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不吉な植物

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

(気配はない)


 背後に意識を向けていたコールナーが教えてくれた。

 彼の知覚は霧の中ならば数十倍に上がる。水を操る能力を通じ、どこに何があり、誰がどんな行動をしているのかをはっきり感知できるのだ。

 正直、疑似視覚をイメージしているあたしの魔力(マナ)知覚よりも、この濃霧の中ではたよりになる。


 そのコールナーが追っ手の気配はないと断言するってことは、どうやら追撃されないよう二重三重に策を練った甲斐はあったようだ。

 問題はこの先、なんだけど。


(先のことをなぜ思い煩う。今がなければ先などないだろうに)


 ……そりゃ、現在一極集中型のコールナーはそういうよね……。


 その間もコールナーはぐるっと東側から帝都レジナを南へ回り込んでいく。

 

(匂い~)


 ちゃっかりコールナーの背中に乗っかってきた幻惑狐(アパトウルペース)たちの鼻のおかげもあって、予定通り、あたしがプロテージット門を離れるのに合わせて移動したグラミィたちも船団も、レジナの少し下流にいった、わずかに川幅の広い流域近くにあるフリーグスという村落近くでの合流を果たしたのだった。

 いや、それはいいんだけど。

 アロイスが呆れたような顔で見上げてくるのはなんででしょ。駆け寄ってきといて無言とか。


「いえ……、よくお乗りになっていられるものと」

(ああ)


 そういうことか。

 馬でも、鐙やら手綱やら鞍だのがなけれは、騎乗することはできないもんな。

 いや、もちろん、止まってくれてる状態なら、その背にまたがることはできるよ、それは。だけどそれは『座っている』というのだ。

 馬に乗り手としてどう動いてほしいか、手綱さばきやバランスで意志を伝えることはもとより――まあ、あたしは心話ができるからその点楽だけど――、裸馬が歩き始めたら、またがってるだけじゃバランスとるのって難しいのよ。走らせるなんてなおのこと。

 ましてや、コールナーは一角獣。それを馬に乗り慣れているわけでも、腹筋だの大腿筋だの皆無の――だって骨だし――のあたしが、鐙どころか鞍も手綱もナシナシ状態でよくもまあ乗ってられるな、ということか。

 もちろん、コールナーが上手に『乗せてくれている』ってこともあるのだが。


「他にもタネがおありなのだろうとは思いましたが」


 アロイスがちらとあたしの腰骨回りに目をやった。

 さすがに魔力感知能力が高いだけのことはある。あたしが常時お骨回りに展開している結界だけでなく、鞍代わりにも別個に顕界していたことに気がついたのだろう。

 もちろん、コールナーに許可を得てのことですよ?

 鞍の形にするのも尾骨に配慮できるし、ある程度弾力性を持たせてあるからコールナーにかかる負荷も分散できる。

 下半身をほどほどに固定しておけば、はみを噛んでもらわなくたって、鎌杖を横に持っていればバランスは取れるしね。


「首尾はいかがにございましたか」

(悪くはない。すべての城門は閉ざした。だが港側の城壁が崩れたかもしれん)

「それは伺いましたが、居竦んでくれるならばなによりかと」


 そう、レジナへのしかけはただの脅かしじゃない。自発的に籠城状態になってもらうためのものだ。

 籠城のためには、食料その他の備蓄が必要になる。もちろん、常にある程度の貯蔵はされているだろう。

 だけどつい昨日まで日常生活を送ってたところで、いきなりすべての城門と港が閉鎖されたらどうなるか?

 備蓄スペースすべてを埋めるほど、食糧その他物資が集められているかは疑問だろう。

 なにより、日常からいきなり戦闘状態に巻き込まれたと思えば、その心理状態こそが敵となる。

 むこうの世界でもあったもんなー、品不足になるって言われた瞬間、買いあさり転売ヤー続出ってことが。


 その上、ここからあたしたちがするのは、遅滞行動だ。遅滞戦闘ですらないってところがポイントである。

 封じたレジナを救援にやってくる星屑(異世界人格者)たちを迎え撃つ、と見せかけて、アビエスの流れを活用した船団の動きと、あたしやコールナーの機動力を駆使してすり抜ける予定だ。

 戦力の削りあいなんてやったら、まず確実にあたしたちの方が先に、原形もとどめないほどすり減りますから。


 帝都レジナをこのエセ電撃戦の目的地にしておいて、結局攻めないたぁどういうわけかと、提案したときには呆れられたものだ。

 だけどね。城砦都市が戦に巻き込まれたとき、その住民たちにとって、もっとも大敵となるのは、裏切り者が出ることでも、戦意がだだ下がることでもないのだよ。

 彼ら自身の欲望だ。


 あたしたちが引き起こしたパニックは、たぶんそんなに長く尾を引かない。あれだけ封鎖に手を尽くした城門も、相当な手間ではあるだろうけれども、人海戦術を使われたら、今日中に復旧しててもおかしかないとも思ってる。

 それはまあいい。あたしたちの後を追わせないようにするためって目的は達成してるし。


 けれども敵性勢力が城門の真ん前まで攻め寄せたというインパクトはあるだろう。都市内部が戦場になる危険があると思い至れば、星屑たちは、特にその上層部は自主的に閉じ籠もろうとするはずだ。

 ならば、レジナを攻めていると見せかけ――その戦力を城壁の中へと封じ込め、食糧をはじめとした備蓄をどんどん消耗してもらっている間に、あたしたちはやれることをやればいい。

 本国内部ならレジナから少し離れたあたり、あるいは周囲の属州からやってくるであろう星屑たちを足止めしておけば、レジナへの戦力供給はおろか、食糧などの物資も送り込めなくなるわけだ。

 なお、インターセプトした物資はあたしたちがもれなく有効活用する予定である。


 もちろん、レジナから軍勢が出てきたら、今度は挟み撃ちになったあたしたちが危ない。

 背後を突かれないためには、レジナからなかなか人が出られないようにする必要があるわけだ。

 レジナへのひとあては、その細工のためでもあった。鎌を持った死神風味の格好で近づいてく前に、いろんな仕込みをしておいたんですよあたし。

 幻惑狐たちを送り込んだり。

 幻惑狐たちにラームスたちの欠片を運んでもらったり。

 幻惑狐たちに城壁のきわにある堀を深くしてもらったり。

 幻惑狐たちに深くしてもらった堀の中に、ラームスを沈めておいたり。


 ラームスたちには、成長するついでに、レジナから一度に大量の人間が出てきそうになったら、堀に架けてある橋を落として、ついでにあたしへ連絡をしてほしいとお願いをしたのだ。

 完封が難しければ、一手を遅らせればいい。

 レジナとその援軍、一度に大勢の敵を相手にするのは荷が重いというのなら、時間差を作り出し小分けにしてやればいいのだ。

 

 もちろん、軍勢としてレジナを出るのではなく、斥候などが単身あるいは少人数で出てくることも考えられる。

 そういう連中は、レジナが攻められていると思っているのなら、門なんて最初から使おうとはしないだろう。城壁を乗り越え、堀を渡ろうとするかもしれない。


 だけどね、堀の中のラームスたちには『レジナから移動しようとする人間の足を捕らえる』ようにというお願いもしている。

 はっきり言って嫌がらせとかいたずらレベルですよ。でも、幻惑狐たちに堀をさらに深く掘り込んでもらっていての仕掛けなんですよ。溺れそうになったところを見れば、そうそう晩秋近い堀を泳いで渡ろうとするやつはいなくなるだろう。


 板を持ち出して堀の上に渡し、即席の橋を作る?

 はっは、さすがにそれをあたしたちが見逃すとは思えんな!


 ついでにいうなら、ラームスたちをしかけてあるのは堀の底ばっかりじゃない。周囲の木立にだって、こっそりと樹の魔物たちは混じっている。

 仮にむこうの世界のレンジャー部隊……というより、ジップラインみたく、ワイヤーを飛ばしてそれを渡ろうとしても、無傷の脱出はまず無理だろう。

 高低差があってブレーキのないってだけで、そのまま木立に突っ込む様子がくっきり想像できるが、それくらいならまだいい方だ。途中でワイヤーをぷっつり切られたら、最強攻撃手段:地面と重力のツープラトン攻撃に大怪我すらしかねんのよ。


 城砦都市だけでなく、軍隊も彼らの胃袋を満たしきれねばそれでおしまい。

 恐竜が(ほろ)んでネズミサイズの原始哺乳類が生き延びたのって、あれ体温調節の問題だけじゃなくって、体格を維持できるだけの食糧を確保できたかどうかっていう問題もあると思うの。

 通常通りの生活ができないという一点でたまった不満は、星屑たち自身になんとかしてもらいましょう。


 ま、そういうわけで、遅滞行動でもむこうの戦力は削れる。もちろんいろいろと工夫は必要なんだけれども。

 その一環として、あたしたちはレジナ周囲からも物資を収奪することにしていた。

 ただし、極力直接戦闘をしない方向で。生存率を上げるためだ。

 アロイスたち騎士の皆さんには武勲をあげられぬという意味ではすまないと言われたら、とうにこの任務である以上諦めてますという答えが返ってきたもんだ。

 まあそうだよね。騎士なはずなのに、船だから馬も連れてきてないし。そもそも国の暗部の存在ですから彼ら。

 だけど。


(わたしにも聞きたいことがある。――なぜこのようなところに陣を?)


 街道村に近いつくりの集落は、川べりにも向けて家が並んでいる。家があると言うことは、煮炊きのようなことも野営で炉から築くより、家のかまどなぞを使えばいいだけのはず。

 そのくらいのことは、アロイスたちなら百も承知だろう。

 だが、彼らが船をとどめたのは集落の外れ、上流側だったのだ。


「ええ、そのことです。師にご覧いただきたいものが――こちらに」


 アロイスは集落の聖堂にあたしを導いた。

 そこには、顔を布で覆ったコッシニアさんとトルクプッパさんが待っていた。

 何体かの死体とともに。


「どうやら、この村を海神マリアムの波()が覆ったようにございます」

(……そうか)


 アロイスたちは、この集落を制圧したんじゃない。ほとんど、あらがえるような人間がいなくなった村を占拠したのだろう。

 そう理解すれば納得がいく。家々に染みついた煤の匂いはともかく、幻惑狐たちの鼻にすら煙の匂いが感じ取れないわけだよ。火を使う人がいないんだもん。

 この世界、村で合同のパン釜を持っていたり、パンを毎日焼くのではなく、一定のスパンでまとめ焼きをしたりと、薪をけちる傾向がある。森林資源の利用持続可能性を維持するためってことなんだろうけれども、それでも、各家々の(かまど)の火ぐらいは、ほぼ一日中焚きっぱなしなのだが。


「外傷はほぼございません。疫病かと思いましたので、船を近づけぬようにいたしました」

「ですが、わたくしたちが知る限りの疫病のたぐいとも症状があわず。息絶えて間がないようでもありましたので、師をお待ちしようと」


 病気であった場合、一人でも感染したら彼らの方が危ない。だけどアロイスたちがこの集落近くに待機し続けてくれたのは、場所を動いてしまえばあたしやグラミィとの再合流が難しくなると考えたからなのだろう。


 コッシニアさんも、トルクプッパさんも、薬草や傷の手当てに関する知識はかなり豊富だ。

 どうやら、この世界における貴族女性――まあ、王族だの公爵夫人だのはさすがにないわと思うけど――のお仕事の一つらしいのよ。怪我人病人の対応って。

 おそらくランシアインペトゥルスとジュラニツハスタの戦いみたく、国と国との大いくさってのはさすがに数がないのだろうけど、それでもちょっとした内乱だの近隣との小競り合いだの、農作業や狩猟中の事故だのというのは絶えないんだろう。

 だったら、いちいち血を見ただけでぶったおれてるわけにもいかないよね。

 加えて、トルクプッパさんは糾問使に加わるとき、タクススさんから毒薬師としての知識も受けてきたとか言ってたはず。

 だけど、それでも二人には、病気か毒かも判別できなかった、ということになる。


 あたしはごろごろ転がる遺体に近づいた。軽く頭蓋骨を垂れ、両手を……合掌するのではなく、遺体の上を払うように動かす。海神マリアムの御座所に大過なくたどり着くようにという意味があるしぐさだという。


 正直なところ、あたしもタクススさんにいくらか薬草の知識は教えてもらったとはいえ、二人よりこの世界における病気についての知識があるわけではない。

 けれど、お骨のあたしなら、感染力が少々強い病気であろうが間近で見ても問題はない。

 ならば、二人では見えなかったことも見える、かもしれない。

 

(身体の中から痛んでいる匂いがする)


 聖堂の戸口から枝角をつっこんでいたコールナーがぼそっと心話で言ってきた。

 ……ということは。病気でも症状が出てから死亡まで時間がかかっている。毒なら即死ではない、てことか。

 たしかに遺体は、土床に整然と並べられた敷物の上に横たえられている。死んでからここに集められたというというよりも、看病の負担を減らすために集められた患者がそのまま息を引き取った、というようにも見える。


(ありがとう、コールナー。気がついたことがあったらまた教えてほしい)

(いいだろう)


 しゃがみ込んで、改めて見直し……。あたしは、白炎を顕界した。


「シルウェステル師、何を?」

(色のない明かりが必要だったのでな)


 あたしの視覚は魔力による擬似的なものだ。けれども、どうやらもともとの色合いが完全に読み取れるというわけでもないらしく、薪などの炎のもとでは赤みがかかる。

 それでは色合いが見づらい。

 だけど白炎は思ったより明るく、延ばした指先に、土床をひっかいて何か文字を綴ったような跡があったのにもあたしは気がついた。

 リ、スポ ソ?

 ……リスポーンのことか。どうやら星屑が搭載されていた人のようだ。


「何か、お気づきになったことがありましたか」

(うむ)


 アロイスが背後からのぞき込んできたので、あたしは慌てて別の方を指の骨で示した。


(アロイス。この者らの肌の色、眼球を見たか?)

「……こちらの者は、ひどく黄ばみがかっておりますね。この者はどす黒く」


アロイスが指し示すとおり、獣皮紙よりもかさかさと黄ばんだ肌と眼球。ぱんぱんに膨れ上がって土左衛門のようになったどす黒い肌の遺体があった。

 鎌杖に結界をかぶせて間合いを伸ばす要領で、指の骨の延長として構築した結界でつつくと、どす黒い肌はものの見事にへこんだ。

 ……じんわりと、イヤな理解が這い上がってくる。


(この村の畑は。どこだ)

「あちらに」


 聖堂を出れば、端の方が比較的土の色が新しく見える畑地が見えた。墓として使われたのだろうか。


「シルウェステルさま。この者たちへの()海神マリアムの意志(死因)をご理解なされたのですか」

(推測に過ぎんが)


 あたしは黙然と頷いた。

 その畑に植わっていた、豆のせいだろう。

 あたしがばらまいた、ウィキア豆のせいだ。


 むこうの世界のヨーロッパには、有毒植物に特定のグループがあった。

 ヒヨス、ベラドンナ、――そしてトマトやジャガイモのような、ナス科のもの。

 トマトにだってトマチンという、そしてジャガイモにもソラニンという毒が含まれていることは知られている。


 もちろん、ナス科植物以外にも、有毒植物として名高いものはいくらでもある。

 その一つに、ゴールドチェーンがある。

 和名は金鎖という。直訳すぎるだろうと思うが、見た目は濃い黄色の藤の花といったところの花が長く枝垂れる様子が美しい。

 しかしその毒性の強さといったら、ない。

 まあ、いくらマメ科の植物だからって、ゴールドチェーンを食べようとする人はほとんどいないだろうから、実際のところ、中毒事故はキノコよりも少ないとは思うのだが。


 けれども有毒植物でなくても、特定の植物によっては、それを食べた人の体質によっては命にかかわる事態を引き起こすものもあるのだ。

 ……というと、ぱっと思いつくのはアレルギーだろうか。

 確かにアナフィラキシーショックは有名だが、この世界あまりアレルギーは一般的ではないし、そもそも一人一人のアレルゲンを特定してどうこう、なんてことはやってらんない。

 その上、あたしはもっと局地的に該当者の出る中毒を知っていた。

 ソラマメ中毒である。


 ソラマメ中毒とは、簡単に言うと、とある遺伝子要因を持った人がソラマメを――豆ばっかじゃなくて、(さや)とか葉っぱとかでも――摂取した場合、黄疸や急性腎不全などを起こすというものだ。

 酷い場合には、ソラマメ畑の側を通って、花粉を吸い込むだけでも貧血によりショック死する場合すらあるんだとか。

 

ソラマメ中毒の存在すら、日本ではあまり知られていなかったが、それは該当する遺伝子要因を持っている人に、極端な地域的な偏差があったからのようだ。

 それも、皮肉なことに、歴史的に、ソラマメをよく食べる習慣のある地域に。

 個人的には鎌形赤血球遺伝子のように、何かしらその遺伝子要因がその土地において生きるため、何らかの有利をもたらすものであったからこそ、選択圧のためにその遺伝子要因が保存されたんじゃないかとは思うが、それはともかく。


 スクトゥムに喧嘩を売ると決まったとき、あたしはタクススさんに訊ねたんだよね。

 以前スクトゥム地方で栽培されていた、あるいはスクトゥム地方から伝来したのに、当のスクトゥムではあまり栽培されなくなった作物ってありますかって。

 ついでに、その理由もわかればと。


 さすが毒薬師というべきか、しばらくして彼が見つけてくれたのが、ウィキア豆だったのだ。

 収穫量が多い作物なのに、栽培に適した土地であまり育てられていない、食べられていないという不自然さ。

 加えて、『不吉な植物』という別名。 

 まさしくこれじゃねとは思ったが、一応念のためということで、人体実験もしましたとも。

 アルボーで、死神コスをしていたあたしに襲いかかってきた、記念すべき星屑第一号たちにつきあってもらって。

 

 あたしだってもちろん、倫理的にやっちゃまずいことをやってる自覚はある。だけど、ソウとジュンとダイとかいったか、あの三人はあたしを殺す気でかかってきたのだ。

 殺す気でかかってきた以上、殺される気もあったとあたしは判断するし、そもそもあたしに殺す気はない。最初っから。

 三人のうち二人が体調を崩したところで実験は終了。治療もタクススさんたちに協力してもらったから、スクトゥムに送り返した時には完全な健康体に戻っていたはずだ。


 なお、グラミィやタクススさんにもウィキア豆については説明したのだが、もともとランシアインペトゥルスでは主食扱いされることすらある、一般的な食材なんだそうな。

 タクススさんもしょっちゅう食べてるというので、グラミィもおそるおそる口にしたけど問題はなかった。というか、(これ昨日の朝食にも食べてました)と言われた時には肩胛骨から力が抜けたが。


 味方には食糧となり、敵には毒となる豆。

 もちろん、最初に体質的に食べられるかどうか確認したり、その後も量を加減したりする必要はあるだろう。

 ソラマメ中毒を起こす体質が遺伝子要因であることを考えると、ウィキア豆が毒となる可能性が高いのは、スクトゥムだけとは言い切れない。地理的に近接していて歴史的に見ても交流が続いていた、つまり血が混じり合いそうなクラーワのイークト大湿原周辺地域や、グラディウスの島嶼諸小国とかは特に要注意だ。


 その一方で、スクトゥムの人間にだってもちろん個人差はあるだろうし、全くウィキア豆中毒を起こさない人だっているだろう。

 だけど、戦場での傷病兵は無傷の兵士すら減らすのだ。退却や後方への移送、あるいは処置のために人手を必要とするという意味で。

 ならば、体調不良を引き起こしてもらうだけでも十分スクトゥムの戦力を削ぐことができるはず。そうあたしは考え、しつこくウィキア豆をばらまいてきていたわけだ。


 戦術として考えても、あたしにやってることはかなりの外道だ。それこそ人を食らって発動する地獄門術式を人体に彫り込んでるスクトゥムの、おそらくは『運営』たちとどっこいな極悪っぷりだろうさ。

 だけど彼我の人口比を、そしてそこから導き出せる戦闘可能な人間の数を、領地の広さを考えれば。ランシアインペトゥルスが、グラディウス諸国が、クラーワの山岳地帯に点在する小国がいくら力を合わせても、広大な平野と、森精のいない、人間が好き勝手に伐採できる森林と、鉱物を採取するため荒らしまくっている山岳地帯を、巨大な内海を有しているスクトゥムと真っ向勝負で戦って勝てるわけがないのだ。

 だったら、どんな手を使ってでも。

……そう、思っていた。


 あたしはアロイスたちにも手伝ってもらって、遺体を墓地まで運んだ。風で土を飛ばし、遺体を薄く覆うと、それを固める。

 魔術を使っての埋葬だが、魔力の無駄遣いだとは思わない。

 そもそも、こんなことでは謝罪にもなんにもならない。

 

 ……正直、あたしはウィキア豆で出るだろう健康被害を軽く見ていた。

 人体実験をした三人組も激しい胃腸症状(婉曲的表現)で、しかも、ウィキア豆を食事に出さないようにしたら、三日もたたないうちに消えたと聞いていたからだ。

 食事内容を固定された囚人でさえそうなのだ。無理に口にねじ込んでいるわけじゃない相手なら、何か食べてちょっと体調が悪くなったかなー、と思えば、普通なら食事内容を見直すだろうと思ってたし。

 だからこそ、魔力を注いで開花期間をバグらせたウィキア豆をあちこちにばらまいたりもした。


 ウィキア豆による直接の被害を増やして、戦力を削ぐことはあんまり期待できないかもしれない。

 それでも、体調不良者が一時的にでも増えれば、食料に毒物が混じってるかもしれない、ぐらいに警戒してくれたら、疑心暗鬼に陥ってぎすぎすしてくれそうだという思惑があったからだ。

 仮に、それでウィキア豆が原因だとばれたとしても、むこうが廃棄するというなら、こちらに食糧としてもらえばいいだけのこと。

 たとえ食糧にできない状態であっても、生の豆なら通りすがりの土地へ蒔いてゆけばいいからと。

死者が出ることは、ほとんど想定外だったのだ。


 ……この死者たちが、星屑搭載済みの人たちであったなら、ここまで症状が重篤化した理由に思い当たることがある。

 それは、むこうの世界の創作において、ひとつの法則があったということだ。

 いわく、『名前は違っていても、似た外見のものは現実世界のものと同一物と扱ってよい』。

 VRMORPG系作品も、異世界ものでも、特に、料理系チートものとかってそんなことが多い気がする。

 認識を簡単にするためにはスキームの単純化というのは、必要なことなのだろうし。

 実際、ウィキア豆の見た目はむこうの世界のソラマメにもよく似ていた。

 ソラマメ中毒に関する遺伝子要因をほとんど持たず、ソラマメ中毒の存在すら知らない人間にとっては、無害と判断してもおかしくはないだろう。たしかに。

 だけど、むこうの世界でだって、無毒であったものすら状況次第で有毒化したりするって事例も珍しくはなかったのだ。

 しかも植えた覚えがないのに生えてきた作物とか。

 せめて、最初は警戒してかかるべきだろうと思うのだが。

 

……いや。これは言い訳だな。

 ああ、全部、全部、ただの言い訳だ。

 あたしは星屑どもが脳天気な楽天家であることぐらい知ってたじゃないか。

 ソラマメ中毒が最悪死に至ることだって知ってたじゃないか。

 ウィキア豆で中毒を起こせばどうなるか、類推できなかったとはいえない。

 それでも、あたしは手段を選ばなかった。選ぼうとしなかったのだ。

ソラマメ中毒は本当にあります。

古代ギリシアのピタゴラスが、自ら主宰する教団の掟としてソラマメの食用を禁じていたことも、政敵に襲われてソラマメ畑の中で亡くなったという逸話がソラマメ中毒をもとにしていたらしいということも、テンプル騎士団では「有害な食品として禁じる」との食事規定があったことも本当です。

その一方で、ソラマメがレンズ豆などと同じくらい古い食材であったことも、中世ヨーロッパで準主食としてよく食べられていたことも本当だったりします。

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