兜の意味(その1)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
「湿地の中に隠された建物を見つけたと?」
険しい顔のクラウスさんに、あたしはこっくり首の骨で頷いてみせた。
慌ただしくアビエスまで戻ると、あたしたちは船団と合流した。ちょうどタイミング良く戻ってきたアロイスたちも加わっての情報共有である。
そこまで警戒したのは、あたしが発見したあの隠し舟のせいだ。
念のために、魔力知覚を疑似視覚状態から変更してみたら――半径数十メートルぐらいまでしか知覚できなくなるのだが、そのかわり物の形や材質、遮蔽物の影に隠れたところまで認識できるのよこれ――、一人用手こぎボートサイズの、その舟の底には楔が打ってあったのだ。
舟に楔が打ってあること自体は、別にそう珍しいことじゃない。
雨が降ったり、波しぶきが入ったり。はたまた舟板が割れたとこから浸水したり、舟に水が入ることは当たり前のようにある。
そこで陸に揚げた時、水を抜きやすいように穴をあえて開けておき、そこに栓として楔を打ってあるのだ。
たしかむこうの世界でも、ボートのたぐいで見た気がする構造だ。
だが、あの隠し舟の楔は、ご丁寧なことにしっかり緩めてあったのだ。
穴を塞いでいたのは、藁のような草の葉をねじり合わせたもの。
その上からかる~く木の楔で抑えてはあるものの、舟に重みがかかったら、抜けて浸水すること間違いなし。
そのまま沈んでしまえとでもいうように。
仕掛けを知っている人間なら、舟に乗る前にまずその楔を思いっきり踏んで、抜けないようにすればいい。
単純だけど、無断使用に乗り逃げ防止用、舟の防犯ロックということもできる。
発動したら最後、貴重な交通手段である舟を沈めることになるけど。
だが、場所が場所だ。こんな湿地で、人の目を盗むように留めておいた舟に、窃盗犯もろとも沈んでしまえというような、殺意高めのやばい罠がしかけてあるというのは、明らかに怪しい。
少なくとも、しかけたのは、よほどに用心深い、あるいは後ろ暗いところのあるやつに違いない。
ならば他に、もっと危険な仕掛けがされているかもしれん。
そこであたしは舟には触れずに、幻惑狐たちに頼んで、その水の溜まった窪地を迂回してもらったのだ。
すると、中州か島のように土が盛り上がった窪地の中やその周囲には、人の背丈ほどもあろうかという草がぼうぼうと生い茂っていたのだが。
それを目隠しにするかのように、背の低い建物が、街道から見えないように立っていたのだ。
「なるほど。道筋を知らぬ者は近づきようがなく、窪地は堀も同然。天然の要害というわけですか」
アロイスは訳知り顔に頷いたが、天然というのは言い過ぎだ。養殖ぐらいには手が入ってると思うのよあれ。
なにせ、建物は街道からは見えないようになっていたのだ。
「それがどういう……そういうことですか」
気がついたらしいコッシニアさんも頷いた。ひょっとしたら似たようなシチュエーションを経験したことがあるのだろうか。
いくら叢が丈高く生い茂っていたとしても、縦横五メートルも十メートルもあるわけじゃないし、延々と連なっているわけでもない。
ならば、どれだけその奥にあるといっても、見る角度が変われば、あたしたちの発見した建物だって、街道から見えてもおかしくはない。
もちろん、何か鬱蒼とした森や小高い丘陵地帯があったのなら、街道からの視界は遮られて当然だろう。
しかし湿地、それもトラスアビエス街道あたりの、深い泥濘が続いていそうなあたりというのは、樹木が生えてもせいぜいが灌木。そして視界を遮るような高低差はほとんどないはずなのだ。
それがどこから見ても見えなかった。ということはだ。
点在する叢を幾層にも重ねたり、建物自体を窪地に建てたりすることで、街道からは見えないようにわざと隠されてたってことなんですよ。
へたをすれば、わざと草叢をつくってくれそうな葦の近縁種とか寄せ植えしてあるのかもね。
で、そこまで厳重に隠された建物――しかも人目に付かず、ある程度交通の便が確保されているような場所にだ――何があるのか、確かめるためあたしは向かうつもりなんだが。
〔まさかボニーさんだけで行くとか言いませんよね?〕
なんか血相を変えたグラミィに腕の骨を掴まれたが、そのつもりならわざわざ引き返してきて、こんなふうに説明なんてしてると思う?
〔とっくに突っ込んでってますね。で、アーノセノウスさんたちがおろおろして、あたしまでとばっちりが来てますね〕
あたしが戻ってきたのは、バックアップがどうでも必要だと判断したからだ。
幻惑狐たちの反応といい、コールナーの反応といい、どうにも引っかかるものがあったんだよね。脳死で踏み込んだらお骨なあたしでもやばいぞと。
ただし、場所が場所だけに大勢で踏み込むわけにもいかないのも事実。
「シル。わたしも行くぞ」
アーノセノウスさんも名乗りを上げたが、悪いけど断らせてもらおう。
いやね、なにもまだアーノセノウスさんのこと許してないとかじゃないんですよ。クラウスさんもだ。
お断りの理由は主に二つ。
船団の方もお留守にするわけにいかないってのが一つ。
たいていの魔術師たちがそうなんだけど、アーノセノウスさんたちも身体強化ができないってのが、もう一つの理由だ。
身体強化とは、単純に言うと、魔力で体力に下駄を履かせるようなものだ。
あたしがアエギスの野で、人狩り行こうぜレイド状態の星屑どもに取り囲まれて、それでもなんとかできたように、ずぶの素人の動きしかできなくても、数倍の速度とパワーを伴えば、それだけでもかなりの優位になるんである。
万が一荒事になった時、素の身体能力しかない魔術師なんて、イッツお荷物ですよ。悠長に詠唱してる間守りきらねばいかんというのは、たとえ後衛に下げても他の人の負担にしかならない。
そもそも、戦闘集団ってのは、少人数であればあるほど持ち運べる物資も減るので、防御としては紙になる。あたしたちはもともとかなりの少人数紙装甲なので、予定している数人単位でとなると、さらにそれが水に溶けやすいトイレットペーパーにランクダウンした状態になるというわけ。
そんなん守りきれませんがな。
へたをすると、建物をあたしが見つけたってこと自体、むこうの仕掛けだったりしかねん……というのは深読みのしすぎだろうが、発見後あたしがコールナーたちと、アビエスに戻ってくるところを見かけた星屑、いや『運営』が、何かしかけてある、とか、絶対ないとは言いきれんでしょうが。
いろいろ相談をした結果、突入するのは最少限の人数でと決まった。
あたしはもちろん、グラミィとアロイス、トルクプッパさんというところまではすんなり決まった。
コッシニアさんも手を上げてくれたが、パルがいるもの。無茶はさせられません。
そこでコールナーと幻惑狐たちに加え、ラミナちゃんがくっついてくることに決まった。
ラミナちゃんことラミナリアちゃんは、グラディウスファーリーの暗部の人だ。シカリウス――国の暗部の長として動いていたクルタス王の命を受け、アルガをグラディウスファーリーの王宮で処分しようとした、例の仮称昆布巻きちゃんである。
なんでそんな物騒なラミナちゃんもメンバーに入れたかというと、彼女の行動はクルタス王の命あってのことだからだ。アルガを殺そうとしたのも、今こうやってあたしたちに同行しているのも。 加えて、ラミナちゃんには物理戦闘能力だけでなく、魔力知覚能力があるからだ。
どうやらラミナちゃんは、その多めの放出魔力が身体能力にまで回っているらしい、とは、魔力を身体強化にほとんど回しているアロイスの話である。言ってみれば、放出魔力が他者に害を及ぼすレベルにまで強くあふれ出てしまっていたパルの身体強化版。
中級導師であるコッシニアさんも、その見解には同意を示した。
ただ、ラミナちゃんがパルのように、他者を害することがなかったのは、魔力を魔力として知覚するのではなく、身体能力の一部として知覚していたからだろうという。
例えるならば、存在すら知らなかったアクセルを思いっきり踏んじゃったせいで、他者も巻き込んで事故を起こしちゃったのが、パル。
パワースーツを着込んでるせいで、林檎を握り潰すことも可能だが、パワースーツの存在を感覚的にだがちゃんと理解し、自分の身体と同じように扱えているからこそ、同じマールムの皮を剥いてウサギにすることもできるのが、ラミナちゃん。
ラミナちゃん当人的には、身体強化は感覚的に、なんかやったらできたんで、やり続けていること、らしい。
が、それでもそこまで精密な制御が可能ということは、それなりに魔力を知覚し、操作できているという証明になる。
ランシアインペトゥルスの面々で固めたところに、グラディウスファーリー一人というのは、連携とか国の利益とかどうなんだとは思ったけれども、アロイスによればそれもいくつか理由があってのことらしい。
一つはガス抜き。これまでも偵察陽動主戦力、ほぼ単身でいろいろやらかしてきていたあたしへの同行希望はけっこう多かったのだが、あたしはそれを片っ端から断りまくっている。
なぜかというと、身体強化のできない相手には心話が通じにくいからだ。
あと単純に身軽な方が動きやすい足手まといはいらないってのもあるんだけど。
しかし、そのせいで不満はけっこう高まっているらしい。
まあ、確かに、あたしは基本魔物たちを連れた単独行動だし、そうでない時も大抵同行を許すのはアロイスやグラミィだったり、増えてもコッシニアさんやトルクプッパさんくらいだったりする。
それは彼らがどんな能力を持っていて、どんな人となりであり、どういう行動をするか、ある程度理解ができているからだ。もちろん、彼らがあたしの求める能力を持っているからでもあるのだけども。
それに不満を持ってアロイスに絡んできた、身体強化のできないグラディウスファーリーの魔術師たちは、あたしが心話で盛大に叱りつけた上に、クラウスさんに叩きのめされたせいで、あれから大人しくなっている。
だけどグラディウス地方の船乗りさんたちには、あたしの行動はどうにも秘密主義に思えてならないだろうとアロイスはいう。
それでも彼らが不満を表に出さないのは、あたしのやらかしたゲラーデのプーギオ、その消滅に至る一部始終を彼らが見届けたせいだ。
海神マリアムへの畏敬の念が、その眷属と見なしているあたしにも向けられているというわけ。
とはいえ、さすがにこのまま放っておくのはまずいという、アロイスの判断にはあたしも同意する。不満は割と簡単に畏敬の念まで塗りつぶしてしまうから。
だから、ちゃんとグラディウスの人を参加させてますという言い訳に使える、ラミナちゃんの存在は個人的にはありがたい。
〔他国の暗部の人ってところは、警戒しないんですかー〕
グラミィにはつっこまれたが、ラミナちゃん自身を必要以上に警戒するつもりは、あたしにはない。
自国の利益最優先、真っ黒いおなかにいくつも思惑かかえているのは、他のグラディウスの人たちだっておんなじだ。
むしろ、彼女当人には、それほど個人的な思惑ってない気がするのだよね。
いや、あのクルタス王の手駒である以上、当然クルタス王の思惑に沿って動いてはいるのだろう。
だけどこの状況で、クルタス王の命令が逐次届くわけもない。だったらクルタス王としては、彼女に大まかな行動方針と、ある一定の条件下において特定の行動をするようにという、二種類の指示ぐらいしか出してない気がするのだよ。
というか、どんだけクルタス王が深読みして、事前に状況別に膨大な命令を用意しておいたとしてもだ、さっき上げた二種類ぐらいしか、ラミナちゃんは実行に移せない。
だったらそこだけ気をつければいいのですよ。
付け加えるなら、あのクルタス王が、この状況であたしたちに危害を加えようとするとは思えない。便宜を図って、もっとあたしを、そしてマヌスくんをさらに近づけようとはするかもしれないけれども。
「あの、どうかお気を付けて」
「『安心めされよ。アロイスは無傷でお戻ししよう』」
ちゃんと説明したんだけど、見送りの時まで心配そうなコッシニアさんをついからかっちゃったら、彼女ってば髪の毛と同じ色に頬まで染まっちゃった。
いや~、かわいいわよね~。実に初々しくて、よきよき。
〔おばさんくさいですよ、ボニーさん〕
グラミィには冷たくつっこまれたが、かわいいものをかわいいといって何が悪いのさ。
幻惑狐たちに先行と見張りを頼んだおかげで、トラスアビエス街道を隠し舟の窪地まで進むのはたいした骨ではなかった。
しかし、その先はというと。
「これは、……」
「なるほど、これはなかなか面倒な」
トルクプッパさんは絶句し、アロイスも一目で納得してくれたようだった。
なにせ幻惑狐たちが(こっちこっちー)と先導してくれてる細い泥道――いや、草が根を張って、足がかりとなりそうな獣道というのは、それこそ幻惑狐たちの小さな足でもなければ、そうそう通れないような代物だったからだ。
単に水没していないというだけで、窪地の泥とはたいしてかわらないというとわかりやすいだろうか。
足をずるっと滑らせでもしたら、泥濘一直線まちがいなし。
(では、手助けをしよう)
そう心話で伝えると、あたしはコールナーと左右に分かれ、水面に足の骨と蹄を踏み入れた。
「さすがは、伝説の一角獣ですね……」
アルボー攻めには同行していなかったトルクプッパさんが溜息を漏らした。
コールナーは水を操る異能を持つ。ふだんは霧を集めたり散らしたりすることで、姿を隠したり、濡れないようにしたりしているのだが、水面を歩くことだってできるんですよ。
あたしもそれに似たことはできる。結界を張ってその上を歩くってやり方でだ。
(さむい~)
不満をきゅうきゅう漏らしながら幻惑狐たちはどんどん進む。その後ろをグラミィとアロイスがぐんぐん進んだ。おそるおそるしんがりを歩くのは、ラミナちゃんだ。
あたしのやっているのは、足を滑らせそうな人たちの補助ですよ。
結界を張り、足場の幅をより広げ、平らなものにすれば移動しやすくする。
ただし、魔力知覚能力でもなければ、目に見えるのは見るからに滑りそうな泥の道のみ。これが魔力知覚能力もちしか連れてこれなかった理由の一つでもあったりする。
冬に向かい、枯れつつある草叢を進んで見えてきたのは、あたしたちが確認した建物だった。
見つかりにくくするためだろう、幅や奥行きに比べ、高さはそれほどない。
最初見た時には、むこうの世界の、ビーバーの巣を想像してしまったくらいだ。
ただし、この貧相な見かけを信じてはいけない。
(あれを見ろ)
コールナーがたてがみを振って見せた先には、水面に突き出た岩板のようなものがあった。おそらく魔術で顕界したものだろう。
(あの向こうでは水がわずかに動いている。日の沈むほうへ。追い切れないほど遠くまでだ)
アロイスが溜息をついた。
「……ただの泥濘、窪地が点在しているというのは見せかけで、水路が構築されていたというわけですか」
(おそらくはな)
アビエスの流れは、レジナ下流域だけ治水工事がされていて、上流は手つかずのように見えた。このトラスアビエス街道まわりの湿地もだ。
だが、スクトゥムの土木工事の質が高いことは、あの街道の構造でよくわかっている。とすれば中途半端なアビエス流域の治水工事の状況も、みせかけにすぎないのかもしれない。
ということはだ。この湿地を西へ掘り抜いて、ロリカ内海につなげ、交通路を確保はした上で、この一帯をあくまでも水はけの悪いままにしておく、ということだってできなくはない。
〔ボニーさん。だけどスクトゥムは何を考え、こんなものを作ったんでしょうね?〕
さー?そこまではあたしもわからんわ。
てか、わからないからこそ探りにきたんでしょうが。
ただ、目的がろくでもないことには間違いないとは思ってますとも。
なにせここまで人目を避けられるように、なおかつアクセスがいいように作ってあるなんて。
同じスクトゥムの中でもよほど知られたくなかったことがされている、ってことだろうし。
〔つまり、スクトゥムも一枚板じゃないと?〕
だけど、それは安心材料にはならない。
だってこれだけ移動経路が整備されている上、手の込んだ隠蔽工作がされてるのよ?
しかも、周囲に生えてる草木を見ても、窪地から見上げた回りの泥を見ても、植え込んだり掘り返したりした様子がない。
つまり、植生などがほぼ自然に見えるくらいには、この状態になってから時間が経過し、桟橋もどきだの水路だのがその間も維持されていたということになる。
〔相当大きな組織がやってること、ということですか?〕
それこそレジナとか、スクトゥム本国とか、属州の執政官クラスの権力者が。
場合によっちゃ、スクトゥム帝国の皇帝じきじきにしでかしてることかもしんない、ぐらいには考えるべきでしょうねー。
グラミィが心話のやりとりをほどよく言語変換して伝えてくれると、コッシニアさんは小さく息を呑み、アロイスとラミナちゃんはかすかに頷くと、さりげなく身につけている武器をあらため始めた。




