幻惑の戦場
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
「ただの姿隠しだろ!幻覚に惑わされんな!」
怒号に突き飛ばされるように突進してきたのは、数を減らしたルプスたちだった。
火球を維持したままじりじり後退していた最後の魔術師さんたちも、とうに隠し森の中に後退している。
向こうからは、維持しきれなくなった火球が消えたり爆発したりした途端、魔術師たちの姿が見えなくなったように見えただろうか。
後衛の姿が見えなくなったのは、逃走かそれとも潜伏か。いずれにしてもやることは同じ。
まずは前衛っぽい少人数を叩くべき。
そう判断してもおかしくない。
だが、あたしたちが待ち構えているエリアも森だ。迷い森なんですよ。
「……その、シルウェステル師」
(言うな)
アロイスの囁きに、あたしは心話で答えた。
その間も悲痛な幻惑狐たちの鳴き声は止まない。
近接戦闘の間合いになれば、ルプスに幻惑狐たちを当てること。最初から決めていたことだ。
人数比で負けているあたしたちは、幻惑狐も戦力とみなさねばならなかった。
だからこれは、どうしても必要なことなのだ。
「しかしこれは……」
幻惑狐たちのうちの一頭、ニクスを手懐けていたアロイスが声を震わせるのもわかる。
森の主か、主に知覚能力を与えられた者でもない限り、外から中の認識すら不能にできるという意味では、隠し森も迷い森も似ている。
が、隠し森は通常完全に隔絶される。あたしも海森の主に頼んで入れてもらったことがあるが、空間そのものが異次元に隔離されたかと思うレベルだからね、あれ。どこまで行っても最初にいた地点に戻ってきてしまうのには驚いた。
あたしは単身で入れてもらったのだが、複数人で入った場合はそれ以上に酷いらしい。なにせいったん離れてしまえば、互いの気配すら感じ取れないようにすることすらできるとか。なにそれホラー系の罠ですか。
一方、迷い森の中はそこまでひどくはない。声が届けば互いを認識することもできる。
ただ、彼我の距離もわかりにくく、方角や自分がどこにいるのかさえも不明確になるせいで、ひたすらぐるぐると同じところを回り続ける、なんてことにもなるらしい。
ま、そこまでひどいいじり方はしてませんよ。あたしゃ。
そう、森精から託された権限を使って、迷い森の発動や維持を担っているのはあたしだ。
外にいるスクトゥム軍からは、つっこんでったルプスたちや兵士の姿、あたしたちの影は霧がかかったように曖昧なものに見えるだろう。だが大きな音――幻惑狐たちの鳴き声や剣戟の響きとか――は、よく聞こえる程度には認識をいじっている。
おまけに大人数が平原を全力疾走すれば、土煙だって盛大に上がるのだ。どっちも歩兵の武装は軽いので、土埃を透かせば盾の有無などもわかりづらく、彼我の見分けはいっそう難しくなる。
そこにルプスではない動物の悲鳴でも入れば、『自軍が優勢に戦っている』『自軍の使役するルプスたちが、侵入者たちの使役している動物と戦い、圧倒している』ぐらいに思うんじゃないかとね。
けれどたとえ体格は遙かに負けているとはいえ、幻惑狐たちは魔物だ。
それに対し、ルプスはあくまでも単なる動物なんですよ。
もちろん、一対一では、いくら幻惑狐たちでも、土を操る異能を発揮するいとまも作りづらいし、勝ち目は薄い。
だがそもそも、幻惑狐の狩りというのは基本的に集団戦なんですよ。
幻惑狐たちの自我のありかたは、森精たちに似ている。
精神的群体というほど不可分ではないが、それでも個人技の精密さで団体行動できるってのは、相当な強みだ。
しかも大集団になればなるほど知能も強化され、連携の強さがさらに輝くわけですよ。
こういった集団戦で、知能も攻撃手段も、それにチームワークも負ける要素などあるはずもない。
おまけに幻惑狐たちはいたずら好きだ。
好きこそ物の上手なれというやつなのか、なかなかえぐい罠もしかけてくれる。
(ばーかばーか)
(やーいまぬけー)
……もしあたしに表情筋があったら、アロイスによく似た、なんとも生ぬるい笑みを浮かべていたんじゃなかろうか。
なんせ幻惑狐たちときたら、じつに手際よく、かわりばんこに哀れっぽい鳴き声を上げながら、ルプスたちをたこ殴ってんだもの。
むこうの世界でも、擬傷とかいう行動を取る生物がいたと思うが、幻惑狐たちの手口ときたら、輪を掛けてさらにあくどい。
怪我しているようなそぶりで追いかけてこさせる、なんてのは序の口で。
釣りだしてきたルプスの突進を、土を操って止める担当。
目潰しを浴びせてさらに動きを止める担当、そこに石を混ぜてダメージを出す連中。
飽きたら悲鳴係を交代しながら責め立てるというね。なんともワンサイドな袋叩きフルボッコ。
泥塗れのルプスの一頭が、とうとう悲鳴を上げようとした。
だがそれに合わせて幻惑狐たちが悲鳴にも似た鳴き声を張り上げ、ご丁寧にも別の一団が、ルプスの口を開けたところへ土の粒を一斉射撃。
……喉までいったな。あれは。なんとも容赦がない。
(全部あいつらに任せておけばいいのではないか?)
コールナーが呆れたように耳を震わせたのには、あたしも思わず苦笑したけどさ。
(そういうわけにもいかないのだよ)
そう、ルプスを使役している連中はスクトゥムの軍団でもほんの一部にすぎない。
しかも現在進行形で迷い森に到達し、じわじわと入り込みつつある兵士の戦闘能力はまったく損なわれていないのだ。
「では、ここから先は、我々の腕もまた御披見いたしましょう」
『頼む。武運を』
地面に書いた言葉に、船乗りさんたちも一礼を返してくれた。
彼ら近接戦闘能力もち――正確には、物理戦闘能力しかないというべきかもしれないが――には、迷い森の中で、マンハントをしてもらうことになっている。
隠蔽効果があるとはいえ、当然危険な任務だ。
そこであたしはみなさんに防御用の魔術陣をじゃらじゃら作って渡しておいた。おまけに危なくなったら隠し森に逃げ込めと伝えてあるのだが、くれぐれも気をつけていただきたい。
「シルウェステル師も。お気をつけください」
うなずき合って、あたしたちは散開した。
この迷い森部分に現在配置しているのは、容赦のない幻惑狐たちだけじゃない。
近接戦闘能力持ちということで、アロイスたちランシアインペトゥルスの暗部に所属する騎士たちによるバックスタブと、グラディウスの船乗りさんによる正規軍とは違う戦法が待ち構えている。
おまけに、彼ら謹製の罠だっていくつもしかけてあるんですよ。
下手したら、地面を歩くだけでも相当な危険があるんじゃなかろうか。
そこに加えて、あたしが維持する視認困難がさらに仕事をすれば、道なんて見いだせるわけもない。
これをスクトゥムが抜けてこようとしたら、物量作戦に頼っても相当難しいんじゃなかろうか。
なお、さすがに同士討ちは洒落にならんので、味方には樹の魔物たちの葉っぱを身につけてもらっている。
この世界の人間は――どんなに放出魔力が少ない非魔術師であろうと――、意識を向けた方向に放出魔力って増えるようになっているのだが、それを利用しての味方識別である。
放出魔力が接触した他者が樹の魔物たちの魔力をまとっていれば無反応。そうでなければ警戒を促してくれるというね。
ちなみに警戒ってどんなん?と訊いてみたら実践してくれたのだが、つけてる部位に一瞬だけ魔力圧を感じる、というものだった。
この魔力圧、グラミィたち生身組には、肉食獣においしくいただかれそうな恐怖として感じられるらしいが、そこは耐えていただきたい。
そこまで他人に働いてもらう体制を整えたあたしが何をやってるかって?
囮ですとも。
アーノセノウスさんを囮に使う策に、あれだけ大反対だったクラウスさんが最終的に沈黙したのもそのためだ。
あたしが囮を引き継ぐからこそ、クラウスさんは黙ったのだ。
「お、人がいるぞ!」
「隣にいるのはユニコーンか?」
「てことは、美少女キャラ参戦か?!一人だけとか会話イベントだろこれ!」
「やべえ、デカ鎌とか死神少女系キタ?」
「おっほー!」
「たぎってきたー!」
「おおお、おぢょーちゃん!おにーさんたちにフードとって顔見せてくれるかなー!」
馬鹿げたことを大真面目かつハイテンションにわめきながら、走り寄ってきた連中は、あたしの近くにたどり着く前に崩れ落ちた。
(話にもならんな)
コールナーは呆れたように耳を震わせた。
星屑たちが昏倒したのは、彼が水を操る異能で窒息させたからである。
微粒子とはいえ、肺の壁に水をぺたりと貼り付けておくと、それだけで呼吸ができなくなると聞いたときには、あたしゃコールナーが味方でいてくれた幸運につくづくと感謝しましたとも。
あたしは呼吸なぞしてないから無問題ですけど。生身だったら範囲型殲滅すら簡単にできちゃうとか。
さすがはコールナー、マレアキュリス廃砦の主。『白き死』と恐れられただけのことはある。
ええそうなんです。あたしの周囲に漂っている霧は、迷い森の効果で発生させている曖昧効果だけじゃない。
ちゃんと霧が発生しやすいよう、これまた事前にたっぷりと、迷い森と隠し森の範囲内だけ水を撒いておいたのだ。
もちろん、移植に次ぐ移植に同意してくれたラームスたちをねぎらうため、って意味もありましたけどね!
三方向からスクトゥム軍が迫っているという知らせを受けて、あたしは本隊の皆さんとありったけの情報を共有した。
取れそうな策すべても、本隊のみなさんに伝えた。
森精に力を貸してもらって(本当は彼らの半身たる樹の魔物たちの力を借りる許可をもらった、だが)、迷路のような森の砦を築くことは可能となった。
が、実際の戦闘には力を貸してほしい、どう頑張っても体力と物資の削り合いになれば、人数差は絶望的だ。
しかしそこを各自の技能で埋めてもらえないかと無理を願って頭蓋骨を下げたら、……笑われたけどね。
お膳立てを願うのだからそのくらいはいたしますと。
……ああ、あたしはつくづく同行者たちに恵まれた。
すべては、スクトゥムに勝つため。
そもそもここでスクトゥムを抑えない限り、同行者の皆さんをそれぞれ自国に帰すことはできない。
なにせここはロリカ内海のどんつきに突き出たウンボー半島。ここからランシア地方であれ、グラディウス地方であれ、戻ろうとするなら、スクトゥムをがっちり抑えねば安全なんて保証できないのだ。
同行者に恵まれたといえば、領主同士の小競り合いから国同士の大いくさまで、アーノセノウスさんやアロイスたちに始まって、経験豊富な古強者が船団の中にもけっこう加わってくれていたのも僥倖だった。
戦の礼法に始まり、いろんな戦略に至るまで、あたしの知らないことを補ってくれたのがありがたい。
彼らのアドバイスも入れ、行動方針は敵の寸断と決まった。
現状は約千対約六千という多勢に無勢状態。
一人当たり六人以上斃せばいい話でしょう、などと脳筋な計算をするような人間など、うちの船団にはいませんよ。数の暴力というのはやはり強いのだ。
だからまずは敵を減らさねばならない。まともに戦ってなどいられるわけがないのだから。
そういう意味では、スクトゥム軍が戦場で合流しようなんてなめた行動をしてくれてじつに助かった。これが最初から合流した状態でぶつかられたら、分断すら手間だったろうし。
もちろん、六千が二千と四千になっただけでは、たかだか千の軍勢の敵うところではない。
だから、こうする。
「レジナの門が開きました!」
見れば確かにレジナの城門の一つが大きく開いたところだった。
武装した兵が整列している。
スクトゥム軍優勢と見て打って出てきたわけか。
それに気づいたのか、スクトゥム軍からもどよめきが上がり、いくぶん動きが遅くなったようだった。
戦場からも注目が集まる中。
レジナから威儀を正してしずしずと進み出た軍勢が――消えた。




