滄海変じて蒼森となる(その3)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
あたしは、都合のいい偶然てやつを信じない。
どこからともなくやってきた救済者により、悪の手から守られた弱者が幸せになる、約束された奇跡?
その正義の味方、タイミングを見計らっての出番待ちでもしてたんですかね。
だって、ピンチがいつどこで発生しているか、わかってなければ出てこれないわけでしょ。
ということは、あれですか。敵とがっちりつながってマッチポンプでもしてるんですかって話だよね。
斜めに歪んだ見方だと言われても、世界がそれほどやさしくも甘くもないと経験則になるほど思い知った悲観論者に、そのツッコミは刺さらない。
改心するほど刺したかったら、もっと世界は糖分の含有率を高めるべきだと思うの。
接客レベル1のバイト学生が、モンスタークレーマーレベル99と初手でエンカウンター、トラウマになるほど口撃を受けて土下座させられた後も、ストーカーチックにまとわりつかれる、なんてことも起きないくらいに。
という冗談はさておき。
ラドゥーンたちの施設を回り込むと、ヴィーリは地面に樹杖を突き立てた。
なぜか一緒に野営用ドームを出てきたコールナーまで中に入れたまま、結界……いや、森が広がり、空気が変わっていく。
(隠し森か)
何度見ても感嘆してしまう。
木の下影から見上げる梢のように繊細で美しいのに、要塞のように堅固な空間。
ただ、森の中から出られなくなる程度の感覚混乱と、外からは見通すことのできない視覚遮蔽効果のみの迷い森と違い、隠し森というのはそれこそ森の中と外の空間を隔絶させる。
だけどそれを構築したってことは、よほど機密性の高いことを話すつもりか。
〔当然他言無用ってことですよね。わかりますけど〕
アロイスたちに、なにをどうでっち上げて伝えるかは置いとこう。今は。
身構えたあたしたちに、ヴィーリは重い口を開いた。
「イークト大湿原、杭岩より南、海より北に森はない」
(……やはりそうなのか)
スクトゥムにいた森精たちの多くの絶滅を確認した。
ということは、海森の主の。北海で森となったペルの。そしてメリリーニャの、アエスで今も恨みを飲んで佇立する樹の魔物たちの半身たる森精たちの。
係累がすべて絶えていたと、いうことか。
いくら推測はできていたとはいえ、確定情報はそりゃ秘匿すべきでしょうが。
なお、あたしの推測は、ほんとうに既存の情報からの類推にすぎない。
スクトゥム帝国の台頭期に小国群を飲み込み、そこで王族を窓口にしていた森精たちと為政者の接点がちょん切れてた話とか。
アエスで森精が虐殺された話とか。
北海で森となった黒髪の森精、ペルを保護した時のこととか。
あとはメリリーニャの身の上もだ。
闇森では珍しい黒髪の森精、メリリーニャは南、つまり現在のスクトゥム帝国内にあった森にルーツを持つという。
その出身の森精が闇森にたどり着いた後、戻るべき森が絶えたのだったか。
加えて、短期間なりともスクトゥムに潜入し、見聞きしたことから自分なりに理解したことがある。
スクトゥムの民は、畏れない。
正確に言うならば、スクトゥムの人間には、人知では計り知れぬ存在に対する畏敬の念というものがないのだ。
これは、他国の精神性とは明らかに違う。
スクトゥム以外の国々には、いい意味で原始的な精神性とでもいうべきものがある。
敬虔というより迷信深いグラディウスの船乗りさんたちはもとより、不信心ぽいアロイスですら、武運を願えば武神アルマトゥーラの御名を心から唱えもする。
というかもともと、この世界の人々にとって、自身を取り巻く森羅万象すべては、多かれ少なかれ数多の神意の顕現そのものなのだ。
おかげであたしゃ、存在自体があなたの身近に這い寄る神威扱いなんですよ。ある意味。
この世界の人々の心に、まだ神々がいる以上、畏れは身を慎み、人ならぬ事象にすら敬意を示すもととなる。
それに対し、スクトゥムは、ある意味、近代国家なのだ。
そう、『神は死んだ』とかむこうの世界で哲学者は吠えた時代。
これにはスクトゥムが星屑だらけであるせいもあるのかもしれない。
そうでなければ、アエスの聖堂があんなに寂れて、しかも人さらいたちのアジトになんかなっていたりするわけがない。
星屑たちにとって、この世界はゲームの舞台でしかない。だから人を殺しても罪悪感もない。なぜならそれは彼らにとって、リポップ率が極端に低いエネミーデータでしかないのだから。
魔術はスキルの一種で、この世界にはアンデッド系モンスターなどおらず、そして神聖魔術だの奇跡だのといった、アンデッド特攻効果がある魔術が得られるわけでもない聖職者は不遇職扱いだった。
信仰?テイスト程度の張りぼてぐらいにしか見てないんじゃないかな。
人知の及ばぬ存在への畏れがなければ、道徳性とは、人間集団をよりトラブルを生じさせないように運営していくためのスキームにしかならない。
それはつまり、自らの行いについて、所属する集団以外の他者の視点から見た場合どう見えるか、という意識を持たずとも、それですませられるということでもある。
赤信号、みんなで渡れば怖くない。
むこうの世界でも半世紀は昔の言葉だったと思うが、それはいやな方向でこの世界でも通用してしまう。
赤信号、ウケるし渡ろう目の前で。
自身を肯定するためなら、自身の属する集団の中で評価を上げるためなら、どんなことでもするだろう。星屑たちは。
これは、弱肉強食などの理屈をつけるよりも遙かに始末が悪い。なぜなら彼らの中で自分自身の存在、ノリと判断以上に価値あるものはなにもないのだから。
善悪の判断すらなくノータイムに唯我独尊。ゆえに彼らは自分ではないもの、外界の構成要素が、人間であろうが環境であろうが破壊するか――破壊あるいは支配と同義語であることも多いが――利用する。
「そこまで読めるというのなら、星屑どもの風は?」
(読み切れないということだけは、はっきり読める)
〔……言葉遊びしてる場合ですか〕
きっぱり答えたらグラミィにつっこまれたが、駄洒落じゃありませんよ。
(わたしの世界でのことだが、人間は地峡を削り、海をつなげ、船を通した。もっとも高いというだけで山に登り、人が到達していないというだけで、生存に適さない土地へと向かい、数多の生物を絶滅させ続けていた。じつに無駄な行動力だろうが、わたしと同等の知識を持っている星ならば、この世界でも同じ事をやらかしかねない)
「得るものなどない岩山でも?」
(行くだろうな。頂上に登ったと言いたいがためだけでも)
「そうなのか」
(愚かだろう?)
……ヴィーリの呆れた目なんて初めて見たよ。
個人的にも己の世界を自分の手足を使って広げていく以上、たとえ人類にとって既知であっても、本人にとって未知であるなら、それだけで十分冒険といえるとは思うし、それで満足しとけと思う。
だけど、世界の果てを知りたいというだけで動くのだ。人間てやつは。その行動パターンに合理性とか求めるのは無理だと思うの。
そのくせ変なところで計算だかく、自分の損を他人になすりつけようとするからなぁ……。
加えて、星屑たちは欲どおしい。
人手に入れてもさほどうまみのない土地であっても、それまで見たことのない風景が広がっているというだけで、不毛な砂漠だろうが、人類を阻む密林だろうが切り開き、突き進む。
人間にとっては手つかずというだけで、その土地は切り取り御免、得られる鉱石、植物、動物、すべてが利益を得る取り分とでも思い込んで。
たとえそれが、森精たちの森であっても。
「己が領域を失ってもか」
(コールナーは来てくれた。わたしとともにいたい、それだけの理由で)
白銀の毛並みを骨の指で撫で梳くと、菫青石の瞳を一角獣は気持ちよさそうに細めた。
基本、自分自身の生存可能性を維持するため、生物はよほどの環境変化でも発生して、生存に適さなくでもならない限り、獲得したテリトリーをそうそう捨てることはない。
だけど、コールナーは来た。
闇森という超巨大なデータベース兼テリトリーから、森精たちが出ることも、ほとんどない。
けれどもそれこそヴィーリのように、メリリーニャのように、情報収集や播種、そして星の監視といったこの世界の管理のためなら出てくるものがいる。
まして、この世界を単なるゲームの舞台としか思っていない星屑どもなら、他のユーザーが到達していないエリアがあると吹き込めば、それで十分喜んで死にに行くだろう。
星屑たちの欲は、本能に基づく三大欲求ばかりじゃない。
物欲知識欲に名誉欲、はたまた承認欲求に愛情欲求。
108つどころの騒ぎじゃない煩悩は、どれだけ満たしてやってもおさまらぬ。むしろ精神的な餓えはひどくなるばかり。死んでもいいからかなえたいと願い、自分自身の命どころか、周囲の存在すら賭け代にして省みぬ欲望の深さ激しさは、まさにイドの化け物。
そして道中手に入れた果実はすべて、囓るも投げ捨てるも思いのままと思い込んでいるというね。困ったことに。
すっぱい実をうっかり囓ってしまったように、盛大に森精は顔をしかめていた。その唇の端にこれまで気づかなかった皺がくっきりとあるのを、あたしは痛ましい気持ちで眺めた。
星屑たちの暴走する欲望に浪費されているのは、彼らの世界なのだから。
しかしヴィーリ。あたしの推論に裏付けをくれたのはありがたいが。
そこまであたしたち、部外者どころか世外の者に自分たちの内情を知らせてもいいのかな?
「風などなくとも、空を飛ぼうとする翼は風を起こす」
どうせ、情報から強引に推論を組み上げてくるくらいなら、精度の高い情報を先に与えておいた方が行動を掣肘しやすいと判断したと?
「風が足らぬ」
だけどヴィーリは、それだけではないと緩やかに首を振った。
「我らが枝を託した星よ。その光は我らが梢にも降り注ぐ。我らが葉は光を掴む」
監視と助力から始まったとはいえ、場合によっては始末することも視野にいれてとはいえ、信頼もあるのだと。
樹の魔物たちは、森精にとって半身なのだ。
人間が枝を託されたことを名誉と取るのは、託される人間が極めて少ないからだろう。けれどもなぜそれほど少ないか、そこに思考を及ぼすことはあまりない。
半身たる樹の魔物の枝を託すというのは、ある意味我が子の身体の一部を託したくらいの重みがある。そのことに思い至る人間がどれほどいることか。
(骨はやらんぞ)
「光は掴もう。だが星そのものに届く梢はない」
コールナーがぶると鼻を震わせると、ヴィーリが珍しく笑った。
「星に預けたい樹はあるが」
(……受けるかどうかは、骨が決めることだろう)
星にもよき風となる話だと言われ、不承不承にコールナーは納得した。
あたし?受けますよ。もちろん。
人間同士のマウントを一撃でひっくり返せる威力ですから。森精の信頼ってのは。
だけど重たすぎるようなら、ラームスみたく、そのへんの人が通らなそうなところへ植えておかないといけないかなー。
そう思ってたのだが。
あたしに目玉があったら、ヴィーリが渡してきたものを見て飛び出てたね。絶対。
(これは……これも樹、か?樹なのだな?)
「いかにも」
〔まじですか〕
グラミィが心話で口走ったのも無理はない。
ヴィーリは当然のように肯定したし、放出されてる魔力を見れば、いや、確かに樹の魔物たちなんだろうなとは思ったけど。
いまいち自信が持てなかったのは、イメージしていた樹杖の枝とかじゃなかったからだ。
ヴィーリが最初に取りだしたのは、たとえていうなら、遠目に見れば胴着のように見えなくもない、なにか。
近くに寄れば寄るほどそうは見えなくなるけど。
どアップにすれば、下手したらクトゥルフ系クリーチャーその1と言われても信じるんじゃなかろうか。
その名状しがたきブツは何かというと、たまたま胴着の形になった感のある蔓や根の塊である。
よろしくねと心話で挨拶したら、ゆっくり気根を動かして挨拶を返されたのにはぎょっとしましたとも。
いやね、植物が動くってのは知ってますともそれは。
けれどいくら樹の魔物とはいえ、植物とは思えない速さで動かれるとびっくりするだけの話で。
でもまあ、樹の魔物たちの気根なら、とっくにあたしのお骨にはラームスたちの欠片が絡まっている。
あとは馴染むかどうかの問題だろう。
そう考えたあたしは、グラミィに手伝ってもらって、ローブや中着を脱いだ。
そしてブツを身につけた途端……うわ。
〔どうしました、ボニーさん?〕
早速動き出した気根たちが、お骨にじっとり絡まってきたのだ。それも特定の場所に。
「また怪我をしていたのか」
ヴィーリがのぞき込んできたのは、左側の肋骨だった。そりゃそこは何度か破壊されたもんなー……って。
( )
ずれてるから治す?えーと?
戸惑っていたらヴィーリが説明をしてくれた。
「この根たちはインシティオリスという。我らが芯の折れたときにも助けとなる」
どうやら樹の魔物たちにも種類というか、役割分担があるらしい。
胴着チックな彼らはラームスたちのような魔術支援タイプではなく、医療支援タイプということになるのだろうか。
まさか身をもってギプスになってくれるとか思ってもみなかったが。
( )
必要ならば骨も作り足します?!
い、いや豆のように共生細菌の力を借りて窒素固定をする植物があるのだ、カルシウムの固定をするのがいたっておかしくは、ない、……のか?
〔細かいことは置いといて。助けてくれるんなら、お願いしたらいいんじゃないんですか?〕
若干混乱していたらグラミィに言われてしまった。
が、まあ受け入れると決めたんだから、そこはハイかYESの一択でしょう。
それではよろしくお願いします。あの、あくまでも原形復旧が目的なので。
他の肋骨と無駄につなげたりしないでくださいね。これは借り物なんで。あくまで。
( )
骨に巻き付いた気根がじわじわ動いていって……ああ、なるほど。思ったよりきちんとは直せていなかったか、それとも一度固定したと思っていたのがずれていたのか。
アエギスの戦いの後は、あたしも応急処置ですませて動き回ってたしなぁ……。
インシティオリス――長いのでオリスと呼ばせてもらうことにした――の手当は、その動きと同じくらいの速さで、しかも丁寧なものだった。
下手にへばりついたところを剥がされたりする痛みはときたまあるものの、あっという間にあたしにも回収できなかった肋骨の砕片が別のもので埋められ、完全にもとの形になっていく。
これなら、今後もすべての破損箇所の修復を、この専門職ならぬ専門植物にまかせた方がいいかもしんない。
次にヴィーリが取りだしたものも、一見樹の魔物どころか樹にも見えなかった。
例えるならば樹皮を剥ぎ取って丸めたもの、というのが近いだろうか。
だけど、つるつるな樹皮の木々も、樹皮が銀鼠色になる木々というものもないわけじゃないが、これほど極端なものもないだろう。
ぱっと見完全につや消し塗装済みの金属素材をカッティング打ち出し絞り込み加工して作りました、と言われても信じるレベル。
こちらはグラミィのぶんも用意されていた。なんでもローブの上から両方の上下腕に着けるものらしい。
やたら幅広なアームレットとバングル……というか、袖口を絞って止めるアームバンド、いやヴァンブレイスというやつのように見えるのは、何か意味があるんだろうか?
それぞれによろしくと心話で挨拶をしてから着けてみたのだが。
〔うわ〕
グラミィの驚きにあたしは首の骨で頷くしかなかった。
〔ボニーさん、これ、この子たち……!〕
……これは、すごい。
ラームスたちは、魔術的な支援能力が高い。確かに。
けれどもそれはともに行動する単体を対象としたものだ。
一方、今あたしとグラミィが腕に着けた、この銀の樹の魔物たちは、単体をバックアップと深く結びつけるパイプ役に特化しているようなものだ。
例えるなら、あたしのお骨にひっからまっているラームスの欠片たちは、有線LANで繋がり、うっすらとイントラネットを構築しているようなものだ。
オリスは半分スタンドアロンというか、イントラネットに接続はしているものの、そのハードは他のラームスたちと規格が違う。プリンタなどといっしょに完全自動ロボットが接続してあるようなものだろうか。
闇森はさらに規格も規模も違いすぎる。例えるならばデータベース兼スパコンステーション。
しかし、この銀の樹の魔物たちは。
たとえて言うなら、それらスパコンにも直接接続し、その機能を使用することができるゲートウェイといったところだろうか。
あたしのラームスの欠片たちだけでなく、グラミィのもとにある樹の魔物たちや、ヴィーリの樹杖とも共振している!
(なんだ、今のは。まるで闇森の中心部にでも放り込まれたようだったぞ)
「双極の星ならば、嵐も己の翼に変えられよう」
あたしの心話とグラミィがこくこく頷くさまに、ヴィーリはかすかに笑ったようだった。
簡単に言ってくれることで。
「海もとは言わぬ。せめて、この半島だけでも森を預かってもらいたい」
なるほど、オリスやこの銀腕甲のような樹の魔物単体ではなく、これまで森精たちが撒き育ててきた樹の魔物たちから構成された森そのものをあたしたちに預けたい。そういうことか。
あたしの要望は満たした。星屑たちへの対抗策には乗ってやったのだから、その実現にはきっちりこき使ってやる、そういうことでもあるのか。
グラミィにも樹の魔物が与えられた以上、確かに少しはやれることが増えただろう。
〔少しは?〕
こらそこ。呆れた顔をするんじゃない。
……しかし、その一方であたしと森精たちの窮状もはっきり見えてくる。
これだけの権限を与え、使いこなせということは、あたしたちが使いこなせない限り詰みかねん、というでもあるのだろう。
そしてあたしたちに怪しまれる危険があってもこれだけの権限を与え、スクトゥムに森精がいないことを明言してでもこちらの信用を買おうとしたということは。
森精たちも能力と意思をそれなりに信じられる味方が必要だと、少なくともスクトゥムに対応できる人材を求めているということでもある。
その要件を満たしている間、森精たちを味方とすることができると保証されたようなものでもある。
……ええ、だったらやってやるしかないでしょうがよ。
(ウンボー半島だけでなく、アビエス河流域全般の森にも力を借りたいのだが?)
「月は満ちる」
森精は即答した。
リトスから流された枝たちにも、これまで以上に力を借りることができるというのはありがたい。
(加えてヴィーリ。あなたにもいくつか力を貸してほしいことがある)
「この枝にできることなら」
なに、簡単なことだ。
あたしが戦闘準備に欲するものは、かつても今もただ一つ。
情報だ。




