分かれ道、迷い森
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
あたしがグラミィたちを船で運んだのは、リトスのちょっと上流、最寄りの拠点の一つの近くの岸だった。
拠点は集落だ。リトスからは林の影に隠れるポジションにある。そのおかげだろう、至近距離にも関わらず、偶然にも被害軽微ですんだところだ。
といっても、リトス側の林端などはひどいありさまだ。
木々は根元から折れ、その根すら巻き上げられて林につっこみ、逆しまにひっかかった有様は、まるでぼろぼろのハリネズミがまるまっているようだった。
石造りの建物が残っているとはいえ、集落も石垣は崩れ、見た目は廃墟に近い。
そりゃまあ、グラディウスの人たちも、『ここが御座所ってまぢですか?』ってな顔にもなるよねえ。
もともと彼らのリアクションは、たいがい素直で大きめだ。ランシアインペトゥルスのお貴族さまや外交関係の文官みたいに、表情の抑制訓練を、典礼とか教養の習得って名目で受けてないからだろう。
それでもぴょいぴょいと飛び降りる幻惑狐たちを追うように、船乗りのみなさんはおとなしく上陸すると、手分けして船を岸へと寄せた。
ついでとばかりに手近に積んであった倒木の枝――あんまりにもひどい状況だったから、少しはあたしも片付けといたんだよね――で覆ったのは、一応目隠しって意味だろう。
林の中へ入ったとたん、彼らはすごい早さで周囲を見回した。
空気が違うことに気がついたのか。
リトスでアルベルトゥスくんのやらかした余波は、木々がなぎ倒されただけじゃない。この一帯全体の魔力が相当濃くなっていたのだ。
もちろん、リトス内部のように、魔力だまりになりそうな濃厚っぷりというわけではなかったし、今となってはあたしがヴィーリといっしょにたっぷり植えまくったラームスたち、樹の魔物もいる。
林の内外を問わず、大気中の魔力はとっくに通常レベルに戻っている。おまけに樹の魔物たちに、アルベルトゥスくんの結晶が飛んでいるかもという懸念を伝えたら、彼らが風を魔術で起こして集め、片っ端からあっさり吸収しまくってるのだ。
この林の中は、ただでさえ清浄な場になっている。
おまけに、ヴィーリはここに迷い森を構築してったあげく、その権限の一部をあたしに与えてってくれたのだ。
そのおかげで、遠くからだと見通しもよく、一見何の変哲もない、ただの里林にしか見えないここは、不落の堅城も同然だ。
〔倒木や廃墟状態の集落しか見えなかったのに?〕
ああ、それはぶっちゃけ偽装に近い。
一歩足を踏み入れたなら、あたしが同道でもしてない限り、ひたすら迷った挙げ句外に出ることしかできず、集落にまで近づくこともできないだろう。
なにより、中に人がいても、外からじゃ見えないんですよ。あたしも幻惑狐たちに目を借りて確かめたことだ。
もちろん、森精でもないあたしじゃ、こんな超高性能な迷い森など、さすがに構築できない。樹の魔物たちに構築してくれとも頼めない。
できるのは、迷い森の中で樹の魔物たちに触れた人たちが、星屑たちを搭載されていないか、魔術陣の識別をしてもらうよう、ラームスたちにお願いするくらいなものですよ。
なお労使交渉は、つねに労働主体であるラームスたちに、あたしが負けてます。
が、負けてもここは引き受けてもらうべきなのだ。
うっかりこの拠点の中で自害でもされ、地獄門を開かれたら、たまったもんじゃない。
対処法は複数用意して、獅子身中の虫の退治も徹底的にしとくべきだろう。
〔とこっとん人を信じてないんですね、ボニーさんてば〕
心話で質問に答えたげてたグラミィにはくさされたが、これは信じる信じないの問題じゃない。あるかないかもわからないが、ありうる可能性のうち、自分に不都合なものは潰し、都合良く使えるものもコントロール下に置くことが大事なのだ。
……まあ、そのせいで、ここは、『あたしとヴィーリのかんがえた、つかいがってのいいさいきょうあんぜんしぇるたー』になったわけだが。
そう、ここはあたしたちが周囲を制圧するための陣地じゃない。あくまでも、少数精鋭が身を潜め、安全に休息がとれる場所として設定した場所なんである。
なにせこの迷い森、空間を歪めて閉ざすという超絶能力もヴィーリが発動してたりするのだが。
その最初の理由ってのが、風や雨に当たりたくないから、というものだったのだ。
ちょっと……いや、だいぶおかしい。主にスケールが。
いや、理屈はわかるんだけどね?
アルベルトゥスくんの結晶がリトスから周囲に風で運ばれてるんだとしたら、それが入らない場所、触れていたものも排除できる、クリーンルーム的な場所は必要だろう。
なにせ結晶が大気中の塵といっしょに雨粒の芯にでもなってごらんな。魔力吸って雨粒が氷の粒にでも化けかねんのだ。そんなもんが振ってきたら、当然痛いし寒い。
でもさー、それなら結界自分に張っときゃいいじゃん。
そう思って伝えたら、ずっと張り続けてるわけにはいかないと言われて、なんかこう、人間と森精の思考のギャップをあらためて感じた気がしたよ。
〔そりゃボニーさんぐらいだからでしょ、ずっと全身に結界張りっぱなしなんて芸当してんのは〕
あきれたようにグラミィがつっこんできた。
〔生身なら呼吸する必要があるんですー。でも結界に穴を開けといたら、結界の意味が落ちるし、なにより煽られるんですよ、風に!〕
えー。
身体に密着させてたら大丈夫だと思うけど?
〔スーツアーマー着ろってのといっしょですよねそれ。警察官の防護盾みたいな、強化アクリルとかポリカーボネイト製の。いくら透明で、しかも重量ゼロでも、生身なら汗かきますし、湿気も籠もる。なによりずっと顕界し続けるとか。集中力的にも魔力的にももちませんから!〕
あ。そうか。汗は盲点になってた。
〔ボニーさんの身体じゃ、かきませんもんね。汗。――それはともかく〕
集落の中でも、一番大きな建物――おそらくは集落の聖堂兼作業小屋だったのだろう。収穫などの共同作業に都合がいいせいか、豊饒神フェルタリーテを中心に祀られた聖堂は、村や集落では納屋が併設され、巨大なスペースを確保された作業小屋になっている――に、船の一同に入ってもらうと、グラミィは咳払いをした。
〔そんじゃ、お仕事してください、ボニーさん。でないとどんどんボニーさんが言ったことにして嘘つきますからあたし〕
さすがにそれは困る。
あたしは彼らに向き直ると、礼を――いつもの魔術師の礼ではなく、貴族としての礼をした。
ここは、一斥候魔術師として立つべき場ではない。シルウェステル・ランシピウス、ルーチェットピラ魔術伯家が一門、彩火伯の弟、そしてランシアインペトゥルスの魔術学院が名誉導師として、背負える限りの肩書きを雄孔雀の羽根のように、盛大におっぴろげて立つべき場だ。
正直、クランクさんやエミサリウスさんのような外交関係に強い人間が、この場に、ランシアインペトゥルス側にいないのが痛い。痛くて、怖い。
だけど、やらねばならぬのならば、せいぜい徹底したろうじゃないの?
「『まずは改めて海の上をおいでなされたみなさまに感謝を。――わたくしの名は、シルウェステル・ランシピウス。かつてスクトゥム帝国への糾問使として、グラディウスの海を抜け、ハマタ海峡よりロリカ内海へ、そして帝都レジナへと赴いた者の一人にございます。シーディスパタやグラディウスファーリーの方には、アルガに同行を命じた者と申し上げた方が、ご納得いただけるやもしれませぬが』」
外部は廃墟にしか見えないよう、注意して内部を綺麗に整えたとはいえ、もとが作業場だ。ろくな椅子などない。
壁際にあった低い棚のような長椅子を選んだ人、手近にあった切り株製腰掛けや瓦礫を引き寄せ座る面々に、あたしはぐるりと見渡す仕草をした。
グラミィからは、むりくり定員五十人くらいの船に、七十人ぐらい詰めてイークト大湿原を爆走したと訊いている。
ラッシュアワーの乗車率と船の定員はちゃうねんで。なんつー無茶をしでかすかね。
そりゃジェットフォイル術式だと船体は水から出るから、多少溢れそうになっててもいけると思ったのかもしれないが。よく船がもったもんだ。
そのうち三十人ぐらい、ランシアインペトゥルスの手勢をパルスリートスに置いてきたので、残りはグラィウスの船団の構成を反映しているらしい。
船団は四割くらいがグラディウスファーリーの、三割五分くらいがシーディテスパタの、そして残りの二割五分くらいがスピラテレブラ、カエデーンスマカイラ、クラウィケッシンゲルといった、スクトゥムにほど近い小国群、もしくはタルバオセダックス、フーロルセミスパタといった、比較的大きな国だがグラディウスファーリーからは沖合にあり、またスクトゥムからも離れた島々にあるせいで、その脅威もあんまり感じてないらしい国々の連合状態、なんだとか。
おかげで第一陣の顔ぶれも、総勢四十人程度とはいえなかなかの混成具合である。
多少は宮廷の風を浴びたことがありそうな、グラディウスファーリーの人々。
うっすら放出魔力に見覚えがあると思ったら、アルガをあたしたちの目の前で暗殺しようとしてくれた仮称昆布巻きちゃんまでいるじゃないか。黒マントぐるぐる巻きではないけれども。
……しかし、グラディウスファーリーも国の暗部、しかもその中核であるミセリコルデの人員を送り込んでくるとは……。
なかなかクルタス王も張り込んでくれたようだ。だがこいつはいろいろな意味でありがたい。
クルテルさんとノワークラさんをはじめ、シーディスパタの権力者たちである、船主に連なる人々。
貿易商人というより、かなり海賊よりだろうと思わせるような、いい面構えの人たちに交じり、やる気のなさげな、朴訥な漁師にしか見えない人がごたまぜになっているのは――海軍なんて言えるほど組織化されてないのだろう――なるほど、連合組ってことか。
「『では、まずは廃墟となったリトス、そしてその南方の地について説明をいたしましょう』」
毎度おなじみ砂模型であたしは床に地勢図を顕界した。
〔テーブルがあるんですから、その上でやればいいじゃないですか……〕
作業台のこと?小さすぎます。
リトスは平地に築かれた都市だ。
その立地を見るに、おそらくは戦争のための城砦ではなく、平和な状況下での利便性を取った交通の要衝として発展を遂げた都市だったのだろう。
アスピス属州の要となってからか、その前の王国時代のことかはわからない。だが長い年月にわたり、戦乱のない時代が続いたことは、おそらく確かだ。
そうでもなければ、あれほどの文化と知識の蓄積はなかったはずだ。『魔術師と賢者の都市』と呼ばれるほどに、智を売りにすることができるような発展の形はしなかっただろう。
が、それも今は昔。すでに瓦礫と失われた価値は置いておこう。
問題は、リトスが平地の中央部に築かれた都市――つまり、リトスの周囲は半径数十㎞、いや百㎞以上にわたって、平坦な土地が続いている、ということだ。
平坦ということは、人間の移動って隠せないんですよ。
結論。あたしたちが帝都レジナに向かえば、必ずばれる。陸路はもちろん、アビエス川を使っての水路でもだ。
説明をすると、グラディウス地方の船人たちは、てんでに眉根を寄せて固まってしまった。
グラディウス地方の人は、そもそも移動を隠そうという概念があまりない。
なにせ、海の上では視界の限り隠れるもんなんてないものなー。
とはいえ、それによって戦闘が不利になるということが理解できないわけじゃない。
〔空路……は、だめですよねえ?〕
グラミィが聞いてきたが、駄目すぎるでしょ。
空飛んでるってばれたら、偵察にすら二度と使えなくなると思っといた方がいいだろう。
あたしゃイヤですよ。撃墜されるのは。
〔夜でも無理ですか?〕
……ヲイ。現実見てくれグラミィ。
いやそりゃね、ばれないように飛ぶなら夜間飛行一択でしょうよ。それは確かだ。
だけど、そもそもあたしが空飛ぶための術式は、鳥や蜻蛉の模倣であって、ジェット機とかヘリほどの出力はないのだ。つまり重量制限がございます。
それも実用性を考えたら、一回に運べるのは一人ぐらいなものだろう。
つまり、全員をあたしが輸送しようというのなら、その都度四十回は往復を繰り返す必要がある。
魔力的にもまず持たんわ。
しかも、あたしが輸送中は、彼らをごくごく少人数で敵地に待機させてなきゃいけないわけですよ?敵ならまだしも、味方を分断させてどうするよ。
グラディウス地方の人たちは――かなりの凄腕ばかりのようだが、それは船乗りとしてなのだ。斥候として、隠密技術を身につけてるってことじゃない。
ずーっと身を隠していられるか、っていうと、まず無理がある。
うっかり見つかりでもしたら少数撃破(受動態)ですよ。
ただでさえこちらは少数なのだ。精鋭ではあっても、いやだからこそ無駄な損耗など出してはいられない。
全員生かしてグラディウスの海まで戻してやるのが、曲がりなりにもこんな突撃かましてるあたしの責任ってやつだろう。
そもそも、人間だけ運べても意味がないのだ。
輸送力云々って問題だけじゃない。船は彼らの持ち物なのよ?
シーディスパタの権力者が船主と名乗るように、彼らにとっては船が領土であり、城でもあると考えるべきだろう。
それを捨てろだなんて言ってみろ、猛反発必至ですよ。
ついでに言うなら、船まで空飛んで運べって言われたら、あたしゃ無理とノータイムで答えると言っておこう。
きっちり反論して返すと、グラミィはほんのり固まった。だけど戦力なんてのは、増えれば増えるほど足が重くなるもんなのだ。
だからこそ、あたしも無理してほぼ単独に近い擬似的電撃戦なぞ計画したわけなんだが。
それもいよいよ手詰まりに近い。
限界ギリギリまで敵地を切り込むのは、実質あたし一人――ヴィーリは森精サイドの監視役だ――ということで、ここまでやってきたが、それは隙間の多い積石に錐や千枚通しを突き込んだようなものだ。圧倒的少数であれば、敵の間をすり抜けるのもたやすいからこそできたことだろう。
結果、現在までのところ、あたし個人がこのリトスへの侵攻で帝国に与えた損害は――特に人的なものに絞れば――皆無に近いもんなあ。
それは無駄な殺しは避けたい以上、ある意味あたしの理想どおりではある。
だけど、今後スクトゥム帝国の皇帝を、そして『運営』をなんとかし、ガワにされた人を星屑たちから解放するためには、あたしではどうすることもできないことも多すぎる。
制圧も、交渉も、戦後処理もだ。
〔制圧はなんとかできる気がするんですけどねぇ。びびらしといて『動くな』とか、ボニーさんよくやってるじゃないですか〕
制圧違う。あれは恐喝。
〔って、余計タチが悪いじゃないですかーっ!〕
あー……、話はずれたが、グラミィが運んできたこの船の人々を、さらに言うなら後続部隊をどう扱うか、よく考えるべきだろう。
どれだけ他国を抱き込んでも、スクトゥム帝国相手じゃ多勢に無勢に近いのよ。
むしろ、中途半端な数しかいなければ、あたしやヴィーリだけなら切り抜けられる局面でも、逆に死地となりかねん。
人数が多いということは、一度物資の需要と供給のバランスが崩れると、被害がひどくなるということでもあるのだ。
あれこれ考え合わせた上で、もっとも現実的なのが、このまま船でアビエス川を下るという方法だろうとあたしは考えている。
移動ルートや位置が早晩ばれるのは、覚悟の上で。
理由は簡単、船でアビエス川を下っていくというのは、非魔術師のとれる交通手段としては最速に近いからだ。
おまけに、幸いにも帝都レジナはリトスの下流に位置する。
川の流れに沿ってならば、ジェットフォイル術式を使うまでもなく、グラミィのスリングショット術式でも十分速度は出る。ドリフトかましてでもすっとばせば、たぶんこの世界では文字通り異次元の速度で駆け抜けることができるだろう。
侵攻はともかく、第一陣ご一行様一艘ぶんだけに限れば、脳死で大軍相手に突破を試みても、成功可能性はかなり高いと思う速度ですよ。
オプションとしては周囲の偵察ってことで、斥候を送り出すかどうかだろう。
だが、その後をどうするか。
グラミィも迷ったように、イークト大湿原からリトスあたりまでは、少々わかりにくい。
水脈の情報も皆無となると、後発部隊も迷いそうなんだよなぁ。
〔一応、タクススさんから預かった目印は途中に投げてきたんですけどね。蒼銀月茸っていう、暗くなると光るけれど一晩で溶けちゃうってキノコを使ってあるとかで、夜に光るんです〕
グラミィが見せてくれたのは、乾燥した土の玉だった。
〔普通の塗料なら雨で流れちゃいますけど、これなら雨が降るといっそう強く光るとかで〕
なるほどねぇ。さすが毒薬師。
寄ってきたターレムが、ずっとひこひこ匂いを嗅いでいるところを見ると、幻惑狐たちが嗅ぎ分けることもできそうだ。
だけど戦争は、一度始めてしまえば、終わらせるまで他と食い合い続けるウロボロスのようなものだ。敵どころか味方であっても、自分の利につながるとなれば食い物にする。
人が利己主義をむき出しにするのは、危機に生存本能を刺激されての一時の狂奔ゆえか、それとも同調圧力やら教養やらで、人格の内に外に形作られた道徳理念というやつが、あまりにも脆弱にすぎたせいか。
いずれにせよ、始めることは銃声一発や噂の一つでもできるくせに、終わらせようとすると難しいというのも戦争の特徴だろう。
それでも、うまく丸く収めることより、力尽くの無理矢理で収める方が、まだ難易度が低い。
平和を希求する人々の心ではなく、ただ戦いそのものがもたらした消耗疲弊のせいでも鎮められるというのなら、そっちの手段を執ることも計算に入れるべきなのだろう。
そもそもが『きちんとした』『名誉ある戦い』なんて贅沢嗜好品は、たいていの戦場で味わう余裕のないものなのだ。
――それに、どうせあたしの手の骨は、とうに血まみれだ。あくまでも修辞学的にだが。今のところは。




