードをつるりと後ろへ飛ばす。
「お、おい、あの鎌のやつ」
「ガチ骨だ!」
「死神コスなんかじゃねえ!美少女NPCじゃねえのか!」
「ちきしょう、だまされた!フェイントかけすぎだろ運営!」
……ああ、アエギスの野での一件、どれだけ伝わっているかと思ってたんだが。予想してたより伝わってなかったんだね。
ここまできても、あたしの大鎌や黒いローブより、一角獣に反応してるとか。
しかも女性というノータイム思い込みが外れたからって、その反応かい。
だが露わになった頭蓋骨に覆されては、モンスターデータとして認識するしかないってところか?
「いや、あの馬、てか一角獣。青白っぽくね?」
「じゃ、じゃあまさか、あれは……」
「ペイルライダー!」
タイトルは『マクベス』から。レジナ中央部は丘なので、そこをダシネーンの丘に見立てて。




