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寵か、籠か

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 あたしは硬直したグラミィの腕をつかんで、戸口へ向かった。


〔いいんですか、ボニーさん?!〕


 いいもなにも。あたしはシルウェステルさんではない。

 そう断定したのはむこうだ。

 そして、あたしもまた、その呼びかけにどうこたえていいのか迷っている状態だし。

 だけど――


「えい、待てと言うに聞こえぬか」


 よろよろと追いすがってくるアーノセノウスさんに反応しきれなかったのは、あたしがインナースペースの形を前方重視の疑似生身タイプに戻していたせいか。

 ――それとも、追いすがってきてほしかったからか。


 アーノセノウスさんの手が伸びてきた。さりげなくそれをかわしたつもりだった。だけど、気づいた時には手袋が引き抜かれていた。腕の骨を掴み損ねたのか。

 あたしは袖を抑えた。

 周りには、まだ人がいる。人外ボディを晒して無差別視覚テロをするのはまずかろう。

 頭蓋骨だって、黒覆面で隠した上に仮面をつけ、フードをかぶって厳重に隠しているのは、そういうことだ。


「あ、これはすまぬ。――だがそうでもせぬと、止まらぬおまえの方が悪いぞ、シル」

彩火伯(さいかはく)


 うんざりした声で王弟殿下が戻ってきた。


骸の魔(スケレトゥス)術師(・マギウス)がことは捨て置けと申したろうに」

「いくら殿下のお言葉でも聞けませぬな、こればかりは。――それに、わたくしは、その者をシルウェステル・ランシピウス名誉導師とは呼んでおりませんぞ」


 だから禁は犯していない。

 そう小声でとぼけたアーノセノウスさんに、呆れたような視線を向けていたクウィントゥス殿下は、あたしとグラミィに軽くうなずいた。

 ここは、あたしたちの判断に任せる、ということだ。

 ならば、あたしのなすべきは。


「『彩火伯さまにおかれましては、いかなるご用にございましょう』」


 ――アーノセノウスさんの弟としてではなく、ただ一介の魔術師として、彩火伯に相対すること。


 手袋片方を物質(ものじち)にしたつもりか、笑みを浮かべていたアーノセノウスさんの顔から表情が抜け落ちた。

 一瞬ののちには、また笑顔になっていたが、そこに何か不純物が混じっているように見えるのは、あたしだけだろうか。


「何用というも、そう堅苦しくなることもない。もはや軍議も終わったのだ」


 反応に困っていると、アーノセノウスさんは不意に距離を詰め、囁いてきた。


「その、呼び方を元に戻さぬか。また、以前のように、兄上と呼んではくれぬか。シル」

〔こ、の……!〕


 アーノセノウスさんの言葉を聞いた瞬間、グラミィの目がすごい勢いで据わった。

 彼女も気づいたのだろう。アーノセノウスさんの目論見に。

 あたしをシルウェステルさんではないと、偽者だと罵倒したことをなかったことにしようという狙いに。


 たとえ私的な場であっても、すまなかったと謝罪をしてしまえば、アーノセノウスさんが過ちを犯したことが確定してしまう。

 だから、この軍議が終了した場、公的なものではないが多くの人がいるこの場で、なし崩しに距離を詰めることで外堀を埋め、一時仲違いしたように見えたのもちょっとした誤解。ただの兄弟喧嘩ですぐに解消された、ということにでもしてしまおうということ、なんだろう。

 その計算のずるさに、グラミィは怒った――怒ってくれたのだ。

だが、あたしはグラミィを制止した。


〔ボニーさん!〕


 いいから。あたしが直接相手をする。

 それが、せめてもの、アーノセノウスさんへの礼儀というものだ。

 なにより、あたしだって言いたいことがないわけじゃない。


 あたしは杖の鎌刃を肩胛骨にひっかけると、一枚の石のカードを顕界した。

 両手の骨でアーノセノウスさんにその文面を向けたとたん、プライドを摺りおろしているようにぎこちないアーノセノウスさんの笑みが石化し、ひび割れていくのがはっきりとわかった。


 石のカードには、ただ一言だけ記した。


『なんのために?』


 無難にすますことは、もう、できない相談だ。


 以前と同じ関係に戻りたいと思ってくれてることを、嬉しく思わないわけがない。

 ――たとえ、そこにどんな計算があろうとも。

 だけど、どうしても、あの時からあたしの中で渦を巻く、ブルーブラックの感情が否を選ぶ。

 そしてなにより、機を失ってしまっているのだ。


「骸の魔術師どの!その手は!」


 ……あ。まだいたのか、トリブヌスさんは。

 

「わが主は常ならぬ身にございます。どうかご容赦を」

「あ、いや」


 グラミィが頭を下げれば、トリブヌスさんはどう反応してよいかわからないように硬直した。

 ならば、彼も巻き込んでしまうとしよう。配慮は無意味だったようだし。


「『この下が気になりますかな?』」


 あたしがむき出しになった手の骨で黒覆面ごと仮面を取り、頭蓋骨を剥き出しにしてみせると、トリブヌスさんは今度こそ言葉を失ったようだった。


「い、いや無礼をいたした」

「『こちらこそ、お見苦しい物をお目にかけました』」


 そう伝えると、あたしは黒覆面だけかぶり、仮面をグラミィに渡した。うなずいた彼女は、その仮面をアーノセノウスさんに影のように寄り添っていたクラウスさんに渡した。


「……我が主が彩火伯さまに、これをお返しするようにとのことにございます。『このようなもの越しでなくば、声をおかけになることも疎ましく思われるのでしたら、どうかご無理をなさらぬよう』と。では御前を失礼いたします」


 一揖(いちゆう)すると、あたしたちはその場を立ち去った。

 ……長手袋、忘れたな。


 あたしとグラミィのもとへクラウスさんがやってきたのは、その日の夜のことだった。

 応対に出たグラミィが心話で知らせてくれたはいいが、ちょっと待ってていただきたい。

 今、手の骨が離せないとこなんで。


「……とおっしゃっておられます」

「何をなさっているかは存じませんが、こちらの方が大事です!ご無礼!」


 貴族の典礼もどこへやら。制止するグラミィを突破して、ずかずかと踏み込んでくるのには驚いた。一番奥の部屋にいたあたしのところまで突っ込んできた勢いに、幻惑狐(アパトウルペース)たちがぴょいぴょいと飛んで逃げたくらいだ。


「いったい何を考えていらっしゃるのです!拗ねるのもいい加減になさったらいかがです!晩餐にもおいでにならな……と……」


 反応のないあたしに焦れたのか、怒鳴り声になっていたクラウスさんだったが、急に尻すぼみになったのは、あたしの手の骨のもとを見たからだろう。


 ようやく一区切りついたところで、あたしは頭蓋骨を上げた。


「『失礼をいたしました、前グラヴィオールラーミナ男爵さま』とおっしゃっておられます」

「わたくしにまでそのようなお話し方をなさらずとも」


 といってもねえ。

 今のあたしは無爵の魔術師なんです。魔術学院の名誉導師って地位はあるんだろうけど。

 いや、それもシルウェステル・ランシピウスと名乗れなくなった以上、使うわけにはいかないのかもしれないが。

 どっちにしても同じ無爵とはいえ、前男爵のクラウスさんにはそれなりの礼は示しますとも。


「なんですかなそれは」

「……『護身用の魔術陣を少々改良しておりました』とのことにございます」


 グラミィがじろりとクラウスさんを見た。それでようやくクラウスさんは我に返ったらしい。


「これは、失礼をいたしました。どうかシルウェステルさまのお怒りは我が身に」

「この方は、お怒りになどなっておりませぬ」

〔ほんっと失礼ですよね!あとあたしは怒ってるんですけど!〕


 鼻の穴をおっぴらいて息を吹くと、グラミィはさらにクラウスさんをねめつけた。

 

「『前男爵さま、わたくしどもは晩餐の席より外れてよいと、クウィントゥス殿下にお許しいただいておりますが』とのことにございます」


 クラウスさんは目を剥いたが、だって意味がないんですもの。

 シルウェステル・ランシピウスの名前ごと、いろんな肩書きが外れたあたしやグラミィが、晩餐の席に居流れるとしたら、下座の席ということになる。

 だけど毒味だなんだということは同じテーブルか、より近くにいる人間でなければできないことなんですよ。

 いや、あたしは飲食不要の身体だから、もともと陽動ぐらいにしか役に立たない。ラームス頼みの毒味をするにしたって、あんだけアーノセノウスさんが大騒ぎしてくれたんだ。下手に目立ってタネがばれるのはごめんですし。


 ついでにいうなら、晩餐の席に武器持った護衛ってのは、いくら王弟殿下でも、いや殿下だからこそ、表だっては配置できない。

 だから、最初から王弟殿下には、食事の席の護衛はあたしたちを抜いてもらっている。餅は餅屋、暗部のみなさんにお任せですよ。

 グラミィたちの食事はというと、居室へ運んでもらうというスタイルだ。

 クラウスさんはそれを知らなかったんだろうけど、だからって一方的に怒られるのは、理不尽てもんじゃないんですかね?


〔てか、言いがかりみたいな怒鳴り込みに来たくせして、真っ先に魔術陣に目が行くってのもなんなんでしょうね?!〕


 グラミィはおかんむりだが、確かにルーチェットピラ魔術伯家の体面を取り繕うため乗り込んできたにしては、クラウスさんてば、ちょっとばかり一魔術師としての立場に戻りすぎだよね。

 そらまあ自分の知らない知識に貪欲なのは、魔術師の本能の一つかもしれないが。


 ちなみに、作成していたのは、結界術式の魔術陣と、それをはめ込んだ腕輪や指輪だ。

 結界術式そのものは、これまでもグラミィたちに連発式の魔術陣なぞを作って渡していたのだが、珠型だと、いざというとき、手に取って魔力を流し込んで使うという手間がいる、とっさには使いづらいという声があったのだ。

 なら、身につけやすいアクセ形にしておけば、邪魔にはなりにくい。あらかじめ身につけ、つねに肌に触れた状態にしておけば、発動に足る魔力はそれでじゅうぶん流し込めるし、条件式さえいじっておけば、指先で二度叩くというような、簡易な動作トリガーで瞬時に発動するようにもできる。

 なにより、いちいち魔術を構築するより楽だからなあ。

 

「……『なんでしたらいくつかさしあげましょう』とおっしゃっておられます」

「よろしいのですか?」


 だって護身用だし。

 護身用ってのは、安全確保のために消費してもらってなんぼでしょ。

 それに、クラウスさんにもアーノセノウスさんにも、怪我してほしくないってのは本音ですよ。それくらいの情はまだある。

 なんだったら魔術陣部分は使い捨てなんで、レフィルもどうぞお持ち下さいですよ。台座部分にはめ込み直せば、それでまた新しく使えますし。


 あたし?

 生身の人には使いやすいアクセにしても、骨しかない身体じゃねえ。肌に触れるように着用しろとか、なにその無理難題。

 だったらじかに、お骨の端にでも魔術陣を直接貼りつけとけば、それで十分なんですよ。

 てか、その方が今後も乱戦につっこんでくことを想定してるんで、わずらわしくない気がするんだよね。

 指輪だと鎌杖握った時のグリップに影響あるし、ペンダントだと、かっつかっつぶつかりそうじゃん。うっかり借り物のお骨を欠いたらと思うと、ねえ。


 で、ご用はそれだけかな?


「いえ!おたずねしたいことはまだございます」


 はっと我に返ったのか、クラウスさんが慌てて背筋を伸ばした。


「昼間のことです。なにゆえあのような振る舞いをなされたのですか」


 いや、たしかにまずったなあと思うところはあるけど。

だけどあたしはあの場で、アーノセノウスさんを拒絶しなければならなかった。それは正しいことだった。


 今のあたしは、クウィントゥス殿下預かりの身だ。

 シルウェステル・ランシピウス名誉導師と名乗ることを禁じ、骸の魔術師とのみ名乗るよう命じられているのは、殿下がシルウェステルさん(あたし)を、いったんルーチェットピラ魔術伯家の籍から除かせることも検討しているからなんですよ。


 庇護は、生殺与奪の権限と表裏一体の関係にある。

 つまり、シルウェステル・ランシピウスと名乗れない今のあたしは、完全にクウィントゥス殿下の配下、一魔術師としてしか、存在を認められていない。

 いや、許されていないのだ。


 それを非とするならば、一番最初から間違えてしまったのだ、アーノセノウスさんは。

 あたしをシルウェステルさんの偽者とクウィントゥス殿下の前で断じてはならなかったし、殿下があたしの身柄――というか、お骨を引き取ると言ったあのときに、はっきりと拒否をし、あらがわなくてはならなかったのだ。

 そして、あたしにシルウェステル・ランシピウスと名乗らせ続けなければならなかった。

 だから、あたしが、間違ったふるまいをするよう要求してきたアーノセノウスさんに、否を突きつけたことは、限りなく正しい。理論の上では。


「いえ、ですが!」


 クラウスさんが食い下がるのも、理由がないことじゃない。

 関係の修復を拒絶したということは、あたしを二度と、シルウェステルさんだと認めるなと、そう言っていると受け取られてもおかしくはないということは、わかっている。

 公的な場ではなくても、周知されてしまった断絶を(くつが)えすことは難しい。

 ならばシルウェステル・ランシピウス名誉導師は、これで死んだ。そう、ルーチェットピラ魔術伯家に扱われても、異論は言えないほどの亀裂が生じかねないこともわかっている。

 そうグラミィが伝えると、クラウスさんの目が光った。


「ならば、わたくしが機会を作りましょう。アーノセノウスさまと接する場を設けます。そこでそう、一言で十分ではございませぬか。『兄上』とお呼びになればよろしい」


 ……うんまあ、アーセノウスさんが罪悪感を抱いてるのもわかってる。

 だから、あたしから和解をしに行けば、たぶん物事はずっと楽になる。王子サマの介入さえなんとかできれば、表面上の関係修復は簡単なんだ。

 ああくそ、愛されてんなシルウェステルさん。

だけど。


「『それは、できませぬな』」

「なんですと!」

「『ならば伺いましょう。わたくしをシルウェステル・ランシピウスと断じるに足る証拠でもございましたか。彩火伯さまはわたくしをシルウェステル・ランシピウスであると、間違いなくそうであると断言なされたのでしょうか』」

「それは」


 クラウスさんは沈黙した。


「『前男爵どのも、主が大事ゆえのおとりなしとは拝察いたしますが、肝心の彩火伯さまが信じ切れないでおいでならば、意味はございますまい。いくらわたくしが彩火伯さまを兄上とお呼びし、記憶もない生前と同じ振る舞いを心がけたといたしましても、いつまた不信が芽生え、不和の実をつけぬとも限りませぬ」


 そして傷つくのは、ゆらいだアーノセノウスさん自身じゃないだろうか。


「ですが。いくらなんでも、あの言いようはむごくはございませぬか。血こそ分けてはおられずとも、きょうだいとしてともに過ごした日々を思えば、あのような」

「『あいにく。生前の事どもはみな、海神マリアムの御許(あの世)に置いて参りました身にございます』」


 一度言ったよね?

 アーノセノウスさんが、あたしを、シルウェステルさんの偽者と断じたあの時に。


「グラミィどのとてあのような言い条、我が主が受けたならばとお考えにはなりませなんだか」


 形勢悪しと判断したのだろう。クラウスさんはグラミィに矛先を変えた。それをグラミィは一言で撃墜した。


「そのような言い条を先に受けた我が主の心を、お考えになったことは?」


 クラウスさんは再び沈黙した。

 仮定じゃなくて実際に受けてるもんな、こっちは。


 とはいえ、一方的に追い詰める気もまったくないんですよ。ならば多少視点を変えてもらうべきだろう。

 赤く顔を染めるクラウスさんに、あたしはそっと頭蓋骨を下げた。


「『今のわたくしは、クウィントゥス殿下の庇護を受ける身にございますゆえ。ご容赦を』」


 すべてはアーノセノウスさんと王弟殿下のお話し合い次第ですよ。そりゃ。

 今のあたしには何の権限もない。それこそあたしがどう行動するかも、意のままにはならない。

 逆に言うなら、殿下にルーチェットピラ魔術伯家への転属を命じられたら、それに従うしかないんですよ。

 事態を動かすためという一点で考えるならば、こんなところでうだうだあたしたちに愚痴ってるより、クウィントゥス殿下をどう動かすかに頭を絞った方が、よっぽど建設的だと思うんだけど?

 だがクラウスさんは別の受け取り方をしたようだった。


「……このような部屋を与えられたのも、そのためでしょうか。王弟殿下のお好みにどうこうは申しますまい。ですが、王族の寵愛一つに、(なが)の兄弟の契りさえ無為に帰すというのですか」


 人にあまり会わない方がいいというので、あたしは領主館の中でも特に奥まった一画をあてがわれているのだが、ここは、もともと領主夫人やその娘のものだったらしい。

 女性用とあってか、いくぶん華やいでなまめかしい雰囲気のある室内を、クラウスさんは無遠慮に眺め回した。

 なんか誤解されてるよね。ほっといたらえらいことになる気がするから、一応誤解を解いておくべきだろう。


「『わたくしは部屋を与えられたとは思っておりませんよ』」


 お部屋サマ、つまり愛妾扱いじゃないとは声を大にして言っときたい。声帯ないけど。

 てか、王弟殿下が骸骨フェチだとか。どんな明後日(あさって)方向に錐揉みジェットでぶっ飛んだ誤解だよ。


 ちなみに、むこうの世界では、厳しい環境条件に成立した宗教ほど、同性愛が重罪とされる確率は高いらしい。

 理由は簡単、環境が厳しければ厳しいほど、産まれた子どもが成人まで生き延びる確率は低く、多産が奨励されるから。そして同性愛は殺人とか自殺のように、その集団の構成員を積極的に減少させる行為ではないが、出産につながらない、つまり構成員の増加には結びつかない嗜好であり動因であるから。

 餓えぬ限り人間集団において、数は、力だ。


 だが、この世界において、同性愛は『悪徳』というより、『風狂』に近いニュアンスで受け取られている。

 豊饒の女神フェルタリーテという存在があるんだから、その教えに反するんじゃとも思ったが、この緩さには、どうやら単為生殖や卵胎生の生物が多いことも関連しているようだ。

 いや、さすがに人間は、男女両性がいないと生まれないんですけどね、子ども。

 だけど、そこはこの世界の主神、武神アルマトゥーラの権威が効いている。


 聖堂にて奉仕者となり、いくつかの誓願を立てた同性愛者は、(きっさき)の兄弟、姉妹と呼ばれ、一定の社会的価値を認められている。

 これは血統の維持によって権威を保持し、出産により集団の構成員を増やし、さらに力を強めようという行動指針を持ちやすい集権社会においては珍しいことだろう。

 だが絶対的権威を持つ――特に政略であろうがなかろうが、結婚についてはだ!――家長を納得させるだけの権威を聖堂が与え、代わりに奉仕を要求していると考えると、案外わかりやすい図式なのかもしれない。

 認められたくば所属集団に貢献せよ、承認に値する相応の力を示せというわけだ。

 もちろん無条件に受容される異性愛に対し、これも差別といえば差別といえるだろう。だけどおそらくこの世界に置いて存在はしていても認識すらされていない、他の性的マイノリティに比べればましなのかもしれない。


 話は逸れたが、ここもあたしの部屋じゃない。

 女性用スペースの最奥とはいってもここは居間、この一画全体の中心点みたいなもんで、寝室のようなプライベート空間じゃないんです。

 それは、あたしに必要がない。


「では、何を与えられておられるので?」


 訊かれて、あたしは入り口の反対側にある、回廊の奥を指してみせた。


「『こちらの庭園を』」


 出てみるよううながすと、クラウスさんは、庭園すべての草木がほぼ枯れきっている異様なさまに驚いたようだった。

 ここに客を入れたのは、たぶんクラウスさんが二番目だろう。


「『ここは、わたくしが魔喰ライに堕ちぬための牢獄ですよ』」

「魔喰ライに」


 部屋の明かりが届かないあたりにまで歩みを進めれば、幻惑狐たちの目がきらきらと光る。ルーチェットピラ魔術伯家の元家宰は息を呑んだようだった。

 ついてきてくれたグラミィが、ひっそりと声を発した。


「『わたくしが、未だ人で在れるは、星詠みの方々(森精たち)のご助力あってのことにございます』」


 森精たちの接触プロセスは慎重なものだった。

 ラームスたちに記憶された情報の中には、飢えを飼い慣らすようにという、彼らからのメッセージも含まれていたのだ。

 まずはラームスたちから魔力を吸収せずにいられるほど、あたしが飢えを制御できるようになると、幻惑狐たちが送り込まれた。

 彼らからもうっかり魔力を吸ってしまわないと確かめると、今度は幻惑狐たちが包みを咥えてくるようになった。


 あの地獄門術式を破壊した血染めの聖堂から、ヴィーリとメリリーニャは魔力吸収陣を拾っておいてくれたのだった。

 あたしが設定した発動条件は「人血に触れるまで」、停止条件は「一定以上の魔力を吸収したとき」。

 つまり、そのままでは魔力を吸うことも吐き出すこともない、無害な魔術陣。だがそれをどう扱うかが、もっともきついステップだった。


 血泥に染まった魔力吸収陣を握り潰せば、地獄門から吸収した魔力が吐き出される。

 あたしはそれをラームスと幻惑狐たちに与える一方で、自分が吸収しないよう、必死に耐えた。

 異様な魔力に対する飢餓感はなくなったわけじゃない。指の骨にねっとりとまとわりつく魔力にむしゃぶりつきたくなったのは事実だ。

 だが、いくら一度魔力吸収陣に吸い取られたとはいえ、詰まっている魔力は犠牲者たちの血肉そのものと言ってもいい。魔物たちに混じってそんなものに食らいついたら、終わってしまう。主にあたしの枯渇しかけてる人間性が。


 魔術陣はその維持に必要な魔力を、その陣に吸収し蓄えている魔力で補う。つまり魔術陣を壊さない限り、人血にまみれた状態の魔力陣が再発動しないという保証はない。遺品として持ち帰り、遺族に渡すなんてことはできない。危険すぎる。

 そもそも地獄門には数十人が喰われている。どの魔術陣が誰の魔力を吸ってるかなんて判断のしようがない。

 ならば砕こう。その決断はわりと早くに定まっていた。


 一方、魔術陣がため込んでいた魔力をどう扱うかには、しばらく悩んだ。

 ただ垂れ流すだけでは、それは人為的な魔力だまりを作ることにしかならない。

 かといって、その濃密な魔力を魔術師たちに使わせるのも間違っている気がする。

 てか、そもそも他の人間に顔と頭蓋骨を合わせることすらまだできないこの状態で魔術陣を砕くのであれば、魔力を使うのは必然的にあたしということになる。が、それも何かが違うと思うのだ。

 最終的にたどり着いたのが、ラームスや幻惑狐たちに吸収してもらい、通常の魔力循環に還元することだった。


 幻惑狐たちに、犠牲者の血肉に等しい魔力を与えることに、抵抗がなかったわけではない。

 けれども、魔物だけでなく、この世界の生物はすべて魔力的にも食物連鎖が構築されている。そして魔物たちならば、多量の魔力にも耐性がある。

 人間のように魔力酔いを起こすことなく大量の魔力を制御し、そして生命活動の一環として大気に、水に、その魔力を放出していくことができる存在を、あたしは彼らのような魔物以外に知らない。

 だから、あたしはラームスたちを利用して、魔術陣に喰われた犠牲者の魔力を自然の循環に帰すことに決めた。

 そしてすべての魔術陣を砕き、飢えに呑まれることなく魔力をラームスたちに与えきり。

 ラームスたちから彼らの魔力を与えてもらい、回復したことで。

 ようやく、あたしはグラミィたちとの対面が許されたのだった。


 だがその後も森精たちの慎重な精査は続いた。

 心話が近づいても問題にはならず、他人に直接触れても大丈夫、と見極めがつき、やっと廃園を出ることができたのは、今日の軍議が初めてになる。

 その過程も知らず、ただ他とは違う扱いを寵愛の表れと見られても迷惑なんですよ。


今ですら、この一画で同居してるとはいえ、グラミィとトルクプッパさんが主に使っているのは、居間直近の、最も身分の高い女性用の部屋ではない。

 他のスペースにも近い一帯、言い換えるならこの庭園から離れた場所にある、主人付の侍女にあてがわれる部屋の中でも、比較的粗末な部屋だ。

 万が一にでもあたしが魔喰ライになった時、彼女たちが脱出しやすく、そしてあたしをこの籠舎(牢屋)から出さないようにするためにだ。


「……幾重ものご無礼、お詫びの言葉もございません」

「『無礼など、なにもございますまい。すべては主思いゆえのことと存じます。――ですが、ひとつだけよろしいでしょうか』」


 緊張した面持ちのクラウスさんに、一言だけ。あたしはグラミィ越しに伝えた。


「『どうか彩火伯さまを、お頼みします』」


 猜疑の棘はいくら笑顔で包んでも、持つ者持たれる者どちらも必ず傷つける。

 長々と傷をつけあい、じくじくとこすり合うよりも、一度すぱっと関係を断ち切った方が、ダメージは少なくすむのじゃないかと思ったからこそ、あたしはああいう言動を取ったつもりだった。

 突き放し、突き放されたことに、予想以上のダメージがあったとしても、これが最善手だったという判断に変化はない。


 ならば、このままあたしはアーノセノウスさんから離れたままでいるべきなのだ。

 傷つき傷つけ合うことは、人をたやすくゆらがせる。不安定になれば魔喰ライになりやすいのが今のあたしであり、ひょっとしたら今後のアーノセノウスさんでもあるのかもしれないとあれば、なおさらだろう。

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