予想外の来訪
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
〔おーい、ボニーさーんー!どこにいるんですかー!〕
かすかにグラミィの心話が、ラームスの欠片越しに伝わってきた。
グラミィには、なんかあっても直接あたしを探しに来るな、幻惑狐たちに伝令を頼むか、今のように樹の魔物たちに心話を中継してもらえと言っておいた。
ラームスたち樹の魔物たちは、同類がある程度近くにいれば、かなりの広範囲にわたって、情報を共有しあうことができる。
彼らの半身たる森精たちや、森精たちに樹の魔物の一部を預けられたあたしやグラミィも、その恩恵が受けられる。
彼らの情報網へのアクセス権限を得ているなら、という前提条件はあるが、樹の魔物たちのネットワークを利用して、互いの心話をかなり遠くまで届けることだってできる。
おまけに、一度ラームスたちのネットワークに乗せた心話の内容は、通常の心話が認識できるような第三者にも情報が抜かれない。らしい。
あたしは勝手に、通常の心話が肉声での会話ならば、樹の魔物越しの心話は、一部有線の無線電波での情報伝達に近いんじゃないかと考えている。
どっちも正しいかどうかなんて確認しちゃないけど。
ともあれ。
いろいろやんなきゃならないから、しばらくほっといてくれ、何事もなかったら一晩ぐらい放置ってことでよろしくと伝えてたのに、それでもグラミィが連絡を寄越してくるってことは。
何があったんだろ。
〔ヴィーリさんが来ましたー〕
……おやまあ。
ヴィーリは確か、グラミィがスクトゥム帝国領内に来るまでは、闇森にいたとか言ってなかったっけ。
それ、アルベルトゥスくんが自死に都市一つを巻き込んだような、巨大な環境破壊につながるような事象でも観測できない限り、人間同士の争いごとには首を突っ込んだりしないという、森精たちの態度表明だと思ってたんだけどな。
たしかにあたしは、さんざん星屑たちの、ひいてはスクトゥム帝国の、その黒幕らしき『運営』の存在の危険性を、森精たちに言い立ててきた。
だけど、世界の管理者を自認してる森精たちにとっては、厄介で複雑な問題でしかない。
あたしやグラミィ、落ちし星と、星屑やそれらを増やし、周囲の国々にもじわじわと星屑たちを侵食をさせていった『運営』たちとの対立。
スクトゥム帝国が水面下で行ってきた不法行為で、人的被害を受けてきたランシアインペトゥルス王国その他の国々と、スクトゥム帝国の攻防。
ぶっちゃけ、星とともに歩む者である森精たちにとって、あたしたちに同行し、この戦争の渦中に巻き込まれるメリットはほぼほぼ薄い。
それでもいいとは思ってた。
万が一にでもあたしあたりが魔喰ライ化するようなことでもあったら、人間が止めきれなかったならば。
彼らに最後の安全装置役をお願いすることも考えていたから。
だけど、この状況でわざわざヴィーリがくるというのは妙だ。
リトス崩壊についての、より詳しい分析結果でも出たのならば、船で下ってくる第何陣だかに樹の魔物の枝でも託せばいいだけのこと。
森精の方でも何かあったんだろうか。
〔えー、ボニーさーん!聞こえてたら返事くださーい!ヴィーリさん、自分はコールナーの来る先触れだって言ってます!〕
……。
…………。
…………はぁ?
さすがにあたしも呆然とした。
いやいやなんでよ。あまりにも意味不明すぎんだろうが。
あたしが今連れてる幻惑狐のフームスが、土を操る力を持つ魔物であるように、一角獣のコールナーは、水を操る魔物だ。
ただし、その力は幻惑狐とは比べものにならないほど強大だ。幻惑狐を相手にするなら個体換算ではなく、それこそ伝説レベルに巨大な群れでもなければ比較対象にはできないだろう。
そりゃまあ、そんな魔物がアビエスの流れを辿って長距離移動してくれば、森精たちもびっくりでしょうよ。ヴィーリが飛び出てくるのもわからなくもない。
だけど、コールナーにはテリトリーがある。
ランシアインペトゥルス王国の最北端、ピノース河の中流域から北のフリーギドゥム海に面した、広大な湿地帯。
コールナーが根城にしているマレアキュリス廃砦を中心としたあの湿地帯は、魔晶すら産出するほど良質な魔力だまりでもある。
つまり、他の動植物より魔力の吸収と排出を行う魔物にとって、生存競争上明け渡す気になどなれないはずの土地。
なのに、その絶好の縄張りを捨てて、数百、いや千ミーレペデースは離れたこんなところまでやってくるとか。ありえないだろうが。
それでも冗談、とか、うっそーんという返しが出ないのは、心話じゃそんなものはつけないからだ。
つまり、グラミィは、自分が真実だと思っていることを、ヴィーリから訊かされたことを、そのまんま伝えてきていることになる。
そして森精のヴィーリも、心話の性質上、基本的に嘘というものは言わない。
……いやでも、ほんとに?なんかの思い違いとかじゃなくって?
〔ともかく!聞こえてたら、戻ってきてください!〕
はいはい。
そんな切羽詰まった『声』で叫ばれたら、了解するしかないでしょが。
ああもう、もうちょっとぐらいはしんみりさせてくれたってよさそうなものだろうに。
溜息の一つや二つ、呼吸器があったらたっぷりこぼしたいところだ。
……それでも、頭部だけとはいえ、ウーゴの埋葬はすませることができた。ゲラーデのプーギオを弔うのは、シーディスパタの人たちがいるんだ。身内でもなんでもないあたしがしゃしゃり出るのは、越権行為ってやつだろうさ。
今戻るとラームス越しに返事をすると、あたしは足の骨を急がせた。
グラミィに直接追っかけてくんなと伝えたのは、ここが一戦あった直後の戦場だからだ。
できたてほやほや――というには、とうに冷え切っているが――、星屑たちの死体だの、その断片だの、ひん曲がった武器だのが、ごろごろと転がったまま。
当然、取り片付けだの埋葬だのなんてできてるわけもない。足元が悪くて危険なんてもんじゃない。
しかも、とっぷり日は暮れている。
ぴょいぴょいと難なく夜の底を走ってきた幻惑狐たちは、フームスと小さく鳴き交わすと、あたしにくっついて歩いてきてるけれども。
それでもあたしが単独行動を言い置いたのは、今のあたしには、むしろその方が都合がいいからだ。
どんな形のものがそこにあるかはわかるけれども、それが具体的には何か、細かいことまで認識せずにすむし。
もちろん、魔力知覚ができる以上、グラミィにだってあたしの真似ができなくもない。
真っ暗闇でもある程度は周囲を認識して動ける以上、魔術師ではない兵士さんより、今のこの状態で活躍できる数少ない人材とすらいえる。
だけど彼女の知覚精度はあたしより荒いし、そもそもお年寄りボディに無理はさせられない。
そうかといって、兵士にお迎えに来させようったって、安易に灯りを持って歩くわけにもいかないしね。なにその狙撃の的志望。
川岸、ちょっと平坦な場所には、船から下りた同行者たちが火をたいて野営の準備をしていた。
あれは、まだいい。
なにせ、アエギスの野は、アビエス川沿いではあるが、スクトゥム本国の主街道からは大きく離れている。
つまり、あたしたちの野営を、再度スクトゥム側が数頼みで再度襲撃しようとするならば、あたしが泥人形に星屑たちの死体と肩を組ませて追い詰め、追い出した脇街道のあたりから、もう一度侵入してくる必要があるのだろう。
もしくはアビエス川の対岸から、弓か魔術を使うか。
だけど、どちらもある程度開けた土地なので、船からの視界は確保されている。
おまけにこの暗闇で襲撃をかけようというのは、隠密行動からの不意打ちなど困難だろう。
襲撃するには、見つからないようにしつつ、最低でも矢が届くぐらいまで対象との距離を詰めなくてはならない。
が、ちょっと想像していただきたい。あちこち死者がごろごろ横たわっている真っ暗闇を移動して――それも船から視線が通る距離まできたら匍匐前進必須とか。
たとえ襲撃者が魔術師であっても、それでようやく知覚能力だけがグラミィとほぼ同等になったかならないか、ぐらいなのだよ。条件的に。
戦場になっていない対岸からの狙撃なら、野営地へ距離を詰めるのは比較的ラクだろう。
詰めるだけなら。
けれども、このあたりの川幅は、上流に比べ川幅もそれなりに広がっている。たとえ弓を撃っても届くかどうか。
あ、ついでに言うなら、火矢を打ちかけてこられても大丈夫なようにに、船隊の外側に並ぶ船は、船体が燃えぬように、みっちり防燃剤――といったらなんだが、早い話が、表面のみ無孔状態にした、内側が多孔質な石版だ――で防燃処理はばっちりですとも。
矢ですらそうなのだ。ましてやへぼい魔術師の火球など、川に落ちて流されていくだけのような気がしないでもない。
まあ、それならそれで障害物の破壊に使わせてもらうだけなんだけども。
野営地に近づくにつれ、どういうわけかどんどんと幻惑狐たちがやってきた。
ちょっと困るんだけけどなあ。
あたしは移動の間も、少しでも回復しようと魔力を周囲から吸っている。下手に足の骨周りをちょろちょろされると、うっかり君らからも吸っちゃいかねないんですが。
(すいかえす~)
きゅうと甘えた鳴き声を立てながら、人の魔力を吸うのはやめれ。
あたしゃまだお骨の修理が完全じゃないのだ。
いちおう、形だけはなんとか整えたのだが、さすがにすべての欠片を三次元ジグソーパズル完成させてる暇はなかったし、補強だって、こう、歩きながらアパタイト的な鉱物の結晶体でくるんでる感じなんですよ。
ローブにいたっては、あいかわらず大穴が開きっぱなしだ。
そりゃ自動修復機能はあるけれど、そっちに注げるほど魔力に余裕はない。
〔あー、ボニーさーん!ボニーさーん!早く戻ってきてくださーいい!コッシニアさんやあのちみっこ……パルくんでしたっけ、炎のあの子もいっしょでーす!〕
じわじわグラミィの心話が切羽詰まって、迷子のお知らせ以上の危険水域になってきているのだが……。
いったいなんでまた。
コッシニアさんも、コッシニアさんが魔術学院で庇護対象にしているパルとテネルの兄妹も、アルボーに留まってたのには、所属してる魔術学院の命令あってのことだろうに。
……まあ、同様にアルボーの警衛隊長だかやってるはずのアロイスがこんなとこまでやってきてるんだ、あり得るといえばあるのかもしれないけどさぁ。
どれもこれも意味がわからないよ!
〔いちおうトルクプッパさんが対応してくれてますー。あとアロイスもー。だけど早く戻ってきてくださーい……〕
あー……。わかったから、そろそろ実況垂れ流すのやめない?
いやほんと、ラームス越しなんて秘匿回線なみにクローズされた情報なんだろうけどさこれ。
ヴィーリあたりにはたぶん筒抜けだと思うのよ。ほんと。真面目に。
さらに足の骨を急がせて直線移動し、ようやく段丘を越えたところであたしは硬直した。
〔あ、ボニーさん!やっと戻ってきて……どうしました?〕
グラミィが話しかけてきたのにも気づかなかった。
コールナーはいた。確かにいた。
最初に出会ったときのように、満ちた蒼銀月の光を集めた細工のように美しく。
いや、その時よりも角の枝振りはいっそうどうどうと優美でありながら力強く。
だが、その枝角は、赤黒く、血の色に塗れていたのだ。
それだけならば、コールナーが戦った証だと納得もいく。
だが、血の発する魔力はコールナーの、コールナーだけのものだったのだ。
〔あの、ボニーさん?〕
あたしはずかずかとコールナーに近づいた。
寄れば、枝角を伝った血が、彼の額に、首筋に、幾筋も黒い模様を描いているのがわかった。
(コールナー。誰がお前に血を流させた!)
〔ちょ、ボニーさん!落ち着いて!〕
これが落ち着けるか!
思わずグラミィを睨み下ろした時だった。
グラミィってば、あたしの肋骨の一本をぐっと握りしめたのだ。
周囲から見えにくいよう、わざわざ腕の骨の影で。
〔いいから。ちょっと冷静になりなさいって!骨のくせに頭に血が上りすぎ!〕
実力行使で突っ込まれ、周囲を知覚すれば。
あたしたちの回りだけ、白くなっていた。
露……いや、足元は霜に近い。
〔トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯の領主館でやらかしたよりは小規模ですけど。ボニーさんがキレてどうすんですか。近所迷惑です〕
……それは、うん、ごめん。
〔ま、いいですけど。ちゃんとコールナーに話をしてくださいね!〕
……はい。
あらためてコールナーに眼窩を向ければ、思ったよりも彼の魔力は静かだった。
(久しぶりだね、コールナー。会えて嬉しいよ)
(逢いたかったぞ、骨よ。……しかしお前にもかなわぬ者がいるのだな?)
どこかからかうような心話は、グラミィとのやりとりが聞こえてたからだろうか。
(お前にも、ということは、コールナーにも叶わない相手がいるのかな?)
(…………不得手というものはある)
耳を寝かせてそっぽを向いたものの、その魔力の方向はコッシニアさんに向いていた。
いったい何をやったんだか。
ああ、いや。それよりもその血はやっぱり心配だ。
なぜか、どこにどう怪我をしているのか、魔力からはよくわからないけれども。
(先ほども訊いたが、負傷しているのだろう?その手当をさせてはくれないだろうか)
そう心話で訊くとコールナーは、ゆっくりと首をかしげた。
(この血なら、多少痒いがたいしたことはない。角を磨くと最初に流れるだけのこと)
角を磨く?
……言われてみれば、この前コールナーに会った時は、袋角のまんまだった。
だけどたしかむこうの世界でも、角の生え替わるタイプの草食獣は、食糧の増える秋が繁殖期で、テリトリーや雌を巡って争うため、その角を立木で磨いてたはず。
それにより、袋の部分――皮膚の下には血管が走っている、固い角本体を覆っている組織部分はこすり落とされるのだったか。
つまり、コールナーの流血はセルフで任意の成長痛みたいなもの、ということになる。
〔ボニーさん……〕
グラミィにまで呆れたような目を向けられたが、だって詳しく知らなかったんだよう!
魔物の生態について記された魔術学院の蔵書にまで、そんな詳しいこと書いてなかったし。
〔ま、いいです。周りにボニーさんが勘違いしてたって伝えておきますから〕
うん、よろしく。
あたしはあらためてコールナーに向き直った。
(それはすまない。コールナーが誰かに傷つけられたかと案じてしまった)
魔物は、その強大さをもって誇りとする。だから誰かに傷つけられたか案じてとはいえ、あたしの心話はけっこうアウトだ。弱いと蔑まれたととられてもおかしかないから、なのだが。
(かまわない。このままにしておいたのが悪かったな)
コールナーは周囲の水を操ると、赤黒く染まっていた角の上から自分の身にかけて流し始めた。セルフシャワーである。
あたしもそれを手伝った。自身の身体が作り出す死角まではコールナーも把握しきれない。だから顎の裏や首筋を流してやっていたのだが。
幻惑狐たちが、地面に流れた水をぺろぺろ舐めだした。どうやら血に含まれる魔力を欲しがったらしい。
( )
……って、ラームスも欲しいんかい。
しょうがないので、枝の一本を足元に挿してやる。と、みるみる枝が伸び、葉が広がるのがわかった。
夜なんだけど葉っぱが鮮緑ってどうなんだ。
まあいい。それよりなにより、ほんとに訊いておかなきゃいけないことがある。
(コールナー)
(どうした)
(なぜ、このようなところまでやってきた?)
イークト大湿原を通ってきたのなら、あそこにだってカプシカム――火蜥蜴たちの巣がある。下手をすればテリトリーを奪いに来たと勘違いされて、一大決戦勃発の危険だってあったのだ。
いや、そもそも自分のテリトリーを捨てて来るような理由がどこにあったというのだろう?
あの湿地帯には、幻惑狐たちの群れがまだいたはずだ。
彼らがコールナーのテリトリーをぶんどっていたら、湿地帯がぽこぽこ巣穴まみれになってるか、あのマレアキュリス廃砦がもふもふになっててもおかしかないだろうに。
(お前に逢いたかったからだ)
一角獣の心話は直截だった。
(また来いと言った。だができないかもしれないとお前は言った。ならばこちらからお前に逢いに行けばいい、それだけのことだ)
まさか。
それだけのことで。
本当にそれだけで、コールナーは大陸を縦断するような勢いで、こんなところまでやってきたというのか。
お骨なあたしに涙腺はない。だけど、あったらたぶん大泣きしてたと思う。
(コールナー。今、とても、お前に抱きつきたいよ)
(かまわない。こい)
グラミィがタイミング良く鎌杖を受け取ってくれたので、あたしは両腕の骨で一角獣の首を抱きしめた。
触れれば触れるほど、コールナーの心が伝わってくる。
彼が本当にあたしに会いたいという一心だけでここに来てくれたこと、あたしにまた会えたことが嬉しいと心底思ってくれていること、彼がどれだけあたしに心を傾けてくれているかが、暖かい潮流のようにあたしを浸していく。
そしてあたしは、思ったよりも凍えていたことを知った。
ぽす、と、肩胛骨に重みがかかった。コールナー自身が首を巻き付けてきてくれたのだ。
ゲラーデのプーギオを救えず、結局失ってしまった空虚も。
リトスのウーゴを自分の手の骨にかけてしまった喪失も。
リトスという都市一つを道連れにしたアルベルトゥスくんの自死がもたらした欠落も。
もちろん、そう簡単に埋まるものじゃない。むしろ埋めてはならないものだとすら思う。
だけど、コールナーの体温が、すっぽりあたしを包んでしまうほど大きく平明なその心が、じわじわと人型の孔すら満たしていくようだった。
(ありがとう、コールナー。お前が来てくれて、よかった)
(そうだろう)
コールナーの得意そうな心話に、あたしは頭蓋骨を彼の首にもたせかけた。
書いていくうちにどんどことコールナーが内面イケメンになっていく不思議。人外ヒーローに需要はありますかね?




