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雨夜の星

本日も、拙作をお読みいただきまして、ありがとうございます。

 久しぶりに降った雨は、夜になってもやむ様子がなかった。


 水の上という見晴らしの良すぎる場所を移動する都合上、あたしの斥候任務は基本的に夜だけのものだ。

 夜の闇はあたしの味方をしてくれる。姿が隠れるという意味では、霧も悪くはない。ま、あたしの見通しも効かなくなるんだけど。

 だけど雨だけはいかんのだ。


 あたしの弱点はいろいろあるが、中でも空を飛ぶとき雨に弱いというのは、結構なハンデだろう。

 だけどそもそも雨の日に、鳥や虫はほとんど飛ばない。雨粒が負荷になるからだ。

 雨滴が降りかかれば、どうしてもそのぶん重みが増える。気流を作るにも雨交じりで高湿度の空気は重く、余計な力が必要になるのだ。

 軽飛行機程度でも動力があれば問題にはならないのだろうが、ラームスたちを強制的に軽量化してしまったせいで、そんなに魔術で馬力は出ない。てか出ないことはないけど疲れるんですよ。魔力(マナ)の消費量も激増する。

 そして、消費する魔力は、あたしの場合、生命力と同義でもあったりする。

 そんなわけで、斥候任務も雨の夜はお休みである。


 ま、雨が障害になるのは、不審者扱いされる星屑(異世界人格者)たちにとっても同じことだ。

 むしろ、陸路を移動している関係上、星屑たちの方が大変かもしんない。

 夜に人目を避けて移動をしようというのであれば、灯火に気を配らなければいけないし、武装を整えれば整えるほど、泥濘(ぬかるみ)にもはまりやすくなるもんな。

 四苦八苦してる星屑たちの姿はちょっと見てみたいとは思うけれども、陸路や日中の大湿原の警戒はあたしの管轄ではなかったりする。

 そっちはそっちで担当者がいるし、職域侵犯(物理)は歓迎されないんですよ。


 アロイスやクウィントゥス殿下からちょっと聞いたところ、以前からクラーワの国々とは、手形的なものを発行したりと、有形無形取りそろえ、いろいろセキュリティはかけられてたらしい。

 が、国境を越えて往来する資格をもつ人に星屑たちを搭載されてしまっていたら、そんなやり方では通用しない。

 そのあたりは、なんかしかけられてても困るので、確認要員としてヴィーリとメリリーニャがさりげなく陸路担当に同行したりもしているらしい。

 こういうとき、フリーパス権限をお持ちの森精というのは、じつにありがたい。

 そしてあたしがシルウェステル・ランシピウス名誉導師と名乗れなくなったデメリットをしみじみと感じてしまう。


 てなわけで、今夜の予定がなくなったあたしは、幻想狐(アパトウルペース)たちに埋まりながら、女性用スペースの居間でくつろいでいた。

 といっても、やることはいろいろあるんだよね。防護陣アクセ作りとか。


〔ボニーさんてば、社畜性二十四時間お仕事欲しい病でも発症してるんじゃないですかー?〕


 心話じゃトルクプッパさんには聞こえないからって、グラミィってば、けっこうひどいことを言ってくる。


 だけど基本的にあたしの斥候任務って単独なんですよ。

 つまり交代要員もいないので、休養時間以外は休日のないブラック勤務。

 それに慣れちゃってるせいで、ぼーっとしてると暇を持て余してしまうというね。

 結果、ついうっかり思考を暴走でもさせて、最終命題(あたしは何者だ)に突っ込んでったあげく、ゲシュタルト崩壊なんぞを起こしでもしたらたまんない。


 暇を持て余すという意味では、つっこんできたグラミィや、トルクプッパさんも相当なものらしいけど。

 彼女たちを斥候任務に同行することも、できなくはない。が、そのぶんあたしの魔力消耗も激しくなってしまうのだ。

 だからといって領都に放りっぱなしにしているのは……、うん、悪いことしてると思うよ。

 だけどトルクプッパさんも暗部の人間だ。あたしが何も言わなくても、グラミィを連れて自発的にあちこち話を聞いて回ったり――つまり、情報収集に励んでくれてたり――するわけだ。

 クウィントゥス殿下の誘導で、トリブルスさんたち諸侯の先遣隊は作戦を立てては崩しのステイ状態だとか。

 じわじわと国内が戦に向けて体制を整えており、その余波で供給される食糧の量が少なくなってきているらしいとか。


 だけど、二人がせっかく集めてくれた情報に、あたしはどうにも物足りなさを感じてしまう。

 グラディウスの動向とか、ランシア地方の他国の動きとか。


 グラミィには、外交権限手放したくせに、まだそんなこと気にしてるんですかと言われたこともあったが、情報というのはいくらあってもよいものなのだよ。

 そりゃ、クウィントゥス殿下があたしに斥候任務を命じたのも、死地に赴かせているように見せかけて批判をかわすためだけじゃない。この女性用スペースの使用権限をずっと与えられているのも、あたしをアーノセノウスさんその他大勢の人から遠ざける大義名分、クウィントゥス殿下の配慮ってことはわかってますけどね。

シルウェステル・ランシピウスを名乗れない以上、人前に出ちゃいけないってことですねわかりますとお利口な返事をしたら、クウィントゥス殿下ってばなぜか微妙な表情になった、というか、魔力を歪ませてたけど。


 でもね、こっちを隠すということは、こっちに入ってくる情報も制限されてるんですよ。

 ずっと目隠しされたまんまつっぱしってるだけの、ただの使いっ走りでいるわけにいかんでしょうが。

 網はどんどん自主的に貼ってきますとも。

 呆れながらもちゃんとグラミィたちが耳目を務めてくれるのは、ほんとに有難いけど。それはそれ、ですとも。


〔ボニーさん〕


 今日も領主館や領都で得た情報を話し尽くした二人が、自室に引き上げていった、と思った直後。

 女性用スペースの入り口近くから、グラミィが心話を飛ばしてきた。


〔タクススさんがいらしたんですけど、どうしましょう?〕


 おや。珍しい。

 タクススさんが珍しい、というか、このスペース、あたしが魔喰ライ化した時の最終封印形態でもあるので、人が訪れてくること自体がとっても珍しくはあるんだけど。

 お通ししてくれる?しばらく会ってなかったし、あたしもタクススさんに聞きたいことがないわけじゃないから。


〔わかりましたー〕


 グラミィがタクススさんを先導してきた途端、あたしがアクセを作っている間もくっついてきていた幻惑狐たちがわらわら散っていった。


(((くっちゃー)))


 ……どうやら、彼らはタクススさんに染みついた薬の匂いが苦手らしい。だけど反応が下水の匂いに対するのと同等ってのはどうかと思う。


「ご無沙汰をいたしております、骸の魔(スケレトゥス・)術師(マギウス)さま」

「『タクススさまもお変わりなく』」

「そのような呼び方はお辞めくださいと申し上げておりますのに」

 

 タクススさんはイヤそうに顔を(しか)めた。


「どうぞ以前のように、タクススとお呼びいただけませんでしょうか」

「『ではわたくしのことも、呼び捨てにしていただきたく』」

「いや、それは、なかなかに難しゅうございますな。骸の魔術師、とは呼びにくうございます」

「『それは、わたくしにも同じことと考えていただければ』」

「……これは一本取られましたね」

 

 苦笑してタクススさんは首を振った。


「では、失礼ながら骸の魔術師どのとお呼びいたします」

「『ではわたくしもタクススどのと。――薬神パルマ(投薬)ーンの御業(治療)を願う方も多いでしょうに、わざわざおいでいただくとは。お疲れではありませぬか』」


 兵のいるところ、外傷のケアというのはつきものである。

 当然のことながら、薬師でもあるタクススさんは、こんなふうにあたしのところにひょっこりやってこれるほどの暇などないはずだが。


「いえいえ、今のところは大きな戦闘もございませんから。わたくしのような毒薬師の出番は、せいぜい小競り合いの軽い怪我やら、食あたり飲み過ぎ二日酔いの世話くらいなものですよ」

 

 そうタクススさんは笑ったが、わずかな時間を縫うように、ヴィーリやメリリーニャと、森精の知る薬草――夢織草(ゆめおりそう)も含めて――について、話をしたりしているのは聞いている。

 自分の技術や知識に飽き足らず、新しい知見にも貪欲なのはさすがとしか言いようがない。


「こたびお伺いいたしましたのは、骸の魔術師どのにも言葉の薬(御忠言)を少々さしあげたく存じましたためにございます」


 おや。なんだろ。


「あまり殿下を困らせぬ方がよろしいかと」


 ……って、何やってたっけあたし。


〔ホバークラフト術式の大騒ぎ、後始末してもらってませんでしたっけ?いろいろお気遣いされてるくせに、さらに迷惑かけてるとか〕


 あれは……もうかなり前のことじゃん。過去のことはぜひとも忘れていただきたい。

 というか、術式の開発は、必要な事だったんだよう。

 などとグラミィと心話でごちゃごちゃ揉めたりしたが、タクススさんの口から出たのはまるっと別のものだった。


「クウィントゥス殿下は悩んでおられましたよ。斥候ばかりでなく、戦闘でも成果を上げておられる骸の魔術師どのが褒賞をお受けにならないというので」

 

 ……そっちか。

 舌打ちができるものなら、あたしは盛大にしていたかもしれない。


 あたしの斥候任務は情報収集が主だ。で、それに時々星屑たちとの遭遇戦が交じっていたのだが、確かにここ最近ランシアへ向かう星屑たちが増えてきたせいか、交戦というか、一方的に叩きのめすことが増えてきている。

 この間は、一晩に数グループを拿捕(だほ)したりもしたっけな。

 

 ぽつぽつにわか雨の滴も、まとめりゃゲリラ豪雨に匹敵する。川に流れ込む量が増えれば濁流となり、日常の風景すらも一変させてしまうものだ。

 報告のたびにクウィントゥス殿下の眉間に皺が刻まれたのは、だいたい五月雨からゲリラ豪雨式に増えてきた星屑連中のせいだろう。

 敵が増えるばっかで減りそうにないってのは、悩みどころだよね。そもそもこのトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は防御にそうそう向いてないし。


 うむうむと同情していると、ジト目で睨まれたけどな!

 有益な情報をもたらし、敵を防ぐ有能な配下に褒賞を与えにゃならんのだから、素直に受け取れって。

 いや王族的に、出した成果に報いなきゃバランス取れないってのはわかるんだけども。


「戦果を出されたのでございます。殿下が賞されるのも当然かと」

「『お気持ちだけありがたく。ですがお気遣いは不要にございますと、タクススどのからも申し上げていただけないでしょうか』」

「いえ、それは。もともと骸の魔術師どのが地位や領地に拘泥なさる方ではないとは存じておりますが……」

 

 タクススさんは困り顔になったが、生前のシルウェステルさんがランシアインペトゥルスのために働くのはともかく、あたしが動くのはあたしがそうしたいから、それだけなんですよ。

 ただの、ワガママですよ。それ以外の何ものでもない。

 そういうことにしておいていただきたい。

 ここでクウィントゥス殿下から、下手にでかい褒美をもらうわけにはいかないのだ。


〔いや、くれるというならもらっとけばいいじゃないですか〕


 グラミィは呆れたような目で心話を飛ばしてきたが、そいつぁちょいと読みが浅い。


 王サマの所業を見ていればわかるように、王族というやつは報償や罰の権限を持つことで人を支配し、丸め込むのが実にうまい。

 だけど、ここで何か授かってみろ。そのまま一本釣りとばかりに釣り上げられて、英雄にでも祀り上げられ、いいように料理(利用)されるのが目に見えてるっての。

 その結果、どこにどういう影響が出るやら。正直予測のたてようがないのだ。

 まだ国内の貴族階級の家柄、その関係性が理解しきれているとはいえないんですよ、あたし。


 ただでさえルーチェットピラ魔術伯家の人間であるクラウスさんにすら、あたしがアーノセノウスさんたちを捨てて、クウィントゥス殿下にすり寄ったと見られてたというのが、不安材料になってるってことは否定しない。

 これ以上王弟殿下に重用されたとみなされたなら、つながりが切れかけてるルーチェットピラ魔術伯家と、骸の魔術師との縁が、完全に断ち切られたと見なされかねんとか。

 何もわからぬまま、最初に王都ディラミナムに着いたときと、今は、わけが違うのだ。

 あのときは、クウィントゥス殿下の手駒として扱われてもしかたないと思っていた。

 だけど、ここまでルーチェットピラ魔術伯家に深く関わってしまっていると、単純にアーノセノウスさんたちとの縁を絶ちたくないと、あたしが、思ってしまっているのだ。

 感情的と言わば言え。


 ……今考えれば、和解を求めてきたアーノセノウスさんを人前で突き放してしまったのも、悪手だったのだろう。

 ここであたしがルーチェットピラ魔術伯家から離れたことが明確になったと受け取られるのは、あたしを使ったクウィントゥス殿下との綱引き権力闘争に、ルーチェットピラ魔術伯家が負けたと見られることにもなりかねない。

 結果として、アーノセノウスさんたちに何らかの不利が及ぶのは、あたしの本意じゃない。

 権力抗争のいい火種になんざなりたくないんですよ、あたし。

 だけどそうかといって、役立たずという評判をたてるわけにもいかないんだよねぇ……あああ。


「グラミィどのも無欲すぎる主をもたれてはお困りでしょうに」

「……わたくしは、平穏無事に過ごせればそれでよいのですがねえ」

「それは。難問にございましょう」


 ですよねえ。

 あたしたちが困っているのを感じ取ったのか、タクススさんは苦笑した。

 

「殿下が褒賞を与えようとすればしたで騒ぐやつばらもおりますしね。ご心中、お察し申し上げます」


 ああ。タクススさんの心配は微妙に方向が違うが、確かにそっちの問題もあるんだよねえ。


 シルウェステル・ランシピウス名誉導師と名乗らない/名乗れない以上、あたしの身分も実績も、新たにゼロから積み上げていくしかない。

 骸の魔術師としても、ある程度実績を積んで信頼度を稼げば、シルウェステル・ランシピウス名誉導師の名の下に得ていた自由を維持しつつも、スクトゥム帝国を、というか星屑たちをなんとかできるんじゃないか。

 そう考えたからこそ、あたしはクウィントゥス殿下の命を受け入れ、斥候任務のついでに、星屑たちを徹底してしばいちゃいるのだが。

 問題は、あたしに同道者がいないということだったりする。


 人の功績を妬む者からすれば、今のあたしがめちゃめちゃ怪しいってことは認めますとも。

 なにせ今後の戦況に有利を作る水脈(みお)の情報が申告のみなのはまだしも、交戦したってのも結果報告のみとか。

 しかも、捕虜にしたと報告した星屑たちは、全員採れたて新鮮闇森直送というね。

 つまり単独行動のあげく、情報源だの捕虜の実物だのを、ほとんどフェルウィーバスに持ち帰っちゃいないんですよ、あたし。


 客観視できるような証拠がなければ、信頼性は低くて当然だ。

 そして、生じた不信は増殖する。


 そもそも、今のあたしはどこの馬の骨ともわからぬ存在ということになってる。

 ちょっとつつけば、かつてシルウェステル・ランシピウス名誉導師と名乗ってた存在だってことはわかるし、骨ってことも知れわたってるところだろうけど。

 伝統ある家名とか、生前のシルウェステルさんが積み上げてきた実績からくる信頼ってものがなくなってしまったのは、けっこう痛い。

 ほぼ無条件で肯定したり信じてもらえていた情報が、否定や不信ではねのけられる確率が高くなるからだ。

 そして、あたしの行動が信頼できない、は、簡単にあたしという人間が信頼できない、にすりかわる。

 当然、あたしのもたらした水脈の情報も、かつてあたしが結びつけた人脈すらも信用できないとなりかねん。

 実際、そういうことをぼそぼそ小声で言い出している、重箱の隅つつきも出てきてるようだし。


 ……つくづく人間というのはめんどくさい生き物だと思うのは、こんな時だ。

 目の前に勝てるかどうかわからない、いや物量的に言えば勝ち目がほとんど見えないくらい強大なスクトゥム帝国という敵が迫ってきているというのに、あたしみたく、自ら事を荒立てるようなことをしてない骨を捕まえて、内輪揉めの具材にしたがるとか。

 ダシなんか出ませんからね。てか出しませんからね、アーノセノウスさんたちが不利になるような情報とか。


「まあまあ」


 タクススさんが苦笑しながら割り込んできた。


「愚か者がいることには同意いたしますよ。ですが、戦果をお出しになれば、報償ばかりでなく名誉もより高く築かれるのは当然にございましょう。いえ報償を拒絶なされたなら、無欲の献身と骸の魔術師どのをたたえる声は、いよいよ大きくなりましょうに」


 ……そこも問題なんだよねえ。

 どこもかしこも中途半端にしてきたあたし自身の自業自得と言われたら、まったくその通りでございますとしか言いようがないんだけど。

アーノセノウスさんたち、ルーチェットピラ魔術伯家の動きも、クラウスさんが突っ込んできた時からさっぱりだし。

 というか、そもそもアーノセノウスさんたちは夢織草の影響から完全に回復したんだろうか。


「『タクススどの。ひとつお伺いしたいのですが、彩火伯(さいかはく)さまのご容態はいかがなのでしょう』」

「お気になりますか」

「『むろんのこと』」

 

あたしは首の骨を頷かせた。正直アーノセノウスさんたちの動きは、トルクプッパさんたちにもよくつかめてないらしいしね。

 今度はこっちからお見舞いと称して突撃したろうかとも思ったが、それ顔と頭蓋骨を会わせたら気まずくなるやつですから。確実に。


「彩火伯さまからはひどく罵られたと伺いましたが、それでもご心配をなさるのですか?」


 言われた以上に言い返しちゃったもんなあ。

 それに、何も考えず、凋落(ちょうらく)するさまに快哉を叫べるのは、相手が童話の悪魔や悪いお妃のように、自分のリアルとは無関係の記号的(お約束な)存在である時ぐらいなものだろう。 

 たとえ『浮気性の王子』だの、『自分の立場を保全するためだけに、こちらを悪役令嬢とおとしめてきたヒドイン』だの『こちらを虐待、あるいはこき使ってきたくせに追放を叫ぶ家族やパーティーメンバー』だのといった相手でも、実際に十数年をともに過ごせば情が移ってそうだと思うのだよね。

 もちろんそれは、関係性に捕らわれた一種の洗脳によると見ることもできるだろうし、相手にしてきた献身が、自分の努力が、無為に帰することを無意識に拒絶しているということもあるだろう。

 だけど勧善懲悪の快感は、断じる相手が100%悪であり、なおかつ思い入れも皆無でなければ、ただ後味の悪さにかき消されるばかり。

 よほど過去を完全に否定でもしないかぎり、絵に描いたようなざまあなんて、できはしないのだ。


 そもそもあたしは、アーノセノウスさんたちに不利益などもたらしたくはない。ましてや、ルーチェットピラ魔術伯家と関係を断ち切りたい、などと言ったこともない。

 シルウェステル・ランシピウスと名乗るなとクウィントゥス殿下に言われなければ、いや、アーノセノウスさんが、あたしがシルウェステルさんじゃないと言わなければ、今でもずっとシルウェステル・ランシピウス名誉導師を騙り続け、その地位にふさわしくルーチェットピラ魔術伯家に貢献し、アーノセノウスさんに逆らうことなど考えもしなかっただろう。

 疑いを向けられて傷つかなかったとは言えないが、それでもあたしとグラミィに、この世界での基盤をくれたアーノセノウスさんたち、ルーチェットピラ魔術伯家の人々に対するすべての感情が、負のベクトルに変換されきったわけじゃない。

 打算も、好感も、盲目の溺愛も猜疑と戸惑いも、あたしがシルウェステル・ランシピウスを騙り始めてから得たものだ。

 たとえ同じ思いを抱いてはいなくても、同じ思いを返すことはできなくても、通じ合えたと思うこともなくはないから、それらを捨てる気にはなれない。

 世界は善悪二色のアニメ塗りでできているわけじゃないのだ。


「……これは、なかなか。彩火伯さまのお心ばかりが強いかと存じておりましたが」


 小さく口の中で何やら呟くと、毒薬師はあらためてあたしに向き直った。

 

「骸の魔術師どのが彩火伯さまを重く慕われているご様子にはこのタクスス、感服いたしました。全霊を持って、彩火伯さま方のお望みあるかぎり治療を行いましょう」

「『感謝いたします、タクススどの』」


あたしは深々と頭蓋骨を下げた。


「現状につきましてですが、彩火伯さま、クラウスさまを始め、夢織草を使われたルーチェットピラ魔術伯家の皆様の解毒はおおよそ終わりましてございます。ですが、星詠みの方々(森精)によりますれば、夢織草の煙を多く吸った者は、のちのち体調を崩されることもおありかと」

「『なるほど』」


 向こうの世界の大麻に、フラッシュバックなんかの後遺症はあったか、どうだったか。

 けどまあ魔力にすら影響する夢織草なら、魔力的にも悪影響が起きて当然か。


「『峻厳伯は、魔術を構築できなくなることもあると示唆しておりました。また以前、外務卿(テルティウス)殿下の御身にありましたことを思いますと、案じられてなりません』」

「さようにございますね」


 不安定になった魔力を暴発させてしまうだけでなく、集中力が欠けていても、魔術の顕界には盛大なマイナスになる。

 彩火伯の二つ名を、その魔術師としての技量で得たアーノセノウスさんにとって、夢織草の後遺症はへたに長引けば、その魔術師生命に関わるものにすらなりかねない。


「ですが、そのあたりのことは、わたくしではわかりかねることも多うございます」


 だよねえ。

 いくら夢織草に詳しいとはいえ、タクススさん自身は魔術師じゃない。

 魔力の制御能力を回復させる方法なんて、知らなくて当然だ。

 あたしも、訓練方法としては一番よさげなのは、魔力暴発などを起こして魔術学院にやってくるような、魔力制御能力の低い子どもたちの学習過程を、もう一度段階を踏んでやりなおしてみる、というものだろうという推測ぐらいしかできないしな。

 だけど、実践するには、それもいささか聞こえが悪い。いやしくも上級導師ともあろうアーノセノウスさんが、魔術師見習いの子どもたちがやるようなことを一生懸命やってるとか。

 口止めを厳重にして、魔術学院から導師を招くにしても、ルーチェットピラ魔術伯家内部から指導に長けた魔術師を呼ぶにしても、それはルーチェットピラ魔術伯家内部での判断だろうし。

 何か手助けができるものならしたいところだけど。


「彩火伯さまもそのあたりのことはすでにお考えのようですよ」

「とおっしゃいますと?」


 タクススさんはグラミィにもうなずいてみせた。


「先日フルーティング城砦に駐在しておられた魔術師の方々が下山なされまして。彩火伯さまは方々をお呼びになり、いろいろとお話をなされているようでした」

「『それは重畳』」


 二重にそれはよかった。

 クラウスさんか、アーノセノウスさん当人かは知らないが、容態についていろいろ考えられるくらいには回復したんだろうという意味と、フルーティング城砦の面々が交代して下山してきたということ、その両方の意味で。

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