EX.タクススの生業
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「彩火伯さまの御様態はいかがでございましょう」
声を潜めてタクススが尋ねると、クラウスは顔を曇らせた。
「昨晩より、タクススどのの御薬湯をおすすめしておりますが。あれあのように」
示されるままにそっと隙見をすれば、寝台の上で、背を丸めて薬湯を啜るアーノセノウスの姿があった。
寝台を無理矢理持ち込み、病室にしつらえた小部屋で、自棄酒を呷る飲んだくれた老人のようなその影に、二つ名の輝かしさは片鱗すら感じられぬ。
「……拝見しました時から、ずんと気落ちされておいでなのが気に掛かってはおりましたが」
「アーノセノウスさまの自業自得かと存じますが、あまりにもおいたわしく」
案じる目のクラウスの言葉に、タクススは首を傾げてみせた。
「いったい何がございましたのでしょう。昨晩は症状しか伺えなかったのですが」
魔術辺境伯領都に強行軍で着いたのが、辛うじて昨夜の日没間際である。
馬車の行程であちこち軋む身体をなだめ、簡単な診察を行い、それをもとに毒薬全般に使われる解毒作用のある薬湯を作り、わずかずつでも飲むようにと指示はしたものの、それは快復のための地固めにすぎない。
「それは」
ためらう従者に毒薬師は囁いた。
「ああ、彩火伯さまの、ひいてはルーチェットピラ魔術伯家の瑕になるとお思いでしたら、どうかご安心を。このタクスス、医者ではございませんが、薬師として接した方の秘密はこの口からもらしてならぬと、守秘の誓いを負うております」
「薬神パルマコーンの……」
嘘ではない。
薬神パルマコーンは、豊饒の女神フェルタリーテの子神とも侍神ともいわれている。また神への忠誠は主君への忠誠に妨げられないとされているものだ。
蛇の巻きついた天秤という、薬神の象徴の刻まれた護符をタクススが示したこともあるのだろう。あからさまにクラウスは安堵した表情になった。
タクススが王の薬師であるとはいえ、薬神に仕える者として誓いを立てているならば、秘事が国王に筒抜けになるわけではないと考えたからだろう。
だが、パルマコーンが司るは、薬でもあるが毒でもあるものなのだ。そこまで深く知る者は神に仕える者の中でも少ないが。
知る者はタクススたちのような毒薬師、そして彷徨える毒刃の群れたち。
なれどタクススを王の薬師としか知らぬクラウスは、パルマコーンの秘事など夢にも思わぬ。
「つらいことはパーニス種のようなものでございましてね。自ずと膨らんで、酒などでゆるんだ時に。ぽんと破裂することもあるかと存じます」
――ならば、その前に処置を。クラウスどのもお辛いでしょう?
その言葉の毒にぐらりと揺らいだのは、忠義の従者も夢織草にむしばまれていたからだろうか。
一度ほどけたクラウスの心は重荷に耐えきれず、症状の原因を知れば、アーノセノウスに、より効果の高い治療法を探すことができるという言い訳に舌も緩んだ。
それでも、主の失調は最愛の弟君との仲違いがため、そうクラウスがぼやかせば、それだけでそこまで落ち込むのかと、やんわり追及される始末。
相手は王の薬師だ。王宮でアーノセノウスの兄馬鹿ぶりは知れわたっている。
溺愛する弟君に、嫌いになってしまいそうと言われた時には泣きついて許してもらったそうではないですかと、事実を言われてはぐうの音も出ないというものだ。
確かに、いつものアーノセノウスであれば、とうに自分の体面などランシア山の彼方に放り捨てている。すがりついての泣き落とし、失地回復ご機嫌取りと、ありとあらゆることをやってでも、シルウェステルとの和解につなげようと、整わぬ体調も省みずに動きだしているだろう。
ごまかしようもなく、いつのまにかクラウスは、洗い浚いあったことを吐き出していた。
「……つまり、彩火伯さまは、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯に捕らえられ、人質となられた御身をなんとしても助けようと、策を講じられていたシルウェステルさまを、偽物と断じられたと。その後動けぬ彩火伯さまの代わりに、クウィントゥス殿下の名に従い、シルウェステルさまがスクトゥム帝国の罠を無効化なされたと。被害を最小限に食い止められた第一の功労者となられたものの、シルウェステルさまは、クウィントゥス殿下に願って、領主館の一画に閉じこもっておられるため、お会いすることもできず、謝罪の機会すらいただけないと」
「いえ。それだけではございませぬ。もはや『シルウェステル・ランシピウス』の名であの方をお呼びすることはできませぬ」
悄然とクラウスはうなだれた。その顔にはありうべからざることだが、涙の痕があった。
「『骸の魔術師』とお呼びするようにと。生前の記憶を一切取り戻していない身に、シルウェステル・ランシピウスの名は重すぎると。クウィントゥス殿下がそのように禁じられ、あの方をルーチェットピラ魔術伯家からお取り上げなさいました」
「……なんとまあ」
注意深くタクススは、反応を最小限にとどめた。
「どうかタクススどの。クウィントゥス殿下へのおとりなしを願えませんでしょうか」
「さ、それはこの薬師の手には余りましょう。――ですが、頃合いを見て、クウィントゥス殿下に彩火伯さまのお気持ちをお伝えはいたしましょう。彩火伯さまのご快復にあの方の存在は欠かせぬものでしょうから。それくらいは薬師の領分として、お目こぼしいただけるのではないかと存じますよ」
「ああ、それはまことにそのとおりかと!タクススどの、感謝申し上げます!」
深々と頭を下げるクラウスから、にこやかに目をそらしたタクススは、内心ひそかに吐き捨てた。
(ふん。身勝手なことを)
――そもそも、タクススはアーノセノウスに薬湯を処方したのち、昨晩のうちにクウィントゥスから何があったか全部訊いている。
その上でこのような問いをするのだから、たちが悪い。
だが、タクススもウェネーヌムドゥクス、個々人の観点で得た真実ではなく客観的な事実を剔り出し、それをもとに状況を分析せねばならぬ立場にあるのだ。
ややあって、アーノセノウスの病室を離れ、使用人用の通路を足早に歩くタクススの姿があった。
ふらりと戸口から出たところで、王都ふうの身なりをした従者に素早く指を動かして見せる。同じ仕草を返した従者に近づくと、タクススは早口に囁いた。
「【夢織草がことは、星にしたしき方々にさらに深く伺う。それまでは現状通りの治療を施す】」
古アルム語は同じ毒刃の群れの者でもなくば、王族ぐらいしか理解はできぬ。王族の中でも、マクシマムスのように、庶子として王族の教育を受けていないものにはまったくわからぬ言葉であるだろう。
「【パナケイアへ伝えよ。慢性の解毒に必要な種々の薬を用意せよと。特に発汗と排出に効能の高いものを。加工する前のものもだ】」
「【自由地帯での採取は】」
「【許す】」
魔術辺境伯領付近にもあるが、ランシアインペトゥルス王国の内外を問わず存在する自由地帯とは、地理的に各勢力の緩衝地帯として設けられているものばかりではない。
領都などの中心地から遠すぎること、地味の痩せていること、人間の定住に向かぬ場所など、さまざまな要因によって生じるものだ。
だが、そのような場所にこそ、タクススらの求めるものがある。
カルプなど草食の家畜ですら食わぬ植物の中には、毒のあるものばかりではなく、薬効のあるものも多く混じっているのだ。
とはいえ、そもそも毒も薬も使い方によって変わるものなのだが。
手早く指示を出すと、タクススは毒薬師の仮面をかぶり直してクウィントゥスのもとへと向かった。
「どうだ。彩火伯の具合は。今日はずいぶんと念入りに診察だか情報収集だかをしていたようだが」
「いえ、まあ、念入りというより、彩火伯さまのおつきの方にも泣き出されましてね。往生いたしました」
タクススからすれば、アーノセノウスの心情の変化にも気づかず、事前にシルウェステルへの心象を和らげることもできずに、決定的な亀裂を生じさせたクラウスにも責がある。
アーノセノウスの暴走を止めることができなかっただけではない。それどころかアーノセノウスの主張に乗って、あの骸の魔術師へ猜疑の目を向けたというではないか。
重い舌をほどかせて得た真実に、思わずやんわり嫌みを吐いたのは確かにタクススの失態だ。だがいきなり号泣されるとは思いも寄らなかった。
その激烈すぎる反応は、心に毒となる夢織草のせいかとも思ったが、彩火伯とその従者を見るタクススの思いは冷めきっている。
生前の記憶がまったく戻っていなかったことを、あの骸の魔術師は明かしたという。
だがそれは虚偽というべきだろうかとタクススは考えている。
自身もまた複数の名と地位を持つ身である。どれもゆるがせにはしていないが、それぞれの間にはピンと張り詰めた糸のようなつながりがある。
それらが相反し、拮抗したときの苦しさ、不意に失われたときの心許なさはよく知っている。
だからこそ、記憶のないという骸の魔術師を、シルウェステル・ランシピウスと呼ぶべきか否か、受け入れるべきか否かで、今さらのように悩んでいるアーノセノウスたちの姿は、タクススには、ただただおろかしく見えた。
一度受け入れたものは、失うまで手放さなければいいものを。
「――彩火伯さまにお伺いしたところ、昏睡状態になる前後の夢織草の酔いは全身に力が入らず、頭の芯にぼうっと霞がかかったような状態であったそうでございます。また、今も鳥の声すら頭に響き、視界が赤みがかった光に覆われたようにまぶしく感じられるそうで。お話を伺う間もずっと目を細めておられましたが。どうやら、まぶしさのせいばかりではないように思われます」
「どうかしたのか」
「視線が定まっておられません」
目は心の戸口ともいう。王侯貴族は他人にそうそう心理を読まれぬよう、所作の一つとして落ち着いた目の動かし方も身につけるものだ。
だが、かつて魔術伯でもあったアーノセノウスの、それが定まっていないとは。
「どうやら、お心も激しく揺らいでおられるようでございますね」
「……そうか」
それが夢織草によるものだけかはわからぬ。
むしろあっさりとトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯の人質となってしまい、補佐をするつもりだった最愛の弟の足手まといになったという屈辱が、魔術師の誇りを手ひどく傷つけ、妙な方向へとねじ曲げたのやもしれぬ。
もしくは、もともとあの骸の魔術師に抱いていた、なんらかの不満が溺愛余って憎しみに転じていたか。
だが、はっきりとしていることはただ一つ。
「それが判断の狂いを産んだか」
「おそらくは」
だからといって、言葉にしてよいことと、悪いことがあるだろうと、タクススは舌打ちするように強く思った。
「自分の行いに後悔はなされているようにございますよ。『わたしはなにを見ていた』としきりにぶつぶつ呟かれておいででしたから」
だが、拒絶した相手に拒絶されているだけで、そこまで落ち込むものか。ならば初めから拒絶などしなければよかったものを。
「しかし、アーノセノウスがその有様では。この先も、使い物にならぬままだと困るのだがな」
王弟は深く嘆息した。
「彩火伯が元のように快復するには、どれだけかかる?」
「さ、魔術師の方が夢織草を使われた事例は、テルティウス殿下と外務宮の皆様の例しかございませんので、はきとは申し上げられませんが……、魔術暴発の危険もございます。ここしばらくはご無理をなさりませんようにとのみご忠告申し上げます。――あの方との仲も、あの方の今後についても存じませんが」
身体的にはきっちり治しますとも。毒薬師の誇りにかけて。
だが、あの骸の魔術師との仲を取り持てと言われても知らん。ましてや、骸の魔術師の身柄を、ルーチェットピラ魔術伯家に戻すのを手伝えと言われても、する気はない。
そう、暗に言い切られて、王弟は苦笑した。
「アーノセノウスのしでかしたことが、それほど気に食わんか」
「いえいえ。とんでもないことにございます。彩火伯さまのご所業、一介の毒薬師風情が気に食おうと食わまいと、さしたる問題はございませんでしょう。……ですが、あの方は気になさっておられるのでしょう?」
「だからひっこんだままだ。舌人どのすら拒絶しているものだから、舌人どのまで消沈したままだ。してまたあれが骨を露わにした姿を見た兵たちも、恐れて近づこうとはせん。本人もそれを良いことに、ますます人から遠ざかろうとしているように思われてならん」
「さようでございますね……」
厳しい表情になる毒薬師を、クウィントゥスはまじまじと凝視した。
トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領に不穏の兆しあり。
ランシア街道を封鎖され、伝書鳥も捕らえられているおそれありとフルーティング城砦からの報せを受け、王都ディラミナムを発つ直前、クウィントゥスはタクススを呼んだ。
毒、それも夢織草に詳しい毒薬師を魔術辺境伯領へ送るように依頼するためだ。
トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領は最南端にある。スクトゥム帝国に最も近い地であり、以前テルティウスやボヌスヴェルトゥム辺境伯が、海路を通って運ばれたとおぼしき夢織草に酔わされたことを考えれば、警戒をするにこしたことはない。
だが、タクススがいくら腕利きとはいえ、彼は王の毒薬師である以前に、彷徨える毒刃の群れの長である。表面上は一介の毒薬師として扱おうとも、その裏の顔を意識せずにはいられようか。
そこで、当人ではなく、夢織草の知識のある配下を一人借りようとしたのだが。
『さて、お訊ねの者は、わたくしぐらいしかおりませんな。知識を伝える者、伝えられる者は多うございますが、わたくしのように身をもってその効きを確かめた者は、そうそうおりますまい』
それに、骸の魔術師もフルーティング城砦にはおいでなのでしょう?
そう笑顔で言われては、強いて無理に他の者を推挙せよとは言えぬ。
むろん、その腕に不足はない。ないのだが。
この飄々とした人型の毒刃を兄王のように操るには、力不足を痛感せずにはいられない。
そして骸の魔術師に対する思い入れの深さも。
「ともかく、引き続き解毒を頼む。アーノセノウスだけでなく、その側仕えにも」
「かしこまりましてございます」
丁寧に毒薬師は礼を取った。
「そういえば、薬の中には、心も癒やすものがあると聞いたが。使えんのか?」
「ないわけではございませんが、彩火伯さまに用いるのは、夢織草が抜けぬ限りは難しゅうございましょう。シルウェステルさまは」
「その名を使ってはならぬ」
「さようですか。では、ご当人にお会いして、どのような呼び方を好まれるか、伺ってから定めましょう。――あの方は、わたくしの薬など届かぬ御身でございますし」
そのあっけらかんとした口調に、クウィントゥスは思わず吐息をついた。
「タクスス。お前は」
「はい?」
「あやつが『シルウェステル・ランシピウス』でなくてもいいのだな」
「ええ」
タクススはけろりと肯定した。もとより名より実をとるたちである。そもそも名前が変わったところで、あの骸の魔術師が別人になるものか。
しかも、タクススが杯をして認めたのは、まぎれもなく今の、骸の魔術師である。
どうやる毒の効かぬ身体であるらしいと、魔術をして骨の間に杯の中身を通したのだとは知ったが、それでもあえて杯を傾け、タクススの命を救ったのが骸の魔術師であることには変わりがない。
ならば、名前が変わったくらいで恩誼を忘れるわけがあろうか。
むしろ、わずらわしい爵位や地位がないのなら、対等のつきあいを願い、朋友と呼ぶことも許されるやもしれぬ。
そう思うだけで口元が緩むほどだ。
「タクスス」
「なんでございましょう?」
「彩火伯の所業、夢織草に酔わされたせいもあるのではないかと、そなたは言ったな」
「御意。ああそれと、『お前』でよろしうございますよ」
毒刃の群れの長ではなく、毒薬師の一人として扱うようにと釘を刺したが、クウィントゥスはそれかまわずさらに言いつのった。
「そのことを、骸の魔術師に伝えた方がよいのではないか?」
「……伝えたとして、何が変わりましょう?」
やんわりとした口調だったが、王弟は打たれたように口を閉じた。痛烈な一言だった。
嘘ではないにせよ、本心から出た言葉でないとわかれば、いくぶんその傷心も宥められるのではないかと思っての言葉だった。
が、毒薬師がばっさりと切り倒したように、すでに謝罪と理解でなにもなかったかのように、互いに互いを受け入れられる段階では、確かにない。
だからこそ、そのまま互いに傷つけ合うよりはと猶予を与えるつもりで、クウィントゥスは骸の魔術師の身柄をルーチェットピラ魔術伯家から預かったつもりだった。
だが、それっきり当の骸の魔術師は、領主館の中でも人気のない、奥まった一画に引っ込んだままだ。
黒髪の星詠みの旅人がやってきて伝えたことだった。
人を喰らい敵を吐き出す、あの厄介極まりない魔術陣を閉じきったのは、他人の術式をも砕き、放出魔力を皆無に抑えきることのできる、あの骸の魔術師だったという。
だが、不安定になっているので、なるべく人を近づけないようにと。
足りぬ言葉を補えば、どうやら術式に喰われるか、それとも自身が魔喰ライと化すような危険を冒したらしい。
しかし、彼の不在が魔術師たちの士気を大きく引き下げる要因となっている。
フルーティング城砦から来た魔術師たちは、もともと骸の魔術師に好意的ではある。
それゆえ彼らは、落ち着いた様子でトルクプッパに接触し、骸の魔術師との対面を願ってきたという。
トルクプッパもフルーティング城砦でともに過ごした魔術師である。その上骸の魔術師とのつながりも深い。ならば直接骸の魔術師と会うこともできる手蔓と思われたのだろう。
彼らの狙いは悪くない。
峻厳伯らを捕縛した段階で、アーノセノウスの意識はなく、魔術師の中で最も地位が高い者は、彩火伯の弟にして魔術学院の名誉導師である、あの骸の魔術師であった。
ならば、いち早く彼に接触し、指示を受け、その意を叶えようと動くことは、彼に取り入り、取り巻きとなり、その中で立場をよりよいものにするために必要なことだ。当然の動きといえよう。
好悪にかかわらず、とはいえ、魔術師として格上を慕っているのならばなおのこと。
アーノセノウスとの間に確執が生じたらしいと彼らが聞きつけた時には、いっそうその動きは激しくなった。
骸の魔術師が彩火伯にどのような思いを抱き、どのような考えを持って動こうとしているのか。ルーチェットピラ魔術伯家から離叛し、クウィントゥスの配下に完全に入ろうとするも、彩火伯と和解しようとするにしても、いち早く知ることができれば、それだけ早く対応を決めることができるからだ。
だが、骸の魔術師は、兵を喰らい敵を吐き出すあの魔術陣の始末を終えたのち、トルクプッパはおろか、舌人の老婆ですらそうそう近づけようとはしなくなってしまった。
それゆえ、魔術師たちは動揺した。今もってその動揺はおさまっていない。
それを無理矢理クウィントゥスが、配下の一人であるトルクプッパを使って指示を出し、従わせてはいるものの、今のままでは魔術師を戦力として期待することは難しい。
「アーノセノウスもそうだが、あやつも早く元に戻ってくれぬと、わたしが困るのだがな」
王弟はふたたび嘆息した。
クウィントゥスは武人であり、魔術師ではない。命令には基本的に絶対服従である兵の指揮を執ることには慣れていても、個人主義の魔術師の指揮には慣れていない。
魔術師は魔術師の指示にしか従おうとはしないということもあり、これまで高位の魔術師、ないしは魔術伯のような貴族に指示を任せていたこともある。
だがそれは、いつまた人喰いの魔術陣のようなスクトゥム帝国のしかけが発動しないとも限らぬ、この現状を変える力をクウィントゥスが持たぬということでもあった。
「魔術士団にも増援を求めるか否かは、クウィントゥス殿下のお決めになることですから。わたくしが申し上げることはなにもございませんが」
「だったらその薄ら笑いをやめろ」
「おや。これは失礼を。あの方のすばらしさが、我がことのように喜ばしく思われましたもので。つい」
タクススは真顔になった。
「お互い、人の言葉が真実であるとわかってしまうというのも、なかなかに面倒なものでございますね。魔術師の方々も。――その目をお持ちの殿下も」




