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同舟の思惑

本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 地平線の向こうに最後の日の光が隠れたのを見計らい、舳先近くに拵えた席に座ったグラミィは、静かに船を動かし始めた。

 船にはすべての幻惑狐(アパトウルペース)と、パルスリートスから来た人たち全員を乗せた。拠点はある意味放棄。

 まあ、ラームスたちが周囲に根を張っているので、放棄というより森精にしか使えない仕様に戻したというか。

 これ、さんざん議論した結果です。

 ……議論に疲れて、このまま行けるとこまでいこうぜーと脳死状態の結論を出したわけじゃないからね?


 グラディウスの船は帆船にもなるが、むこうの世界における大航海時代の船とはまるで違う。どちらかというとヴァイキングの船に近いだろうか。

 驚くほど遠距離を移動するくせに、喫水が浅いせいで、甲板の下は立って歩くこともできないほど低いのだ。船室も一層きりしかない。

 糾問使団のお仕事では驚いたものである。


 だが、喫水が浅いというのは利点でもある。

 水深があまりないイークト大湿原の南側や、アビエス川なども通ることができたのは、その構造のおかげだろう。グラミィのジェットフォイル術式のおかげも、もちろんあるのだろうけど。


 とはいえ、利点があれば欠点もある。

 その構造のせいで、じつは基本的にグラディウスの船に(かまど)はない。火の粉一つで火事発生、船火事なんて逃げ場なしの地獄だからなあ。

 糾問使団のお仕事の時、魔術で熱湯を用意できるグラミィの薬草茶がいたく喜ばれたのには、そういう理由もあったりするのだ。

 寸胴サイズな鍋やなんかかんか、多人数用の炊事道具は持って歩いてるんだけどね。船乗りさんたちも。


 調理用設備が船内に整ってなかったのは、彼らの船が基本的に岸伝いの航行をするため、ということもあるんじゃないかとあたしは見ている。

 陸の上で野営ついでに炊事をしてたとか、ありそうだよね。

 それなら食事の準備は一日一回ですむ。冷めてしまうのはしかたがないが、まとめて煮炊きしといたものを、波の揺れでこぼれないようにすればいいんだもん。

 まあ、それだけってのがめっちゃ大変なわけだけど。

 あたしたちが乗っているこの船にも食糧がほとんどないのは、道中食べ尽くしたからだけではないのだろう。


〔そればっかりじゃないんですけどね〕


 隣に座っていたあたしに、ゆったりと船を操ってるグラミィが心話で返してきた。

 まだ周囲は残照がある。肉眼でも視界があるうちは、なるべく目立たないよう、速度も抑えめでいくことになっているから余裕があるんだろうな。


〔後続で食糧とか、ある程度送ってもらえるってのはわかってたんで。パルスリートスまで人員ぎっちぎちに詰め込んできてましたから〕


 いや、それはちょっと心話で状況伝えてもらったけど。

だけどさあ。


 この船の大きさならば、だいたい三十人もいれば万全に動かせる。今いるのは四十五人ぐらいだろうか。

 だけどグラミィってば、その倍、七十人はパルスリートスまで乗せてきたとか言っていたのだ。

 船室どころか甲板までみっちみちだったんじゃないのかね、それ。

 てゆーか、今でさえかなり喫水線は下がっている。甲板からは水面は手の骨ほどの差もあるかどうか。

 下手したら沈没しかねん。


〔そこは、ほら。ジェットフォイル術式だと水面から出ますし。いちおう樹枝にもお願いしてみたら、結界張ってもらえたんで〕


 いやそりゃ確かに、術式発動してる間は船体が持ち上がるけどさあ!

 ラームスのお仲間に結界張ってもらったというのなら、普通に船体が着水してた状態でも、最低限の安全が担保できてたんだろうけどさあ……。

 そら船乗りさんたちは驚くわ。てか恐れおののいて当然だわ。

 あたしゃグラミィがジェットフォイル術式使ったのって、スピードを出すため、あと水脈とかまるっと無視して直線移動ができるからって理由だと思ってたんだけど。


 今回は、無事に移動できたんだからいい。だけどグラミィ、術式で無理矢理浮力獲得とか、ほんとにやめれ。二度と船で過積載に挑戦しなさんな。

 あんたが術式を顕界できなくなったら、そのとたんに沈没の危険が跳ね上がってたんだから。

 船が沈めば命の問題に直結するのだよ。

 てか、物置じゃないんだからさ。


〔なんですかそれ〕


 グラミィはきょとんとしたが、百人乗っても大丈夫ーって、知らんのか。

 まあいいや。

 その無茶のおかげで、パルスリートスにも、こっちにも手数が増えたことは間違いないんだから。

 城塞都市一つを四十人ちょいで抑えるというのはちょっと大変だろうが、一応、パルスリートスには、あたしもいくつか安全策はしかけておいたし。案山子程度だけど。


〔やっぱりアレやったのボニーさんですか!めっちゃ怖かったんですから!〕


 グラミィが呆れたような目を向けてきたが、彼女が怖がってくれるのならば上出来だろう。

 

 パルスリートスをランシアインペトゥルス側の根城とすべく、からっぽにした後で、あたしが気になったのは防衛面だった。

 なんせ周囲にはパルスカウテースなどの都市もある。パルスリーパなんぞは城塞都市というより城砦そのものといってもいい。

 いくらパルスリーパがイークト大湿原の魔物、カプシカムこと火蜥蜴たちへの備えだとしてもだ。そこに戦力があるということは、パルスリートスに入った後続部隊だって妨害されかねんということだ。


 それを阻止するためには?

 周囲の都市から兵力が出てこなければいい。最低限でもパルスリートスやイークト大湿原を渡る木道に、スクトゥムの軍勢が近づかないようにすればいい。


 というわけで、あたしは、逆ハーメルンの笛吹きをやらかして、すっかり住民を追い出してしまった後、彼らの住居を荒らしたりもした。衣類を無断借用するためだ。

 衣服を持って移動した先は、周囲の都市とパルスリーパをつなぐ道。……の、脇だったりする。

 そこで泥人形を何体か作って、服やら鎖帷子(くさりかたびら)やらを着せた後、あたしはそこから盛大に魔力(マナ)を吸収した。


 毎度おなじみ泥人形とはいえ、造形にはとことん手を入れたので、かなりリアルにできたと思う。兵馬俑の最上級品……とまではいかないが、まあ、ぱっと見ぎょっとされる程度にはなったんじゃないかな。

 それにいかにも重傷者が力尽きましたー、という感じにポーズを取らせて魔力を吸い上げるとどうなるか?

 岩から魔力を吸うと、表面から細かい砂状に崩れてくんですが、泥や土だとかっちかちに固まるんです。

 それを、この世界をまだゲームの中だと思い込んでいる星屑(異世界人格者)たちが見たら、何らかの特殊攻撃で石化された死体、そう思い込むんじゃないだろうかね。


〔あー……〕


 幸いなことにというべきか、前から近隣都市にもしておいた情報操作が使えそうだったしね。

 死ぬとキャラロストするらしいとか、自死を選ぶとほんとに死んでしまうらしい、その証拠がアバターの永久残存だ、などという嘘八百を、アゴラの掲示板に書き込むってやつ。


 彼ら星屑が搭載されているのは、この世界の人の身体だ。だけど死をデスペナ対象感覚で軽く見てるせいか、死に戻り気分でさくっと自殺とかするからなあ、星屑どもは。

 それをなんとかしたかったから、というのが当初の目的だったんだけど。


〔気持ちはわかりますけど!ほんと洒落になりませんからあれ!アロイスさんのお仲間さんたちも気味悪がってましたから!〕


 いかにも殺害後証拠隠滅を働きました、という風に見えるよう、中途半端に道脇の木や草の影に隠しておいたからなあ。

 そして不自然さを出すために、わざと草を踏みつけたような後をランダムに残したり、木の枝を曲げたり折ったりしておいたもんな。そりゃ暗部のみなさんならすぐ見つけるわ。

 てか、暗部のみなさんもいっしょにパルスリートスに先乗りしてきたんだ。

 やっぱりグラミィの無茶はかなりのメリットを産んだわけか。


 それはいいんだが、困ったこともある。

 食糧がない。

 住民を強制退去させたパルスリートスはまだしも、この船の食糧事情は結構深刻だ。

 

 グラディウスの船の構造からも見て取れるが、彼らは通常から、食糧をその都度現地調達してたんだろうと思う。備蓄食糧を持ち歩いてたにしても、割合としては現地調達の方がたぶん大きい。

 今回もそのつもりだったんだろうけど、そいつは無理だ。

 あてがないんですよ。食糧を売ってもらうにしても、家畜を強奪するにしてもだ。


 壊滅したリトスはともかく、周囲の集落に行けば、食糧問題はなんとかなるんじゃないかって?

 あたしとヴィーリがリトスの周囲に作った拠点というのは、滅尽しきった集落なんですよ、全部。

 なにせリトスのあおりをくらって、爆風と衝撃波で、建物だってまともな形を残してないんですから。

 家畜?たぶん生存者が逃げるときに生きてたやつは全部連れてったんじゃないかな。財産なんだし。

 備蓄されてるはずの保存食でもあさる?それだって生存者が全部持ってって当然でしょう。見つかったら奇跡だねーというレベルですよ。

 

 だからこそ、あたしたちは拠点に人を残さず、まとまって移動することにしたのだ。

 この状態では残留組にどれだけ食糧を置いてったって、食い尽くした末の餓死の危険ってのが消えない。全部残してくと言ったって、それが何人分の何日分になるのか、言うてみ?てなもんですよ。

 おまけに後続部隊だって到着はいつになるのか、どれだけ食糧を持ってくるか、まったくわかんないわけだし。来たら来たで、大人数になればそれだけ食糧は大量に必要となるわけだ。

 しかも継続的に調達しようとすれば、難易度は跳ね上がる上に、スクトゥム帝国の警戒を呼ぶ危険性も高くなる。

 万が一にでも、位置のばれた拠点で籠城なんて事態になったら、詰みですよ。詰み。


 ただ、この飢餓へのカウントダウンも、南に行けば終末時計の分針程度には逆転するんじゃないかというのが、あたしの読みだ。

 リトスを爆心地と見れば、当然アルベルトゥスくんのやらかした被害は、遠ければ遠いほど軽くなる。気候条件も、北方より南方に行けば行くほど当然良くなる。

 ということは、南方ほど農作物の収穫量も備蓄量も多くなる。スクトゥム本国、特に帝都レジナまで行けば、やたらめったら多い人口を養うためにも、流通は発達しているし、物資も豊富なはずだ。


 移動を続けてスクトゥム帝国に捕捉されにくいようにするにしても、スピクリペウス属州、特にイークト大湿原へと戻ることはおすすめできない。

 なにせトリクティム(穀物)の青刈りなんていう、肉を断たせて骨を切る、いや、味方を殺して敵を殺す、変形トロッコ問題のような所業をやらかすとか。何考えてんだか『運営』どもは。


〔推測ばっかじゃないですか〕


 それでも確実なのは、リトスの周囲じゃ食糧は手に入れられないということだ。ヴィーリの実体験ですからねこれ。

 あたしみたく、通常の食糧が不要でもなきゃ、長居なんてできないとこなんですよ。今のリトスは。

 このままとどまってたら、まず間違いなく敵と戦う前に飢餓にやられる。


 なお、ヴィーリは持参した食糧以外にも、樹の魔物たちから実をもらったりしてしのいでた。

 幻惑狐たちはこの大被害の中でもしぶとく生きてた(ラットゥス)だの虫だのを探して食べてたらしいよ?

 だけど、同じことをグラミィたちができるとは思えないんだよね。

 ……もしかして。する気ある?


〔あるわけないでしょー!冗談じゃないですよ!〕


 グラミィは震え上がった。

 だよねぇ。

 たとえ衛生的に完全管理されたもんでも、食材と認識していない生物を食べるってぇのは、すごく心理的な抵抗が強くなるもんだ。

 たしか、むこうの世界で昆虫食が注目されるようになったのだって、環境負荷的に、それまでの食物生産方法じゃやっていけなくなるって警鐘があったからだし。

 既得権益を抱え込む既存組織とか、正常性バイアスに支えられた慣習の力は強い。たとえ顕著な問題があっても、現行のやり方が押し通されやすいのはそのせいだ。

 それが打ち破られたのは、世界的傾向という圧力だろう。


 あたし?もともと伝統的な昆虫食の存在は知ってたし。それこそ世界を見れば、以前からわりと食材として一般的に使われてる地域は広い。

 無理に高くてまずいものを買おうとは思わないが、食糧の選択肢にしろと言われても、そんなに抵抗感はなかったけどなあ。


 話がずれたが、そもそも食べ物の問題以前の問題がある。

 船が一つしかない現状じゃ、下手に分離行動はできない。

 分離行動というのはその結果のメリットなり、その後の合流なりの目処がつかない限り、ただの集団解体にしかならない。敵地じゃ寡兵での行動は自殺行為ですから。


 ……しっかし、つくづく頭蓋骨が痛い。

 たった一艘の船でさえ、これほど食糧獲得に大騒ぎするのだ。

 今後、グラディウスの船でランシアインペトゥルス主体の混成軍が、数千から一万数千という人数でスクトゥム帝国に向かってくることを考えると、……あああ。

 それを養うための食糧を、いったいどこから獲得できるというのか。

 国外から食物を輸入する話ってのは、たしかクウィントゥス殿下が進めてたはずだが、ブラックホール胃袋な大軍を満足させ続けるとか。

 一年、いや半年でもずっとというのは無理だろう。

 穀物以外にも豆や根菜なんかの、日持ちする食糧の国内増産の可能性なんて話も、たしか殿下にさらっとしたことがあったよーな、ないよーな……。


〔それなら、ウィキア豆がけっこうな量ジュラニツハスタから持ち込まれたらしいですよ。幸いにも豊作だったとかで〕


 それは、ちょっと朗報だ。

 ジュラニツハスタも平地が広がる国らしいしなあ。そういうところで助けてもらえるんならありがたい。下手にスクトゥム侵攻のため協力しますとかいって、ランシアインペトゥルスへ兵力を送られるよりましだ。


〔それタクススさんも言って……あ゛〕


 どしたのグラミィ。


〔タクススさんの伝言忘れてました。『預かってたウィキア豆の蕾と結実が絶えません』ですって〕


 ――あんだって?!


 糾問使団のお仕事で海路スクトゥム帝国に向かった時のことだ。

 幻惑狐たちと出会い、魔力クレクレとねだる彼らに協力の見返りとして提供するという取り決めをしたのだが、そこでふっと疑問が湧いたのだよね。


 魔物は、普通の生物よりも魔力を多く吸収する。

 ――じゃあ、魔物じゃない、普通の生物に魔力を多く与えてみたらどうなるんだろう?

 

魔力が枯渇すれば大地は枯れ、水は凍り、火は消え、風は凪ぐ。

 では、逆に多くなればどうなるか。

 一角獣(コールナー)の庭たるマレアキュリス廃砦周辺は、魔晶(マナイト)が生じるほどの魔力だまりだ。ランシアインペトゥルス王国でも北方に位置するが、低湿地に草木は盛大に生い茂り、潤沢な水は馬たちの蹄を浸すどころか、あの地の主たるコールナーを守る霧の盾ともなって視界を閉ざした。

 魔力だまりのせいかどうかは知らないが、低湿地とそのお隣にあるアルボー、そしてベーブラの両港は凍ることもない。

 風はその霧を裂いてはまた寄せ、さすがに霧に濡れた戸外では無理だったが、乾いた廃砦の中で炎は青草すら勢いよく舐め尽くし、暖を取るには十分にすぎた。

 

 そもそも魔力の多い土地が肥沃になるという判断基準は、土地が植物で覆われるかどうかでもあったりする。

 ということは、たぶん気温に関係なく――お骨なあたしの身では、いまいち判断しきれてないが――、魔物ではない植物も、確実に魔力の影響を受けて豊作になるのだろう。

 ならば。


 ためしとばかり、あたしはウィキア豆の袋を一つ、それからずっと持ち歩いていた。魔力を注ぎ続けるためだ。

 魔力の多い土地が植物の種類を問わず繁茂、つまり個体の成長とそれぞれの種の繁栄という影響をもたらすのであれば、その形質は種子にのみ魔力を注いでも発現するのではないかと思ったからだ。

 スクトゥム帝国に入り、リトスで折り返して戻ってくる間に撒き散らしたウィキア豆は、あたしが持ち歩いていたものと、比較対象用に持ち歩かなかったものの半々だったりする。

 そしてあたしはランシアインペトゥルスに戻ってきてから、タクススさんに残りの豆を渡した。栽培実験用にだ。


 むこうの世界では、進化という概念が獲得されるまで、品種改良という概念もなかった、もしくはあまり認識されていなかった。らしい。

 万物は神の創造物である、という考え方があれば、それ以上手を加えるなんてありえないというわけだ。

 もちろん、それはそれ。経験則的に交配によっていろんな特徴が混じり合うことは知られていたのだろうし、それに選択圧をかけることで、望ましい形質を発現した子孫を増やすという手法はあったのだろう、と思う。

 だってそうでも考えないと、家畜や栽培植物の存在が説明つかないんだもん。


 だけど、掛け合わせの経験則を理解していた人たち、小作人のような農民の中に、メンデルさんのような人がいて、法則に科学的な裏付けができてたかっていうと、難しいんじゃないかなとあたしなんぞは思ってしまうわけです。

 だって、法則を証明するような交配実験をするには、手間と時間と設備投資が必要になるのだよ。

 法則が明確にすることで、好ましい形質を持つ個体を増やしやすくなる、というメリットが見えなければ、そのメリットを得られる確実性がなければ、やろうと思う人はなかなかいまい。

 というかそもそも、手間や費用を惜しまずに疑問を探求できちゃう人というのは、それだけ余裕のある人、富裕層だったり、身分のある人なんですよ。知識は高価なんです。

 あたしが思いつきを実験できたのは、単に豆を持ち歩くのが手間じゃなかったから。それだけのことだ。


けれど、まさか、花が終わらない、って、ねぇ……。


 花が咲くということは、豆が実るということだ。

 ウィキア豆の花は、通常春先に咲く。あたしがタクススさんに豆を渡したのは春も半ばを過ぎていた。

 正直、撒くのは次の季節になってからかなと思ってたんだけど、タクススさんてば、だめもとで数粒撒いたんだそうな。それは直接聞いていた。

 だけどまさかそれがえらい勢いで成長し、夏になっても、秋に入っても延々と花を咲かせ、次々に実を付けるようになってたとは。

 さすがにそんなぶっ壊れ形質、代が変わってもそのまま引き継がれるとは思えないが、食糧問題の解決策が少しは見えた……のだろうか。

 てことは、スクトゥムに撒いた豆も、なんだろうか。

 ――これなら、あの仕掛けも生きそうだ。


〔……ボニーさん、またなんか追加で企んでます?〕


 いんや?


 という会話をしていたら、後ろからひそひそと声が聞こえた。


「さすがですやね、クルテル」

「ああ。パルスリートスを出る時も、夜に船を動かすとおっしゃった時には驚いたが……よくもまあこのような早さで」

「わっしらの出番がございませんな」

「……これはシーディスパタのクルテルどの、ノワークラどの」


 グラミィが振り向けば、頭に手をやりながらノワークラさんがにっと笑った。


「や、こりゃ失礼をいたしました、ランシアインペトゥルスのお二方。船を動かすお邪魔でなければ、ちとよろしいですかぃ」


 リトスまでも夜中に動いていたとか。常識粉砕おかまいなしかい。

 なんかいろいろうちのグラミィがごめんなさい。


 ぺこりとフードをかぶったまま頭蓋骨を下げると、二人は慌てたように手を振った。が、クルテルさんは本気だが、ノワークラさんは……演技だなこれ。


「いやいや頭をお上げくださいまし、シルウェステルさま!ええ、ただお礼を申し上げたいのでして!」

「お礼ですと?」

「コバルティ海を通り抜けてこのかた、この年まで見たことも聞いたこともないことばかりでさ。たとえ海神マリアムの御慈悲で、わっしらがよぼよぼのじじいになるまで長生きし、ふがふがと歯の抜けた口で孫や曾孫や玄孫に伝えたとしても、誰も信じやせんでしょうな。その目で見ないうちは」

「そりゃそうだ。おれだって人から聞きゃあ法螺と耳の穴からほじりだすだろうよ」


 ……あー、これは長くなるやつだな。

 後ろでわざわざひそひそ話を始めたのも、グラミィかあたしからのアプローチを誘うためだったのかも。


 しかし、そろそろいい感じにあたりも暗くなってきたところだ。スピードを出したいのに、こうなんやかやと話しかけられてきては、さすがにスリングショット術式の制御は難しい。


〔どうしましょうねぇ……。外交的には、ちょっと、こう、愛想よく話につきあった方がいいんですよね?〕


 だね。

 グラミィ、あたしが船を動かそう。その代わりに喋ってくれればちょうどいい、いつものWin-Winな適材適所というやつだ。

 ただ、言葉尻を取られないよう気をつけて。


〔んじゃ、それで。お願いします〕

「何用ですかの?」

「いえ、なんでしたらシルウェステル師の無聊でもお慰めしようかと思いましたもので。ただだまーって水面をご覧になってらっしゃるのもお退屈かと」


 ……まあ、心話じゃけっこうあたしもグラミィも喋ってるんだけど。非魔術師が傍から見れば、無言で並んで座ってるだけにも見えるわなー。

しかしノワークラさんの行動がきっかけになったのか、ぞろぞろと人が近寄ってきた。


「いや、シーディスパタの。ずいぶんと楽をさせていただいているのだから、ご迷惑になるような真似はやめとけ」

「スピラテレブラの。お前さん、たしか開いた口が塞がらないとか言ってなかったか」

「おきゃがれ、クラウィケッシンゲルの。てめえなんざ、それこそぽかーんと口を開けっぱなしだったじゃねえか」

〔うわあ……〕


 国の代表というより、ベーブラ港でよく聞いた漁師のおっちゃんたちのような、ぎゃあぎゃあとした言い合いが始まった。

 グラミィが唖然としていると、その前に回ってきた一隊が丁寧な礼をしてきた。


「これはどうもご無礼を。こいつらときたら船のことしか知らん荒くれどもですんで、口の利き方もなっちゃおりません。お二方にはご不快でしょう」

「おいこら」

「フーロルセミスパタの。自分だけすましかえった面すんじゃねえよ」

「だーってら。こっちは魔術師の話を伺いたいんだ」

「魔術師の?」

「へい」


 グラミィの興味を引いたと思ったのだろう。消炭色の髪の船乗りは、じっとりとあたしたちに視線をあててきた。


「いやしかし、そちらさまのようなお力のある魔術師というのはこのかた訊いたこたぁありやせん。うちも魔術師の一人は連れてまいりましたがね。そちらさまのようなことは」


 できるかと振り向かれて、潮風に灼けたローブの人はぷるぷる首を振った。


 ……まあ、そりゃそうだよねえ。

 シーディスパタでもたしか、魔術師は確実に望む風を吹かせられる呪い師、ぐらいのイメージだったはずだ。

 彼らがいれば水には困らないし、ふだんはできない船上での炊事すら、火種を維持してもらえばできる便利屋さんという認識だったと思う。乗っけてきて当然か。

 ランシアインペトゥルスだと、水を作って小銭を稼ぐという王都魔術学院生はともかく。

 アカデミックエリートという自己認識のある魔術師たちが、そういうことをやるために、一緒に船に乗ってきてくれるかっていうと、話は別だろう。


「いや、さしたることはございませぬよ」

「それはそれは」


 フーロルセミスパタの目がじんわりと細まった。


「イークト大湿原を飛ぶように渡られた時も驚きましたが、このような川幅でよく劣らぬほどの速さを出され、しかも我らのような者の相手もなされてなお、さしたる負担ではないと。素晴らしいお手並みですな」


〔と言われても。ボニーさん、まだそんなに飛ばしてませんよね?あたしが帝都レジナから下ったときは、もっとスピード出してましたし〕


 あのときは、明るくなってから動かしてたしね。

 だけど、これより速度出してたって?


 グラミィの考案したこのスリングショット術式、周囲の岸壁に結界で作った爪を食い込ませておいて、そこから船までの結界を縮めることで進めるものだ。

 川を下る時には流れも加わって、意味がわからんほどのスピードが出ることは知ってたけど。

 ジェットフォイル方式とほぼ同等の速さというなら、時速八十kmぐらいは出ていて当然だろう。あの航行方法をとるにはスピードが必要だから。

 で、それより早いって。時速九十kmとかそんなくらいだろうか。

 よくまあ衝突事故を起こさなかったものだ。

 夜間に遡上したときも、結構な船が川幅を広げて船着き場にしたような岸縁につけてあったのを見たんだが。


〔そこはあたしも心配だったんで、川の真ん中を飛ばしました〕


 なるほど。

 川を行く船にも航行規則ってのがじつはちゃんと定められていて、遡上する船と下る船がすれ違えるようになっている。その真ん中をいったのなら、まあ、わからなくもない。

 遡上する船は川岸すれすれに航行することが多い。風を利用できない場合は船を牛や人に引き上げてもらう必要があるからだ。

 そのためにも、遡上側の川岸には、わりとしっかりした道がつけられていたりする。


「正直、魔術師たあ便利は便利とは思っておりましたがね。結句物を言うのは船乗りの腕と信じておりましたが、それすら揺らぎそうですわ。うちにも、お力添えがいただきたいほどだ」

「いやいや、それをいうならシーディスパタにも」

「いやいやいや、グラディウスファーリーにぜひとも」

「いやいやいやいや」

「いやいやいやいやいやいや」


 グラディウスの皆さんが、互いに向ける口元は笑っている。笑いじわも目元にはある。しかしその目の光といったら刃と同じくらい鋭く、温度のないもので。


〔ぼ、ボニーさーん……〕


 ……グラミィが心話で泣きついてくるのも、しょうがないか。

 

 あたしは溜息をつきたい気分で減速した。

 目的地の一つが近づいていたのは、ちょうどいい偶然だった。

 じゃあ、ちゃんとこう言いなさいよグラミィ。迫力に飲まれてんじゃないの。


「『でしたら、まずは我々ランシアインペトゥルスの求めるところをお見せいただきたいものでございます。――他国とはいえ無辜(むこ)の民草をしいたげようとは思いませぬが、時によっては多少手荒なこともいたさねばなりますまい。ご助力を願えますかな?』」

「――否とは申せませんなあ」


 海賊じみた凶悪な笑みを浮かべると、海の男たちはさりげなく臨戦態勢を整え始めた。


 糾問使としてあたしたちがレジナに突入した、その後のことだ。

 一人リトスへ向かう途中、偽装と、あと情報収集のために、あたしはときどき徒歩での移動を選んだ。

 で、一人の旅人って狙われやすいんですよ。盗賊に。

 当然しばき倒したけどね!幻惑狐たちの協力もあったけど!


 しばいたといっても、あたしはふん縛った盗賊どもをスクトゥムの法で裁いてもらうため、わざわざどこぞの街まで引きずってって、衛兵たちにでも突き出したわけじゃない。

 なにせこちとら身分詐称で先を急ぐ身。降りかかった火の粉を払っただけなんで、わざわざ消火器を自腹で買い込んできて、設置するような真似なんざしてられません。


 公権力の裁きに委ねず私裁したというなら、そのとおり。

 ただし、あたしは誰一人命は取ってない。

 代わりにあたしは彼らの武器を全部剥ぎ取った。金目のものも奪った。盗賊たちがあたしにやろうとしたことを、そっくりお返しした格好だ。

 なお未遂だったので、倍返しではなく一倍返しである。

 甘いかもしれないが、それでも人殺しはやりたくなかったというのが本音だ。


 その際互いを絶世の美女に見えるよう、幻惑狐たちに化かしてもらったのは、剥ぎ取りの効率化と彼らの心を折るためだったりする。

 盗賊どもがとっても積極的になってくれたおかげで、剥ぎ取り自体はえらい短時間で済んだのだが。


 武器は重い。硬貨も重い。剥ぎ取り品を全部持ち歩けるわけがないんですよ。

 というか、下手に持っててたら、今度は逆にあたしが盗賊と間違えられかねん。


 そこであたしは目に付かないところに穴を作り、中に石を箱状に顕界して奪ったものを放り込んでおいたのだ。

 今回の目的地はその一つ。ねぐらの場所も抑えた上に、どっちにもラームスを植えておいたから、目印はばっちりである。


 拠点はもちろん、通貨の確保も重要だ。

 スクトゥム国内では、現在ネィという単位の通貨が流通している。いいや、他国の貨幣も、ネィの前に使われていたスクトゥム帝国の貨幣も使えなくはない。使った人間の素性がばれるけど。

 ここまで姿を隠してきてるってのに、こんな内陸で突然ランシアインペトゥルスやグラディウスファーリーの通貨が見つかってごらんな。明らかに怪しまれるでしょうよ。


 ついでに、船乗りさんたちという戦力があるのだ。盗賊たちの心が本当に折れたかどうかも確認しておこうというわけ。

 ねぐらがうち捨てられていればよし、足を洗ったということで、それ以上関与しようとは思わない。

 だけど彼らが、さらに盗賊稼業に精をだしてたなら?

 ――今度こそ納めてもらおうじゃないですか。年貢ってやつを。

 そいつが一度は見逃した、あたしのできる範囲での後始末、ということになるのだろう。

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