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閑話 彼らかく語りき(その2)

本日も、拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 祖国にも音に聞こえし彩火伯(さいかはく)さまに、かほどにご丁寧な挨拶をいただけるとは。まこと、いたみいります。

 ですが、今のわたしは、シルウェステル・ランシピウス名誉導師の庇護を受ける、一介のグラディウスファーリーの魔術師、マヌスプレディシムにすぎませぬ。どうか過分なお気遣いはなさらないでいただきたい。


 師の代役をいつからしていたか、ですか。

 彩火伯さまにも、アルボーにてお目にかけたことがございましたが。あのような姿を初めてとったのは、カリュプスに糾問使の方々が逗留していた時のことです。

 いかにも、スクトゥム帝国へ向かう皆様に同行し、わたしがグラディウスファーリーを出たときのことですよ。


 自業自得、己が漁った魚(自分が蒔いた種)己が捌く(自分で刈り取る)べきではありますが、早急に身をやつさねばならぬ訳がありましたので。トルクプッパどのに手練の技を発揮していただいたのです。

 そのおかげで、もともと直ぐな銀髪は巻き毛の金髪へ、生来の緑の目さえ青緑に見えるようになったのには驚きました。

 我々魔術師は世界の真理を知り、魔術により常人ではなしえない技を行うこともかなう身。ですがあれは、魔術では届かぬ技というものでしょう。施された身にも、何をどうされたのかさっぱりわからぬものでしたが。


 トルクプッパどのによれば、そのように手を加えたのは何心ないものだったとか。まずは、これまでのわたしの特徴とは似ても似つかぬものにするため、そして、さらに色かたちを変えることもたやすいものにするため。

 なれど、かつては師も金髪の巻き毛をお持ちで、青い瞳だったそうですね。

 

 その後、師の代役をしないかと打診されたのは、グラミィどのからだったかと覚えております。師の言葉を伝えてくださったのです。

 それも断るも受けるもどちらでもかまわぬ、と。


 わたしが引き受ければ、確かに師が常人のお姿ではないことを隠しやすくなる。

 また師の身代わりとなるということは、糾問使団への貢献としてわたしの功績ともなる。ある意味ランシアインペトゥルスに恩を売ったことになるだろう。

 その代わり、スクトゥム帝国から狙われることも覚悟していただきたい、と。

 

 わたしが断ったならば、どうなさるおつもりかとも伺いましたが、その時は師が自らおもてに立つだけのことと。そう言い切られたのです。

 いくらグラミィどのが舌人として従っておられても、常人でない身であることが悟られるおそれは存分にある。

 そうと見破られたなら、それだけで相手が嫌悪の情を感じることもあるだろう。だが、それはこのような身であるからこその不利益ゆえ、自身に甘んじて受けるしかない。

 そのかわり、わたくしの身は安全であろうとおっしゃいました。

 

 ですが、スクトゥム帝国、それも本国は、もともと海神マリアムへの信仰が薄い地であると、わたしも聞き及んでおりました。

 そのような土地では、師のお姿が畏敬をもって拝されることはなく、恐怖を呼ぶものになるでしょう。

 それはわたしにも火を見るよりも明らかなことでした。

 そして、わたしは師に恩義があった。


 ……思えば、わたしはそれまで、選択肢を示されたことがなかったような気もいたします。

 赤子のころに魔術学院に預けられたためか、物心ついたときには、周囲の者が言うことをただ従順に聞き入れることのみが評価されておりましたから。

 指示された内容をより正確に、精密に、効果的に仕上げることが、己のなすことであると。


 学院生であったころから、宮廷魔術師長の配下となった後も、それはあまり変わり映えもなかったように思います。

 自由な意志を持ち、自己判断で命令を拒絶する人間ではない、使い勝手のいい道具であること。

 それこそが、わたしの存在意義だったのでしょう。

 結果、わたしはおのれが知ろうとして得た知は少なく、ただ流されるままに、目の前にあることを機械的に片付けるだけの者となっておりました。


 ですがわたしは、師の身代わりとなることを、おのが手で選びました。

 スクトゥム帝国の帝都レジナ。そこでわたしは師の名のもとに、帝都に舌剣を振るいました。

 そのままアビエス川を下り、ロリカ内海に逃れた時には、震えが止まらなかったものです。もとの顔貌がわからなくようにと、師から指示を受けたトルクプッパどのに、偽の火傷痕などを加飾されたのはこのためだったかと思い知りました。


 師の恩義とはなにか、ですか。

 それを語るには、わたしがシルウェステル師とどのような形で出会ったかを語らねばなるまいかと。

 ――ならば、愚かな兄弟の話をさせていただきたい。なに、たとえ話ですよ。ここだけの。


 双子の兄の存在を、師事していた導師に知らされるや否や、弟は妬んだ。

 兄はゆりかごの中で育てられ、自分は野に放逐されたのだと信じたために。

 だがそれは誤り。自分の方が自由の身となったのに対し、兄は鳥籠の中で、命を狙われ続けていたと知った弟は、あっさりと悔いた。

 その後は贖罪のためにも、兄の力とならんと決意した。よく似た兄の怒りは正当なものと受け止め、兄の強い意志に流されるままに。


 とはいえ、幼い二人にさしたる力はなく。同じ鳥籠の中に詰められた(くた)し花はじわじわと膿み続け。

鳥籠の主が身罷れば、権力欲という名の毒への狂乱の度合いは高まるばかり。

 顔も知らぬ異母兄弟が争いあう中、たった二人の同胞は、非力ながらも力を合わせて毒の波を押し返し。

 そして鳥籠を取り払い、がたついた国を立て直し、仲良く幸せに――

 暮らす道もあったろうに。


 ええ、懺悔などでは。ただのたとえ話ですよ。ただの。

 

 愚かな弟には友と呼ぶ者も何人かいた。それが兄弟の仲を裂かんとする(くさび)だとも知らず、弟はその囁きに耳を傾け、そして侵蝕されていった。

 魚を焼く(狡兎死して)のは古い舟(走狗煮らる)と――兄が弟を殺そうとしているという、その言葉の毒に。


 もちろん、愚か者も、ただの一度ですべてを信じたわけもない。しかし、二度三度と、違う口からも(ささや)かれ、それらしき証拠などをちらつかせられたなら?

 かつての誓いは浜辺に立てた柱も同様。満ち潮に波が寄せ来れば、支えの砂もさらわれ傾き、やがてはどうと倒れるばかり。

 とうとう兄を疑うようになった弟は、操りやすい木偶(でく)と化した。


 このまま闇に消されるならば、せめてアルマトゥーラの炉(太陽)に身を投じよう、などとたいそうな覚悟を決めた気になり、愚かな弟はそそのかされるままに、兄を討って玉座を奪わんとした。

 あのまま、師と出会わなければ、そしてあのような、人智を超えた術式を目にしなければ、愚かな弟は、私的な恨みに兄を討とうとし――その成否がどうであれ、今ごろは国を割っていただろう。


 なに、先に申し上げたとおり、これはただのたとえ話。彩火伯さまが、その顔色をお変えになるようなものではございません。

 

 愚かな弟は国の中でも名高い導師の部下であった。

 だがその上司は、異国の魔術師一行に同行せよと命じた。彼らはグラディウス山――こちらではランシア山と呼ぶそうですが――に最も近い、ドルスムという地へ向かう許可を宰相に願ったという。

 そしてそれを王が許可するとは!

 

 カリュプスからドルスムへ向かうというは、グラディウスファーリーを海から山まで縦断し、国の最奥まで脚を踏み入れさせるのも同義。

 それを異国の者に許すのは、たとえ王使といえども破格の扱い。

 

 これにはなにか裏がある。そう、猜疑に取り憑かれた弟は、同類ともども師へと接近を試みた。

 敵か、味方か。いずれにしても、直接会わねばわからぬことばかりと。

 なに、直に対面したとて、見極めることなどかなわぬことではあったのだが。

 

 結果、弟たちが天空切り裂く絶峰で見たのは、師の圧倒的な力量。

 血に餓えた四脚鷲(クワトルグリュプス)を手懐け、あっさりこちらの術式を無力化し、なおかつ目の前で顕界してみせた術式ときたら、わけのわからぬ複雑奇怪なもの。

 これでは、弟の上司も度肝を抜かれ、一も二もなく服従してしまっただけのことはある、と、得心はしたものの。

 

 これは敵だ、それも強大な。そう同行した者たちは主張し、愚かな弟も頷いた。

 不信と猜疑に目をぎらつかせ、その胸に嫉妬を燃やして。

 ――うずりと暗い欲も動いた。ちょうどいい。兄ともども殺してしまえと。

 

 ――ええ、ですからすべてはたとえ話と。師のご尊兄でおられる彩火伯どのだからこそ申し上げた、たとえ話にすぎません。


 しかし、あっさりと愚弟たちは師の返り討ちにあった。

 どん詰まりに追い詰めたが好機と思えば、それも師の罠。あっさりと形勢は逆転し。

 ――これは、わたしは死ぬ。ここで無様な肉塊と化して。崖の絶壁に貼り付けられ、岩肌を伝う振動と、いつまでも眼前を転げ落ちてゆく岩塊の群れに脂汗を垂らしながら、そう弟は覚悟を決めた。


 だが、弟は死ななかった。

 それどころか、捕らえられたがために、愚かな弟は、兄と腹を割って話しあう機会を与えられた。

 それは、師に作っていただいたものだった。

 結果、おのが不明を、思い上がりを知らされ、兄の言葉足らずが腑に落ち、ようやく悟ったのだった。

 

 どんなに力を尽くそうと、一国を立て直すことは兄一人ではかなわず、されど弟一人で兄のすべてが支えられるわけもないということを。

 多くの者が兄の助けになっていたのは確かだが、それは王としての兄の非力さを示すものだけではないということ。王として人を惹きつけ、従わせるだけの力を持つからこそ、兄は多くの助力者を得ていたことを。

 なのに、自分だけが兄の味方であり、助力者であり、兄の功績は自分の功績でもあるかのような気でいたことを。

 また、どんなに細やかな心遣いをしようと、互いに信じられなくなれば、そこで終わるのが人の繋がり。血のつながりがあろうとなかろうと、わかり合おうとしなければわかり合うことなどできぬと。

 そして、師に己のような人間がかなうわけなど、最初からなかったということを。


 ……その後、生き残った同類が何を語ったか、弟は波の上で聞いたのです。

 非力だった兄弟の戦略は、有力と最初から名の上がった者たちに同士討ちをさせるもの。

 それを警戒した一族のものが送り込んだのが、親友と信じ切っていた相手の正体だったのだと。

 愚かなことです。母親の一族にすら死を願われていた兄弟は、 そうでもしなければ生き残れなかっただけだというに。

 

 わたしから見る師はどのような方か、ですか。

 海神マリアムの眷属である方を一言で表すなど、困難きわまることでしょうが、(たと)えるならば、海に沈んだグラディウス山のような方かと存じます。

 初めて隠されていたお姿を拝見したときは、驚くとともに、近づきようのないお方と拝察いたしました。

 それは今も、いえ、知れば知るほどに足元どころか、そのお立ちになる大地にも及ばぬと思うようになりました。


 一度、師すら殺そうとしたわたしを、なぜ一行に加えたかと伺ったことがあります。

 お答えはグラミィどのの口から返ってきましたね。「『今は害意も殺意もないのでしょう?敵視し続けることは、狭く暗い世界しか見ぬ事ですから』」と。


 師に対し、わたしなど魔術師としての腕ははるかに及ばず、人としての器でも及ばぬことは承知しております。

 だが、それでも師はおっしゃるのです。『わたくしにできることなど些細な事』と。

 空を飛び、海を走ることはできても、国を支える度量はないと、クルタス王に敬意を表すると。

 ――そのように兄を評価する者はいなかったのではないでしょうか。わたしは嬉しかった。嬉しいと思う事に驚いた。

 それでは、わたしに、兄への情がまだあるのだなと。


 命の借りは、命で返す。それをグラディウスでは、同じ船の船乗りは、互いの命綱となると申します。

 わたしは祖国で、誰の命綱にもなりきれませんでした。

 なれど、師がわたしをフルーティング城砦に置かれたのは、グラディウスファーリーとランシアインペトゥルスが互いの命綱とならんがためと推察しております。


 あの方は――師は、人の死がお嫌いです。

 なぜかと伺えば、人の命を背負うことはできないからと。

 貴族らしからぬ言葉だと思ったものですが、己の責任を知り、人死にを覚悟する者でなければ言えない言葉やもしれませんね。

 とはいえ、同行者の命を惜しむからといって、真っ先に危険なところへと飛び込んでいかれるのは勘弁していただきたいのですが。

 それが効果的であるゆえに、わたしも、カプタスファモ魔術子爵も、何も申し上げることはできないのですが。

 師は、皆が生きた心地もないをご存じだろうかと思うのですよ。




 * * *




 はあ、シルウェステル・ランシピウス名誉導師という御名前をお持ちだった方のことについて、ですか。

 マヌスさま――マヌスプレディシムさまだけでなく、アタシのような者にまでお訊ねとは。

 いや、他国の者から見た姿も知りたいとおっしゃるのはわからんでもないですが。

 

 あの方と初めてお目にかかったときのことですか。

 ご存じありませんか。アタシゃ、あん時ごろつきどもに雇われてまして。

 アルボーを牛耳ってたばあさん、ルンピートゥルアンサ女副伯とかおっしゃってましたかね。

 それを守れって命令にゃあ、そりゃ首を傾げましたが。従うしかないでしょが。

 なにせ下手に口答えでもしようもんなら、咆哮だか罵言だかわからん声とともに投げ刀子が飛んでくるか、それとも太い腕がぶんとうなりを上げるか、ですから。

 まったく、腕っ節に物を言わせれば、それで万事すむと思ってる連中ときたら。扱いづらいことこの上なしってなもんでさ……。


 領主館に隠し通路をこさえてるあたりは、腐っても副伯家の根城とは思いましたがね。

 ああいうもんは、ばれにくいよう、単身で――どんなに多くたって数人程度が通るもんでござんしょ?

 それを三十人近くで、狭い階段をどんどん下りろと押し込められまして。いやはやひどいもんでしたよ。

 どんじりのやつなんざ、通路を隠してた壁の石を積まされてましたけど。

 職人が積んだ壁とは比べものになるわきゃござんせん。あれが隠し通路がバレた原因だと思いまさぁね。

 挙げ句の果てに、あの方やアロイスどのにけしかけられる羽目になりまして。

 ええ、即刻命乞いしましたとも。かないっこありませんや。


 ……ええと、なんでそこで得意げなお顔になられるんで?

 シルは弟だから。

 はあ。さいで。


 あの方をどう思うか?

 そうでさね。一言でいやあ……、大馬鹿でしょうな?

 

 ――おおーっと、いきなり物騒な真似はなさらんでくださいますよう。

 へっへ、こんな頭の涼しくなった木っ端魔術師ですがねえ、アタシもちったあ小技のいくらかは抱えておりますんで。

 それに、アタシたちはグラディウスファーリーの者であり、また師の庇護を受けている者でもありまさね。

 そんなもんに下手な手出しは、火傷の元になりやせんかね?

 ……そうそう、おつきの方のほうが冷静でいらっしゃるようだ。


 で、どうなさいます?

 師をなぜそのように評したか、そのわけも訊かずに追い出しなさいますか?

 アタシゃ別にどうでもいいんですが。


 へえ。それじゃ申し上げましょう。

 大馬鹿と評しましたのは、あの方が甘いお方だからですよ。

 ええ、どんなお育ちをすればこんな化け物ができるのかと――褒め言葉ですよ?――思わずにゃおれんほどの凄腕でありながら、御自分の懐に入れた者へは、もう、煮詰めた蜂蜜かってほどにも甘くていらっしゃる。偉大なる愚か者と申し上げるしかござんせん。

あの方がお相手じゃなかったら、アタシなんざ何回首が飛んでてもおかしかないでしょうね。マヌスさまもでしょうが。

 

 ま、見ていて飽きないお方ではありますな。師は。

 人死にを出すまいと、魔術師でありながら自ら血に染まり、人の盾となり、そして猜疑の目で見られているとあっては、ひっそりと身を潜め、今もって任務でしか外に出ることはないとか。

 いや、フェルウィーバスまで来て驚きましたよ。相変わらず目を離してるうちに何しでかされてんですかと呆れもしましたが。

 あの方らしいといやあ、あの方らしいですやね。アタシの知ってる限りにおいてですが。

 

 忠誠心?

 ご冗談はよしてくだせぇや。

 そんな上等なもん、祖国にすら波飛沫(しぶき)を蹴りかけるようにおん出てきた、この(ラットゥス)風情ごときが持ち合わせているわきゃありませんでしょうに。

 いや、感服はしておりますとも。

 海に飛び込んで濡れずに出てくることも、人を抱えて空を飛ぶことも、アタシにゃできません。できるわけもありません。できると夢にも思ったことはございません。

 

 あの方のお考え?

 アタシになんざ、読めるわきゃねぇでさ。わかってるのは、アタシじゃ足下にも及ばないことにまで考えを及ぼしておられるってことぐらいですかね。

 あんまりぐるぐるお考えになるから、あんな骨になっちまったのか。それとも骨だからそこまで物事を深く突き詰めてお考えになられるのか。

 ……そう考えると、海神マリアムの恩寵というやつも、ずいぶんとまあ、きついものだと思いまさぁね。

 

 おかげで逆にこっちの小細工は読まれっぱなし。

 ええ、アタシを異国の手の者と見破り、捕らえたのはあの方でさ。

 せっかく命乞いからこっち、うまくいってたってのに、ここで殺されるのかと覚悟しやしたがね。まさかまさかでさ、捕らえた密偵に祖国を裏切らずともいいから、従えだなんて無茶をおっしゃられるたぁ。


 挙げ句の果てに、アタシが死ねばそれですむというとこまでお膳立てをしておいたのに、その罠の底の底まで食い破って平然としておられる。

 そのうえ、あっさりと罠に掛けたアタシをお許しになった挙げ句、アタシの立てたチンケな策より、誰の損も小さくなるような策をその場でお立てになるばかりか、アタシのような者にすら、さらりと信を預けてくださるというね。 

 これで男惚れしないでおれますか。

 

 ええ、あの方がグラディウスファーリーへと身を――というか骨をですかね?――お寄せいただけないかと。誓約に縛られた時には、なんとかあの方たちを()めて条件を緩めるられねぇかと画策もしてみたんですが。

 そいつもすっぱり(かわ)されたとあっちゃぁ、仕方ありやせん。

 ですから、アタシはおのれを海からもぎ離して、ランシアインペトゥルスくんだりまで持って参りましたんで。


 ですがね。ここフェルウィーバスにまいりましてから、こう思うようにもなりやして。

 ――あの方の、骨身の置き所がランシアインペトゥルスにないのであれば、グラディウスファーリーにお連れするという、一度捨てたくわだてをまた行うも、案外悪くないんじゃないかと。


 無礼者?

 無礼は承知、倨傲(きょごう)も合点ですや。

 命が惜しくないのか?

ええ、とうにこの命はなかったものなんで。

 なのに、持ち主のアタシが捨てようとしても、あの方は何度も何回も拾い上げてくだすった。


 ごろつきどもの尖兵として、降参したまま殺されてもおかしかなかった。

 アルボーが水に沈んでいたなら、その場で氷の山に潰されていたでしょうな。

 脱出しようとしてごろつきどもに絡まれた時は、首を掻き斬られる寸前だった。

 密偵と断じられたときも、身内に殺されるつもりでいた時にすら助けられ、予期せぬところでさらに殺されかけていても、そのたびにアタシを救い、命を返してくだすったんは、あの方でさ。


 無礼千万ついでに申し上げときましょうかね。

 あんたがた、ほんとに魔術師ですかい?

 魔術師ならば魔力(マナ)、特におのれの体内にある魔力など思考と同等に操れて当然。

 我身の外にある魔力とて、どれだけ精細に知覚できるかは腕の見せ所でござんしょ?

 なのに、あの方の魔力の変わりようにお気づきでないと?

 

 アタシからすりゃ、あの方の魔力は海ですな。

 海底が見えるかというほど大きく満ち引きする波か潮のような時もありましたが、大抵はよく凪いだ、海神マリアムの鏡というやつでさ。

 どんなに複雑な潮流を秘めていても、水面はどこまでも穏やか。

 

 それが今では、まるで冬の嵐の最中じゃありやせんか!

 あの方自身が必死に抑えこんでるから、まだ水面も港うちのような波の立ち方でおさまってますがね。岬を回った途端、広がるのは白刃の群れ立つマリアムさまの制裁場。

 深遠たる海底からうねりとなって向かってくる、あの海嘯(かいしょう)のような力をどうして感じずにいられると。

 あの方があそこまで悽愴(せいそう)たる気を(まと)うたぁ、いったい何をなされたんで?


 そちに申すことではない、と?

 あァ。さいですか。

 

 ……ねェ、彩火伯さま。

 そちらさまからご覧になったシルウェステル・ランシピウスというお方は、どのような方でありましたか、この愚かな髪の薄くなった頭にもわかるよう、ちょいとお教えいただけませんか。

 十も二十もご下問に答えたんで、せめて一つぐらいはお答えになれませんかね?

 

 ……やさしい子。そして(さと)い子。状況を見極め、己を抑えて周りのために動く子。はあ。

 

 何がいいたい?

 んじゃ言わせてもらいやしょうか。

 いったいぜんたい、彩火伯さまがご覧のあの方はおいくつなんで?『子』と呼ばれるようなお年ですかね?

 彩火伯さまが、血のつながりのない弟君を溺愛してなさるって話は伺っておりやしたが、まさか幼子が気に入りの玩具を手放そうとなさらんようなご様子たぁ思いもしやせんでしたな。

 ええ、狩猟に使うアッキピテル(猛禽)ほどにも成長する可能性のないもの、とでもお思いのような。

 いっそのこと、赤子の彫像でもお作りになって、それを愛でられていてはいかがで?

 

 この下郎め、ときやしたか。

 いかにも、アタシゃただの平民。彩火伯さまのような御貴族様からご覧になれば、一匹の下衆下郎にすぎませんやな。

 当たり前のことを言われたって屁でもねえんですが。こっちは。

 ですがね、言うだきゃ言わしてもらいましょう。

 本当のあの方を、ちゃんとご覧になったことはございますかね?

 他人の目ン玉通したあの方の姿を、いくつ並べたところで、そちらさまの目でちゃんと見たことにはなりやせんでしょうに。

 

 ……では、我々はいったい何を見てきたのだ、ですか。

 いや、んなこたぁ知りませんや。あたしゃそちらさんのような目玉は持っておりませんので。

 ですが、使いっ走りの側から言わせていただけりゃ、どのように見てきたか、は、解る気がするんですがねえ。


 言ってみろ?

 

 決まってまさ。

 都合の良いように、見たいように見てきたんじゃありませんかね?




 夜闇に沈む通路を進んでいたアロイスの足が、ふと止まった。

 訝しげにクウィントゥスは部下を見やった。


「どうした?」

「殿下」


 口をつぐみ、アロイスを真似て、手を耳の後ろに当ると、王弟にもそれは聞こえた。


「……おそらく、ルーチェットピラ魔術伯家の方々のいらっしゃる部屋の方かと」

「そうか。やはりな。……戻るぞ、アロイス」

「は」


 踵を返したものの、一度気がついてしまった二人の背に、臓腑を破らんばかりの悲嘆は、取り返しのつかぬことをしてしまったことを嘆く声は、どこまでも絡むようだった。

10/25に誤字報告を頂戴しました。

ありがとうございます!


追記

11/1にも誤字報告を頂戴しました。

ありがとうございます!

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