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黒瑪瑙の毒

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 夜のイークト大湿原は美しい。黒瑪瑙を磨いた鏡のような水面が揺れるのは、自然の風か、高度を落としすぎたあたしの術式の余波か。


 グラミィが飛んでった後、クウィントゥス殿下のもとへあたしも呼ばれた。そこでいろいろ進言したついでに、あたしの要望を聞かれたので、素直に答えたのだ。

斥候に使ってくださいって。

 それでいいのかと、えらくぬるい目になった殿下に聞かれもしたが、いいんです。

 てか、あんまり選択肢がないんだもの。

 

 シルウェステル・ランシピウスを名乗れない現状で、あたしが人に関わるのはよろしくない。

 いや、そりゃあ確かに国内外を問わず、人脈をそれなりに築いてきたって自負はありますとも。表立っても裏でこっそりでも、いろいろやってきましたし。

 だけど、外交関係の権限はそっくりクランクさんに譲ってあるし、人脈だってあくまでも『シルウェステル・ランシピウス名誉導師』の名前の上に築いたものだ。

 なのにあたしが骸の魔(スケレトゥス・)術師(マギウス)としか名乗らないとなれば、なんかあったってのは筒抜けになるんですよ。

 こちらの内情というか、いざこざを進んでばらす必要はないでしょうが。


 国内だってそうなのだから、ましてや他国、いくらグラディウスファーリーやクラーワヴェラーレといった、スクトゥム帝国に対する同盟を結べた友好国が相手でも、ごたごたは見せない方がよろしかろう。

 とはいえ、友好国を害してでも、ランシアインペトゥルス王国にだけ有利に事を進めようという気は、あたしにはない。ないったらない!

 あたしにとってランシアインペトゥルス王国は、絶対不可侵でも唯一無二の存在でもないんだから!このあたりは王弟殿下どころかグラミィにも秘密だけど!

 

 ……逃げ続けている根源的な問いにひっかかりそうな問題はともかくとして。

 それでも、合理的に考えて、軸足を置いてる国が揺らげば、困るのはこっちだ。 

 だから、あたしはあたしのできることをする。 

 社畜性二十四時間お仕事欲しいです病を発症しているように見えるかもしれないが、主な理由は『自分のため』一択ですとも。

 なにせ、命令に従っておけば、無駄に考え込まずにすむし!


 ついでに言うなら、まだ、なるべく人の多いところにあたしを置いとかない方が、王弟殿下もあたし自身も、お互い安心じゃないかと思うんだよねえ。

 魔喰ライになりそうという感覚は今のところないが、あの飢えの記憶はいまだに生々しい。他人との接触すら臆病になるほどには。

 ……うっかりなんかのはずみで、相手を捕食対象とみなしかねないとか。かなり精神的にきますよ、これは。

 

殿下はしばらく悩んでいたが、やがて決断した。

 ただし、命じられたのは進軍ルートの地勢把握がメインである。


 斥候といっても、いくら星屑(異世界人格)搭載されるおそれがなかろうが、補給ルートの確保がほぼ不要で単独行動可能だろうが、骸骨(あたし)に対人での情報収集は期待できないということなのだろう。

 そりゃまあ、魔喰ライに堕ちる危険性がある上に、生身の人間に化けるためのライブマスクをまだ作り直してない状態じゃあね。妥当な判断だと納得しますとも。

 アーノセノウスさんたちだけでなく、フルーティング城砦駐屯部隊からも遠ざけてもらってるこの状態が、ある意味逃げだということもわかってるんだけどね。


 やはりというべきか、メインの進軍ルートはイークト大湿原と決まった。

 とはいえ、クウィントゥス殿下のことだから、フルーティング城砦経由天空の円環ルートでも斥候は送るつもりなんだろう。

 ただ、そっちはフルーティング城砦もあるし、ランシア街道が整備されていることからもわかるように、歴史的にも国家間の正規ルートとして認知されている。情報の蓄積はそれなりにあるわけだ。

 だがイークト大湿原は一面水に覆われているせいで、その縁を辿るルート以外の情報が乏しいのですよ。

 だからって、あのミミズがのたくったような、線しかない地図はありえないと思うけどな!

 

 ちなみに、イークト大湿原を夜でさえ黒曜石にたとえられないのは、その水が不透明だということもある。

 不透明ということは、水深がどのくらいあるのかわかりにくいということでもあり、それはつまり喫水の浅い小船でも移動するのが難しくなるということでもある。

 普通の小船で泥の浅瀬に乗り上げでもしたら、二進(にっち)三進(さっち)もいかなくなるもんなー。

 しかも星屑たちがどんな移動手段を手に入れているのかわかんないのが怖い。

 水深?そんなもん関係ねぇとばかりに、コメディ系異世界ものよろしく、訳の分からない高性能なブツ(オーパーツ)を一台でも投入されたら、対応不能な以上、こっちは不利になる。場合によっては完璧に詰む。

 ちょっと見てみたい気はするけれどね。水上陸上所構わず爆走できるスワンボートとか。


 予測不能な敵の秘密兵器について、いくら考えても結論は出ない。

 ならば、理解可能な味方の物資を――つまりはこの世界の技術で作られた量産品、それも品質としては中の下レベルを想定して――、使ってできる行動の効率を底上げするよう、少しでも情報を集め、こちらの有利を作らなければいけない。

 クウィントゥス殿下に、早急に行うようにと最優先で命じられたのが、水脈(みお)の調査だったのは、そういうことだろう。

 問題は、空を飛ぶだけでは水脈を探すのは難しいということなのだが。

 

 水深の深いところは相対的に水の流れが速くなる。が、それは水面の動きだけ見ていてもわからないことが多い。

 つまり、移動時間を短縮するために空を飛ぶだけじゃなく、何度も水面に下りたり潜ったりを繰り返す必要もあるということだ。

 いや、確かにあたしはどっちもできるけどさあ!

 だけど、その両方をやるのって、じつはかなり難しかったりする。


 大型の水鳥――白鳥などの離着水のシーンをイメージするとわかりやすいが、水面から空に上がるには、水面を長距離疾走したりして、かなりの推進力を稼ぐ必要がある。逆に下りてくる時にも、その運動エネルギーをゼロに近づける必要があるのだ。

 何より、羽音がすごい。

 ……当たり前の話だけど、目立っちゃいけないんですよ。斥候って。


 もちろん、あたしは静止した状態から飛び立つ、というか結界を使って空中に跳ね上がることはできる。

 だけど、それは、強固な地面あってのこと。

 水面から同じ事をしようとすると、よほどしっかりした足場を作っておかないと、反動で沈んでしまうのだ。

 逆に着陸する時は、鳥同様に、空気抵抗を利用して速度を落としている。

 でもね、水の上で同じ事をすると、水面がたわむんですよ。空気の流れで。

 水鳥にとっちゃそれもただの誤差なんだろうが、浮力を基本的に結界頼みにしているあたしには、ちょっとした水面の揺れも沈没の危機となる。

 

 おまけにイークト大湿原はかなり広い。

 ロリカ内海を飛んだあたしなら大丈夫と思われたのかもしれないが、正直アレはラームスの魔力(マナ)量と顕界能力にかなり助けられてのことなんですよ。

 今もあたしに絡みついてる切れ端――もとい、軽量化したラームスにそこまでの力はない。領主館から聖堂まで飛んだ時に、そのヤバさは思い知った。

 巨大ターボエンジンの高出力に慣れてたのに、いきなり低出力エンジンに取り替えられたようなものですよ。感覚が狂う狂う。


 あたしがなんとか墜落せずにすんだのは、自前の魔力量と魔術制御能力のおかげだ。

 エンジンの例で言うなら、こんなこともあろうかと的に、エンジン脇につけておいた足こぎプロペラ推進器を必死に漕いだおかげで、なんとか墜落せずにすみました、というようなものだ。

 グラミィに愚痴ったら、『高速で車をママチャリで追い抜いて都市伝説になるレベルの漕ぎっぷりだったんですね』と言われた。なんじゃそりゃ。

 ほめるにしてもおちょくるにしても、たとえがわかりにくいわ!

 

 ともかく、低魔力かつ魔術能力低下状態でも、なんとかできるような事前準備は必要である。

 いやね、魔力量だけなら、なんとかならないわけでもないのだよ。魔力吸収陣を魔晶(マナイト)モドキの魔力タンクとして作りだめするということもできるからだ。

 でもそれだけじゃ足りない。それ以上何も考えずに、無策な脳死状態で突っ込んでったら、イークト大湿原のどっかで泥に埋まる未来しか見えないんですよ。セルフ埋葬は遠慮させていただきたい。


 そこで、あたしはクウィントゥス殿下の許可を取り――無断外出はさすがにまずかろうと思っただけなんだけど、アロイス他数人の騎士だけでなく、魔術士団の人たちまでくっついてくるとか。遠ざけてもらってると思ってたんだけど、どういうわけかなトルクプッパさん――、グラミィやヴィーリたちと、領都の外へ出かけたりもした。手近な河でいろいろ実験をしようと思ってね。

 

 まずは水面を移動する術式を考えた。

 空がダメなら地面を、もとい水面を行けばいい。飛んだり浮かんだりが大変ならば、移動は水面だけにすればいいという発想だ。

 だけど、今あたしが使っている術式の基本形は、結界を船に仕立てるものだ。それだけじゃ動力がないんですよ。

 オールを別に作って、魔力でよっこらよっこら漕いでいく、あるいは水流を作って船そのものを吹っ飛ばすということもできるのだが、どうしても空を飛ぶのに比べて時間がかかる。

 時間短縮というのなら、ロリカ内海でもやったジェットフォイル術式が今のところ最良なんだけれども、あれは水の抵抗を軽減するため、船体部分が水面から持ち上がるのだ。術式だけでなくバランスの制御もちょっとばかり難しい。


 もっと安定性を出せないかと、ホバークラフト的なやりかたはどうだと思いついたりもした。

 あれなら水流の代わりに空気の流れを作り出すだけだから、ジェットフォイル術式をいじくればすぐにできる。水陸両用だから使い勝手もいい。しかも空を飛ばないから墜落の危険もない。

 いいこと尽くめじゃん。


 安全性を確認できたら、グラミィに使わせてもいいかもなと思ってたんだけどね。あの時は。

いや、ひどい騒ぎになった。


 ホバークラフトって、音がすごいのね。

 ばびびびびびという耳をつんざく轟音が水辺に響き渡り、馬は驚き鳥は飛ぶ、騎士はこぞって剣の(つか)に手を掛ける。

 魔術師たちはというと、最初から唖然呆然の棒立ちですよ。


 いくら領都の外に出たとはいえ、こういうときに真っ先に飛び出てきそうなクラウスさんとアーノセノウスさんがそこに混じっていなかったことには、強烈な違和感を感じてしまったのだけど。

 ……うん、相当重傷だねえ。

 アーノセノウスさんたちにダメージ負わせたボニーさんが言いますかねそれと、グラミィにはつっこまれたが、あたしもあらためてダメージ喰らってますから。痛み分けと言うことでそこはひとつ。


 ルーチェットピラ魔術伯家の沈黙は、魔術士団の人たちにも影響を及ぼしていた。

 もちろん、彼らには彼らの指揮系統というものがある。魔術学院に属しているあたしやアーノセノウスさんの命令を聞くことなど、通常ならばありえない。

 だが、魔術士団もヴィーア騎士団などと同様に、王直属の軍事組織なわけですよ。

 ゆえに、上官不在のこの状況では、かなり変則的にだが、クウィントゥス殿下の指揮下に入るという裁定がされる。

 だけどクウィントゥス殿下は魔術師ではない。彼らの面倒を見ているトルクプッパさんも、効率的な魔術師の軍事的運用方法なんて知らないだろうし。

 いやそんなもん、あたしたちにもわかんないけどね!

 

 とはいえ、どうしたらいいかと御下問されて、わかんないではすまされません。なので、参考意見にしてくださいねと注釈つけて、お答えはしましたとも。

 フルーティング城砦と王都に連絡して、魔術士団からさらに人員派遣してもらってくださいという、実に無難な、というか、責任なんてあたしたちにも負えないから、誰かに押しつけちまえというものなのだけど。

 

 クランクさんたち、出張外交団はフルーティング城砦から動かせないのかもしれないが、それ以外の魔術士団の駐屯部隊の人たちならば、その能力的にも互換は可能なはずだ。

 ならば順次入れ替えのついでに情報共有も図れるでしょうし。

 ……逆に考えると、フルーティング城砦が陸の孤島状態だからこそ、情報漏洩とか気にせずお願いできてた魔術陣の開発とかには痛いんですけど。ここまで状況が変わってしまったのは、かなりの想定外ですよ。ほんと。


 ともあれ、人が動くとなると、共有していると思っていたモノが案外そうじゃなかったりするので、そこも要チェックしていただきたい。主に知識とか。危機感とか。

 そう、クウィントゥス殿下に念を押したが、果たしてどこまで効果はあるのやら。

 

 頭蓋骨を振って雑念を追い出すと、あたしは目標に向かって急降下した。


 最終的に、実験結果は装備と術式に化けた。

 と言っても、今のあたしの格好は、例の黒覆面に、トルクプッパさん謹製のなんちゃってローブと鎌刃杖が基本形だ。

 ホバークラフト術式?あんなんボツですよ。

 大事なことだから繰り返すけれど、目立っちゃいけないのだ。アイム斥候。


 なんちゃってとはいえ、トルクプッパさんの作ってくれたローブはぱっと見には十分上等な導師のローブに見える。

 ならばこれでもいいじゃないかと思うのだが、トルクプッパさん的には許せないものがあるらしい。

 斥候任務なんだから、シルウェステルさん特製ローブじゃなくても大丈夫と伝えたら、盛大に嘆かれました。

 その挙げ句、フルーティング城砦へ至急あたしとグラミィの荷物を送るようにと鳥便送りました、と気合いを入れた顔で言われてもねえ。国の緊急連絡手段を何と心得る。

 

 いや、トルクプッパさんのお気遣いはありがたいんですよ。

 確かになんちゃってローブ自体、聖堂での立ち回りで多少汚れたり破れたりしているし、なによりシルウェステルさん特製ローブの方が、モノはいいもんな。頑丈で魔力の通りがいいから強化率も最高だ。

 しかもその上にこれでもかと魔術陣を多重構築しているので、装甲としてはいうことなし。

 ただし、そのぶん魔力を盛大に吸われるという問題がある。

 いくら高性能アプリでも、常時起動してたらバッテリーが上がりやすくなるようなもんなんで、負担軽減策が不可欠な今のあたしの状況では、ちょっと重い。

 

 だからと言って、ラームスを骨身に再度組み込み、防御をお願いするということも、今のところ考えちゃいない。

 ラームスに頼りすぎると、自分自身が何をどれだけできて、何ができないのか、能力評価がすっかり狂ってしまいかねんからねー。森精たちみたく、ラームスがいなければなんにもできないようになるのは怖いものがある。

 それに、なにより、ラームスが受けてるダメージが大きすぎるのだ。


 骨身から無理矢理引っこ抜いた方ではなく、杖に絡ませてた方なら大丈夫だろうというのは甘い。

 樹杖側のラームスたちには、枝と種葉を提供してもらっている。

 そちらはグラミィに預け、魔術辺境伯領から暗森――落ちし星ではない人間が足を踏み入れることのできる、森精たちの棲む闇森直近地点ということになる――とイークト大湿原湿原のへりの間を抜け、クラーワの低地へと向かうルートに撒いてもらう予定だ。


 森精たちは、彼らの領域の外にある道を人が往来することについては無関心ですらある。だが、ひとたび誰かが領域内に踏み込んできたら、人間すべてを敵と見なしかねないというところがある。

 そして、落ちし星(異世界転移者)以外の人間の見分けは、たぶんあまりついていない。

 なので、暗森、いや闇森にふらふら突っ込んでいきかねない星屑たちの巻き添えを喰らわないためにも、これはけっこう重要な下準備なんですよ。


 なぜそれをグラミィに任せたかって?

 あたしが同じ事をしようにもできないんですよ。

 なにせ大湿原は今あたしが急接近している目標のような場所でもない限り、水面から露出している地表がほとんどない。水面に枝や種葉を撒いても沈んでしまえば、芽が出るわけもない。


 黒瑪瑙の縞模様のように、暗い水面に白く浮かび上がる、三日月型の小島がぐんぐん近づいてくる。

 その寸前で急制動をかけたあたしは、ホバリングしながら足の骨を伸ばし、脛鎧(グリーブ)の陣を発動してみた。 

 足元に生じた結界が水に触れたとたん、氷の軌跡が水面に生じた。重みで重心が変わる。あたしは前のめりにひっくり返らないよう、必死で踏ん張った。

 そして数秒後。完全に停止したあたしは楕円形の氷の船の上に立っていた。成功だ。


 脛鎧というと聞こえはいいが、ぶっちゃけ板のように成形した魔術陣を両膝蓋骨の下に括りつけただけのものだ。

 トルクプッパさんは美意識的に許せないものがあったらしいが、あたしの負担軽減手段なんで、そこは許していただきたい。てかみっともないと言われても、誰も見てないと思うんだけど。

 

 斥候としてのあたしの利点はいろいろあるが、つきつめるなら空を飛ぶことができ、不眠不休、しかも補給ほぼ不要で移動が可能という点に尽きる。

 飛べない人間どころか、空を飛べる森精ですらありえない機動力。これが一番の強みだろう。

 ならば、その利点を生かす方向で術式も組むべきだ。

 そんなわけで、最終的にあたしが採用した術式は、どれも飛行の負担を軽減するものばかりになった。

 

 しっかりした足場がないから飛び立つのが大変というのなら、作ってしまえばいいのだ。

 別に永続的なものでなくてもいい。

 そこで脛鎧には『ミニスキーサイズの結界を足の下に構築、結界が水に触れている間、水から魔力を吸収、氷を生成する』という、えらい限定的な条件を組んだ魔術陣を刻んでみた。

 

 魔術の顕界には術式の維持が必要だ。ならば、それを魔術陣で代替してしまえば、多少効率は悪くなるが、本体の顕界能力が多少低くなろうと問題はない。

 そして魔力を奪いすぎれば、水は凍る。

 そこまでいかなくても、氷に近い状態の水が近くに、そして大量にあればあるほど、氷の術式は顕界しやすくなる。

 いつもは水面に張った結界だけで浮力を維持しているのだが、氷自体にも浮力はある。

 ならば普通に氷を生成する術式より少ない魔力で、氷の足場を生成することができれば、結界に魔力を必要以上に消費しなくてもよくなるというわけだ。

 とはいえ、幻惑狐(アパトウルペース)に氷の足場は寒すぎたようだ。いつも通り着地と同時に飛び降りたフームスが、ほんとに一瞬で、ぴょっと懐に引っ込んできのには笑っちゃったけど。

 

 飛行時に消費する魔力量については、発想の転換が物を言った。

 空を飛ぶ時に魔力を消費するのは、主に翼を結界で構築しているぶんと、その翼に揚力と移動速度を持たせるため、風の術式を顕界しているぶんに分けられる。

 つまり、エンジンがへぼくても、翼を改良し、滑空能力を上げれば、ある程度はカバーができる。


 あたしがこれまで空を飛ぶのに構築してきた翼は、四脚鷲(クワトログリュプス)のグリグのものがモデルになっている。

 つまり、かなりの厚みがあり、羽ばたくことを前提とした、猛禽類のそれに近い翼だ。

 しかし、あたしは構築した翼を羽ばたかせることができない。術式の顕界だ。

 でも、これって、かなりのロスなのだ。


 鳥たちも、飛び方の工夫で羽ばたかなくても、つまり自分のスタミナを消耗しなくても、かなりの距離を滑空し続けることはできる。

 が、それには上昇気流を捕らえるため、一定の高度を保たなければならないという問題がある。

 うまく上昇気流を捕まえられても、飛んでいく先も気流任せになったり、運動エネルギーと位置エネルギーを延々置換する羽目になったりとかね。

 結果、目的地に着くのに相当な時間がかかるのだ。


 もっと直線的な飛び方はできないものか。

 そう考えたあたしは、構築する翼を変えた。鳥に近い一対のものではなく、リベルラという蜻蛉に近い虫の、薄い二対のものにだ。

 重心は変わるし、翼の数が増えると魔術制御もそのぶん面倒くさくなるのだが、そのおかげで揚力を必要時に必要なだけ得られるようになったこと、翼の傾きと風の術式を組み合わせることでホバリングができるようになったこと、そして一番の目的だった制御滑空能力がかなり上がったので、いうことはない。

 

 あたしはそのまま氷の上を歩いて、小島に上陸した。白っぽい岩ばかりがごろごろしている、殺風景な島だ。

 それでも地面は地面なのだから、草木ぐらい生えそうなものなのだが。


 イークト大湿原は豊富な生命に溢れており、漁師が網を入れると銀の鱗で膨れあがる――とは、クラーワで聞いたことだったか。

 それに比べて、ランシア地方でイークト大湿原に、わざわざ小船をこさえて乗り出し、漁をしようとする者など数えるほどしかいないという。

 そのごくわずかな漁師たちが口を揃えて言うことがある。

 リーネルーナには近づくな。 


リーネルーナとは、この三日月型の小島のことだけではない。この小島を含む直線型の列島をいう。

 空から見れば東のコバルティ海へ、ぽつりぽつりと白い岩の小島が続いているのがはっきりわかるのだが。

 さて、ここになぜ近づくなというのだろう?


(ほね。くさい)


 内心首の骨を傾げていると、フームスがいやそうに伝えてきた。

 匂いはと感覚共有してもらった鼻からは、腐った卵というのに近い匂いが確かにした。しかも以前にも嗅いだことがある?

 ……硫化水素か!


 慌ててあたしは空へと飛び上がった。地面がしっかりしているからちょうどいい。


 進軍ルートには、ある程度補給物資をまとめておける所というのも必要になる。

 リーネルーナに漁師たちが近づかないというのなら、ちょうどいい、使えないかと水脈の調査ついでに寄ってはみたが。

 有毒な火山性ガスが噴き出してるような所、生身の人間が近づけるわけがない。

てか、この小島が海底ならぬ湿原の火山で、三日月型だったのはカルデラかなんかだったのだとすれば。

 ひょっとして、このリーネルーナのすべての島が、噴火口の名残ってことになるんだろうか。


 ぞっとして見回し、そしてあたしは思い出した。

 この小島同様、白っぽい石が剥き出しになり、そして火山性ガスを噴き出していた場所を。

 共通点がわかれば納得がいく。

 リーネルーナの直線を西へと伸ばせば、そこにあるのは死の谷(モルスワリス)だろう。

 ……なるほど、この世界でもどうやらプレートテクニクス的な地殻変動は起きるものらしい。

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