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会議は踊らず(その2)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「……クウィントゥス殿下のご存念はいかに」

「ただでさえスクトゥム帝国の攻撃を陰に陽に受けてきたのだ、これ以上ランシアインペトゥルスが耐え忍んでやる必要はあるまい?」


 王弟殿下の言も、真理ではある。

 五月雨(さみだれ)式にいつ来るのかも、どのくらいの規模でやってくるのかもわからない敵を待つ。

 これって、かなりの負担だ。

 

 フルーティング城砦でも、似たような状況はあった。散発的な敵襲が起きそうになったのだ。

 だけど、正直なことを言うなら、あのときの方がよほど楽だ。フルーティング城砦は、ほとんど天空の円環に対し設けられた要衝なのだから。


 そりゃ天空の円環は、あの標高にあっても相当広い場所ではある。それこそ百人近い人間が展開できるほどにはだ。

 けれども、天空の円環から各地方へつながる地点はかなり狭く作られている。そこを一度に通過できる人数というのは微々たるものだ。

 人数制限のある敵相手に――しかも場合によっては、五月雨状態もコントロールできる相手だ――、強固な城砦に立てこもり、場合によっては後方へ支援を依頼できるような態勢が整備されてるんである。


 フルーティング城砦自体、難所に設けられているというのも利点だろう。

 ランシアへ降りるには、どうしても城砦の脇、比較的狭い道を通らなければならない。

 しかも、ランシア側から見上げないとわからないことだろうが、その道は崖のきわにある。いよいよどうしようもなくなったら、崖を崩してでも敵の侵攻を止めることができるようになっているんじゃなかろうかね。あれ。

 しかも、たとえ城砦そのものが抜かれたとしても、平地に出るまでしばらくは山道が続くのだ。そこに罠を仕掛けておけば、たぶんかなり効果的に敵を減らすことができるだろう。

フルーティング城砦が守りに堅い理由である。

 もちろん、フルーティング城砦側にとっても、輜重の負担が大変って問題はあるんだけど。


 それに対し、このトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は平地にある。

 交通路や農地としては優秀なのだろうが、何をどう考えても、侵攻に対する耐久力というものに欠けている。

 領都フェルウィーバスにこそ城壁はあるが、閉じ籠もればランシア街道を王都まで開けてやるようなものだ。そうなってしまえば防御戦など意味がない。こちらにとってはするだけ出血を強いられるばかりだ。攻囲戦の構えをとれるだけの手勢さえ置けば、向こうにとっては後顧の憂いにすらならないだろう。

 ならば、いっそのこと打って出ようというクウィントゥス殿下の判断は、悪くはない。


 ついでに言うなら、ランシアインペトゥルスにスクトゥム帝国からちょっかいをかけてこられたことも、これが初めてじゃない。


「当国の辺境伯家がスクトゥムの毒牙を受けるのは、これが二度目だ。三度目四度目とさらに繰り返されてはたまらぬ。だが、卑怯にも夢織草(ゆめおりそう)を使ってじわじわと食い込む侵略の手口が、警戒すれどもはねのけがたいのは事実だ」


 ボヌスヴェルトゥム辺境伯だけじゃない。クウィントゥス殿下にしてみれば同腹の兄である外務卿のテルティウス殿下ですら、夢織草の被害に遭っているのだ。

 しかも、ベーブラで森となった森精のパルの拉致にも、夢織草が使われてた形跡がある。これは大海原をわたってフリーギドゥム海にまでやってきていた連中のしわざだろう。


 今回はおそらく陸上の別ルートだろうが、それでもイークト大湿原を越え、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家にまで夢織草はもたらされている。

 ならば、これ以上座視していれば、さらにランシアインペトゥルスに食い込み、あるいは別のランシア地方の国をも巻き添えにして、どんな攻め方をしてくるかわからない。そういう怖さがスクトゥム帝国の、いや星屑たちの動きには確かにある。


 トライキエーンスピラ伯――アロイスぐらいの年格好に見えるので、トリブヌスさんと呼ぼう――はしばらく沈黙していた。

 まあそうだよね。王弟殿下にここまで理由を説明されて、しかも旗幟(きし)を鮮明にされてるのに、根拠もなく反対すれば、下手すればスクトゥム帝国に利する態度を示したと思われかねんもん。

 だからと言ってはいどうぞ、よろこんでーとは言えない理由も多い。

 

「さまで仰せならば、臣に異論はございませぬ。ですが一つお聞かせください。兵と輜重(しちょう)はどのように?」

「他国からも借りる」


 クウィントゥス殿下が地図にすっと指をかざした。


〔てかこれで何がわかるんですかねぇ……〕


 グラミィがこっそり心話でごちてきた。


 確かに、卓上に広げられた地図は、ランシアインペトゥルス南部こそある程度詳細だが、隣国やクラーワ地方は空白ばかりが目立つ。

 むこうの世界の地図を見慣れてるグラミィからすれば、ほとんどフリーハンドの略図に書き込みしたものを見せられてる気分だろう。しかも正確とは限らないというね。


 だが、フルーティング城砦からトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領へと飛んできたあたしには、かなり有益なものだった。

 さすがにドローンレベルで静止できたわけじゃないから、そこまで精緻に地理を把握できているわけじゃない。それでも集落や都市がどのあたりにあったかは、そこそこ把握できている。

 ならば、地図に示されている――つまりは、重要であるとランシアインペトゥルスが認識している――都市や拠点をあたしの見てきた情景に落とし込み、森精たちから得た情報と重ね合わせると?


ランシア地方においてイークト大湿原は、西はそのきわまでせりだした暗森――ランシア山塊の麓へとつながっている――から、ここトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領、および地方境でもあるクエルクス山脈の麓を超え、隣国トレローニーウィナウロンに接し、さらに東のコバルティ海のきわまで広がっている。

 海が近い湿原というのは、アルボー周辺の低湿地のように海水と川の水が入り交じり、汽水圏が発生しそうなものだが、そんなものはない。

 というか、イークト大湿原には、河口らしい河口というものがないのだ。


 いや、大湿原に注ぐ川は幾筋かある。けれど大湿原の水はダイレクトに海へ注いでいるのだ。滝となって。

 空からはちらっとしかわからなかったが、なんと、海際は断崖になってるらしい。

 巨大な鉢の縁のように幅広く岩盤がせり出し、その内側に満々と水をたたえている。それがイークト大湿原なのだ。

 海の上のもう一つの淡水海。人を拒絶する土地。


「クラーワの国々との友好はさらに進んだものとなった。わたしの忠実なる手の者がもたらしてくれた成果だ」

「クラーワは好戦的な国柄と存じておりましたが」


 不審そうにトリブヌスさんは首をかしげたが、クラーワの人たちは単純に好戦的なわけじゃありません。復讐を重んじてるだけです。


「かの国々も、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領同様、スクトゥム帝国の魔手が伸びておりまして。フルーティング城砦へ派遣された方々がそれを指摘し、害を除くに助力されたと聞き及んでおります。クラーワは憎しみも激しく、また恩義もつよく感じるお国柄。ゆえ、こちらからスクトゥム帝国を敵するに共闘を申し出れば、快く受け入れられるかと」

 

 アロイスが補足した。彼もフルーティング城砦の警備隊長やってたから、クラーワ地方のことはよく知っている。

 ……とはいえ、星屑(異世界人格者)によるクラーワの被害は甚大だったものな。協力には答えてくれるだろうけど、限度内であれば、という条件がつきそうだ。


「ふむ」

「グラディウスファーリーも船乗りがスクトゥム帝国による被害を受けているとのこと。折衝を行っているフルーティング城砦によれば、フリーギドゥム海を回り船を寄越してもらえそうだ」

「船を!」

「海はつながっている、だそうな。さすがは西海の覇者」


 ……なるほど、フルーティング城砦との連絡は無事復旧したわけか。そしてやるなクランクさん。きっちり仕事してるのね。グラディウスファーリーからそこまで協力を引き出すとは。


 しっかし、フリーギドゥム海経由たぁねえ……。

 さすがにあたしもちょっと驚いた。


 もちろん、南方を回り、スクトゥム帝国のど真ん中といえるロリカ内海を東に進むより、北からランシア地方を回った方が遙かに危険が少ないだろう。

 何より、星屑を搭載されるという心配をしなくていい。

 だがそれにはジュラニツハスタやトレローニーウィナウロンといった、ランシア地方の他の国々との折衝で、ランシアインペトゥルス王国との協調行動、最低でも協力的不干渉の確約を引き出す必要がある。

 

 折衝をするのはランシア地方だけじゃない。

 特に、こちらから攻めるのならば、スクトゥム帝国の属州の端っこへ辿り着くまでに、どれだけの国の領地を侵犯することになるのかわかりゃしない。最低でもイークト大湿原と接するクラーワ低地の国々との交渉は必要だろう。


 ま、そのへんの交渉は各自でお願いしますねー。

 あたしゃ知ったこっちゃないぞ。そのあたりの外交のお仕事からは、すっぱり手の骨を引いてるんで。

 てか、あたしとは別ルートでも情報を収集してたらしいし。クラーワにも伝手があるんでしょ、クウィントゥス殿下?


「ランシア山を越えるにしても、コバルティ海、あるいはイークト大湿原を越えるにしても、いかようにも動くことができるだろう」

「……そこまで情報をお持ちならば、スクトゥムについてもご教示をいただけないでしょうか。どのように攻めてくるか、予測もなされておいでならばどうぞご披見を」


 実現と成功の可能性が高いとみるや、一同は掌返しの勢いで国外への派兵に賛成しだした。

 いやはや、傍観の構えに入ると、熱心な討議が何を示しているか、よくわかるもんである。


 トライキエーンスピラ伯トリブヌスさんをはじめ、この場に参集した諸侯サイドの人間は、各勢力の利益を最大限引き出せる戦略をすでに考えている。そして、それを実行できる最小限の兵力とはどのようなものかを、お互いに量り合っている。


 コストカットと体面保持のせめぎあいだ。


 それに対し、王弟殿下はランシアインペトゥルス王国とスクトゥム帝国という、戦略レベルでは覆しようもないような彼我の差を、戦術レベルでどう埋めるか考えながら、諸侯の戦意を煽ろうとしている。


 互いの狙いは食い違い、すりあわせるため会議は踊る。

 だが、踊らせてる時間はない。


「アロイス」

「は。わたくしは直接トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領に現れた兵と交戦いたしました。またこれまでのスクトゥム帝国の攻撃――ボヌスヴェルトゥム辺境伯へのもの、またフルーティング城砦へのものも(かんが)みまして、おそらくは、彼らの中でも意思の統一は取れておらぬと考えております」

「つまり、ばらばらにしかけてきていると」

「さようにございます。数十名、いえ場合によっては数名ほどの小集団が、それぞれの意図を持って行動しているとみるべきだと存じます」

「つまりは統率など取れておらぬ、木っ端な雑兵の寄せ集めですか」


 トリブヌスさんは鼻で嗤った。


「それはどうかな」


 王弟殿下は振り返った。

 

骸の魔術師スケレトゥス・マギウスよ」


 いきなり呼ばれて、あたしは畏まった。


「そなたの知る限りを述べよ」

「その方が、骸の魔術師どのと?」

「いかにも」


 あたしはあらためて、座を占める面々に頭蓋骨を下げた。

 ライブマスクが割れてしまったので、覆面の上から仮面、そしてフードという格好で、あたしはクウィントゥス殿下の斜め後ろに軍議の最初からいた。

 発言権を持たない護衛としての立ち位置である。


 フルーティング城砦でも、それから王都でのアルボー攻めに関する軍議の場にも、あたしの席はあった。

 しかしそれは、『彩火伯アーノセノウス・ランシピウスの弟であるシルウェステル・ランシピウス名誉導師』に与えられたものなのだ。

 なので、あたしはこの一兵卒扱いに何も言わなかった。アーノセノウスさんに疑われている以上は、あたしが使っていい権威ではないだろうし、だからこそクウィントゥス殿下はルーチェットピラ魔術伯家に見せるために、こういう扱いをしたのだろうということはわかっていたから。


 そもそも、公的な場で発言権があるというのは、自分の発言に責任を持つことができるだけの権力があるということでもある。

 それを手放した今のあたしにあるのは、自分の行動に対する責任だけだ。

 ある意味気楽になったのはいいが、それに伴う扱いの下落にはちょっと弱った。

 あたしが身分の低い人間――たぶん、そこそこ実力のある平民の魔術師、ぐらいなんじゃないかな――扱いになるのはいいんだけど、あたしの舌人扱いであるグラミィも扱いが悪くなるとはね。

 さすがにお年寄りの身を立たせておくのもなんなので、ヴィーリとメリリーニャに頼んで、一緒に壁際の長椅子に座ってもらっている。

 森精は扱いが別格になる。ほんとならば人間の政治や戦争なんて彼らには関係がないことなんだろうけど、墜ちし星が絡んでいるとなれば、目の一つや二つ、置いておくべきなのだろう。


 トライキエーンスピラ伯はかるく眼をほそめてあたしを見やった。


「お噂はかねがね、なるほど、殿下の仰せられたことは、彼の方のお調べになったことですか」


 まあ、多少はそうですとも。


「名にし負う骸の魔術師どのの技量であれば、フェネクスを生かしたまま王都に移送することはできたのではございませぬか」


 おっと、嫌みか。

 だけど、ド外道転移陣の機能だけうまく停止できてたとしても、血泥に複数人の意識が宿ったままのような、あれを王都まで運べとか。超無理があるんですよ。

 実際にやらかしたら、尋常じゃない魔力の消耗のせいで、沿道一帯ぺんぺん草も生えない不毛の荒野になるだろうってだけじゃなく。


 人間は、身体を物理的に傷つけられると、精神的にもダメージを受ける。それはセルフイメージが損なわれるからだ。

 脚が動かなくなる、腕一本なくなるといった大怪我はもちろんだが、たとえ機能的損傷がなくても、顔に傷が入った人が引きこもりになったりするのは、セルフイメージの損傷により、メンタルに重大な衝撃を受けたからだろう。


 なのに、手も足も、峻厳伯がアイデンティティのよりどころとしていた、世外の者(異世界人)に酷似した外見も失い、しかも新たな身体である――といっていいのかね、不定形にもほどがあるんだけど――血泥には、他人が同居してるとか。

 これは、狂う。てか発狂する。実際あたしが術式を破壊した時には、峻厳伯のものらしき自我はほとんど感知できなかったしなあ。


 セルフイメージの損傷というなら、お骨なあたしはどうかというと。……自己認識においても、物理依存度低かったんじゃないかなあ。

 ただ、自我の形はどうしても変容した。せざるをえなかった。それは確かだ。

 真面目な話、あたしがこのシルウェステルさんのお骨に順応できてるのは幸運だろう。グラミィがグラミィでいられることも。


「フルーティング城砦でも折衝をなさっていたとか」


 いやそれ誤報です。外交はクラウスさんたちに任せてますから。

 とはいえ、クラーワ地方を走り回ってたのはほんとだしなあ。


「スクトゥム帝国へ糾問使団を率いておいでになり、成果もなくお戻りになったとか」


 それは正解。


「クラーワやグラディウスにもお顔が広いとも伺いましたが」


 頭蓋骨はそんなに大きくないけどな!


〔聞こえてないからって、遊んでないでくださいよ〕


 いちいち嫌みにツッコミを入れていたら、ジト目のグラミィがやってきた。

 彼女ってば、あたしがようやく飢えを制御できるようになったとラームス経由でヴィーリに知らされるやいなや、すっ飛んできたのだ。

 こっちが慌てて距離を取ってるのに、ずんずん近づいてきたかと思うと、指をびしっとさしつけて『勝手に諦めんなって言いましたよね?!馬鹿なんですかこの空っぽ骨頭』と罵倒してくるとかね。

 そう来るとは思わなかったので、あれはかなり……うん、嬉しかった。マゾかとグラミィには言われたけどね。そこは否定したけど。


 正直、グラミィには十中八九拒絶されてもおかしかないと思っていた。あたしの頭蓋骨も見たくないレベルで。

 彼女は元女子高生だ。むこうの世界の倫理観が強ければ、人殺しへの忌避感も強くて当然だろうとね。

 けれど、あたしが怖くないのか、魔喰ライになる一歩手前まで行った人殺しだぞと訊いてみたら、だからどうしたと言われるとは思わなかった。


 元JKもこの世界に順調に染まってきてるということか、それとも彼女が思ったより強靱だったのか。でも折り合いをつけてくれるというのなら、それに甘えようじゃないか。

 いきなり『あたしも、ボニーさんのお悩みの中に入れてくださいよ!穴代わりにはなりますから!』と言われた時には、穴ってなんぞと思ったし。『王様の耳はロバの耳~って叫ぶ穴ですよ』と言われて納得したけど。

 でも芦をはやすのは勘弁な。


 ……『この暑い時期には、ボニーさんのそばにいると魔力のせいか涼しくていいですし』とか言われた時には、クーラー代わりですかこんちきしょと思ったけどね。あたしのほんわりとした感動を返せ。

 

「では骸の魔術師どのにうかがいましょう。スクトゥム帝国の兵をどのようなものとお考えかな?」

「トライキエーンスピラ伯さま。舌人のわたくしの口よりお伝えいたしましてよろしいでしょうか」


 頷くのを確かめて、グラミィは口を開いた。

 

「『彼らはたしかに少兵の寄せ集まりかと。ただし、すべてが死兵とお考えになった方がよろしいかと存じます』とのことにございます」

「それは」


 それまでどこか余裕のあったトリブヌスさんたちご一同が、うそだろーという顔で絶句したのも当然だろう。


 たいていの宗教で、自殺は根源的な罪とされる。命は失われやすく、またそのプロセスは不可逆だからだ。

 そんな理屈はさておいても、自分の死や物理的に害される可能性を認識しただけでも、いや敵意や殺意を向けられただけでも、恐怖を感じるのが人間というものなんですよ。お骨なあたしが言っても説得力はないだろうけど。

 でもだからこそ、死の危険に兵は怯える、逃げもする。兵に逃避行動をさせないため、士気を高めるためにあらゆることをやってのけるのがいい指揮官ということになるのだろう。

 しかし、スクトゥム帝国の兵である星屑たちが逃走や撤退を選ぶ一線は、死の恐怖にどこまで耐えきれるか否かでは、おそらくない。

 

 この世界をゲームステージとしか見ていない星屑たちにも、確かに損得計算はある。損を他人に押しつけようとする思考も、死を損だとみなす思考もある。

 だけど彼らはゲーム気分で行動している。ということは、やることなすことすべてが経験点を得るための作業であり、その過程で発生するアバターの死は、不可逆のものでも、取り返しの付かないものでもないという理屈になる。

 たとえデメリットしかないように見える行動でも、あえてすることでなんらかの称号を獲得できないかどうか、一度は体験してみようという感覚で、興味津々死地にも踏み込んだりする。あたしは短いスクトゥム帝国での情報収集でも、そんな星屑たちをたんと見てきた。


 なにより、彼らにとって、死は最もリアルでないものだ。

 正確に言うなら、自分の死、そして自我の消滅ということになるだろう。

 ゲーム上の死は、デスペナが軽ければ、リスポーン地点への移動手段として使うことすらあるという。

 少なくとも、死んでそこで終わりと思っていなければ、リスポーンのたびに何も考えずに突撃する、いわゆるゾンビアタックすら可能という思考にもつながる。死兵というよりゾンビ兵と言った方がいいかもしれない。

 星屑たちのゾンビ兵は個別の目的を達成するまで、完全に退かない、己の行動を省みることもしないだろう。

 媚びはするかもしれないが。


 ゾンビ兵のように怯まない、しつこい敵というのは、それだけでもかなり大変だ。まともに相手などしたくない。

 だが、危険なのはそれだけじゃない。


「『すべての兵にかは断言できませぬが、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯のように、彼らの中には悪逆の魔術陣が刻まれた者がいるとお考えになった方がよろしいでしょう』」


 あのド外道転移陣が仕込まれていたと、これまであたしが確かめたのは二人。あたしが助けることのできなかった船乗り、ゲラーデのプーギオと、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯だ。

 だから、すべての星屑たちに仕掛けられているとは思えないが、それでも小勢と戦ってる最中、うっかり殺した相手が地獄門を発生させたら、形勢逆転どころか、こっちが喰われかねんのよ。あのド外道転移陣に。

 おまけに、どんだけの敵が、そこからぞろぞろ出てくるかわかんないとかね。


 やっかいなことに、この地獄門術式、発見が難しいのだ。

 普通、魔術師にだって、個々人に刻まれた魔術陣は魔力を流してみないと判別できない。ましてや、戦闘中に非魔術師である騎士たちが、いちいち相手に魔術陣があるかどうか確かめる、なんてことは不可能に近い。

 その状態で命をかけた斬り合いをするとか。

 なんだその生死どころか魂の存亡までかかったような黒ひげ危機●発状態。


「『これまでのところ、悪逆の魔術陣はおそらく刻まれた者の死。それも流血を伴うものによって発動するもののようにございます。したがいまして、すべての敵を血を流さず流させぬように取り押さえ、あるいは斃す必要がございます』」

「無茶だ!」

「それではまともに戦えんではないか!」

「『いかにもさようにございます』」


 つるっと肯定してみせると、トリブヌスさんにじろりとにらまれた。


「……では、骸の魔術師であれば、どのようになさるおつもりか」


 いや、今のあたしが言っていいこっちゃないでしょ?

 彼が言うのは、あたしが軍を動かすなら、どうするかという問いだ。

 あたしにそんな権力はないんですが。

 そもそも、クウィントゥス殿下に身柄を引き取られている現状を考えるならば、勝手な発言はできないわけで。


「『殿下』」

「許す。その無茶を通す手立てなくては、戦うことすらできんのだ。申せ」


 王弟殿下から向こうをたしなめてもらおうと思ったのに、発言許可を求めたと思われたのか、一言でばっさりですよ。

 だがこの許可は、あたしの発案を実行に移す場合、クウィントゥス殿下があたしの代わりに責任を取ると明言したのと同じことになる。


 もちろん、殿下にもメリットはある。

 登用した者の功績というのは、それを重んじた権力者の目が正しかったということになるからだ。

 それはクウィントゥス殿下の権力をより堅固にし、今後この寄り合い所帯のような軍をまとめていく際の大きな基盤にもなる。

 逆にあたしの判断や見込みが過っていた場合、それはクウィントゥス殿下の過ちになるんだが。

……ま、その時はその時で、物理的にだか比喩表現だか知らないが、この首の骨が飛ぶだけのことだろう。


〔ボニーさん〕


 だいじょぶだから。

 あたしが心話を伝えると、とたんにグラミィは盛大に眉をしかめた。何その顔。


〔なにその案ってのは、こっちが言いたいことですよ!〕


 でも効果的でしょ? 

 そう言い返すと、グラミィは渋面のまま口を開いた。

 

「『では申し上げます。ただし、この状態で、スクトゥムがイークト大湿原を超えてくると想定しました場合のみではございますが、よろしいでしょうか』」


 一同が黙ってうなずいたのを確かめ、あたしは地図の一点を指した。


「『まずはイークト大湿原を戦場といたします』」

「イークト大湿原をか」

「『このトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領を打って出て、なおかつ各国への刺激を抑え、場合によっては共同戦線を張るには、ほどよい場所かと存じます』」


 それは表向きの理由にすぎない。

 星屑たちをできるだけ生かして、それも可能ならば無傷で捕らえていきたいという、戦略とは別次元の、あたしのわがままが裏の理由だ。


 生かしたまま敵対者を捕らえるというのは、結構難しい。

 無傷でというなら、なおのこと。

 だが殺す一歩手前、戦闘不能におとしこむには、大湿原はかなりいい戦場だとあたしは思う。


 アルボー河口にある、コールナーの領土である低湿地と、イークト大湿原はまるで似ていない。

 規模が違うのは当然のことだが、それよりなにより、イークト大湿原には、陸地というか盛り上がった地面というのがほとんど見えないのだ。

 フルーティング城砦から夜空を飛んだ時には、一つ巨大な湖があるのかと思ったほど星が映っていたというね。


 つまり、イークト大湿原は、草木が生えてこれないほど、全体的に、常に水没している。それだけ水量が多い。

 フィールドとして考えるならば、陸上というより水上に近い場所だと考えるべきだろう。

 そして、敵に血を流させないようにというのであれば、溺死は悪くない手段となる。

 少なくとも、溺れさせれば抵抗は弱くなる。

 なにより、ランシアインペトゥルスの国内に地獄門が開く危険性を減らすことができる。


 だが、そのためには必要な物資というものがあるわけで。


「『小舟と漕ぎ手を多数調達することができれば、イークト大湿原では馬より役に立ちましょう。騎士の方々にはある程度の距離まで追い詰めていただき、わたくしが沈めた敵を始末していただければ「待て」

「魔術師が、戦場に、出るだと?」


 驚愕の目が集まった。どうやらみなさん、物資とは別の方に食いついたようだ。

 

「何を考えておられる。骸の魔術師どの自らが敵に相対されるおつもりのように聞こえたのですが」

「『いかにも』」


 あたしはかっくりうなずいた。


「『わたくしは悪逆の魔術陣に遭遇いたしました経験がございます。おそらくは、最も多くその発動と被害を知る魔術師であろうかと存じます』」

「とは」

「『わたくしは一度完全に発動する前に抑えこみ、また、一度発動を停止させ、術式を砕いた経験がございます』」


 同じことが他の魔術師たちにできるかっていうと、正直危なっかしいんですよ。

 下手したらぱっくり喰われますからね。地獄門に。


「殿下。まことにございましょうか」

「いかにも。――だが、骸の魔術師に訊く。そなたが直接向かう必要はあるのか」


 あたしはうやうやしく一礼した。


「『少なくとも損害を減らすという一点におきましては、わたくしの考え得る最善手と存じます』


 あたしのいう人的損害は、ランシアインペトゥルス王国側だけじゃない。

 スクトゥム帝国の、星屑たちの身体の人も含まれているのだ。


 うまくスクトゥム帝国の人たちを無傷で捕らえられたら、森精たちに引き渡して、星屑をひっぺがしてもらえるんじゃないかというもくろみが、じつはこっそりあったりする。

 今はまだ、そのための方法論が確立したとか、身体の持ち主の人格を覚醒させる魔術陣が完成したといった知らせは、闇森からも入ってはいない。

 だけど、ならば、せめて森精たちに実験体としてでも星屑入りの人たちを提供できないだろうか、とね。


 もちろん、それには森精たちが星屑入りの人たちの身柄を引き取ってくれるという前提が必要になる。

 ヴィーリとメリリーニャにも状況説明と依頼を伝えてもらうようお願いしておくべきだろう。


 ……ここでだめとか言われたら、助けられるような相手でも、たぶん、泥の底に引きずり込まなきゃならなくなるだろう。

 なにせ峻厳伯のあほたれが、逆兵糧攻めのような悪手を打ってくれたのだ。

 ランシアインペトゥルスの兵が飢えるようなことがあれば、あたしは敵と味方の生命を天秤にかけて、手の骨を下すだろう。星屑のガワという、罪なき人を巻き添えにしてでも。

 その覚悟はできている。

 何度しても、慣れない覚悟だとしても。


 ……そりゃあ、自分が危険に身をさらすのはいやですよ。

 この手の骨で人を殺すのも、殺して魔喰ライに堕ちかけるのも、いやだよ。それは。


 人を殺す、あるいはその覚悟を決めるたび、あたしはなんともイヤな気持ちになる。それを拒絶してはいけないと思いながら。

 なぜならそれは、あたしという存在に染みついた、むこうの世界の倫理観ゆえなのだから。


 星屑たちはわりとあっさり人を殺す。

 それは彼らがこの世界をゲームだと思ってることもあるのだろうけど、問題解決のために人を殺すという選択肢を持つようになってしまったら、持つ前には戻れないという自覚がほとんどないということもあるのかもしれない。


 だからこそ、あたしは、むこうの世界の倫理にしがみつく。

 破ってしまったものであっても、かつての自分のよすがであり、それに重きを置いているからこそ、その行為への忌避も後悔も、そして自己嫌悪も、あたしを人間でいさせてくれるものだから。

 

 人を殺す、あるいはそれを意識するたび、あたしは異様な飢えをよみがえらせてしまう。

 あの凄まじい飢え、全身が口となってばりばりと牙を噛み鳴らしているような、異形となるのも当然だと納得してしまいそうな苦痛は、できれば味わいたくないものだ。

 だけど、あのド外道転移陣に巻き込まれ、あるいは発動して陣の一部になってしまったあとも意識を保ったままでいた、彼らの姿をあたしは見てしまった。


 ――聖堂で発生した地獄門の中には、転移してきた星屑たちと交戦した挙げ句、喰われたヴィーア騎士団の人も取り込まれていた。

 魔力吸収陣でとことん魔力を吸い取り、氷の術式を魔改造した、指定範囲を極低温にする術式で凍らせ、動きを止めた血泥から術式を砕くことに成功したとき。

 血泥から盛り上がり、それまでずっと嘆き叫び続けていた顔に、『ありがとう』って言われたことを、あたしは忘れない。

 戦場には正義も正解もない。だけど、あんな『ありがとう』を言われるのは、二度とごめんだ。


「しかし、攻め出るというのは。骸の魔術師どのは」

「『御心配は無用にございます』」


 あたしはうっそりと笑った。とはいえ、表情筋のない骸骨が仮面をかぶっているのだ。誰にも見えなかっただろう。


「『人肉を拾い食いするほど、まだ狂うてはおりませんので』」


 正直に言うと盛大にどん引きしたのだろう。鼻白んだ空気が流れたが、あたしがまだ人間やめてないって情報を共有してもらうことは重要だ。

 あたしが魔喰ライに堕ちる危険性があるという情報もだが。


「……では、クラーワの国々には、イークト大湿原の通行止めを願おう」


 初めてこの仮面を見たようにまじまじと凝視していた王弟殿下は、()れた声で宣言した。

 どうせ自国内での移動禁止までは拒否られると思うけど、星屑たちの移動を少しでも鈍らせることができれば御の字か。

 あ、ついでにクラーワ山塊の麓、スクトゥム帝国からは陸続きのルートを突っ切ろうとする小集団へも、注意喚起はお願いしますね。




 軍議が終わり、退出しようとした時のことだ。


「待て。シル」


 背骨にかけられたその声に、グラミィがぴくりと身をこわばらせた。

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