EX.孤影は刃となりて
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
木道を渡りきったスクトゥムの兵を迎え撃つため、シルウェステル・ランシピウスの名では呼ぶことのできぬ者を一人クラーワに置くことになってからも、クウィントゥスは再々彼の元に赴いていた。
一度や二度誘いを固辞された程度で、あっさり配下に招くのを諦めるほど、あの魔術師は安くない。ましてやあれほどの戦力を――たとえ当人に半ば押し切られての決定とはいえ――このようなところですり減らし、失うことなどあってはならない。
骸の魔術師は多人数との接触を厭うたが、それも随身の数を絞ればいい。
近づくなというのなら、近づかなければいいだけのこと。
クウィントゥスは骸の魔術師を翻心させるべく、今日もまた少数の同行者とともにクラーワ南部に長駆し説得に努めたのだった。
むろん、それだけが目的で、ランシアインペトゥルスの王弟の一人がわざわざクラーワ地方に深く入り込むわけもないが。
「骸の魔術師は、フェルウィーバスの聖堂で魔術陣を破壊する際にも空を飛んだとは聞いていたが。あれほどとはな」
「いえ、あれにはわたくしも驚きました」
騎馬の背に落とされた王弟の溜息に、アロイスが相槌を打った。
骸の魔術師が戦う様子を見ておきたいという要望に、彼の者とともにクラーワを渉猟した舌人の老婆はすばやく応じた。
いくらその身は骸骨とはいえ、主を案じるがゆえのことであろう。
そしてグラミィが、余所者には偏狭なはずのクラーワの民人に道を訊けば、拒まれることはなかった。特に呪い師や主要氏族の者が意を迎えるように、こぞって求めるものを差し出すさまには、内心アロイスも瞠目したほどだ。
が、それより暗部の男が度肝を抜かれたのは、骸の魔術師の戦いぶりであった。
そも、クウィントゥスのクラーワ行に、必ずアロイスが付き従っているのは、貴身の警護だけでも、ましてや舌人の老婆の身を守るためだけでもない。
オプスクリタス騎士団の一員として、骸の魔術師がおのれ一人で十分と言い張る言葉の真実を確かめるため。
言い換えるならば彼の者の戦闘評価を行うためでもある。
これ以上スクトゥムの兵をいたずらに放置するわけにはいかぬ。骸の魔術師だけでは危ういとあらば、新たな戦力増員も検討せねばならぬのだ。
だが、アロイスの懸念は裏切られた。
グラミィが聞き出した多少高みにある岩鼻に張りつけば、確かに遠目に骸の魔術師の戦場は見えたものの。
敵陣に斬り込む孤影に王弟が溜息しかつかなくなったのは、ゆえないことではない。
空を飛ぶことも常人とは思えないが、空中から鎌とも槍ともつかぬ風変わりな武器で斬撃を繰り出せば、その威力たるや、投石機にすら匹敵するのではないかと思われる。
この高みからでは穀物粒のようにしか見えないスクトゥム帝国の軍勢――というには装備が貧弱だが――が、たじろぎ、戦意を失ったように距離を開けたところへ降り立ったと思いきや、鎌杖を握って疾駆する。
その早さ、馬にも劣らぬとあれば、ほとんどが歩兵であるらしきスクトゥムの兵はみるみる間合いを失い、追い散らされるばかり。
骸の魔術師は当然のことながら魔術師だ。しかし熟練の歩兵であっても生身では息が切れて当然の距離を長駆し、それでいて足の骨が止まる様子も見えない。切れる息がないから当然なのかもしれないが。
あそこまで縦横無尽に駆け巡られては、馬留逆茂木のたぐいを多少こしらえたところで、あの者の突進を止めることは難しいだろう。弓矢よりも破壊力のある攻城兵器ですら、ほんの数台では並べたとて何の役にも立つまい。
いくさの采配を把る者として、クウィントゥスは冷静にそう見た。
そしてまた、見えてきたことがある。
「羨ましいな。空を飛べるというのは」
「羨ましい、でございますか?」
「あれほど骸の魔術師がたやすく空を飛んでいるとは思わなかった」
鎌刃に追われて逃げる敵の中には、距離を開けて弓を構えた者もいたのだ。
しかし、あの者は形勢不利とみるや空へと舞い上がり、また巨大な斬撃を地上へ振り下ろした。矢などあっさり吹き散らすそのさまは、まさに海神マリアムの眷属とも見えるほどだった。
面と向かってそのように褒め称えれば、おそらくあの骸骨は、わたくしが人ではないためでしょうなどと言うのかもしれぬ。
だが骸の魔術師が敵にとっての脅威となっている理由は、彼が生身ではないからだけではない。空を飛び、敵の攻撃の届かぬ高みより攻撃を振るうからこそ、一方的に凄まじいまでの蹂躙が可能なのだろう。
「鳥の翼でしか届かぬような空というのは、見晴らしの良い高みよりもさぞ気持ちがよいものだろうな」
本心を隠した王弟は、疑わしげな目つきで見ている老婆に儀礼的に笑ってみせた。
すると、意外な答えが返ってきた。
「我が主は、最初に飛んだ時には、もう一度せよと命ぜられたなら、嫌だと答えたくなると申しておりましたが」
「それは、なにゆえでしょうか?」
アロイスが訊ねると、老婆は遠い目になった。
「殿下は悠々と飛んでいるようにご覧になったのでしょうが、空を飛ぶというのは見た目ほど楽なものではございません。おまけに、あのときは……、飛ばねば、わたくしも含め、断崖絶壁から遙か眼下の山肌に叩きつけられ、熟したウーヴァの実でも落ちたようになるばかりという状況でございましたので」
舌人はふるりと老躯を震わせた。
「最初は崖から飛び降りざるをえなんだかと思うておりました。空の色も雲の影も種々の光の流れと溶け、ようよう風に乗ったと知ったは、我が主から話しかけられてのことでございましたから。ドルスムの風物を空中からのどかに眺めるような余裕など、あろうはずがございません」
「なに。初めから飛ぼうとして飛んだわけではなかったのか!」
「さようにございます。しかも我が主が難渋されたのは飛んでいる時だけではございません。降りる時にはずいぶん悩んでおられしたから」
「そうなのか。あのような大魔術を咄嗟によく組み立てたものだな」
王弟は素直に感嘆した。
クウィントゥス自身は魔術師ではないが、特異な魔力を持つがゆえに、魔術師から魔力の制御を学んでいる。それゆえ魔術についても、魔術師についても並みの魔術師程度の知識はあると自負していた。
それより鑑みれば、あの骸の魔術師の術式はやはり尋常のものとは思われぬ。それも大地に叩きつけられるまでの数瞬に対応できるほどは。
通常の魔術師、いや魔術の研究に熱心な上級魔術師にも見られぬほどの発想と術式への理解あってのものと賛嘆するほかはない。
「あの方は、御自分で何ができるか知ることに試すことに熱心でいらっしゃいます。ですが、それよりも人がましく見えることが大切だとおっしゃっておられました。……かつては」
老婆の不穏な口調にアロイスが振り返った。
「あの方は、御自分が人から疎ましく思われても仕方がないと思っておられます。見た目が見た目だからと。初めてご覧になったときは、アロイスどのも、御気色芳しからざるご様子でいらっしゃいましたが」
じろりとにらまれ、アロイスは困ったようにこめかみを掻いた。
骸の魔術師を魔喰ライではないかと疑い、密殺せんとしたかつての己の判断が、最初にあの頭蓋骨を見せられた怯えにゆがんでいなかったとは言い切れぬ。そのことは、自身が一番よく知っている。
「ゆえにあの方は腕を隠し、顔を覆い、彩火伯さまから授けられた仮面をかぶっておられたのです。人として扱われたくば、人であろうとすべきだと。人であろうとするならば、人としての才にとどめるべきであろうと。それがかなわぬのであれば、せめて人がましい見かけを装うべきだと。人は、おのれとあまり異なる者は恐れ、忌み嫌い、遠ざかろうとするからだと」
「では、今の姿は」
「おのれをさらして、わざと恐怖を煽るか」
アーノセノウスらにも頭蓋骨をさらし、その姿を見せつけ、今のように人交じりを断ち、魔喰ライとなることさえ辞さぬような振る舞いをするようになってしまったのは、やはり彩火伯に猜疑を向けられたがゆえであったか。
しかし舌人は、二人の疑念を違うようにとったようだった。
「いかにも逆手にとってのことでございましょう。人がましく見えねばより恐れられやすく、間近く敵とあのように対峙しても戦いやすくなると。……これまでとて、あの方ご自身が接敵なされたことがこれまでになかったわけではございません。ですがあの方は魔術でなんとかなさろうとしておられた。あのように、小細工を加えてなおも、おのが身をさらされることなどなかったのです」
それが魔喰ライとなる危険を増大している。だからこそ、あの骸の魔術師はさらに余人を遠ざけようとしているのだ。
そこまで老婆は言わなかったが、一行の誰もがそうと悟った。
「舌人よ」
「はい?」
「それでも、そなたはあの者についていこうとするのか」
「ええ」
「なぜだ?」
クウィントゥスは、即答したグラミィを宝玉の眼で見た。
「恐ろしいとは思わぬのか。実の子だと考えているから、いや信じているから、骸の魔術師がそなただけは害さぬと考えてのことか。もしそうならば、その根拠なり、あかしなりを見せてはくれんか」
母の直感があの骸骨を息子であると認めるならば。あの者がまことシルウェステル・ランシピウスであるという傍証になりうる。
骸の魔術師が真実シルウェステル・ランシピウスであるかどうかはどうでもいい、そうはいってもやはりシルウェステル・ランシピウスであった方が納得もいくし都合もよい。
そしてようやく、おのれが、彩火伯が過ちを素直に認めることができよう。あの者にわびて関係を修復することも、さらに親密になることもかなうのではという望みも芽から若木へと変わる。
しばらく老婆は、奇妙なほどの熱を上らせた王弟の顔を見ていた。だが、その言葉はまなざし同様に冷え切っていた。
「わたくしがたとえシルウェステル・ランシピウス名誉導師の母であったとて、それがなんになりましょう」
「なに」
「お忘れではございますまい。わたくしは、そう名乗ることを許された身ではございません。――そのように、以前王宮にて伺いましたな」
クウィントゥスは宝玉の眼をわずかに伏せた。そのように禁じたのは前々王、改めてそれを伝えたは、彼の者にシルウェステル・ランシピウスの名を与え、養育をしてきたルーチェットピラ魔術伯家の司たる彩火伯であった。
「ゆえ、わたくしは、このように申し上げましょう。そうすべきであるからそうしております。そこになにか不都合がございましょうか?と」
「そうすべきとは」
「あの方は、わたくしを舌人となさいました。その任は解かれておりません。――それで十分かと」
「……そうだな」
「ですが、そのわたくしでさえ、あの方はなるべく遠ざけようとなさるのです。――巻き添えにしてはならぬからと。あの星詠みの旅人の方々から授かった樹杖を我身から抜いたように!わたくしは、母鳥の羽毛に抱かれる雛や卵ではございません!」
憤激したようにグラミィは鞍頭を叩いた。
自ら傷つくことも、相手を傷つけることもためらわず、自らの不利も呑み込んで、相手を失わぬようおのが身を捨てる。
骸の魔術師の矛盾は、周囲の者の身を案じるあまり、その心をないがしろにしていた。
(そんな簡単なこともわかんないとか。ボニーさんのうすらとんかち。あほんだら。ばーか)
フードに隠した老婆の口がわずかに動いたが、アロイスにもそれが何を意味するのかは読み取れなかっただろう。
そして文句を言いながらも、老婆にも骸の魔術師から離れる気はない。不利になるようなことを言う気もなく、欲を言うならより有利になるように王弟たちの思考を誘導しておきたい。
「――我が主はあのような身であるからか、命を、人の命を失うことをたいそう嫌うのです。それはよくよく存じております。ですが」
「それが敵の命であっても、だな」
老婆は顔を上げた。聞きようによっては、ランシアインペトゥルスに対する骸の魔術師の裏切りにも聞こえるだろう。
しかしアロイスは笑んで頷いた。
「殿下はお気づきでしたよ」
「アロイスどの」
素直に驚きを表す老婆に主従は苦笑した。
「我らの目を侮るな、と言っても、彩火伯の猜疑すらとどめえなかった我らに信は置きがたいか」
しかし、あの鎌杖が間合い以上に大きな刃を持つことは、彼らが見ていた高みからでもよく見えた。
アロイスには魔力から、クウィントゥスの眼には魔力と術式の内容から。
――おそらくは、敵対するスクトゥムの者たちにも。
「あの刃は結界と風でくるんであるのだな。地面を派手に斬り割ってはいたが、逃げ出す敵兵の動きが素早すぎた。――大湿原のへりなぞという、湿った土地で土埃のように砂を派手に飛ばすのは、目眩ましか。それとも敵兵にも避けやすくするためか」
「我が主に直接お聞きくださいませ。わたくしは存じません」
さもありなんと思いながらグラミィは色代した。
確かに、どこまで飛んでいくのか見えるように軌道が可視化されていれば、どれだけ巨大であろうと、重量感の演出でゆっくりと振りかぶり、振り下ろされる鎌刃など、回避するのもたやすい。
真っ正面から立ちはだかるような間抜けな真似さえしなければ、逃げ出すこともできぬような重傷者は生じるわけもない。
とはいえ、この世界をゲーム内部だと考えている星屑たちはどう動くことか。
骸の魔術師にも(逃げ出せるようなら逃げてくれと思ってるんだけどねえ。星屑ってば何考えるか、ほんとわかんないから)などと、以前と変わらない心話の口調で愚痴られ、苦笑したことは、王弟たちには秘密である。
「人の命を惜しむ我が主のことにございます。これ以上クラーワにランシアインペトゥルスの軍を寄せぬよう、殿下に申し上げたのも、おそらくはランシアインペトゥルスの者の命を惜しんでのことにございましょう」
「そうか」
うなずいた王弟は、再び老婆に呼びかけた。
「舌人」
「はい」
「そなたは、いったい『誰』を召喚しようとして、骸の魔術師を呼び寄せることになったのだ?」
「……ご容赦を」
宝玉と化したままの眼を避けるように、老婆は丁重に低頭した。
「まあいい。今のあれが我が手のものとして動いている限り、これ以上問いはせぬ」
クウィントゥスは諦めない。
王弟が自らクラーワに足を運ぶのは、骸の魔術師という強力な手駒を完全に手中に収めるため。そしてそれと不可分となっている狙いのため。
彼の者にいたく崇敬を向けているクラーワの国々との外交を担い、首尾良くランシアインペトゥルスに良い条件を引き出すためである。
本来であれば、外交は外務卿テルティウスの管轄となるため、王都に外交官の派遣を要請して、クラーワでの交渉にあたらせるべきだ。
しかし、それでは時間がかかる。
おまけにトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領の、クラーワの実情をよく知らぬ上、骸の魔術師とのつながりもない者たちに、クラーワの者がそうそう心を開くとも思えぬ。
ましてや、そのような者たちが、クウィントゥスの意を酌み、最も動きやすいようにと場を整えることなどまずない。むしろテルティウスなどの利益を重んじれば、騎士団の足を引っ張りにかかることも十分にある。
むろん、アロイスのように、オプスクリタス騎士団に所属する者ならば、間違いなくクウィントゥスの意向に忠実に動くことはできる。
が、彼ら暗黒月の闇に沈むべき者を、国と国との交渉の場などという武神アルマトゥーラの炉の光の下へ引っ張り出すわけにもいかぬ。
それをいうなら、騎士団長であるクウィントゥスが自ら外交に絡むことも本来ならばありえないのだ。同じ王弟とてクウィントゥスには外交権限はないのだから。
しかし、今のところはスクトゥム帝国に刃を届かせるための軍務の一端ということで、外務卿たるテルティウスからクラーワ地方の国々に限り外交権限を譲渡されているかたちになっている。
越権行為としてこじれそうなところだが、スクトゥムまで兵を進めるために必要な外交権限の一部委譲を求めた書状は、伝書鳥を使ったこともあってか、思ったよりもはるかに素早く、許可との返答となって戻ってきたのだった。
その裏には、テルティウスとその智謀を支える配下の者たちが夢織草の煙に毒された、昨年の騒動がまだ尾を引いているのだろうか。いや毒刃の群れが長の手が動いているのかとそこまで考えたところで、クウィントゥスは内心苦笑した。
タクススが表だって認めることはないだろうが、もし王都とのやりとりに、あの毒薬師が骸の魔術師への友誼ゆえに絡んでいるというのなら、よほど骸の魔術師は、過保護ともいえる庇護を与えたがる者ばかりに好意を向けられやすいのだろう。
もちろん、それがクウィントゥスの、いやランシアインペトゥルスのためにもよいかたちで動いているのであれば異論はないし、クウィントゥスとて外交権限を得たからといって、自儘に振る舞うつもりもない。
フルーティング城砦には、テルティウスの部下でもあるエミサリウスと、烈霆公レントゥスの家門の一人、カプタスファモ魔術子爵クランクがいるのだから。
しかし、彼らもまた愚か者ではない。うまく国益につながると判断するならば、クウィントゥスとの連携にも不平を鳴らすことはないだろう。
だが、それでもクラーワに持ち込む戦力には不安があるとアロイスは考えた。
トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領に、いや領都フェルウィーバスを足場に情報収集に努める諸侯の一団の中には、確かにクウィントゥスに好意的な者もいないわけではない。
しかし、王族の、いやクウィントゥスの意向のみを受けて十全に動く者がいるかというと、そうではない。
当然のことながら、彼らもまた、彼らの欲のままに動く。彼らにとって、第一に忠誠を捧げる相手とは、ランシアインペトゥルスの王ではなく、それぞれの仕える領主であるからだ。
「では、この戦況でどう動くべきかな?」
「やはり戦力を増やすべきでしょう」
アロイスが警衛隊長の顔になって具申した。
「さいわい、クラーワの国々はランシアインペトゥルスに対し、極めて好意的です。これも師やグラミィどののお力あってのことですが」
「いえ、星詠みの旅人の方々のおかげにございましょう」
やんわりと老婆は謙遜したが、ミーディウムマレウスという小国で彼らが何をやったかは、イークト大湿原の際まで噂まじりの真実が降りてきていたほどである。
「だが下手な増員は拒否されている」
それも骸の魔術師自身によって。
しかし、王弟の危惧をアロイスが吹き飛ばした。
「下手な増員でなければよろしいかと。――そう、師はランシアインペトゥルスから兵を送るのでは糧秣が不足するとおっしゃっておられましたが、何も人がクラーワにいないわけではございませぬ。クラーワから兵を募るのであれば、ランシアから兵を送るよりも遙かに負担も軽くなりましょうし」
「なるほど。それならば」
「お待ちください、それは」
老婆の抗議にアロイスは笑わぬ目を向けた。
「グラミィどの。我々は国のためならおのが身を刃にさらし、名誉をも捨てる者にございます。ランシアインペトゥルスのため、他国を戦に巻き込むは外道の所業とおっしゃるのでしたら、外道悪党ともりましょう。――我らを背に庇い、師が髑髏をさらして戦われるように」
「確かに、他国を巻き込むことを、あれはよしとはしないだろう。しかし、わたしもランシアインペトゥルスの王弟として、勝利を我が国にもたらすためなら、ある武器はなんでも使わねばならぬ。たとえそれが研ぎ澄まされた刃を持つ鎌杖であろうと、穂先のない槍であろうと」
気圧されたように老婆は黙った。そこにアロイスはなだめるように話しかけた。
「それに、クラーワの民は復讐に重きを置いておられるとか。すでにスクトゥム帝国より害を受けている国々の民は、氏族は、さぞかし怒りをお持ちかと」
無言のまま、舌人は顎にきゅっと皺を寄せた。
「ランシアインペトゥルスより兵を送るにせよ、少人数であれば糧秣の心配はございますまい。まあ、師ほどの小食の兵というのは難しいでしょうが、常人であろうと一人や二人ぐらいなら木道の向こうに通せるのではないかと」
つまりそれは骸の魔術師に、木道を抜け、スクトゥム帝国に侵攻せよ、対岸にランシアインペトゥルスの実効支配を及ぼせと命ずるも同然。
人を損じることを嫌うあの骸骨が、隠密裡の侵入を手引きする程度で収めるわけがないと、グラミィは深々溜息をついた。
「ご案じなさいますな。いざともなれば師にお調べいただいた水脈を辿り、小舟で送り込めばよろしいだけの話かと存じます」
そんな少人数で何ができるのだろうと、老婆はちらとうたがった。
しかし、斥候は確かに多い方がよい。今のように骸の魔術師一人に斥候も戦闘も任せていると言う方がいびつなのだ。
「師より、以前から、彼の地へは魔術師を送るべきと助言をいただいておりましたね。それに従いまして選抜をし、場合によっては王都より召喚することも考えておりますが、いかがにございましょう」
「よろしい。許可する」
王弟はうなずき、その日のうちにフェルウィーバスから王都へと伝書鳥が飛んだ。




