思惑と推測
本日も拙作をお読みいただきまして、まことにありがとうございます。
調査が進むにつれて、あたしの斥候任務はしだいに時間のかかるものになっていた。
それは当然のことだ。
安全に軍を進められるよう、水脈の情報を確保することがあたしの主要任務なんですから。
じわじわと闇森付近を過ぎ、大きくイークト大湿原が広がっているあたり――地理的にはとっくにクラーワ地方ですよ――まで広がった調査範囲を東西に調べていると、イークト大湿原から離れ、ランシア街道沿いにあるフェルウィーバスに戻ってくるのも一苦労になるというね。
どこまでいってもイークト大湿原が基本的にクラーワのものである以上、調査をしているあたしが見つかるのは外交的には非常によろしくない。それは、たとえあたしが、サルウェワレーやミーディウムマレウスといった各国に、恩を売った形になっていても同じ事。
闇夜の烏ならぬ、深夜の黒ローブのあたしは、たぶんまだクラーワ側には見つかっていないとは思うが、それも確信できるわけじゃないしね。
それでも、発見される危険性を下げるため、これまで通り夜中に斥候と移動をすべて行おうとすると、往復でかなり時間をロスしてしまうことになるのだ。
それは、あまりにももったいない。
他にもいろいろな理由があって、今ではあたしがフェルウィーバスの拠点である、あの廃園に戻ることはほとんどなくなっている。
かわりに、あたしが夜になるまでお骨をひそめているのは、森精たちの闇森を取り巻く、通称暗森という地域になった。
同じ暗森といっても、グラミィの身体の人が住んでたランシア側ではなく、イークト大湿原を見下ろす小高い丘だが、ここなら、まあ、ぎりぎりランシアインペトゥルスの領内でもあり、森精たちの影響も届きやすい。
とはいえ、闇森から直接森精たちが出てきて、あたしに接触することは、まずない。
森精たちとの連絡役は、メリリーニャとヴィーリが受け持ってくれている。ヴィーリは、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領に集う人間たちの長であるクウィントゥス殿下との連絡役もしてくれている。
ありがたいことだが、森精たちの言葉をそのまま人間サイドに理解させるのは難しいということで、連絡の際はフェルウィーバスにいるグラミィが通訳として絡むことになっている。
あたしの後方支援をしてくれる彼らを、さらにフルーティング城砦から降りてきたアルガやマヌスくんが、アロイスやトルクプッパさんたちと支えてくれているというのは、だいぶ心強いものがある。
もちろん、あたしがシルウェステル・ランシピウスと名乗れなくなった事情が、アルガやマヌスくんを通じて国外に流出するのはまずいので、アロイスやトルクプッパさんが絡んでいるのは、二人を諸侯勢から守ると同時に、グラディウスファーリーとの接触を遮断するという目的もあるのだろう。
もろもろ処理したから会っても大丈夫ですよと言われたので、わざわざフェルウィーバスにまで戻ったら、揃って目を丸くしたあげくに、本当にシルウェステル師ですか?と確認してくるのはどうかと思ったけどね。
アーノセノウスさんに突っ返しちゃったから、仮面こそつけてないけど、シルウェステルさんのローブにお着替えしての黒覆面だったのにさ。
そんなわけで、今じゃ城砦組ともほとんど直接会うことはない。基本的には、フェルウィーバスとの連絡はすべて文書がメインである。さすがにラームス越しの心話では証拠にならんというわけだ。
報告も同様に、後方支援のグラミィたち経由で文書形式にしてもらい、クウィントゥス殿下へ上げている。
だけど、文書じゃ伝えきれないことというのはどうしても出てくるものだ。
そんなわけで、久しぶりにフェルウィーバスに戻ってきたんですが……。
出迎えに来てくれたグラミィともども、いきなり取り囲まれてます、あたし。
「ようやくのお戻りか、骸の魔術師どの。敵を倒すとは魔術師でありながらずいぶんな大言壮語を吐くと思ったが、ただの斥候や囮とも思えぬ近頃のご功績にはお見それいたした」
開口一番、褒めてんだかけなしてんだかわかんないことを言ってきたのはトリブヌスさんだが。
他の人たちはどういうご関係で?
〔あ、この人たち〕
心当たりがあんのかグラミィ。
〔トルクプッパさんにつきまとってた人たちですよ〕
なんですと。
つきまといとか。なんて連中だ。
しかも人たちってことは、複数の男性で女性のトルクプッパさんを追いかけ回してたってこと?
……グラミィ、トルクプッパさんが男性苦手そうってのはわかってたでしょ。
なんかフォローはしてたの?
〔もちろんしてました!てか、トルクプッパさんがつきまとわれたの、おおむねボニーさんのせいですよ〕
なんであたし?
〔めったに戻ってこないボニーさんと顔を合わせてるのって、あたしやトルクプッパさんがほとんどじゃないですか。アロイスさんやヴィーリさんたちもそうですけど、アロイスさんだって忙しい人だし。ヴィーリさんたちもめったに戻ってこないし。だからボニーさんとつなぎを取りたい、関わりたいって人が接触してくるのって、あたしたちに限られるんですよ〕
なるほど。
その理屈はわかったけど、でも疑問は消えない。
なにせ今のあたしはシルウェステル・ランシピウス名誉導師じゃないのだ。骸の魔術師というご大層な名前で呼ばれちゃいるが、一介の魔術師にすぎないんですよ。
戦力にはなるかも知らんが、権力も権限も持っちゃいないただのぺーぺーに、なんで寄ってくるかね。
「『わたくしに何用ですかな』」
低い声でグラミィに問うてもらうと、トリブヌスさんは気圧されたようだった。
「いかにも。ルーチェットピラ魔術伯家より、魔術伯の名代が来るというが、ご存じかな」
「『多少は聞き及んでおります』」
あたしだって、任務とはいえ、フェルウィーバスに置き去りにしちゃってる人たちを気にしてないわけじゃないんですよ。
フルーティング城砦から降りてきたアルガやマヌスくんが――もちろん二人だけじゃなくてね、城砦警備の騎士たちがフェルウィーバスに到着したとか。
外交駐屯団を率いてるクランクさんからの報告書がクウィントゥス殿下に渡されたんだけど、そこにあたしのクラーワ地方漫遊が功績として書かれてたらしいとか。
都度都度噂を聞き込む程度には情報収集してますとも。
なかでも、一時期小康状態、というか、人を迎えていろいろ話を聞くまで回復してたアーノセノウスさんが、また不調を訴えているというのが気にかかっている。
おつきのクラウスさんが、ルーチェットピラ魔術伯家から人を呼びたいと、クウィントゥス殿下に願ったらしいというのも聞いてますとも。
だから、それで彼らが不満を抱かずにいられない理由も、あたりがつかなくもないんだが。
「不公平ではございませんかな。ルーチェットピラ魔術伯家のみが優遇されるというのは」
現在、このトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は流入人口に制限がかけられている。
これは、地獄門術式に喰われて消滅した、先の魔術辺境伯フェネクス・ランシキャビアムが、こともあろうに今年の収穫の半分くらいを、スクトゥム帝国に送り出してしまってたせいだ。
食糧の備蓄がない以上、さあ国と国との大いくさだーってんで、各地の領主が大軍引き連れて乗り込まれても、養えないんですよ。この領地じゃ。
人間と戦う前に餓えを敵に回すとか、本末転倒にすぎるでしょうが。
このことは、いち早くフェルウィーバスに乗り込んできた人たちにも伝わっている。
その上でご遠慮を願っちゃいるのだが……理屈は理解できても心は納得できないというやつだろう。
彼らにとって人数は力だ。情報収集をするにしても、他家との交渉をするにしても、力押しで我意を無理に通すのにも必要な戦力を確保できないのに、よその家が特別視されたとあっちゃあ、余計に腹は立つだろう。
だけどねえ。
「『お気持ちはわかりますが、わたくしにはなんとも。彩火伯さまに申し上げることはいたしかねます』」
遠慮するようにルーチェットピラ魔術伯家に言えと言われても、今のあたしじゃ言葉は届きませんが。
「いや、そうではない!」
魔術師の礼を崩しかけていたあたしの腕の骨を、がしっと掴んだのは取り巻きの一人だった。
あたしは黒覆面のまま、首の骨を傾げて見せた。
「『……お離しいただけませぬかな?』」
「こ、これは失礼を!」
何を掴んでいるのか思い出したのか、素直に離してくれてよかったよ。のびーる腕とか王様でも気絶するもの。実証済みですよ。
「……さすがに細いな。それに冷たい」
照れ隠しのように言われたけど、あたしゃ骨ですから。
細いし体温もないのは当然ですとも。
「骸の魔術師どのに言上願いたいのは、クウィントゥス殿下にだ」
咳払いして話を元に戻したのはトリブヌスさんだった。
いや。そっちだって無理ですがー。
というかだね。
「わたしに不満があるというなら、直接言うがいい」
ぎくっと彼らが振り返ると、当の殿下が無表情で立っていた。
意外とクウィントゥス殿下は身軽で神出鬼没ですよ。
アロイスぐらいしか連れないで、ひょいひょい出歩くんですもの。あたしの休憩処になってる暗森まで二騎で出てこられた時には、こっちが驚かされたんだけど。
「いえ、殿下に不満などとはとんでもございませぬ」
「で、ではのちほどあらためて」
ごにゃごにゃ言いながら逃げていく人たちを見送ると、あたしは改めて丁重に礼をした。
「『殿下のご威光のおかげをもちまして、瑣事も平らかとなりましてございます』」
窮地に追い込まれてたのも王子サマのせいですがね。
その内心がダダ漏れしたのか、殿下は苦笑した。
「ごくろうだった」
「『もったいなきお言葉にございます』」
あたしだってそのくらいの典礼にのっとった言動はいたしますとも。
そう思っていると、王弟殿下は不意にグラミィに、というかあたしに近づいてきて囁いた。
「アーノセノウスを拒絶したそうだな」
正確には、拒絶したのはクラウスさんをだ。
あたしがアーノセノウスさんの不調を知っているのは、グラミィ経由でタクススさんから仕入れた情報だけじゃない。フェルウィーバスに戻ってきた時に、クウィントゥス殿下の禁すら懇願でこじ開け、咎めを受ける覚悟でクラウスさんが助けを求めてきたからだ。
どうやら、変なところで真面目なアーノセノウスさんは、他の人から見たあたしを見れば少しは近づくんじゃないかというので、いろいろ聞きすぎて……自信を失ったらしい。
どれだけ他人の視点から見ても、それがアーノセノウスさん自身の見ていたシルウェステル・ランシピウスでない限り、意味がないと思うんだけどね。
アーノセノウスさんに会ってあげてくれないかと、クラウスさんには懇願されたが、確かにあたしは断った。
「……『悩める方を虚偽に迷わせてはなりますまい』と申しております」
「そうか」
クウィントゥス殿下はかすかに頷いた。
「わたしも彩火伯をそこまで追い込む気はなかったのだがな」
だからこそ、殿下はクラウスさんにあたしとの対面許可を与えたのだろう。
クラウスさんがあたしに助けを求めてきたのは、単純にアーノセノウスさん個人の不調を見るに見かねてというだけでなく、ルーチェットピラ魔術伯家としての判断を下す責任者が、責任を取れない状態に陥っているということもあってのことだ。
ならばおそらく送られてくるのは、アーノセノウスさんのサポート役か、アーノセノウスさんの名代となれる人物ということになるのだろう。
いずれにせよ、クラウスさんが王都に知らせを飛ばすにしても時間がかかりそうだ。伝書鳥は国事やよほどの急報がメインだし、王家には内容がオープンにされてしまう。こういった家門裡のデリケートな問題となると、ちょっと使えない。
クラウスさんとしては早馬を、それもできれば詳しい内情を知る心きいた家の者に持たせて、送りたいところだろうな。
殿下は、さらに小さな声で囁いてきた。
「わたしはおまえも追い詰める気はない」
「『とは?』」
「この状況で名代が来るなら、おそらくそれはマールティウスの弟か、その子だろうな」
いたんだ、マールティウスくんの弟。
まあ、いてもおかしかないよね。
そう納得はしたものの、何かがきしんだ気がした。
……会ったこと、どころか、その存在もアーノセノウスさんたちから知らされていなかった身内、か。
いつの間にか、クウィントゥス殿下の目は欄と輝いていた。
「彼らがくれば、またおまえにすり寄ろうとするだろう」
それはその通りだ。
彼らにしてみれば、アーノセノウスさんとシルウェステルさんが仲違いをしている、としか見えないだろう。アーノセノウスさんの、あたしはシルウェステルさんじゃない認定が揺らいでいる以上は。
だったらクラウスさんのように、手づるとして、あるいは手駒として使うべく、接近してこないわけがない。
「そのような者と、また攻防を行うのも面倒だし、きりがないことだろう。だが、それをわたしならば止められるぞ」
一歩骨身を退いて、あたしはじっと王子サマを見返した。
あたしの黒覆面の下は骸骨だ。そのことは殿下も十分知っている。
だけど、クウィントゥス殿下は、不意にあたしにぶつかるすれすれまで距離を詰めてきた。
「骸の魔術師よ。おれのものにならんか?」
石壁のきわに追い詰められ、ずいぶんとストレートな口説き文句を囁かれたものの。
「『おたわむれを』」
「戯れではないさ。すべてのしがらみを断ち切り、おれの配下になれ」
〔……あ、なんだ、そういう意味での『おれのもの』ですか〕
なぜそこでがっかりするんだグラミィ。
……しっかし、王弟殿下じきじきにヘッドハンティングとはね。
アロイスをはじめ、配下の人たちはただでさえ有能な人ばっかってのに、さらにあたしまで手に入れようとは。欲張りすぎませんかね。
まあ、王侯貴族に無欲な者などいないだろうけれども。
「アロイスのように家の名を捨て、闇に沈めば、おれの命しか聞かずともよい。ルーチェットピラ魔術伯爵家の手も届かぬ。人目に立ちたくないのであれば、悪くはあるまい?」
……確かにそれは悪くはない。かなり魅惑的なお誘いでもある。
だけど、即答はできない。
なぜなら、それは、あたしの、というかシルウェステルさんの立場を決定的に変えてしまうことになるだろうから。
少なくとも、アーノセノウスさんとの関係の修復は見込めない。
闇に消えるというのは、たぶんそういうことも含んでいる。
だが、この申し出を拒否すれば、あたしに肯定的な庇護者であるクウィントゥス殿下の機嫌を損ねることになる。
「殿下。そのあたりでおやめになっていただけませぬかの」
悩んでるのを察してか、グラミィが婆演技で口を挟んでくれたが、それに殿下はのらなかった。
「やめるわけなどないさ。それだけおれはお前を買っている。シルウェステル・ランシピウスという名はきっかけにすぎなかったが、どんな名で呼ばれようと、お前という存在にはそれだけの価値がある。そうおれは考えている」
ほほう?
そこまでいうのなら、あたしの推測にも裏付けをしてもらおうじゃないか。
「……『では、そのお言葉に甘えまして、お伺いしたいことがございます』」
「なんだ」
ちかりとグラミィがあたしを見て、ゆっくりと口を開いた。
「『シルウェステル・ランシピウスを殺した者も、殿下の命に従っておりましたのでしょうか?』」
〔って、どういうことですボニーさん?〕
シルウェステルさんと、アーノセノウスさんに血のつながりはなく、シルウェステルさんはクラーワヴェラーレの王族の血を引いている。
これは、前にも話をしたよね、グラミィ?
そしてシルウェステルさんがルーチェットピラ魔術伯爵家で育てられていたのは、人質としてだろうと推測できる、とね。
〔ええ、まあ〕
シルウェステルさんは暗殺された。
国境近いフルーティング城砦、そして城砦からは直接見ることのない場所にある崖から、馬車もろとも落とされたと推測できる。
では、誰がそれをなしたのか?
当時、シルウェステルさんを殺したいと思っていた人間は誰なのか。
これをはっきりさせとかないと、お骨になってても狙われるかもしれないという不安を感じたからこそ、あたしはこっそりずっと考え続けていた。
「……『わたしは知らなかった』。これでよいだろうか」
あたしはゆっくりとうなずいた。放出魔力に乱れはない。王子サマは本当のことを言っている。
「『お答えを頂戴しまして、ありがとうございます』」
誰がシルウェステルさんを殺したか。
シルウェステルさんが探ってたスクトゥム帝国という線も考えられるが、ランシアインペトゥルス王国の中で暗殺は行われている。
まあ、状況的に国境外まで出てきた狙撃兵数人でもやれない犯行ではなかったとは思うよ?
それでも、あたしがどうしても疑いを拭いきれなかった国内の容疑者は二つ。
それは、シルウェステルさんが全幅の信頼を置いていた相手、シルウェステルさんのスケジュールを管理もしくは把握できていた存在。
自らの手を汚さずとも、命令を下せば確実に果たされるだけの権力を持つ者。
つまりは、暗部を使うことのできるランシアインペトゥルスの王族と、貴族として私兵を抱えているだろうルーチェットピラ魔術伯爵家だったのだ。
「しかし、なぜ今になってそのようなことを聞く?知らぬ方が良いこともあるだろうに」
〔そうですよ、ボニーさん!いくらなんでもストレート過ぎるでしょ?!『なんのことやら』とかこの場はごまかされて、その後で『実はその通りだ、二度と生き返ってくるな』とかばっさりやられたらどうするつもりだったんです?!〕
だから、あえて、人気は失せたが目が届きそうな、こんなところでぶちかましたわけなんだけど。
それにだね。これはクウィントゥス殿下へのカウンターでもあるのだよ。
「……『今になって疑いを持ったわけではございませぬ。この姿になり果てたのち、わたくしの裡に長らく巣くっておりました疑念にございます。ですが、今までシルウェステル・ランシピウスとしてわたくしは振る舞うことを許されておりました。それゆえシルウェステル・ランシピウスへの庇護をお与えの方々に、猜疑の刃を向けることは避けておりました』」
王弟殿下がかすかに身じろぎした。
この話のオチが見えたんだろう。
「『殿下のお申し出を受け、シルウェステル・ランシピウスという名を捨て去るということは、確かにわたくしからその名のもとにもたらされた、すべてのしがらみが消えることにもなりましょう』」
だけどそれは、王子サマが想定してたように、都合のいいことばかりであるとは言い切れんのだよ。これまでさんざんシルウェステルさんをいろんなしがらみで縛り付けてた王族ならばわかってそうなもんだけど。
ちなみに、あたしが本当のシルウェステルさんなら、王弟の庇護をいいことに、自分の仇とばかりにセルフ仇討ちを始めるか。それとも心折れたとばかり、しがらみの処理をクウィントゥス殿下に押しつけて、自分はふらっとこの前線基地から姿を消してたっておかしかないと思うんだけど?
「『わたくしをシルウェステル・ランシピウスの名からまったく解き放ったならば、いかなることになるか。お考えいただくよすがになるかと愚考いたしましてございます』」
「これは」
殿下は笑ってあたしから離れた。
「ますますお前が欲しくなった。シルウェステル・ランシピウスであるおのれを捨てず、なんとか生かそうとここまであがくとはな」
あー……。
あたしがシルウェステル・ランシピウスでいたいと思ってる。そう取ったのか。
それならそれでもかまわない。
「『なんと、この世は世知辛いものにございます。死人までたつきの算段を立てねばならぬとは』」
はあ、とため息をつくそぶりをしてみせると、クウィントゥス殿下は声を上げて笑った。
いや道化として雇ってくれるなら、それはそれでアリですかね。
「まあよい。このくらいにしておこう。今は。……とっくり考えるといい」
「『殿下の寛容なご配慮に深謝申し上げます』」
今はときたか、この内臓ベンタブラック系男子。
熟慮したって、完全にあたしとグラミィの身を委ねるってのは、ねーわ。
そう考えながらあたしは深々と魔術師の礼を取ったのだった。
ベンタブラックというのは、世界一黒い物質のことだったりします。
どんだけ真っ黒いんだ。




