EX. 想定外の蛇足
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
あの突然の宣戦布告から、他国から軍が送られてきた場合を想定し、彼らも防衛策は十分に立てていたつもりだった。
だというに、敵の軍勢はするすると帝国深くまで侵入していた。
気がついたときには、もはやアスピス属州をも過ぎようとしていたほどだ。
「とうとう属州境を超えたか」
「いっくらリトスが壊滅したからって早すぎだろ」
「たかだか執政府が陥ちたくらいで、アスピス属州どころか、その近くの属州までてんやわんやになるたぁなぁ……」
「脆すぎるだろ。属州境で移動を禁じてたんじゃないのか?」
「難民がおしよせて止めきれなかったと」
「かーっっ、なっさけねぇなあー!」
現場での刑執行まで可能なほど、司法権と警察権と執行権を与えられていても、その人数が少なければ意味がないのだが。
彼らの愚痴は止まらない。
「いくらリトスの壊滅があったからってスムーズすぎるだろう?!」
「……いや、まさかリトスの壊滅もこのための仕込みだった、とか?」
「じゃあ、まさか、最初っから計画的に?」
いや、そもそもが、なぜリトスが壊滅したのかといえば、彼らの決断が理由の一つではあるのだが。
そこに思い至らぬあたり、彼らもまた他の異世界人たちと同じだった。
「せめてアエギスの野あたりで食い止められりゃあいいんだが……」
彼らの視線が机上の大地図に集中した。
複数の国が連合して攻めてくるのであれば、歩兵を含む大軍だろう。それが彼らの想定だった。
だからこそ、海を隔てるグラディウス地方より、イークト大湿原とウングラ山脈という天険はあれど、まだしも手を出しやすいクラーワ地方へと、ゲームプレイヤーと自己認識している者どもを送り込んだ。
その一方で、属州をあえて食糧難にした上で、敵を国の奥深くまで引き込んで殲滅するという戦術を組み、そのための準備にはしっかりと手を掛けた。
ロリカ内海は、ハマタ海峡を過ぎれば袋の鼠になるように手を打ってきた。
大軍には有象無象の烏合の衆でもこちらも大軍をぶつける。そのために、プレイヤー連中をスムーズに動員できるよう、事前に冒険者ギルドとやらを通じて強制依頼を何度か出し、大人数の動きを確認したりもした。
だが、相手は驚くほどの小勢で、しかもイークト大湿原から船を使って下ってくるとは。
「数の暴力てぇのも、どこまで効くか」
案外大軍で小勢を抑えるのは難しい。
言ってみれば大軍の戦力というのは巨大な斧のようなものだ。当たれば粉砕間違いなしという威力であっても、それで小鳥や蝶を殴ろうとしても、うまくいくかどうか。
完全に逃げ場を封じるならともかく、中途半端な封殺では、振り下ろした刃先で影すら捕らえることができようか。
何より、本国まで迫ってくるとは思わなかったのだ。食糧の備蓄も心許ない。
「トリクティムの輸送はどうなってる?」
「ロリカ内海経由でホプロン属州から、あとケトラ属州からも絞り取ったとさ」
「ならいいが……」
不作の知らせがあった属州への負担を無視して男たちは頷いた。
だがその顔から懸念の皺が消えないのは、本国内においても火気がないはずの風車小屋が燃える火事の知らせがぽつぽつと届き続けているからだった。
「ただの不始末ならいいんだけどなぁ」
問題は、それが意図的な放火だった場合だ。
目撃者はいない。
けれども、もともとそれは町外れのひとけがあまりないところだからということが大きい。
「愉快犯ではすまないって、周知はしてんだろ?」
「アホどもにも、きっちりな」
執政府経由での命だけでなく、監視人経由でも各都市のアゴラの掲示板には、放火犯を見つけたら殺してでも止めろとクエストが出たという流言飛語を撒いてある。
だが彼らは摩擦熱の危険性も知らず、自身をゲームプレイヤーと認識している者たちを一切信用していなかった。
「あいつら、何やるかわからないからなぁ……」
デバッガーと自己定義した連中の奇行には以前から手を焼いていた。
素っ裸で街中を後ろ向きに全力疾走したのはまだマシな方だ。
「どこだったっけ、油をかぶって点火したやつが出たの」
「まともに考えりゃ、ただの自殺だってわかんないかねー」
「物理法則が既存のもんと共通してるって理解してんなら、類推したらどうなるかわかりそうなもんだろうが」
「脳味噌使えよ、頼むから!」
「「「「同意する」」」」」
幸いと言うべきか、比較的燃えにくい毛織物を着ていたから火傷もたいしたことがなかったわけだが。
「これがリネンとか麻、綿系の燃えやすい素材だったらと思うとなぁ……」
ただでさえのたうち回って周囲の人間にすがりついたりしてくれたせいで、巻き添えで火傷をくらった者や建物が焦げるという被害が出たのだ。
「死ぬなら一人でしてくれよ!できれば死体が出ないやつ」
「「「「それな」」」」
彼らが吐き捨てるのも、深々と同意のうなずきが戻ってくるにも理由がある。
ゲーム的解釈では、死体はR-18描写されて当然なもの。
それがされていないものは、存在すら認識しない。
また、ポリゴン化して消失するのが当然となる。だから誰も触らない。
この世界をゲームの舞台とみなすため、不整合を無視するため、そのようにプレイヤーたちの認知能力をいじったことは理解している。
だが、その結果、不都合を処理するのは彼らということになってしまったのだった。
都市に一人程度の『管理人』だけでは手が回らない。
「あれはひどかったからなぁ……」
彼らのうちの何人かは発見が遅れたせいで、ラットゥスに喰い荒らされた腐乱死体を見せられて吐いている。その後は報告書を読むだけでもげっそりしたものだ。
プレイヤーどもの意識を落とした上で単純作業を強制する命令権限を預けておいたから、処理をさせることはできたのだが。
死体のあった場所から周囲に流行病が広がったという事例もあったのだ。
「でもまあ、粉挽き小屋に手を出すやつは未遂でも密告したら報酬を出すって流したおかげで、相互監視意欲は高いみたいだぞ」
「同士討ちしてる連中がいるくらいにはな!」
「そうなんだよなぁ……」
ほくそ笑みつつ彼らは頭を抱えた。
疑心暗鬼で互いを監視しあうのはむしろ歓迎だ。
だが、予想外に戦力を自主的に消耗されてはたまらない。
「解体した軍団から冒険者にした連中がいたろ?あれを動かして静かにできねぇか」
「アルマータのことか?」
「あ、だめ。あいつらアエギスに送り込んだ」
「まじか」
通常の手段では対応しきれないのか。
ならば。
「『魔術師』、今動かせる魔術師はどれだけいる?」
「ほとんどおらんぞ」
不機嫌そうにローブ姿の男が言った。
「なんで」
「なんでも何も、お前らのせいだろうが。だいぶ手駒を使い切ったぞ、お前らの無茶振りのせいでな!」
「あー…………」
彼らはてんでに目をそらした。
他の地方にも工作要員を送り、場合によっては異世界人格の召喚と搭載のために必要な人材を確保するにも、かなりの無茶もしてきた。
単独行の多い人間に意志抑圧の魔術陣を使い、スクトゥム国内へ拉致するところまでなら、魔術師でなくてもできることだ。
なんならダークサイドプレイ気分のプレイヤーに、思考を散漫にさせる作用のある薬草を託しておけば、自発的意志でどこかへ向かうような姿を周囲に見せておいてから拉致するという小技も使ってくれる。
それなりに時間と金と人手と手間がいるとはいえ、薬草に常用性もあるせいで、情報漏洩も口止めぐらいですませることができた、の、だが。
肝心の、異世界人の人格を召喚するには複数の魔術師が必要になる。
正確に言うならば、魔術陣を起動するに足る、魔術知識と大量の魔力を持つ人間が。
だが、魔術師の身体に異世界人の人格を召喚しても、即座に使い物になるわけではない。
いきおいこの世界の人間のままの魔術師たちを使役するしかないのだが、無理に服従させようとしても、魔力暴発の危険を考えたら便利な薬草は使えない。
ただでさえ魔力を多大に消耗するような処理に加え、情報漏洩を防ぐために、定期的な人員の処分を続けたこともあり、スクトゥム本国に呼び集めた在野の魔術師は、もはやほとんど使い物にならなかった。
「補充はできるか」
「……難しいな。近隣の属州で、一番手近で使いやすかったのはリトスだぞ」
「あの仮面襲来の前あたりに徴発したのも、そろそろストックが尽きるってタイミングで次の収穫をしようかと思ってたら、あれだもんな」
そのリトスが崩れてはひとたまりもない。
かくなる上は。
「頼みの綱は、魔術学院と軍団の魔術師たちか」
「だけど使いにくいんだよなぁ、あいつら……」
複数の溜息が室内に充満した。
彼らが軍団の魔術師を温存していたのは、切り札として待機させていただけではない。
元々魔術師はプライドが高く、命令には従うがそれ以上に動くことはないという傾向がある。
それが集団となり、また組織に所属する独特のプライドで凝り固まっているのだ。ある程度の正当性を持たせていなければ、命令にも無条件に従うことはない。
しかしそれには彼らの扱いにも問題がある。
魔術師を魔術攻撃ユニット扱いで運用し、時には日本語でとはいえ、その面前で『仕えねー』などと平気で言ったりもしているのだ。
いくら理解できない言語で喋っていても、目つき、表情、しぐさ、態度から向けられた負の感情を読み取れぬほど、魔術師たちは愚かではない。
ましてや魔術師たちは放出魔力を認識できる。いくらうわべだけ取り繕ったつもりでも彼らの感情が見えるのだ。
いきおい、魔術師たちが彼らを嫌悪し、やる気もなくなる。有無を言わせず従わざるを得ない命令でもなければ、動こうという気にもなれぬというわけだ。
おまけに。
「アホどものせいもあるしな」
「ああ、あれ」
「前に苦情が上がってたっけ」
種々の事由から、ゲームプレーヤーと自己定義している者たちには女性が少ない。
そのため、女性の割合がほぼ男性と同じである魔術師たちは、それだけで目を引くのだ。
母数集団が大きければ、女性だというだけでちょっかいを出しにゆく愚か者のの数も増える。
「そういや、『なんでか嫌われてるんだけど、もまいらなんかした?』って書き込みが、アゴラにまたあったぞ」
「まじかよ『商人』」
「まじでだ『宰相』」
げんなりした空気が隠された部屋に漂った。
「『外見か、外見なのか、それとも魔術師同士じゃないとあれとかあんの?』だとさ」
「てめーらの行動がダメなのに決まってんだろうが!」
豪奢な文官の身なりをした男が、すぱーんと机を叩いた。
「いくら女が珍しいからって、目的モロ出しでせまるやつがあるか!」
豊饒神フェルタリーテの神殿を名乗る公娼窟もないわけではないのだが。
「なんでか、アホどもってば、そういうところは行かないんだよねえ」
「あ、それ、ペナルティで病気をもらうとかって設定のあるゲームの経験者がいたらしくて」
「まじか」
この世界でも、確かに病気の危険はないわけではない。ないのだが。
実際の危険より、砕かれた記憶の断片の危険の方が、強く認識されているとは。
「あー……、病気といやあ、最近なんか流行ってきているらしいじゃないか。妙な症状が山ほど聞こえてくるんだが」
咳払いすると『宰相』は話題をそらした。
「熱っぽいとかだるいってやつか。『働きたくないでござる重症化』『ゲーム内での社畜化を身体が拒否してる。正直すぎる身体』とかいう書き込みは見たぞ」
「『立ちくらみと目眩がひどくて動けないとか、さぼり野郎に言い訳されてる。仕事しろし』ってのは見たな」
「『全身が黄色信号』ってのもあったぞ」
「『腰が痛いからクエ休む』とか、パーティ組んでるやつが言ってたってのは聞いたな」
「『痒くて痒くて』って……風呂入れよ!」
「……腰痛とかはおいとくが」
魔術師姿の男がまとめにはいった。
「発熱とか倦怠感ね。それだけ聞けばただの風邪でも流行ってんのかと思うが、風邪は風邪でもインフルエンザだったってオチがありそうだからなぁ……」
「目眩とか立ちくらみってのも謎だが」
「そのへん、『吟遊』ならもうちょっとくわしい話を聞いてそうだけどな。――おい、『兵士』」
その呼びかけに、歩兵の身なりをした男は無言で視線を上げた。
「『吟遊』から話を聞いてないか?あいつならなんか噂を聞き込んでいるんじゃないか?」
通称の通り、『吟遊』は彼らの耳であり口である。噂を聞き込み流言飛語を撒く、特にスクトゥム本国内部では星屑相手の情報操作のほぼすべてを行っていたといってもいい。
「いや、どうせなら本人連れてこいよ」
「『兵士』。お前『吟遊』のねぐらを知らんか?呼んで来れないか?」
『吟遊』は放浪が常である。しかしレジナには彼の定宿にしていたところがあった。『吟遊』と比較的仲のよい『兵士』なら、知っていそうなものだ。
しかし、兵士姿の男は首を振った。
「さすがにあいつも、あの世からは戻ってこられねえよ」
一同がざわついた。
「……死んだのか。あいつ」
「ああ」
昏い目で『兵士』は頷いた。
「真っ黒に膨れ上がって死んでたよ」
「なんだ、その死に方」
「てか見たのか」
あまりの異常さに、部屋の中にいた男たちはみな息を呑んだ。
「まさか、毒でも喰らったのか……?」
「いや!だって相手は『吟遊』だぞ?」
吟遊詩人を名乗っているが、歌の腕前はそこそこ、それをあえてヘタウマに歌うのが『吟遊』のスタイルだ。
なぜなら彼を喜ぶ民衆たちも、彼の歌より噂を喜ぶものだったからだ。
店の飯より自炊、店の外で飯を食って、店のまかないすら食えないという貧乏演技もへぼっぷりの演出兼、情報拡散の手段になっていた。
そんな市井に紛れたへぼ吟遊詩人一人、高価でしかも入手経路を辿れば足のつきやすい毒で殺すというのは、割に合わない。
なんなら酔客に恨まれたというていで、いいがかりをつけでもしてそのへんの路地に引き込み、短剣の一振りにでもものを言わせればいいだけのことだ。
実際、今代の前、数人の吟遊はそういうやりかたで死んでいる。それを知っているのは彼らの中でも一人だけだったが。
「まさか、おれたちの一人ということがばれたんじゃ」
「誰に」
「戦争相手にか」
「どうやって!」
「落ち着けよ、おれたち」
ローブ姿の人物が立ち上がった。
「だけど『魔術師』!」
「だから落ち着けって。よく考えろよ。おれたちの一人ってことがばれたならどうするって?『吟遊』一人殺せばこの国は終わるのか?」
「……いや」
「そうだよな、そのせいで苦労してるんだから」
「じゃあ、あいつはなんで死んだんだ」
「わからん」
というのがローブの男の無情な答えだった。
「流行病の一つにかかったんじゃないか、とは思うが、確証なぞない」
「まあ、たしかに身体が腫れる、むくむというのも、なんかの症状らしいが。――毒なのか、病気なのかすらわからんしな」
「てか、おれたちが聞き込んできたのが、全部ひとつの病気の症状ってことはないんじゃね?」
「確かに。バリエーションありすぎ」
「じゃあ、複数の病気が同時流行してるとみて、対応を考えるべきだと」
「だな。ああそれと、『兵士』」
「なんだよ」
「『吟遊』の弔いは?」
「……埋葬の世話ぐらいはしてやったが。それがどうした」
「その金、おれも出そう」
「……」
小さな袋がじゃらりと滑り、懐にしまわれた。
「――さ、気持ち切り替えてけよ。『吟遊』がいないんなら、それだけ手が少なくなる。おれらがやりたいことをやるには、まだまだ足りないことばっかりだ!」
魔術師と呼ばれた男は、部屋の片隅にあった箱を空けた。ふわりと冷気が漂う。
「冷蔵庫かよ!」
「おう。ようやく最近になって、極低出力の凍結魔術陣が安定するようになったんでな」
箱から取り出した壺から、それぞれの杯に酒を注ぐと、つまみの皿の前にあたらしい杯を男は置いた。
「一杯は『吟遊』のために!あいつのためにもおれたちラドゥーンは足を止めない!」
「蛇にゃ足はねえけどな!」
誰かが入れた茶々に全員が同じ顔で爆笑し、そして部屋はゆるやかにもとの雰囲気へ戻っていった。




