表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
250/372

閑話 何を乞い願う

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 陰口というものは、たとえこっそり言っているつもりであろうと、いつの間にか広がるものだ。

 一人が言えば「言っているから言ってもいいと思った」になる。口火を切った者の身分が高ければなおのこと。


「役立たず」


 母方、トニトゥルスランシア魔術公爵の家門から、おれがこの身へ最初に得たものは、失望だった。

 魔術公爵の娘と王の間に生まれた子であろうと、ひとたび魔力(マナ)ナシと裁定されたならば、それは魔術師の家系において無能、できそこないと同義になる。

 廃兵のごとく扱われることが確定したのは魔力を量った日だったが、その前から、じわじわと扱いが悪くなっていたのは感じ取っていたことだった。


 たとえどれほどすぐれた魔術師であろうと、魔力をその生身の目では捉えることができない。しかし色、形、大きさなどが知覚できることから、魔術師は魔力を見るために、隠蔽されしもう一つの目を持つ、などとも言うようだ。

 そしてまた、魔力はより大きく、全身からまんべんなく放たれているのを最上とするという。どこに集中するのも思うがままだからだとか。

 魔力は大きさだけでなく、色も重要となる。色合いは魔力の性質を表すからだ。

 地水風火それぞれの魔術は、どのような魔力を持っていてもひとしく行使できる。

 が、それでもやはり、多少の相性というものはある。

 ならば、より多くの性質を持つ魔力を求めるのは当然であり、かくして万色の魔力こそが最上とされるという。


 おれは、そのどれも持ち合わせていないとされた。

 おれが魔力ナシと裁定された直後からだったろうか。それまでおれと眼も合わせないでいた、すぐ上の兄のクウァルトゥスが、顔を合わせるたびに、嘲弄を込めて面罵してくるようになったのは。

 テルティウス兄上は、そんなクウァルトゥスを制止してくれてはいた。

 が、あれはただ単に、面倒を嫌ったか、うんざりしていたからか。

 

 魔力ナシが魔術を学ぶことはできない。

 必然的に、おれは武術を学び、武人として身を立てる道しかなかった。

 魔術公爵家では武術の師はいないと言われ――直臣にも魔術師ではない者、騎士たちは大勢いるのだが、いよいよおれに教育を施す意味を見失ったのだろう――、おれは王宮での鍛錬にいそしんだ。

 が、小手先の技術がついたころ、たいていの相手には勝ってしまうようになったのは予想外だった。それも同年代の従騎士たちだけじゃない。歴戦の騎士にもだ。

 おれは負けず嫌いだったから、かなり失望した。押し込まれたと思った瞬間、いかなる相手であろうが、判を押したように、突然剣速が遅く、つばぜり合いがやわやわと変わるのだ。

 仮にも王子の身、勝手な忖度で手加減でもされているのかとしか思えなかった。

 王都騎士団のとある騎士に、密かに告げられたのは、そんな時だった。

 殿下が宝玉のような目になられると、剣速もその力も別人となる。その目でご覧になられると、こちらの手足が動かなくなる。それが恐ろしいと。

  

 そんなことがあるかと疑い、おれは、あえてその騎士と本気で試合をするように頼んだ。

 もちろん、余人を遠ざけた秘密裡のものだ。

 今ですと言われ、用意しておいた鏡をのぞき、おれは知った。

 己の目が虹彩や瞳孔のある生身のものというより、むしろそれらを刻み磨いた水晶、いやそれよりもきららかな発光体となることを。


 なぜこのようなことが起きるのか。

 おれは彼に口止めをした上で、先王……父上に時間を願い、相談をした。

 むろん、純粋に魔術に関する知識量であれば、魔術公爵家の方が上であったかもしれない。が、その時は、彼らに声を掛けることなど考えもしなかった。

 父上は配下の魔術師を寄こしてくれた。今にして思えば、彼も国の影に生きる者だったのだろうか。


 その魔術師によれば、強力な魔力は、魔術師ではない者にも、色ある光、音なき声として知覚されることがあるという。

 だが実際に見てみないことにはわからないというので、おれは口止めをした騎士に、再度秘密裡の試合を願った。魔術師にその様子を見せるためだ。

 他にも身体のあちこちを覆ったり露わにしたりを繰り返し、精密に量ってくれた魔術師によれば、おれの魔力の放出は目に集中しており、その量は魔術学院の導師たちにも劣らぬという。ただし、それ以外の箇所から放出している魔力は、通常の騎士並み程度でしかないということだった。

 つまり、暴発の危険性は低いが、特殊な放出魔力の形態のために、魔術師となるには問題がある。


 魔術師は自身の魔力で術式を構築し、顕界する。だがおれのように身体の一部から放出する魔力量が極端に多い者は、術式の構築自体が難しい。らしい。

 また、術式の効力を及ぼすためには、当然だが狙いをつける必要がある。

 火球ならば、直撃はせずとも爆発に巻き込むためにも、正確に対象の位置を捕捉し、そこへ影響範囲を設定する。

 だが、おれの場合、相手を捕捉した時点ですでに眼から魔力が放出されているため、影響範囲の設定省略が必要となる。

 だが、父上の魔術師によれば、それは通常の魔術師にとって、目をつぶってその場でくるくる回った上で、顕界対象へ石を投げろというのに等しいのだという。

 自分がやればどこへ飛んでいくかわからぬ。そんなやりかたで、おれに教えろというのはさすがに無謀だ。少なくともおれに合わせた指導のかなう、優秀な魔術師から教授を受ける必要があると言われた。

 その一方で、おれの魔力知覚能力はかなり高く、すでにそれを使って自身の魔力を操作しているのだろうという。


 今まで試合の場で見ていた虹の欠片のような光は魔力であり、自分の魔力を使い、身体強化をしぜんと行っていたのだろうと言われて驚いたが、相手の魔力の動きから攻撃や防御の意図を読み取り、回避や牽制、あるいは偽攻を行うことで、格上の者とすら対等以上に戦うことができていたのだと知れば、ずいぶんと腑に落ちたものだ。


 加えて、強い魔力とはひとの意識を惹きつけて放さないものだという。魔術師であれば強い魔力に他の者がたじろぐように、騎士の中でも剣気で威圧する者がいるのは、そのためらしい。

 が、おれは目から放たれる魔力が一点に集中するため、相手が威圧と感じぬうちに、蛇に睨まれた蛙のようなありさまになってしまうらしい。


 おれは魔力ナシではなかったのだ。

 だが、トゥニトゥルスランシア魔術公爵家ともあろうものが、なぜそのような裁定違いをやらかしたのか。

 その謎を解いてくれたのも、父上の魔術師だった。

 おれの魔力は無色だったのだ。

 

 魔術師によれば、おれの魔力はただただ明るさをもたらすものであり、色をまったく欠いている光として見えるのだという。

 陽光のように当然にあると思い込んでいるもの、知覚しづらいものというのは、ないのと同然だということらしい。

 長年蔑みの目を向けられたことは、いったいなんだったのだろうと混乱もした。 

 だがそれからは、魔力ナシという言葉に傷つくことはなく、ただ、馬鹿馬鹿しいとしか思えなくなった。

 見る目のないやつらの評価に合わせてやる必要はない。

 

 とはいえ、宝石のような目は、無能どもにも見えるようだった。

 それに、鍛錬の相手には口止めをしていたとはいえ、話というのはどこからか必ず漏れるものだ。

 烈霆公(れっていこう)がいち早く丁重な態度を取るようになったのはさすがだった。

 が、おれが魔力ナシだという魔術公爵家での裁定が(くつが)えることはなかった。魔術師として学ぶよう師をつけられるということもなかった。

 どうやら、一度定まった判断を覆すことは、あやまちを認めることであるようだ。そして高すぎる自尊心ゆえにできぬものらしい。

 人は、あやまつものであることをどれだけ忘れたら、あのように隠蔽と糊塗をくりかえして省みることもなくなるのだろうか。


 もっとも、クウァルトゥスあたりはその噂すら集めることもできぬようで、会うたび嬉々として罵ってくるのには、内心笑うしかなかった。

 彼ら魔術公爵家の者が粗暴な武人と嫌う、プリムスレクス兄上とセクンドゥス兄上の方が、よほど物静かで柔和ですらある。たとえ魔術公爵家の血が評価を下げてはいても、ちゃんとクウィントゥスという存在を魔術師以外の観点からも見てくれる視野の広さもだ。

 それに、クウァルトゥスが、コルウス()のように騒ぎ立てる理由もわからなくはない。彼のできがよくないのは物心ついてからおれがまったく会ったこともない母親というのがやたらと甘やかして育てたせいらしいが、おかげで烈霆公の覚えが覿面(てきめん)に悪くなっているからだ。

 傅役(もりやく)にアークリピルム魔術伯をつけてもらえただけでも温情といえようが、堪え性などというものには縁がなく、十四にもなって赤ん坊のような癇癪を起こすのがクウァルトゥスの常だというから、アークリピルム魔術伯の手にも余るらしい。機嫌取りに腐心してでもいるのだろうか。また烈霆公が渋面になるというわけだ。


 おれは父上の配下に学んで、まっとうな理論に裏付けられた魔力制御能力を身につけることができた。

 この無色の魔力は、隠蔽されしもう一つの目ですら、辛うじて陽炎のようにしか見えぬほどに捉えがたいものではあるらしいのだが、幸いにもおれには扱いやすいものだった。

 とりわけ身体強化は強力で、ジュラニツハスタとの戦いではたびたび命を拾ったものだ。

 

 

 対峙しただけで、相手の隠し事や害意の有無がわかるというのは、じつにありがたい。交渉事も相手の思惑がある程度わかるならば、ことを有利に行わせることができる。

 魔術師ですら若干の集中を必要としたり、生身の目を閉じたりしなければよく見ることができないものらしいが、おれは視界内であれば人の魔力も瞬時に、かなり精細に知覚することが簡単にできてしまう。精神統一が必要どころか、感情が高ぶるだけでも勝手に見えてしまうのだ。その時の目はおそらく宝玉のように光っているのだろう。 

 もしや、魔術師どもがああも自然に無礼であるのは、不利な相手を見下すことが常態となったからか、もしくは世辞が偽りかどうか瞬時に見分けてしまえるためか。それともいくら典礼を身に染みつかせようとも、そこに心が伴っていないと見破ることができるからだろうかとも考えたくらいだ。

だが、それでもやはり、トゥニトゥルスランシア魔術公爵家一門の倨傲は、看過できそうにない。

 

 万色を尊ぶくせに、やつらの魔力は青から青緑に偏っている。

 それも単色がやわやわと周囲に伸びているだけなので、やつらが一同うち揃っているところは、おれには色の変わった草原のようにすら見えるほどだ。

 おそらくは、それもやつらがルーチェットピラ魔術伯家を疎んじる傾向にある理由なのだろう。

 ルーチェットピラ魔術伯家の者たちの魔力は、鮮やかな橙から黄色に連なる階調に、なぜか瑠璃色の筋が入る。

 暖色の広がりに寒色がぱきっと伸びている様子は、なんともすっきりして見よいものだった。

 

寒色と暖色を含むという意味では、シルウェステル・ランシピウスの魔力もそうだ。 

 青から赤に近い紫まで、ロサカエルラ(蒼薔薇)の花よりさらに複雑で繊細な色味を持つ、シルウェステルの魔力にも目を惹かれるものを感じる。ずいぶんと前から彼を見覚えていたのは、そのためだ。

 だが魔力は見て取れても、シルウェステルがどのような感情を抱いていたのかは、おれにはなかなか読み解くことができなかった。


 おれがジュラニツハスタとの戦いで見たのは、天才肌で奔放な兄である彩火伯(さいかはく)を支える、控えめで堅実な弟の姿、ただそれだけ。

自分もまた、やがてはプリムスレクス兄上に仕える身だ。無能のクウァルトゥスはいるが、セクンドゥス兄上もテルティウス兄上も怜悧な方だ。万が一があっても彼らを押しのけて無能やおれが玉座に手をかけることなどありはすまい。


 おれはジュラニツハスタとの戦いののち、放浪騎士として名を高くしつつあったアロイスに騎士号を与えた。その一方で、当初引き込もうとしていた彩火伯は手に負えないと判断し、かわりにその弟を、シルウェステル・ランシピウスを配下に招くことにした。

 方向性こそ違え、ルーチェットピラ魔術伯家の者に手を出そうとしているあたり、おれも烈霆公たちの血を引いているのだと悟らざるをえなかったが。

 それでも、どうしても彼が欲しかったのだ。兄の補佐に徹するその姿を見習いたいと思ったこともある。

 

 シルウェステルを間近に使えば使うほど、あのアーノセノウスの盲愛振りを知れば知るほど、シルウェステルに対する興味はますます高まった。

 シルウェステルがいるからと、まさか王都騎士団の本部に足繁く彩火伯までもがやってくるようになるとは、思いも寄らなかったが。


 おれは、アーノセノウスと酒を酌み交わすようになった。そこにシルウェステルも同席させたのだが、彼は困ったような無表情でおれと義兄の間に立ち、従者のような振る舞いを崩さなかった。

 あの溺愛を向けられながら溺れぬとは!

 なんという自制心、なんという献身。

 ますますおれは惚れ込んだ。見習うだけでは足りぬ。正しい兄弟のあり方を体現する者として、ある意味心服すらしていたかもしれない。

 兄弟のあり方に唯一絶対の正解などないのに。

 

 シルウェステルの表情が唯一崩れるのは、魔術についてのみだった。

 それも、魔術陣のことなら、一晩でもずっと語り尽くせそうな勢いで目を輝かせる様子は、まるで年端もゆかぬ少年のようだった。おれなどおよびもつかぬ魔術の達人とも、円熟の人格者とも思えない、というのはさすがに失礼か。

 おれも、父上の魔術師やアーノセノウスから、魔力や魔術についての知識を得ている。魔術師ではないにせよ、多少は話せる相手とシルウェステルも思ってくれたのかもしれない。詳しい術理などは知らないが、術式にはどのような効果があるのか説明してもらうのは楽しいものだった。

 だが、ジュラニツハスタとの戦いでも、延伸という革新的な術式を構築してみせたシルウェステルに、行き詰まっていると打ち明けられたのは何年前だったろうか。


 正直なところ、たとえ上級導師の資格を持っていようが、さほど新しい術式を構築することに興味のない者は少なくない。そのような者にとって、上級導師という地位が、ある意味終着点だったのだろうというだけのこと。

 だが、シルウェステル・ランシピウスにはそうでなかった。

 見習い魔術師よりもひたむきに、魔術と向かい合い、その術理を生真面目に探求するその姿には、魔術学院でもひそかに注目が集まっていた。

 だが、よからぬ者が味方のふりで足を引っ張るのは、どこにでもあることらしい。

 学院長代理だのといった欲しくもない名誉を押しつけられ、かわりに雑用ばかりが増えていくとこぼしていた彼は、次第に鬱屈した様子を見せるようになった。


 そのシルウェステルに、スクトゥム帝国の学術都市リトスの話をしたのは、おれだ。

 おれもまた彼を任務で雁字搦めにし、鳥籠の中に納めていたというに。何もかも振り捨て、自分のやりたいことだけをやるために自由になりたいと願い藻掻くさまを見たいと思っていたのだろうか。

 だが、彼はリトスで魔術陣の研究が進んでいると知らされても、行ってみたいものだとすら言わなかったのだ。あれほど渇望する目をしていたのにだ。

なぜ、そこまで本心を隠す。

 おれはアーノセノウスとの酒席で彼にも強めの酒を飲ませ、本音を引き出すことに成功した。

 それがどんなに苦い物になるか、考えもせずに。


「他国へ遊学するなど、ありえぬことかと存じます。わたくしの生き死にはランシアインペトゥルス王国の定めることにございましょう。ならばなにをしてよいのかを定めるのも、この身ではありません」


 彼は、己の出自を知っていた。

 

「この杯に毒が満ちていたとしても、ただ唯々として干すのがこの身の務めにございます」

「シル」

「今までわたくしを生かしてくださったルーチェットピラ魔術伯家には、感謝を。ですがわたくしはシルウェステル(消えゆく古き影)。兄上はアーノセノウス(輝ける新しき光)。いざという時にただしき処置を受ける者と、その手をもって処置をなさる方。そうではございませんか」

「お前は、それでいいのか」


 震える声で彩火伯が言うと、彼はただ不審そうに首を傾げた。

 諦念に凍てついたその目は、青いくせに闇黒月(アートルム)のように見えた。


「それが、『シルウェステル・ランシピウス』でしょう」


 困ったことに、魔術師は相手の魔力を知覚してしまうため、言葉の真偽が直感的にわかってしまう。

 そしておれも、この目で同じ事ができてしまう。それゆえに思い知らされた。

 シルウェステルは、心底掛け値なく、本当に、いつか殺されるための国の奴隷として生かされていると思っていたのだ。

 一国の現王、その大叔父という身は誇るものではなく、アーノセノウスの溺愛すら、ただランシアインペトゥルスの国益がため、捧げられる日を待っている供犠を宥めるための餌でしかないのだと。

 それは確かに一面の真実である。だからおれも、真っ青になった彩火伯も、何も言えなかった。


それまで強硬に反対していた彩火伯が、シルウェステルにリトスへの遊学を許したのは、その直後だった。

 おれもまたあえてすべきことをなせと、『新しい術式の開発』などという愚にもつかぬ目的をでっち上げ、彼を送り出せるよう、兄王をはじめ各所に働きかけもした。

 それは贖罪だった。淡々としていたシルウェステルの目が輝くためならば、どんな代償を払ってもなしとげるべきだ。

 アーノセノウスもまた、そう思っていたのだろう。

 

 だから、彼が死亡したという一報には、足元の大地が崩れ落ちたかと思うほどに驚愕した。

 確かに死亡はしたが、海神マリアムの御許から戻ってきたという続報にも驚愕した。逆にランシア山のてっぺんに持ち上げられたような気分にはなったが。

 

 骸となって戻ってきたシルウェステルは、氷のような冷たい魔力を纏っていた。しかしロサカエルラのようなその形も色合いも変わらず、それゆえに、かの骸骨をシルウェステル・ランシピウスであると、おれもアーノセノウスも認めたのだった。

 

 彼は海神マリアムの御許に記憶を置いてきたといった。自分の名すら書き表せぬ幼子に戻ったという嘆きは真実だった。

 記憶を失ったというのは、ある意味都合がいい。

 おれたちがこぞって深々と急所に灼けた杭を突き刺すような真似をしたことなど、忘れたままでいてほしい。 

 忠誠に値するかどうかを見るというのなら、よりよい主君であるように努めよう。だから。どうか。


 ……だから、おれは、彼の者に、何を求めていた?


 改めて思い知らされたのは、アーノセノウスが彼を疑い、おれが骸の魔術師に聖堂で発動した魔術陣の処理を命じた時だった。

 

『シルウェステル・ランシピウスとは、そういうものでしょう?』


 戻ってきた彼のはたらきに、彼がシルウェステル・ランシピウスでなくともかまわぬと思ったことに嘘はない。

 だがあの言葉に、記憶を失っていてもやはり、彼は彼であったのだと知った。

 それは蒼白になったアーノセノウスもだったか。


『この身が砕けましても』

 

 おれは命じ、彼は淡々と肯った。

 その身どころか魂が砕け、魔喰ライとなるおそれもあるというに。


 おれも騎士団長という立場上、命の危険を飲み込んで雄々しく戦うことこそ、騎士の本分だということは百も承知だ。

 しかし、あの骸は、魔術師でありながら我が身を省みぬ。

 それは、敵の屍の上に自らの栄光と勝利を打ち立てるという目的を達するため、このようなところで死んでたまるかという思いで戦おうというのではない。

 目的を達成するためならば自身の死亡、いや消滅、再び海神マリアムの御許に向かうことすら受け入れているように見えた。


 戦場には時々彼のような者が存在する。海神マリアムの引き潮に心が乗ってしまった者が。

 親しい者を失った兵。故郷、帰る場所を失った者の心を、彼の神が強く引き寄せるのは、それが御心にかなうからか、それとも痛みを慰撫せんとする慈悲ゆえか。

 アロイスですら、放浪騎士のままでいたら、やがてはマリアムの引き潮に乗っていたかもしれぬ。


 彼ら、此岸へとしがみつく熱を、生を渇望することを忘れてしまった者たちの戦略は、究極的には、よくて相討ち、悪くて相討ちの一辺倒になる。

 相手を確実に殺せるのならば、自分の死など軽いもの。

 どんなに劣勢であっても、自分が死ねるのならば、それで釣り合いは取れる。

 ならば有効活用してやろうというやけっぱちが行動原理なのだから、おそろしい。 

 アーノセノウスに拒絶された衝撃は、そこまであの骸の魔術師の心を砕いたのだろうか。


 アーノセノウスが彼を疑うような、いかなる兆しを感じていたかはわからない。

 だがトルクプッパたちから改めて状況を聞き出せば、彼はアーノセノウスの身を案じるあまり感情を奔騰させ、領主館の大広間を凍らせたという。

 どれだけ多くの魔力を持っているのかという驚愕は感じたが、兄上たちはおれが窮地に陥ったとき、そこまで心を動かしてくれるだろうか、などと埒もないことも考えてしまった。

 そこまで深い情愛を向けられている彩火伯が、少し羨ましいと感じてしまったのは、気の迷いだろう。たぶん。

 その情愛の価値も知らず、彼を疑ったアーノセノウスを、許しがたく感じてしまうなどということも。


 そしておれは、彼が彼であることに安心して、後悔していた。

 おれが骸の魔術師に、シルウェステル・ランシピウスに入れ込むのは、彼もまた期待され持っていることを望まれる価値とは別に、自身であることをしたしく理解し、認めるに足る何かを持っているものとして見てほしがっているからだ。

 近親にも心を向けてもらうために利益を差し出してきた者同士、個を知りたい、知ってほしいという飢えをともに抱えているからだ。

 

 ――咄嗟に彼の身柄を預かると言った言葉は本心であり、本心を表すには少し足りない。

 骸の魔術師は、おれがもらう。

 あやつが受け入れるのならば、アロイスと同じように配下に置き、その価値を認め、飢えを満たしてやろう。

 彼が、おれが満たしたその心をすべて捧げてくれたなら。その時こそ、このおれの飢えは癒やせるだろうか。




 ***



 

 (うずくま)ったまま、どれくらいの時間がたったかはわからない。

 骨身を削るような――いや、全身の骨から顎が無数にニュルニュルと伸びてきて、でたらめに生えた牙を一斉にがちがちと咬み鳴らしているような、異様な飢えは、まったく収まってなどいない。

 だけど、慣れることはできる。


 人はあらゆることに慣れることのできる生物であるとは、むこうの世界の誰が言ったことだったか。

 苦痛に慣れ、快楽に馴れ、愛情に狎れる。慣れないことにも慣れる。周囲に意識を広げられるくらいには。

 

 気がつけば、あたりはすっかり暮れていた。

 鎌刃の杖にすがり、腰の骨を伸ばして周囲を見渡せば、廃園のような場所にいることがわかった。

 近くに立っているのは……ああ。ラームスか。


(  )


 ラームスは、何があったか教えてくれた。

 あたしが聖堂まで飛んだ時には、峻厳伯を閉じ込めていた宿泊所――そこにも身分差や喜捨の金額によって厳然たるランクづけがされている――はほぼ倒壊し、赤黒い触手の中に卵型をした転移魔術陣が完全に構築されていた。

 あたしは結界で発動を食い止めたことはあるが、完全に発動している地獄門を停止したことはない。

 けれども、構造を多少なりとも掴んでいる以上、やりようはある。

 あの魔術陣は魔力と魔力を含んだ物質――人体をドロドロにすり混ぜたような血泥だ――から構成されている。

 物質によって構成されている魔術陣に、物理破壊が有効なのは陣符で確認できたことだ。

 だが、血泥は半流動体だ。騎士たちの武器ではどうすることもできない。

 そうかと言って魔術師を下手に寄せたら、おそらくはあの触手が飛んできて放出魔力の多い餌を喰らい、さらに範囲を広げるのだろうということも理解はできた。


 だからあたしはアロイスに心話で指示を伝え、騎士たちをさらに遠ざけた。

 これは敵前逃亡に思われたらしく一瞬しぶられたが、地獄門から引き離さないと、討ち果たした相手も魔術陣に食われるぞと伝えたら理解してもらえた。

 そうなれば話は早い。出てくる敵は遠距離から迎撃し、その一方で投石帯(スリング)持ちに、発動条件と停止条件をいじった魔力吸収陣を作るはしから渡し、どこどこと打ち込んでもらったのだ。

 

 排出される敵兵の数が減り、次第に小さくなる転移魔術陣がびたんびたんと触手をうねらせるところへ、あたしは一人で突撃した。

 術式を破壊するには、魔術陣に直接触れられるところまで近づかなくちゃならない。まだ百数十人は敵がいようと。

 たとえ敵を排除する(殺す)ことが、地獄門に魔力を与えることになろうと。

 

 むこうの世界にいたときには、フルダイブMMORPG系のweb小説とか読んでたけど、こういう状況に陥るたび、小説じゃ感じられなかったことを感じてしまう。


 めちゃくちゃこわいってことを。


 たとえVRの中でも、防具着けずに木刀で殴り合いをすると考えてさえ怖いと思うが、そこに真剣持たせられたと思ってみねえ。

 それがフルダイブってことは、基本的には五感すべてが現実世界と同等というところから始まっている。

 ならば痛覚だけゲインを下げる?

 いやいや限度ってもんがあるんですよ。そんなことすれば、触覚のバランス狂うから。

 んで触覚のバランスが狂えば、他の感覚とのバランスも狂うという寸法。

 これ、現実とゲーム空間の往復で脳が混乱する原因になるんじゃなかろうか。へんな錯覚とかも発生したりして。


 ましてや、これは、現実だ。


 あたしは別にこれまでずっと綺麗な手の骨でいられたわけじゃない。お骨が借り物な以上比喩的な表現だけど、非道なことも血腥いことにも、ずいぶん慣れてしまったと思う。

 それでも、怖いものは、怖いのだ。

 直接魔術で人を手に掛けた経験こそ少ないけど、アロイスと一対一でやりあったことも、アルボーで三人組やごろつきたちの相手をした時のように、数人単位の相手とやりあったことも、あたしは、ある。

 遠距離対応なら、テルニミスの軍勢に焼玉や鋭利な氷柱を降らせ、天空の円環では星屑たちに同士討ちをさせたように、数十人数百人まとめて罠に掛けたり相手にしたりといったことだってあった。

 それでも怖かった。

 数十人、数百人を相手に近接戦闘をやらかした経験などなかった。

 

 それがどういうことかって?

 あたしが手加減をする余裕なんて、すっぱりなかったってことだ。


 あたしは全方位を均等に知覚することはできる。けれども、それは無数の攻撃を捌ききれるってことではない。

 そしてあたしが使っていた鎌刃は、結界仕様。切れ味の鋭さといったらない。

 命すら、たやすく刈り取れてしまうほどに。


おまけにあたしの知覚能力はやたらと精細だ。

 知覚範囲内の切り裂いた傷口、その動脈から噴き出す鮮血、断たれた毛細血管の断面から点のように膨れ、くっつき合い、滴る静脈血、切り割った骨髄から流れ出るどろりとした髄液、そんなものまで識別してしまう。


 ――そして、そんなものを知覚したあたしは思ってしまった。

 ()()()()()()()()()()()()()()、と。


 たしかにそれまであたしはさんざん魔力を使っていた。一晩エアコン状態も務めたし、うっかり魔力も放出していた。魔力吸収陣を自分もばらまきながら突進していた。

 それでも、まだ余裕はあったはずだ。自分が消滅するかもと思った、アルボー攻めの時ほど消耗はしていなかったと思う。

 だけど、そんな飢えを感じたのは初めてだった。それが、自分で直接人を――たとえ星屑であろうと――殺すということなんだろう。

 飢えと食欲に狂って、そのままかじりついていれば、ほぼ確実に魔喰ライ一直線だったはずだ。

 

 なんとか魔喰ライ化を免れたのは、アロイスたち暗部の騎士、そしてヴィーリとメリリーニャのおかげだろう。

 あたしが魔術陣の術式を破壊すると、血泥は触手や卵形の門の形を保てなくなった。

 頭上から大量の血泥が滝のように降ってくる中、騎士たちはあたしが当たるを幸いなぎ倒した敵兵の残党、地面に叩きつけられた生き残りをさらに昏倒させ、次々と捕縛していった。

 そしてラームスが教えてくれたところによれば、飢餓に抗うのに手一杯で、その場から動けなくなっていたあたしを、森精たちが運んでくれたようだ。

 魔喰ライになるかどうかという状態を抑えるのに、どういう手段を使ったのかはわからない。

 が、ここ領主館の一画、それもかなり奥まった、隔絶された場所――本来であれば、領主の妻や娘といった支配階級の女性用の部屋につながる庭園だそうな――へ放り込み、門番代わりにグラミィから受け取ったラームスたちを植えていったのは彼ららしい。

 廃園じみているのは、周囲の草木がラームス以外すべて枯れ果てているせいだ。

 記憶にはないが、飢えに耐えかねたあたしが、草木の生存可能限度以上に魔力を吸い取ってしまったのだろう。

 樹の魔物であるラームスは耐久性があったのであたしの吸引力に負けなかったというわけか。


 まだがちがちと牙を咬み鳴らす飢えから意識を逸らせるため、あたしは懸命に思考を巡らせた。 


 まさか峻厳伯にまで転移魔術陣が仕込まれていたとは思わなかったが、やはり今後はランシア地方の国々だけでなくクラーワやグラディウスの国々とも協力して、スクトゥム帝国をなんとかしないとならない。


 しかし、地理的に見るなら、クラーワ地方とグラディウス地方は、ランシアよりスクトゥム帝国に近い。

 ということは、両地方の国々の方が、ランシアインペトゥルスより先にスクトゥム帝国と会敵、戦争になるのは目に見えている。そのぶん被害が甚大なものになるだろうということもだ。


 ……認めよう。あたしはクラーワ地方を、そしてグラディウス地方を、スクトゥムに対する盾として使うことを想定していると。それが合理的だと感じていると。

  だが、ランシアインペトゥルス王国のためには。他国を犠牲にしてでも


 ……

 

 待て。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()?()!()

 

 あたしは、大義を背負わない。それはあたしにとって、最大の禁忌だ。

 正義のため、国のため、人のため。

 大いなるエクスキューズ(言い訳)の元に動くことは、とても楽なことだ。自分が善なることを保証し、罪悪感をわずかなりとも薄くしてくれるからだ。

 だけど、それは自分一人の身には負うこともできない罪すら犯してしまう可能性があるということだ。

 自己欺瞞の特効薬なのだよ。大義名分は。

 

あたしは、私利私欲でしか動かない。そう決めている。

 あたし自身やグラミィが、そして必要だと価値を認めた人を生かすという目的(わがまま)のために、そうではない人を傷つけ、この手の骨にもかけてきた。

 そして、私利私欲のままに、あたしはむこうの世界の倫理観を忘れず動いてきた。


 スクトゥム帝国の『運営』も皇帝サマ御一行サマも、この世界の人の命を使い捨てにしている。

 ゲームだから。他人事だから。そんなところか。

 そしてこの世界の人間の倫理観は、信念と規律。わりと命が軽いのは、生死がそこらじゅうにありふれていること、そして騎士の存在のせいだ。

 戦闘になったとき、我身かわいさのあまり逃げ出す人間が多けりゃ、話にならんからね。自分の安全とバーターにできる価値を見いださせる必要があるわけだ。


 だからこそ、あたしはむこうの倫理観を忘れない。

 人の命は地球よりも重いというのなら、むこうの世界はその上に載ってる八十億近い人間の数の分だけ地球がブラックホール化しつつあるのかもしれないが。


 この世界でも、あたしはなるべく人を殺さないようにはしてきた。命を奪わねばこちらが殺されるレベルの、ぎりぎりのところを見極めて、動いてきたつもりだ。

 それでも、直接間接を問わず、あたしが戦闘の発生や殺害に関わった人数はかなりのものに上る。今回のことを加えれば、その桁もさらに跳ね上がったろう。


 だがそれは、あたしがやりたいと思ったから、やるべきだと思ったから、やったことだ。

 手の骨を汚したのが本意じゃないとしても、大義に責任転嫁などしない。

 あたしが自己満足のために、利己的に動いた結果、負うべき責任があるというなら、それはまるっとあたしのものだ。得手勝手に事情酌量されたり、責任を軽減されたりするようなものではない。

 

 人を守りたいというのが自己満足なら、人を助けられず見殺しにすることだって、自己満足だ。

 届く腕の骨の短さを嘆き、罪を数えることがあっても、それもまたあたしのものだ。あたしだけのものだ。

 あたしが個人のエゴで恣意放縦に動き、力不足で犯したあやまちとして、己が骨身に刻み込むべきものなのだ。

 大義名分のために人を殺すことを(がえ)んじれば、どんどん命の価値はあたしのなかで軽くなる。

 それはどうしてもいやだった。ゲーム気分の星屑(異世界人格者)たちと同じ轍は踏みたくない。


 だから、あたしのしたことを、ランシアインペトゥルスの名の下に正しい行為だ、などと定義づけてはならないのだ。

 それは、あたしがあたしであるために必要な最後のプライドと、ランシアインペトゥルス王国に汚泥をなすりつける行為だ。

  

 なのに、今、あたしはなぜ、ランシアインペトゥルスのためならば、人が死ぬのも他国が血を流すのも仕方がない、などと、ゲスな思考をナチュラルにやらかした?!

 

 ランシアインペトゥルスのためならば、自分どころか他人も他国も関係ない?

 そんなわけがない。ランシアインペトゥルスは確かにあたしたちがそれなりに築き上げた地盤も人脈もあるが、唯一無二の存在じゃない。


 なにより、あたしはまだこの世界の人間のことは諦めていない。はずだ。

 星屑たちのことは、そりゃ『運営』の犠牲者じゃなくて、従犯ぐらいには見えているが、それでもガワの人ごと殺してそれで事足れりとするほど、命の弁別に無情になっていたか?


人間の自我はソリッドなものじゃない。人体が新陳代謝を繰り返し、構成する元素を順次入れ替えていくように、自我もまたどんどんと変質していく。今のあたしがむこうの世界の私と同一存在であると認識していても、同時にまったくの別物であることも理解せざるをえないでいるように。

 出会った人や外的環境すべてから影響を受けるどころか、逆らうこともできずひたすら大きな流れに動かされ、極端から極端へと振り動かされた軌跡は、振り返ればただの黒歴史。

 ぎこちなく震えながら藻掻けば、光がさす方向と思い、さらに厚い氷の下へと彷徨いこむ愚行も犯す。

 成長といえば聞こえは良いが、人間とはそんなあやふやな存在であることは、最初から百も承知。

 ただ、同一性を認識している以上、どうしても一点は変わらない。変えようがない。変わるわけもない。

 それが、あたしの場合は、あの禁忌だった。そのはずだ。

 あたしは、どこで、何を、あたし自身から失っている?

 

(おまえは)


 疑問だけが繁殖する思考の中、ふと声が聞こえた気がした。

 

(何者)(おまえは)

 

 それが峻厳伯のもののように感じたのは。彼もまたその問いにだけは真摯だったからどうか。

 

(おまえは)


 ――おまえ(あたし)は、何者だ?

第五章、完!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ