地勢はミカタ
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
グラディウスの船を可能な限り損耗させないような立ち回りをするならば――プラス、船に残ってもらうつもりのアーノセノウスさんたちを危険から遠ざけ、二度と戦場への乱入なんてさせないようにと考えるならば――、下船組のあたしたちが先行し、船組を後衛にする必要がある。
だけど徒歩と流れに沿って下る船の移動速度を考えたら、基本的にはどうしても、徒歩の方が遅くなるんですよ。
単純計算して、船の方が倍近いスピードが出る。
下手したら脇街道あたりまで戻って、そこからレジナに向かおうとする星屑たちを船で追い抜けるレベルですよ。
もちろん、できてもやりませんが何か。挟撃されにいってどうする。
加えて、こっから先はスクトゥムの星屑たちの目を眩ませる必要がある。
このまま行けばレジナは近い。船なら五日、いや三日もしないうちにたどり着けるだろうが、無策で行けば確実に対策されるだろう。
だから、水を操る力を持つ一角獣のコールナーと、土砂のたぐいを操る力を持つ幻惑狐たちの一部が、あたしたち下船組に同行してくれるというのは僥倖だった。
幻惑狐たちもだけど、コールナーを巻き込むことには、今もってためらいが消えたわけじゃない。
それでも、幻惑狐たちはあたしを仲間だと見てくれている。コールナーも危険も顧みず、あたしとともにいることを望んでくれた。
そしてあたしも、彼らとともにいたいと願ってしまった。彼らのぬくもりを嬉しいと感じてしまった。
だから、あたしは、彼ら魔物たちをともにあり続けることを、そのために彼らの力を利用すると決めた。
あたし自身を戦略のリソースにしているのと同様に、幻惑狐たちの耳や目を借りることはこれまでもしていたが、埋葬代理を頼んだように、積極的に土砂を操る力も借りていくつもりだ。
コールナーの水を操る力もだ。
その上で、彼らから被害を出さないようなやり方をしようとあたしは心に決めている。
なお、あたしたちといっしょに船を下りたヴィーリは、だけどあたしたちに同行する気はないらしい。樹の魔物たちが気になるそうな。
……うん、まあ、そんなことだろうとは思ってましたとも。
森精は森精であり、人間同士の争いに関与することはまずない。だから、助けはあんまり期待しない方がいいということも理解はしてる。
レジナ下流域に点在するラームスたちと、他の樹の魔物を使ってレジナを取り囲むというのは、いわば巨大インフラ設備の中にWi-Fi網も敷設するようなものだろうし。
そりゃあ森精にとっては優先順位は激高ですわ。
だから、分離行動をすると伝えられた時、あたしはひどく意表を突かれたのだった。
(わたしなどが御身を案じるなど烏滸がましいだろうが、どうか気をつけて)
森精の力は樹の魔物たちの力でもある。大地を覆う彼らの力を推し量ることなどできはしない。
それでも心配は心配だ。
そう心話を伝えたところ。
「同じ風に離れた梢も揺れうる」
無理はするな、お互いに。気をつけろと言われたのだ。
これはかなりの予想外だった。グラミィも目をぱちくりしたほどだ。
そこにヴィーリは言葉をさらに加えた。心話に依存しているせいか言葉足らずな森精には、これまた珍しいことだ。
「明け方の星は消えゆくものだ。しかしわざわざ消えよとは望まぬ」
……森精としてあたしたちを積極的に使い捨てることはない、ということか。
あたしとグラミィに対するやりくちを見ればわかることだが、森精による星の保護は、確かに手厚い。
だけど、けして過保護ではない。
この世界に適応するように手は貸してくれるし、人間たちの中で暮らしていきたいと言えば協力もしてくれる。
が、むしろ基本は放任である。
そこには、森精独特の時間感覚があるのかもしれない。
落ちし星――異世界人は死ぬ。寿命の覆しようもなく死んでいく。
それは樹の魔物たちを半身とし、個体の生死を繰り返しつつも混沌録を継承する森精のあり方から見れば、いちいち惜しんではいられない、須臾に瞬き消えていく線香花火みたいなものだと思われていてもしかたはあるまい。
まあ、そこは異世界人どころかこの世界の人間だって似たようなものなのだろうけど。
だからあたしが、ヴィーリだけでなく、闇森からも相当な助力を受けているのは、かなり異例のことなんだろう。
もちろんそこには、星屑たちの存在とか、地獄門とか、果てはアルベルトゥスくんの一件も絡んでいるからこそとわかっている。
そう、助力は助力でも、監視は当然、彼ら森精たちにとってメリットがあるからこその助力なのだ。
ええ、納得してますよもちろん。友釣りの囮アユかよってツッコミはさておき。
だからこそ、ヴィーリがあたしたちの身を案じてくれたというのは、嬉しい驚きがあったのだ。
あたしとグラミィという人間に多大な好意を抱いてくれたからこそ……とまで自惚れる気にはなれないが、たとえこの世界を汚染しようとしている星屑を、自発的に排除しようとしている落ちし星というビジネスライクな価値だけでも。
まだ失いたくないと、失うには惜しいと、そう思うくらいには評価してくれてたというだけでも、十分だ。
ただ、そんな別行動に向かうヴィーリを送る間もずっと、あたしは頭蓋骨を後ろからもはもはされていたるする。
コールナーも歯を立てて囓ってるわけではないんだけども、あいかわらずシリアスがお亡くなりになりっぱなしです。いいかげん蘇生させたいんだけど。
それでも、本気で拒否する気にもなれないのは、コールナーのくちびるのあたたかさがあたしを安定させてくれているからだ。
バクが悪夢を喰うように、不安を食べてくれてるんじゃないかって思うほどだ。
たぶん、荒れた魔力を喰われているのと、スキンシップ、そして感情共有のせいだろう。
〔これから移動するってのに、いちいちいちゃいちゃしてないでくださいよ〕
グラミィがジト目で睨んできた。
いちゃいちゃしてたかな?
そう思った時、頭蓋骨に鼻息を吹き込まれた。
いや、後頭部の縫合線のあたりから眼窩へ、なんかなまあったかい風が吹き抜けるとか!新感覚すぎるんですけど!
さすがにあたしもびっくりしたが、コールナーの『声』は案外真面目だった。
(仲の良いのは嬉しいことだ)
……ああ、ほんとに、コールナーは、それだけを求めてきてくれたのだ。
(ほねのなかまならなかまー)
幻惑狐たちもコールナーをもともと知ってた個体があったので、彼の存在をわりとすんなりと受け入れてくれた。
それにはコールナーに幻惑狐たちを襲う気がないというのもあるのだろう。
いくら草食よりとはいえ、コールナーは雑食だ。
基本は虫がメインらしいのだが、肉を、つまり動物も食べられないわけではない。
だが、コールナーはあたしを慮ってくれたらしく、幻惑狐たちに、周囲を取り巻くことを泰然と許していた。
あたしたち下船組があえて船舶よりも先行すると決めたのは、船とそれに乗る人々を守るだけじゃない。アロイスも偵察能力は高いが、あたしは空を飛べる。しかも幻惑狐たちや樹の魔物たちと情報ネットワークを構築できる。
グラミィとともにいるアロイスたちと、リアルタイムで情報を共有できるというのはかなりの強みだろう。
乗船組には、アロイスから情報を取捨選択して渡してもらうつもりだ。
乗船組で地位的に最も高位なのは、アーノセノウスさんだろう。だけど正直アーノセノウスさんに指揮を任せるのって……いまいち危なっかしいんだよなあ。
あたしが槍にぐっさりやられたのも、自分が突出したせいだって落ち込んでるし。
まあたしかに、アーノセノウスさんのせいじゃないですからとは言いにくいんだけど、一から十までアーノセノウスさんのせいだってわけでもないからなぁ……。
バカ以外にも見えない脳味噌が冷えてみれば、戦場をうまく離脱できなかったのは、あたし自身の立ち回りが悪かったせいだし。
いくらウーゴを殺してしまったからとはいえ、周囲に八つ当たりをするんじゃなくて、アーノセノウスさんたちを追っかけてって、その殿を務めてたら、だいぶ話は変わってたと思う。
だがまあ、タラレバを繰り返していても現実は変わらない。
「クラウスどの。我が主より頼みがございます」
グラミィに頼んでそう声を掛けてもらうと、クラウスさんは驚いたようだった
「まだわたくしをご信頼いただけるのですか……!」
というか、信じないという選択肢がないんです。
……まあ、アーノセノウスさんに対するクラウスさんの忠誠心の篤さだけは信じられる。だから信じたいし、信じるしかないと思ってますとも。
だから、お願いがあるんです。
「でしたら、どうかご案じなさいませんように」
クラウスさんは丁重に一礼をした。
「とうに我が主のことは、何度も願われておりますので。願われるまでもないことなのですが」
確かに、『アーノセノウスさんを頼む』ってのは、何度かお願いしてたっけね。
だけど、今回のお願いは『アーノセノウスさんの身を守ってね』ってだけじゃないんだ。『アーノセノウスさんの補佐をお願いします』なんですよ。
そして、できれば、アーノセノウスさんの心も守ってあげてほしいものだ。
ないはずの後ろ髪を引かれる思いで空を飛び……、あたしはこの土地の奇妙さに気がついた。
北から南へと流れるアビエス河は蛇行を繰り返す。そのくねり具合は南下するにつれ、いっそう強くなってきていた。
だけどその蛇行っぷりに、あたしもグラミィも、前回レジナまでロリカ内海から北に遡上してきたときに気がつかなかった。
なぜかといえば、話は簡単だ。
レジナからロリカ内海まで、アビエス河の流れはさほど曲がっていなかったからだ。
そう、アビエス河は治水工事の手がかなり入れられ、半ば人工の川となっていたのだった。
――下流域だけは。
レジナからリトスに向かった時に気づけなかったことを悔やんだが、しょうがない部分もある。
あのときあたしは、まだそれほど空を飛ぶことに慣れてなかった。
というか、緊急避難でグラミィやグラディウスファーリーのクルタス王ともども断崖絶壁から飛び降りてから、積極的に空を飛ぼうとはしばらく思えなかったのだ。
単純に怖かったってのもあるが、海の旅で足並み揃えて移動するのには不向きだったということ、万が一にでも墜落で巻き添えを出したくなかったってことも大きい。
でも、だからこそ、幻惑狐三匹をおともの単独行は飛行練習にもいい機会と思ってたのだ。
もちろん墜落事故対策は万全にして。
まずは夜間の移動中、まずは地上一メートルくらいを、あたしだけ紙飛行機かハンググライダーのように滑空するところから始め、その距離と高度を数メートルから数十メートルに、そして幻惑狐たちとともに数百メートルは安定していけるようになった時、あたしはジェットフォイル方式を応用することにした。
水や空気そのものを作り出すことによって、気流や水流を生み出すのは、小回りこそきくが魔力の消耗が激しい。ということは、航続距離の長い飛行には不向きだということになる。
ならば術式としては、やや制御が難しいものの、使う魔力をけちることのできるジェットフォイル方式で、気流そのものを生み出そうとね。
技術開発は一日にならず。
何人もの人が建築に携わる大都市ですらそうなのだから、あたし一人が数日で、飛行術式の開発だけでなく、安定運用にまでもってこれたのって、かなりすごいことだと思う。
誰も褒めてくれないし、グラミィに至っては遠い目つきの『ボニーさんですからねぇ……』の一言ですませてくれるから、自分で言うけど!
……ま、まあ、結局そのせいで、アビエス河をじっくり観察してなかったとか。レジナ近郊の地勢という、軍事行動に必須な情報を入れ損ねてた、ってのは、大ポカ以外の何物でもないんですが。
だけど、今回の上空偵察で、かなりスクトゥム本国の、とりわけ帝都レジナと、その上流域の様子というのは理解できた。
空から見るとはっきりわかるのだが、蛇行の激しくなったあたりから、アビエス河流域にはあちこちに湖沼が点在していた。
最初は溜池かとも思ってたのだが、特に、蛇行カーブのきつくなった周囲に多いことを考えると、おそらくあれは三日月湖なのだろう。
むこうの世界で土木系に詳しい知人が教えてくれたことだが、三日月湖があるというのは、その河川が何度も氾濫を起こしてきたということを意味しているらしい。
つまり、河川周囲の広大な平野は、かつての川底であり、たびたび水害の被害を受けやすい場所ということになる。
都市やインフラを構築するなんて論外であり、いくら流れによって運ばれてきた栄養分で肥沃な土地だったとしても、耕作地にもむかないということだ。
放牧ぐらいはできそうだが、それも属州との境が近いとなると、いろいろ問題があるのかもしれない。
アエギスの野が街道からはずれていたのには、それなりの理由があったというわけか。
だけど、地勢がインフラを左右するならば、そして地勢がどのような意味を持つか理解できれば、やりようはある。
三日月湖の点在している場所というのは、かつて川底であったところでもある。
つまり、今の川の流れとの高低差も、さほどない場所ということになる。
そしてアビエス河に注ぐ河川は何本かあるが、分かれていく流れはない。
くわえて、下流域はインフラとしての整備がしっかりされているせいで、ほぼ直線状となっている。
水量の多い流通路、かつ排水溝というのがレジナにとってのアビエス河なのだろう。
それに対して、小高くなっている場所というのは、逆に川の流れで運ばれた土砂が堆積、隆起してできたもの、もしくは氾濫を繰り返した川の流れにも削り取られずに残った場所、ということになる。
そして、丘陵地帯の麓は集落ができやすく、丘の上というのは防御用の城が作られやすい。
平和な時期になって、丘の上では流通交通通商その他諸々の面が不便になるとようやく、丘の下、より交通の便がいい場所が栄えるようになる。らしい。
だけどその一方で、丘の上に残った古城がなくなるわけでもなく、伝統的な権威の象徴として、はたまた観光資源として改築を繰り返したりしながら維持されるのだとか。
知人の言葉がどれだけ正しいものだったのか、門外漢のあたしにはいまだによくわからない。
だけど、帝都レジナの中は、結構高低差があってでこぼこしていたのは確かだ。
丘陵を削る方が治水工事をするよりも簡単らしいってことを考えると、あのでこぼこ加減はわざと残してあると見るべきだろう。
そういえば、城壁の中には、丘陵のふちを沿うように伸びてたところがあったっけ。
相対的な高さを出すためか、その外側に深めの溝を掘ったところもあったはず。
……。
…………。
…………………。
ふむ。
あたしは幻惑狐たちとコールナーに心話を向けた。
(早速その力を借りたいことができたのだが、いいだろうか)




