煩慮
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
(何を見た)
コールナーが後ろからのぞき込んできた。巨体にもかかわらず間合いが絶妙で、圧迫感を覚えないようにしてくれている。
だけど彼がそのまま顔を寄せてこようとするのを、あたしは手を使わずにそっと抑えた。結界ごしとはいえ、遺体に触れた直後のあたしに口を寄せてくるのはやめたほうがいいだろうし。
それに、今はコールナーに触れられたくない理由もある。
(心配してくれてありがとう。……なんでもない)
(なんでもないわけがないだろう?)
胡乱げに鼻を鳴らしたコールナーは、あたしの頭蓋骨にはぶっとかぶりつこうとしてきたが、あたしは前に逃げた。
(コールナー。案じてくれる気持ちは本当に嬉しい。けれど、今はやめてくれないか。頼む)
(おまえがそういうのなら……)
真っ正面から目をのぞきこんで首の骨を振れば、一角獣はしぶしぶひきさがった。
どうやらコールナーにとっても、あたしとくっつきあい、魔力や心話にに触れているのは気持ちのいいことであるらしい。
そして彼の心は大きい。あたしの感情が負に傾けば、敏感に察知して癒やし、なだめてくれようとするくらいにはやさしくもある。
近くにいればいるほど、コールナーと触れあう機会が多いほど、ずっとくっついていればいるほど、あたしが精神的に安定することは確かだ。
だけど、彼の慰めを受け入れるということは、犠牲者が出たことのショックを、言い換えれば殺してしまった人たちの影響を、あたしから排除することでもあるのだ。
たぶん、そう伝えても、きっとコールナーには理解はしてもらえないのだろうけれども。
コールナーたち魔物に、自責の念はない。倫理観という概念もない。それはそうだろう。
彼らにとっての最重要事項とは、今、この一瞬における個体の自己保全に尽きる。それが満たされて、次いで種の保全に意識を向ける。それは逆に言うなら我が身を守り、種を存続させるためならなんでもやるということでもある。
しかし、その彼らでさえ、襲ってくる者を撃退する、獲物を狩るといった、その瞬間において自己の生存に必要な殺ししかしない。危険を予測し、それを前もって取り除こうという発想はないのだ。
あたしがしたのは、魔物である彼らすらしない所業だ。
開戦後、戦力差ですりつぶされるおそれがあるのなら、開戦前の裏工作で敵の戦力を劣化させておこう。たとえそこに戦場に出ることもない人々が巻き込まれたとしても。そういうことをあたしはした。
無関係者まで殺す悪辣外道。それがあたしだ。
自覚しておかねば、すぐに言い訳なんて湧いてくる。
しかたがなかった、敵だから、命が危なかった。正当化の誘惑はじつに強い。
「その、シルウェステルさま」
(ああ)
アロイスたちに、死因はウィキア豆の中毒と思われることを伝えると、遺体のなかった建物は使えそうだと判断したのだろう。すぐさま人を走らせると、かりそめの陣を片付けた船がゆるゆるとアビエスを遡ってくるのが見えた。
水流を発生させる魔術陣を使ったかな。あれは。
船からわらわらと降りてきた人たちが、陣を張り直したところで、軍議をすることになった。
「レジナの様子はどうだ?」
「混乱は甚だしく。煙はさほど見えませなんだが、門は閉ざされたまま。人の出る気配は微塵もなく」
「当座の目的は達せられたかと存じます」
このへんの平民に扮したまま、国の暗部の騎士たちが報告をしていく。
あたしは幻惑狐たちに目を貸してくれと頼んではいる。が、当然のことだが、彼らだけに頼っているわけではない。
アロイスも部下たちをレジナ周囲に散らしていたのだ。
レジナの主要な門の周囲だけじゃない。近隣の集落の様子も次々と報告された。
やはりというべきか、ほぼ無人状態の村や、捨て置かれた死者しかいないところもあったようだ。
村人すべてが死滅したのではなく、病人を世話してた人が面倒見切れなくなって村を見捨てた、ということもあるのだろう。
というか、あたしの精神衛生上は少しでも生き延びた人たちがいて欲しいところだ。それがまだ存在するらしい罪悪感をなだめるほどではなくても。
「シルウェステル師。――悔いて、おられますのか?」
(悔いてどうするというのだ?)
アロイスがそっと訊いてきたが、悔やんでも、何もしなければ、それは後悔していないのと同じ事だろう。
後でするから後悔というんだが、今のあたしの思考に、後知恵バイアスがかかっているんだろうってこともわかっている。
星屑たちの思考がむこうの世界のパラダイムに捕らわれたものであることは、最初から百も承知だったし。
だからこそ、それをさんざか悪用もしてきた。それは否定しない。できない。
けれど、人の命の価値は、もともと敵も味方も老若男女も身分も出自も関係ない。そうあるべきだと、むこうの世界の倫理観は断言する。
そして、それはあたしが捨てる気のないものだ。
その一方で、やられる前にやれ。相手の刃が準備される前に。たとえそれがフライング気味でも、という理屈もまた、あたしにとっては正当性のあるものだった。
もし、麦角菌の近縁種がこの世界にあったのなら、それを入手できていたなら。
おそらくあたしは、それに感染した穀物の穂も、砕いて空から撒き散らすぐらいのことをしていただろう。
感染した麦を食べれば、幻覚を見ながら全身を壊死させて死んでいく人がいると知っていても。蔓延を食い止めるには、菌を殺すため、感染した麦をすべて焼き尽くすさねばならないということも。餓えによってさらに死者の数は増大するだろうことを理解していても。
散布するのがあたしだけなら、味方がうっかり吸い込んでしまうような危険は最小限に抑えられるし、散布範囲もより広くできるから。
――ただ、ウィキア豆の方が、犠牲者を減らせるから。味方に死者を出さずに済む、選択的毒として使うことができると考えたからこそ、使ったのだと。
あたし一人のことであれば、あたしのマイボディはシルウェステルさんの骨。通常の殺され方では死なない。
だからこそ、怖くても斬り合いにだって飛び込める。そのくらいには修羅場(物理)にも慣れたし、度胸もついた。と、思う。
いや、アエギスの戦いでも痛い目を見てるし、肋骨へし折られまくった槍は怖いよ、今でも。
それだって対処法ぐらいは目処を付けた。学習するんですよあたしだって。
だけど、グラミィという相棒、コールナーたち魔物、森精たち、アーノセノウスさんたち。
あたしには、傷ついてほしくないものが多すぎる。
守りたいと思うモノが増えれば増えるほど、余裕がなくなればなくなるほど、人は弱くなるという。確かに思考は条件反射のように短絡する。
彼らを害するかもしれない、というだけで、相手を滅殺する判断すら下すくらいには。
その守りたいという思いでさえ、あたしの利己的な都合や自己満足に過ぎないのだけど。
そんなあたしがコールナーに癒やしなだめてもらい、罪悪感を捨て去る?
なんだその自家発電よしよしいい子。
この世界をリスポーン可能なゲームの中と思い込んで、人殺しをする星屑たちより、なおたちが悪いだろが。
個別に犠牲者を覚えてはいられなくても、犠牲者の存在を忘れてはいけない。
どんな理由があろうと、どんな理屈をこねようとあたしは人殺しであり、星屑たちを手に掛ければかけるほど、守ろうとしていたこの世界の人たちも殺しているのだとわきまえるべきなのだ。
……これは、グラミィにも伝える気のない本心だ。
また勝手に落ち込んでとか、対等じゃないとか彼女は怒るかもしれないが、いくらグラミィ相手にだって、すべてを打ち明ける必要はないでしょうよ。
そもそもグラミィだって、あたしに話してないことがたくさんあるのだ。本名も知らない同士が組んでる相棒の間柄なんて、その程度でいいと思うのだけども。
あたしが自分の裡に思いを向けている間に、どうやら収集してきた情報の分析はすんだようだ。
「……これなら、星とともに歩む森の方々を三日待つのも余裕でしょうな」
ノワークラさんが顎を撫でながら言った。
それに頷く人は多い。
空気がだいぶ楽勝モード。なのだが。
「『そう気を緩められない方がよろしいかと』とのことにございます」
「なにゆえ」
「『これは我々とスクトゥムの、人間の戦いではないのですかな?』」
そうグラミィに伝えてもらうと、彼らはそれぞれ表情を変えた。
むっとした顔になったのは、どストレートに、自分たちの尻拭いを森精に押しつける気かと、窘められたと思ったんだろう。自分たちはそこまで無責任じゃないと思っていれば、憤懣はつのって当然か。
彼らもここまで敵国の奥深くにまで侵攻してきたのだ、自分の責務を果たしてないと言われる筋合いはない、くらいには考えてそうだ。
だけど、彼らは思い違いをしている。
あ、という顔の人は、そこに気づいたのだろう。
いつのまにやら、ヴィーリを、森精たちを、こちらの連合集団の戦力にカウントしていたことに。
そして気まずそうな顔になったのは、何度もあたしが言っていたことを思い出した人たちだろう。
森精たちは星屑たちの敵ではある。だが我々の味方ではないと。
そして、ノワークラさんのように、おもしろそうな顔になった人は。
「そいつぁ失礼ながら、シルウェステル師のようなお方におっしゃられると、どう申し上げていいかも困りまさぁ」
悪かったな。どうせ骨ですよあたしは。
「ノワークラどの」
「へい、無礼は承知でさ。ですがね、師もクラーワじゃあ、星とともに歩む方々を頼みにされそうじゃございませんか」
それを言われるとちと弱い。
だけど、それでもあたしは、まだ、自分で決めた一線を越えることはしていないんですよ。
「『彼の方々にお力添えは願いました。ですがそれは、我らとともに戦っていただくためではないのですよ』」
「へえ?」
〔いやでもボニーさん。森精は戦力になるって言ってましたよね?〕
ノワークラさんは片眉を上げ、グラミィも心話で突っ込んできた。
確かに戦力になるとはいった。だけどそれは、あのとき彼らが協力してくれたことについてなのだ。あくまでも『星屑の捕獲』や『魔術陣の解析』であって、『戦闘』にではないのだよ。
彼らがクラーワ全土に散り、樹の魔物たちを関所に配置してくれたのだって、『捕獲』が目的だし。
〔……あれ?〕
思い出したかね?
ヴィーリは――スクトゥムに入ってからこっち顔を見てないが、メリリーニャもだ――、確かに、あたしたちに好意的に振る舞ってはくれている。
けれどそれは彼らが、森精が、あたしたちの絶対的な味方であるということと同義ではない。損をすべて引き受けて献身的に尽くしてくれるとでも考えているとしたら、それは幸せな妄想で、いい気な勘違いなのだ。完全に。
森精には森精の都合があるし、森精にあたしたちの都合を押しつける義理はない。彼らには彼らの行動理由がある。
だからこそ、森精たちと人間が戦ったという事実を既成のものにしてはならない。
少なくとも表舞台で、多くの人間の記憶に残る形で、彼らを戦わせてはいけないのだ。絶対に。
森精たちを現実の脅威にさせないために。
森精たちは、この世界の人間にとって、半分伝説の中の存在だ。
だが、彼らは人間とほとんど接点を持たない。
人から遠ざかり、森に住み、彼らの重要任務である落ちた星の回収すら、先んじて人間が接していれば姿を隠し、関与を観察のみにとどめたりもする。
神話の霧に包まれた、無害に近い権威と伝承の実体。
そう、森精たちへの畏敬の念とは、実際にその猛威を見たことのないゆえの曖昧なものだ。
だが、実際に森精たちがその魔術を行使したら、どうなるか?
なみの魔術師どころか、あたしでさえ、本気出した森精たちに魔術では叶わないだろう。彼らは数百年――いや、数千年、ひょっとしたら数万年以上もだ――半身たる樹の魔物たちが混沌録に蓄積した記憶から、多彩な魔術を顕界できるのだ。
しかも森精たちは、樹の魔物たちの魔力を借りることができる。闇森規模で魔力を借りれば、その術式はおっそろしい魔力量で行使できることになる。
あたしがラームスたちを撒き散らしたこともあってか、樹の魔物たちの勢力範囲が広がりつつある今なら、どれだけの威力の魔術を顕界できるかしれたもんじゃない。
そして圧倒的火力でスクトゥムを蹂躙するさまを見れば、きっとランシアインペトゥルスは、グラディウスの船乗りさんたちは、クラーワの民もまた森精に畏れを抱き、崇拝すらするだろう。一時的には。
が、畏敬は恐怖を生み、恐怖は嫌忌と憎悪を生む。
神話の畏敬が実際の恐怖となった時、きっとこれまで以上に人は森精を恐れる。
その一方で、驚嘆すべきその力を我が物にせんとする為政者は必ず出てくるだろう。なにせ落ちし星の力を取り込もうとしていた魔術辺境伯さえいたのだ。
だが、森精たちはおそらくその手を拒むだろう。彼らにとって、人間は近縁種であっても混じり合える存在ではないからだ。
一方、人間の中には、手に入らない酸っぱい葡萄は、木を枯らしてでも、誰の手にも入らないようにしてしまえという発想に出るやつがいる。
人間同士でさえ、味方である限りは英雄として祀り上げても、敵に回った瞬間に敵の首魁扱いへと転じるような、手のひら返しはよくあることだ。
ならばもともと人間ではない、半ば神のように人々が崇めている森精たちだって同じこと。
神には悪神も邪神もいる。神は堕ちるのだ。人間が堕とすのだ。貶めることで。
シルウェステル・ランシピウス名誉導師程度の魔術師にでさえ、王宮でも魔術学院でも、フェルウィーバスでも――船団の中にあってもだ!――派閥への取り込みを画策する者、誹謗中傷をする人、足の骨を引っ張りにかかる派閥は数えきれぬほどあったのだ。
それと同じことが、森精たちの上にも起こる。
人間の頼みであっても、この世界で、森精が人間の敵になった、という事実ができてしまった瞬間から。
それは、ひどく恐ろしいことだ。
基本的に樹の魔物たちは自我が薄い。彼らが森精たちの頼みを聞くのは、彼らが意志決定の役割を代替するからだ。
その半身たる森精たちも気質は温厚だ。魔物たち同様、環境に対してほとんど受動態ですらあるし、彼らはあまり怒らない。
というか、害を加えてくる者に対しては、森精って基本的に逃げる一択なんである。反撃する、叩き潰す、従属させるって方向にはいかないのだ。
まあ、大抵の動物も魔物も従属レベルで森精たちには懐くから、彼らに害を加えるようなものって、よほどな自然災害とか、それこそ人間くらいのものだが。
世界の管理者として自己規定しているせいもあるのかもしれないが、彼ら森精が自ら人間に対し事を起こすところをあたしは見たことがない。
しかし、スクトゥムに関しては話が違う。
アエスでの虐殺――星屑たちが森精をエセルフと呼んで蔑視していることを考えると、あれが一地方都市にだけ起きたことかも疑わしいとあたしは思っているが――、森精たちが人間という種そのものに瞋恚を抱き、敵対、いや抹殺しようとしてもおかしくはないことだったのだ、あれは。
森精たちは、基本的に人間について個体識別ができていない。彼らの自我が、人間のようにスタンドアロン型ではないというせいもあるのだろう。
群体として自我を持つという意味では幻惑狐たちにも似ているところがあるが、森精たちってばさらに徹底しているもんな。
そんな彼らにスクトゥムが敵対を示したということは、スクトゥムのみならず、この世界の人間全体が森精の敵に回ったとみなされてもおかしかなかったんですよ。
その森精たちがスクトゥムを、いいや、この世界の人間を駆逐しようとしないのは、うぬぼれかもしれないが、あたしも一役買っているはずだ。
この世界の人間に異世界人の人格が搭載されていること、星屑たちの存在について伝えたからこそ、魔術陣の解析と異世界人格の摘除に協力してくれているんである。家の周りの生け垣から害虫を駆除するように。
だけど樹の魔物たちが、そして森精たちが人間への怒りを学習してしまった以上。
次に、人間が森精に敵意を向けた時。
森精たちが、はたしてこれまでどおり、自分に降りかかった火の粉を払い、人間と棲み分けるだけで満足してくれるだろうかというと……限りなく心配なんですよ。
その時は、あたしたちも巻き込まれてること確定だろうし。
……なんか、折衝で板挟みになりつつ、なんとか関係を好転しようとじたばたしているうちに、人間の裏切り者と言われて背後から刺されるか。それとも森精たちから攻撃を防ごうとして、真っ先に蒸発するかのどちらかしか未来図が見えないんだけどなあ……。




