奮戦の果て(その2)
本日も拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。
なおこの部分にはグロテスクな表現が含まれております(主に主人公がやらかしてます)。
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あたしの推測を開陳すると、クウィントゥス殿下をはじめ全員の顔が青ざめた。
そりゃあ為政者や軍部の上位者から見れば悪夢だろうさ。これ以上兵を進めれば進めるほど、敵の思い通りにどつぼへ嵌まりまくるとか。
少なくとも、フェルウィーバスに集まってきてた諸侯の物見が考えているような、威風堂々大軍を率い、正々堂々と雌雄を決するなんてことは、まず不可能だろう。
主に食糧的な理由で。
クラーワもこんなふうに襲われている以上、今後スクトゥムとクラーワ、ランシアの三地方に渡って食糧難が発生することは確定していると見ていいだろう。
それも人間だけじゃない。森精たちだって生身だし、何より彼らには星屑たちを隠し森に預かってもらっている。
いくら星の動きをとどめることができるとか言ってても、限度ってもんがあるだろうし、そもそもどれだけ比喩か事実かわからない。
そもそも現象は発生させるのにエネルギーが必要なのだ。魔術を顕界するのに魔力が必要なように。
いや、食糧難というなら、直接影響がないように見えてるグラディウス地方もかなり負けちゃいない。
コバルティ海を回ってやってくることになっている、グラディウスファーリーを中心とした船団、彼らをどうするのか。
マヌスくんとアルガを窓口にするにしても、いろいろ遮断しなきゃならん情報は多いだろうし。
問題山積み、八方塞がりもいいとこだ。
「骸の魔術師よ。それだけ予測を立てたということは、ある程度策もあるのではないか」
王弟殿下にじろりと睨まれ、あたしは座ったまんま魔術師の略礼をした。
まあ、ないわけじゃありませんけどね?
たぶん、一番最初にやるべきは損害の分散だ。
幸いと言うべきかどうか、いろいろスクトゥム帝国の工作員たちに潜り込まれてやらかされたクラーワは、それでも今回のような物理的損害の大きい襲撃はあまりない。
ということは、襲撃を受けた集落をはじめ、これまで星屑たちがいろいろやらかしてくれてたスカンデレルチフェルムの人々を、他の国の同じ氏族に助けを借りるという形で復興を進め、同時に防御を固めるのが吉だろう。
まあ、多少はランシア側へ引き受ければ、逆にクラーワも戦力の駐屯も理解を示してくれるかもしれないけど。
どっちにしても食糧問題はついてまわるだろうし、そのあたりのことは、スカンデレルチフェルムの主要氏族――コルローラデカストルとかいうらしい――や、それこそ呪い師といった方面に政治的なお話をするべきだろう。
ついでに言うなら、ランシアの兵も屯田兵的な、自領での生産力に使わせてもらった方がいいかもな。
誰が賛同してくれるのって話だけど。
ええ。ぶっちゃけ、これは現段階では実現可能な策というより、ただの理想でしかないことは承知してますとも。
人間、損をかぶるくらいなら、誰かに押しつけたい生き物ですから。
その損が他人のものであれば、なおのこと。
私利私欲を抑えて、利他的に行動することが総体的に被害を抑えることになるだろうと思っても、さて、誰がどれだけ高潔に振る舞いきることができるだろうね?
そこをうまく人参ぶら下げて動かすのができるのは、クウィントゥス殿下をはじめとした王族の皆様ぐらいのもんだろうけど。
〔そういうボニーさんはどうすんですか?高みの見物を決め込む気まんまんとか?〕
イヤイヤイヤイヤ。
あたしゃ一介の斥候魔術師ですよ。外交なんてしりません。権限ないんですって。
ですから、これまでどおり、星屑たちの足止めにでも徹しようかと。
飯を食わん戦力ってぇのは、なかなかに使い出があると思うんですけど、いかがですかね?
木道の破壊もしてないし。
そう伝えてもらったら、えらく驚かれたけど。
「していないのか!」
「なぜでしょう。師ならば手間でもありませんでしょうに」
いやー、だってねえ。
あんな木道、しけってたって火球一発で吹き飛ばせないわけはないですよそりゃ。
だけど、すぐ復旧もできちゃう。刈草という素材の簡便性はこういうときにめんどくさい。
それに、向こうが道に拘泥してるなら、むしろそっちの方がやりやすいと思わんかね?
〔どゆことですか〕
ゲーム感覚でいるらしき星屑たちの心理的に、木道をまっすぐ行けばクラーワにつっこめるというのは、使いやすく、選びやすい道だ。
で、わかりやすいってことは、その選択肢を意識する分、他の選択肢を意識することが減るってことでもあるんですよ。
だったら、木道の存在自体が罠にできるってことでもあったりする。
単純に小舟などで真横から狙ったって、木道の幅の長い列になった星屑なんて、いい的にしかならんでしょ?
へたに地元民脅して舟を出させるなんて頭を働かせて、クラーワの変なところにばらけて渡ってこられるより対処がしやすいんですよ。
「なるほど、一理あるな」
そう思って下さるんなら、そのへん自分の発案ってことにしてくれてかまわないんで、クラーワ地方とうまく折衝してくださいねー殿下。
なんせ、どうしても最大の被害を受けるのは、地理的に矢面に立たざるをえないあっちなんですから。
納得したようにうなずいていた王弟殿下がふと気づいたように問うた。
「ならば舌人どのも今後はクラーワの方に移ることになるのか」
あたしは頭蓋骨を振った。
「『ここはクラーワ。人を置くのは厳選した方がよろしいでしょう。星詠みの旅人の方々がいらっしゃれば十分にございます』」
「いえ、ですが」
「……『わが舌人は、どうぞ殿下の御膝下にてお使いください』と申しております」
口を動かしながら、ちろりとグラミィがあたしを見た。
〔こんなこと言わせる理由はちゃんとあるんでしょうね、ボニーさん?〕
そりゃもう、当然ですとも。
一つはグラミィの安全確保。もう一つは、ランシアインペトゥルスに対する、あたしの人質になってもらいたいからですよ。
〔って、ちょっとー!〕
それもこれも、あたしがシルウェステル・ランシピウスと名乗れない弊害だと思ってちょうだいな。
今のあたしには、伝統とか家門とか、そういった社会的信頼性を担保するものがほとんどない。
ま、魔術師にかけられている真名の誓約ぐらいは抑えてるつもりなのかもしれないが、それだっていっぺん死んでるお骨の身の上、名乗れるのが骸の魔術師という称号しかない以上、真名も剥奪されてる扱いになってたらどうしようってなもんですよ。
ランシアインペトゥルス側に安心を担保させるには、グラミィ、あんたぐらいしかたよりにならんのだ。
人質といっても、行動制限もこれまでと同等レベルのあってなきがごとしだろうし、危険はそうそうないとは思うよ。おそらく。クウィントゥス殿下の胸先三寸次第ではあるけれど。
〔いやそれかなり不安になるんですけど!〕
抗議を申し立ててきたのは、グラミィだけではなかった。
「失礼ですが、いかな師といえど、ただお一人、魔術師の身で集団を撃退し続けるのは難しいと思うのですが」
アロイスは控えめに言ってくれたけれども、まあ、そうだよね。
幻惑狐たちの群れを半分あたしがもらっても、それだけじゃ足りないようには見えて当然か。
だったら、一人に見せなきゃいいんですよ。
〔また泥人形を使うんですか〕
それも候補には入れてるけどね。というか現在進行形で使ってるんだけどね。
泥の手の群れとか泥人形で星屑たちをぬかるみに埋めたりするのもねー、いまいちワンパターンになってきてまして。
現在のところ、悩みは芸の引き出しがないってことなんですよ。
だったら別の手を考えますとも。
グラミィ、頼んだものは持ってきてくれたんでしょ?
〔あ、はいはい。あのわけわかんないリストですよね。ぼろぼろになった、捨てる寸前みたいなマントとか、似たような服もですよね。持ってきましたけど、何する気なんです?)
まあ、軽い変装?
〔いやボニーさん。髑髏丸出しなら、何やっても変装にならないでしょうが〕
それがなるのだよ。
まあ、モンスターから別のモンスターになるくらいだが。
そんじゃ、必要なものはもう一つ、と。
(アロイスどの。率爾ながらその剣を拝見できませぬか?わたくしが触れずともかまいませんので)
心話でストレートに話しかけると、疑問に感じたのだろう。だがグラミィの通訳を聞いたクウィントゥス殿下が頷くと、アロイスはすらりと鞘から抜いて、剣身の腹も刃も、柄の拵えもじっくりと見せてくれた。
ふんふん、バランスがこれこれで、あと幅がこんな感じと。
……よし。
あたしは杖から鎌刃とハンドルを外すと、金属パイプ状の原型に戻した。
そこへ、アロイスの長剣の比率に合わせて、剣身ぽい形を金属で顕界する。
ハンドルは鍔兼用の護拳に再利用。
完全拡大コピーではなく、取り回しのしやすさを考えて、剣身はさらに細身に、柄はさらにめっちゃ長く――向こうの世界のバスタードソードより長いかもしれん――している。
間違っても鉄板ですかというようなコスプレ仕様になんかしませんとも。威圧よりも取り回し重視です。
〔なんなんですか、その大剣〕
背後の驚きをよそにマイペースにグラミィが近づいてきた。
あ、持ってみる?
ほい、と気軽に手渡すと、焦ったようにアロイスたちがどよめいた。だがそれよりグラミィが片手でひょいとそれを持ったことへの驚きの方が大きかったようだ。
まあそりゃそうだ。実際にこの特大サイズの大剣を使ってる騎士などそうそういないだろうが、それでも自分の得物から類推した重さを考えれば、こんなことはまずできないって判断するもんね。
「舌人どの。重くはないのか」
「軽いとは申せませんが、それでもこの婆でも持つことはできますな」
剣身部分だって軽さ重視、中空の張りぼてですからね。
「失礼ですが、わたくしも持ってみてもよろしいでしょうか?」
アロイスには剣見せてもらったしねえ。
どうぞと頷けばクウィントゥス殿下はもちろん、わずかなおつきの人たちまで全員グラミィに近づいていった。
よってたかっておもちゃに群がる認定こども園児みたいだなと思ったのは内緒である。
「このような飾りで何をする気だ?」
ひとしきりたらい回しにされた大剣モドキをグラミィに渡しながら、クウィントゥス殿下が首を傾げたが、これ完成形じゃないんですよ。
「『わたくしならば、このようなことが』」
そう、こいつはあたしが結界刃を剣身に重ねることで剣となる。
その切れ味はというとだ。
あたしが手近な瓦礫にすっと振り下ろしてみせると、……それは微動だにしなかった。
「なにをしたのだ?」
問われてあたしはわずかな風を顕界した。
ぱたりと二つに割れた瓦礫は、磨かれたような断面を表し、低いどよめきが起きた。
「『これを持って、再度木道へ向かおうと存じます』」
何もあたしは、木道の確認だけして戻ってきたわけじゃないんですよ。
ダメ押しとばかりに、しつこく木道を渡ってくる連中の前に立ち塞がりもした。
わざとクラーワにもう少しでたどり着く、というあたりに、鬼火に見せかけた火球をおともに、髑髏をむき出しにして近づいてみたりね。
〔た、楽しんでませんか、ボニーさん……〕
結論から言おう。
楽しめは、しなかった。
鎌杖構えて黒ローブもばっちりなあたしですよ?
シルウェステルさん謹製のなんだこれローブの上に、汚れよけもかねて、トルクプッパさん謹製のなんちゃってローブを重ね着してるのだが、そっちがいい感じにぼろけてきてるので、雰囲気だってあると思うの。
だのにさ。
暗闇からぬうと出てきたあたしを見たとたん、息でも飲むか、恐怖に叫ぶかと思ってた星屑連中ってば。
盛大についたのはため息ですよ。ため息。
「なんでー」
「ようやく、らしいエネミー出てきたと思ったら。ノマスケかよ」
「しかもメイジって。一撃で終わりそうじゃん」
……がっかりされるとか、なんでやねーん。
ノマスケとかいう言葉はいまいちよくわからんが、すんげー軽く見られたってことはあたしにだってわかるんですよ。
だけどそれであたしの内臓からっぽな腹も決まった。
侵略してきた連中は叩きのめす。とことんまで嫌がらせをするってね。
とりあえず、ノマスケ呼ばわりしてくれた連中には、泥人形スペシャルでおもてなししました。
だって、敵の目の前で、斬りかかる順番をじゃんけんで決めてるんだもん!
しかもじゃんけんの時の、かけ声がバラバラだからまず揃えようと相談始めるとか!
どんだけ気を抜いてんだか。
〔それもどうかと思いますけど!泥人形スペシャルってなんですかー!〕
イークト大湿原の泥の中には、ダンゴムシのお化けみたいな節足動物もけっこういる。むこうの世界でも、ダンゴムシというのはヨーロッパ原産だそうな。150年ぐらい前には日本にいなかったらしい。
この世界の近縁種は水棲草食だったらしく、木道の支えになってた草の束にもびっしりだったんで、それを泥人形の中身に混ぜてみただけなんだけどね。
斬りかかったそれが動くたびにぼろぼろと虫がこぼれ、降りかかってくると言うのはそうとうに気色が悪かったみたいですな。
〔ぼ、ボニーさんって、やっぱ悪魔だと思いますー!〕
鬼なのか、悪魔なのか、いい加減どっちかに統一しとかない?
それはともかく。
じつはあたし、木道どころか、イークト大湿原通り越して、スクトゥム帝国領内にも情報収集で飛んでってみたのですよ。
それもあえて境界集落ではなく、もうちょっと人の集まってそうな、近隣の街にね。
星屑たちが逃げ戻ってくる前のタイムラグがある状態が知りたかったってこともあるけど、それ以上の目的があったのだ。
だから、フームスたちに周囲を警戒してもらって、あたしはアゴラに潜入した。
街のアゴラ――広場のことだ――には、板がある。学術都市リトスで門衛のウーゴに教えてもらった情報だ。
最初見た時は驚いた。むこうの世界じゃ、たしか世界最初の新聞ってのはそういう広場の塀に貼ってあったお触れだったとか聞いた覚えがあるのだが、こっちじゃどっちかというとSNS、いやネット的な意味合いでの掲示板に近い。
その理由も納得しましたとも。
塀というか、張り巡らした板にがりがりと炭の先端などでされてる書き込みときたら日本語なんだもん。星屑たち御用達ってやつらしい。
たしかに日本語ならば、この世界の人間からは情報セキュリティはしっかり守られてるっぽいですよ。
――だったら、同じ、この世界の異物としちゃあ、存分に利用してやんないとねぇ?
そんなわけで、ちょいちょいデマや思考誘導用の情報を継続して流してます。
〔まった何やってんですかボニーさん!〕
だから、あたしのできることしかやってないって。
〔騒乱の種しか蒔いてないじゃないですか!〕
いや、だって大事でしょうよ。いらん危険から逃げられるって。
泥人形パニックから逃げ帰った人間のふりして、いくつか書き込んでもみたんだけどねぇ……?
実体験しないと人間って懲りないのかね。やっぱり。
ならばこのへんで、もうちょっとこりごりさせちゃろうじゃないのってね。
〔ちょっと待ってくださいよ、んじゃその大剣モドキって……〕
やつらは、あたしを見て『ノマスケメイジかよ』といった。
スケはたぶんスケルトン、メイジは魔術師。骸骨魔術師あたりのモンスターの一種とゲーム感覚で判断したのだろう。ノマの意味はよくわからんが。
だったら、杖を持たず、魔術師のローブを脱いで、下のズボンとシャツ――下着というかいいとこ中着以下ですよこれ――の上から、ぼろぼろになったマントを羽織って大剣モドキを携えたあたしは骸骨剣士、ぐらいには見えるんじゃないのかね?
つまり、別個のモンスターぐらいに判断されうるとあたしは見てる。
頭蓋骨の識別ができるほど無駄に見慣れているとも思えないし、似てるな、くらいだったら、デザイン担当の手抜きだぐらいに判断しそうじゃないの?
なにせRPG系のキャラクターデザインって、色を変えただけでも別キャラ扱いになってたりするじゃない?
〔それは、まあ〕
愚直に木道から攻めてくるのをモグラたたきするだけならば、やることは単純だ。
ただし、星屑どもがあたしをモンスターデータ扱いしているならば、そこには手を加える必要がある。
下手に単一モンスターしか出てこないのに通れないという情報が出回ったら、別の攻め口考えたりしそうだし。
ランダムモンスターが出たと思えば、その攻略法を探すのに集中してくんないかなーというわけだ。
「骸の魔術師どの」
グラミィと心話でごそごそ話をしていると、真面目な顔をしたアロイスがやってきた。
「このような武器を作り出すことができるのなら、どうかわたくしたちにお貸しいただけないでしょうか。師のご負担を減らすこともできるかと存じますが」
性能のいい武器さえあれば、あたしと同じ事ができる。そう言いたいのだろうか。
「無理というのなら、以前のように、剣身に魔術陣を施していただくだけでもかまいませぬ。我らも戦力とお考えくださいますよう」
そいつぁ断る。
「『やめた方がよろしかろうと存じます』」
「なにゆえ、そう思う」
「『確かにこの身は魔術師。剣のみでアロイスどのと対峙すれば一合ともたず斬り捨てられておりましょう。またわたくしも人殺しは苦手にございます』」
ええ、あたしゃなにもアロイスたちの腕前を軽く見て、んなこと言ってるわけじゃないんですよ。
むしろ、向こうの世界で武術系をかじったことなどない、ずぶの素人のあたしより、騎士として鍛錬を積み重ねてきたアロイスたちの方がうんと強いってことはわかってます。
フェルウィーバスで雪隠詰め状態になり、不満の塊になってる諸侯たちのガス抜きがてら、兵を借りるってこともちょっと考えたけどさ。それよりアロイスたちの方が信頼性だって高いもん。
だけど。あの地獄門術式が、どういうやりかたで仕掛けられているのか、今もってわからない以上、どうしてもスクトゥム帝国との接触には警戒してしまうのだ。
それにさ、
「『アロイスどのはスクトゥム帝国の者どもの相手に、いったいいつまでかかるものとお考えですかな?』」
そう、これ一回で終わるわけでも、数日で終了するわけでもないのだ。
人の往来も困難になる冬が来るまで、下手すりゃ冬が来ても、ひたすら寄せてくる星屑をあしらうだけの、じみーなお仕事です。
問題は、アロイスたちがここにいてそれをやるというのなら、そのぶんフェルウィーバスの、ひいてはクウィントゥス殿下の周囲が手薄になるということでもある。
それだけじゃない。
あたし以外の、つまり生身の人間がスクトゥム帝国の迎撃をやるとなると、そのぶんの食糧が必要になるってこともある。
それもクラーワ滞在中だけじゃないんですよ?フェルウィーバスからここまで移動する間だって、ご飯食べてきたんでしょ?
しかも、騎士たちが十全に機能するためには、馬たちの糧秣だって必要になる。人間のものとは比較にならん量のがだ。
その負担を喜んでしょってでも、長駆スクトゥム帝国を迎え撃ちたいって言い出しそうな連中にも、心当たりはありますよ。
フェルウィーバスに集まってる諸侯の耳目さんたちとか。
だけど一部に許せば、やれえこひいきだなんだと騒ぎになる。かといって全部に持ち回りにさせるなら、だれが統率取んのってことになる。
ころころ現場トップが変わって困るのは、クラーワの人たちだと思うんだけどなあ。
つまりそいつはめぐりめぐって、外交関係の悪化を招きかねない。
さらに言うなら、騎士たちの物理的戦闘能力は確かにあたしなど足下にも及ばない。
が、彼らに魔術耐性はないに等しいのだ。
魔術師は逆に魔術耐性はそこそこだが、物理的戦闘能力は皆無に近い。魔術師の対応は魔術師にしかできないとは言うが、実際問題、絶対数の少ない魔術師を消耗するのは避けるべきでしょうが。
一方、あたしに魔術戦闘能力はかなりあるだろうし、魔術耐性も高い。
近接戦闘能力はなくても、近接戦闘耐性ならある。
……諸条件を勘案すれば、あたしが一番適任なのだ。なにせあたしに食糧不足は無問題だし。
〔せめてヴィーリさんたちに協力してもらえば……〕
グラミィが他力本願を呟いた。
そりゃもちろん、星屑たちをガワの人からひっぺがすことなら、現在進行形でよろこんでお願いしてますとも。
だけど、武力としての星屑たちの排除を頼むわけにはいかん。
森精には、すでに種々雑多な負担を押しつけてしまっているし、そもそもこれは人間同士の戦いなんですよ。
だからこれは、あたしが行くのが適任で、あたしが背負うべき負債なのだよ。
「骸の魔術師どのは、慈母のようにお優しいお方のようだ」
皮肉か棘か。ざらついた言葉を放ってきたのは、こんなところにまでやってきたトリブヌスさんだった。けど。
「『失礼ながら、何か勘違いをしてはおりませぬか。トライキエーンスピラ伯さま』と申しております」
「勘違い?わたしが?」
「『危険なのは、わたくしが、なのですよ』」
二重の意味でな。
よっこらしょっと立ち上がると、抑えきれない放出魔力が漏れたのだろう。
アロイスが、いやグラミィを含めた全員が後ずさった。
あたしだって、平然と戦闘に次ぐ戦闘に耐えられたわけじゃない。それなりの代償は払っている。
クウィントゥス殿下が来ても、無礼を承知でずっとあたしが腰骨を据えていたのは、ラームスのひと枝を挿した、その根元だったのはそのためだ。
ラームスがあたしのよけいな放出魔力を吸収してくれるだけじゃなく、かつてのあたしの心的情報をより多く抽出し、有り体に言って『人を殺す前のあたし』の精神状態に近づけて、魔力を制御する手助けをしてくれていたからこそ、こんなにも平然と、安定した会話ができていたのですよ。
それでも、あんまり近づかないでいただきたいと最初にお願いしといて助かった。
今のあたしに、穏やかに大勢の人間を相手にするのはちとしんどい。そういう意味では、クウィントゥス殿下の独断専行突出癖にも助けられている部分はあると思うが。
挑発攪乱嫌がらせ、だまし討ちに流言飛語の数々を星屑たちに仕組んでいたのは、なにもあたしの趣味だからってだけじゃない。
一番の理由は、彼我の人数差がだまくらかしやすいこと。
そして何より、魔喰ライになる禁忌の一つ、自分の手で人を殺すことを、なるべくしないですむから。
ただ、それだけのことなのだよ。
〔いやそれ矛盾してますよね!ボニーさんが前線に出たがんのはわかりましたよそれは。星屑からの汚染を防ぐため、味方を殺させないために攻性防壁となるためだってのは。でもそれって、人を殺したくないボニーさんが人を殺すってことじゃないですか!〕
戦場を作るとは、戦場に出るとはそういうことなんですよ。グラミィ。
だからこそ、あたしにはヴィーリだけでなく、メリリーニャまでくっついてきてくれている。
闇森にとっても、あたしはずいぶん珍しい者になったようだ。
ようだ、というのはヴィーリからの伝聞なせいだが、あたしのように凶禍――森精たちのいう魔喰ライのことだ――になる寸前でふみとどまった者は、彼らの中にもそういないらしい。
そうかー、やっぱりあの餓えに負けてたら魔喰ライ一直線だったんだーと納得してしまったが、森精たちにとっても、魔喰ライ対処法というのは、どうすれば魔喰ライにならないですむか、そして生じてしまった魔喰ライをどう処置するか、その二つしかないそうな。
一度魔喰ライになった者を人間に、あるいは森精に戻すことはできない。
経験則で構成された対処法に則って、メリリーニャとヴィーリは彼らの半身たる樹の魔物たちに呼びかけ、あたしを隔離したのだという。
魔喰ライと見極めた瞬間、あたしを処置、つまり消滅させるために。
隠すことなく彼らはあたしにそのことを告げ、あたしもそれに納得した。
一時期制御が難しいほど荒れた魔力も、魔術の行使に不調を感じないところまで戻すことができたのは、あたしの処分を覚悟しながらもヴィーリとメリリーニャが、そして彼らに協力したラームスたちと幻惑狐、魔物たちが、懸命に手を尽くしてくれたおかげだ。
だけど、魔力の安定は感情のそれに連動しているところがある。
もともとそんなにあたしゃ感情の制御は得意ではないのだが。人間がそばにいると、その影響をうけやすくなっているらしい。どうしても以前より感情のセーブがしづらくなってきているということは、あの廃園から出られるようになる前からわかっていたことだった。
結果、今のように、単独任務が多くなったこと、メリリーニャたちがあたしについて、というかあたしを監視してくれている体制が整ったことはありがたいことだった。
そう、あたしが危険というのは、スクトゥム帝国の皇帝サマ御一行を迎え撃っているうちに、獅子身中の虫に背後から狙われる可能性があるという、あたしのお骨の危険だけじゃない。
あたしが魔喰ライに堕ち、周囲の人間を喰らわずにいられなくなるかもしれないという危険もあるんですよ。
もしあたしが魔喰ライになったら、ためらうことなく殺せるか?
その際、森精たちがするよりも、周囲に損害を出さずに済むと言えるのか?
そう遠回しに問えば、あたしを魔喰ライと疑って襲撃してきたことのあるアロイスも一瞬唇をかみしめた。
「魔喰ライになる危険性があるというなら、なおさら師だけに防衛をお任せするわけにはまいりますまい」
「『もしそうなったら、味方にではなく、敵にのみ被害を出すべきかと』」
あたしにとって、ランシアインペトゥルスは唯一絶対の価値あるものじゃない。そうであってはならない。
けど、敵と味方に分けて考えるなら、味方に損害を与えるよりは敵に押しつけようぐらいのことは考えるし、そのくらいには星屑たちを敵と見なしてる。
「おまえにそこまでは求めておらん!」
「『闇に沈むとはそういうことかと存じておりましたが』」
はて、思い違いでしたでしょうかと言ってやると、クウィントゥス殿下は絶句した。
あいにくだったな。今更あたしの身を案じるようなことを言われても、たとえそれが本心混じりだとわかっても。それでほだされるわけがないでしょ、内臓ベンタブラック系男子に。
かつて生前のシルウェステル・ランシピウスさんを配下とし、そして骸の魔術師を自分の駒として手中に収めたがったということは、どうしたって『シルウェステル・ランシピウス名誉導師』と王弟殿下との関係性は、身分だの主従だのがごたごたに絡みつき、乾燥したビジネスライクなものにしかなりようがないんですよ。
ま、いたずらに不安を煽るようなことはやめときますけど。
あたしは一同に、丁重に頭蓋骨を下げた。
「『案ずることはございません。――わたくしは、まだ、大丈夫ですので』」
〔って通訳だから言いますけど!まだとか言われて安心できますか!〕
正確な表現を心がけただけなんだけどねえ。




