兜の意味(その2)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
アロイスによれば、罠には――いわゆる孔明の罠のたぐいや、男の娘といった概念的なものじゃなくてね、物理的なものに限っても――、いくつかの種類があるという。
敵を驚かせ、退散させるための罠。
その一方で、相手の居場所を検知する、警戒用の罠。
この両方の要素を兼ね備えるのが、いわゆる鳴子のような警報トラップということになるらしい。
音が敵側で鳴るか、味方の方で鳴るかでどちらの用途にも使い分けることができるわけだ。
相手の情報を抜くための罠としては、鳴子以外にも、通り道に匂いや色の強いものを撒いておくというものもある。狩猟で獲物の痕跡を辿りやすくするための追跡トラップというやつだ。
対人防犯用のカラーボールもこれに入るだろう。
小細工せず、普通に足跡を追え?いやそれかなりの高等技術だし。
狩猟罠の中でも、主戦力と言えるのが捕獲用だろう。
箱罠とかくくり罠とかトラバサミとか、いろいろ形態はあるけれども、その目的はというと、獲物を逃がさないため。これ一択なんです。
狩猟というのは肉や皮を得るために行われる。そのためには、捕らえた獲物に逃げられては困るが、シメるまでは生かしておく必要もあるというわけ。
この変形が、無力化ということになる。たとえ逃げられても、戦闘能力を奪っておけば、敵には戻らない。
それはもちろん、対人戦闘用に殺意の高い罠というものもある。
落とし穴掘って中に槍のたぐいを植えておくとか。そこに水を入れておくとか、その水を不衛生なものにしておくとか。
だけど、意外と日常的に使われる殺害目的の罠ってないんですよ。結果的にデストラップになったりするのはあっても。
理由は簡単、危険だから。
警報トラップにしても狩猟用にしても、人間の生活圏内にしかけるものである以上、致命的なものにしちゃうわけにはいかないでしょうが。人間がひっかかって死んじゃったら大問題ですよ。
だったら、動物相手なら致死性の罠だっていいじゃないかって?
いやそれ後始末がめんどくさいから。
確かに狩猟罠の中にだって、特定の動物を駆除するという目的でしかけられる、毒餌のような致命的なトラップだってないわけじゃない。
が、その死体をどうしろと?
ただでさえ生命の失せた身体というのは重い。重いだけでもどこかに運ぶにしろ、埋葬するにしろ手間となるのに、腐ってたら……たまったもんじゃないでしょうが。
放置はありえません。駆除対象以外の動物がうっかりその死体を食べて死ぬことだってあるんだから。
……まあ、だからこそ、狩りに使われる毒ってのは、分解が早いとか、心臓などの特定部位に留まるとか、そういう性質を持つのだろうけれども。
シートン動物記でも読めばわかることだ。
致死性の罠にはめるのならば、単独行動しているものを狙い撃ちにするか、集団性のあるものでも皆殺しにするかならば、まだましなのだ。
一番始末に負えないのは、集団性のあるもののうち、その一部だけが罠にひっかかった場合。
犠牲の末路を他の個体が学習してしまうとどうなるか。
動物ですら警戒をする。人間ならば怒りをためる。
つまり、何が言いたいかというと。
あたしたちが見つけた建物が罠である場合、相当致命的なものである可能性が高い、ってことだったりする。
……まあ、あの隠し舟のしかけだって、相当殺意高めだったし。
そもそも、街道やら水路やらに手を入れているということは、この湿地一帯が罠であってもおかしかないということでもある。
ただ、ここまで大がかりな構造物がその奥に存在しているというのは。
「罠としてだけ考えるなら非効率でしょうね」
アロイスのいうとおり、この建物を罠の餌目的だけで仕掛けるには、あまりにも大げさすぎるのだ。
あたしたちだって、幻惑狐たちが人の臭いに気づかなかったら通り過ぎてただろうし。
偶然とか、情報を入手できるだけの能力がなければここにたどり着くことすらできないとか。どんだけターゲットを絞ってるのかと突っ込みたくはなる。
むしろ、よほど機密を漏らさぬための隠蔽工作をしまくった軍事施設、とかの可能性が高い。
とはいえ。
(ただし、かつてなんらかの目的で利用していたものを利用した罠ということはありうるわけだな)
「はい」
そう、罠だという可能性を捨てきれないのは。
幻惑狐たちに見つけてもらった入口をわずかに開けたとたん、ずんと冷気があたしたちを包んだのだ。
たとえるならば真冬の週明け、人のいなかった建物に一歩踏み込んだ感じを十倍悪化させた感というか。
この底冷えのきつさは、単に湿地の冷気が上がってきているからとか、何かしらの冷房がかけられているというわけじゃない。
それなら幻惑狐たちやグラミィたち生身組は冷えるかもしれないが、あたしがどうこうなるわけもない。
だが、あたしの骨の芯まで冷え切るというのは、物理的なものだけじゃないということを意味する。
(魔力を吸われているな)
コールナーの心話に、あたしは深く同意した。
……つくづく、魔力感知能力を持つ面々だけで来て、本当に良かったよ。
魔力を吸われるというのは、生身であれば強力なデバフをかけまくられているのに近い。
単純に冷えるだけでも、手足がかじかめば人間の運動性能は落ちる。だが魔力が吸われたら、疲労は蓄積する一方、身につけている武器防具のたぐいだって脆くなる。
あたしたちは慌てて入口から遠ざかった。作戦を立て直さねばならない。
(幸いにも、魔力を吸収しようとする働きは、それほど強くはない。魔力制御が十分であれば、影響は抑えられると思うのだが)
「同意いたします。――この場、この時点では」
トルクプッパさんが慎重に答えた。
「確かに、魔力を吸収しているものに近づけば、その力は強く作用することも考えられますね」
アロイスはうなずいた。ラミナちゃんは黙ったままだ。
〔ボニーさん。見なかったふりをする、という選択肢は……ないですよね。そうですね〕
ええ、それだけはない。
なぜなら、幻惑狐たちは、湿地にいるときから寒さを訴えていたからだ。
微弱な魔力を捉えることにかけては、生身の人間どころかあたしよりも彼らの方が上だろう。
その彼らが寒いと感じた、ということは、この建物の外でも魔力が吸収されていた、ということになる。
魔力が奪われたなら、大地は荒れ、水は凍り、風は凪ぎ、火は消える。
だが、見た感じ霜などがついていないのは、周囲が湿地のせいだろう。
おまけに、水路の水はゆっくりと流れているとコールナーはいう。
ならば、そうそう凍るところまでは冷え切らなくてもおかしかないわけだ。
とはいえ、その微弱な魔力吸収が意図的になされているのか、それとも意図せぬ影響かはわからない。
そもそもだ。
(この魔力を吸収しているものが何で、どのような目的をもって魔力を集めているのかは、確認せねばならぬだろう)
これが、サルウェワレーであった火蜥蜴のヴェスのような、強大な魔物が生命活動してるだけとかだったら、まだいい。それはそれで敬して遠ざけるって対応もできる。
なぜなら、魔物は魔物の理で動いているからだ。
彼らが人間の理では動かないという意味では、スクトゥムにも、あたしたちにも条件は同じ。
それでもあたしたちにはヴィーリたち森精と、その半身たる樹の魔物たちというコネがある。
森精たちがあたしの知る限り、すべての魔物と友好関係を初対面でも結べることを考えるなら、若干とはいえ、あたしたちの方が分は悪くない。と思う。
だが、幻惑狐たちは魔物の臭いを感じていない。
すると、必然的にこの魔力吸収現象は人為的なものということになるのだが、なにせここはスクトゥム。星屑たちがどんなふざけた真似をしでかしているか、わかったもんじゃない。
これだけ大規模な設備でやっているということは、それも外にまでその影響が及んでいるということは、おそらく相当量の魔力を吸収しているんだろうし。これからも続けていこうと考えているんだろうし。
それだけの魔力を何に使おうというのか。
魔力を使うというと、やはり魔術をイメージするのだが。
スクトゥムが用いる強大な魔術といって、ぱっとあたしが思いつくのは、あの極悪最凶の人喰い術式、地獄門なのだ。
だけどあれだって、人間一人でもそれなりの効果は発揮されるのよ。
アルベルトゥスくんのやらかした、砦や都市をまるまる一つ吹き飛ばすような自爆攻撃にしてもだ。彼一人、ちっぽけな魔晶ひとつであれだけの被害を出せたことを考えると。
この大規模な魔力吸収は、よほど大がかりな魔術行使のために行われているとしか思えない。
「いずれにせよ、ろくな目的ではないじゃろうがの」
グラミィの婆口調には全員が頷いたが、そいつは最初からわかってたことだと思うの。
だったらスクトゥムの企みをくじくには、ここは絶対に潰しておくべきなのだ。
スクトゥムの、というか、星屑たちの敵に回ることを決めたあたしのやるべきことですよ。
罠には嵌まって踏み潰す所存です。
〔……ボニーさんって、時たまめちゃくちゃ脳筋ですよね。筋肉も脳味噌もないくせに〕
グラミィには呆れたような目で見られたが、いやだって心構えとしては大事なことでしょうよ。
「ならば、突入にあまり時間はかけられませんな」
そこはアロイスに同意だ。
建物に入っていない、この状態でさえ、魔力吸収の影響はあたしたちに及んでいる。ならば、時間をかければかけるほど魔力吸収の影響は増大するだろう。
「先に魔力吸収を止めてしまえば、余裕はできるのでしょうが」
だけど、魔力吸収がされているかどうかって、ある程度魔力感知能力があれば、魔術師でなくても気づけるのよ。
つまり、やっちゃったら最後、侵入者がここにいるぞーって大声で触れながら走り回るようなもの。気づくなって方が無理というものだろう。
問題はもう一つある。
この建造物のどこに、その魔力吸収をしているものがある――もしくはいる――のか、今の時点ではさっぱりわかんないということだ。
知るためには、建物全体を探索しなければならない。
これもむこうがしかけた罠なんだろうか。
「……罠だとすれば、考えなしの素人」
ぼそりと冷たく斬り捨てたラミナちゃんの気持ちも、わからなくはない。
建物内部に罠をしかけるならしかけるで、後戻りできなくなったところにしかけるべきなのだ。
そうすれば、分断も一網打尽も意のままというもの。いわゆるブービートラップというやつの一種ですね。
あれは行動の選択肢が失われ、敵が焦れば焦るほど、より効果を発揮するんですよ。
逆を言えば、こんなふうに撤退の選択だって可能な、建物に入る前から感知できるような罠なんぞ、普通なら誰が引っかかるかばーか、ってなものでしょうよ。
ただ、星屑たちはこの世界をゲーム世界と認識している。そして認識させている存在――仮称『運営』がいる。
そして、あたしのゲーム知識の中には、特殊効果を持つフィールドというやつがある。水中ならそれに適した装備をしないと動けないとか、そういうやつね。
あれ、毒とか寒さとか、生活圏内から徒歩で移動が簡単にできるようなところにあるっておかしくね?とか、危険とわかって踏み込むとか無謀でしょう?と思っていたのだが。
ゲーム世界だという認識を取っ払っても、最初から危険を覚悟して踏み込む人間なら、そうそう撤退は選ばない。
いや、選べないというべきか。
むこうの世界でも、ろくな道具もないのに――というか、壊れちゃうから使えないんだそうな――火山ガスの噴出口から硫黄を採取するのをなりわいにしてる人とかいたわけだし。
罠の存在を知ってなお、魔力吸収という状態異常を受けることを覚悟で忍び込むか。
それともとっとと罠を踏み潰して、相手を警戒させ、戦いながら、消耗することを想定して進むのか。
いずれにせよ、このチキンレースに乗ると決めたなら、相応の危険は覚悟しなければならないだろう。
安全マージンをとるなら、最適解は、たぶん、あたしが先行というか、単独行することなんだろうけど……。
(ついて行くからな)
コールナーにじろりと睨まれて、あたしは思わず首の骨を縮めた。
「グラミィさま。なぜコールナーどのはあのようなことを?」
「トルクプッパどのもお聞きくださいませ。またシルウェステルさまがわれらを置いていこうなどと、とんでもないことをおっしゃるのでの」
「無謀はおやめくださいますよう」
アロイスもああ、って目になるのはともかく。
トルクプッパさんまでちょっと必死になるのはどういうわけか。
「ここまで我々を戦力としてお連れくださったのです。師には頼りない未熟者とうつっておりましょう。ですが我らは守らねばならぬ足手まといなどではございません」
ひしと袖を掴まれて、助けを求めようにも、グラミィも冷たい視線しかよこさない。
〔させませんからね、ボニーさんだけ独断専行での先行とか〕
……わかった。わかったから。
両腕の骨を上げて、あたしは降参した。
あたしが折れたのは、彼らの圧力に負けたからだけじゃない。こんなところでうだうだ論議している暇も惜しいからだ。
発見される危険はもちろん、こうやってこっちに兵力を割いているというのは、船団本隊も、それからアロイスの部下たちで構成された遊撃隊も、そのぶん手薄になっているということだ。
できるだけ早く、戻らねばならない。これが罠である可能性があるのなら、なおさらのことだ。
もちろん、行動方針の最優先状況は、いのちたいせつってことで。
〔罠は嵌まって踏み潰す所存とか、言ってませんでした?〕
みんなといっしょに行動するならば、慎重の上にも慎重に振る舞いますとも。あたしだって。
ちなみにこの建物は、幻惑狐たちにぐるっと周囲を一周してもらったところ、街道側に背を向けた、おおざっぱな三日月型をしているようだった。
自然物に見せかけるためか、上の方ほど丸みを帯びているのだが。
〔シフォンケーキみたいな形なんでしょうか〕
ぼそっとグラミィが伝えてきたのには、ちょっと笑った。背が低いのにババロアじゃないのね。しかもワンホールまるっとかい。
その、グラミィ言うところの、ピースを切り出したシフォンケーキの内側に、あたしたちが近づく前に、コールナーが四頭くらい並んで通れそうな、巨大な入り口があるのを見つけてくれたのも、幻惑狐たちだ。
街道からここまで追ってきた人間の臭跡以外にも、やはりいろいろ臭いは残っていたらしい。
ただし、そう新しいものじゃないという。
つまり、出入りをした形跡はあまりない。
これで中にいる人間が少ないのならいいが、出入りはしていないだけで、じつは一軍団ぐらい立てこもってる、とか、建物の大きさ的にありえるんだもんなぁ……。
しかもこれだけ入口が大きいと言うことは、それだけ大きなものを、あるいは大量のものを搬出入する必要がある、ということになる。
というわけで、あたしはさくっと魔術を使うことにした。
構造解析でざっくりとしたこの建造物の構造を知り、隠蔽看破で罠のたぐいを見破る。
じつに生前のシルウェステル・ランシピウスさんが遺した術式というのは、探索に役に立つ。
こんな具合に。
あたしは一同を入口から遠ざけた。
ついで放出魔力量を一般人ぐらいの大きさに調整して、入口のすぐ近くに立つ。
そのまま杖を中に差し込み、先端に魔力を魔力を集中させてみると。
「……シルウェステルさま!」
アロイスとトルクプッパさんが血相を変えたのも当然。
あたしが、というか、あたしが持っている杖がぼふんと白い気体に包まれたのだ。
ラミナちゃんはきょとんとしているが。
(やはり、夢織草か)
幻惑狐たちが嗅ぎ取ったものには、人の臭いだけでなく、夢織草の臭いもあったのだ。
それに、入口に向け、妙な管につながったふいごのような形の道具と、魔術陣が設置してあるのが構造解析にひっかかったともなれば、このくらいの警戒はするのですよ。
とりあえず魔術で外の空気を送り込み、中の空気を離れたところへ結界のパイプを作って放出する。
(くらくらない~)
幻惑狐たちに確認してもらうと、あたしは石弾を顕界して打ち込み、面倒な魔術具を破壊した。
発火の魔術陣から夢織草を遠ざけてしまえば、それで十分というもの。
「入口でもこの仕掛けというのは……」
トルクプッパさんが険しい顔になった。今後の探索をタイムトライアル感覚で進めるのは危険すぎると理解したのだろう。
確かに、他にもいろいろ罠があるのは、あたしも探知したしね。
しかし、人間サイズで放出魔力量もそのくらいの対象があれば発動する、というならば、こういう手も打てるのだよ。
あたしは水路の桟橋に向かい、手招きのしぐさをした。なに、ちょっとした演出です。
「……っつ!」
さすがに初見でも、隠密行動中に悲鳴を上げるような真似はしないか。
ラミナちゃんは顔を引きつらせて、ぺたりぺたりと泥人形が建物まで歩いてくるのを見ていた。
〔あ、悪趣味ですねボニーさん……〕
悪趣味ゆーな。
くだらない罠にいちいち引っかかって、生身組を生命の危険にさらす気になどなれません。だったら泥人形を囮にしようってだけのことですよ。
もちろん、それだけじゃない。
ラミナちゃんに対する示威行動ってこともある。
ラミナちゃんはグラディウスファーリーのクルタス王が送り込んできた人間だ。
クルタス王の人柄は短時間とはいえ、直接会って話したから、少しはわかってるつもりだ。ついでにマヌスくんのことで恩を売ってはある。
が、ぶっちゃけクウィントゥス殿下の腹黒っぷりを見ちゃうとね、念には念を入れたくなっちゃうというか。
ついでに言うなら、王族に恩を売ってもそれはそれ、ですませられてしまう可能性もあるなと思うわけですよ。
間に人が挟まってたら、余計に。
だったら、直接顔と頭蓋骨をつきあわせてる相手をどうにかした方がいい。
正直なことを言うなら、同じグラディウスファーリーの暗部の人間だったアルガよりも、ラミナちゃんの方が、ずっと腹の内が読みやすい。
……まあ、ラミナちゃん本人が、あたしたちを害する方向で動くとも、他のグラディウス地方のみなさんのように、利権の取り合いだの悪巧みだの談合だのを有利に動かすため、小細工をしでかすとは思えないのだけど。
それでも、こっちが思ってもないところで余計な事をされては困るのだよ。
〔ですがボニーさん。トルクプッパさんはまだしもですけど、アロイスさんは思いっきり見慣れちゃってるじゃないですか。あの泥人形〕
グラミィもそうだよね。それが何か?
〔ラミナさんだって、慣れちゃいません?〕
いつかは慣れるだろうね。
慣れちゃったら、示威にはならないって心配?
〔ええ、まあ。あたしだって慣れましたから。ちょっと不気味ですけど〕
ま、慣れたら、慣れたときのこと。むしろあの外見に慣れてくれてからが本番でしょうよ。
敵を脅かすのにいっしょになってびびってられると、それはそれで問題だし。




