樹の魔物たちを歩かせる方法
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
しみじみ理解した。
この施設は、調べれば調べるほどろくでもない場所だ。
それでも、数ある魔術陣のほとんどを発動不能にしたことで、おそらく無害化はできたと思う。取りあえずは。
今後も継続的な監視が必要な場所ではあるのだろうけれど。
だけど、ここにずっといつづけることはできない。
忘れちゃいかんが偵察部隊ですよ、あたしたち。
自分を二つに分けてどっちにも置いておくことができればいいんだろうが、さすがにそれができるほど、あたしも人間は止めてないらしいなぁ。
自分の精神で裂けるチーズごっこすんのは、一回で十分ですとも。
そうかといって、このままゾンビさんたち――思考を抑制されて自発的な行動ができないようにされた人たち――や、彼らをその状態にした一味である『兜職人』を放置しとくわけにもいかない。
警戒対象兼、世話をしないとじきに死んじゃいそうとか。面倒すぎるにもほどがある相手ですよ。星屑と星屑未満者ってのは。
「根を張ろう」
(……感謝する)
だから、彼らの面倒を引き受けてくれたヴィーリに、あたしは深々と頭蓋骨を下げるしかなかった。
森精たちは、この世界の人間どころか、落ちし星たるあたしたちにも完全な味方とはいえない。
一方的に負担を掛けるような頼みごとなど、本来なら悪手も悪手。
だから、乗ってくれるかどうかは、ほんとにヴィーリの気持ち次第だったのだ。
これまでも森精たちの隠し森や迷い森に星屑たちを預けたことは、ある。
が、それはあくまでも、それ以上敵対的な星屑が侵入してこないようにするための防御に力を貸してくれたものだったり、回復するかどうかも定かではない相手を、人体実験対象として有効活用するためのものだったりする。
どっちも敵だから何をしてもいいよね、という枕詞つきの寄託ですよ。
ゾンビさんたちのように、敵ではなく、敵意もないがプレ星屑搭載状態の人間を、依頼したあたしが、その場を離れるから代わりに保護してくれとか。
落ちし星だの、人間たちだのの事情なんて知らねーぜされても、文句は言えないでしょうよ。
だから、この感謝と安堵は心底からのものだ。
……で、グラミィは言いたいことでもあるのかな?
なに。あたしが黒いの人でなしのとかいう話?
〔それはいつものことですけど〕
いつものことなんかい。否定はしませんがね。
ヴィーリに負担をしょわせやすいよう、いろいろ情報の出し方も計算してましたし。
そもそもゾンビさんたちだって、単純に保護対象じゃない。喪心陣を刻まれてから長時間経過したケースとして、十分研究価値がある――つまり、純粋な犠牲者であるゾンビさんたちだって、あたしはモルモットにする気があり、森精たちがモルモットとして扱うことも許容する、と伝えてるのだ。
〔でも、それ以上に、ボニーさんてば意地っ張りですよね。もしくは欲張り。抱え込んだものは手放そうとしないじゃないですか〕
……それも否定はしないよ。うん。
単純に、関わった以上はその着地点までそうするべきだと思ってるだけなんだけど。
〔たとえ重荷でもぎりぎりまで下ろそうとはしないってのはどうかと思います。それに〕
いつものジト目にちろりと陰りが湧いた。
〔それに、助けを求めたのはヴィーリさんだった〕
あたしは、そんなに頼りないですか。
そうぽつりと呟かれて、あたしは言葉に詰まった。
……真面目な話、グラミィの魔術に関する知識は、あたしが伝えたものがほとんどだ。
つまりそれは、魔術師としてグラミィはあたしのデッドコピーに近い存在ということでもある。
力技でお茶会術式のような独自なものを作り出すことはできてるけれど、生身の五感でマスキングされてしまう魔力知覚の関係で、術式の解析などには、あたしよりも向いていないだろう。
ただ、これは比較の問題だ。魔力知覚しかないのを、わざわざ疑似視覚として扱ってるあたしや、樹の魔物たちという半身を持つ森精たちがべらぼうなだけですとも。
たまたま状況が状況だっただけで、グラミィの方があたしよりできることだってあるんだが。
〔あたしの方がヴィーリさんよりできることってなんですか?悪巧みも推測もみんなあたしより上じゃないですか〕
人間として行動できる。この一点だけはどうしてもあたしじゃ無理ですがな。
……ほんとのことですよ?
不得要領な顔をしたグラミィを脇に置いて、あたしはヴィーリとの情報共有に努めた。
幸いと言うべきか、あたしとグラミィの腕に嵌まっているプルヌスたちは、ヴィーリの樹杖とも繋がっている。
そのつながりを利用して、あたしがぶっ刺された槍の魔力吸収陣と、この施設の中にある魔術陣についてわかったことをまとめて送っておく。
こういうとき、森精たちとの情報伝達が簡単にすむのがじつにありがたい。ラームスたち樹の魔物が媒体となってくれてるおかげだ。
ただ、情報伝達は相互理解とは必ずしもイコールでもニアリーイコールでもないってことは、注意が必要だろうけれども。
おまけに槍に刻まれた魔術陣の解析はほぼ終わってたとはいえ、この施設の魔術陣ときたら、魔力吸収陣に刻まれた魔喰ライの王への祈願文部分だけでも、一つとして同じ文面のものがないというめんどくささ。
記述の書体も、たとえるならば楷書から草書まで網羅している感じとかね。バリエーションありすぎ。
魔喰ライの王への祈願文を組み込むだけで、なんで魔力吸収陣の性能が変わるのか不明すぎるし。
そもそも、魔力吸収効率が悪すぎるし!
魔力吸収陣以外の種々雑多な魔術陣も、一応全部無害化はした。
だが、あたしの取った方法なんざ、陣の物理破壊一択でしかない。
完全無害化にはどうしても解析からの解体という手順が必要なのだが、それにも時間がかかってしまう。
「火は灰に」
(重ねて感謝を)
魔術陣について、動作不能にする前と後の状態込みで情報を開示したおかげだろう。
危機感を持ったのか、ヴィーリが解析ついでに完全停止を確約してくれたのは、本当に助かった。
「この枝からも風を送る」
ヴィーリからも頼みがある?!
なんだろう。
「双極の星よ。その樹を歩かせよ」
……どゆこと?
* * *
ドームに戻り撤退を告げると、アロイスたちは驚きながらも納得した。
……まあ、彼らにしてみりゃ、この施設の目的確認と、可能であれば無害化までがお仕事だったわけだし。
突然に見えても、ここの監視をヴィーリに引き継いでもらう形になったというだけで、安心するわな。それは。
……こういう時、下手に国際政治を考えるような手合いがいないというのは、それだけでかなりありがたいことだったりする。無駄に自国の利益を互いに言い立てて、内輪もめなんかしてる余裕はないからなあ。同行しているランシアインペトゥルス以外の国に所属している人がラミナちゃんだけで、ラミナちゃんが純粋にクルタス王の手先であってくれて、なんとも助かった。
こっそり安堵していた戻り道の途中でのことだ。
コールナーに乗れと言われたので、グラミィと二人乗りをさせてもらいながら、かっぽこっぽと進むあたしたちの前方、アビエス河の方からすごい勢いで人が走ってきた。
それも、見覚えがある。
(アロイス)
「……ええ、あれはリナスのようですね」
足を止めて伸び上がったアロイスが答えた。
リナスはアロイスの部下だ。たしか海に近いところの出とかで、船にも強いというので選抜したとか言ってた気がするが。
その彼が人目もかまわずに疾走してくるとは、一体何があったのか。
「アロイス隊長!」
「どうした」
「至急お戻りを!スクトゥムの軍が、複数の街道より接近中にございます!」
……いよいよか。
へばりかけたリナスくんをアロイスが背負い、徒歩のトルクプッパさんとラミナちゃんも足を急がせ、可能な限り早く戻ってみれば。
「シル!」
「隊長!」
「ラミナリア!」
それはなんとも熱狂的に迎えられたましたとも。
船の利点を生かせば拠点は固定せずともすむとはいえ。
わざわざトラスアビエス街道の渡しに船を着けようとか。対岸のレジナからは丸見えでしょうに。
いや、それは、ラームスの欠片を乗っけてあるけどさあ。あくまでも目眩ましにしかならないと思うんですがね。
「スクトゥムの軍勢が進軍していると聞きました。状況を詳しく」
アロイスが訊けば、リナスくんの同輩と見える人が騎士の礼を取った。
「申し上げます。カプルサフニス、ペンデラコリウム、コリージャペッリスの各街道を偵察していた者より、スクトゥムの進軍を確認したとの知らせがございました」
「各軍の人数は」
「コリージャペッリスより三千。ただしこれは総計とのこと」
「総計?」
「千人規模の隊列を三、確認したとの報告です」
〔うわ〕
あたしたちはこの船団全員あわせたって、千にも満たない。
「同様にペンデラコリウム街道では千人規模の隊列を二、カプルサフニス街道は約一千確認とのこと」
「合計六千か」
アロイスが考え込んだ。
それはそうだろう。あまりに少なすぎる。
〔少ない?!〕
心話の『声』までひっくり返さなくても。存外器用だね、グラミィ。
だけど、属州一つあたりに五千人規模の軍団が設置されていることは、ほぼ確実。
その伝でいくなら、単純計算でも五万五千ほどに押し寄せられていても、おかしくはないんですよ。
しかも、困ったことに、その数すらスクトゥムにとっては、総掛かりでもなんでもないのだ。じつに泣ける。
なぜならスクトゥム帝国全体の人数は二千万をくだらないとかいう話もあるのだ。
人口比百人に一人兵士を出したとしても、その兵力は二十万をくだらない。
おまけに、向こうは州境を超える面倒なんざ関係ないときてる。
〔そこは、ほら、ボニーさんがしかけたウィキア豆のせいじゃないですか〕
……それはどうだろう。
ぶっちゃけ、あたしが足を踏み入れたことのない属州の方が多いんだし。
いやでも、アエスでのことを伝えたら、森精たちも上空からウィキア豆をばらまいたりしてたよな。
森精たちの復讐が実を結んだ可能性もない……わけ、じゃないのかな?
そんなことをあたしとグラミィがごちゃごちゃ話しているあいだも、アロイスは細かく報告を受けていた。
……どうやら、あたしのやらかした十重二十重な進軍妨害工作は、スクトゥムの軍勢をかなり足止めできていたようだ。が、逆にそのせいで、向こうを警戒させてしまってもいるらしい。
斥候たちが軍団を発見したのも、ある街道を見張っていたら、脇街道伝いに他の街道を進軍している部隊と頻繁に連絡を取ってたせいだという。
実際、足並みを揃えているのだろう。最新の報告では帝都レジナからほぼ同距離に接近しているらしいし。
油断してない大軍。こちらの六倍はあろうかというそんなもんに、一斉に押し寄せられたら、あたしたちはひとたまりもないだろう。
「しかも、コリージャペッリスの一隊はリュカントロプル部隊であるとも」
「狼使いどもかよ!」
舌打ちをしたのはグラディウスの船乗りさんの一人だった。
「何かご存じか」
「話に聞いただけですがね。ルプスの仔を育てて人慣れさせたものを使う連中がいるとか」
「……面倒ですな」
肉食動物の襲撃をかわすのは、人間相手の戦闘とは大きく勝手が違う。
「いずれにせよ、テストゥド平原に姿を現すのは一両日中と見られます」
そして平原にいずれかの軍が姿を現したときが、戦の始まりとなるわけだ。
シーディスパタのノワークラさんが溜息をついて頭をかき回した。
「星を追う森の御方もどこに雲隠れなさったことやら。切った日すらもとうに過ぎておりますな」
「『彼には会った』とおっしゃっておられますがの」
「そりゃ本当ですかい!」
本当ですとも。
グラミィから、あたしが発見したのがカッシウスなるスクトゥムの危険な施設であったこと、そちらをヴィーリに任せて戻ってきたことを伝えると、お留守番組の皆さんの顔色はわずかに戻った。
なにせ、同行したラミナちゃんのお墨付きまである。
ロリカ内海からトラスアビエス街道へ兵を進める可能性は薄く、ウンボー半島以外から、これ以上の軍勢が増える見込みもないだろうと伝えればなおのこと。
だけど、その安堵はちと早い。
どっちにしろ六千近い軍勢が迫ってきていることは、動かしようがない事実だ。
それをしのげなければ、あたしたちはここで壊滅する。
そして、ヴィーリの助力はこれ以上望めない。
だけど逆に六千相手にここをしのげば、帝都レジナは、スクトゥム本国は、スクトゥム帝国は落とせる。
そう、あたしは考えている。
なぜならロリカ内海を、そして森精たちの森がどんどんと他の属州にも広がっていることを考えれば、相手の軍勢だってバックアップどころか、帰る場所すらないようなものだ。
たとえあたしたちがここですりつぶされたとしても、星屑たちを、そして彼らにこの世界をゲームのように錯覚させているラドゥーンたちも押さえ込めれば、森精たちにとっては問題はないといえよう。
だけどね?
あたしゃそこまで自己犠牲とかいう、わけのわからんもので酔っ払うような真似はできないんですよ。
「シル」
アーノセノウスさんがじっとあたしのフードを見つめた。
「策は、あるのか」
「『ございます』と」
〔断言しましたけど……いいんですか?ほんとに?〕
グラミィが疑り深いのも当然ではある。
なにせ帝都レジナすら、攻めるのやめようとか退嬰的なことを言ったあたしですもの。
六千、しかもちょっと特殊な相手をどうにかできるっていうなら先に帝都をなんとかしとけって話でしょうね。
だけどその理由は簡単ですとも。
あのときのあたしには、採りようのない手段だったってだけなのだ。
んでグラミィ。
〔なんですか、ボニーさん?〕
ちゃんと頼りにさせてもらおうじゃないの。
〔はい?〕
あたしと、あんたで、歩かせるんですよ。ラームスたちを。
〔……はああああああ?!〕
その夜、あたしとグラミィは空を飛んだ。




