兜の意味(その7)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
※この部分には人の死に関する胸糞な表現があります。不愉快に思われましたら、ブラウザを閉じるかバックしてください。
〔ボニーさん、ここにも魔術陣を撒いときますか?〕
グラミィに心話で問われ、あたしはちょっと考えて首の骨を縦に振った。
最下層に来るまでの間、できる限りの注意は払ってきたつもりだが、それでも油断はできない。
ここが施設すべてを使った罠でないとは、結局のところ言い切れない。もしそうなら、全員で最奥まで来たこの状況こそが、最大のピンチであるとも言える。
ならば、バックアタック潰しや罠の不発化は必須だと思うのよ。
そこであたしは、一つだけしかけを施した。
見かけと重さはゴンドラのコントロールボックスに似せたそれを、最初にコントロールボックスを見つけた場所に置いといただけだけれども。
(こっちー)
カロルとターレムが尻尾をふりふり先導してくれたのは、ゴンドラのシャフトを中心としたホールから、一本の通路に入ったところだった。なおフームスはあたしの懐の中というちゃっかり具合。
……なるほど、ホールからは視線が通らないようになっているのか。
周囲より一段へこんだ壁すら目隠しにしているのか、さらに奥にその扉はあった。
ところどころ戸枠と戸が接着されているのは……これ、幻惑狐たちのしわざだな。
(はずすー)
さらりと粒子になった岩石が扉の隙間からこぼれ落ちた。それ以外に動くものはない。
「シルウェステルさま。魔術の気配は」
(ないな)
先行してくれた幻惑狐たちに危害はなかった。
だけど最奥である以上、侵入者対策に、なにかこう人間サイズでないと発動しないように設定した魔術陣とかね。二十や三十、仕掛けてあってもおかしくないと思ったんだけど。
びっくりするくらいの手薄っぷりですよ。
「では我らが」
するりとアロイスとラミナちゃんが前に出ると、手早くチェックを始めた。
この施設に入ってからこっち、たいていの扉は鍵もなにもなかった。この扉も鍵穴や掛け金のようなものは見当たらないんだけどねぇ……と思ったら。
薄刃の短剣を取りだしたラミナちゃんが、扉と戸枠の間につっこみ数秒。かちりと小さな音がした。
罠はなくても、一応は警戒してるということか。
そして魔術で機構を動かす方式か機械のみ方式かはわからないが、内側から鍵がかけられていた以上、中には一人以上人間がいる、ということにもなる。リモート鍵があるかもしれないので、おそらく、だが。
戸の正面に立たないようにして、アロイスとラミナちゃんが振り向いた。
あたしは頭蓋骨を黒覆面とフードで隠し、グラミィとトルクプッパさんが防御用に結界を張っているのを確かめて頷き返す。
二人はそっと扉を開けた。罠の発動はなかったが、このくらい慎重に動いて当然だろう。
(あいたー)
……そこを無防備に入っていく、カロルたちの緊張感のなさよ。
いやね、幻惑狐たちに先行してもらうつもりだったから、そこはいい。
アロイスやラミナちゃんに先行してもらうよりも、彼らの方が立てる音も気配もはるかに小さいからね。
だけど、ほのぼのふわもこが力押しでシリアスブレイクしていく様子には思わず脱力したぞ。
気を取り直してあたしも後を追ったが、一歩踏み入ってわかった。
ここには、魔力吸収の影響が及んでいない。
そのせいか、暖房が効いているように暖かさすら感じる。ラミナちゃんがほっとしたように手をすりあわせているあたり、本当に室温も高いのかもしれない。
地上階から地下三階のあたりまでは、外気が直接入ってきているはずのシャフト部分にいても、骨身にすら沁みる寒さだったのだが。
扉のこちら側に広がっていたのは、まったく仕切りのない、巨大な個室とでもいうべき空間だった。
それも、向こうの世界でよく見慣れたものに思えた。
おそらくはこの建造物の形なりになっているのだろう。扇形であることを除けば、平屋のデザイナーズ住宅ぽいというか。
〔ワンルームマンションの方が近いんじゃないんですか?〕
あたしの後ろから入ってきたグラミィがつっこんできたが、こうも巨大な空間のあちこちに、スタジオのセットのごとく、ついたてでちょまーんと仕切られてるとねえ。
ついたてが低めなせいで、それぞれの中が見えるのだが。
壁際に服のかかったハンガーがならんでいたり。
低い机とソファがラグの上に据えられていたり。
石の床も壁も天井もすべて白で統一されている上に、点在する間接照明風な明かりのせいもあって、どこぞの億ションの内装イメージCGにでもなりそうなおしゃれ空間に見えなくもないのだが、どうにも異質に思えてならない。
それには、残念な生活感だだあふれるモノがぽつぽつ見えるせいもあるのかもしれない。
かかっている服が、だいぶ着古したものだったり。それもなんだか皺だらけだったり。
机の上に使用済みの皿がかぴかぴになって放置されていたり。
……そのせいもあってか、あたしゃ巣穴のあちこちに、餌の蓄積する場所とか、育児用スペースとかを小分けする、生物の巣穴を連想しちゃったくらいだ。
(ほね)
フームスがつん、と鼻先であたしの肋骨をつついた。奥の方から生きた人間の匂いがしてくるのが共有された感覚から伝わってくる。
……が。これは。
「シルウェステルさま。わたくしの後ろへ」
アロイスが無声音で囁く。あたしは素直に頷いた。
彼を先頭に奥へ進めば、そこにあったのはついたてではなく、大きなベッドだった。
シンプルだが箱形なので、部屋の中にしつらえた小部屋のようにも見える。
これまた当初はおしゃれに整えてあったのだろうが、幻惑狐たちの鼻越しに伝わってくる匂いといいくたびれ具合といい、どう見ても万年床にしか見えない。
そしてその影には、マジックハンドのようなものが天井から下がっている一画が壁際にしつらえられていて……シンクがあるって、キッチンスペースってことか。あれ。
むこうにある扉がお風呂場だとすると、単身者用のやっすい1LDKのようにすら見える。
アロイスはあたしたちを手真似で止めると、ベッドへと近づいた。
その足元をカロルが近づく。
「おい。生きているなら返事をしろ」
「……ああ。なんだ。遅かったな」
視覚共有してくれているカロルから見ても、アロイスに笑いかける男には、鍵のかかった部屋に侵入されたのに、警戒心が見えない。
……意識が混濁でもしているのか。鍵をかけ忘れたと思い込んでくれたか。
それとも、ここまで入ってこれるならば、セキュリティを解除できる権限もち、つまり交代要員とでも誤認してくれたか。
おしゃれっぽい明かりはちょっと薄暗い。
その上、アロイスの着けている鎧はしっかりしたものとはいえ、鎖帷子のように全身くまなく覆うタイプではない。
彼が腰に差している剣は、とりまわしのしやすさ重視の比較的短いものであり、鍔や鞘の意匠も目立たぬ簡素なものだ。
つまり、俺たちの冒険はこれからだぜ!という星屑たちが着用している、いわゆる初期装備軽戦士風に見えなくもない。
……ふむん。
これなら、うまくやれば怪しまれずに情報を得られるかもしれない。
(アロイス。すまんがこう言ってみてくれぬか)
「……ああ。『具合はどうだ?診立てのできそうなやつを連れてきた』」
では、グラミィよろしく。
「どれ。ひとつ診て進ぜよう」
「医者なのか?この、ばーさんが?」
「ばーさんで悪かったの。医者ではないが薬師のまねごとはできるぞ」
嘘じゃないな。現アダマスピカ女副伯、サンディーカさんを冷遇していた嫁ぎ先から実家に戻し、その爵位を取り戻したあれこれに、グラミィは関わった。
あのときはカシアスのおっちゃんに頼まれての、ただのふりだったけれど、その後グラミィは、タクススさんや、タクススさんから知識をもらったトルクプッパさんからも薬草については教えてもらっている。森精たちからもだ。
なので多少の鎮痛作用のある薬草茶ぐらいは、すぐに準備できるのよ。
もちろん、そんなもんじゃ済まさないが。
「あかりを強くできるかの?おおそうそう、それでは舌を見せてみい。それから下まぶたを引き下げてみい」
グラミィが矢継ぎ早にまくしたてれば、その勢いに押されたのだろう。おしゃれだが点在していた間接照明風とは段違いに明るい光がともった。
あたしは念のために後ずさっていたが、それでもはっきりわかった。
寝ていた男の皮膚、白眼の部分が濃黄色に染まっている。
「ふらふらすると。じゃから寝込んでおったというわけかの。それはわかったが、他に気になったことはあるかの?」
「……目眩がする。息切れがひどい。疲れやすい。あと腹がどうにも気持ち悪くてな、食欲もない」
「ほう?いつごろからかの?」
「……あんまりよく覚えてないな」
ふむふむと診察っぽいことをしていたグラミィが、重々しく頷いた。
「原因はいくつか考えられる。じゃがの、まずは療養が必須じゃ」
「療養?ばかばかしい」
男はうっすらと笑った。
「不具合の出た身体を取り替えた方が早いだろうに」
小声のつぶやきに一瞬グラミィとアロイスが凍った。トルクプッパさんもだ。
〔……ボニーさん、この人!〕
ああ。
触れてもないから外見と魔力からだけじゃわからなかったが、おそらく間違ない。
こいつ、『運営』だ。少なくとも普通の星屑じゃないな。
まー、こんな施設最奥の最上級ルームで、一人だけゾンビさんでもない人間がいるあたりで、疑えよって話ではあるけど。
あたしがこいつを『運営』の可能性が高いと考えたのは、星屑たちならしない発想をしたからだ。
この世界をゲームの舞台と勘違いしている星屑たちなら、『リスポーン』という概念はあっても、『身体を取り替える』という発想はない。ゲーム内においては唯一無二、交換不能な自分のアバターと認識しているからだ。
それを交換可能と考えているというのは、アバターですらない仮初の身体と理解しているからだろう。
アロイスたちに近づいていたラミナちゃんが、すっと下がってきた。トルクプッパさんもだ。コールナーすら無言で鼻先を押しつけてきた。
彼女たちも、ぞわぞわするような薄気味悪さを感じているのだろう。
そう、彼らにとっても、アロイスにとっても、さらにグラミィにとっても、たぶんこの『運営』は理解しがたい存在だろう。
こんなところで、なんで推定・敵のトップの一員が、たった一人でいるのかは知らない。
だけど、相手の持つ情報の重要性は、凄まじく高いと見るべきだろう。
何食わぬ顔で話を合わせてくれているアロイスも同じ判断のようだ。
「『なら、早く交換しちまえばいいのに』」
「そうはいっても、素体も質が下がって、あんまりいいのがないんだよ」
はあ、と男は息を吐き出した。
〔ボニーさん、『素体』というのは……〕
十中八九、ゾンビ化された人間のことだろうね。
質が悪いことに、この世界をゲームの舞台と信じ込んでいる他の星屑どもと違って、この世界の人間をNPC、ただの電子データと思っていての消耗品扱いなんじゃない。
ちゃんと生きている人間であるとわかっていて、それでも自分が好きなように使用して当然と考えているからこその、モノ扱いだ。
「『そういえば、素体の数が少ないようだが』」
「ああ。とっくに確認してくれたのか」
気を緩めたのか、男はぺらぺらと喋った。
「しょうがないだろう。サンクトスの補充がないから、使い切った後魔力にした」
サンクトス?
〔初めて聞くワードですね〕
……サンクトスというのは、アルム語において、『聖なるモノ』の女性形だ。
ということは、『聖女』ぐらいの意味になる。のだが。
〔つまり、『聖女』の補充がないから、使い切った後、『魔力にした』?〕
不吉が過ぎるでしょうが。
これが何かの符牒で、単なる消耗品を示すものだったらいいなと心底思うよ。
だけど、ゾンビ化された人間を消耗品扱いしているやつの言葉だと考えると、そうは思えない。
それにそもそも聖女、巫女、呼び名はなんでもいいが、聖なるものに仕える女性というのは、むこうの世界でも神――人知の及ばぬ高次元存在の『嫁』に擬せられることがある。
その基本的役割の一つは――民俗学的に言うなれば――『人身御供』『人柱』、つまりは『犠牲』だ。
〔ぼ、ボニーさん……〕
悪いが、もう少し踏ん張ってくれ。
「『補充はいつからない?報告はまだ届いていないぞ』」
「あー」
アロイスに訊ねてもらうと、横になったまま、男は頷いた。
だるそうなのは体調が悪いせいもあるのだろうが、どうにも言葉の内容が内容だけに傲慢なしぐさ、悪辣なそぶりに見えてしまう。
「ここにいると日付が曖昧になるんだが。たしか…直近の素体受け取りの時には伝えたはずだ。夏ごろだったと思う」
「『なら、そろそろ届くんじゃないのか?届いたら、うまくやっておこう』」
「そうしてくれ」
会話を続けてもらうその一方で、あたしはこっそり岩石を顕界する魔術を使っていた。
放出魔力からして魔術師じゃないとは感じていたが、それなら『運営』の可能性が高くても、魔力の感知はできなかろうという推測による。
だがコールナーはもうちょっと通路の方に戻っていておくれ。
「たまには新鮮なものも食べたいもんだ。備蓄はまだたっぷりあるけどな。豆ばっかり持ってこられたのには困った」
「そうか」
幻惑狐たちの鼻からは、帝都レジナ近郊の小村で嗅いだのと同じ匂いが伝わってきていた。
そう、ウィキア豆中毒者の死臭だ。
アロイスたちが踏みとどまってくれているのも、相手が死に近い容態とみたこともあるのだろう。
「『しばらく引き継ぎの間は我慢してくれ。消化のいいものでも作る。身体を交換するにしても、体調を安定させておかないと、取り替えようにもうまくいかないだろう?』」
「……そうかもな」
「『作業は代わりにやっておいてやるから、何をどうすればいいか教えろ』」
「頼むわ。業務日誌やらなにやら、引き継ぎに必要な書類なら、手前の事務スペースにある。マニュアル見ればだいたいのことはできるようになっているから、それ見てくれ」
「『特にこれだけは重要というものはなんだ?常時作動させておかないとならんものの場所と機能だけでも教えてくれ』」
「この上の階が機械室だ。SNと扉に書いてある。今は外から吸い取っちゃいるが、効率が良くない。素体も燃料にしているが」
「『認証はいるか?』」
「ああ、忘れるところだった」
男はヘッドボードを指さした。
「そのひきだしの中だ」
「『確認するぞ』」
アロイスが浅い引き出しを開け、紐の先にぷらんと四角いケースがついたものを取りだした。
……。
資格証入れというか。胸から下げる名札ケース的なものを、こんなところで見るとは思わなかったな。
この世界にあってはあまりにも異質すぎる代物だ。この部屋と同じくらい。
「『これは預かる』」
そこへ何を話してるかさっぱり理解してません、という顔をしていたグラミィが近づいた。
「話は済んだかの?取りあえず、水と薬を飲んで眠れ。多少だるさはとれるじゃろ」
「ああ、ありがとよ、ばーさん」
男はグラミィに渡してもらったゴブレットの水と、丸薬を疑いなく飲んだ。
水は魔術で出した以外、何の変哲もない水だが、丸薬の方はというとタクススさん謹製、強めの鎮痛剤である。
気持ちの悪さといった不調もある程度は感じなくなるだろうが、期待しているのは副作用の方だ。
軽い睡眠導入効果があるのだが、完全に眠るまで、意識が混濁するというものだ。
その間にした質問の答えに嘘は混じらず、しかも質問をされたこと自体あらかた忘れるというね。
……それなんて自白剤ですかね?!
〔こっそり夢織草まで用意してるボニーさんが言いますかねそれ?!〕
いいじゃん、向こうが先にしかけてきたんだから。あたしが今持ってるのだって、煙罠から回収してきた中身の有効利用ですとも。
ただ、このワンルームマンション状態で何にも工夫なく使ったら、あたし以外の全員が吸いかねないから、最後の手段にしようかなーと思ってただけで。
ゴブレットといっしょに香炉を作ったから、警戒するのはわかるけどさ。
グラミィたちにまで吸わせるつもりはありません。あたしのか細い腕骨じゃあ、昏睡されても連れて逃げ出すのが骨ですから。
〔そうでなくても骨ですけど〕
オチを先に言うなし。
それより、トルクプッパさんたちといっしょに、マニュアルとかの回収よろしく。
〔わかりました〕
アロイスの尋問にも男が反応しなくなり、完全に意識が落ちたのを確かめると、あたしは後ろに下がっていたラミナちゃんたちにもう大丈夫と手真似をした。
さて。一応念のため、ここの様子も見ておいてもらいたいのだが……。
カロル、フームス、頼めるかな?
((ごはーん))
はいはい。
寝台の下に皿を顕界して、水を入れてやる。ついでにドッグフード……はないので、茹でた肉を魔術で凍らせ、水分を抜いて、フリーズドライというか高野豆腐の肉バージョンのようなものにした携行食を入れてやる。
さらにあたしの魔力をたっぷり。
幻惑狐たちも魔物だ。環境の変化には、なみの動物よりも適応しやすい。
が、それでも身体が小さい分魔力の欠乏はつらいはず。
それを考えると、下手にこの部屋の外に出ない方がいいかもしれない。
あ、ターレムはあたしたちと一緒に来てちょうだい。アロイスが連れてるノクスだけじゃ、ちょっと心許ない。
(わかったー)
あたしも通路に出ると、アロイスとトルクプッパさんが難しい顔をしていた。手にしていたのは回収してきた資料らしい。
「暗号でしょうか。アルム語とは全く違うようですが」
「こちらも。スクトゥムにたぶらかされた密偵が持っていたものに似ています」
「どれ、わしにも見せてみい。……が、ちと暗いな」
……老眼なの、グラミィ?
〔ボニーさん、ひど!〕
いやだって、グラミィのその身体のご老体っぷりだと、どうしてもね。
「一度戻りますか」
アロイスの提案に、あたしは素直に頷いた。
こんなちみちみ魔力吸収攻撃くらっているような場所、これ以上長居はしたくない。
あ、コントロールボックス(偽)には触るなよー。
〔触ったら……いえ、いいです。ろくでもないことになるんですね〕
そのとおりですとも。急いで作ったからね、そんなに精緻な条件式は刻めなかったのだ。
地上階に戻ったあたしたちは、全員一致で外の湿地にまで戻ることにした。
ここも冷える……つまり、魔力を僅かに吸われているのだが、それでも施設の中との二択だったら、だんぜんこっちでしょうよ。
なお、いくら魔力吸収の影響がないからといっても、ボス部屋めいたあの一番下の部屋というのは選択肢にもならない。
敵地でくつろげるほど豪胆じゃないんですよあたしは。物理じゃ胆すらないけれど。
グラミィに資料の解読をお願いし、さて何をしようと考えた。
なにせあたしは、腐っても腐らなくても、それこそお骨になっても、シルウェステル・ランシピウス名誉導師なんですよ。グラミィ以外には。
しかも生前の記憶をなくしたという建前を守るなら、うっかりアロイスたちが解読できなかった暗号のような文字を読んでしまうわけにはいかないのだ。
たぶん、日本語なんだろうなと検討はついてるんだけれど。
取りあえず、野宿の準備として湿地の一部を固めて水気を抜き、あたしたち全員とコールナーがゆっくり寝泊まりできるくらいには大きい土のドームを作っておく。
それでも手が空いたので、コールナーや幻惑狐たちのブラッシングをしていると、グラミィがぐったり疲れた顔でやってきた。
〔ボニーさん、他の人に面倒かけてないで、自分も働いてくださいよー〕
働いてますじょ?!
土のドームの中には、ちゃんと煮炊きできるよう炉も作っておいたしね。みんなの食事も作ろうとしたのよ?
だけど、トルクプッパさんとアロイスに断られてちゃったんだからしょうがないじゃん。
ラミナちゃんなんか首をぶんぶん振っての拒絶である。
〔あー……それは……〕
いや、いいけどね。
それより、グラミィはどうだったの?
〔もうもうとんでもないですよ!〕
……あたしに八つ当たりしたくなるくらいには、ひどかったというわけか。
それでも、情報共有はしておかないといけない。
手早く食事を済ませたあと、渋面のグラミィは一同を見渡した。
「解読はした。が、胸の悪くなるような内容じゃったぞ」
グラミィが口頭で説明したのは、本当にかいつまんだものだった。あたしに心話で伝えてきた内容の十分の一にも満たない。
けれどそれでもトルクプッパさんどころか、ラミナちゃんやアロイスまで嫌悪で顔をしかめたほどだった。
やはりここはゾンビ化された人間の一時的な貯蔵施設だったようだ。
それも中身を入れたら、すぐ星屑として活動可能にすることも、何かコマンドのようなもので、ゾンビのように命令に従わせることもできるらしい。
それこそ数人ぐらいずつの徒歩に分けて、例えばレジナへ向かわせるようなことも可能というね。
寝込んでたのはここの管理者で、役職名は『兜職人』とかいうらしい。
なお『サンクトス』というのは、異世界転移者のことを示す符牒だったようだ。
なので『兜職人』に『サンクトス』と呼ばれていたのは、実は男性だったらしいということまで判明した。
森精たちも世界の管理者として目を付けるほど、落ちてきた星、異世界転移者というのは放出する魔力が多い。それはちょっとしたテラフォーミングのように生物環境を豊かにすることができるくらいだ。
そこに目を付けた『運営』――彼らは『ラドゥーン』と自称しているらしい――は、そのうちの一人をここの動力源にした。
そりゃあ、異世界転移者が一人でもいたら、その膨大な魔力を自由に利用することができたら、いろんな魔術陣を複数同時に動かすことができるわな。
が、その電池というか発電機がわりにしていた聖女さん(男性)が亡くなった。
そのせいで、一番重要かつ最も魔力を喰う精神召喚陣――ゾンビさんたちの身体に異世界人格を憑依させるための魔術陣だ――が発動できなくなった。
つまり、これ以上星屑を増やすことができない。
だからといってそれは、星屑を作り出していた『運営』――ラドゥーンたちの被害者がそれ以上増えることがなくなったということではない。
船で運び込まれた、ゾンビ化された人間は、ストックとしてこの施設に留め置かれた。
一時期は二千人近い人間がいたらしい。
だがゾンビさんたちの生活環境を維持するにも、魔術具や魔術陣がいる。
そしてそれらは魔力を喰う。
だから『兜職人』はどこかに聖女の発注をした。らしい。
どこかってどこだ。発注って工場製品扱いかよというツッコミはさておき。
そもそもが『サンクトス』=異世界転移者はめったに現れるものじゃない。
そりゃスクトゥムは領地が広大だから、他の国々に比べたら出現数も出現率も群を抜いて多いだろうさ。
加えて、スクトゥムには森精がほとんどいない。ゆえに帝国側が落ちし星を森精にインターセプトされずにゲットする率も高いのだろう。
だけど、そう都合良く見つかるようなものでもあるまい。
必要な魔力量を補いきれなくなった『兜職人』は困り果てた。
ならばすぐに全部の魔術陣の発動を止めて業務も停止すればいいものを、と思うのは、あたしが他人事として見ているせいもあるのかもしれないが、彼はそうは考えなかった。
ここの管理者は、ゾンビ化された人を魔力吸収陣に放り込んだのだ。
「うっ……!」
グラミィの口から聞かされた時には、ラミナちゃんは口を押さえ、トルクプッパさんも涙目になった。アロイスすら身を強ばらせた。
そりゃそうだ。暖炉へ薪代わりに人間をくべて暖を取るようなもんだ。
もっとも、この施設では、それはある意味当たり前のことだったらしい。
廃棄物……それこそ排水から水としての実態が保てなくなるほど魔力を抜いたり、体調不良からの死亡にいたったゾンビさんたちの遺体まで、魔力吸収陣にのっけて魔力を抜くというやり方で処分するのがだ。
魔力が減れば大地は荒れ、水は凍り、風は凪ぎ、火は消える。
が、大地や水さえ魔力を抜きすぎれば、風や火のように実体を失う。
エコというか骨までしゃぶって塵は塵にというやつだろうが、そんなことをされたら塵すら残らないというに。
それを聞いて、ラミナちゃんたちがますます青ざめたのは言うまでもない。
彼女たちも、ゲラーデのプーギオの消失を見ている。
プーギオもまた灰すら残らなかった。彼の精神力はまだ魔術陣の維持ができるほどには残っていただろう。だが、その血肉に遺された魔力はすべて失われていたからだ。
死体処理が生体処理に変わるまで、時間がそうかからなかったのは、作業として慣れてしまっていたからなのだろうか。
命がまだある状態の人間を投げ込んだ方が効率がいい。驚くほどの魔力に還元できる。そんな邪悪なことまで淡々と書いてあったとは、日本語で書かれた業務日誌を一人読まざるをえなかったグラミィの心話だ。
しかし、数ヶ月前からゾンビさんたちの輸送が減り、やがて途絶えた。
不審を感じた『兜職人』は、連絡役をレジナに送り出したが、梨の礫。
そこで『兜職人』本人がレジナへ向かうことも考えたが、体調の悪化からできなかったという。
結果、窮余の策として、生命維持に必要な魔術陣以外のほとんどを停止していたらしい。
あたしたちが比較的スムーズに、この施設に侵入できたのは、この省エネ体制への移行のおかげだった。らしい。
「あやつらはこの地を『カッシウス』と呼んでいたようじゃ」
「……その名には聞き覚えがあります」
「トルクプッパどの。どこですか、それは」
「アエスでだったように思います。詳しいことは覚えておりませんが」
「アロイスどの、確認を頼みまする」
「かしこまりました」
……『カッシウス』とは、『兜』を意味する。
この世界の、というかスクトゥムの兜は、面頬と一体化している。目や鼻や口すら細かい目の金網様のもので覆ってしまうこともあるため、一度かぶってしまうと、誰が誰だかわからない。
そのため、飾りで職位や個人識別をするのだが。
誰が誰だかわからない、というのは誰にでもなりうる、つまり依代になることを意味する。
……この施設の管理者が『兜職人』を名乗っていた、ということは。
つまり、そういうことなんだろう。
星屑を作り出すという意味を知りながら。それでも、やり続けていたということになる。
あたしは全員と話し合いをした上で、最深階へ向かった。一度カロルとフームスを湿地にまで連れて戻る。
そして再度、一人地底に降りたあたしは、香炉に火を点けた。
危険な能力を持つ『兜職人』から、思考能力と行動手段を奪っておかねばならない。いかなる手を使ってでも。
そうあたしたちは判断し、夢織草を使うことにしたのだ。
……たとえそれが、相手の死期をいっそう早めてしまうことになったとしても。




