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閑話 それぞれの夜想

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

「シルウェステル師のご希望とはいえ、大丈夫でしょうか」


 トルクプッパが不安そうに夜闇をすかし見た。

 骸の魔術師は、死せる船乗りの言葉を伝え尽くすと、ふらりと船団の脇を離れたのだ。今しばらく伝言に思いを巡らし、野営の支度をすませるまで、歩哨の代わりをしようと言い置いて。

 しかし、突き立った槍はその身をあえて突き通すように背後から引っこ抜いてあるとは言え、いまだローブは破れ、骨は砕けた満身創痍の姿であったのだ。


「必要があればこそじゃ」


 グラミィはあえて突き放すような言い方をした。


〔あたしがこんな状態だから、不安に思う人は必ず出てくると思う。でも追ってこられてもちょっと困るんで、追っかけてくるなって、そう伝えといてくれる?〕


 そう用意周到に伝えられていたから、そのように振る舞いはするが。

 グラミィとて憂慮が晴れるわけもない。


「あの方も身の守りに幻惑狐(アパトウルペース)を連れていかれたではないか」

「いや、しかし。舌人どのはご心配なさらぬので?」

「……心配せぬはずがなかろうが」


 彩火伯(さいかはく)の従者を見る目に険があったのも無理からぬことだろう。

 心情とは裏腹の言葉を吐かねばならぬというに、わざわざ土足で踏み込んでくるような言動には、ただ腹が立つ。

 そもそも相棒(運命共同体)のあのような怪我など、無駄に突出した者がいなければ、負うこともなかったのだろうに。


「じゃが、『なさねばならぬこともある』とおっしゃられておったしの」

「とは、何を」

「『埋葬を』とのことじゃった」

「それは……」


 問うてきたアロイスのみならず、戸惑う気配がグラミィを包んだ。

 しょうことなしにグラミィは言葉を付け足した。


「……トルクプッパどのとわたくしは、もうお一方とともにあの方に従ってロリカ内海を渡り、帝都レジナまで糾問使の務めを果たしに参りました」

「それは、存じております」

「それでも、わたくしどもは、レジナよりまた再びアビエスの流れを下ってロリカ内海を渡り、ハマタ海峡近くまで帰り着いただけのこと。ですがの、あの方はさらにレジナからリトスまで潜入なさったのです」

「では。さきほどの戦場には」

「……ええ。あの方の知る辺がおられたやもしれませぬな」


 今度こそ、ほうぼうで息を呑む者がいた。


 グラミィも、まさかずっと相棒が小脇に抱えていた包みの中身が生首だとは、知らされるまで思わなかった。

 当然、知らされた時は驚いた。なんなら相棒からちょっと離れたりもした。

 だけど、そのようなことをした理由も、生首が誰かもグラミィは訊かなかった。

 計算高く、平気でえげつない真似をしでかすくせに、妙なところで情の深いところのある、あの相棒の『声』が、あそこまで沈んでいたというのは、つまり、そういうことなのだろうから。

 声なく青ざめた主従から目をそらし、老婆は暗部の男に苦笑してみせた。


「さすがに、敵勢すべてがあの方の知己ということはございませんでしたでしょうな。ですがの、あの方は懐に入れた者、近しい方の死をひどく嫌われます」


 都市一つを道連れとしたアルベルトゥスの自死はむろん、ずっとその身で庇ってきたゲラーデのプーギオの、死の顛末とその消滅も。

 そして、おそらくは己の身、もしくは身近な者の身と引き換えに、相棒がその手の骨で首を落としたのだろう、誰かの死にざまも。

 どれだけその心は抉られているのだろう。


「他にも我らがお側近くにおらぬ方がよいことというのもございますかと。――負われた怪我も早く治されたいのでしょうし」


 トルクプッパは、近くにいたグラディウスの船乗りたちが玄妙な顔になったのに気づいた。

 不審に思っていると、そのうちの一人がおそるおそる舌人の老婆へと近づいてきた。

 潮に灼け、色あせてはいるが、丈が短めのローブは魔術師のそれだ。


「グラミィさま。ぶしつけながらお尋ねいたします。――それでは、あの方は痛みをお感じになるのでしょうか?」

「なぜ、感じぬと思うのかの?」


 じろりと老婆に睨みあげられ、海の魔術師がびくりと身をすくめた。その拍子に帯代わりの腰紐にたばさんだ短めの杖が背をつついたらしく、さらに飛び上がる。

 が、グラミィは容赦しなかった。


「あの方は、たしかに血肉をお持ちではない。じゃが、だからこそ骨しか残らぬ身に受けた打撃は、いっそう重い。そうは考えられませぬかの?」


 ぼろぼろすぎていっそう死神めいたあの姿は、グラミィにも強い衝撃を与えていた。

 あの骸の魔術師が、つねに全身に結界を張っていることを知っていたからだ。


 当人は生活用品程度にセルフで防水防汚機能をつけているだけと笑っていたが、その性能は高い。いったん貼ってしまえば、当人が解除しない限り、たとえイークト大湿原に潜ろうと、星屑たちに戦場で取り囲まれようと、これまで傷どころか汚れ一つつくことはなかったのだ。

 それが、ローブはもとより、その下の、チュニックにも似たところのある服にすら、胸と背中には大穴が開いていたのだ。

 生身であれば、とうに死んでいておかしくはない負傷。どれだけの痛みがあったかは、想像もできない。

 ローブについた血の汚れは、あまりにも不吉なものに見えた。


「……では、プーギオどのの言葉を語ってくださっていた間も、もしや」

「あ」


 クルテルを始め、グラディウスの船乗りたちはさっと青ざめた。

 大怪我を負った相手に手当も許さぬまま、こちらの要求を飲ませていたのも同様の所業だったと、ようやく悟ったのだろう。


 むろん、あの骸の魔術師が何もしていなかったわけではない。そのことは相棒たるグラミィがよく知っていた。

 しかし、それは傷口に魔力を多く増やし、組織の再生速度を上げる生身の治癒とは真逆だ。

 応急処置として、折れた骨の周辺から漏れる魔力量をぎりぎりまで減らしていただけのこと。

 ただでさえ、あの戦場から帰還するために、膨大だった魔力をあらかた使い尽くしていたのだ。致命傷とまではいかないまでも、かなりの重傷だったはずだ。


 だが、それでもグラミィは制止しきれなかった。

 クルテルの要求にこたえ、亡き船乗りの死に際を語り、言葉を伝えることを優先した、あの妙にお人好しな相棒を。


「あのかたは、わしにですら弱みを見せようとはなさらぬ。――じゃが、必要以上に寄りかからんとなさるのは、やめていただきたい」


 強いから、魔術に長けているから。

 そうやって、誰もが頼れる相手と全力で寄りかかっていった結果が、相棒のあの怪我であり、この場では顕現するつもりはなかったという、プーギオの消滅だったのだ。

 

 だが、おのれの言葉が我が身も刺すのをグラミィは感じていた。

 相棒といういかにも対等そうな名目はくれているが、あの骸の魔術師が生身の自分を庇うように立ち回っていることに、気がつかぬほど鈍くはない。

 だが甘えていた。それは否定しようがない。

 相棒に寄りかかり、戦場に送り出したのは自分だ。相棒のあの怪我の責任は自分にもある。


 むろん、その一方で、骸の魔術師にも問題がないわけではないとグラミィは考えている。

 私利私欲でしか動かぬとうそぶきながら、たくらみのあくどさをわざと見せびらかし、その身を案じられるよりも、やり過ぎを心配されるように持ち込んでいったのは、相棒本人である。

 結果、大義を背負う気はないと言いながら、誰かの守ろうとするものを守ろうとし、倫理観も信念も犠牲にしながら突っ走る当人の精神が、どのような状態であるのか、気に掛けるものはいなくなった。

 皮肉なことだが、彩火伯が『シルウェステル・ランシピウス名誉導師』の真偽を疑い、相棒がその名を返上するまで。

 グラミィを含め、誰一人として。


 どこかで相棒は死にたがっているのではないかと、グラミィが疑うようになったのはいつのことだったろうか。

 死ぬ気などない、いのちたいせつといいながらも、事あらば自分の首の骨を差し出してみせるようになってからだろうか。

 いや、自身の評判すら地に落ちようと気にせず、魔喰ライになる危険も顧みず、星屑相手にモンスターデータを演じだしてからだろうか。

 死に際の望みを叶えてやった相手の扱いですら、治験こみの治療をモルモット扱いと悪くとられても、あっさり肯定して憎悪をその身に集める。


 汚れたがりの死にたがり。

 骸の魔術師にとっては、おのれの存在そのものが手近で使え、しかも使い尽くしても他人に影響のないリソースにすぎないのではないだろうかと。


青ざめた彩火伯を、アロイスはひっそりと見やった。

 手勢を引き連れて下船した経緯は報告を受けている。戦場に突入するような無謀な行動に出た理由も、ある程度は推測がつく。

 アロイスたちと同じ船団で骸の魔術師に追いついたときも、ぎこちのない謝罪は受け取られたものの、その行動の軽率さに苦言を向けられていたのを見ていたのだから。


 謝罪の受け入れも骸の魔術師の本心からではないように思えてならず、あらたな贖罪に出たのだろうが。

 かえって迷惑をかけてしまったことに罪悪感でも覚えているのであれば、今しばらくは思わぬ動きに出るような真似はすまい。

 だがどうにも気がかりなのは、そのから回りの原因だ。

 焦燥に駆られるあまり、視野が狭くなりすぎて、周囲どころか肝心かなめのシルウェステル師の心情にすら思いが至らぬためではなかろうか。

 アロイスはこっそりと溜息を押し殺した。


クルテルはしかめっ面のまま動かずにいた。

 兄貴分と慕ったゲラーデのプーギオが、なにゆえあのようなことになったのか理解はした。今際の際の言葉を届けてくれたことに礼をいうべきだともわかっている。

 だが、その身を魔術の試しに使ったということは、どうにも許せない。

 しかし試しがなければ、兄ィと最期の別れをすることはできなかった。

 けれども……。

 思いは行きつ戻りつするばかりで、クルテルは頭をかきむしった。


 ふと、柔らかい毛の感触にグラミィは目を上げた。

 肩に飛び乗ってきたのは、尻尾の色からしてターレムと相棒が名前をつけた幻惑狐だ。

 相棒に置いていかれて寂しくなったのかと、撫でてやろうとしたときだ。


 ターレムが長々と鳴いた。その声は夜闇にひどく通った。

 船団の者の目がすべてグラミィに、いやターレムに集中するほどに。


 そこに躍り出たのは幻惑狐たちだった。しかし、幻惑狐たちは、いつの間にこれほどの数に増えていたのだろうか?

 グラミィが疑問に思う間もなく、幻惑狐たちは一斉に尻尾を振った。

 

(ほねはもらうー)


「……は?」


 突然聞こえた子どものような『声』。いやその内容は。


「待て」


 グラミィは血相を変えた。

 幻惑狐たちが尻尾を振るのは、人間や動物を化かすため。

 あのくえない相棒は、心話を現実の声と誤認させ、魔術師ではない者にも『声』として聞かせるために、その能力を使わせていたはずだ。

 つまり、この『声』は、幻惑狐たちの心話そのもの。


「骨とは、あの方のことか?」

(そうー)


 ターレムがこくりと頷くしぐさをした。

 心話を使いこなせるのは、グラミィが知る限り相棒や自分自身のような落ちし星、森精たち。

 そして魔物たち。

 幻惑狐たちも個体別に見るなら最弱レベルとはいえ、魔物であることは間違いない。


 そして名誉導師の権限を思うさま濫用していたあの骸の魔術師は、王都のわずかな滞在時間を縫うように、魔術学院の蔵書を読み荒らしてはいなかったろうか?

 いくら睡眠不要の身体を活用しまくっていたからとはいえ、読破はできなかったというが、魔物についての知識もそこで得たとかいうものを、雑談代わりに聞かせられていたはずだ。


 たしか、幻惑狐の特性は。

 ――群れが大きくなればなるほどに、知能が向上するとはいっていなかったか?

 そこに思い至れば、ちみこい狐たちの群れに真顔で話しかけている、このシュールな状況に惑わされているわけにもいかない。 


「もらう、というのはどういうことじゃ?」


 つとめて冷静に問おうとしたが、グラミィの声は震えた。


(このむれが、ほねをいらないというなら)

(このむれを、ほねがいらないというなら)

(ほねをなかまにするー)

「魔物ごときがシルを仲間とほざくか!」


 真っ先に激昂したのは彩火伯だった。


「お前たちになぞ、シルを渡してたまるか!」

(それはほねがきめることー)


 幻惑狐たちがわずかに身構え、慌ててグラミィは割って入った。


「いやいや、いくつかその前に訊きたいことがある」

(なに?)


 ぴっと耳を振ったターレムに、慎重に問う。


「わしはあの方の舌人じゃ。もしあの方がおぬしらの仲間になることを選び、人の世を離れるというのなら、わしもついてゆくつもりじゃ」

「グラミィさま?!」


 トルクプッパが悲鳴のような声を上げたが、グラミィは振り返りはしなかった。それどころではなかったからだ。

 あの相棒ですら使役するのは厄介だ、いつ立場を覆されるかわからないと言っていた魔物たちに、真っ向から対立するのは悪手でしかない。

 ならば、交渉でどれだけの要求を飲ませるかだ。


「その場合、わしはおぬしらの仲間ということになるのかの?」

(……ほねのなかまならなかまー)


 グラミィは内心安堵の息を吐いた。

 ということは、幻惑狐たちはあの骸の魔術師のおまけ扱いとはいえ、グラミィをやや中立から友好よりに位置づけてくれているわけだ。

 これなら、説得がまだ効くかもしれない。


 むろん、グラミィはここまできていくつもの国を巻き込んだ争いから、あのお人好しが逃げ出すとは思っていない。

 しかし、戦後処理が終わったならば、人を遠ざけ隠遁生活をしようと考えるかもしれない、とは考えていた。

 ならば、幻惑狐たちがおともというのも悪くはない。

 だが、その前に。


「もう一つ訊ねたいのじゃが、あの方をおまえたちの群れに入れ、人から引き離そうというおぬしらの考え、あの方はどのようにお考えかの?いや、ご存じかの?」

(どーしてー?)

「おぬしらが連れていきたくても、あの方が嫌だとおっしゃったらどうする気じゃ?おぬしらが無理にでも連れていこうとでもしたら、あの方もさすがにお怒りになるじゃろうし」


 グラミィの言葉に、うろたえたように幻惑狐たちは互いの顔を見回した。

 思っても見なかったというような姿に、グラミィは溜息をついた。


「そもそも、なにゆえ、今、そのようなことを、このような手立てを使ってまでわしらに伝えた?」

(むれふえてこえとどくようになったー)

(ほねがつらそうだったからー)

(けがしてたからー)

(かんだらいつもよりおこられたー)

「って、ちょっとまてい!」


 思わずグラミィはつっこんだ。


「あの方を噛んどるのか、おぬしら。いくらなんでも、あの方の骨をおやつがわりになど囓ってはおらんじゃろうな?」

(……ごはんならいい?)

「駄目に決まっておるじゃろうが」


 そういう意味ではない。きっぱりない。噛み応えだけはありそうだが。


「そもそもおぬしら、仲間も舐めたり噛んだりしておるのか?」

(するー)


 即答されて、こめかみを揉んでいたグラミィは思わず頭を抱えた。

 いくら心話で伝わってくるのがお互いの毛繕いのさまだとしても、それを骨しかない相棒に適用するのは問題があるだろう。


「……問いを変えよう。おまえたちは、仲間が嫌がることをやるのか?」

(やんないー)

「ならば、あのかたに何かしようというのなら、その前に、必ずしてよいかどうか聞け。でないと怒られるぞ」

(わかったー)

「グラミィどの!」

「ですがしかしそれは!」


 慌てるアロイスとトルクプッパに、グラミィは岸辺から川底にまで届くかと思うほど、深い溜息をついてみせた。


「わたくしが、あのかたの決定にどうこういうことなどかないませぬ」

「まあ、それは」

「それに、あの方とて、己が身をむざと損なうような真似をそうそう許すとは思えませぬのでな」


 いくら相棒が自己犠牲に傾きやすいとはいえ、あの骨は借り物と認識していた。

 おやつ代わりに指の骨の一本や二本くれと言われても、さすがに断るだろう。きっと。たぶん。おそらく。

 そう思いながら目を向けると、幻惑狐たちは人間を見ていなかった。すべての幻惑狐たちが、空を見上げていたのだ。


「何があった?」

(もりがくるー)

「……森が来る?」


 グラディウスの船乗りたちが首を傾げる中、グラミィは立ち上がると北の空を見上げた。

 その頭上を風が吹き過ぎる。魔術師たちははっと気がついたようだった。


「これは!ここまでわざわざお越しとは。なんぞござりましたかな、星とともに歩むお方(森精)

「ただの芽吹き(先触れ)だ」


 風の流れた先から、船団の周囲を照らす灯火を淡い金髪に反射させながら近づいてきたのは、ヴィーリという名で呼んでいる森精だった。


「先触れに過ぎぬとおっしゃる?」

風は過ぎた(言ったとおり)


 その言葉とともに、幻惑狐たちがぴゃっと耳を畳み、揃って川上を警戒するさまに、人々にも動揺が広がっていった。

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