突撃!魔術辺境伯家の午餐(ひるごはん)!
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
翌朝――というか昼近くになって、あたしたちは尖塔からひっぱりだされた。朝食も運ばれなかったんだけど。
それはまあいい。あたしはもとから飲食不能だし、昨日運びこまれた食糧には手を着けなかったメリリーニャも、まだ日持ちのする食糧が残ってたので、それを食べてたし。
道中モテモテ生活の思わぬ余録である。
(ごはーん……)
(たべたいぃ~)
(にくぅ~……)
対して、あたしたちの後をてちてちついてくる幻惑狐たちは、どうやらすっかり空腹らしい。
だけどもうちょっとだけ、待っててもらおう。
てか、野生じゃ餌にありつけない日ってのもあるはずだから、空腹にはある程度強いはずなんだけどなあ。
(((……わすれた)))
三匹とも野性をどこに忘れてきたよおい。
内心ツッコミながらも足の骨は止めない。
そうしてだだっぴろい領主館の端っこから、ようやくあの応接間のある表棟の中心近くまで連れてこられた時だ。
なにやらえらく、前方が騒がしくなった。
なんだろうと思う間もなく、黒っぽい褐色の髪の男がすごい勢いでこっちに向かって歩いてきた。
てかこいつ、昨日魔術辺境伯の子といっしょに、あたしたちの品定めっぽいことをしてきた取り巻きだわ。たしか。
「カメラリウスさま。いかがなされました」
声を掛けた兵士を、男はじろりと見下した。
「フルーティング城砦からの急使だそうな。フェネクスさまにお目通りをと騒いでおる。まもなく正餐時だというに。まったく非常識なやつらで困る」
いやいや。前からフルーティング城砦の人たちを呼びつけてたのは、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯じゃないでしょうに。
相手の都合なんてお構いなしなのは、そっちのお家芸じゃないですかやだー。
というか、うまくグランドーたち四匹の幻惑狐は、グラミィたち陽動本隊組に合流できたようでなによりだ。
「それで、こいつらは」
「お館さまがお呼びとのことゆえ、連れてまいったのですが」
「……ああ。あれか。今は状況が変わった。連れ戻せ、というには遅いか」
侍従っぽい男は後ろを振り返ると舌打ちをした。
「このようなところでうろつかれるのは目障りになる。……しかたない、そのあたりの控えの間が空いていたはずだ。とりあえず押し込めておけ。急げ」
「は」
あたしたちは一言も文句を言うことなく、実におとなしくされるがままに押し込まれた。
椅子があるだけ昨日の座敷牢より上等じゃんと思ったが、内心は隠しますとも。
だがそれは、あたしたちが盛大に文句と愚痴を垂れ流すと予想してた兵士たちには肩透かしだったのだろう。表情がうまく取り繕えずに拍子抜けというか、多少疑問が透けて見える。
まーねー、幻惑狐たちに化かしてもらわないと、喋ることもできないあたしはともかく。
道中、対人行動を一手に引き受けてくれてたメリリーニャも、昨日までの人間くさく見せる演技を放棄してるもんなあ。
しかし、兵士たちがそんな反応を示すってことは。
……なるほど、なるほど?
だけど、いらん会話をするなと命じられているのか、彼らが話しかけてくることはなかった。
ならば、そのくらいはどうということはない。こっちはこっちで粛々とやるべきことをやるだけですよ。
従順な操り人形のふりとか。フームスたちにその鋭敏な耳を借りたりとか。
ふむ、予測通り、夜討ち朝駆け奇襲万歳な勢いでやってきたのは、グラミィたちだったか。
( )
荷物に偽装したまんまのラームスが、葉擦れのような心話を寄こした。
――なるほど、ヴィーリもとっくに合流してたわけか。
波長が違うとでもいうのか、基本的に魔物や動物たちの心話は、人間には、たとえ魔術師であっても、なかなか認識しづらいらしいものがある。らしい。
だが、ラームスを含めた樹の魔物たち、そして彼らを半身とする森精たちは、常にその心話ネットワークでつながっているようなものだ。
あたしも、ラームスたちの心話は、彼らがわかりやすく話しかけてくれる限りにおいて、なんとか理解できてるようなもんなんだが。
もとがヴィーリの樹杖の枝だった存在、つまりはクローンを持っているとはいえ、グラミィは心話自体が認識し切れていない。理解なんてなおさらというね。
だけど、ヴィーリがグラミィたちと合流してくれたということは、彼の口からグラミィたちにもこっちの状況についてほぼリアルタイムで伝えられるようになったということだ。
そして、逆にあたしたちも、グラミィたちの状況を知ることができるようになったというわけですよ。
まあ、ちょっと魔力以外にもいろいろ消耗するんだけど。
「~!~!!~~!!!」
おや。
幻惑狐たちの耳を通さずとも、こんな離れたところまで声が聞こてくるとか。
ずいぶんとやりとりが白熱してらっしゃるようで。
きな臭くなった気配を感じたのか、兵士たちも互いに顔を見合わせた。そりゃ浮き足立つだろう。荒事となれば物理的戦闘力の出番だもんな。
彼らはそわそわと、しばらくあたしたちの様子を警戒するように伺っていた。
だけど、あたしたちが動こうとしないのをみて、一人だけ見張りに残すと、大広間の方へと走っていった。
いやいや。昨晩みたいに塔の中に閉じ込めたあたしたちを、その外から見張るってんならともかくよ?
同じ室内にいるんなら、最低限ツーマンセルにすべきでしょうに。
だが、こっちには、じつに都合がよろしい。
あたしとメリリーニャは、すぐには動かないけどね。動いてもらうのは、幻惑狐たちですよ。
「あ、こら!待て!」
するりと幻惑狐たちに足元を抜かれそうになれば、そりゃあたしたちへの注意はそれるよね。
梢を吹き抜ける風のように音もなく、その背後に立ったメリリーニャに、あっさり締め落とされてもしかたがないんですよ。
あたしは不運な居残りくんに小粋なアクセサリーをフルセット、いつものように顕界して嵌め、ついでとばかりちょっとした小細工を自分たちにも施すと、メリリーニャともども大広間とは逆方向に走った。連れ出された塔の方に。
方向音痴というでない。ちゃんと理由があるんですー。
走りながらも、あたしは幻惑狐たちと視覚共有を続けた。部屋を出た幻惑狐たちは、兵士たちの後を追うように大広間へ向かっているようだ。
人によっては見かけたとたん、攻撃しかけてくる可能性もあるから、気をつけてとは伝えておいたんだが、順調なようでなによりだ。
が、君ら。料理の匂いに反応してないか?
(((ごっは~ん!)))
やっぱり、突撃領主館の午餐!ってか。こンのはらぺこどもめ。
一方あたしたちはというと、なんとか塔に辿り着くことができた。そのまま中の階段を使って、より上階へと駆け上がる。
貴族の館や城というやつは、使用人用の通路や居住スペースと、主の家族やその臣下用のそれというのが、別になっていることが多い。アダマスピカ副伯領の領主館みたいに、同じ通路を使ってるってことも、まあ、ないわけじゃないが、そういった場合でも居住スペースは別々なのだ。
つまり、使用人たちの行動パターンが読めれば、うまくタイミングを読んで、こんな風に使用人用の廊下を使って、見咎められずに移動することもできるだろうとあたしはふんだのである。
なにせ侍従風味な男性の話を信じれば、今はお昼ご飯前。
ただでさえ厨房付近に人が集まっているだろうに、グラミィたちまで突入してきたのだ。正面玄関から大広間あたりのエリアさえ避ければ、野次馬化した使用人はうまくかわすことができるだろう。
昨晩いろいろと工作を施したのは、塔の外壁ばかりではない。一見してもわかんないように偽装したけど、部屋の戸口を仕切っていた袖壁にも、幻惑狐たちが出られるくらいの小穴を開けておいたのだ。
深夜のお散歩を楽しむついでに、この領主館の間取りを探っておいてもらって助かったよ。
おかげで、あたしたちはそれほど手こずらずに初めて見る居住空間を踏破できた。あたしもメリリーニャも魔力知覚はそこそこ鋭敏なんで、たまさか見かける使用人たちの集団はかわし、少人数ならいろいろな搦め手で気絶してもらうってやりかたがうまくいったんで。
搦め手がうまく使えたのは、気絶してもらった使用人さんたちに、魔術師が一人もいなかったおかげもある。
……やっぱり、事前情報通り、魔術辺境伯家じゃあ、魔術師ってだけで、ヒエラルキーの上位に置かれてるんだろうな……。
さらに使用人用の部屋が固まっているエリアを抜けると、あたしたちは大広間の入り口の上に出た。
キャットウォークのようなスペースになっていることは確認済みですとも。
あたしとメリリーニャは黒い外套のフードを頭蓋骨からかぶり、匍匐前進でキャットウォークのきわまで忍び寄った。
大広間の中を覗けば、とうに食卓が設置され、料理のいくつかは運ばれてきていた。
フルーティング城砦の大広間でもそうだったが、領主以下一斉に食事を摂るスタイルなんだろう。
だが、どうやら無理に食卓をずらしたようで、狭くいびつなスペースで、陽動本隊組が魔術辺境伯家サイドと対峙しているのが見えた。
内輪のくつろいだ雰囲気のところへ、グラミィたちが踏み込んだ恰好になったんだろう。
だけどこの状況は使える。これだけ手狭ならば、物理的戦闘能力はそこそこ殺せる。
「では、貴殿らは、国法に違うことなく潔白であるとおっしゃる?」
「無論」
魔術士団の前に立ち、魔術師のローブ姿で髪を後ろに降ろしているのは、トルクプッパさんだ。
対してグラミィは、いつもの魔術師っぽいユニセックスな黒ローブではなく、女性貴族が着るような服装をしていた。
典礼服ほど格式張って動きづらそうなものではないが、長袖で首もぴっちりと締まるドレスの上に幅広のベルトを締め、袖のないサーコートとでもいうのか、ずいぶんと刳りが大きい裾長な上着を身につけ、髪をきちんと結い上げた上に、細い金属のネットで髷を覆うと、なかなかどうして見違えるものだ。
枝を盛大に絡ませた杖さえなければ、十分うるさ型の貴婦人に見えるんじゃないかな。
そう思った時、グラミィのドレスの後裾がもこりと動いた。
(あんしんー)
(ぐらみぃ)
(ごはーん)
……なるほど、幻惑狐たちはとっくに合流してたわけか。
なら、これで、あたしたちの取りあえずの無事は伝わったな。
「ならば貴殿らがランシア街道を封鎖なされたことをいかに釈明なされるおつもりか。王の土地に対する越権行為を不法とは認めぬと?」
……なるほど、突入の正当性を王権に頼ったか。あたしはトルクプッパさんの言葉に心中うなずいた。
ぶっちゃけ、領主による領内での不法行為を咎めることって、できないんですよ。
なぜなら領主がそこの法なんだから。
トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯の一族が、自領内で何やったって――それこそ村の一つや二つ潰す勢いで領民を虐殺しようが――彼らの自由なんですよ。
おまけにこの世界は封建制度ばっちりだ。人権、特に平民のものは存在しないも同然というね。
実際、むこうの世界のエリザベート・バートリだかが捕まったのも、確か貴族女性の被害者が出たからとか、より高位の統治者である王や皇帝が正義を示すため、お手頃サイズの絶対悪として、権力で叩き潰すのにちょうどよかったからとか。あるいは単純に相続や領地をめぐるいざこざを解決するための罪のなすりつけ、というか特盛だったはずだしなあ。
万が一実際にやらかしたとしたら、隠蔽工作とか情報操作とかしなければ、領内の忠誠度はだだ下がりだろう。だがそれも噂という手段による恐怖支配の一環という手はないわけじゃない。
だけど、ランシア街道に手を出したのならば、話が違う。フルーティング城砦同様、王の財産なんですよ。ランシア街道は。
たとえ他の貴族の領地を通っていても、街道自体は王のものなのだ。
だからこそ、他領へ逃げ出そうとした農民は、街道の上にいた場合、法律上はなんらかの猶予が与えられてたはず。
街道って、ある意味聖域というか、治外法権の地なんですよ。天空の円環が四方の法に猶予を与える土地とされるのにも似ているかもしれないが。
いろいろ脱線しながら考えている間に、峻厳伯側の反論も進んでいたらしい。
「そもそもランシア街道のことは、ヴィーア騎士団が管轄のはず。フルーティング城砦の者が言うは、それこそ越権行為では?」
「さにあらず。わたくしどもはヴィーア騎士団に合力いたしておりますので」
「合力?」
トルクプッパさんは笑みを崩さない。これエミサリウスさんの――、いや、クランクさんの真似をしているのか。
「トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯領内のとある村にて、ランシア街道を封鎖するよう命ぜられたという証言が得られたのですよ。ヴィーア騎士団などに封鎖の理由を問われたら、街道の一部が損壊したため通行不能となっていると答えよと。場合によっては街道の敷石を剥がせとも。さもなくば罰すると、魔術辺境伯子ポイニクス・ランシキャビアムどのの名において宣せられたと。――正当な理由なきランシア街道の封鎖は重罪にございましょう。ランシア街道の意図的な破壊はもとより、虚偽により正常な通行を妨げた者もまた」
「なんだと!」
魔術辺境伯の家臣たちが、気色ばんで剣に手を掛けた。
「証拠はあるのか」
「ございますとも。炎に舐められた跡のある命令書が。いささか隠滅が甘かったかと拝察いたします」
「……証人は信用ができる者なのか」
「いかにも」
「ならば連れてくるが良かろう。我らが前でどこまで虚偽を語り通せるものか、とくと見てやろうものを」
「お言葉ですが、顔を見せればすぐさまどこの誰と名指されましょう。それではその身を安んじることもあたわぬ、どころか、その一族係累もろもろ辜せられぬとも限りますまい。そもそも、証人も証拠も、すでにヴィーア騎士団により王都へ送られておりますが」
「なに」
家臣たちが振り仰いだ。しかし彼らが見上げた魔術辺境伯の子も、愕然と立ち竦むばかりだ。
まーねー、証拠や証人がちゃんとあるとか言われたらそうなるか。
しかも、その証拠や証人が真実を示すかどうかって問題では、もう、なくなっている。それらがヴィーア騎士団という王の指揮下にある者たちによって確保されている以上、王はその証拠も証人も真実を示すものとして扱うだろう。
つまり、峻厳伯側は王の敵認定を正式に頂戴しましたってことになったのだよ。
静まりかえった大広間の空気を、低く喉で笑う声が震わせた。
「面白い、おもしろい余興だ。無理矢理押しかけてきた大道芸にしてはなかなかの余興ぞ」
ばかにしたように手を叩いて見せた魔術辺境伯は、悠然とこうべを巡らせた。
「雪白の髪に灰銀の目。――今はグラミィとか名乗っているそうだな。星降るヘイゼル。世外より至りし者。この人形の言葉はお前のものか」
一見グラミィは無反応に見えた。だけどその裾に隠れている幻惑狐たちと感覚を共有しているあたしには、震えが伝わってきていた。
「舌人とかいったか。そのお前がいるなら、シルウェステル・ランシピウス名誉導師はどこにいる?」
「……みなさまがお目にかかりたいとお望みならば、いずれはお会いすることもございますでしょう」
いますけどね、ここに。
だが相手が魔力知覚能力のある魔術師である以上、心話をグラミィに飛ばすことは避けるべきだろう。
「まあよい。ならばヘイゼル、そなたに問おう。この余興の意味はなんだ。ようよう我が元に馳せ参じる気になったがゆえの、頭をしぼって我らが気を惹くためか」
「…………」
「そのようなしおらしい企みなどじゃらくら考え回さず、どうせならば世外より至りし時に、すぐさま我らが元に参ればよいものを。子がなせそうにない身となってからとは、実に惜しいことだ」
捕食者の目で睨め回され、グラミィはひそかに身震いした。
グラミィのガワが大魔術師ヘイゼルだってことは、一番最初に推測した魔術士隊には口止めがされてる。だから王族しか知らないはずのことだ。
だけどそれが、異世界人だと断定しやがったなこいつ。
あたしたちですら、森精から得た情報と、ランシアインペトゥルス王国が集めたクラーワ地方の情報を掛け合わせた、確信に近い推測しか得ていないことだというに。
なにより峻厳伯が危険なのは、あたしのおまけ、シルウェステルさんの舌人としてではなく、グラミィ個人を見ているということだ。星とともに落ちたという大魔術師ヘイゼルという見方ではあるが、シルウェステル・ランシピウスの名前が目くらましになっていない以上、グラミィにどう出てくるかわからない。
峻厳伯はどこまで情報を得ているのか。あたしやグラミィの知らないことをどれだけ知っているのか。
……推測できるのは、あちら側はヘイゼルの居所を掴んでなかったんだろうなということぐらいか。それもつい最近まで。
だって、もしそうでなかったら、世外の者との子を得るために、なんとしてでも大魔術師ヘイゼルの身柄を自領内に引きずり込み、一生幽閉し、ただ一族の子を産ませるという、採卵鶏よりひどい扱いをぐらいはしでかしてそうだよ。この執着心だだあふれる口調からして。
クラーワヴェラーレの王族という触れ込みだったインフィティアヌスも、表向きは平民扱いだったはずだから、下手すると排除対象に認定されてたかもしれん。
「だが、『モウオソイ』とは言わぬ。わたしは『ヲニ』でも『アクマ』でもない。忠実なるものには寛大な主であると誓おう」
「っ!」
グラミィが息を詰めた。あたしも驚いた。
トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯が呟いてみせたのは、発音は片言っぽいが、間違いなく『日本語』だったのだ。
「グラミィさま?!」
震えに気づいたのか、小声でトルクプッパさんが案じた。が、グラミィは答えなかった。答えることすらできないのか。
その間も、魔術辺境伯は言葉の毒を口から滴らせ続けた。
「ルーチェットピラ魔術伯家ごときが、世外の者の扱いをわきまえているとも思えぬ。――このように、一族打ち揃った場に加わったことはあるか?彩火伯の孫どもの顔を見たことがあるのか。いや、そやつらの名を知っているか?」
グラミィは、杖をきつく握りしめた。彼女はアーセノウスさんにお孫さんたちがいることすら、下手すれば知らなかったかもしれない。
一応ではあるが、あたしは知ってた。
まがりなりにもシルウェステルさんは魔術学院の名誉導師ですから。いくらルーチェットピラ魔術伯家がシャットアウトしようと、魔術師や魔術学院生である以上、マールティウスくんやその子たちの情報は入ってくる。不審を感じたら調べられるくらいには伝手も作ったし。
でも、見事なくらい顔を合わせることはなかったから、アーセノウスさんあたりがそうしてるんだろうなーぐらいのことは察してましたとも。ひょっとしたら、あたしやグラミィの存在を認めていない一派がルーチェットピラ魔術伯家の中にいるのかもしれない、とも考えてみたことがある。
その上で、あたしは何もしなかった。
アーセノウスさんがしていることならば、意味のないことではないはずだし、万人に好かれることなんて不可能だし、とね。
こっちも忙しく東奔西走しまくってたから、わざわざ時間を作って会おうという気にもなれなかったし。
そもそもあたしとグラミィが、ルーチェットピラ魔術伯家の中で冷遇されてようがなんだろうが、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯家には関係がないことなのだが。
自分が持っていると思っていた知識に、あることすら知らなかった穴があり、頼れる味方と思っていたルーチェットピラ魔術伯家に、ひそやかな敵意を向けられていたかもしれない、という疑いを持ってしまったことは、グラミィにとってかなりの痛手だったようだ。
もっと早くに絶対的味方というのはありえないと、グラミィに伝えておくべきだった。
あたしはひそかに悔やんだが、後悔というやつはいつだって現在には届かない。
「やはりか。用がなくば遠ざけられるとは、哀れなものよ。これからも都合よく使われるのはいやだろう。ならば我が元に来い。我らはお前の同胞の血をも引く身だ。庇護を与えるばかりではない。同じ血を引く者として、迎えいれてやろうではないか。さあ」
「あいにくと。われらフルーティング城砦駐屯部隊の用件はすんでおりません!」
粘つく魔術辺境伯の視線に、むりやり割り込んだトルクプッパさんが叫んだ。
身分詐称したことにならないよう、魔術士団の統括者であるコギタティオさんには、彼女にこの魔術辺境伯領にいる間だけという制限つきで、臨時に魔術士団の人たちと同等の待遇と代表発言権を与えてもらっている。
いざという時の切り札だったのだが、それを使ってでもグラミィを庇わねばと、トルクプッパさんは判断したのだろう。
それは、トルクプッパさんが、峻厳伯を警戒すべき相手と判断したということだ。
「今ひとつ、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯には糺すべきことがございます!」
「……ほう?わたしがなんの罪を犯したと?」
「星詠みの旅人のお一方に危害を与えたことにて」
「星詠みだと?」
初めて魔術辺境伯は、目の下をぴくりと引きつらせた。
その前に魔術師たちの後ろから進み出たのは、樹杖を持ったヴィーリだ。
グラミィたちすら背にして、ヴィーリはその魔力を解き放った。
次の瞬間、大広間いっぱいに顕現したのは。
白金の太陽を核とした、無音無風の緑の嵐。
……矛盾するような表現しかできないが、それは、森精たちがまさしく人間ではないことを示すような、質量ともに空恐ろしいほどの魔力だった。
以前、一度あたしとグラミィも彼にくらったことがあるが、やっぱり格が違う。これは本気で勝てるわけない。
気がついた時には、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯側の人間は、あらかた戦意を喪失した様子になっていた。
呆然とした表情で剣を取り落としたまま固まっていたり、尻餅をついたまま震えてたりしているのは、まだいいほうだ。
笑いながらごんごん床に頭をぶつけだしたのはちょっと怖い。
トルクプッパさんすら、グラミィの手を握りしめてるよ。
「我らが同胞を帰してもらおう。我らは森に命を得、星とともに歩むもの。石の中に在るは本意ではない」
一本の樹木がそこに在るだけのように、かすかな気配に戻ったヴィーリの声は、しかし大広間を支配した。
これは……かなり怒ってらっしゃる?
あたしはカロルにグラミィを鼻でつつかせた。
びくっと再起動したグラミィは、いざという時のヴィーリのストッパーという役割を、どうやら辛うじて思い出したようだ。
「ひとつよろしいかな、星詠みの旅者のお方」
外向きの呼び方に、ヴィーリは黙って目を向けた。
「どうやら人間には、方々の見分けはつきがたいようにございます。――失礼ながら、同胞なる方がいかなるお姿かを教えてはくださらぬか」
「かの同胞は、黒髪を持つ」
「それはこちらの方々のような色合いで」
グラミィは、峻厳伯家の人たちを指し示した。全員がびくっとしたが、ヴィーリは首を振った。
「いや。同胞の髪はもっと濃い。炭よりも黒く、夜空をうごめく深淵すら思わせる」
「なるほど。――お心当たりは?!」
じろりとグラミィが目を向けたが、トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯の一族の反応は、なんとも妙だった。
あ、いや、ヴィーリの魔力にあてられた時から、変は変だったんだけど。それに輪を掛けたというか。
比較的正気を残していたらしきポイニクスと魔術辺境伯の様子が、とりわけおかしい。
「黒髪。……なるほど?そうか。黒髪だ。黒だ。やはりか!」
ぶつぶつ言っていたと思うと、魔術辺境伯はがばりと顔を上げた。
「『ナゾハトケタ』!ランシアに星降らぬままに時は流れたというが、それは大きな偽りだったか!」
「それはどういう意味かの。トゥルポールトリデンタム魔術辺境伯どの?」
「とぼけるなァ!」
不意に切れ上がった怒声に、トルクプッパさんの肩がびくりと跳ねた。
「黒髪の森人など見たことがないわ!ここな森人めら、おおかた世外の者の血を混ぜたのだろうが!横奪だ!」




