開戦
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
街道を無視して、北と南東方向から敵がぞろぞろと平原になだれ込み続けている。
……うーん、さすがにこれだけの大軍を相手にすると、雲気とでもいうものが見えてしまうもんだね。その正体は、主に兵士たちの感情だ。
プルヌスら樹の魔物たちとの同調を高めているせいもあって、あたしも知覚的には相当人間やめてんな。
そのあたしから見て、スクトゥム軍の兵士たちは戦場に足を踏み入れたとは思えないほど、じつにたるんでいた。
その理由もわからないわけじゃない。
向こうにしてみれば、待機しているあたしたちは、寡兵が平原にぽつんと固まっているように見えるだろうから。
かたや千、こなたそれに数倍する兵が対峙、しかもどちらも基本が歩兵。
片手剣と盾に槍、鎧の間から所々に杖がのぞくスクトゥム軍に対し、こっちは湾曲した短めの刀身の片手剣が基本の、グラディウスの船乗りさんたちと魔術師たちがほとんどだ。
いずれも軽装で、しっかりした拵えの鎧など身につけてはいない。
アロイスたち、一握りの騎士たちも、馬や全身を覆う重厚な鎖帷子などはなく、かろうじて軽い革鎧をつけているかどうかといったところだ。
こちらの方が魔術師の割合は多いし、弓や弩といった飛び道具もあるけれども、六倍近い人数差だ。多少遠距離攻撃手段があるとはいえ、圧倒的に不利なのには変わりない。
アエギスの野の結末を偶然なり、ゲラーデのプーギオや泥人形たちの脅かしのせいとだけ思うような連中には、あたしたちの布陣は、船という移動手段と有利を捨てての玉砕覚悟に見えなくもないだろうか。
あたしたちが隊列を変えはじめても、警戒にまで至らなかったのはそういうわけなんだろう。
だがこっから先は実力行使ですとも。
壁を作ってくれてたグラディウスの船乗りさんとアロイスたちが左右に分かれ、中央から進み出たのはアーノセノウスさんだ。
すでに詠唱はほぼ完成している。
顕界された巨大な火球には、さすがにちょっとスクトゥムからどよめきが聞こえた。
が、すぐに納まったのは……なるほど、魔術師たちか。
たしかにこの距離から放ったとしても、普通ならまずむこうの軍列まで届かない。そう伝えられたら、虚仮威しと判断してもおかしかない。
しかも敵は二方向に分かれたまま。仮にどちらかに届いたとしても、もう片方は無傷、しかも十分こちらを叩いておつりがくる人数が残る。
そういう判断なのか、スクトゥム軍の動きに変化はみえなかった。
だけど狙いは軍列じゃない。
そもそも顕界されてんのは単なる火球じゃない。アーノセノウスさんお得意の延伸、それも倍がけがなされている。
北に向かって放たれた火球に、一番近いレジナの外側を回ってきていた一団はさすがに身構えた、ようだった。
だが遅い。
轟音とともに火球が炸裂した。帝都レジナの城壁に。
平原からは視界良好とはいえ、レジナとあたしたちとの距離は、長弓の矢ですら届かないくらいだ。
矢よりも飛ばない普通の火球なら、途中で消滅するだろう。
だからこそ、レジナもあたしたちの布陣を看過したのかもしんない。
それが誤りと気づいてからが本番ですよ。
北からの一隊、南東で合流した二隊。
そのどちらに打ち込んでもらっても攻城級の威力だ、人的被害はそれなりに甚大なものになっただろう。
だがあえてレジナに打ってもらったのは、レジナに対する示威も兼ねているからだ。
反撃など届かないこの距離からでも、こちらは帝都を狙える。そう示すことで、あたしがこっそり幻惑狐たちに頼んで送り込んだ書状の内容を知る立場にあった者は、こう思うだろう。
手加減されているのだと。
事実、帝都レジナを殲滅するだけなら、いくらあたしたちが小人数とはいえ、やりようはあるのだ。
だけど、あたしがやりたいのは、魔喰ライになる危険を冒してまで、大量虐殺によって都市一つを壊滅させることじゃない。
星屑たちを駒にしている『運営』――ラドゥーンたちの燻り出しだ。
動きの止まったスクトゥム軍に向け、シーディスパタのクルテルくんが進み出た。
その手にある一見バケツかと思うような、いびつで巨大な三角錐……というよりミニ釣鐘に近いブツは、あたし謹製のメガホンです。
グラディウスの船乗りさんの中で、一番大声が出せるという人にスピーカーを担当してもらおうと思ったら、クルテルくんが立候補してくれたというね。
「スクトゥム軍、各指揮官に告ぐ!
書状にてすでに告げたとおり!
我々は開戦に関する取り決めをスクトゥム帝国と締結せんと、帝都レジナへ至ったものである!
それを攻撃するというならば、反撃を覚悟せよ!
同様の文言は帝都レジナにも同様に授けた!
それを知ってなおのこの所業か!
これは些細な挨拶に過ぎない!大人しくおのが非を認めよ!」
消音の結界や障壁が作れる以上、逆に音量を拡大することも可能だろう。
要は振動を弱めるか強めるかの問題なのだから。
そんな発想で構築してみた音量を倍増する魔術陣を、あのメガホンには刻んである。
動きを自主的に止めてくれたスクトゥムの全軍に、クルテルくんの声はよく響き渡った。
なお、クルテルくんに喋ってもらったことは、虚であり実である。
正式な開戦手順を踏みに来たという建前をそのまま受け入れ、謝罪なり懐柔なりといった人間が出てくるならば、こっちも拳を下ろすしかないわけだ。
その時はその時。窓口になった人間を手がかりに、ラドゥーンたちを引きずり出してやるまでのこと。
しかしそうでなければ……。
反応やいかにと見れば、確かにざわめきは起きた。
が、それまでだ。
悪として批難対象にされているぞー、そう全軍に情報提供してやっても動揺は薄いようだ。
……いや、そういう場合も想定していたけどね。
むこうの世界でだって、思想統制という手法はあったんだもん。そこに自己正当化を掛け合わせれば、たいていの批判は耳に届くまい。
なにより、星屑たちにとっては、これはお遊びにすぎない。いくら真剣にやってるつもりでも、死んだら終わりの、たった一つの命を賭けた戦いとは思えないのなら、ああそういう設定なのね、ぐらいにしか思えないだろう。
ならばもう一段煽ってもらおうじゃないか。
「……そーか、てめーら。さては正規軍じゃねえな?道中おれらを襲撃してきた盗賊どもの仲間かよ?」
戸惑ったのは、がらっと変わった口調にか、はたまた内容か。
先ほどより大きくなった反応にかまわず、クルテルくんはさらに声を張り上げた。
「おいこら盗賊ども!耳の穴かっぽじってよーく聞きやがれ!これ以上俺たちに刃向かおうってんなら、お上品に縄で首飾りでもつけてもらう手間を省いてやらぁ、背後の城壁ともども砕いてやるから覚悟しやがれ!」
正規軍が食い詰めのごろつきと煽られれば、それだけでも多少むかっ腹は立つだろう。
だが盗っ人猛々しいとは言わないでいただこうか。
何度も何度も盗賊たちに襲われたのは、本当の事でもある。
その都度数倍返しを基本に返り討ちにはしてきたが、それでもあたしたちが襲われたことは真実だ。
ついでに言うなら、とうに宣戦布告はすんでいるのだよ。
ならば少なくとも最低限、こちらを他国の軍勢として、敵対なら敵対、交渉なら交渉をするべきだったのだ。
一方的に盗賊扱いをし、まともに他国の意思として取り合おうとしなかったのはスクトゥムの方なのだ。
なお、この拡声器でのメッセージは、うっすらレジナにも向けた煽りだったりする。
プレイヤー気分の星屑たちにしてみればダークロールプレイングというやつなんだろうが、この世界の人々にしてみれば単なる治安の悪さであり、それはすなわち為政者としてのできの悪さでしかないのだ。
それだけ治安を守れない為政者ってどうなのさ?
盗賊の親玉と、どこが違うの?とね。
「動き出しましたね」
アロイスが冷静に呟いた。
レジナの城壁から矢文らしき矢が飛び、のたのたしていた各隊の動きが慌ただしくなっているのがここからでも確認できる。
アーノセノウスさんが囮であるかもなどとも疑わずに。
じつに、いいカモだ。
なお、アーノセノウスさんすら囮にするという策を出した当初、クラウスさんは拒絶反応を示した。それはもうおっそろしい剣幕だったものだ。
だがそれをアーノセノウスさん自身が押し切った。
もちろんあたしも、安全策をきっちり施しましたとも。
それに――
ようやく隊形が大まかに揃った南東から、歩兵が突撃を始めた。
が、途中で失速し始めた。
これも予想通りである。
星屑たちを生かして捕らえる策としては大失敗の部類だが、天空の円環を全力疾走させた時、彼らはスクトゥム側からランシアまで、いやクラーワやグラディウスの降り口にたどり着く前に大幅に失速していたのだ。
同士討ちや酸欠の影響もあったろう。
だが彼らはほとんどの荷物を置き捨てた。重装備と判断した者の中には身を守る鎧すら全部脱ぎ捨てた者もいた。
だのに数十メートル走るか走らないかで失速したのだ。
そして、あたしたちが布陣しているこの畑の中というのは、レジナから離れてるだけじゃない。スクトゥムの各軍が布陣するだろうとふんだ街道外れ、テストゥド平原のへりからも数百メートルは離れてるんですよ。
そんな遠くから全力疾走してきたとしても、トップスピードが保てるわけがないでしょうが。
……もちろん、わざと、距離を誤認するようなしかけも施しておいたんですが。
相手がどう動くのか、想定はいくつかしておいた。
逃走するにしても、やけっぱちになったとしても、対応できるようにはしてますとも。
次の攻撃を打たせるな、その前に潰せと考える可能性ってのもね。
だから、西から北から、失速しつつもよてよてとアーノセノウスさんめがけて大軍が走ってくるのも想定内ですとも。
こちら側にとって一番困るのは、突然全面降伏されること、その次にじわじわと全方位から包囲されることだった。
全面降伏からの武装解除なぞ、とてもじゃないが時間がかかりすぎるのだ。
しかも武装解除なんてやってたら、まず間違いなくあたしたちが分断される。
降伏したと見せかけて、からの総攻撃、なんてやられたらひとたまりもないんですよ。
包囲からの攻撃でも同じ事が言える。まず間違いなくあたしたちはすりつぶされたろう。
だけど、アーノセノウスさんの示威の結果、スクトゥム軍は――ペンデラコリウム街道を進み、レジナを回り込んできた軍勢は特に――展開が遅くなっている。
当然ですね。あたしたちとレジナの間に入りでもして、レジナに再度アーノセノウスさんが打ち込んだら。
うっかりその軌道上にでもいたら、身体が四散するレベルの威力ですよ。下手に動けるわけがない。クルテルくんの煽りがあればその危険は高いと判断するでしょうよ。
攻城兵器のようなあんな魔術を打たせっぱなしにしておくわけにもいかない。だけど自分が打たれるのも怖い。
アーノセノウスさん狙いの歩兵たちの動きが遅いのは、そんな矛盾もあるのかもしれない。
だがそののたのたとした動きに変化が起きた。
「シルウェステル師」
ラミナちゃんの声に緊迫した色が混じった。
東側の一団から、明らかに人間とは違う大きさ、違う動きでつっこんでくる一隊がある。
(るぷすー)
カロルがきゅうと鳴いた。
噂のリュカントロプル部隊というやつか。人間の動きが遅ければ、さらに早いルプスを動かすというわけか。
だが、人には人への、動物には動物へのやりようがある。
合図を送れば、魔術師たちが一斉に詠唱を始めた。
あたしたちがカッシウスに行く前から、クラウスさんに締め上げられ、アーノセノウスさんの攻城級の威力と射程距離のある巨大火球を見せつけられ、プライドをぺっきりへし折られたランシアインペトゥルスの魔術師たちは、グラディウスの魔術師からも貪欲に学ぶ姿勢を見せていたようだ。
もちろん、全員がいきなり強い危機感を覚えたわけじゃない。けれど、同僚の努力を見て焦らないやつはいない。
そこへパルが無邪気に追い打ちをかけた。らしい。
アーノセノウスさんが丁寧に教えている様子に秘蔵っ子と判断したのだろう。
足を引っ張りに出たやつもいたらしいが、どっこいコッシニアさんもいるのだ、それを許すわけがない。
中級導師と上級導師二人がかりで査定され、今度こそぺしゃんと潰れた無駄なプライドを投げ捨てたのか、彼らも必死に団体で行う術式を練習した。
コッシニアさんがおなじアルボーに駐留していた魔術士隊――ベネットねいさん以下三人のもはや代名詞となっていたらしい、集団火球の操作方法を教え込んだ結果。
火球の垣根の前で、急停止するルプスたちという姿が見られるようになったわけだ。
魔術士隊が開発したのは、火球を停止させたまま維持する方法だ。アーノセノウスさんのように射程を伸ばせないのなら、威力が出せないのなら、そして複数の火球を同時に操ることが一人でできないのなら、複数人で顕界した複数の火球を、一定の空間内に集中して壁や盾にする方法だ。
数百メートルはあろうか。くっつきあって見える火球の列がじわじわとスクトゥム軍の方へと近づいていく。
「なんだ、これ」
「幻覚だろ!」
後ろから飛んできた矢が一つの火球に突き刺さり……派手に吹き飛んだ。
巻き込まれたルプスたちが悲鳴を上げてのたうち回る。乾燥した大地に身を擦り付けても火はなかなか消えず、惑乱した者の中には逆走してスクトゥム軍につっこんでいくものもいた。
大騒ぎである。
「落ち着け、爆発したってことはそのぶん穴が開いて!……ないな」
とっくの昔にそんなもんは埋まっている。
ランシアインペトゥルスの魔術師たちより小技のうまい、グラディウスの魔術師たちによって。
グラディウスの魔術師たちは船の上で便利に使われる。風を起こして船を走らせ、真水を作り夜も目を配る。
その実践の中で磨かれたのは、魔力を節約しながら効率よく機能する魔術の運用方法だ。
火球を維持しつつ周囲の動きに同調させることなど簡単なんですよ。
「頃合いですね」
アロイスの言葉に頷くと、あたしは合図を送った。
一度だけ振り返れば、後ろへと下がらせたアーノセノウスさんをクラウスさんが手当しているのが見えた。
アーノセノウスさんの顔色を見れば、やはりあれだけの術式を顕界するのは相当な負担だったのだろう。
……本当であれば、今度は後詰めとしてクラウスさんに頑張っていただきたかったのだが、それをクラウスさんが肯うとも思えない。一発かましたらアーノセノウスさんがガス欠になるのは目に見えていたしなあ。
「『クラウスどの、後は頼む』との仰せです」
「かしこまりまして」
グラミィに声を掛けてもらうと、クラウスさんは手も止めずに頷いた。
最後の手段としてクラウスさんの火力が温存できたと思おう。
んじゃグラミィ。手筈通りによろしく。
〔わかってます。……了解はしたくないですけど!〕
それでも、こいつが、最適解だ。
あたしたちの中で、これ以上の手立ては出てこなかった以上は。
鎌杖を取り直し、あたしはグラミィに合図をした。
とたん、どよめきが聞こえた。
アーノセノウスさんたちだけじゃない。火球の垣根を維持しながら、じりじりとあたしたちの背後に退却していた魔術師の姿が見えなくなったせいだろう。
事前に施した策のせいだ。
ここはもうトリクティム畑でも平原でもない。
森だ。
グラミィが持つ樹の魔物たちは、あたしがさんざん挿し木に枝をもらい、坊主にしてきたラームスたちと違い、これまで一度も矯めたことはない。
それはつまり、ポテンシャルが、ヴィーリから与えられた時のままだということだ。
彼女が両腕に嵌めていた、腕輪のような形に成形されていた樹の魔物たちをほどき、あたしとグラミィは空を飛んだ。
そしてこの平原にしかけたものの一つが、迷い森と隠し森の二重構造である。
プルヌスたちだけでなく、樹の魔物たち全体の機能についても利用許可をもらってあるのだ、使えるものは使いますとも。
隠し森の中心部にはグラミィを置く。彼女が隠し森を発動兼維持するのは、主にアーノセノウスさんを筆頭とした、消耗した魔術師たちの姿を隠し、回復するまでの時間を稼ぐためだ。
ちなみに、これまでこちら側からの魔術攻撃がすべて火球だったのは、魔力の節約や得意な術式だからという理由もあるが、樹の魔物の弱点が火だと思わせないためでもある。
ま、効けばいいなという程度の小細工だけれども。




