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猜疑(その1)

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 突然の言葉は、あたしを世界から遮断した。

 分厚いアクリル越しに見る水族館の魚たちの方が、まだ隔たりを感じないだろう、などとむこうの世界の事物と比較してしまうのは、現実逃避だろうか。

 シルウェステルさんでないことがとうとうばれたかという恐怖も感じず、どこか平静を保ったまま、睨みつけるアーノセノウスさんの目を見返せるほどには、現実感を失っていたようだ。

 そこに割り込んできたのはクウィントゥス殿下だった。


彩火伯(さいかはく)どの。まだかけられた毒が抜けておらぬのではないですか。正気に戻られよ」

「お言葉ですがクウィントゥス殿下。わたくしの頭はとうに冷えております」


 アーノセノウスさんが答えると、王子サマは光る目を細めて、アーノセノウスさんの顔を見つめた。

 たしかに、血の気はまだ戻らず、その放出魔力(マナ)はふいに弱まったりと揺らぎを示しているものの、アーノセノウスさんの受け答えは正常に見える。

 夢織草(ゆめおりそう)(いぶ)された身体的な影響は頭脳にまで及んでないと見るべきか。

 だが、酔っぱらいは酔ってないというものだ。


 あたしたちがぞろぞろとこの仮の病室に入ってきたときから、確かにアーノセノウスさんはいつもと違っていた。

 シルウェステルさん(あたし)を見た瞬間に破顔一笑、パーソナルスペースに入り込むほど間近く接し、グラミィをはねのけてでも、あれこれと世話を焼こうとしてくれるのが、いつものアーノセノウスさんだ。

 もちろん、昏倒していたのだから、いつものアクティブさは見られなくても当然だが、それでもシルウェステルさんを見れば、表情が明るくなるくらいの反応はありそうなものだが。

 

 けれど、アーノセノウスさんは、あたしたちを見て一瞬ぴりっと眉をしかめたのだ。

 すぐさま表情を取り繕いはしたものの、アーノセノウスさんはいつもより距離をとって、あたしたちを見ていた。今思えば、クラウスさんがアーノセノウスさんの身の回りのお世話をこまごまとしてたのって、やんわりとしたフォローだったのかも。


 だが、アーノセノウスさんが自発的に離れてくれるのは、あたしたちにとっても都合がよかった。だから、二人の不審な反応をスルーしてたところはある。

 あたしとグラミィは、この仮の病室に入ってから、あまりアーノセノウスさんに近寄ってはいない。二人とも保有魔力が多いからだ。

 ヴィーリの話によれば、夢織草の酔いで魔力が不安定になった者に、森精たちはなるべく近づかないのだそうな。

 なぜなら、放出魔力の多い者が十数人も近づいたり、本人に心話で直接話しかけたりすると、その不安定な状態をさらに悪化させてしまうことがあるからとか。

 ということは、アーノセノウスさんとクラウスさんに近づくことはあまりよろしくないのだろう。という判断、だったのだが。


 一応、クウィントゥス殿下には事情を伝え、お見舞いの言葉はグラミィに口頭で伝えてもらってはいる。「『兄上、ご気分はいかがでしょうか。ご不便はございませぬか?』とおっしゃってございます」とね。

 だけど、それにも答えず、クラウスさんの手を借りて立ち上がったアーノセノウスさんは、突然あたしにその杖を向けてきたのだ。

 

 あたしが対応に迷っていると、アーノセノウスさんがさらに衝撃発言をした。


「夢織草の煙に酔わされ、身体は意のままにはなりませなんだが、それでも耳と頭は動いておりました。こやつらを峻厳伯が懐柔するさまは、途切れ途切れではありますが、聞こえておりましたとも。峻厳伯の言語道断な申し出も。パラリーリスバイデント魔術子爵位を示し、嫡男として迎え入れようなどと申し出てまいったのでございます。烏滸の沙汰と申すべきでありましょう。――それを、言下に退けるどころか耳を貸そうとするとは。こやつらもまた、ランシアインペトゥルスに隔意ありとみなすべきにございましょう」

「いえ、それは」


 口を挟もうとしたグラミィをアーノセノウスさんはつめたく一瞥した。


「たしか、『まことに効率が悪うございますな。使い潰して省みないなど。考えが足りぬにほどがありましょう』だったか。世外(せがい)(もの)とかいったか、魔術辺境伯領に連れ込まれた者がいかなる死に様を迎えたか、するどく推察してみせながら、より高度な搾取のしかたがあると暗示する?どのような恐ろしい手段を教える気だったのか。――クウィントゥス殿下。あれで峻厳伯は、この者どもを排除ではなく取り込むべきと判断したようにございます」

「……ほう」

「我が耳が聞き及ぶ限り、峻厳伯は何度も繰り返しこやつらに味方となるように求めておりました。それだけの執着を見せ、しかもわたくしを捉えていると明らかにしたところで、我が弟なれば、峻厳伯の身柄を拘束すべきでございましょう?なれどこの者らは、わたしを救いにくるどころか、峻厳伯とのんびりと会話を交わし、わたしを束縛していた魔術具に、のんびりと感嘆する始末。そんな暇があったら、結界だったか、使える術式などなんでも使って、わたしを救出することすらたやすかったのではございませんか?」

 

 いや、身体が動かなくて、目も開けられなかったのなら、自身に剣を擬されていたのも見えなかったんだろうけど。あたしたちもアーノセノウスさんを盾にされてた状況だったのだ。

 何が何でもアーノセノウスさんの命、そして身の安全が最優先って場面だったのは疑いがない。

 だけど、そこで強襲をかけなかったのがまちがいだと、アーノセノウスさんが言うのか。

 

 たしかに、より穏便に、もしくは気を抜かせるために、遠回りな交渉という手段を選択したのが、平和ぼけした異世界人(墜ちし星)のミスだといわれたならそれまでだ。

 発言権預けてたら、グラミィってば峻厳伯を持ち上げたりしてたし、そのせいでやけに峻厳伯が気を許したりしてたけどさあ。

 だけどその結果、時間稼ぎのためグラミィに捏造してもらった発言も、全部信じ込まれている、というのは、ちょっとショックだ。

 空気の動きで周囲の人の様子とか。感知できなかったのかな。できなかったんだろうな。

 せめて、魔力感知能力を働かせてくれてれば、こんな誤解は生じなかっただろうに。


 ……ひょっとして。あの魔術具の布か。

 峻厳伯は、あれが魔力を遮断すると言っていた。アーノセノウスさんはあれでぐるっと全身包まれてた。

 遠目で見た感じ、手枷や足枷のようなものはつけられてないと思ったが、束縛を受けていたということは、あれ自体が拘束衣のようなものだったのかもしれない。あたしやグラミィの魔力が読み取れないほど、魔力知覚を妨害されてたのだろうか。

 それとも、あの大広間は、あたしとヴィーリが膨大な魔力を垂れ流したせいで、魔力感覚に対する刺激は飽和状態になっていたせいなんだろうか。

 魔術士団の人たちにも大丈夫か訊いたが、どうやらあの時大広間にいて、二度も魔力に曝された人たちは、魔力感覚が一時的に麻痺していたようだし。轟音で耳が聞こえにくくなるようなものだろう。

 

 どっちがどう影響したかはわからないが、魔力知覚が鈍化した状態で聞いたのだろう。魔力を読まれりゃ、上っ面だけ峻厳伯に合わせてるのだとはっきりわかりそうなグラミィの捏造発言を、アーノセノウスさんは言葉通り峻厳伯に好意的なものと捉えてしまったようだ。

 いや。それだけじゃないのだろうか。

 アーノセノウスさんは今あやふやな心証しか言ってないけど、あたしがシルウェステルさんではないという、はっきりとした証拠を掴まれてしまっているんだろうか。

筆跡の真似はかなりうまくなっているんだけどな。


「そもそも、なぜわたしと心話を交わそうとしない?幻惑狐(アパトウルペース)や舌人越しでなくとも、会話はできるはずだ」


 いや、だって危険だから。


 たしかに心話は便利な手段だ。魔物にも意志や感情を伝えることができるし、切り札に足る通信手段だ。

 だけど、どのような影響が出ぬとも限らないものでもある。

 これも前にヴィーリから聞いたことだ。心話は魔力を直接ぶつけあうようなものだと。投げる雪玉だけで意思の疎通をしている雪合戦みたいなものらしい。

 それに、魔術で顕界した炎はものを燃やし、飛礫は相手を打ち倒す。ただ膨大な魔力をあらわしただけで、それは威圧へと変わり、心を削る。

 他者へ魔力を及ぼすということは、それだけ相手にダメージを与えるということなのだ。

だから、あたしは、よほどの時でなければ心話を人間相手に使うことはない。

 魔術士隊のベネットねいさんに使ったのは、……集団暴行レイプ寸前だった彼女を、落ち着かせる必要がわりと早急にあったせいだし。

 アロイスに使ったのは、……いきなり襲われたからなあ。襲撃を断念させるために、意思の疎通を図らないとまずかったからだし。

 いくら魔喰ライだと疑ってたからって、アロイスってば、あの時本気であたしを殺しにかかってきてたもんなあ。

 彼らに話しかけたときには、この世界の文字について、欠片も知識がなかったし。筆談って手法も採れなかったって事情もある。

 じゃああたしはどうなんだ、とグラミィには拗ねられたけど。多分大丈夫でしょ。だってグラミィだし。

  

 もちろんあたしとグラミィだって、対策をしてないわけじゃない。

 一番大きいのが、ラームスたちを通じて心話を交わしていることだ。単なる盗聴対策じゃないのよこれ。

 樹の魔物の人間とは異なる波長のため、何が伝えられているかわかりづらいだけじゃない。共生している彼らと直接接触していることもあり、おだやかな魔力で出力を抑えて意思を伝達してもらえる。ダメージ軽減につながるというわけだ。


「彩火伯どのは、以前もそのような不満を漏らしていたな」

「わたしのシルならば、今とて真っ先にわたしの身を案じ、駆け寄ってくるはず。わたしと直接話すことすら拒絶するようなわけもございますまい」


 なにそれ。アーノセノウスさんがシルウェステルを溺愛してるから、シルウェステルさんから溺愛されてて当然だということ?

 

 ちらりと以前の兄バカぶりをのぞかせるアーノセノウスさんの前に、クラウスさんが空気一つ動かさずに進み出た。

 その目は、あたしたちへの警戒と動揺を示していた。

 どうやら、クラウスさんも、アーノセノウスさんの猜疑に染まってしまったようだ。

 

「そもそも、シルならば必ず上の者に諮る。従う。ことさら他領に潜入し、密偵の真似をするなどという放恣な事を自ら発案するわけもない」


 ……発案するわけもない?


 眉があったらひそめているあたしの前で、アーノセノウスさんはさらにグラミィを睨んだ。


「誰かにそそのかされでもしなければ、するわけもない。よほど身近な者にでも使われなければな」

〔って、あたしがボニーさんをたぶらかしたとでも言うつもりかこのブラコン!〕


 かっとしたグラミィが足を踏み出そうとしたが、あたしは杖を(かんぬき)にして止めた。


〔ボニーさん!〕


 いいから黙っておとなしくしときなさい。


〔いや、ボニーさんだって馬鹿にされてるでしょこれ!なんで、そんなに、冷静でいられるんですか!〕


 別に冷静なわけじゃない。ショックで麻痺してるだけってこともあるんだろう。

 それと、情報が欲しいだけだ。

 こんなにいきなり、あたしをシルウェステル・ランシピウスの偽物と、アーノセノウスさんが断じるような何かがあったのか知りたかった、のだが。


「答えよ!お前は何者だ!」


――ああ。だけど。

 これは、だめだ。


 アーノセノウスさんの怒声にクウィントゥス殿下の目は冷え、クラウスさんの目は暗く燃えている。

 トルクプッパさんはほとんど恐怖しているかのような顔であたしとグラミィを見比べている。


 タイムアウトだ。これ以上時間を掛ければ、猜疑はさらに広がり悪化する。

 ならば、あたしのすべきことは。


 ……いつかは、ばれる日がくるだろうとは思っていたことだ。

 だけど、それが、今日だとは思ってもみなかった。それだけのことだ。

 こんなにも、やがて時がくるはずのことに、衝撃を受けているのは。

 

どうやら、あたしは案外、どうしようもなくブラコンで、ええかっこしいで、身内にだだ甘で過保護の上ににも過保護なくせして、王族相手にすら、天上天下唯我独尊マイペースを貫くこのおじいさんを、けっこう気に入っていたらしい。

 

 そうでなければ、なぜこんなにも足元に穴が開いたような気持ちになるものか。

 シルウェステル・ランシピウスではないと、お前はわたしの弟ではないと言われたことが、こんなにもさみしいとは。

 本当のことなのにね。

 それでも、できることならこんな時は来てほしくなかったよ。


 溜息をつけたら、諦めを深々と吐き出していただろう。

 それもできぬまま、――あたしは、覚悟を決めた。


 杖を取り直すそぶりを示しただけで、クラウスさんがわずかに身を沈めた。

 警戒されて当然だな。だけど、あたしがするのは敵対ではない。

 庇われながらも身構えるアーノセノウスさんたちの前で、胸骨の前で真横に倒した杖の中ほどを掴み直す。

 あたしはそのまま90度横へ杖を向けた。

 グラミィへ差し出すように。


〔ぼ、ボニーさん?!〕

 

 グラミィ。頼むわ。

 シルウェステルさんの名前を騙った以上は、その責任を取らにゃなるまい。

 だから、これからあたしは『生前の記憶をなくしたシルウェステル・ランシピウス』という、これまで騙ってきた身分に沿って釈明……というか、辻褄合わせをする。

 そのためには、本気でシルウェステルさんを演じ、彼らの心理すら先読みして、動かさなきゃならん。

 あたしの指示通り動いて、伝えるとおりに通訳をしてくれ。一言半句すべて。

 うまくいくかどうかは、あんたにかかってる。


〔……わかりました〕


 小さく頷いたグラミィは、受け取った杖を、アーノセノウスさんたちの手前へゆっくりと置いた。

 

 基本、魔術師は、杖がなければ魔術が使えない。

 だから魔術師が自分の杖を手放すというのは、完全武装解除を意味する。

 ま、あたしとグラミィは使えちゃうし、そのことを彼らも知っているだろう。

 けれども帰順を示す一つのやりかたを示した以上、無条件降伏とは見てもらえなくても、少しはこちらの言葉に耳を傾けてくれる余地は残る、はず。

 それとラームス。

 

(  )


 森精の樹杖の枝からも了承の返事をもらったあたしは、あらためてアーノセノウスさんに仮面を向けた。


「……『このような身が兄上と呼びかけることすら不快であり、穢らわしいとお思いになるのでしたら、いかようにお呼びしたらよろしいでしょうか。彩火伯さまとでも?』と申しております」


 きびしい顔のアーノセノウスさんは無言のままだ。肯定として進めるぞ。


「『では僭越ながら彩火伯さまとお呼びしま』、す?」

〔ボニーさん……〕


 本気で戸惑ったんだろう、グラミィがあたしを振り向いた。


「どうした。言い分があるなら申すがよい」

「は……、ですが」

 

 王子サマが促してくれたが、グラミィはすごい顔でためらった。


「なんと言ったのだ」


 いいから。きっちり伝えて。一言一句変えないでとお願いしたでしょ?

 あ、いろいろ心配なら、まずこう伝えるといい。


〔どうなっても知りませんよ!〕


 やけくそ気味の心話の後、グラミィは諦めたように口を開いた。

 

「『ただいま、このグラミィの言葉はすべてわたくし、この骸骨の申すこと。ゆえに申し上げる事にお腹立ちもありましょうが、それはすべてこの老婆の責にあらず、わたくしの罪に数えていただきたく』と、まずはお伝えせよと」

「……言うてみよ」

「では。申し上げます。彩火伯さまになのですが、『あなたはそこまで愚か者でしたでしょうか』と」


 おまえはアホか(ド直球オブラートゼロ)。

 

 一瞬、室内は静まりかえった。

 あたしが弁明一辺倒になると思ってたところに、いきなり罵倒されたと思えばそうだろうさ。

 

「なんだと」


 グラミィが喉をひくつかせたのも道理。

 アーノセノウスさんの声は静かだが、怒気がすごい。抑えに押さえ込んでいるが、放出魔力が刺さりそうな勢いで放射されているのがわかる。そらそうだろう。

 だが怯むなよグラミィ。言ってることがひどいのは重々承知。だけど、このタイミングでアーノセノウスさんを煽るのにも理由がある。

 それは、夢織草に酔わされ、アーノセノウスさんが魔力だけでなく、精神的にも不安定になっている、今この時でなければ、深々と刺さらないこと、刺すべき言葉があるからだ。 


「『では、この烏滸の沙汰をなんと説明なされます。このような時に、このような場で、敵の面前でわたくしを責めることが、今後スクトゥム帝国とのいくさにいかなる不利益をもたらすものか、お考えになれぬ彩火伯さまではございませんでしょうに』」


 気圧されながらも言い返してくれたグラミィの言葉に、アーノセノウスさんが僅かにたじろいだ。クウィントゥス殿下もかすかに頷くのが見えた。

 

あたしが言っているのは、仲間割れすんな、それも敵前でやらかすなという当然のことだ。

 だが、その当然のことを、この場で言うことに意味がある。


 なにせ、今、この魔術辺境伯の領主館にいるのは、色合いの違いまくった混成部隊である。

 クウィントゥス殿下が一応の旗頭じゃあるが、フルーティング城砦からやってきた魔術士団の一部に暗部所属の騎士たち、ヴィーア騎士団。

 それに加えて、アーノセノウスさんたち、ルーチェットピラ魔術伯家の人々に、あたしたち。

 幻惑狐たちは抜きにしても、森精のヴィーリやメリリーニャまでいるというね。


 対スクトゥム帝国シフト全体に広げて考えるなら、フルーティング城砦でのお留守番組まで含まれるだろう。

 そうなれば、クランクさんたちランシアインペトゥルス王国の人間ばかりじゃない。マヌスくんといった他国の王族だって関わってくる。

 

 だから、空気読めよとあたしが発言したのは、ここで騒ぎ立てれば、ルーチェットピラ魔術伯家やクウィントゥス殿下の体面に関わることになること、少なくともあたしはそう意識していることを彼らに伝えることでもある。

 てか、今でさえ、ルーチェットピラ魔術伯家の、うちうちのことに納めておくことができたはずのことを、クウィントゥス殿下に暴露してしまってるって時点で、問題の処理としては甘い。

 下手すればクウィントゥス殿下の功績を汚すことにもなる。

 だが、それをあたしは望んでない。そう主張することにもなる。


〔うわ腹黒〕


 グラミィが心話で呟いた。うっさい。

 

 もちろん、多少なりともクウィントゥス殿下の心証を良くしよう、そうすれば生前のシルウェステルさんへの評価抜きでも、あたしとグラミィの二人羽織状態の言葉に中立から友好よりの立場で耳を貸してもらえるようになるかもしんない、という下心がないわけじゃない。

 その一方で、アーノセノウスさんの精神的な基盤にも攻撃を加えているわけだ。

 前ルーチェットピラ魔術伯爵家当主という公の身分に依る部分と、溺愛していた亡き弟のふりをしたペテン師に騙された兄という私的な感情に由来する部分、その間に言葉の楔を打ち込むことで。

 公的な人間として批判のできない立場を主張したのだ。

 次は、シルウェステルさんではないあたし憎しで凝り固まっているのなら、あたしをシルウェステル・ランシピウスとしてアーノセノウスさんが見極めた時のことを指摘してもらおう。

 グラミィ、頼むわ。

 

「『今、ここでどうでもわたくしに杖を構えねばならぬわけがおありだというのなら、すでに彩火伯がお怒りをこうむった身、何度でも言わせていただこう。愚かなことをと。このようなところでことを起こすのでしたら、いっそのこと、初めて彩火伯がわたくしを御覧になったあの刻に、後ろから火球を打ち込んでくださればよろしかったのですよ。クウィントゥス殿下の御前にて、マールティウスどの、いえ現ルーチェットピラ魔術伯さまの御前で』」


 王猟地で初めて会ったとき、ではない。

 アーノセノウスさんがあたしたちを見極めたのは、王都騎士団の本部、クウィントゥス殿下の本拠地の隠し部屋でのことだったはずだ。あの時既にアーノセノウスさんはあたしたちを一方的に観察していたのだから。

 そして、最初からあたしの主張は変わっていない。


「『わたくしは』」


 この世界で最初に知覚したものを思い出しながら、あたしはグラミィに心話を伝えた。

 放出魔力を知覚することで嘘発見機能があることは、お互いにわかっている。

 ならば、嘘を言わず、本当のことだけを言い続ければいい。

 当時の心情を思い出しながら伝えれば、感情すらもリプレイされるというのが人間というものだ。


「『なにゆえこの世にあるかを知らず。気づいた時には、ただ、赤い月を見上げておりました』」

「なにを」


 アーノセノウスさんが眉を寄せた。グラミィはかまわず続けた。あたしがお願いしたとおりに。

 

「『わたくしがこの姿になりました時、紅金の月(カルランゲン)の名すら知らず、我が名も知らず、ただそれまでのおのれはこのような身体ではなかったような違和感のみを覚え。わけもわからぬまま、なにゆえわたくしがこのような姿で在るのか、しるべはおらぬかと、ただ足の赴くままに名も知らぬランシア山を下りました。この者と出会ったのちも、我が誰ともわからぬまま、一揃いの骸としてただ動いておりました』」


 そう、あたしが語るのは事実だ。

 

「『ランシア山にて紅金月の光を浴びたあの時より、わたくしには、このような身になりはてる前のシルウェステル・ランシピウスの記憶がございません。最初からそのように申し上げております。そして、今もって生前の、この身が肉を帯びていたころの記憶は戻っておりませぬ』」

「待て」


 王弟は驚きの混じった声を上げた。


「それでは、それほどの魔術の腕前になってもか。まだ記憶は戻っていないというのか」

「『御意』」

 

 あたしはクウィントゥス殿下にむかってわずかに低頭してみせた。

 するとグラミィ以外、部屋の中にいる人間すべてが顎を落っことした。


 ……そんなに驚くってことは、ひょっとしたらみなさん、あたしが記憶をある程度取り戻してるとでも思ってたんだろうか。

 まあ、そりゃねえ。

 普通に魔術学院に入り、そこそこ研鑽を積んだ魔術師にも、空飛んだりとかできませんから。

 ということは、それ以上にあたしが魔術知識を――それこそ、以前の記憶からでも――引っ張り出してこれてるんだろう、ぐらいに思われてもしかたないのかな。


 正直、あれは仕掛けと思考実験の積み重ねによるものだ。

 だがその根底は、あたしが自力でこの世界で得た知識にある。

 ヴィーリが魔力制御と増大法を教えてくれたからこそ、アルベルトゥスくんやアーノセノウスさんたちに魔術の指導を受けたからこそ、そしてシルウェステルさんの遺した魔術陣の数々を読み解き、魔術学院で彼の遺産を受け継いだからこそ、今のあたしが存在する。

 ……自力と言いながらも、その八割方は、生前のシルウェステルさんのおかげと言えるだろうけど。

 

 ならば、その恩誼は返さなければなるまい。彼の名を騙った以上は、それにさらに利子をつけて。

 そのためには、あたしは、最後までシルウェステル・ランシピウスでいなければならない。

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