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奮戦の果て(その1)

本日も、拙作をお読みいただきましてありがとうございます。

なおこの部分にはグロテスクな表現が含まれております(主に主人公がやらかしてます)。

お気に召さない時には速やかにタブを閉じるか、前のページにお戻り下さい。

 絶望的な多数の敵に一人で挑み、勝つ方法なんてものは限られている。

 圧倒的な火力を持っているのなら、それを叩きつけ、反撃の芽など出ないほどに蹂躙するか。

 そんな火力がないのなら、仲違いをしかけて同士討ちにするか。

 いずれにしても、相手方に看過できないほどの多大なダメージを与え、戦意をくじくことが必要になる。


〔……で?いったい何をやらかしたんですか、ボニーさんは〕


 ジト目でグラミィが見下ろしてきた。やらかしたこと決定かーい。

 もちろん、あたしがしたのは第三の方法、嫌がらせですじょ?


〔……なに、また、ろくでもないことをしてるんですか〕


 し、しょうがないじゃないですか。

 あたしができることなんて限られてたんだから。


 事の起こりはこうだ。

 相変わらず夜中にイークト大湿原の水脈を探っていたあたしは、陸の方で火の光が踊るのを見た。

 ただ事ではない気配だったので、光の及ばぬぎりぎりまで近づくと、連れていた幻惑狐(アパトウルペース)のフームスを放して、こっそり騒ぎの中心に近づいてもらう。

 そのついでに、ラームス経由で他の幻惑狐にも呼びかけた。同時に、ヴィーリやメリリーニャにも、あたしが呼んでると伝えてもらった。


 ……暗森内の拠点をこっそりクラーワ地方にもこしらえておいて、つくづく助かったと思う。

 森精たちによれば、暗森は死の谷の北側まで延びている。そのあたりならば人も寄らないそうな。

 そこで、あたしは風向きが変わっても大丈夫そうな場所を見つくろい、そこにもラームスの枝と幻惑狐たちを置いていたのだ。


 幻惑狐たちが数匹、フェルウィーバスからあたしについてきてくれたのにも助かった。

 たとえそれが街中で捕まえるラットゥス()ばっかりは飽きたとか、魔術師も騎士たちもフルーティング城砦でのように、かまったりブラシかけしたりしてくれなくなったとか。あと単純につまんないからといった、とっても欲望に忠実な、気分任せのものであってもだ。


 フームスの視界越しに見たのは、なんというか、圧倒的な数の勇者たち、という感じだった。

 あとで教えてもらったところによれば、ステルラスパエラという名前だそうな集落が、大勢の人間に襲われているのはすぐにわかった。

 整わない武装をした襲撃者連中の行動は、奇妙なものだった。

 それぞれの家に入り込み、壺――フームスの鼻によれば魚醬のそれらしい――をたたき壊し、匂いに大騒ぎしたり、家財道具をあさる方に夢中になっていたのは、まあ、わかる。

 扱いを誤った松明から火が燃え移った家屋――こいつが、あたしの気づいた火の光だったらしい――にすら、飛び込んではせっせと何かしら運び出しているのも、我が身の危険より欲に突き動かされてと見えなくもない。


 だけど、止めようとする人間を叩きのめすのはまだしも、逃げる人たちはそっちのけというのは、明らかに不自然だ。

 だって、孤絶した集落じゃないのよ。

 イークト大湿原のへりじゃあるけど、少しは平地もあり、家の数もそれなりにある。

 ちょっとした港のようなかたちで小舟もまとめて泊めてある。高低差が大きすぎるから水運は高地の集落との往来には使えないが、大湿原での漁や流通に特化しているわけでもない。

農耕地もそこそこ広がっているし、森に属さない木々を種類ごとにまとめて植林してあったりと、土地の使い方がかなり整っている。

 ということは、長年かけて開拓し、生産物から富を蓄積してきた集落と見ることができる。

 複数集落を有する氏族や呪い師の拠点としても、かなり重要な位置づけがされていておかしかない場所なんですよ。


 襲撃者たちがどんなに人数に物を言わせても、そんな有力な集落で昼間に同じ事をしようとしたら、まず間違いなくそれなりの抵抗に遭うだろう。だから夜中の襲撃を選んだというくらいには無駄に頭を使ったのであれば、このままほっとけば近隣の集落へ逃げていき、危機を知らせるだろう人たちをまるっと無視するというのは、明らかに変だ。いや、口封じとばかりに片っ端から殺されるとかいう状況よりはましなんだろうけど。

 考えられるのは、襲撃者たちがゲーム気分の星屑(異世界人格者)であり、この襲撃もアクティブタイムイベント感覚でやらかしているという可能性だ。


 推測の正否はどうあれ、こいつぁ見逃しちゃおけない。あたしは咄嗟に介入を決めた。

 だけど、あたしは一人、むこうは驚くほどの大集団。

 こいつらすべてが星屑ならば、いつの間にこれほどの大人数がイークト大湿原を渡っていたのかと思うほどだった。

 そこでフームスを呼び戻すと、あたしはアーノセノウスさんに突っ返した仮面に似せたものを顕界して装着し、他の幻惑狐たちも引き連れて、逃げ惑う人々の中に突っ込んだ。杖を持った呪い師がいたのに気づいたからだ。

 フームスに彼を化かしてもらって話しかけると、驚くほどあっさり呪い師の彼は――アスタリスピナスのグルースというそうな――、あたしのお願いを聞いてくれた。

 仮面の魔術師というだけで、森精たちの星屑殲滅を連想するほどには、サルウェワレーやミーディウムマレウスの騒ぎを肌身で知っていてくれたようだ。おかげで話が早い。

 まずはともかく人的被害をこれ以上出さないことが先決だ。グルースに住民の人たちを逃がすよう伝えると、あたしはぬらりくらりと壁に徹することにした。

 かっとなって飛び込んだのは認める。だけど反省なんかしませんともあたしは。


〔そこはしましょうよ!てか、壁に徹する嫌がらせって。具体的に何したんですか?〕


 こんな小道具を使っただけですが?

 座ったまんま、ほいとグラミィに一つ渡したげると、アロイスどころかクウィントゥス殿下まで近寄ってきた。

 

「なんですか、これは」

「目玉のようにも見えるが……」


 殿下正解。

 三つほど魔術陣を仕込んじゃあるが、その一部を目玉っぽく色を変えただけの石ですよこれ。

 向こうの世界で、ハロウィンとかで目玉ゼリーを作った経験がこんなところで生きるとは思わなかったけど。


〔いや、目玉な外見はともかく。仕込んだ魔術陣ってのが怖いんですけど〕


 おもちゃレベルの仕様だよ?

 一つは見ての通り。目玉全体が何かに包まれていないと、ぐるぐる回転するようにしただけのもの。

 もう一つも見ればわかるように、その目玉っぽい物体の瞳に見える部分が、外気に触れている間、次第に赤く変色していく、というだけのもの。

 だけど、それを泥に埋め込むとだね。


 同じものを足下の泥に落とすと、あたしは結界を顕界した。

 ぬうっと泥から人の形が生えてくるのは、それだけでもインパクトはある。

 クウィントゥス殿下が後ずさり、アロイスが柄に手をかける程度には、だが。

 それに加えて。


「うわ。気持ち悪っ」


 どストレートに呟いたグラミィは正直者だ。

 ゆっくりと左右に動いている泥人形の頭部に、ランダムに配置された目玉がぐるんぐるん回転し、しかも焦点の合ってないその目は、だんだん赤くなっていく。

 これ見て危機感煽られないやつぁ鈍い、と言い切れるくらいには不気味だろうさ。


 あたしはこれを数十体分作り出した。

 といっても、ラームスのあらかたを置いてきている今のあたしじゃ、個別に結界をいくつも作って同時に動かすのは、かなりの骨です。

 そこは手抜きで複製しても同じ事。おまけに全く同じ形の複製というのは、弱点が見破られたときに対処がされやすい。

 ということで、泥人形集団をまとめて作ったんである。多少複雑な形でも一体化してる方が楽なんですよ。

 前後左右でくっついてる場所を作る必要があったので、想定よりもずいぶんと密集陣形ぽくなってしまったのは、まあ、ご愛敬ってことにしとこう。


 それが、ぺたしぺたしと暗闇の奥から足並みそろえて行進してくるわけですよ。

 生き物の気配を立てられない以上、なかなか星屑たちも気づいてくれなかったんだけどね。

 逆に彼らが気づいた時には、この不気味な集団が至近距離にまで迫ってたってわけでして。


〔うわぁ……。なんかそれ、星屑たちに同情したくなるんですけど……〕


 もちろん、いつの間にかお隣にいた恐怖なんてものじゃ許しませんとも。

 

 そこで大活躍だったのは幻惑狐たちだ。遊び好きの彼らは、その土砂を操る能力で星屑たちの足止めをしてくれた。

 気がついたら足が埋まってたというのは、一瞬動きを止めるには十分すぎる。

 そこで足下に、懐かしの手袋型結界に泥を詰めたものを、カサカサと走らせたら。

 気分はもう、スプラッタかパニックホラーものでしょうよ。ねぇ?


 光源といっては各自が持ってる松明か、燃え落ちつつある家屋の火の粉か。

 そんな夜闇の中では泥人形もゾンビにでも見えたのだろう。えらい混乱になったもんだ。

 なにせ、星屑たちが恐怖にかられて切りつけても、高速走行する泥の手も、のたのたと手を伸ばしてくる泥人形も、結界に泥詰めただけのしろものだ。斬撃なんてものともしない。逆にすっころばされるのがオチだ。

 ついでに数人の身体に手をカサカサ這い上らせたり、転倒させたりしたところで、口の中にその手が入っていくというね。

 泥人形たちは泥人形たちで、身動きの取れなくなった襲撃者に熱烈なハグををかますと。

 ――そのままディープキスをしていくとか。


〔……生きのいい泥の手首に、ぐるぐるお目々の泥の怪物からのセクハラに泥を喰わせるとか……。なんつー嫌がらせですか。エグすぎません?〕


 心底どん引いた心話が、視覚的記憶を伝えるって形で具体的に教えたグラミィから返ってきたけど。

 あのときは心を折るにはいいかなと思ったんだよね。

 それにこれ、第二段階があるんだけど。


〔第二?〕


 この時点でパニックもそこそこ大きくなっていたが、被害は自分が体験しないと肌身に染みて理解などできないものだ。

 仲間を見捨て、あるいはなんとか泥人形たちから救出した連中が敗走する後を、あたしはこっそり追いかけた。

 水面に立ってりゃ、そりゃ夜中でも目立つでしょうが、水中に潜れば隠密性は抜群だ。ついでに空っぽの小船を一艘お借りして、その影に潜めば、舫い綱が解けて流されてるのか、ぐらいにしか見えないだろうし。


 集落から遠ざかったところで、星屑たちは足を緩めていた。

 傷の手当より先とばかりに、たっぷり胃袋に入った泥を彼らは吐き出しにかかった。窒息させないように飲ませるのも手間じゃあったんだが、確かに砂袋状態になった胃は、さぞかし重たかったろう。

 だけど、もうここまでくれば大丈夫、と、一息ついたところでさらに恐怖に落とすのが大事ですとも。


 泥塗れでげろげろと嘔吐していた連中の動きが一斉に止まったのは、ある意味壮観だった。

 彼らが見ていたのは、自分たちの吐瀉物だ。

 いや、その中から現れた手だ。

 さっきの泥の手の群れとはサイズが違う。まるまっちい、ぷくぷくとした短い手が、肩が、そして赤ん坊の頭が現れるのを、星屑たちは凍ったように見ていたっけ。

 ぱちりとその一つ目が開くと、とたんにぐるぐると目玉が動き出した。

 それが次の得物を探すように見えたのならば、赤く染まりつつあったのは、ターゲットロックにでも見えたろうか。

 そして、造形だけはぷにっとした唇から。


「Paう゛。wpa」


 音が出たとたん、硬直は溶けた。

 わけのわからないわめき声を上げながら、さらにスクトゥム帝国方面に向かって逃走しはじめたところを見ると、どうやら皇帝サマ全員SANチェック(一時的狂気)失敗した(陥った)らしい。


 あ、シャベッタアなしかけは魔術陣です。

 目玉に仕込んでおいた最後の魔術陣は、胃液のような酸性の高いものに触れたら、ぶつぶつと気泡を吐き出すようになるというだけのもの。

 あたしが幻惑狐たちの目を借りて、赤ん坊の形にまとめ上げた、胃液混じりの泥と組み合わされば。

 いーい感じに破裂音が声っぽくなったのだよ。


〔お、鬼だこの人ー!何やってんですかボニーさん!〕


 だから嫌がらせですってば。どん引きするのはわかるけど。


 トラウマレベルの精神的ダメージを、なるべく多くの星屑たちに負わせる。これ大事。

 初心者向けMMORPGだと思ってたら、完全18禁ホラーゲームのヘルモードだった、ぐらいには大騒ぎしてほしかったんですよ。

ついでに言うなら、イークト大湿原は泥の宝庫だぜい。足りないものを使っても長続きなどしない。

 ならば、大量にあるものを生かすべきじゃないですか。


〔いや、まともなこと言ってるようでいて、やってることのひどさはごまかせないですからね?!〕


 と言われましても。

 正直、それ以外に手がなかったのが掛け値のないとこだ。


 そりゃあ、あたしの魔術的な火力は、個人の魔術師としてはかなりのものだろうさ。だけど、スクトゥム帝国からやってきてた侵入者すべてを殲滅するほどではないんですよ。

 そもそも、星屑を搭載されているガワの人を巻き込んで、命を奪うなんてことはやりたくない。

 どうせやるなら、物理で瀕死に追い込んでから比喩表現抜きの死体蹴りをするより、膝かっくんですませたい。

 死ぬ前に戦意喪失してくれるのなら、そっちの方があたしとしてもありがたい。

 そうかといって同士討ちは、噂を撒いたり誘導したりする手間がいる。対人能力や時間もないと難しいんですよ。

 利害関係が隠せない以上、どこの者がその状況を作り出したのか、隠蔽する必要もあるんだけどね。

 あたしにゃその能力も人手もないときている。


 ないない尽くしの限られた手札の中で、あたしはなんとか時間を稼ぐことができた。スカンデレルチフェルムの人たちにも、星屑たちのガワの人たちにも、人的被害をなるべく出さずに、星屑たちを一時退却に追い込んで。

 これってけっこうあたしの中では高評価なんだけどなあ?

 その後のことは、空を飛んできてくれたメリリーニャにお任せしちゃったけどね。主に呪い師方面を。


 森精たちは、人間のためには動かない。

 正確に言うなら、特定の国などの人間集団が窮地に陥っていたりしても、そうそう都合良く紛争に介入してくれることなどない。彼らはデウスエクスマキナ(機械仕掛けの神)ではないのだ。

 だけど、森精たちは世界のためなら動く。

 スクトゥム帝国の星屑たちが、彼らの同胞に何をしたかも知っている。

 それがあのクラーワ地方への大規模展開になったわけですが。


 あのとき、クラーワ地方には警戒網が二重に張り巡らされた。ラームスたち樹の魔物を植え付けたことで作られた森精たちのものと、クラーワ地方の各氏族、各国々の間の同盟協力体制の一部、人間たちのものとだ。

 おまけに、クラーワの呪い師たちは、何がどうしたのか森精たちの熱狂的な信奉者になっている。

呪い師たちは物理的に非力とはいえ、ある程度魔術にも抵抗力がある。が、対スクトゥム帝国的な一番の強みはその宗教的権威にあるとあたしは考えている。

 つまり、森精が動けば、あるいは呪い師たちが動けば、クラーワはかなりの確率で動くのだ。

 森精たちをさげすみ、宗教的権威を認めない星屑たちの目に、連帯したクラーワの国々の動きは異常に洗練されて見えるかもしれないね。


 とはいえ、森精も呪い師たちも物理的には非力な部類に入る。人を使って星屑たちに対抗措置をとるならともかく、彼らが直接スクトゥム帝国の皇帝サマご一行にぶち当たってしまうような状況は作り出さない方がいいだろう。

 その理屈はわかる。

 わかるけど、それじゃよろしくとばかりに、今のあたしに無理難題ふっかけられても困るんですがね……。


 そう、グルースってば、とりあえず星屑たちが逃げてった後、あたしにお願い事を持ち込んできたのだ。

 いや、そりゃ、彼としては、ランシアインペトゥルスのシルウェステル・ランシピウスという、森精にも顔というか仮面のきく、いろんな意味で力のある魔術師に依頼をしてるつもりかもしんないさ。

 だけど、現在のあたしは、政治的権限皆無の単なる一介の斥候なんですから。シルウェステル・ランシピウスの名すら名乗れないのですよ。

 今後もスクトゥム帝国の侵攻から守ってくれとか、助けてくれとか言われても、ホイホイ応じるわけにはいかないのだ。


〔とか言いながら、ボニーさんにも腹づもりがあったんじゃないんですかー?〕


 否定はしない。かっとなって介入したってのと同じくらい、後付けでも計算はしてた。

 でもね、ちょっとした借りぐらいに思ってくれないかなー、その恩義に免じて、情報の横流しをしてくんないかなーとか、支配氏族との連絡役になってくんないかなー、ぐらいのもんだったんですよ。こっちとしては。

 だのに、集落を上げて大々的に感謝した挙げ句に、さらなる助力をと乞われるきっかけにされるとかね。

 あたしゃ諾否を伝えるどころか、条件闘争すら、権限ないのにするわけにもいかないんですよ。

 無駄に顔――というか頭蓋骨ってことになんのか――が売れてるのも困りものだ。


 だから、あたしはお仕事に逃げた。


〔……それで、真っ先にクウィントゥス殿下に『ご命令を()たず行動に移りましたこと、深く謝罪いたします』って伝えてくれ、だったんですか〕


 大正解。

 権限がないなら、権限のある人に判断も責任も丸投げするのが、下っ端その1としての正しい上司の使い方ってもんですとも。


 メリリーニャにグルースたち呪い師と、フェルウィーバスあての文書を託し、あたしはフームスを連れてさらに南下した。

 星屑たちが逃げてった後に、時間差をつけての追走ってことになるんだろう。

 が、決して追撃ではない。

 どんなに物理で攻性防壁やっていても、あたしの本来の任務は斥候。情報収集重要なんです。


〔物理……?〕


 いやそこで悩むなよグラミィ。泥は物理ってことにしとこう。


 イークト大湿原の北部はクラーワ地方とランシア地方を隔てているが、南部はというと、同様にスクトゥム帝国との障壁にもなっている。

 おまけに、クラーワとランシアはわずかながらも細い道が続いているが、スクトゥムとクラーワの間には、基本的に道なんてない。

 ウングラ山脈がイークト大湿原に接するあたり、そこもほぼ垂直に近い岩壁が連なっているせいで、スクトゥム帝国からイークト大湿原を北上するには、水脈を熟知した船乗りに小舟で渡してもらうしかないというね。

 イークト大湿原は、南下するにつれて浅くなっている。クラーワの中程に入ってからは、水面から突き出した草の群生なんてものも見られるようになっていた。

 が、浅くなればなるほど船はかえって使いづらくなるものだ。

 おまけに、イークト大湿原は、コバルティ海と水運がつながっているわけでもない。

 まさに天険、不落のマージナルエリアというやつだったはず、なのだが。


「道が作られていただと?」


 グラミィの通訳を聞いていたクウィントゥス殿下も顔色を変えた。

 それを見つけたときのあたしの心境を追体験していただけたようでなによりだ。

 いやー、ほんと、念のために追走してってよかったと心底思ったね!


 その道は水脈を外れ、逆に浅くなっているところを辿るように作られていた。

 いくら浅いとはいえ、そこももちろん、不用意に踏み込めば脛どころか腰まで埋まるぬかるみだ。

 だが、渡された板は沈み込むことなく、どかどかと渡っていく星屑たちの体重をしっかりと支えていた。


 不審だったので毎度おなじみ、夜中の鴉作戦で、あたしが大湿原の沖合からこっそり近づいて調べてみたところ、板の下には大量の刈草が泥の中に押し込まれていた。

 どうやら星屑たちは、草を束ねて作ったと思われる大きな塊を、湿原の浅瀬に放り込んではその上を踏み固めていったらしい。

 結果としてぬかるみはしっかりした足場に代わり、その上に板を敷けば十分使用に耐える木道となり。

 これまでほそぼそと少人数単位の星屑たちが、五月雨状態でしか入ってこなかったのが、突然ゲリラ豪雨並の大集団で群れをなしてやってきたのが、あの集団勇者が乱暴狼藉をやらかせた原因となったらしい。


 正直、してやられたと思った。

 確かにぬかるみを固める方法として、刈草を投げ込むというやり方があるのは知ってた。

 だけどそれは長持ちしない。向こうの世界でも、たしかそんなやり方で土台を固めた湿地の建物が、一世代するかしないで沈んでった、なんて話を何かで読んだのを覚えている。

 あたしならやらないやり方だ。

 けれど、それは、星屑たちがやらないやり方であるということを意味するものじゃない。その場がしのげればそれでいい、短期間のうちなら十分実用的なんだから。

 そう考える人間がいたって当然だということを、あたしはどうやら考えからすっ飛ばしていたらしい。


 だが、問題はそればかりじゃない。


「『これをご覧ください。木道を支えていたものにございます』」


 泥まみれの草と、それに包まれていた種子をあたしは差し出した。草の塊から引き抜いてきたものだ。


「これは」

「トリクティムではないか!」


 ただの刈草ではないと知って、クウィントゥス殿下と従ってきた者たちはざわめいた。


 トリクティムは、この世界における麦のような植物だ。トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領からスクトゥム帝国がかっぱらっていった食糧でもある。

 それが泥を落とせば青い穂もまだ残っているような状態のものすら惜しげもなく泥に沈め、クラーワ地方に踏み込むだけの道が作られたということは。


「まさか、やつら、自国のトリクティムを湿原に投げ込んでいるのか……」


 ぞわりとした共感が周囲を覆った。


 ランシアインペトゥルスから、というか、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領から、舌先三寸でかっぱらっていった食糧を、スクトゥム帝国の人間が廃棄するついでに足場に使う。

 実はこれ、あたしにはまだ理解ができてしまう。

 もちろん、もったいないとか、食糧のありがたみをなんと心得てるんだとか、いろいろ思うところはあるけれども。

 だってこの処分方法、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家にランシアインペトゥルス王家の手のものが潜んでいた可能性を考えるんなら、スクトゥム帝国サイドとしてはかなり合理的なものなのよ。


 もしあたしが、スクトゥム帝国がトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家にちょっかいをかけていた当時、国の暗部として領内に潜んでいたなら。そして故峻厳伯のやらかしに気づいていたなら。

 まず、真っ先にすべきは、王都へトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家の叛逆の報を送ることだったろう。

 だけど、その次になすべきなのは、トリクティムの輸送妨害だったろうと思う。なにせそれは王に納めるべき税なのだ。それを他国に送るなど、臣従の誓いが破られたことを公言するようなもの。

 王の威信を揺らがせぬために、一番いいのは秘密裡に処理をし、名実ともになかったことにすべきだろうから。


 だが、もしそれが阻止しきれないと判断したら、次に考えるのは、食糧としてのトリクティムの価値を下げること、言い換えるならば食糧をそれ以上敵に利用されないようにする方策だ。

 叛逆の事実が広まってしまうのはしかたがない。だけどそれもプロパガンダのやりようによっては、裏切り者への憎悪と王への忠誠を同時に高めることにも使えるからだ。

 が、奪われた食糧をそのまま敵に食われるのは、こちらの損失と同時に敵の利益になってしまう。


 相手に利益を与えない方策として、一番手っ取り早いのは、燃やしてしまうことだろう。

 だけど、それをやると、敵からさらにトリクティムをよこせと要求が来る可能性があるのだ。

 しかも領主自らが敵に通じ、譲渡を承認していたことを考えると、ずうずうしいおかわり要求をつっぱねるのは難しい。


 ならば素直に奪わせたと見せて、汚染させるというのが定石だろう。

 だけど、それもあたしだったら、製粉する前の穀物に、大量の小石や土砂を混ぜるだけにしとくね。

 それなら、運ぶにしても重くなるし、取り除かなければ製粉して食用にすることもできない。手間と労力ばかりが増えるだけだ。

 けど逆を言えば、そんな状態にしても、手をかければ食用にだって戻せる。

 そんな手間をかけてまで食用にするのは難しいとしてもだ。最悪、来年の種籾にすることだってできるんですよこれ。無駄なんか作りませんぜあたしゃ。


 逆に毒を仕込むのは、奪い返せたときに再利用が――まあできなくはないのかもしれないが、かなり難しくなる下策なんだけど。

 せっかく奪っても口にできないと知れば、敵も略奪の手間を面倒がるという心理的抑制ができるんじゃないか、という予測もできなくはない。


 だから、その可能性を皇帝サマが読み切っていたなら、せっかくトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家から巻き上げた食糧を、イークト大湿原に大量投棄するという暴挙も理解できる――できてしまう。

 毒かもしれない食糧を無理に食べずとも、ランシアインペトゥルス側に兵糧攻めが効いたというだけで、彼らの狙いは半分成功してるわけだし。


 けれど、あたしだけでなく、アロイスやクウィントゥス殿下までも恐怖しているのは、スクトゥム帝国の連中が泥の中に投げ込んだのが、収穫される以前のトリクティムであると――つまりは、食糧として備蓄される状態に加工された、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家からかっぱらった食糧では()()ということがはっきりわかってしまったからだ。

 いや、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家から持ってったトリクティムも使われてるのかもしれないけど。


自国生産の食糧すら泥にたたき込み、蕩尽しつくし、進軍してくる星屑たちは、今後存在するだけで大いなる災厄となるだろう。

 なぜなら彼らは、後方に食糧基地となる畑を持たない。ということは、星屑たちはそれこそ蝗の群れのように、通る地域の食糧を略奪し、食い潰しながら進軍してくる。そのことは火を見るよりも明らかだ。

 しかもこれ、逆に、ランシアインペトゥルスがクラーワ地方の了解を得て軍を通し、首尾良くスクトゥム帝国内部に侵攻を果たしたとしてもだ。

 イークト大湿原周辺のトリクティムが青いまま刈り取られているのならば、こちらも食糧の現地調達(収奪)をすることができないということになる。

 すでに、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は食糧不足が確定している。

 ということは、輜重を送るには、国内外を通じ相当な距離を運ばなければならないということだ。


 敵の補給線を引き延ばすだけ伸ばして寸断し、兵站を引っかき回せば戦意も戦力もだだ下がる。

 効果的なのはわかってるけど、ここまで死なば諸共的な引き撃ちを、遠征してきたナポレオンを迎撃するロシアかって手際でやられるとは思ってもみなかった。


「……奴らは気が狂っているのか。民草が飢え死にすることも、後のこともお構いなしか」


 アロイスがうめいた。

 けれど、おそらくそれは星屑たちがこの世界をゲームとして捉えているせいもあるのだろうとあたしは推測している。

 彼らにとって、トリクティムの畑が刈り取り可能な時間ポップするオブジェクトにしか見えていないのであれば、時間さえかければ種まきしなくても、品質のばらつきはあっても収穫が回復するものと思い込んでいると思えば、その行動に納得がいく。

 ならば自分たちが飢える可能性なんてものも考えちゃいないだろう。

 補償を求めたであろう畑の所有者の頬を、金貨袋という名のブラックジャックか、それとも別の武器でぶちのめしてきたかはともかくとして。

 

 あいにく、ここは現実だ。だからこそ不都合も四方八方に発生する。


「まずいな。冬が来る」


今はまだ秋だ。だけど、ランシアでもクラーワでもスクトゥムでも、今後の収穫は冬に向けての備蓄とすべきものだ。

 それを蕩尽し、かろうじて残っている食糧すら、戦争のために消費していくならば。

 まず間違いなく、凍死者と餓死者は増えるだろう。それも敵味方を問わずに、盛大に。


 ――いや。ひょっとしたら、それもスクトゥム帝国、というか『運営』の狙いなのでは?

そう考えたとき、あたしは背骨がドライアイスに変わったような悪寒を感じた。


 正直なところ、これまでのスクトゥム帝国の動きは、かなり鈍い。

 帝都レジナまで突っ込んでって、敵対宣言というか実質的な宣戦布告をしてからこっち、あたしもグラミィたちも、かなりの移動速度で動き回った。それもこれもスクトゥム帝国を出し抜かねばランシアインペトゥルスに勝ち目はないとわかっていたからだ。

 だけど、これは以前にグラミィにも言ったことだが、帝国全土にだって情報伝達しようと思えば、狼煙や篝火を使えば、相当な早さでできるのだ。さすがに光速とまではいかないだろうが。


 実際、ロリカ内海で、あたしたちは追っ手に追いつかれそうになった。それもおそらくは帝国内に張り巡らされていた情報網のせいだろう。

 だけど、それをなんとか振り切って外海に逃れ、ぐるっとグラディウス地方の海を回ってフリーギドゥム海へ、そして王都ディラミナムからフルーティング城砦へあたしたちが移動する間、ほとんど追っ手どころかスクトゥム帝国の動きは感じられなかった。タイムロスにひやひやしていたのが拍子抜けするくらいに。

 フルーティング城砦にいた時も、天空の円環を超えてきたのは十数組のパーティがせいぜいだったし、クラーワ地方を浸食していた星屑たちも、数百か千数百人ってところだろう。

 斥候とみるには確かに多すぎる。だけど、実質総人口一千万人は堅いと見える帝国が総力戦をしてきたにしては少なすぎるのだ。

 加えて、クラーワからの侵攻自体、遅すぎる。


 もちろん、緊急事態に足軽く動ける人員を集めるのと、補給線確保も考えた遠征軍団を組織するのとでは、かかる時間が違うといわれればそれまでだ。

 だけど、それでもスクトゥム帝国の動きは遅きに過ぎた。


 これまであたしは、その予想外なほどのスロースターターぶりを不審に思うことはあっても、それがランシアインペトゥルスに利をもたらしてくれるものだと思い込んでいた。

 時間を稼げば、わずかなりともこちらも防備を整えることができるとね。

 だが、最初から向こうが、あえて季節の巡りにあわせて、鈍重さを装っていたとすると……?


 イークト大湿原近辺だけかもしれないが、これだけ背水の陣が引けるということは、準備にむこうも時間を費やしていたと見るべきだろう。いや、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯へ長年仕掛けをしてたことを考えると、むこうの方がよほどたくらみが深いと考えるべきか。

 おまけに、帝国に全力でかかって来られたら、それだけで、ランシアインペトゥルス一国じゃ勝ち目はまったくなくなる。それだけの戦力差が人口差によって生じているのだから。


 皇帝サマご一行の考えなしが産んだ、むこうにとっても想定外の損害という可能性も、もちろんないわけではない。かもしれない。

 が、それを頼みの綱にするのは、ちょいとばかり見通しが甘すぎるというものだろう。

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