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急襲

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

「なんだと」

 

 長口舌をぶった切られ、不愉快そうだったトゥルポールトリデンタム魔術辺境伯も、さすがに顔色が変わった。近臣たちもだ。


「詳しく申せ」

「は。突如ランシア街道より、数百騎が接近。危険を察知し、緊急に閉めました街門の前で、前ルーチェットピラ魔術伯を救えと。(とき)の声を上げましてございます」


 激しく息をつきながら、兵士は()れた声を振り絞った。


「応戦はしておりますものの、街門の守りは薄く。至急応援の兵を」

「おのれ」


 峻厳伯はばりばりと歯を噛みならした。


「ヴィーア騎士団の卑怯者どもめが!」


 ……なんだろう。無性に助走をつけて、ブーメランで後頭部をぶん殴ってやりたくなるなあ。

 お骨なあたしはともかく、メリリーニャやアーノセノウスさんに夢織草(ゆめおりそう)を使うなんつー真似をしてくれやがりなさった、あんたにだけは、他人を卑怯と罵る資格は欠片もないと思うんだが。


「ええい、門衛どもも何をしていた、すぐさま知らせを送るほどの能もないのか!」

 

 だけど、その疑問には同意しよう。真っ昼間だからこそ油断したといってもなあ。


 凶報を知らせた兵士は家臣に介抱をされていた。

 がっくりと膝を折り、せいせいと背中で息をしているせいか、その細身はひどく頼りなげに見えた。その放出魔力(マナ)も、大広間の魔術師密度が高いせいか、えらく少なく見える。

 いや、物理戦闘特化型にしても少ないのだろうか。


(ちのにおい)


 幻惑狐(アパトウルペース)たちの鼻に匂ったのは、まちがいなく人血だった。

 もとの色目も解らぬほど、どっぷり染まった鎧も肌も、返り血ばかりとは思えない。

 頭に巻いた布も真紅に変じ、見たことのない紫がかった不思議な色合いの髪を伝って、赤い滴がぱたりと落ちた。

 失われたのか、腰の鞘に剣はない。

 どう見ても交戦した後、伝令を口実に引き上げさせられた負傷者のようにしか見えない。

 こんな満身創痍の外見で、ようよう辿り着くとは。

 確かに街門を急襲されたというなら、伝令はもっと早い段階、それこそ接敵される前に飛ばされそうなものだ。

 

 てゆーか、戦闘が発生するなら、必ずその前になんらかの動きがあるはずだ。騎士たちが集団で動けば噂になるし、単純に移動するだけでも道中の糧秣がいる。それも大量に。

 無から有は生じない、買い集めるなら必ずその情報が伝わるのだ。

 なのに、前触れもなく、突然軍勢が現れたとはどういうことだ?


 そもそも、ヴィーア騎士団が急襲してきたというのが、不思議すぎる話だ。

 領都に攻めてきたのが、スクトゥム帝国から来た星屑どもの寄せ集めとかなら、それでもまだわからなくもない。

 パーティ気分の少人数がてんでばらばらに動き、フェルウィーバスに集結したところで、レイドバトル感覚でわらわら攻めてきたってなら、……うん、やりそうだよね。すごく納得できる。


 だけどなあ。ヴィーア騎士団て、カシアスのおっちゃんが所属してる騎士団だぞ?

 ランシア街道沿いの領地を巡り、治安に司法、税収その他一切をおまとめしてるエリート集団だ。頭脳はもちろん、武力としても相当なものらしい。

 そんな彼らは、別名を『王の耳目』という。つまり王の名によって動く、正規の騎士団なのだ。

 それが、いくら魔術辺境伯とはいえ、たかだか一貴族に対し、ここまで寝耳に水の襲撃をやらかすか?

 

 たしかに、アーノセノウスさんは彩火伯と称される凄腕の魔術師だ。前ルーチェットピラ魔術伯として、宮廷にもまだ隠然たる影響力を持っているらしい。

 だけど、アーノセノウスさんのような重要人物であっても、人一人の価値というのは、国益の前では風の前の塵にも等しいものなのだ。

 それは、たとえ封建制度のトップに立ってる国王だって同じ事。

 戦争で他国に国王が捕らえられても王太子が国王代理として立ち、交渉によって国王の身代金は支払われたが、国の領土は欠片も渡さなかった、なんて話がむこうの世界でもあったはずだ。

 いくらアーノセノウスさんの身が案じられるからといって、あの王サマが、こんなとち狂った襲撃を指示することなどありえない。

 

 ついでに言うなら、武力交渉という名の襲撃をいきなりかましてくること自体がおかしい。

 魔術辺境伯側の非を盛大に鳴らすつもりでやってきたグラミィたちだって、フェルウィーバスに正面から乗り込むのには、貴族のプロトコルにのっとった書状のやりとりもしたし、のりこんできたのも平和裡に交渉するためという建前があった。

 大義名分って大事。交渉ってのは、そういうものなんです。

 いくら最終手段は想定内でも、いきなり拳で殴りつけ、そのまま一方的にボコボコにできるのは、不意打ちで致命傷を与えられるくらいには、彼我に力量の差がある場合に限られるのだ。

 物理で反撃くらうのがいやだから、ふつうそれはほんとに最後の最後にするべきものなのだ。

 ていうか、卑怯にもいきなり武力行使したという悪評の鎮静させたりといった、事後処理の手間と、かかるコストを考えるなら、こんなふうに突然兵を動かすってのは、やっぱり悪手なんですよ。


 だとしたら。

 考えられるのは、アーノセノウスさんのことは、どこまでいっても出兵の口実に過ぎなかったという可能性だ。

 どうしても、王サマたちが魔術辺境伯領を攻める必要があると判断し、その行動に正当性を持たせるためのカバーストーリーとして、アーノセノウスさんの身柄奪還を掲げているとするなら、納得がいく。


 いや、峻厳伯は峻厳伯で謀叛企んでたわけだから、それを公表すれば、兵を出す正当な理由づけができたろうにとは思うよ。 

 だけどそれをしてしまうと、スクトゥム帝国と大きく事を構えようとしているこの時に、四方辺境伯が一つ、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯が、そのスクトゥムと手を組んでたってことも公表せざるをなくなるわけで。

 ……だからか。国内に動揺を起こさないために、わざと、一貴族の愚行に、国王が正義の名の下に介入した、という体裁を繕うのに使われたってことか。


「まさか」

 

 はっと気づいたように、峻厳伯があたしたちを、というかあたしたちの背後にいるフルーティング城砦に駐屯している魔術士団の人たちを睨んだ。

 

「きさまらは陽動か。これを待っていたのか」


 いやそれ誤解です。

 陽動は陽動でも、彼らがやってくれたのは、あたしとメリリーニャの目くらましです。

 そりゃまあ、あたしとメリリーニャの潜入自体、最終的にはフルーティング城砦の情報収集にあたる人たちの目くらましでもあるんですが。王都との連携なんてとってないんですよ。

 もちろん、教えてなんかやりませんけどねえ?


 だがこの状態はありがたい。

 王都への鳥便が届いていたのか、それとも連絡が途絶えたことに不審を抱いてたクウィントゥス殿下が、ランシア街道を熟知するヴィーア騎士団を早手回しに動かしたのかは解らない。

 しかし、実際に兵が動いているなら、この状況は王都とフルーティング城砦による魔術辺境伯領の挟み撃ちが、スクトゥム帝国の先手をとって決まったといえる。

 魔術辺境伯とスクトゥム帝国の連携を、完全に寸断するいい機会だ。

 

「されど、裏を返せばこやつにまだ価値はあるということか」


 峻厳伯も何かに思い当たったのだろう。

 魔術具の布に包まれたアーノセノウスさんに、じろりとつめたい目をくれると、峻厳伯は矢継ぎ早に指示を下し始めた。


「ウァスス、ウァサルス」

「「はっ」」

「至急手勢を集め街門へ向かい守りを固めよ。グワスは寄子どもへ報せを飛ばせ。こうなれば総力を挙げてランシアインペトゥルスを向かえ討つ」

「しかしそれでは」

「フェネクスさまの、御身回りが手薄になりはいたしませぬか」

「星詠みどもの魔力に当てられた者は使い物になりませぬかと」


 口々に峻厳伯を案じてみせる家臣たちに、グラミィが横目で見てきた。

 

〔激怒してたヴィーリさんだけじゃなく、ボニーさんまで回りを氷結する勢いでしたもんねえ……〕


 ……あーそのー、ごめん。

 というか、そのおかげで、泣き笑いしながら頭をぶつけてた人まで硬直してたし。自傷行為を止められた、結果オーライということでそこはひとつ。

 

「フルーティングより来た者どもなぞ、プリンケプスと一人二人兵士がいればいい」


 自信満々に言い切った峻厳伯は、あたしとグラミィを見るやころりと笑顔になった。


「案ずるな。シルウェステル・ランシピウスと、その年老いた世外の者は、もうこちら側だ」


 ……はい?


 思わずライブマスクの下、顎の骨が半開きになったあたしは悪くないと思う。たぶん。

 それをどう思ったのか、峻厳伯は力強く頷いてみせた。

 

「案ずるな。ランシアインペトゥルス何するものぞ。当家が守ってやろう」


 ……まーだあたしたちがルーチェットピラ魔術伯家、ひいてはアーノセノウスさんから意に沿わない束縛を受けていたという妄想をほざくか。この脳内万年厨二吸血黒髪フェチは。

 だが、それはこちらに都合の良い錯覚だ。とことん利用してやろうじゃないの。


「なればフェネクスさまの意のままに。クールソル。ミーレスとティーローを連れてこい。伝令ぐらいはこなせるだろう」


 峻厳伯の妄言を信じた家臣たちの多くが大広間を出ていった。その後を追おうとしたのか、魔術士団の人たちが身じろぐ気配がしたが、トルクプッパさんが手振りで抑えたようだ。

 それでいい、下手に追ったらこっちは圧倒的少数だ、撃破される可能性が高い。

 大広間の外に出た幻惑狐たちに、こっそり追っかけてもらうだけにしとこう。


 魔術辺境伯家の兵がほぼ去り、血まみれの伝令が取り残されてはいるものの、壇上に残った者はわずかに数人。

 だが、誰か一人にでも気づかれたら、すべてがぱあだ。

 内心の焦りを隠しながら、あたしとグラミィは、じわじわと距離を詰めていた。だるまさんが転んだの要領で。


 地獄のだるまさんが転んだのゴールは、アーノセノウスさんだ。

 味方だと誤解されている今のうちに、強度のある結界を維持できるところまで近づいて、アーノセノウスさんを彼らから隔離、保護する。

 その後、なんとか魔術辺境伯を抑えるか、それともその攻撃をかわすかして領主館を脱出、街門の外にいるはずのヴィーア騎士団と合流すれば、身の安全は確保できるだろうという算段だ。 

 ただこの領主館、領都フェルウィーバスの中でも、ランシア街道に面する街門から見て最奥にある。領主館の外に出てからが本番かもしんない。


「ウェテラヌウス。そやつも連れていくがいい。手当がいるだろう」


 隊長の指示に、まだ蹲っていた伝令に年配の兵が近づいた、その時だった。

 不思議な色合いの髪が一瞬紅金に光った。そう見た時には、アーノセノウスさんに剣を擬していた家臣が殴り倒されていた。

 

「なっ」

 

 剣は血まみれの手に移り、声を漏らした年配の兵は、鳩尾に突き刺さった鞘に沈んだ。

 

「裏切るか、きさま!」


 怒号した隊長が伝令に向かっていく。が、斬り合いは数合と続かなかった。

 激しくその腕を剣の平で叩かれ、くるりと巻かれた剣身はあっさりと跳ね飛ばされ壇下の長椅子にぶつかり、容赦なく隊長の顎を鮮血に染まった拳が打ち抜く。

 

 あたしたちも傍観してたわけじゃない。

 血まみれの男が、アーノセノウスさんを背に守りの構えをとった瞬間、あたしとグラミィは壇めがけてダッシュしはじめていた。

 男を敵とようやく見極めたのか、峻厳伯が杖と短剣を構えたが、その背中はがら空きだ。

 

 グラミィは壇のきわまで来ると杖を構えた。それ以上近づけば、峻厳伯の息子の亡骸から帯のように流れる血潮の中に踏み込まねばならない。そのことにためらいを覚えたのだろう。

 それでもいい、援護は少し離れたところからでもできる。

 あたしは血痕を飛び越え、壇に飛び乗った。

 そのまま跳び蹴りでもかましてやろうかと思ってたが、それは笑顔で振り向いた峻厳伯に外された。


「来たか、シルウェステル・ランシピウス!」


 だが、あたしにまるっと注意を向けたのが運の尽き。

 朱に染まった鎧が動いたとみるや、無言でその右手から杖を叩き落とされた。

 はっとそちらに意識が向いたところで、今度はあたしが背後から左肘に触れた。

 顕界した岩石が、腕を短剣ごと包み、固め上げる。

 

 どうやら短剣は刺したものから魔力を吸い上げる魔術具のようだ。

 ならば、剣身にふれないよう、一時的な鞘代わりになるものをつけてやればいいだけのこと。


「なに」


 何をされたかわからない、といった表情で振り向いた峻厳伯に、痛烈な足払いがかけられた。そのままうつ伏せに抑えこんだ男が、あたしに顔を向けた。

 意を酌んでタイミングよく短剣以外の岩石を砕いてやれば、血染めの腕は峻厳伯の手首を極め、あっさりと短剣をもぎ取った。

 ハイ無力化成功。


(御苦労だったな、アロイス)


 後ろ手に拘束された峻厳伯に手枷足枷を顕界しながら心話で伝えれば、ランシアインペトゥルス王国の暗部に生きる男はにやりと笑った。


「アロイスどのでしたか」

「アロイスどの?!」


 アーノセノウスさんを守るため、貼り続けていた結界を解いたグラミィの声に、驚いたようにトルクプッパさんが目を向けてきた。


「いつからお気づきでしたので?」

(そなたが攻勢にでた瞬間、ようやくな)


 全身血染めという姿は、見た目のインパクトもさることながら、魔力感知も難しくなる。

 血は持ち主の魔力で満たされているからだ。いくら体外に出れば拡散していくとはいえ、浴びた人間の固有魔力をマスキングしてしまうほどの魔力が残るなどということは知らなかったが。

 そしてアロイスは魔力ナシと判じられたほど、通常状態の放出魔力量が少ない。それゆえ気配を薄くすることが得手なので、斥候などはお手の物だ。

 それはつまり、魔力を感知できる魔術師には、侮られやすく、警戒もされづらくなるということでもある。

 実際、あたしも、彼が魔力を放出したあの一瞬、その色に見覚えがなければ、最後までとことん気づかなかっただろう。


 そのうえアロイスは魔力知覚能力がある。ということは、魔力制御能力もあるということだ。

 身体強化を短時間しか行わず、敵の目を眩ませ、継戦能力を確保するような運用のうまさは、以前からだった気もするが、さっきの斬り合いは尋常じゃない速さ、そして力強さだった。

 通常の身体強化以上に敏捷性や腕力が上がってるように見えるってことは、たぶん、オリジナルの身体強化方法を編み出してるってことだ。

 ひょっとしたら、瞬間的に使用する魔力を倍増するようなやりかたをしてるんじゃなかろうか。

 騎士のくせに、魔力制御能力がデフォルトな魔術師よりも身体強化がうまく、しかもその腕前としっかりシナジーを生じさせるあたり、敵にとってはじつに嫌な相手になるだろう。


 おまけに、その紅茶色の髪が、紫がかった黒に見えるのは……。

 あたしの視線に気づいたのか、アロイスは頭の布を取ってみせた。

  

「イシディスの軟泥膏をなすりまして。指がだいぶ青くなりました」


 きっちり変装までしてきてるんだもんなあ。

 そりゃ峻厳伯もころっと騙されるわ。


 イシディスは、荒野に伸びる草の一種だ。アルボー近隣の湿地にも多少生えていたらしく、タクススさんの寝床に使った枯草にも混じっていたとか。

 生の葉にも止血効果があるというが、より薬として使いやすく加工されたものは、大抵が乾燥した葉を細かく磨り潰し、なにやら秘伝の薬品を加え、時間と手間を掛けて抽出した濃縮体が原料になっているとかいう。

 一度タクススさんに見せてもらったことがあるが、それはそれは毒々しいほどに濃厚な青だったものだ。一見すると身体に悪そうにしか見えないというのは、薬としてどうなんだと思ったけど。

 

 それも道理で、イシディスは薬草としてだけでなく染料にもなる。

 発酵させると見事な藍色に発色し、堅牢な染めができるようになるというが、じつは生の葉でも青く染めることはできるのだ。

 あたしがアルボーの湿原を夜な夜な徘徊してた時、外套や服の裾がじわじわと蒼みがかってきていたのは、おそらく残っていた生の葉か、それとも乾燥して枯れたものがそのまま腐り、発酵したようになったものにすれていたからだろう。

 海神マリアムの眷属呼ばわりされた一因である。


(ずいぶんと念入りな変装をしてきたものだが、そなたに怪我はないのか。人の血だと幻惑狐たちは言っているが)

「は。お心遣い、まことにいたみいります」

「配慮だと。心ある者が、このような裏切りなどするか!」


 礼をしたアロイスの足元から唾を飛ばして怒鳴ったのは、さっきまで唖然としていた峻厳伯だった。


「『裏切りではない。峻厳伯さまのお心得違いでありましょう』とのことにございますよ」


 アーノセノウスさんをトルクプッパさんに任せて、グラミィが寄ってきた。


 たしかに、峻厳伯はかなりの精度で情報を得ていた。グラミィが異世界人であるのも、愛しのマイボディことシルウェステル・ランシピウスさんが、おそらくグラミィのガワの人の子、つまり半分は世外の者であることも。

 だけどいくら情報をつなぎ合わせたとしても、真実100%と、まるごとの真実は違う。もぎたて生搾りでも、果汁100%のオレンジジュースは、オレンジの果実まるごと一つと等価ではないように。

 なにより、峻厳伯の一番の考え違いは、あたしとアーノセノウスさんの関係だ。

 

「『峻厳伯が断ち切ろうとなさったは、我がしがらみにあらず。我が義兄上との得難きつながりにございます』」


 それを世外の者とはと、歪曲した一般概念で捉えたカテゴリに押し込めようと、切って自分に、自分だけに繋ぎ直そうとしたのだ。赦すわけがないだろが。

 これでも激怒してるんですよ。あたしは。


「おのれ、シルウェステル・ランシピウス!あくまでわたしを拒絶するか!」

 

 辺境伯が吠えた。


〔どうして、されないと思ったんでしょうねー〕

 

 グラミィのぼやきももっともだ。

 受け入れてやる?

 誤解だから赦せだの、身内を殺させるのが慈悲だのと、好き勝手に吐きまくってくれた妄言だけでもうんざりしてるってのに、アーノセノウスさんまで害そうとしといてふざけんなよ。

 そもそもしっかり自白したじゃんか。

 自分はこの世界の人間なのか、それとも世外の者なのか。

 問いに期待した答えが返ってこなかったからといって、夢織草で燻した挙げ句、問うた相手を殺してその血を搾ったと。

 一時めためたでろでろに愛玩したおもちゃを、最後に分解してばらばらに壊し、投げ捨てはまた新しいものに手を伸ばす子どもと一緒だよ。

 そんな自分自身しか見てないような執着、受け入れろとか気色の悪い。


 価値あるものと認めてやろう。だから知識を寄越せ、愛を寄越せ。自分を全肯定してくれ。

 峻厳伯の言葉を要約すると、こういうことになる。

 他者から否定を重ねられ、歪んだアイデンティティしか組み上げられなかったことは同情すべきなのかもしれない。崩れそうな自我に悲鳴を上げ、溺れそうになって、誰か助けてと手を伸ばすところまでは理解する。伸ばせるのが毒付き触手しかないというのも、しかたがないのかもしれないさ。

 だけど、救助者を次々絞め殺してましたってのは、なにをどう取り繕ってもいただけない。しかも殺した相手は存在していたことどころか、自分が殺したことすらどうでもいいことにしている。

 せめて毒付き触手使って自力で泳ごうとしていたら肯定ぐらいは……やっぱしてやんなかったかもな。

 こちとら客商売じゃねーんです。さすがー、しらなかったー、すごーいってな、さしすせそ対応をしてやりたいとも思えない。してやったとしても、猜疑にかられて夢織草で燻され、最後にゃ殺され血を搾り取られるって結末が待ってると思えばなおさらだ。


「『三度誘われましたが、このシルウェステル・ランシピウス。三度否と申しましょう』とのこと。そしてわたくしも」

「きさまもわたしを拒絶するというのか、星降るヘイゼル!」

「我が名はグラミィ。シルウェステル・ランシピウス名誉導師の舌人にございます。そのようなあちこちむず痒くなるほどけったいな名前で呼ばないでいただきましょう」

 

 怒号にもグラミィは冷静だった。それがかえって峻厳伯をかっとさせたようだった。


「ここな無礼者め、きさまのような老いぼれにも、ついでと声をかけたが誤りであったわ!」

「おや」


 グラミィはわざとらしく目を見開いてみせた。峻厳伯がちょっと怯んだように瞬きをした。

  

「わたくしのような老いぼれにも声を掛けねばならぬほど、よほどに不如意を覚えておられたとはお気の毒にと、はたながら、いたわしく申し上げておりました。ですが家臣の方々のお力に、いくら飽き足りぬ心許なさを覚えておられたとはいえ。スクトゥムが撒き散らした毒餌をこうもあっさりとはらわたの奥底まで飲み込んでおられるようでは。力量を問われるのは家臣の方々だけではございますまいよ」


 グラミィはえらく力のこもった笑顔を作ってみせた。

 

〔あたしだって、本気で怒ってますからね。トルクプッパさんから『貴族のプライドを傷つける言い回し』っての教えてもらいましたし〕


 それを逆用する気か。


「トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯は、まこと、スクトゥムにはランシアインペトゥルス王国の力を削ぐに都合の良い木偶でありましたな。これほどくるくると軽くよく踊ってくれるとは、スクトゥムにも思いも寄らぬことだったかと存じます」

「このわたしが。木偶だと」


 自分が他人を利用するのは当然なのに、自分が利用されているとは考えもしなかったのだろうか?


「そもそも、世外の者などに頼らねば、おのれがたれかもわからぬようなお方など、頼りがいなどありようもございません。大樹と頼みになどできるわけもありますまい」

「……ならばお前たちは何者だ?確固たる己があるとでもいうのか?!お前たちは自分が何者であるかをわかっているというのか、いつ知った、どうして体得した。その方法はなんだ、世外の者だから得られるというのか!きさまは、きさまらは、いったい何者だというのだ!」


 肩で息をしながら見上げる峻厳伯の目の前で、あたしは黒ずんだ玉を取り出した。

 これは、一晩あたしとメリリーニャを燻してくれた夢織草の煙をたっぷり吸着させたものだ。

 あんまり煙が濃かったので、むこうの世界に活性炭使用の吸着フィルターってあったよなと、多孔質に顕界した砂を通してみたのだ。さすがにガルドローブの孔から煙吹くわけにもいかないし。


「なにをする」

「『そんなに世外の者がお好きなのでしたら。お望みでした、世外の知識を少々さしあげましょう。メニハメヲ。ハニハハヲ、という言葉の意味を』」


 グラミィに伝えてもらうと、あたしは峻厳伯の口に、猿ぐつわをねじ込んでやった。

 がりがり歯にぶつかったかもしんないが、知ったこっちゃない。


 ……これで物理的には、お返し完了ってことにしてやろうじゃないの、峻厳伯。

 だがスクトゥム帝国の皇帝サマ(異世界人)ご一同、とりわけ『運営』の連中は、こんなもんですましてやるものか。

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