骸骨は死都で悩む
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
ヴィーリが闇森に発つのを見送ると、あたしは拠点に帰るのを止めた。
その代わりにどこで何をしているのかというと、夜となく昼となく、崩壊したリトスの内部を歩き回っていたりする。
もともと拠点というのは、見つかりにくいからこそ安全性の高い、生身のヴィーリのための休憩場所という意味合いが強いものだった。だけどあたしは眠らない。必然的に無警戒にならざるをえない状態になど、ほとんどならないはず。
だったら、濃い魔力の立ちこめるリトスを歩き回っている方が、ただひっそりと隠れているよりも、はるかに回復する。
一応、いろいろな目的もあってのことだから、ただの徘徊ではない。
だけど、問答無用に崩れ落ちたとはいえ、瓦礫がわずかにとどめている街の面影というのは、思い出を勝手に引きずり出してくるものだ。
ここは、近隣の村から運ばれた野菜や果物で溢れていた市場があった場所。
ここは、夜な夜な下水道伝いに忍び込んだ、図書館。
ここは、いつもあたしがパンを買った店。
ここは、掲示板に日本語がびっしりと書き連ねられていた広場。
時々瓦礫に火を放ちながら歩き回るほどに、あたしのどこかが死滅していくのをひんやりと感じる。
偵察のため、あたしがリトスにいたのは十日にも満たない、ごくごく短期間のことだ。
だのに、果物売りのエレくんのように名前程度しか知らない人々が、通りでふとすれ違ったはずの名すら知らない人たちが、もう、このリトスには誰もいないということを。
リトスがもはや理知的な雰囲気の『賢者と魔術師の都市』ではないことを思い知らされるたびに、ざりざりとおのれが内側から削り取られていくような、なんともいえない心許なさと寂寥感をかきたてられる。
いつも騙っているシルウェステル・ランシピウス名誉導師の名の上に、さらに狐使いのナイガというカバーストーリーをでっちあげてたのだから、リトスにいた間のあたしは、まるっきり嘘のかたまりだったのに。
絡まれたり、殺されかけたりしたこともあったとはいえ、アルベルトゥスくんほどにも関わりを持った人間など、一人もいなかった、はずなのに。
(ほねー)
つい物思いにふけっていたあたしの肋骨を、つんと幻惑狐のフームスが鼻先で突っついてきた。
あたしとヴィーリで運んできた幻惑狐の半分近くは、メリリーニャの森の中へ置いてきた。
万が一、あたしたちがスクトゥム帝国の軍と行き違うか、見過ごして通過を許してしてきまっていたとしても、メリリーニャならば、幻惑狐たちをうまく使って、侵攻をクラーワの手前で止めてくれるだろう。
リトスまで運んできた幻惑狐たちのうち、数匹は闇森へと発ったヴィーリが連れて行った。
あたしに置いていってくれたのは、フームスを含む九匹。
それをあたしは四匹ずつリトスの内外に配置した。樹の魔物たちで囲んだリトスの内外に、どのような違いが生じるか確認するのは、ヴィーリに頼まれた事でもある。
(そとでるー)
わかった、いっといで。
懐からぴょいと飛び降りたフームスが、二本のふわもこ尻尾をゆらして走って行くのを見送ると、あたしはさらに瓦礫の奥へと歩み入った。
幻惑狐たちは、ちょくちょく出たり入ったりを繰り返したがるので、配置も交代制だったりする。
どうやら今のリトスは、魔物である彼らにとっても魔力量が多すぎる場所らしい。
魔力だまりのように、多量に魔力が存在する場所にいるのは、あたしや魔術師、魔物たちにとっては、自身の魔力を補給回復するのにとても都合がいいものだ。
だが、濃厚な魔力に触れるというのは、放出魔力の強い魔物や魔術師に意識を向けられている状態に近い。だから魔力が溢れた場所にいるのは、四方八方から凝視を浴びたり、威圧されたりしているのとほとんど同じような感覚になる。
圧迫感を覚え続けるのは、なかなかに気がやすまらないものだ。不安定なものならなおさらだ。
それでも、あたし自身はリトスから出る気はなかった。
かつて、リトスの街並みは、幾重にも重なった偏心楕円のようなかたちをしていた。アビエス上流側に第一層が寄ってはいたが、それでも城壁と通りが規則正しく何重もの楕円と、それを貫く何本もの直線のように構築されていたのを覚えている。
その間を細い路地や小路が張り巡らされていたので、あたしは何度も蜘蛛の巣を想像したものだ。
いや、碁盤の目のように整備された平安京の図面を、メルカトル図法から360度円形に書き直したようなものだと考えると、あたしがさんざん迷いまくったのも当然かもしれない。
あたしの目的地はリトスの中でも中心部に近い、第三層にあった。崩れた城壁を越えたところに広がるのは、おそらく魔術学院の敷地だった場所なのだろう。
なんで推量形なのかというと、周囲一帯がかなり広く、更地に近い状態になっているからだったりする。
あたしは文系なので、詳しいことはよくわからない。
けれど、あの爆発で生じた巨大雲を思えば、このリトス崩壊をもたらしたのは、相当な威力の爆風と爆炎を伴う何かの爆発だったのだろうと想像はつく。
それも、一番外の第一層を囲む城壁――一部はだるま落としのように下の方が砕かれて、背が低くなっていた――や、最奥部たる第四層の聖堂――魔術学院と反対側の部分は、塔の先端なども比較的原型をとどめたままだった――などを見るに、爆発が発生したのは、かなり低い位置ではないかと感じたのは確かだ。
それも建物でいうなら、普通なら倉庫か使用人の通路になっていて、賓客を通す場所など置かれていない一階か、それとも表には出せないような用途で使われている地階ではないかと。
あたしが魔術陣をあちこちにばらまいていた下水道の天井部分が吹き飛び、迷路のような構造が露わになっているのも、爆発によって生じた衝撃波や爆風が走り抜けたからだと考えれば納得がいく。
魔術陣は、魔力の流れを作り出すものだ。また魔力が通れば通るほど、物質は強固になるという性質がある。
つまり魔術陣を刻んだ下水道は、あたしが手の骨を加える前より、比較的頑丈になっていたはずなのだ。
それにもかかわらず、ここまでひどく崩壊しているということも、あたしが唖然とし、ヴィーリが警戒を強めた一因だったりする。
下水道だけではない。建物の崩れ方の激しい場所が、爆心地を中心とした格子状になっているのも、おそらくだが超高温の爆風に叩かれた通りや小路、そしてそれらに面した建物ほど、爆発の威力を強く受けたからだろう。
小路の狭さが爆風を圧縮した可能性を考えれば、他の層との境である城壁にすら盛大に大穴が開いていたのにも納得がいくというものだ。
あたしが気づいたことは、ほかにもある。
爆発直後に飛んできたときよりも、ヴィーリとともに再訪した時の方が、リトス全体で感じられる魔力が強くなっていたこととか。
瓦礫そのものも脆くなっていたこととか。
そう、あたしやヴィーリが触れるどころか、幻惑狐たちが上に飛び乗って踏みつけただけで、瓦礫はさらにもろもろと崩れて微細な砂になり、彼らの足跡をくっきり残したのだ。
その理由について仮説を立てたのは、ヴィーリだった。
瓦礫が含有している魔力を大気中に放出し、そのため今も崩壊し続けているのではないかというのだ。
ヴィーリがラームスたち樹の魔物の知覚も使って確認したところ、明らかにあたしの伝えたリトスの構成物より、瓦礫の量は減っているという。
それも爆心地と思しき魔術学院のあった第三層は、かつての構成物のほぼ十分の一程度しか残っていないという。残りはすべて砂塵と砕けたと考えれば納得がいくくらいらしい。
当初、あたしはぶっちゃけ誤差だと思ってた。なにせいろんなものが吹き飛んでいたし、高熱が生じたように土も灼けていた。ならば可燃物は燃え尽きてるだろうし、城壁なども崩れ落ちていれば、かさが少なく見えて当然だとも思ってたからだ。
だけど思い返せば、周囲の元耕作地に飛び散っていた瓦礫も、それほど多かっただろうか?
アルベルトゥスくんがマレアキュリス城砦を瓦礫に変えた理論は、それまで他の魔術師が考えもしなかった、魔力と物質の相関関係についてのものだった。
むこうの世界でいうエネルギーと質量の法則に近いのかもしれない。
魔晶一つで崩れ去ったというマレアキュリスも、今もってコールナーのような強大な魔物が棲処とし、魔晶掘りが危険を冒して侵入するほど濃い魔力に満たされていた。
だが、廃砦の構造物はリトスの瓦礫ほど脆くはなかった。ガラス状に融解したものはあっても、踏みしめただけで砂になるようなことはなかった。
その違いは何か。
瓦礫から魔力が不自然なほど大量に放出されていることを考えると、マレアキュリスが廃砦となった後、アルベルトゥスくんの身体に生じた、あの結晶の特性を無視するわけにはいかない。
魔晶は、通常の物質とは比べものにならぬほど、過剰に吸収・蓄積している物質だ。物質化するほど凝集した魔力とさえ見ることができるくらいに。
それを魔術師は励起させることで、蓄積した魔力を自身の術式に流し込んだりして使用する。
一方、アルベルトゥスくんの結晶は、彼自身を含め、触れている物体から一定の魔力を排出し続けるという特質があった。
自身から結晶をえぐり出して実験に使っていたという、アルベルトゥスくんの容態をずっと見ていた毒薬師、サナーレさんによれば、しかしそれは安定した魔力を術式や魔術陣に供給し続けるには、ちょうどいい蛇口にもなるとアルベルトゥスくんは考えていたらしい。
あえて排出するより多くの魔力を与えれば、それを蓄積する働きもあったそうなので、魔晶が使い切りの乾電池ならば、自身の結晶に、アルベルトゥスくんはリサイクル可能な充電池的なものとしとしての価値を見いだしていたのかもしれない。
その、自分の結晶化した身体を、アルベルトゥスくんは、リトスを砕くのに使ったのではないかとヴィーリはいう。
もちろん魔晶もクウィントゥス殿下から提供は受けていたらしいが、今回の爆発がマレアキュリス廃砦周辺よりも大きいのは、アルベルトゥスくんが自身の結晶化した身体すら使って、強大な魔術を顕界するに足る魔力を支配下に置いたためであり、現在も大気中の魔力が増大しているのは、物質が魔力に変化された爆発の名残だけでなく、爆風によって舞い上げられたアルベルトゥスくんの結晶が時間経過とともに地上に降り積もり、周囲の瓦礫からせっせと魔力を吸い出し、放出しているのではないかというのだ。
それにあたしは反論するだけの根拠を持たなかった。
たしかにリトスの大気中には、濃厚な魔力が充満していた。
風は今も瓦礫の名残とでもいうように塵を宙に流し、ラームスたち、樹の魔物の梢を揺らしている。
時折それがダイヤモンドダストのように煌めくのは、ひょっとしたらアルベルトゥスくんの結晶だからなのかもしれない。
その特性を考えると、幻惑狐とラームスたち以外に生身のものがいないのは、ラームスたちによってリトスが封鎖されているのは、つくづく僥倖だと言えるだろう。
幻惑狐たちが離れるのを見計らい、あたしはたびたび瓦礫に火を放った。付着しているアルベルトゥスくんの結晶を燃やし尽くすためだ。
ヴィーリの推測が正しければ、アルベルトゥスくんの結晶がその機能を失うか、ある程度でも無害化するめどが立たない限り、なみの人間がリトスに立ち入ることは危険だということになる。
今もせっせこと瓦礫から魔力を吸い出し、大気中に放出しているアルベルトゥスくんの結晶ある限り、どんなに強固な城壁を立てようと、あっという間に脆くなり、崩れ去るのが目に見えてるとか。
結晶が皮膚に付着したり、呼吸によって肺に入ったりすれば、そこから魔力を吸い出して大気中に放出するだろうから、動物であろうが人間であろうが、万年魔力欠乏症を起こす可能性があるとか。
……まあ、これは推測の段階なので、実際にそうなるとは限らない。
そもそも結晶が生物の体内に入ったとしても、アルベルトゥスくんのように結晶化する危険性は低いだろうというヴィーリの見立てもある。
だけど、アルベルトゥスくんの結晶の、自身以外の生物に対する効果については、そのほとんどが不明のままだ。特に人間に対する効果は皆目不明である。
いろいろ酔狂な人体実験をセルフでやらかしていたらしいアルベルトゥスくんも、さすがに他人を実験体にする気はなかったらしい。自分の身体の一部である結晶を誰かに喰わせるといった、猟奇的な実験までしでかしてたら、たぶん毒薬師の人が黙っちゃいなかったろうし。
わからないということしかわかっていないこの状態で、最悪の底を抜いた今後の状況を想定するならば、リトスは二度と元には戻らないといわれても納得する災害っぷりである。
救いがあるとすれば、それが永続するものではないだろう、という推測も同時に立てられているぐらいなものだ。
アルベルトゥスくんの結晶は、魔力量の多い生身の部分から、魔力量の少ない大気中へと魔力を放出する働きをしていた。
だがそれは、逆を言うなら、大気中より生身部分の方が魔力量の少ない状態になれば、その働きは止まるだろう。そう、ヴィーリは言った。
つまり、大気中の魔力が、周囲の物質や、アルベルトゥスくんの結晶が魔力を吸収する範囲内に侵入してきた生体よりも多くなってしまえば、アルベルトゥスくんの結晶が悪影響をもたらすことはない、ということになる。
まあこれは周囲が魔力だまりになるってことを意味するんだけども。
加えて、アルベルトゥスくんの結晶は生身部分から生じたこともあってか、物理的には極めて脆い。
通常、保有する魔力を失えば、火は消え水は凍ってしまう。なので大量の火や水がある場合、もしくはこのリトス内部のように、過大な魔力に溢れた場所でという限定はつくが、炎に投じれば燃えつきるし、水気を帯びても分解し、あるいは腐敗し崩れ、その働きも失われることは確認できている。
ほっといてもじわじわと効力は失われるだろう。
保有魔力の大きい魔物や、動物の中でも体格の大きなものであれば、多少体内に入っても魔力欠乏症になる前に消化吸収されてしまうだろうというヴィーリの分析も、一応の安心材料ではある。
なお、あたしといっしょに空からリトスに入ったヴィーリは、森精という意味では人間同様サル系魔物の末裔でもあり、また強大な魔力を保有する樹の魔物の半身でもある。だからあたしは、あまり心配していない。
そもそも空からリトスに入るとき、周囲に舞い散る砂塵を嫌ってか、結界を解くことはほとんどなかったし。
日が落ちても、辺りが暗くなっても、あたしはせっせこと動き、時々火を放ち続けた。
いくら幻惑狐たちが魔物であり、土砂――鉱物という意味では、アルベルトゥスくんの結晶も入るのだろうか?――を操れる能力があるとしても、念のためというやつである。
そもそも爆発からかなりの時間が経過しているし、アビエス川の分流が市街を突っ切っていたのだから、あたしの行為はかなりの泥縄だろう。
それでもやらないよりはましというものか。雨でも降ったらどこへどう流れていくかわかったもんじゃないし。
もちろん、アルベルトゥスくんの名残を何も残さぬよう、焼き尽くすことに思う事がなかったわけじゃない。
けれども燃えるはずのない石材や煉瓦などの瓦礫が、まるでカフェロワイヤルの角砂糖のように、淡青色の炎を上げながら形を崩していく幻想的な光景というのは、どこか寂しく、けれど不思議と安らぎを覚えるものであったのも確かなことだった。
それは、炎の色が、アルベルトゥスくんの瞳を思わせるものだったからかもしれない。
瓦礫が燃え尽きると、砂塵ばかりとなった場所をあたしは整地した。遺体を埋葬するためだ。
わずかに残った家屋の間から見つかるのは、遺体というより……死者の欠片とか、断片と言った方が正しいだろう。
だが、見つけてしまえば、たいしたことはできなくても、そのまま放置する気にもなれない。
周辺の砂塵を均し、死者の名残を埋めるたび、あたしは形の残った瓦礫を拾ってくると四角く整形しなおし、冥界神マリアムの象徴である網と刃を刻んでその上に乗せた。
ただの自己満足と言わば言え。死者を悼む気持ちに嘘はない。
それに、これは一つの模索でもある。
砂瓦礫を集めるのは、もちろん素手――ではない。骨の手では、どれだけ掬い集めても、隙間からこぼれるだけだろう。
なので、あたしは大鎌スタイルにしている杖の鎌刃の先端、さらにその先に平たい結界を顕界している。
いわゆるトンボとか、熊手型の箒に近い。
だが、対人戦闘においては、あたしの結界は道具よりも武器となる。
あたしの結界刃は、星屑たちから見ればいわゆる魔剣に近い。というか幻想武器に近いのではないかとあたしは思っている。
由来伝承は神話の向こう側へさておくとして、機能だけを考えるのなら、相手にさまざまな、人間業ではありえないような巨大な不利益を擦り付けられる理不尽さを持つ武器こそ、幻想武器というものだろう。
結界刃は魔術で構築されている概念的存在でありながら、物理的破壊力を持つというのがその本質。だが、あたしはつねにさらなる理不尽の倍がけを模索しているんである。
たとえば鎌杖。これは大鎌持った骸骨を死神と認識するかどうかで、星屑を簡易的に識別するためでもあるのだが、それが別の理由の目くらましにもなっていたりする。嘘じゃないけど真実すべてではないというやつだ。
このやりかたは、地獄門に接近するときにも、クラーワから星屑たちを押し返すのに、とても役に立ったものだ。
ぶっちゃけあたしは武器の扱いなんぞ、ほとんど学んだことはない。そのあたしが、大鎌なんて特殊な武器を手足のように扱えるわけが、まずないのだ。
鎌も刃物なんですよ。どんなに結界刃自体の切れ味が鋭かろうが、きちんと刃筋を立てない限り、斬撃が綺麗に決まるわけなど、当然ない。
まあ、それを補うために、鎌杖にはハンドルをつけてあるし、鎌の刃渡りの部分には回避陣が刻んであったりもするのだが、それでも刃の腹を叩かれて斬撃を外されそうになったことは多い。
剣道かスポーツチャンバラか、それともLARPかは知らないが、人型の敵を武器でぶん殴ることに慣れてる星屑が予想以上にいたってことには驚かされたものだ。
それでも、あたしが一人で星屑どもの集団を相手どることができたのは、鎌刃を振り回すのに合わせて、別途顕界していた結界刃も振り回していたから、だったりする。
埋葬の場の地均しに使っていたのは、その応用だ。
鎌杖の柄、その先端を基点とし、鎌刃のさらにその数十cmほど先まで結界で覆い、簡易的なトンボにしたてたものだ。
おそらくあたしの結界刃の理不尽さはこの運用、武器に見せかけた鎌杖を結界刃の発生基点としているところに由来するように見えるだろう。
間合いを認識しづらい、途中から透明な武器を振るい、通常であれば持ち上げることもできないような巨大武器の間合いを任意に作り出せるのだから。
しかし、正直に言うなら、結界刃に物理的な芯なんて必要がないのだよ。あたしは。
それをあえて常に鎌刃に結界をまとわせることで、結界刃を自在に顕界できるという事実も消極的にだが隠蔽しているわけだ。
以前、モンスターの振りをした時に、杖を剣や槍に見せかけたことがあった。
あの応用でだが、構えの手本を見せてくれる人がいたら、あたしは格闘系モンスターのふりだってできたかもしんない。
もともと防汚防損用に、あたしはお骨にも何重かの結界を四六時中顕界している。
それをちょっと変形させれば、指の骨の先端、拳や肘、膝の骨あたりから結界刃を伸ばすこともできる。
人体の関節可動域の限界から生じる死角というやつも基本的にはない身体だ。星屑たちにとってはかなりめんどくさい相手になれるだろう。
これは一回きりの羽目技にしかならないだろうが、攻撃しづらい真横や背後へも同時に数十本、見えない刃を突き出すことだってできるんですよ。なんという逆鋼鉄処女。
だが、それにはデメリットがある。
あたしは人差し指の骨の先に、一本だけ爪のように結界を顕界して、地面に突き刺してみた。
やはり手応えがある。
そう、手応えを感じてしまうことこそが、問題なのだ。
愛しのマイボディ用の結界は、結界越しの知覚を妨げないように、いろいろ術式をいじくってある。それはつまり、骨に顕界している結界も、あたしを形成する要素の一部となっているということだ。
その延長として刃を生やした場合、武器より生々しく手応えを感じてしまうということでもある。
想像してみていただきたい。手刀で人体を斬り裂き、肘までまみれた血の熱さや粘さを肌で味わうことを。ぬらぬらした内臓を指で握り砕く感触を。
発狂もんですよ?
あたしの場合には魔喰ライもんというべきかもしれないが。
ただでさえ、自分が瀕死に陥らせた相手の魔力ときたら、とてつもナくウマソウに見えテシマウのだかラ。
……喰らいたいという餓えの欲求を振り払いながらいろいろ試してみたが、結界刃の運用は、現行通り鎌杖に重ねたものをメインとし、飛び道具というか奥の手として任意基点での顕界をするのがいいようだ。
ただ、実際の鎌刃を無視できない鎌杖に対し、結界刃のみの顕界では、かなりピーキーな運用もできそうだとわかったのは僥倖だった。手札が増えるのはいいことだ。
中でも一番大きく変わったのは刀身部分だろう。
現実の刃物、特に実戦用の武器というのは、例えば胴田貫とかいう短刀のようなものらしい。
めちゃくちゃその刀身が分厚いのは、耐久性を担保するためだとか。
普通の刃物なら、折れたらそれで終わりな以上、耐久性というのは見過ごせないファクターだろう。
だけど、あたしの結界刃は、折れたところでどうというものではない。顕界しなおせばいつでも研ぎ立て新鮮。すっぱりよく切るためだけなら、刃の厚みはいらない。刀身の幅もだ。
いらないいらないといろんな要素をとっぱらっていった結果、残ったのが刃の先端、それもコンマ数ミリというトンデモ武器になってしまったのは予想外だったけど。
これって、いわゆる糸剃刀とか糸刃とかいうやつじゃないのかね?!
忍者が暗器として使ってたか、どうだったか。
この世界の鎧が鎖帷子主体ってところで、この糸刃の極悪っぷりは定まった気がする。
もともと結界刃は基本透明だ。正面から見たら、コンマ数ミリの点にしか見えない刃とか、初見殺しとしか言いようがないでしょうが。
それに、あたしが操る以上、鎖帷子の上から切りつけるなんてへぼい真似をするわけがない。
刺す一択だろうが、ここまで細いと刺されても気づけないんじゃないかって気すらしてしまう。
おまけに柔軟性を持たせると、好き勝手に曲がるんだよなあ、これ……。
下手すると鎖帷子の内側だけ縦横無尽に切り刻んで、あべこべ卵状態にすることも可能なんじゃなかろうか。
こわ。
想像してしまい、あたしは思わず骨身を震わせた。
我ながらおっそろしいものを考案してしまったかもしんない。
もちろん、この糸刃には欠点も多い。
耐久性皆無なのは限界しなおせばいいことだが、つまりそれは状態をつねにモニタリングしていて、刃の状態に合わせて顕界を終了したり、再度顕界をしたりする必要がある。
言い換えるならば、糸刃には術式や顕界を維持する以上のリソースを割き続ける必要があるということになる。
もちろん、この糸刃も術式だ。魔術陣に組むことはできるだろう。
ただし、鎌刃に何重にも重ねてある結界刃陣とはわけが違う。
折れたら次々新しい刃が伸びるとか、下手に柔軟性を付与して跳ね返りでもしたら、味方や自分まで切り刻む自爆武器にかなりかねん。刃渡りを制限する必要があるだろう。
だけどそれは、間合いが鎌杖よりも短くなるということでもある。
耐久性を担保するため、断面が十字型になるよう、刃を縦横に組み合わせたものならば、刃渡りはある程度伸ばすことができる。だが槍のような間合いの遠い武器や、あるいは矢のような飛び道具のような運用をすることは難しい。
そもそもが、ある程度物理戦闘耐性があるとはいえ、あたしができるのは、基本的に魔術による遠距離攻撃なのだ。
遠距離アタッカーという戦闘スタイルにとって、間合いというのは、あたしが魔術を顕界するのに必要な、時間の猶予を担保するための、最低限の距離ということになる。
ならば短剣よりは長剣、長剣よりも大鎌の方がいい。
自分の安全を確保しながら、糸刃を主な攻撃手段に使える状況というのは、かなり限定的だ。
ならば、結界以外の魔術陣はどうか。
ベーブラで森になった黒髪の森精、ペルマーネンシィヴシルウァ。
彼が森精の身体を捨てるのに、あたしは協力した。彼が森に意識を移す時も見守っていた。
それに恩義のようなものを感じてくれたのだろう。彼は、森となった彼自身の一部でもある、樹の魔物の枝をあたしにくれた。
加えて彼はスクトゥム帝国が仕込んでいた魔術陣を、森精の身体を裂き、絶命するまで魔力を樹の魔物たちに吸い取らせ、一つ一つ発動しないようにして、破壊していく様子をあたしに見せた。
それもまた、森にスクトゥム帝国の所業として記憶させるための措置だったらしいが、意識を保ったまま己が身を裂くとは、どれだけの覚悟があってやったことかと思う。苦痛とショックで朦朧としていたほうが楽だったろうに。
だが、そのおかげで、あたしはペルに刻まれていた魔術陣の知識を得た。万全に使えるものはほんの一部だろうが、それでもあたしの力にはなる。
いろいろ魔術陣の考察をしたり、実験をしたり、弔ったりを繰り返しながら、あたしは時を図っていた。
ヴィーリはあたしの監視者でもあるので、必ず闇森から戻ってはくるだろう。
けれど、森精の時間感覚をあまりあたしは信用していない。一応期限を切ってそれ以内に戻ってきてね、とはお願いしておいたが、期限の切れる明日じゅうに戻ってくるものか、どうか。
それを過ぎてもヴィーリが戻ってこなかったら?
あたし一人でレジナへ向かうつもりだ。
常人ならばここリトスから歩きで二十日かかるという、帝都レジナ。
地上は避難民が移動していても、あたしは空を飛べば、早くて一日半かそこら、遅くて三日もあればたどり着けるから、それはまあいい。
けれども、そこからどう動けばいいのか悩んでしまう。
宮殿に忍び込むのはいいが、『運営』をどうやって探し出すのか?
傀儡というか、デコイ的な存在だろうという推測はつくが、皇帝を抑えるのが先だろうか?
いろいろ策を練っちゃいるが、あたしが一人でいればどうしても手数は限られる。
そもそも『運営』を抑えれば、それで本当にこの状況は止まるのか?
というかどれだけ『運営』は存在しているのか?
ランシアインペトゥルスの状態も心配だ。
グラディウスの船隊は無事イークト大湿原に引き上げられたのか、それともコバルティ海を大回りして、天険と名高いムスクラタを目指すのか?
食糧の浪費につながるような、軍の滞留は抑えられているのだろうか?
ランシアインペトゥルスの王侯貴族の混成軍は、どこまで足並みを揃えられるのだろうか?
悩んでいたあたしにその声が届いたのは、突然のことだった。
〔おーい、ボニーさん!今どこですかー?〕
……は?
なんでラームスたちからグラミィの心話が伝わってくるわけ?
〔もちろん来たからですよー!〕
いやいや待ってよ、いくらなんでも早すぎね?




