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逃走する思惟

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

〔ボニーさん〕


 クラウスさんの見送りから戻ってきたグラミィが、心話で声を掛けてきた。

 

〔クラウスさんの足取りがよろよろしてたんで、トルクプッパさんにお願いして、部屋まで送ってもらいました〕


それはありがと。

 ……だけどグラミィ、自分で動きたがるあんたが送らないって、理由でもあるの?

 

 首の骨を傾げると、石の椅子を顕界して、よっこらと座り込んだグラミィはあたしをじろりと見た。


〔ボニーさんと話さなきゃいけないと思って。てかほんとボニーさん、なんで怒んないんですか。あたしだってけっこう頭にきてるんですけど〕


 と言われてもなあ。いったい何を怒ればいいのやら。

 と内心思っていると、じんわりグラミィの視線の湿度が上がってきた。

 慌ててあたしは手の骨を振った。


 いや、グラミィがクラウスさんに怒ってるのはわかるよ。それは。

 だけどアーノセノウスさん命のクラウスさんだもん。いくら公の場ではないとしても、傷つけたあたしに対する対応としちゃあ、あれでもかなり優しい方でしょうよ。


〔……ボニーさんってすごい寛大ですよね!一周回ってものすごい馬鹿ですよね!いまさらですけど!〕


 ひどいなその言い方。

でも、ほんと、アーノセノウスさんに対しては、ああすればよかったという悔いはあっても、憎しみはないんだなあ。

 はねつけた側のくせに、あたしがこんなにダメージを喰らってるのは、アーセノウスさんの存在がそれだけ重い物になっていたからか、それともシルウェステルさんとして、いっしょに時間を過ごしすぎたせいか。

 どっちだろう。両方かもしれないが、少なくともアーノセノウスさんにだけ非を負わせるのは間違ってると思う。

 

 シルウェステルさんのためなら、自分の何倍もの体躯を誇る魔物、コールナーとさえ、子どものような喧嘩をするアーノセノウスさん。

 大貴族としての権謀術数に慣れ親しんだ影はあるけど、根本的に彼は真っ直ぐな人だとあたしは思ってる。

 シルウェステルさんであると信じ込んだあたしに見せた、手放しの少年のような笑顔も、恨めしそうな顔も、どれも好ましく思えるくらいには。

 

 ……もちろん、恋愛感情なんかじゃないですよ?

 だけど、そんなアーノセノウスさんだからこそ、クラウスさんもあそこまで心を砕くんだろうなと思う。


〔……まったく、ボニーさんてば、ほんっっっっとにお人好しなんだから〕

 

グラミィがため息をついたが、そこはほら、人品骨柄がいいってやつなんでしょ。

 なにせ愛しのマイボディはシルウェステルさんのお骨ですし。


 そもそもあたしは、アーノセウスさんに望む答えをあげることができない。

 あたしは、シルウェステル・ランシピウスではない。だからシルウェステルさんですと言ってあげることはできない。言いたくもない。

 言えば嘘になってしまうし、魔力(マナ)の動きで見破られる危険もあるが、それ以上にあたしがイヤだ。


 だけど、シルウェステルさんじゃない、とも言えない。

 言ってしまったら、これまでの欺瞞を認めたら、今度こそ、すべてが終わってしまう。

 その時はグラミィ、あんたにもアーノセノウスさんの憎しみが向くだろうよ。


〔え。なんですかそのとばっちり〕


 そのくらい本気でアーノセノウスさんはシルウェステルさんを愛してたんだろう。あたしはそう思う。


 だけど、愛することと信じることは別の話だ。

 ――それは、男女の恋愛に限ったことじゃない。

 そしてアーノセノウスさんは、情より計算を優先できる程度には、理性の人だと思う。


〔訳わかんないです〕


 ……わかんないなら、その方がいいかもな。


 だけどまあ、いい機会だったのだとは思うよ。アーノセノウスさんから離れたことは。

 偽者めと突き放されたのも、こちらから突き放すのも、哀しいだけで。


〔哀しい?〕


 アーノセノウスさんに信じてもらえなかったのとおんなじくらい、あたしもアーセノウスさんを信じてなかったってことがはっきりしちゃったから、かな。


 アーノセノウスさんがあたしを無条件に信じてくれていたなら、あんなカウンターはしなくてもよかった。

 あたしがアーノセノウスさんを無条件に受け入れていたなら、あんなカウンターは出なかったし、きっちり決まることもなかった。

 すべては、いつかはバレる嘘だと予測していたからこそ。事前準備の結果が出たってだけのこと。


 グラミィが複雑な顔をし、幻惑狐(アパトウルペース)のフームスがきゅうと鳴いて指の骨の間に鼻先をつっこんできた。

 

 ……そもそも、アーセノウスさんに弟じゃないと言われ、嘆き悲しみ怒るのはシルウェステルさんがするべきことだ。

 シルウェステルさんを騙り、アーセノウスさんをだまくらかしてたあたしが怒ったり悲しんだりするのは、筋違いってもんでしょうよ。


 グラミィが真顔になった。


〔ねえ、ボニーさん。もうルーチェットピラ魔術伯家とのつながりはほとんどなくなったんでしょ?なら、もう十分じゃないんですか〕


 何がよグラミィ。


〔わかんないふりしないでくださいよ。つらいんなら逃げればいいのに。てか逃げません?逃げましょうよ!逃げない理由なんてないじゃないですか!〕


 したけりゃあんた一人で逃げなよ。あたしは残る。

 

〔逃げない理由があるんですか?自分を口実に戦争起こされるのがイヤで王様に腹立ててたくせに、なんで大変な思いをして自分から戦場に、それも前線に出て、スクトゥムとぶつかろうとするんですか?!〕


 理由はいろいろ。

 星屑(異世界人格者)たちのやらかしを、おなじ異世界人としてしらんふりはできない、許せないってこともある。

 一大帝国相手の戦争なんて状態をなんとかするには、人一人の力なんてもんじゃなく、複数国レベルの組織が必要だという計算もある。

 確かにルーチェットピラ魔術伯家の籍からは外されそうだけど、ランシアインペトゥルス王国の、クウィントゥス殿下とのつながりは逆に強くなったといってもいい。

 それにこれまでシルウェステル・ランシピウス名誉導師としてあっちこっちの国と縁を結んできたのはあたしだ。あたしの信頼の上にいろいろ手を貸してくれているのに、一抜けたはできない。

 ……まあ、だから、ちょっとずつクランクさんたちに権限移譲したりして、一抜けた状態ができるようにしてきたんだけどなあ。


〔そこまで権力とか肩書きとか、もらった片っ端から手放すような真似して!それも自分で前線行けるようにとか!馬鹿じゃないですか、そんなきつい状態にもってこうとか〕


 うん、きつい。というか、前線行かなくても、魔喰ライになる危険はしっかりあるんだけど。


〔え〕


 魔力を消耗した状態で人を殺すと、思考が喰いたい、になってしまう。という話はしたっけ?


 グラミィの顔がこわばった。していなかったか。


 ちょっときつい話になるけど訊く?グラミィだって、いつこの状態になるかわからないから。


〔……わかりました。教えてください〕


 まずね、これまで魔術学院の書物から調べたこと、魔術士隊や森精たちから訊いたこと、あたしの体験をまとめると、魔喰ライになる条件というのがあるみたいだ。

 まず第一に、自分の魔力を涸渇寸前まで消耗すること。

 次にその状態で、直接人を殺傷すること。

 そして最後に、自分が手にかけた人の魔力を喰らい尽くすこと。


 前に、魔術士隊のベネットねいさんから聞いた、重傷者を魔力タンクとして魔術師に使わせるという過去の運用は、最初の条件を満たしていたんだろう。

 だけど、それだけじゃ、魔喰ライにはたぶんならない。

 その時何が起きたかは推測しかできないが、あたしの経験からすると、魔術師が瀕死の人間から魔力吸収をしたから、魔喰ライになったのではないと思う。

 そうではなく、まず、魔力吸収により、自分の許容量以上に魔力を摂取しすぎた魔術師が、魔力酔いを起こし、敵も味方も攻撃するようなトリガーハッピーになった。

 その結果、第二の条件を満たしてしまえば、全方位が敵になる。攻撃に晒され、防御に反撃にと魔力というリソースをがつがつ減らされた魔術師は、こう思ったんじゃないのかな。

 瀕死者の魔力を啜ったんだ、そのへんの死体から同じ事をしたって問題なかろう、とね。

 結果、第三の条件も満たしてしまったのが魔喰ライになったんじゃないだろうか。


 そして、天空の円環に集まった星屑たちを、ミニゲーム参加と思い込ませ、同士討ちしたのを後始末した時のことだ。

 あたしはどの条件も満たしてはいなかった。

 魔力を消耗していたとはいえそれほどじゃなかったし、瀕死者にとどめを指すのは、森精たちが代わりにその手を汚してくれた。

そのまま長く断末魔の苦しみの中に置くよりは、夢織草(ゆめおりそう)を使ってできるかぎりの安楽死の手段を講じてくれたんだ。彼らには感謝と負い目しかない。


〔……〕

 

その時にも、あたしは飢えを感じていた。それは枯渇寸前とはいかないまでも、小細工をし、幻惑狐たちにもかなりの魔力を譲渡していたからだろうと思う。

 大量の死者、瀕死者から流れ出る、あの大量の魔力にはくらりときた。

 感じてしまったこと、感じた自分にも嫌悪感しかなかったけれども。


 さらに、地獄門を閉じた時のことだ。

 あたしは第一と第二の条件を満たしてしまった。

 他者への攻撃が、それも直接自分が手にかけるということがなんらかの心的リミッタを外すのかもしれないが、至近距離での死は――それが、自分がやったことであるとわかっていればいるほど――そうとうにクる。


 喰いたい、と思ってしまうのだ。

 全身の骨から牙の生えた顎が生じるかという勢いでね。

 

 たぶん、その飢えのままに魔力を貪り尽くしていたら。

 ――まず間違いなく、あたしは魔喰ライになってたろうね。


 グラミィが無言でおしりをずらした。

 ……まあ、逃げたくなる気持ちもわからなくないよ。うん。


〔だからなんでそこでボニーさんは怒んないんですか?あたしがやったことに傷つくんなら、怒って下さいよ!〕


 逆ギレすなや。

 怒れないなあ。

 そんなことで怒ってられるほど、余裕がないんだ。


 魔喰ライは、周囲に存在する魔力すべてを我が物にしようとするという。

 あたしが耐え切れたのは、人間の血肉同然のものを口にするかどうかというぎりぎりのところで踏みとどまれたのは、森精たち、ラームスと幻惑狐たちのおかげだ。

 

 だけど、星屑たちは天空の円環でのことといい、なんでこうもランシアインペトゥルス王国を、いやスクトゥム帝国以外の国々を敵とする?

 なんで星屑たちはこうなった?


〔それは、『運営』が……〕


黒幕がいると考えると、確かにそれなりに合理的な説明がつく。が、そいつらはどこの誰だ?

 スクトゥム帝国くんだりまで出かけてったのに、あたしはそいつらの顔を拝むどころか、尻尾すらほとんど掴めなかった。そこまで深く探りきれなかった。

 

 そもそも、彼らは星屑たちを作って、使って、何をしようとしている?  

 そいつは、最後まで見届ける必要がある。そんな気がする。


〔……あーもう!だったらあたしもつきあいますよ。ってか、こんなところで放り出されたらどうしようもないじゃないですか!〕


 いや、王子サマの使者にでも同行するって形で、王都ディラミナムまで戻って、あたしの言いつけでーとか言って魔術学院にでも潜り込めば、シルウェステルさんの研究室の管理人あたりで使ってくれるんじゃない?

 あ、ルーチェットピラ魔術伯家は非推奨な。

 もう、あたしは、彼らの屋敷どころか敷地内にも立ち入る気はない。


〔ヤですよそんなん。ボニーさんがいないじゃないですか〕


 あたしの命令で、『簡単!魔喰ライにならないマニュアル』を広めに来ましたー、とか言えば重宝がられると思うんだけど。

 

〔いやいや!そんな軽いノリで言うことじゃないでしょ?!〕


 重く言っても同じ事だぜ?


そういうとグラミィは沈黙した。


 ……真面目な話、アーノセノウスさんは精神的にも魔力的にもかなりの不調だ。

 ということは、さらなる魔術師の派遣を王都に要求する必要があるということになる。

 が、最低限夢織草や魔喰ライに関する知識を頭に入れてきてもらわないと、戦力どころか爆弾を抱えることにしかならんのよ。

 それを伝えるのに、グラミィに動いてもらえたら、かなり信用できるんだけど。


〔そのくらいのことは、手紙でなんとかできませんかねえ?〕


 できないこっちゃないけどね。

 その場合は、王弟繋がりってことで、クウィントゥス殿下から魔術学院長のオクタウス殿下か、魔術士団長のマクシムス殿下に一報入れてもらうのがいちばん簡単か。互いの立場とか派閥の力関係とか、政治的要素が絡むとややこしくなるけれども。


 まあ、それならそれで、そっちルートで送って欲しい情報もあるしね。

 中でも重要なのは、クラーワへの星屑大量流入と、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯に仕込まれてた魔術陣だ。


 あたしはこれまで、星屑たちがスクトゥム帝国から出てくるのは、スクトゥム帝国内でしか星屑作成――というか、ガワの人へのゾンビ化処置からの搭載――ができないからだと思ってた。

 それは、携帯可能な陣符によるゾンビ化の過程を、アエスで知ってからも変わらなかった。

 なぜなら、あの時執政府でゾンビ化された人たちを、また別の所へ送るようなことを言ってたから。

 星屑作成には複雑な過程を踏むから、なんというか、加工途中の半製品化されたゾンビさんたちを情報秘匿性の高い施設、おそらくは周囲からのアクセスが難しい、物理的にもスタンドアロンな場所に運ばなきゃいけないんだろうってね。

 

 だけど、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯は、瀕死の重傷になった時点で地獄門を発動した。

 ということは、彼にもあのド外道転移魔術陣が事前に仕込まれていたということになる。

だけど峻厳伯は魔術辺境伯なのだ。ランシアインペトゥルス王国の守護たる四方辺境伯が一の当主。

 動向は周知徹底が当然の大貴族が、いくらお忍びとはいえ、スクトゥム帝国まで行くか?いや、行けるか?

 行ったとしても、それをいつまでアロイスたち暗部の目から隠し通せるか?

 

 確かに、ここトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は国内最南端、スクトゥム帝国にはもっとも近いところにある。

 だけど、天空の円環を通れば、フルーティング城砦が感知しないわけがない。

 アロイスたちが粛正する前は、確かにだめだめに腐敗しきってたみたいだが、腐敗と有能ってのは両立しうるのよ、困ったことに。

 腐敗しきってるからこそ、そういった連中が、大貴族のお忍び国外旅行なんてネタ、握ったら最後、相手の弱みを握り、金蔓にする手がかりだと牙を剥かないわけがない。

 

 フルーティング城砦を避けねばならないとするなら、イークト大湿原を通るとでも?

 確かに、クラーワから暗森に挟まれたへり伝いに道がないわけじゃないが、水辺にかろうじて刻まれた細い道だ。馬や徒歩ならともかくも、貴族の通常行動である馬車ってのは、まず、無理でしょ。

 おまけに峻厳伯ときたら、盛大な太鼓腹だったもんなあ。いくらお忍びだっていっても、数時間どころか数十日間、ずっと馬に乗り続けられるかっていうと、かなりの疑問だ。

 本人にそれだけのこらえ性があったとも思えないし。

 

 結論。峻厳伯をスクトゥム帝国へ連れていき、陣を仕込むよりも、ランシアインペトゥルス王国内、もっと言うならトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領へ陣を持ってくる方が簡単だという結論になる。

 具体的には、陣符なり、魔術学院の石壇のような魔術装置の簡易版なり、よりポータブルな魔術陣を。あるいはそういった術式を刻み込めるような、魔術陣についての知識と実戦経験がある魔術師を。

 そして、難易度が低いということは、実現可能性が高いということでもある。

 

 まあ、魔術師を持ち込んだとは思いにくいし、峻厳伯当人も当然は警戒してただろう。

 だが、峻厳伯も知識にがめつい魔術師だ。術式の一部だけでも事前に見せたら飛びつくでしょうよ。

 ついでに何らかの強化――周囲から魔力を集めて蓄積し、魔術師として強化しますとか、あるいは世外の者の要素を集めてより日本人らしい外見になりますとか――と説明したら、たぶんのる。事前に実験台代わりにポイニクスあたりにも施術させてたかもしれないが。

 

〔……ボニーさん。それ、王弟殿下には伝えてましたっけ?〕

 

 いや。それがまだなんだよねえ。

 だってあたしが廃園から出られたのって、今日が初めてだったし。

 アーノセノウスさんが絡んできたりしたんで、うっかり伝え忘れてたし。

 

 しかもこのあたしの推測が当たってたなら。

 陣符のたぐいを抱えてきた人間に、一度入ってきたのだから、あとは何遍入ってきても同じとばかりにバックドアが物理的に仕掛けられている可能性があるとか。

 出てったふりで、魔術辺境伯領に今も潜んでいる可能性もないわけじゃないとか。

 魔術装置が複数回使用可能だった場合、魔術辺境伯たちに使った以上の使用回数を残していてもおかしかないとか。

 つまり、今、下手に魔術辺境伯領から戦力動かしたら、そこへ地獄門が再度開かれかねんとか。

 いろいろ問題満載なんだけど。

 

〔ありえそうなのがイヤなんですけどそれは!取りあえずクウィントゥス殿下に今の話してきますから!〕


 顔を引きつらせたグラミィがすごい勢いで室内に戻っていくのを見送ると、あたしは廃園の中をゆっくりと歩きはじめた。

 

 雨でも降らない限り、あたしはここで朝まですごすのが習いになっている。

 グラミィたちにくっついてったカロルとフーゼ以外の幻惑狐たちは、ラームスの根元にころころと団子になって固まっているようだ。

 

 彼らが摂取し、放出した魔力をあたしは受け取り、吸収する。

 その一方で、あたしはこの庭園の大地に吸い取りすぎた魔力を返していた。これも魔力操作の訓練の一環だ。

 ラームスも幻惑狐たちも魔物だ。彼ら自身も通常の生物より多くの魔力を必要とする。

 が、それは生命活動維持のために使われることがほとんどで、魔術のように、何らかの現象の対価として魔力を消尽するわけではない。幻惑狐たちが土を操る能力さえ、彼ら自身の魔力を周囲に放出することで成立する。

 結果、魔物たちの生活圏というのは数倍の生物がいるよりもはるかに大きく、強く、生命活動とともに行われる魔力の動きが活発になるということだ。

 魔物の棲んでいる魔力溜まりが、薄い魔晶(マナイト)の一枚板で覆い尽くされたり、逆に魔力を消尽しきって砂漠になったりしない理由でもある。

 

 落ちし星(異世界転移者)が周囲に魔力を撒き散らし、豊饒の土地に変えるテラフォーミング能力があるのは、単に保有している魔力が多いからだけではなく、この魔力循環とでもいうべき魔力の動きを巨大なものにできるから、という理由もあるんじゃなかろうか。

 

 おかげでクラウスさんが驚いたように、大きな植え込みはまだ枯れきっているが、雑草の芽は吹いてきている。

 あたしも、樹木や大地から直接ドレインすることは、もうない。

 枯れてしまった庭木を取り替えてやれば、早晩不毛という形容詞も取れ、昔日の面影を宿した美しい庭園に戻るだろう。

 この非常事態にそんな悠長なこと言ってらんないと思うけれども。


 ぐるっと庭園を回り、ラームスたちの前まで戻ってくると、あたしは幹を改めて観察した。

 シルウェステルさんの杖に絡まっていた彼らと、あたしからひっこぬいたぶんをまとめ、ヴィーリたちがこの庭園の中でも一番日当たりのよい場所に植えてくれたらしいが……うん、ごめんとしかいいようがない。

 樹杖サイドはまだしも、あたしに絡まっていた方は、枝を切り詰めまくった痕がこぶこぶに膨れあがり、不格好な棍棒から、まばらに細い枝が生えたような格好になっている。

 気根も切り飛ばしたわけだから、ダメージはかなりのものだったろう。


 そのままこつりと幹に頭蓋骨を押し当てると、樹液の流れと心話が伝わってきた。

 

(  )

  

 前も言ったが気にするな。魔喰ライになる前に魔力を全部吸い尽くしてやる。か。ありがとう。


 ……つくづく、グラミィから一番の懸案事項をごまかしきれて、よかった。

 いや、星屑量産システムの持ち込み可能性とかも、急ぎの対応が必要なことだし、グラミィの退避もできれば確定させておきたかったことなんだが。

 

 頭蓋骨を押し当てたまま、あたしはラームスの葉擦れに浸ることもできず、必死に眼窩をそらし続けていたあの命題に、おそるおそる意識を向けた。

 

 あたしは何者か。


 まともに相対し続けたら、まず間違いなくゲシュタルト崩壊を起こしそうな、真摯で深刻な問い。

 真面目に考えれば考えるほど、ドツボにハマるのはわかりきっている、ホワイトホールにつながっていないブラックホールのような問い。

 ――だからこそ、普通は、途中で考えるのをたいていやめてしまう、あるいは最初から考えない問い。


 あたしも、最初不意にこの問いにぶつかってしまった時には、けっこうな精神的ダメージをくらった。

 だから、慌てて考えないようにと撤退したし、その後も必死に目をそらし続けていた。

 飢えとの戦いはある意味ちょうどいい思考負荷だったといってもいい。装飾品タイプに魔術陣をいじくってたのも、少しでも考えずにすむためだ。

 悩んでもどうしようもないことを悩み続けるより、小ずるくも実学的なことを思考するならたしかにそれはそれで有意義なのだろう。


 いや、どうかと思うよ確かに。ぶつかった問いに気づかなかったふりをするとか、その場しのぎの弥縫策(びほうさく)なのはわかってるし。

 だけど、この問いには、厄介なことに、答えなどない。

 なぜなら、人間の自我とは、それだけで自立できるものではないから。そうあたしは考えている。


 自分とは何か。

 自分を定義するためには、他者を認識する必要がある。そのことで、『他者ではない』存在として自己を認識するためだ。

 だが、他者との差異によって認識した自己とは何かと突き詰めることは難しい。玉ねぎをひたすら剥いていくと空洞しか残らないようなもので――しかも、内側の方が外側より大きい、なんてことはない。

 属性にその人の本質はない。違うな、本質にその属性を満たせるほどのものなどない。他とは違うといいながらも、その構成要素をひっぺがしてしまえば、独自性なんてものはなーんにもなくなるのだ。


 これは、自分が自分であるというだけで、かけがえのない価値があると思いこんでいる者がぶち当たるには、かなりの難物の命題だろうさ。

 悩み、真剣に問うたからこその、我思う故に我ありという言葉は生まれ、そして残った。

 だけど、そのように疑って疑って、最後にこれだけはあるのだと確立した自我の、なんともろいことか。

 

 あたしは何者か。

 あたしは、まだ、魔喰ライではない。

 あたしは、シルウェステル・ランシピウス名誉導師ではない。

 あたしは、グラミィでもない。


 ――ならば、魔喰ライでも、シルウェステル・ランシピウス名誉導師でも、グラミィでもないあたしは、いったいなんだ?

 むこうの世界で生きていた時の私と、明らかに変異を起こしている今のあたしの同一性は、どこまで保持されている?

 今のあたしとは、いったいどういう存在だ?


 人間の思考、積み上げられてきた概念は行ってみれば網だ。物理的存在世界を覆い、形而上的領域までも人間に認識可能なものへと変える網だ。

 しかし網目が他の編み目とつながっているように、概念を正確に定義していこうとすると、究極的には概念どうしの相互参照、あるいは自己記述となり、思い込んでいたほど強固なものではないことが理解できる。できてしまう。


 だからあたしは考える。


 魔喰ライが人ではないものになってしまうのは、ひょっとした魔力酔いだけでなく、自己を確定させてくれるのに必要な他者を喰らったせいではないか。他者の喪失が自我の崩壊につながったのではないか、そんなことまで考えてしまう。

 いやいろんなことを棚に上げ、懸命に根源的な問いから自分をズラし、思考を走らせ続ける。

 問いに追いつかれぬよう、あやふやな自我を崩壊させぬよう。否定から入る長い長い夜を。

骨っ子、いったい何考えてんだ……(筆者が呆然)。

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